脳死・臓器移植 | 障害者は 「脳死・臓器移植」に反対する |
「生きている人間」から臓器を摘出することを認める法律 91年2月のリハセンターでの転倒事故、そして92年10月の裁判提訴……とほぼ並行して、「臓器移植法」反対への徳見の闘いが始まった。障害者を選別・隔離するリハセンターや行政、そして徳見を解雇することによって労働の場から障害者を排除する「能力主義社会」は、「生きるに値する命」と「生きるに値しない命」を選別し、一方が生きるために他方を抹殺(排除)する「脳死・臓器移植」と同じ根――優生思想――でつながっているからである。 「脳死・臓器移植に反対する市民会議」に、徳見が初めて出席したのは、91年の秋ごろだった。翌年の1月には、「脳死臨調」の答申が出され、「脳死」を「人の死」とすることはできないまま、臓器移植を積極的に推進する立場から、「臓器移植法」の制定を答申した。 すなわち、「脳死をもって〈人の死〉とすることは、今のところ合意ができていないが、移植のための新鮮な臓器が必要だから、一定の条件のもとに、〈脳死者〉からの臓器摘出を合法化したい」ということであり、言いかえれば「〈脳死者〉は生きているが、臓器移植のために必要だから、死者(これを〈脳死体〉という)として扱う」のである。さらに言いかえれば、「どうせ死ぬのだから、早く殺して、臓器を役立てたい」というのが本音だ。 「臓器移植法案」は、94年4月に国会に提出された。「脳死は人の死」かどうかをめぐって議論がまとまらず、何度も継続審議となったあげく、やっと97年4月に成立し、半年後の10月に施行された。 法案は「脳死は人の死」と規定し、「脳死者」からの臓器摘出を合法化すると共に、「脳死は人の死ではない」という立場からの修正案――「(死ではないが)本人の(臓器提供の)意思が明確な場合に限って、臓器摘出を認める」――の一部を取り入れ、「本人の意志」を強調するとともに、「臓器移植医療(これが『医療』といえるかどうかは、さておいて)への不信」を取り除くためのさまざまな「手続き」を規定し、「臓器移植推進派」の医師が、「こんな法律では移植はできない」と嘆いたという話も伝わるほどであった。 臓器運搬の「予行演習」もおこたりなく、「ドナーカードの記入不備で移植ができなかった」として、「いかに『本人意志の確認』を厳密におこなっているか」という「演出」をも何度かおこなって、「推進派」の医師たちが虎視耽々とチャンスをねらっていた「脳死体からの臓器移植」の第1例が、99年2月、高知赤十字病院でおこなわれた。 「(法的に)一点の曇りもない移植」のはずが、今回、その第1歩でつまずいてしまった(くわしくは、「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会のHP)。「くも膜下出血」で倒れて「臨床的脳死」と主治医に判定された「ドナーカードを持つ40代の女性」の、第1回の「『法的』臨床的脳死判定」の結果は「脳死ではなかった」というのである。翌日おこなわれた第2回「臨床的脳死判定」で、「やっと! 脳死になった」というのだが、その間、どのような「治療」がおこなわれたのだろうか。これまでの例から考えれば、おそらく「臓器保存」のための処置がなされていたにちがいない(この「処置」は、結果的に脳死を早めることになるという)。そもそも「40代の女性」の主治医は、入院してわずか3日後に「脳死」と判断している。その間の治療がどのようにおこなわれたかも、まったく伝えられていない。 「ドナーカードを持っていたために、十分な『延命治療』がおこなわれなかったのではないか」という疑惑を残したまま、「生きている人間」から、心臓・肝臓・腎臓などが摘出され、「移植によってしか助からない」といわれる患者に「部品交換」されたのである。 「臓器移植法」が国会に上程される前は、「尊厳死・安楽死」の議論があった。1991年4月におこった「東海大安楽死事件」では、裁判おいて、長男は「ただ父を楽にして欲しい、と頼んだだけ」として、「父親の死を望んだのではない」と証言したのに対して、「安楽死」をさせた医師の側は「家族の同意」を強調した。それは、逆にいえば「家族の依頼」があれば「安楽死」をおこなってもよい、ということにもなるわけであり、事実、判決では、条件つきで安楽死を認めている。 また翌年の10月には、栃木県益子町で、ハチにさされた女性陶芸家が、「脳死」と判定されて、わずか6日間の「治療」によって、人工呼吸器を医者および家族によって外され、心臓停止後、腎臓と角膜を摘出されるという「事件」があった。 この女性の場合は、尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)を書いており、腎バンク・アイバンク・解剖用の献体などの登録をしていたため、臓器摘出を目的として、十分な治療をせずに人工呼吸器を外したとして、徳見も含めて医師を殺人罪で刑事告発をしたのである。それに対して、この女性の弟という人が、次のように述べている。 「姉を含めて私たち家族が尊厳死と腎臓・角膜提供の意志を共有し、姉は生前に関係機関に登録済みだったこと、合わせてこのような本人の意志ならびに家族の同意の下に、田中雅博・貞雅両医師の採られた措置はきわめて正当であったと家族が確信していることは、すでに各紙で報道されましたが、このような家族の心情から言って、田中両医師に対する貴殿らの告発は、故小川晶子の死、したがってその尊厳死を選択した私たち家族に対する告発の意味をも持ってきます」。 このように彼は「私たち家族が小川晶子の死(尊厳死)を選択した」と述べている。自分の姉を「死においやって」おいて、平然とこのように言える「家族」もいるのである! いや、べつにこんなことは珍しくも何ともないのかもしれない。今でも現実に頻発している「親(家族)による障害児(者)殺し」に限らず、保険金のために妻を、あるいは夫を殺すたぐいの事件など、家族が家族を殺すような出来事は、毎日のように新聞をにぎわしているのだから……! 「臓器移植法」によって、「臓器移植のための殺人」が合法化された結果、こうした「安楽死」や「尊厳死」の議論は不要になってしまった――というより、これらの「議論」の上に立って、この法律が作られてきたといってもいいだろう。 こうして、「死ぬこと・死なすこと」が、次のように賞賛さえされる時代となったのである。「まさに死のうとする母を見守る子どもや夫の心情はいかばかりであろうか。その悲しみの中で、死に赴く人の意志を尊重した家族、その家族の崇高さに心を打たれた(『神奈川新聞』99年4月4日・投書)」。 こわい、こわい! 徳見のように、社会から「生きていてもしかたがない」とされている障害者は、ドナーカードを持ったら、いつ殺されてしまうか分からない。しかも「死んでよかったね」などと言われるのだ! |
「脳死・臓器移植」については、下記を参照してください。
臓器移植法を問い直す市民ネットワーク https://blog.goo.ne.jp/abdnet
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