1994年1月31日(月) 自主出勤第20日
午前中ホームへルパーさん来訪。自宅で『リハ裁判ニュース』の郵送読者(400人以上)に『自主出勤ニュース』No.1〜4の発送作業をする。
一区切りついて、1:20学校保健課に出勤。徳見のテーブルは、指導主事の阿部さんが、作業のために使用中。
自称「猫の里親」上坂典子さんが13:30ころ支援に来てくれる。テーブルのわきで、いすを借りて(阿部さんに「お借りします」とことわるが、返事がないため、了承と解釈)自主勤務にはいる。自宅でやった『自主出勤ニュース』の発送作業の続きを、テーブルなしでやる。
介助者が何度か本庁の郵便局のポストを往復し、3:00ころ一段落。本庁舎地下の自治労本部事務所で『自主出勤ニュース』No.4を各支部に送る。
途中で、自治労教育委員会支部の方に会う。「診断書はいつ出すのか」と、心配そうに聞く。「診断の結果が出て、診断書を書いてもらうまでには、もうすこし時間がかかる」と答える。心配してくれて感謝。
4:00学校保健課に戻ると、徳見のテーブルは、相変わらず阿部さんが使用中。今度は、佐藤課長と来客も含めて3人で何やら話し合い中。終わっても、テーブルの書類はそのまま。結局最後まで、「徳見のテーブル」は、阿部さんが使い続けた。
5:00退庁まで、発送作業を続ける(なお、残りは、帰りの車中で終了)。
2月1日(火) 自主出勤第21日
8:05市庁舎前で『自主出勤ニュース』No.4と、「リハ裁判・第7回」のお知らせのビラを配布。わざわざ徳見のところにビラを取りにきて「がんばって!」と言ってくれる人が着実にふえている。
9:00学校保健課へ出勤。
10:20長島係長が「来客だから、明けてほしい」というので、テーブルを明けわたす。しばらくそばで自主勤務するが、10:30予定の自主出張の時間になったため、職場を出て、そのまま18:30帰宅。
2月2日(水) 自主出勤第22日
8:00すけっと4人と共に、横浜リハセンターの前で、明日の裁判のビラまき。同時に『自主出勤ニュース』も配布。
午前中ホームへルパーさんが来るので,ビラまき後帰宅。
1:05ころ学校保健課に出勤。「徳見のテーブル」で自主勤務。3:30ころ、自称「猫の里親」の上坂典子さん登場。にぎやかに楽しく自主勤務,ずっとこのまま平穏に過ごせるかと思っていると、4:25学校保健課・給食係の係長がやってきて、「係内の打ち合わせをしたいから,あけてほしい」という。
本庁舎へ行き、平和・人権の問題に力を入れている市議会議員の木内博さんと会う。徳見の自主出勤に非常に興味を示してくれる。
5:15教育委員会ビル前で、『自主ニュースNo.4』を配布。
2月3日(木) 自主出勤第23日
「リハ裁判(横浜市総合リハビリテーションセンター責任追求裁判)」の日。同じように、裁判の原告として闘っている島田洋子さんの介助で職場へ向かう。
『新生』という新聞の記者(横浜支局)井上桜さんが取材に来る。教育委員会の対応のありのままを見てもらうため、介助者として、一緒に8:45学校保健課へ出勤。
9:00、阿部指導主事が「さあ、打ち合わせをしましょう」と、わざと徳見に聞こえるように(?)、大きな声で言い、長島係長、係員を引き連れて、徳見のテーブルを取り上げる。
徳見は、市庁舎で、神学労の野田道子さんと落ち合う。学校保健課に戻ると、打ち合わせは終わっている。
しばらくすると、学校保健課に二人ほど徳見あてに電話がはいる。電話を受けた係員が係長の長島さんと相談のうえ、取り次いでくれる。
井上記者が、管理職に取材を申し入れる。指導主事の阿部さんは留守で、金子指導主事のところへ行くと、「私は関係ありません」と拒否。次に長島係長。「私はすぐ出かけなければならないので……」と拒否(しかし、ずっと出かけなかった)。
やがて佐藤課長が戻ってきたので取材を申し入れる。井上記者の話では、「なぜ徳見さんの言い分だけを聞くんだ」と言ったとのこと。「権力」の側に立つマスコミとは違う新間なのだから、当然のことだ。
ところで、井上記者が課長のところへ行ったとたんに、長島さんがツイと立って来て、徳見に、「電話は取り次ぎしたくない、そう(電話をかけてくる人に)連絡してください」と、切り口上で言う。今後、徳見あての電話には、長島さん、どう言うのだろうか。楽しみだ。
その間、徳見の支援を続けてくれている川井章司さんも,自主出勤職場に到着。さらに11:35「リハ裁判」の傍聴者2人(車イス)が、介助者と共に自主出勤職場に到着。
徳見のテーブルは記者の井上さんも含めて9人で、定員オーバー。午後「自主半休」をとって、少し早いが退庁。横浜地裁へ向かう。
2月4日(金) 自主出勤第24日
1:00学校保健課へ出勤。
2:00近く、田中紀子さんから電話。係の方が取り次いでくれる(田中さんは埼玉の人で、子どもが中学生のとき、教師から暴行を受け、その責任を追求して裁判提訴。先日判決があり勝訴をかちとる)。「これから支援に行きます」とのこと。16:20ころ、職場に来訪。少しおしゃべりをしたりしながら、自主勤務を続ける。
今日は平穏無事に勤務が終わると思っていたところ、4:30ころ、給食係に来客があり、給食係長が、「書類を広げるので、ここをあけてほしい」と言う。徳見「机だけ? 椅子はいいですか」「ん? いいです」「机の一部を使ってもいいですか?」「仕事の中身が……
(分かっては困るからだめです)」というやりとりがあって、徳見は机の上をかたづける。
来客の女性は、分厚いファイルを2冊テーブルの上に置き、その一冊を広げて何やら眺めたり、メモをとったり……。しかしテーブルは十分空きがあるので、来客の方の許可をえて、以前と同様に、テーブルの上で作業を続ける。
4:00自称「猫の里親」上坂典子さん登場。田中さんと二人で、何やらにぎやかに話を始める。作業が終わらず、いつもより10分遅れて、5:0O退庁。
自主出勤闘争の取材をして 井上 桜 今朝の自主出勤からお付き合いをさせていただいております。『新生』という新聞の横浜支局におります。 インタビューは、金子指導主事、長島係長、佐藤課長の3人にしました。 自主出勤の現場をご存じの方もいらっしゃると思いますが、入口に置いてあるテーブルに、徳見さんが何人かと書類を広げて、「仕事」をしていますと、職員の皆さん、ぜんぜん素知らぬふりで、仕事はしているのですが、何となくそわそわして、気にしているような、とにかく、非常に気になっているんだけれども、無視をしているというテイをとりつくろっているという感じがありました。 取材のおことわり、という名目で(佐藤課長も阿部指導主事もいなかったので)金子指導主事のところに行ったところ、聞かれることに大変おびえているような感じで、「とにかく、今、責任者がおりませんで、困ります」という反応でした。「課内で写真をとるので、一応おことわりしておいた方がよろしいかと思いまして」「私は、いいとも悪いとも言えません。とにかくうちらまでは関係ありませんから」というやりとりでした。 結局係長も似たような反応で、「忙しいから……」といって、「あちらは自主出勤かもしれないけれど、こちらは知ったことではない」ということでした。 そのあと、課長が戻って来ました。課長は一応責任者ですから、逃れられないので、やりとりが多少できました。最初に言っていたのは、「基本的には、学校保健会のほうで、『自力通勤・自力勤務』を条件としており、徳見さんにそれができないという判断をしている」と言っていました。 「自力通勤・自力勤務とは、どういうことなのか」「だれがそういう判断をするのか」「何をもって、そう判断したのか」と聞いていきますと、「いや、まだそこははっきりできないので、今徳見さんに診断書を要求しているところだ」などと、だんだん言うことが矛盾して来ました。つまり、「そういう判断をしている」と言いながら「まだその判断はできないので、診断書を要求している」として、そのあたりをはっきりさせません。 「自力通勤・自力勤務」のことに関しても、「これまでの慣例」とか「これまでの条件」とか「これまで、そういうことでやっている」というので「横浜市の福祉政策からしたら、おかしいのではないか」とつっこんでいくと、「横浜市と、このこととは関係ない」と、この点については非常にヒステリックになりまして、「市は関係ないんです」というところを非常に強調していました。 「そうすると、課長はどういう立場で答えているのか」と言いますと、「自分は学校保健会の役員として答えている」という返事(彼は学校保健課の課長で、横浜市の管理職であり、同時に学校保健会の理事でもあります)。都合が悪くなると、自分の立場を、「市の管理職」から「学校保健会の役員」に変えてしまい、結局は「自分が決めることではない」「今後学校保健会のほうで検討することなので、今は何ともいえない」というふうに逃げていくのです。 その課長の対応をみると、この自主出勤が、当局とっては「これが大きくなってほしくない」「表沙汰になってほしくない」という感じで、ビクビクしているという感じがしました。 管理職はそういう態度なのですが、一般の職員の人たちはこっそり目配せをしてくれたり、廊下や、職場から離れたところでは、ちょっと会釈をしてくれたり、「ごくろうさん」と声をかけてくれたりしていました。やはり、当局の管理職などとは違って、現場で働いている人たちは、「徳見さんが、なぜそこでがんばっているのか」分かっていて、それなりに共感しているのかな、という感じがしました。 井上さくらさんは、現在横浜市の市議会議員をしています。昨(2002)年6月、「日の丸掲揚問題」で、市議会を「クビ」になりましたが、この4月の選挙で再び当選しました。 |
2月1日 自主出張 東京都青梅市が、市の社協に委託している「心身障害児通所施設」において、「自閉症」のMちゃんに、保母が「障害児は、叩いて指導すべき」という「信念」にもとづき体罰を加えたとして、両親が裁判に訴えたものである。「施設内における事件」として、徳見のリハセンターにおける事故と共通の要素がありそうで、徳見は「Mちゃんを支える会」の事務局にも参加して、裁判の行方を見守ってきた。 |