1995年3月27日(月)自主出勤第160日(再開第58日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。一緒に家事をやるため、横になって休む暇はない。
スケットが、午前中『自主出勤ニュースNo.32』をどこやらかで印刷してくるので、午後は、自宅療養しつつ、折りや発送作業などを行なう。
3月28日(火)自主出勤第161日(再開第59日)
8時、市役所本庁舎前で『自主出勤ニュース No.32』をまく。体調が芳しくないため、自主出勤も、週に2回のビラまき以外は、ほとんど「自宅勤務」である。
23日間のハンストのあと、身体中の力がぬけてしまい、心臓が苦しくなることが多い。そのため、精神的にも「ガッツが全く出ない」状態が続いている。
あたかも、ハンストと共に、徳見は燃えつきてしまったかのごとく……。
3月29日(水)自主出勤第162日(再開第60日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。以後、自宅療養。
3月30日(木)自主出勤第163日(再開第61日)
午後、六角橋中へ。神学労へ『ニュース』を届ける、その後、関内の森田弁護士事務所へ。「リハ裁判」関係の書類を受け取る。
5時、教育委員会ビル前で『自主出勤ニュース No.32』をまく。
教育委員会ビルの1か所には、「ご自由にお持ち帰りください」と書いた紙をはった車イスに『ニュース』を置いておき、徳見は隣の中央ビルでまく。
1時間後、車イス上の『ニュース』は、ちょうど20枚減っている。
手渡しで 200人程度の場所だから、ほぼ1割の人が、積極的に取っていってくれたわけだ!
3月31日(金)自主出勤第164日(再開第62日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。
午後、横になって読書などをしていると、心臓が苦しくなる。
病院へ急ぐが、途中の車の中で「発作」はおさまってしまう。しかし田中耕平ドクターは、「狭心症の心配があるから……」と、心電図を
24時間記録する装置を取り付けてくれる。そして「こんなに長く(断食の後遺症が)続くとは思わなかった……」と感想をもらす。
とにかく、ハンスト前の2〜3日と、ハンスト後の4〜5日は、ほとんど食事らしい食事はとっていないのだから、実質的な断食は1か月にもおよぶのである。
まだ「コロッと行ってしまう」心配があるようだ。「(入院の)ベッドは確保してあるから大丈夫!」と、コーヘイさんは徳見に安心感を与えてくれる。
4月1日(土)
「脳死・臓器移植に反対する市民会議」のビラまきや「子問研(こもんけん:子供問題研究会」)の討論集会に参加するつもりでいたのだが、結局、行く気力も出ず、参加をあきらめる。
今までの徳見なら、一度決めたことを、こんなふうに中止ことは、まずなかった。まわりが心配して止めても、断固出席するのだが、今の徳見には、もうその気力も失われてしまったらしい。
それでも、夕方、昨日の「24時間心電図記録計」を病院に返却しに出かける。
4月2日(日)
2時ごろ、徳見の支援をしてくれている杉本博幸さん来訪。先日3月4日の「支援準備会」や、次回4月29日の第二回「支援準備会」など、今後の徳見の闘争をめぐって、ビールやおサケを飲みながら、語り合う。
久しぶりに少し飲んで、徳見家の「毎日酒場」が復活し、徳見も元気を取り戻したかに思えた。
しかし、杉本さんの帰った後、足のムクミが激しく、すぐに寝てしまう。
4月3日(月)自主出勤第165日(再開第63日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。今日も自主出勤の気力なし。
3時30分ころ、徳見のことを気にかけてくれて、座覇光子さん来訪。40人ほどの「解雇撤回署名」も持参してくれる。
そして今日も、徳見家の「毎日酒場」が始まり、少ししか飲めない徳見も、楽しい時を過ごして、終わったのは、夜9時近くになっていた。
4月4日(火)自主出勤第166日(再開第64日)・自宅療養
本来なら「朝ビラ」なのだが、『自主出勤ニュース』休みのため、昼ころまで「静養」する。
夜、知人の二宮君が、今年「歯科技工士」の専門学校を卒業した大門君を連れて来訪。
大門君の就職問題でアドバイスがほしいとのこと。今日は若くて食べ盛りの2人が来るというので、夕方、十字屋や大口商店街で肉や野菜を買い込み、「毎日酒場」の3日目だ。
「こんなふうに、人が集まってくれるのはいいね!」と、徳見は喜ぶが、身体にはあまりよくない。今日も、客が帰った後、ムクミが激しく、疲れてすぐ寝てしまう。
4月5日(水)自主出勤第167日(再開第65日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。
夕方、横になって休んでいるところへ、とつぜん福祉事務所の神保さんが「収入申告書」の用紙を持ってくる。横浜リハセンター入所にあたって、過剰なまでの「個人情報収集」があり、「リハ裁判」は、それも一つの争点なのだが、今日の「とつぜんの訪問」に対しても、「情報収集」されるのではないかと身構えてしまい、神保さんが帰った後、疲れが倍増してしまう。
夜、スープを取った残りのトン骨と鳥ガラを、トンちゃん方の犬にプレゼントに持って行く。引き替えに、新聞記事をいただく。
今日の『毎日新聞』朝刊の「お勝手に」というコラムで、やまだ紫さんが、また徳見のことを取り上げている。
以前「車イス生活になったことを理由に横浜市役所から解雇通告をされた徳見康子さんについて書いた」ところ「意味不明の(いやがらせの)手紙が届いた」という。
やまださんは、「この類の行為をする人間の愚劣さを指摘」し、「人として恥ずかしくないか」と問うている。
横浜市は、「障害者になった」ことを理由に、「車イスでも仕事はできる」ことの内容を全く検討せずに、徳見の職場復帰を認めず、クビにしてきた。
その一方で「福祉の町づくり」「共に生きる」などという政策をかかげる……。
徳見が、どのような思いで「自主出勤闘争」に踏み切り、ハンストに突入し、その後遺症に苦しみ、耐えているのか――「権力」の側にとっては、どうでもいいことなのだ。
それを突き崩すための有効な手立てを、模索中なのだが……。
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