1995年2月27日(月)自主出勤第140日(再開第38日)・自宅療養
午前中、ホームヘルパーさん。
自宅にて静養。しかし、1週間ほとんど出かけられず、家で横になり、じっとしていたので、「出たがりや」の徳見は、とうとう耐えられなくなって、買い物に出てしまう。「良質のタンパク質」を買うつもりが、チョッとエスカレートして、まとめ買いをしてしまう。2時間ほど買物して、無事帰宅。
2月28日(火)自主出勤第141日(再開第39日)
8時、市役所本庁者前で『自主出勤ニュース No.29』をまく。徳見も2週間ぶりに参加。「おととい大学の入試が終わったし、高校はもうないし、浪人は決まり……!」とアッケラカンとしているナッちゃんが、初めてビラまきに参加。1時間ほど冷たい風に震えた後、「ドトール・コーヒー」で身体を温める。
感想 市役所の職員の方たちが、あまりにビラをもらい慣れているのにビックリ。中身まできちんと読んでくれたら文句なし。また、ちょっとかけられる声には、本当に力づけられます(ナッ)。
9時30分ころ、学校保健課に出勤。久しぶりの保健課は、相変わらず。「机」の上や周りはダンボールや紙包みの山。ロッカーの1個を「机」の側に移動して、「通路」を別に作っている。これで、少しでも徳見の自主出勤の「妨害」にしようというつもりか?
それにしても、どこからこうしたセコイ考えが生まれて来るのだろうか。こんなことより、やるべき大事なことがもっとあるだろうに……。教育委員会の管理職ともあろうものが……! それこそ「みっともないよ、大のオトナが!」と言いたいところだ(先週21日に、ビデオで、長島課長補佐の怒りの姿を撮影したところ、長島さんが叫んだ言葉だ。本紙前号参照)。
感想 学校保健課では、よくもまあこんなに集められたと思わすにはいられないほどのダンボールの山。あのダンボールが一番仕事のジャマになってると思うけど……(ナッ
)。
10時、関東病院へ。「まだムクミがとれていないし、血液中の(蛋白質の一種)アルブミンの量がまだ回復していないから、もう少し『外での活動』は控えた方がいい」とのこと。「今朝ビラまきをしてきた」と言うと、ドクター、にが笑い。
帰りは、中華街でのんびり買い物などを楽しみ、「精神的な静養」をする。
3月1日(水)自主出勤第142日(再開第40日)
午前中、ホームヘルパーさん。
「ムクミが心臓や肺にきたら、急変してコロッと行くぞ」と、昨日医者におどかされたため(!?)、一日中、家で静養。
「青い芝の会」神奈川県連合会会長横田弘さんから、解雇撤回の「団体署名」が届く。昨日「郵送する」と連絡のあった「自治労横浜」も含めて、今のところ、解雇撤回を求める署名は、団体署名が5団体、個人署名が 113名となっている。
また、昨年から続けている「職場復帰を求める要望書」の署名も、56人分が郵送されてきて、1月10日までに当局に提出した 999名に加えると、合計1055名となった。
3月2日(木)自主出勤第143日(再開第41日)
今日も家で静養。スケットの一人が、学校保健課へ行き、廊下の壁に『自主出勤ニュース』を貼る。30分ほどして、「さて、どうなったか?」と戻ってみると、『ニュース』は跡形もなく剥がされている。剥がしたのが誰かは、大体予想はつくが、貼られるのがよほどイヤな人のようだ。
スケットや支援の人たちが、教育委員会および隣のビルで、夕方5時から『自主出勤ニュース No.29』をまく。何人も「ご苦労さま!」「がんばって!」などと声をかけてくれる。「新聞でみたよ」という人も2〜3人いて、興味深げに『ニュース』に目を落としている。
3月3日(金)自主出勤第144日(再開第42日)
午前中、ホームヘルパーさん。
徳見は今日も家で静養。本当は、静かに横になっていなければいけないのだが、とても耐え切れず、起き上がって、あれこれ料理に取り組んだり、スケットに当たり散らしたりしてストレス解消を図るが、今ひとつさえない。
「役所でまかれた『ニュース』を読んだ」という方から、「何かお手伝いしたい」という電話がある。ビラまきのときの反応も含めて、少しずつ波紋が広がっているような感じだ。おかげで、少し元気になる。
補足 3月4日(土)
徳見の解雇撤回闘争を支援する人々が集まる。「青い芝の会」の小山正義さん、横浜市立大学の加藤彰彦さんなど10人ほどで、今後の運動について話し合う。
徳見の解雇問題については、これまでのように「徳見一人の闘い」にせず、「徳見を包み込む人たちの集まり」をつくる必要があること、また横浜市(に限らず「健常者社会」)のきわめて差別的な障害者施策のあり方、障害者の雇用にあたっての「特別ワク」の差別性、その他様々な問題が語られる。
そして、あらたに「(仮称)障害者の労働問題を考える会」を結成し、徳見の解雇撤回闘争にとどまらず、さらに幅の広い運動をつくっていくことを確認する。
「障害者差別と闘う」組織が、この徳見の闘いの中から生まれるとしたら、ハンストの後遺症に苦しむ徳見にとっても、苦しみを解消して余りあるものとなるにちがいない。
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