1995年3月13日(月)自主出勤第150日(再開第48日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。夕方まで自宅療養。
以前、学校保健課に来たことがある佐藤道人さんから電話。「今日、知人を連れて(学校保健課に)行ってみると、あまりのダンボールの山に驚いた」とのこと。「え、こんな物置みたいなところで自主出勤!?」と、知人は目を丸くしていたそうだ。
どうして、教育委員会学校保健課の入り口が「物置」のようになってしまったのか、その辺の事情を知らない人には、わけが分からないのも無理はない。
そこは「来客用のテーブル」と6脚の立派な椅子があった。自主出勤を始めた昨年1月4日から、徳見や支援者たちは、そのテーブルで、自主勤務をしていた。当局の管理職が「打ち合わせで使う……」と言いにくると、素直に明け渡し、近くの通路に移動したり、本庁舎へ出かけたりしていた。
それが、今年の1月20日(解雇「処分」の翌日)になると、机が少し部屋の中央側に移動し、椅子は姿を消して、机上には「文書保存箱」なるダンボール箱がいくつか積み重ねられ、机の周りには雑然とダンボール箱や紙包み、台車などが置かれて、徳見の車イスが中に入れないようにバリケードが張られている。徳見は、それらの「荷物」の山をかきわけて、何とか自主勤務の場所を確保してきた。
1月19日、解雇「処分」に対する抗議の意思表示としてハンストを開始。以後、2月10日まで、23日間のハンストを貫徹したが、体調が元に戻るにはもう少し時間がかかるらしい。医者に「家で安静」を指示され、今もまだ完全には自主出勤再開に至っていない。
しかしながら、その間にも当局のバリケードは少しずつ強化され続けている。事務所の入り口付近は「書類やダンボール箱」が少しずつ増えて、今では山積みである。そこには、「スミチオン」と書かれた箱(これはシラミ駆除剤)や「不用」と書かれた箱、また「文書保存箱(いったい何がはいっているのか。もしかしたら市民の個人情報が含まれているかも……)」、コピー用紙の箱など、雑多な物がどんどん積み重ねられていく。
市民が、教育にかかわる行政相談に訪れたり、学校の校長などの管理職もよく出入りしているはずだが(そのための「来客用のテーブル」だったのでは?)……。
これが、学校保健課管理職の「個人的判断」でおこなわれたとしても、教育委員会ひいては横浜市行政そのものの体現であるのだから、市の管理「能力」が問われるのではないだろうか?
徳見の職務遂行「能力」を、何の検討もせずに「なし」と決めつけて解雇を通告して、「じゃまな障害者」を切り捨て、一方で「人権教育」「共に生きる」などと美辞麗句を並べたてる……。
本音とたてまえの使い分けは、べつに横浜市行政だけではないけれど……!
補足 16:30、関内の森田弁護士事務所で、解雇問題について、三木恵美子弁護士に加えて、「リハ裁判」の渡辺智子弁護士も参加して、19:00近くまで「相談」。
3月14日(火)自主出勤第151日(再開第49日)
8時、市役所本庁舎前で『自主出勤ニュース No.31』をまく。その最中に、「先日の書類の件で……」と人事課の金井係長が近づいてくる。3月2日に「公文書公開請求」をした「事務職員配置換要項および取扱細目」の文書の確認である(なにもビラまきの最中にやらなくてもいいのに!)。
3月2日に、金井さんに口頭で説明をいただき、「文書を見せてほしい」と要求したところ拒否されたため「公開請求」をしたのである。要するに「この忙しいのに、そんなことに関わっていられない」というのが本音らしい。
終了後、買物などして帰宅。自宅療養。
補足 夜までゆっくりと「療養」して、20:00ごろ、スケット2人と共に、トンちゃん方へ。『自主出勤ニュースNo.27〜31』の発送作業などを行なう。
3月15日(水)自主出勤第152日(再開第50日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。
午後、ヘルパーさんが帰ったあとは、スケットと共に、夕方まで『リハ裁判ニュース』発送作業。なかなか「自宅で静かに静養」はできないようだ。
3月16日(木)自主出勤第153日(再開第51日)
昼過ぎまで、自宅療養。
「市民情報室」から「先日請求のあった文書の公開が決定した」という電話があった。リハセンターに入所するにあたって、福祉事務所や更生相談所が収集した徳見の個人情報についての「開示請求」は、請求以来すでに3年近くたつが(1992年5月請求)、ほとんど開示されないままだ。それに比べて、今回の「処分」の早いこと!
そもそも、こんな面倒な手続きなどとらなくても全く差し支えのない文書なのに、見せたがらない役所の体質の表れなのだろう。
15時ごろ出て、横浜駅ビル地下街へ。「新装開店」なので、ひどい混雑ぶりだ。こんな中では、車イスなどいい迷惑で、きっと白い目で見られているに違いないと、買物を楽しむ気分にもなれず、特売の肉など「安いものをちょっと買っただけ」で引き上げる。
5時少し前から、教育委員会ビルの出入口で『自主出勤ニュース No.31』をまく。6時ビラまきを終えて、4階の教育委員会フロアーの壁に『自主出勤ニュース』貼って帰宅。
補足
3月17日(金)自主出勤第154日(再開52日)
午前中、ホームヘルパーさん。5時、中央ビル(教育委員会ビルの隣)で『自主出勤ニュースNo.31 』まく。
3月18日(土)
「梅まつりバザー」が雨のため中止となり、区役所公会堂で行なわれている「手をつなぐ親の会」など3団体のバザーに「リハ裁判の会」として参加。売り上げ6000円ほど。
3月19日(日)
1時ごろ出て、横浜駅東口「市大アーバンカレッジ」へ。社会臨床学会シンポジウム。安積遊歩(骨形成不全症)の講演を聞く。
3月20日(月)自主出勤第155日(再開第53日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。11:30関東病院へ。「脈が遅く、弱い。身体を冷やさないように……」という指示。「むくみが残っているうちは、無理はしないほうがよい。それ以外はとくに問題なし」という診断。
帰りは、例によって「中華街」で買い物。今日は「飲茶(ヤムチャ)料理」を食べてみる。自分でつくった「ちまき」や「シューマイ」などと比べてみようというのだ。
何種類か味わってみるが、「値段を考えれば、自分でつくったほうがウマイ」というマルビらしい平凡な結論に到達する。
15:30帰宅。以後自宅療養。
補足
3月21日(火)自主出勤第156日(再開54日)
夕方まで自宅療養。18:00県政総合センター。上秦野病院「支援共闘会議」結成集会。
3月22日(水)自主出勤第157日(再開55日)
阪東橋。「リハ裁判」弁護団会議。午後、虎の門病院へ。平栗さんの見舞い。
3月23日(木)自主出勤第158日(再開第56日)
「あゆみ荘」。「青い芝の会」神奈川県連合会主催の合宿第1日。
午前中、NHK「障害者と人権」をテーマにした番組のビデオと制作したディレクターの話、夜は、「医療フリーライター」天笠啓佑さんの「脳死・臓器移植、遺伝子治療など、現代医療の問題」についての講演。「科学という名の差別と偏見」などについて考えさせられる。21:00過ぎ帰宅。
3月24日(金)自主出勤第159日(再開第57日)
「青い芝」合宿第2日。
今日は、横浜市民生局障害援護課の森課長が「《ゆめはま2010プラン》の生活介助体制」について語る。
「ゆめはま2010プラン」は、2010年を目標にした横浜市の「長期ビジョン」とその具体的な施策を、耳ざわりのよい言葉でかざりたてたものだ。森さんの話に対して、障害者の側から「あくまでも健全者の視点からの障害者対策にすぎない」という批判があい次ぐ。
障害者の「雇用拡大」「就労の機会の拡充」などをうたう「プラン」に対して、徳見の解雇問題を取り上げて、市の姿勢の矛盾を追求する質問も出る。
「就労に関する相談や支援を行なう就労援助センターを拡充し、就労相談員(ジョブコーチ)制度による(障害者の)職場への定着をはかる」というから、徳見のいう「介助者つき」の職場復帰を、横浜市はきっと認めてくれるのだろう!?
「ところで、私の(解雇)問題を、どこに相談したらよいでしょうか」と、森さんに質問したところ、「それは学校保健課しかありません」というお答え。「まかれたビラは全部読んでいるから、事情は分かっている」という森さんだが(だからこそ?!)、「障害者」徳見の問題は、福祉局の問題ではないらしい。「障害福祉」課って、何をするところ?
新聞によれば、横浜市の高秀市長は「市の人権施策推進の指針をつくるため、《ゆめはま人権懇話会》を設置する」という。「人権問題を幅広く扱い、机上の論議だけでなく、人権についての市民ニーズも把握したい」とのこと。
こうして、外に向けて、口当たりのよい言葉を並べたてるのだ。
これから「市民の人権」について「把握したい」とのことだから、障害者の人権など、いつになることやら……。
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