1995年2月6日(月)自主出勤第125日(再開第23日)・ハンスト第19日
午前中ホームヘルパーさんと共に、磯子の「関東病院」へ。血液を始め、様々な検査をされ、夕方までかかってしまう。
田中耕平ドクターは、「2週間以上におよぶ断食のデータはない」が、全体としては「正常とはいえないが、とくに異常ではない」という判定。ただ「血沈の値が異常に高いのが気になる」といい、再検査となる。
先日市長あてに提出した「要求書」の回答期限の木曜日まではハンストを続けたいと思っているのだが……。
結局、「出勤」する時間がなくなってしまい、そのまま『自主出勤ニュース
No.26』の印刷に向かう。
体力が落ちて来ているのがわかる。医者が「身体が冷えているので、(ミネラルウォーターを)温めて飲んだら……」というので、少し熱くして飲むと、胸か苦しくなってしまう。冷水に戻すと落ち着いたので、急に熱いのを飲んだので、身体が過敏に反応したのだろう。
2月7日(火)自主出勤第126日(再開第24日)・ハンスト第20日
8時、市役所前でビラまき。
9時、出勤すると、長島課長補佐が通りかかり「業務のジャマだからどいてください」という。知らん顔をすると「ジャマだから!」と何度もくり返す。「どうぞ席にお戻りください」と、長島さんの席の方を指すと、長島さん「あんたもシッシッとやるんですか!?」と突っかかってくる。
昨年の自主出勤のとき、秘書課の職員が、徳見に向かって「まるでイヌやネコを追い払うように」手で合図したことを、『自主出勤ニュース No.3』に書いたのだが、そのことを今になって言っているのだ。
さすがに有能な管理職だけあって、よく記憶していらっしゃる! これほどよく読んでいただき、覚えていただけると、書くほうとしても力が入ろうというものだ。
「どうぞお帰りください」と2〜3度くり返すと、長島さん「いつまでも(こんなこと)やってんじゃねぇよ!」と捨てゼリフを吐いて引き上げる。ハンストで体力が落ちて、気が弱くなっている徳見は、「まるでヤクザみたい……」と思わず震え上がってしまう……。その間、課長の佐藤親分は素知らぬ顔で書類に目を落としたままだ。
こんなところに長居は無用と、10時すぎ自主出張に出る。
自主出張報告 「高津漢方堂」へ。「パワーは落ちたが、まだ大丈夫」という診断。そのまま東京地裁へ。「しろまえ児童学園傷害訴訟」裁判傍聴、戻ってニュースやチラシの印刷などで、夜まで多忙。さすがに帰宅すると「精根尽き果てた」という感じでベッドに倒れ込む。関東病院の医師に連絡。「血沈の値が異常に大きい。もう1度検査したい」とのこと。体重8キロ減少
2月8日(水)自主出勤第127日(再開第25日)・ハンスト第21日
午前中ホームヘルパーさん。
茨城から、閑居山願成寺の暁空和尚(大仏ヒロシ)が支援に来る。今日は平服だから、誰も彼を僧侶とは思わないが、いずれは教育委員会当局の「誤った徳見いじめ」に対して「悟り」を開かせてくれるにちがいない。
今日は、佐藤課長・長島課長補佐、ずっと在室だが、時々ジロリと睨むほかは、一切無視を貫く。和尚「こんな退屈な日はなかった」と言うが、退庁後、ビラまきを一緒にして、帰路につく。。
2月9日(木)自主出勤第128日(再開第26日)・ハンスト第22日
午前中、検査のため関東病院へ。尿・心電図・血液など。帰りに中華街で料理の材料を買い込む。昨夜も、スケットたちの顰蹙(ひんしゅく)を買いつつ(?)台所に立つ。自分が食べないのにあれこれ料理の本を見たりして……。
学校保健課に出勤すると、ちょうど昼休みで、閑散としている。
午後、神学労の野田道子さんが支援に来る。管理職在室だが、長島さん、荒々しくスケットが座っていた椅子をどかして通った以外は、一切無視だ。
今日は、2週間前の1月26日に市長あてに提出した「要求書」の回答期限の日だ。しかし何も連絡がないので、2:30ころ、スケットの一人が秘書課へ。内田係長が、「公聴課がやっているはず……」というので、公聴課へ。
佐藤係長「総務局でやっている。催促しているが、どうしても、まだ1週間かかる」という返事。「徳見は回答があるまでハンストをするつもりだ。今日で22日。もう1週間延ばせというのか」と抗議。係長「徳見さんの身体の問題もあるでしょうが、とにかくそれ以上早くするのはむりです」をくり返すだけ。
当局にとっては、徳見の命をかけたハンストよりも、内部の事務処理の都合が優先なのだ。
2月10日(金)自主出勤第129日(再開第27日)・ハンスト第23日
午前中ホームヘルパーさん。
午後、学校保健課に、荷物や「ハンスト決行中・第23日目」の看板などを置いて、「青い芝」の小山正義さんと共に秘書課へ。「その件は公聴課ですから……」と、茂木係長にタライ回しされる。
公聴課の佐藤係長は、小山さんや徳見の質問にまともに答え(られ?)ず、何度もダンマリを決め込んで時間かせぎをし、イライラさせる戦術だ。結局、その戦術に乗せられて、もう1週間の延期を認めさせられてしまう。しかも「万一、それ以上延びることがあれば、事前に連絡します」と、さらなる延期への布石も打たれてしまう。
3時頃、学校保健課に戻る。管理職は全員おそろいだが、今日も「シカト」だ。昨日「机」の前に置かれていた数個の紙包みを、ジャマなので机の下に置いたところ、それがまた、机の前に並べてある。こんなセコイことをするのは誰だ!
4:30、退庁し、外へ出たとたん、嘔吐感あり、少し吐いてしまう。もちろん胃の中には何もないから、出るのは水だけだ(胃液の分泌も止まっているらしい)。
夜、昨日の検査結果が分かる。「尿酸値が急激に増加。体内の蛋白質が分解されていて、このままでは腎不全の恐れがある」という診断。よって、本日、断食自主出勤は23日目をもって、中止することになる。
補足 23日間の絶食により、体内の糖質や脂肪分などのエネルギー源をすべて使い果たし、生体の構成物質であるタンパク質をエネルギー源として分解し始めたのだ。23日間に体重が9キロ減少した。これは元の体重の2割近くにあたる。
したがって、ハンストは、本日23日をもって、中止することになり、23:30ごろ、「おかゆ」の上澄みを、小皿に2ハイほどすする。23日ぶりの「食事」は、ノドにしみいり、甘くておいしい。2時間ほど休んで、うすい「おもゆ」を少し口にする。しかし、なかなかはいっていかず、戻しそうになる。これから2か月ほどかけて、少しずつ食事を元に戻して行くことになる。
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