1994年2月28日(月) 自主出勤第39日
 午前中ホームヘルパーさん。
 1:00教育委員会・学校保健課に出勤。管理職は、金子指導主事を除いて全員在室だが、珍しく「徳見の机」は誰も使用していない。さっそく自主勤務につく。本日の作業は、主として『自主出勤ニュース No.8』の版下づくり。
 2:30ころ終わって、印刷に出かける。終わって、学校保健課に戻ると4:30近く。またまた珍しく、徳見の机はあいている。しかし、本日は世田谷のほうへ自主出張があるため、残念ながらそのまま退庁。

3月1日(火)自主出勤第40日
 8:00市役所本庁舎前で、『自主出勤ニュース No.8』を配布。総務局の総務課長がやってきて、ビラをまいている自治労の役員に対して、徳見の後ろにはってある旗の方を指さしたりしながら、何事かを言っている。言われた自治労の役員は、知らぬ顔。やがて、課長は、ビラをまいている徳見のところにやってきて「あの旗をとってください」。市役所の壁にはってある徳見の旗をはがせ、と言いにきたものとみえる(この旗には「リハセンターは事故の責任をとれ」「学校保健会は徳見を解雇するな」と書かれている)。徳見も知らん顔で無視すると、「お願いします」といって戻って行く。
 しかし、「役人」というのは、こんな中途半端な仕事をしても勤まるのだろうか。「旗をはがさせる」ために来たのなら、それを最後までやりとげる「業務上の責任」があるのではないか。まさか、単なる気まぐれで言いに来たわけではないだろうに……。
 そういえば、学校保健課の管理職の皆さまも、「来客用のテーブルを使うな」と何度か言いに来たが(これは「業務命令か?)、それを貫徹することなく、結局、徳見が使うことを黙認してしまっている。それなら始めから「使うな」などと言わなければいいのにネ……。
 8:45ビラまきを終え、本庁舎で用をすませて、10:00学校保健課に出勤。今日も、管理職は全員在室なのに、どういうわけか「徳見の机」は誰も使っていない。もしかしたら、先週・先々週、ほとんど机を使わせてくれなかったのは、決していじわるではなく、本当に必要だったからなのかもしれない。それを、徳見のひがみ根性で、管理職の方々を逆恨みするなんて……。
 ――というわけで、今日は、佐藤課長サン、長島係長サン、阿部指導主事サンの顔が、ホトケ様に見えました! 先日の診断書の件についても、きっと「職場復帰に向けて、前向きに検討してくれるのだ」と期待に胸をふくらませ、昼まで、楽しく自主勤務を続けることができた。
 午後は、リハ裁判のニュース(『リハ裁判・第12号』)版下作成がいよいよ大詰めなので、静かに作業が出来る場所でやりたいため、12:00退庁。課長サン、桜木町の「健福センター」の会議室あたりを使わせてくれると、うれしいのですが……。

3月2日(水)自主出勤第41日
 午前中ホームヘルパーさん。
 1:30学校保健課出勤。「徳見の机」は、長島係長・阿部指導主事・金子指導主事の3人が使用中。よって、すぐ近くで自主勤務につく。
 5:00退庁して、教育委員会ビルでビラまきするまで、ずっと3人で机を使い続けた。5:00近く、徳見がそばにいるのを知っていて、阿部さん「さあ、あしたは勉強会だ」と聞こえよがしに言う。「だから、徳見にテーブルは使わせないよ」とでもいいたいのだろうか。きのう・おとといの2日間は何だったのだろうか。たまたま使う予定がなかっただけのことで、べつにホトケ様ではなかったのだ!
 ――こんなことで、一喜一憂するようでは、とても「自主出勤」など続けられないと、今日も徳見は、自己嫌悪に陥り、もう、明日から自主出勤などやめようか、と落ちこんでしまう(管理職の皆さん、喜んでください。徳見が自主出勤をやめるのは時間の問題です)。
 ビラまきはいろんな出会いがあって楽しい。今日は、小学校の養護教諭をしているAさんに会う。彼女は徳見が歯科衛生士として学校巡回をしているとき、徳見の指導方針、指導方法に共鳴してくれた先生だ。5年ぶりぐらいの再会に、思わず二人とも涙・ナミダだった。
 やっぱり、何としてでも職場復帰を勝ち取り、現場で、この人たちと共に仕事をしつづけたい……そのために、やはり苦しいけれど自主出勤を続けるのだ、と決意を新たにしたのだった(管理職の皆さん、悲しんでください。徳見の自主出勤は、職場復帰が認められるまで続くはずです)。

3月3日(木)自主出勤第42日
 1:20出勤。今日も「徳見の机」は、佐藤課長・長島係長・阿部指導主事が使用中。よって、近くで自主勤務につく。
 介助者の一人は、その近くの台の上でワープロ。その台の上には、4つほどの箱があり、この時間には、各学校の用務員さんが書類をその箱に入れるために、ひっきりなしに出入りしている。
 2:00ころ、来客の一人が、ワープロを打っている介助者に何事かをたずねる。たまたまそばを通りかかった阿部さん、その光景を見て、来客に向かって「この人(徳見の介助者)は関係ありませんから」と言い、介助者に対して「いろんな人が来るから、ここにいないで……」と命令する。それを聞いて、徳見、介助者に対して「イスをかりて(ワープロを)やったら……」と言う。そこで彼はイスを借りようとすると、すでにテーブルについていた阿部さん、「今日はいろんな人が、ここで勉強会をやるから……」と拒否。やむなく、介助者は元の位置にもどり、ワープロを続ける(どういうわけか、阿部さん、その後、この件について何も言いに来ない。ホントに皆さん首尾一貫しないのはなぜでしょうか?)。
 テーブルでは、来客2名と阿部さん、長島さん、保健係員が、熱心に「勉強会」を始めている。阿部さん、プカプカたばこを吸いながら……。
 2:30退庁し、病院へリハビリに向かう。

3月4日(金)自主出勤第43日
 午前中、ホームヘルパーさん。
 1時、学校保健課に出勤。「徳見の机」には、阿部指導主事の湯飲みとファイルが1つ置いてあるだけ。すこしすると、阿部指導主事が湯飲みとファイルをかたづけて、早々といずこかへ出かけたまま。その後、佐藤課長・長島係長があいついで市議会のほうへ出かけたため、今日は「勉強会」はない。久しぶり、机の上でのんびりと自主勤務。
 4:00退庁し、リハビリのためプールへ。
@まもなく4月、市長選。徳見を解雇した市長は、再選確実視。徳見の所属する組合も、この市長の支持母体の一つだ。

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2月28日 自主出張 「Mちゃんを支える会」(前号23日の項参照)のニュース発送作業。会の世話人や児玉弁護士など、徳見も含めて8人ほど、作業終了後近くの「赤ちょうちん」で23:30頃まで飲みかつ語る。
3月1日 健福センター 桜木町駅前にある10階建てのビルで、市の医師会や「夜間休日の急患センター」、市社協などが入っている。この3階に、学校保健会の事務所がある。
3日 リハビリ 午前中、自宅で『リハ裁判ニュース』版下作り。退庁後、鶴見の汐田病院でリハビリ。終了後は、川崎駅近くの「砂子(いさご)会館」へ。日本鋼管や三菱重工などによる「中国・朝鮮人強制連行」に関する企業責任を追及する集会に参加。22時ごろ帰宅。