1995年1月30日(月)自主出勤第120日(再開第18日)・ハンスト第12日
 午前中ホームヘルパーさん。
 午後出勤。徳見の解雇日(1月19日)に届き、先日受け取った「3通目の欠勤の辞令」と退職金関係の書類を学校保健会の「ボックス」に返却する。
 自治労本部で各支部へ『自主出勤ニュースNo.25 』の発送作業。終了後は、市会議員に『ニュース』を届ける。
 13:40学校保健課へ。佐藤課長・長島課長補佐在室だが、二人とも「完全黙殺」という方針らしい。それでも佐藤さん、チラッ、チラッと、こちらを見て、目が合うと、すぐにそらす。徳見の存在が大分気になる様子だ。
 「徳見の机」の上に積み重ねたダンボールや、その周辺のダンボール箱など、いったいいつまでやるつもりなのか? 「いやがらせ」にしてはあまりにも「せこい」し、「教育」委員会が、一障害者を排除するためにこんなことをするなんて、恥ずかしいとは思わないのだろうか?
 4時30分、退庁。

1月31日(火)自主出勤第121日(再開第19日)・ハンスト第13日
 8時、市役所本庁舎で『自主出勤ニュースNo.26 』をまく。
 9時、学校保健課に出勤すると、長島さん、「机」の前でダンボールを何やらいじっている。徳見の姿をみると「ここはあんたの職場でも何でもないから、退出願います」と2〜3度言って「それだけお伝えします」と言って、席に引き上げて行く。
 どうやらやっぱり気にかけていてくれたらしい。ありがとう、長島さん。昨日のように全くシカトされるのが一番つらいのは、学校でのいじめと同じだ。
 10時自主出張

自主出張報告 ハンスト13日目となり、当初の目安だった2週間を明日に控えて、今後のことも含めて「高津漢方堂」で診察を受ける。断食療法を指導している医者は「一週間以上の断食を(指導)したことがないので、わからないが……」と言いつつ、「代謝のバランスは良いし、とくに問題はない」という。徳見は「まだまだハンストは続けられそうだ」という気になる。
 14:00 弁護士事務所へ。森田明・三木恵美子弁護士に「解雇撤回裁判」の相談。三木弁護士は、「提訴しても、判決では負けるかもしれないが、それでも問題提起としてやるなら……」と、きわめて消極的だ。森田弁護士も同感の様子。労働者が障害者になったら、仕事を辞める(クビになる)のはあたりまえで、裁判をやっても勝てないというのは、人権や差別と闘っている弁護士にすら「常識」であるらしい(補足・5年後の2000年に新実隆弁護士と出会い、やっと裁判を提訴することができた)
 16:30 「リハ裁判」弁護団会議。

2月1日(水)自主出勤第122日(再開第20日)・ハンスト第14日
 午前中ホームヘルパーさん。
 午後出勤。管理職全員留守のため、平穏に自主勤務。4時すぎ、佐藤課長・長島課長補佐の二人、連れ立って戻ってくる。「お帰りなさい」とあいさつするが、二人とも固い顔のまま無視。とにかく、徹底的にシカトしようという方針に変わりないらしい。
 障害者であることを理由に、「障害に合わせた職務内容の検討」を一切おこなわず、とにかく「健常者と同じに働けないからクビ」としか言えずに、徳見の解雇を論理的に説明できない当局としては、自主出勤に対しては「シカト」するしかないのだろう。
 5時、教育委員会ビルでビラまき。

2月2日(木)自主出勤第123日(再開第21日)・ハンスト第15日
 越川記念病院の労働者で、不当解雇をされて闘っている山本和志さんや高橋さん、それに支援のイゴタさんらと会い、徳見の今後の闘いについていろいろと相談する。
 中華街の四五六菜館で昼食。「ランチタイム」には1人6〜700 円で、豪華な気分で十分堪能できる店であり、毎回の徳見の「リハ裁判」のときにも、裁判前にこの店で食事を楽しむのが恒例だが、今日は、山本さんら5人で食事。
 徳見は、ハンスト中で、みんながご馳走を食べる中で、一人ミネラルウォーターを飲む。もはや、胃腸や内蔵の働きがその機能をほとんど停止しているらしく、ご馳走を前にしても、全く空腹感もないし、唾液も出ない。
 本来「食いしん坊」の徳見は、自分が食えない分、ひとに食わせたい気になって、自宅ではいろいろと料理を作っている。断食中なので味見ができず、スケットの面々に味見をしてもらいながら……。そして、スケットたちに「食え、食え……!」と迫るのだ。
 体重は、6キロほど減ったあとは、この4〜5日ほとんど変わっていない。この調子では、このまま学校保健課の中で「生き仏」になれそうな気がする!
 午後、山本さん、高橋さんと一緒に出勤。佐藤課長・長島課長補佐在室。今日も徹底的に無視の態度を貫く。おかげで、のんびりと、たまった仕事をすることができた。
 山本さんは「様々なイヤガラセに屈せず、闘っている姿を見て、感心しきりです。逆に勇気付けられる思いです」と言ってくれる。
 夕方、神学労(神奈川学校事務労働組合)の岩野さんが多額のカンパを持ってきてくれる。「組合員以外に、教師たちからもいただいた」という。感謝!
 5時、教育委員会の隣の「中央ビル」でビラまき。
 神奈川県教育委員会主催の「子どもの人権・いじめを考える緊急シンポジウム」なる集会が県立青少年センターで、今夜あるという。そこで、ビラをまくことにして、急いで印刷。集会終了間際に会場に到着し、徳見の解雇問題をめぐるビラをまく。何人かの顔見知りにも会い、「行政の「アリバイづくりの集会にすぎない」という不満の声もきかれた。横浜市教育委員会の「徳見へのいじめ」の実態を、参加者に訴えたいという気持ちのビラまきだ。

2月3日(金)自主出勤第124日(再開第22日)・ハンスト第16日
 午前中ホームヘルパーさん。
 午後出勤。徳見はいつもの通り当局が作った段ボールのバリケードの中に納まる。
 スケットが車へ荷物を取りに行く。帰りがけ、ビルから出てくる佐藤課長とバッチリ目が合ってしまった。「こんにちは!」とあいさつするが、課長、眉一つピクリともせず、じっと睨みつけたまますれ違った。「よっぽど徳見が憎いらしい」という報告あり。
 学校では子どもたちに「あいさつをしましょう」などと指導させている教育委員会の課長さんが、こんなことでいいのでしょうか!?
 4時、当局一切無視のため、平穏に自主出勤を終了し退庁。夜、体重を計ると7キロ減少。しかし体調良好につき、さらにハンスト続行!
 

補足 24日(土)ハンスト第17
 朝、漢方医の診察を受ける。「前よりすこしパワーは落ちたが、バランスはよい」という診断。まだまだ「断食自主出勤」は続けられそうだ。
 「脳死・臓器移植に反対する全国集会」が、豊島区民センターでおこなわれ、100人近く参加(今回は神戸地震の影響で、関西からの参加者が激減)。徳見は、始めて「司会」というものをする(司会とは、発言者の時間を制限し、早くやめさせるという役であるということを知る!?)。
 集会後のデモ行進は3度目だが、始めて「救護車」の中でデモの後につく。
 夜の「交流会」では、大阪や京都の参加者から、地震とその中で障害者が置かれている厳しい現実が、生々しく報告された。
 また、繕見の解雇撤回闘争への物心両面の支援をいただき、感謝感激!

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