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「障労裁判」報告

判決文および判決文批判、控訴理由書などは、資料のページ参照


裁判は、最高裁で上告棄却され、終了しました。

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裁判経過


00. 6. 2 解雇撤回を求める裁判(障労裁判)提訴(訴状提出)、
     「訴訟救助の申立」(6月20日「決定」)
  9. 7 第1回(口頭弁論1)
     ……以後、01.3.1まで、5回の法廷が開かれ、「和解」ための「進行協議」となる。
01.3.23 第6回(進行協議1)
     ……以後、02.3.18まで、9回の「協議」がもたれたが、被告側の消極的な態度に、裁判長は「和解勧告を出すためには、証人調べが必要」として、いったん進行協議を打ちきり、証人調べをおこなうことになる。
02.5.23 第15回(口頭弁論6)
      ……10.23まで、4回の法廷が開かれ、被告側証人・長島清、原告本人尋問を各2回おこなう。
02.12.16 第19回(進行協議1)
      ……再び進行協議となり、裁判長が「復職を前提とした和解勧告」をおこなう。7回の協議が開かれたが、 結局被告は「金銭的な解決以外に和解は考えられない」として、和解不成立となる。
03.10.2 第26回(口頭弁論10)
      ……双方、最終準備書面を提出し、結審となる。
04.1.22 第27回(口頭弁論11)
      ……一審判決(原告全面敗訴)

04. 2.25 控訴(東京高裁)
      ……6.14から10.18まで、第3回の法廷が開かれた後、結審。
05. 1.19 第4回(口頭弁論)
      ……二審判決(原告全面敗訴)

05.1.31上告(最高裁)
05.3.25「上告理由書」「上告受理申立理由書」提出
05.6.23「上告理由補充書」「上告受理申立理由補充書」提出
05.6.23「上告棄却」
05.10.18「裁判報告集会」

  

(04.4.22)一審敗訴判決を受けて……

労働組合は支援せず!
 解雇当日の夜(1995年1月19日)、徳見の解雇に抗議する集会がもたれた。その後、この集会の参加者を中心に、「障害者になったことを理由にした解雇は、一人徳見さんだけの問題ではない」として、「障労(障害者の労働・差別を考える会)」が結成された。
 徳見が所属する組合は、個人的に数人が集会に参加してくれた。しかし、組合としては、徳見の支援には及び腰で、解雇撤回に向けた動きはほとんどなかった。
 後に、組合役員の一人が「組合が支援するには、獲得目標がなくてはならない。たとえば、解雇撤回させたうえで円満退職する、というような条件交渉をする気持ちは、徳見さんにはないだろうから難しい……」といって(96年5月)、組合として「解雇撤回」に向けた闘いが組めない理由を述べたのである。
 あくまでも、原職復帰を求め、当局の解雇理由に全く納得できない徳見としては、このような「取り引き」をして退職することなど、思いもよらないことだった。
 こうして障労が中心となって、当局と何回か解雇撤回を求めて交渉をもったものの、運動体としての障労の弱さや、所属する組合が実質的に手を引いてしまったためもあって、当局のかたくなな姿勢を変えることはできなかった。
 話し合いは平行線のままで、ついに当局が「不満があるなら裁判でも何でもやってくれ!」というに至って、これ以上交渉での解決は不可能と判断せざるをえなくなった(96年10月)。
 残された手段は、裁判しかないのかもしれないと思い、何人かの「労働問題にくわしい」弁護士に相談をした。しかし「働けるのに(別の理由で)解雇された場合は(不当労働行為として)勝てるが、働けない労働者が解雇無効を訴えても勝てない」として、引き受けてもらえなかったため、裁判提訴ができないままだった。
 すでに「リハ裁判」が進行中であり、この時点で、さらに別の裁判をかかえる気力があまりなかったこともあるが、もうひとつの理由として、「障害を理由にした解雇は不当」という裁判を提訴して負けた場合に、「障害を理由にした解雇は正当」という「悪い判例」がつくられてしまうことを心配したのである。

裁判提訴
 やがて、99年11月に、「リハ裁判」の地裁判決があった(「リハ裁判」のページ参照)。原告・徳見の全面敗訴であり、その内容はきわめて「差別的な判決」だったが、とにもかくにも、7年に及ぶ長期裁判に一応の決着がついた(この裁判は、その後、高裁でも地裁判決をそのまま踏襲した判決が出されたため、最高裁に上告したが、棄却されて、徳見の敗訴は確定した)。
 そのころ、たまたま知り会った新美(にいみ)弁護士に、徳見の「解雇問題」について相談すると、「これこそ裁判提訴すべき……」と言ってくれた。新美弁護士は、「労働問題にくわしい」だけではなく、差別や人権の視点で問題を掘り下げて闘っている弁護士で、徳見の解雇問題も、「働けない労働者の解雇問題」ではなく、「障害者差別の問題」として受け取ってくれたのである。
 「悪い判例を残しては……」という徳見の懸念については、「私なんか、『悪い判例』をたくさんつくってきたよ!」といって笑い飛ばすのだった。
 こうして、やっと、解雇5年目にして(2000年6月)「解雇無効」の裁判(障労裁判)を提訴するに至ったのであった。
 
被告が和解を拒否
 2000年9月に裁判が始まり、2003年10月の結審までの3年間に26回の法廷が開かれたが、そのうち公開の法廷(口頭弁論)は10回、残りの16回は非公開の「進行協議」で、裁判所主導による「復職に向けての和解」の条件づくりがすすめられ、和解勧告が出された。
 しかし、被告側は、和解の席には着いたものの、それに応じることはなく、結局「金銭的な解決しか考えられない」という結論を伝えてきた(03年8月)。こうして、和解は不成立となり、判決に至ったのである。
 和解協議中に、被告の誠意のない態度に、裁判長がたびたび、不満やいらだちの言葉を口にすることがあった。そのような雰囲気の中で、被告が裁判所の和解勧告を拒否したのであり、したがって判決になれば原告の勝訴は間違いないと思われた。
 しかし、「リハ裁判」で、「負けるにしても、一部勝訴ぐらいはあるだろう」と思っていたにもかかわらず、予想外の「完全敗訴」を経験している徳見は、今回も敗訴はありうるのではないか、と思っていた。一つは、あれほど裁判長が、被告に「復職を受け入れるように」という強い勧告をしており、しかも原告にみせる裁判長の態度からいえば、判決となれば被告の敗訴は当然予想されるはずだと思われるのに、被告側の弁護士も学校保健課の管理職も「平然としている(ように見える)」理由がよく分からなかったのである。
 和解の席では、被告と原告は別々に法廷に呼ばれて、裁判官が相手の主張を伝えるという形なので、もしかしたら裁判長は、被告に対しては、「こちらに対してとは『全く別の言い方』をしているのではないだろうか、だからこそ、被告はあれほど『強気』なのかもしれない……」という疑念が、アタマの片隅に浮かんでいた。
 もう一つは、なぜこれほど裁判長が和解を強くすすめるのだろうか、という疑問であった。「裁判官は、なるべく判決を書きたがらない」というのはよく聞く話である。これは、書くのが面倒だ、ということもあるかもしれないが、「判決より、和解で解決させるのが、裁判官の『ウデ』で、裁判官としての成績があがる」らしい。
 しかしこの裁判長は、原告側の主張によく耳をかたむけ、積極的に「自治体における障害者の解雇や復職した例を集めてくれ」とか、「自治体の障害者雇用の実態を知りたいので、資料を探してほしい」というような要望を出してきた・このような裁判長の対応を考えると、「障害者の解雇問題について、積極的な前向きの判決を書く気になっているのではないか」と思えるのであった。
 このような裁判長が、和解を強くすすめる理由は、もしかしたら、「判決になったら、原告を勝たせるわけにはいかないので、何とか和解で復職させてやりたい」という裁判長の「善意」なのかもしれない、という疑問が、やはりアタマの片隅に浮かんでいた。
 しかし、これらの「小さな疑問」は、これまでの裁判長の「訴訟指揮」のあり方の前では、「まさか……」という気持ちのほうが強くて、「原告勝訴は確実」という見方が圧倒的となっていた。 

「予想外」の全面敗訴……実質は勝訴なのだが!
 当初の判決予定日は1月22日・16時30分だった。それが1月30日となり、さらに2月13日・16時50分に変更された。変更の理由は「裁判所の都合」としか説明されないのだが、「当初、原告勝訴の判決を書いたのだが、それに反対する裁判官がいて、結局、原告敗訴に書き直すための時間が必要だったのかもしれない」という「ささやかな憶測」が心中に浮かび上がってきた。
 さらに、「4時50分という裁判所が終わるギリギリの時間は、判決に不満な被告側が騒いで、後の審理に差し支えることのないように、という時間設定で、公安事件などではよくあるけれど……」という新美弁護士。しかし、民事では、そんなことがあるはずもない……!
 マスコミも、この裁判に関心を寄せていて、結審の際には裁判当日に神奈川・読売・毎日の記者が来て、2紙が記事(裁判報告バックナンバー参照)にしたのだが、今回は「判決時間が遅いので(翌日の朝刊にまにあわせるために)事前にレクチャー(説明)をしてほしい」という要望があり、判決3日前の2月10日、地裁内にある「司法記者クラブ」で、十社あまりの記者を前に、森田弁護士と徳見が、裁判の経過などの説明をおこなった。記者たちも、これまでの裁判経過からいえば「原告勝訴は確実」という判断で判決に備えたのである。
 たとえば朝日新聞の若い女性記者は、判決前日の12日に徳見家に来て、「判決の記事は別の記者が書くので、私は徳見さんの<人となり>や生活の様子などを記事にしたい」といって、2時間ほどいろいろ話を聞いていった。
 また、NHKからは、「判決後の記者会見の際、テレビカメラで顔を撮してよいか」とか「学校保健課の映像を撮りたいので、場所を教えてほしい」などと電話があった(それもこれも、敗訴判決で吹っ飛んでしまった)。

 判決は、マスコミの記者や10人ほどの傍聴者が見守る中で、型どおりにおこなわれた。3人の裁判官が入場し、起立・礼・着席すると、裁判長は傍聴者をぐるっとひとまわり見回すと、「判決を言い渡します。主文、原告の請求をいずれも棄却する。裁判費用は原告の負担とする」と早口に述べ、間髪を入れず、逃げるように(と、傍聴者には見えた!)去って行く。この間わずか1分足らず。
 法定内の一同は、騒ぐどころか、一瞬キツネにつままれたような感じで、呆然としている。記者たちは、「何が起こったのだろう……」というような表情で、顔を見合わせたりしていたが、次の瞬間、足早に法廷を出ていく。携帯電話で何やら報告している記者もいる……。
 しかし、徳見はきわめて平静だ。「リハ裁判」の判決の時には、思わず「差別判決!」と裁判長に聞こえるほどの声で叫んだのだが、今回はこのような結果も予感していただけに、取り乱すこともなく、静かに法廷を後にして、「記者会見・報告集会」の会場・開港記念会館へと向かう……。
 蛇足ながら、判決言い渡しの後、3人の裁判官が「逃げるように去って行く(ように見えた)」という状況は、「リハ裁判」の時とまったく同じである。そのときの判決の様子を、「すけっと日誌」では、次のように書いている(『リハ裁判No.40』)。
 3人の裁判官が入廷して、すぐに判決の言い渡しとなる。静まり返った法廷に、裁判長が判決の主文を述べると、廷内をざわめきが走る。言い渡しはわずか十数秒で終わり、逃げるようにして(と、スケットには見えた)去って行く裁判官の背中に向かって、徳見は、思わず「差別判決!」と叫ぶ。
 ――という次第だから、判決を言い渡してすぐに引き上げるのは、きわめてあたりまえのことで、「逃げるように」見えたのは、原告側の立場に立った者の「主観的憶測」に過ぎないのかもしれない。
 ちなみに「(一昨年6月に横浜市議会で)国旗掲揚に反対して、議長席を占拠した」ことを理由に、議員除名処分を受けた(「すけっと日誌」のページ参照)井上さくら・与那原寛子両議員の「除名処分取り消し」の裁判の判決が4月28日に、同じく横浜地裁で言い渡された。
 判決は「(除名処分は)市議会の裁量権の範囲」として、原告敗訴となったが、このとき、裁判長は「主文・原告の請求を棄却……」と述べた後、その理由の「要旨」を30分以上にわたって説明したのである。弁護士の話では、このような例は珍しいという。

横浜市では「障害者になったら辞める」
 市では「横浜市職員への身体障害者雇用について――基本方針」が策定されていて、障害者を特別枠で採用している。この受験資格に「自力通勤・自力勤務」条項がある。
 徳見の解雇は「自力通勤・自力勤務できない」という理由だった。
 これまでの当局との交渉などから、横浜市の「障害労働者」に対する対応は、次のようなものであることが明らかになっている。
 (1) 健常者の職員が障害者になって、自力通勤・自力勤務できなくなった場合には、辞めてもらう(自主的に辞めない場合は解雇)。
 (2) 障害者枠で採用された職員が、障害の重度化などによって、自力通勤・自力勤務できなくなったら辞めてもらう(自主的に辞めない場合は解雇)。
というものである。
 徳見の場合は(1)のケースである。(2)のケースで辞める(解雇される)例も多く、その理由の一つに、(1)があげられている。
 すなわち、「健常者の職員が障害者になって、自力通勤・自力勤務できなくなったら、辞めているのだから、障害者の職員だけに特別の配慮(仕事をしやすい条件づくり)をするわけにはいかない」というのである。
 この「基本方針」には、「適職の拡大を図るため、各職場での理解と協力のもとに、職務内容等の検討を行い、障害者個々の特性にあった職務・職場の確保に努める」とか、「障害を有する職員の勤務しやすい職場環境を確保するため、必要に応じ施設・設備等の改善に努める」などの「方針」が示されているが、単なる努力規定にすぎず、実際には「健常者と同等に働ける障害者」だけを雇用し、それができなくなったら(環境整備することなく)辞めてもらうというのが「基本方針」なのである。
 今、国をあげて「障害者の雇用促進」だの「バリアフリー」だのと、声高に叫ばれているが、その実態はこの程度である。
 社会全体に能力主義化がますます強まり、能率・経済効率最優先の風潮がまん延している。職場では、合理化(コンピュータ化)、人員削減(リストラ)の嵐の中で、労働強化が波が激しく押し寄せている。
 そのような職場の現実の中で、心身共に傷ついて、障害者になる人も増えている。それと共に、「効率の悪い」障害者は排除されて当然、という風潮がますます強まっている。「能率・効率の悪い障害者など雇いたくない」というのが本音だろう。
 今回の判決では、当局のいう「車椅子では仕事ができない」という解雇理由は、さすがに否定せざるをえなかったのである。したがって、「証拠および弁論の全趣旨」からいえば、原告の解雇は無効であるはずであった。
 しかしながら、裁判所は、このような社会状況の中では、どうしても徳見(障害者)の解雇を不当とする判決を出すわけにはいかなかったのであろう。こうして、「裁判所が解雇理由を探し出した」という、奇妙ともいえる判決が出された。
 これは、「障害者は労働の場にいてはいけない」という優生思想と能力主義に立脚した差別と排除にもとづく判決であり、これを認めるならば、労働者が障害者となった場合には、解雇されても当然であるということになってしまう。したがって、このような判決を決して受け入れることはできないので、直ちに控訴することになった。
 しかし、職場が差別と排除の場とならないような闘いは、裁判だけでは決してできるものではないであろう。そのためにも、職場復帰を果たして、「職場の中からの闘い」を続けていきたいと、徳見は念願している。

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