1995年1月23日(月)自主出勤第115日(再開第13日)・ハンスト第5日
 今日でハンスト(絶食自主出勤)5日になる。絶食中はミネラルウォーターを1日2リットル以上飲むように漢方医から言われている。「そうすれば2週間は大丈夫だろう」という。昨日補充のため、3店ほど回るが、どこにもない! 聞いてみると「神戸の地震のため、そっちにまわっていて、入荷しない」とのことで、どこも品切れ。
 午前中ホームヘルパーさん。

 1時30分出勤。さて今日はいかが……? と興味津々で学校保健課に入ると、「バリケード」は縮小され、徳見の机のダンボールも大分減って、一角が使えるようになっている。さすがに職員の人が不便のためだろう。
 さっそく机の前に陣取り、「ハンスト第5日」のスケッチブックの「立て看」をダンボールの上に置く。課長・係長は何も見ないふり、知らないふりをして、一切無視を装う。  先日ロッカーに貼った「事務・業務に支障となりますので退室願います」という紙は、机の上のダンボールに移動し、ロッカーの同じ部分に、同じ文章を縦書きにした紙が貼ってある。そういえば、20日に長島課長補佐が、これ見よがしに写真を撮ったのも、いずれ「強制排除」するための布石かかもしれない。
 2時、神学労の岩野さん、3時、仙台の富山さん(全障連)が支援に来てくれて、一緒に座り込む。
 4時近く、富山さんが課長へ抗議に行く。相変わらず課長「徳見さんは働けない。(解雇は)保健会の結論で、自分はそれを伝えるだけ」と繰り返し、教育委員会の責任を、外郭団体(学校保健会)へと転嫁する。
 富山さん戻り、教育部長も学校保健会の副会長だから、一緒に抗議に行くことになる。徳見に対する「弁明の機会」(昨年3月・5月)に「学校保健会副会長」の肩書きで出席した吉川さんが、今、教育長になっているので、抗議に行く。
 吉川教育長の部屋にいくと、「会議中だから入るな」と、庶務課の職員・モチヅキが立ちはだかり、ドアを閉める。そして「教育長には取りつがない」と断固たる態度。彼は、徳見がなぜ自主出勤して、なぜ教育長に会おうとしているのかを十分知っていなから、会わせることを拒否している。徳見が「市長に会わせてほしい」と秘書課に行っても、決して「会わせる方向で検討しようとしない」のと、全く同じ体質だ。
 職員の皆様、なぜそれほど当局に忠誠を誓うのでしょうか? どうか、「権力」をカサに着て、市民・障害者を排除しないでください……。

1月24日(火)自主出勤第116日(再開第14日)・ハンスト第6日
 47
キロあった体重が43.5
キロに減少。  8時、市庁舎前で『自主出勤ニュースをまく。自治労も朝ビラの日で、田沢さんが「学校保健会を解雇された徳見さんが、ハンストで闘っています。自治労も全面的に支援しております」と、スピーカーで応援してくれた(田沢さんありがとう。しかし、あとで組合本部に叱られなければいいけど……)。
 9時出勤。管理職は今日も一切無視を決め込むつもりのようで、平穏に絶食自主出勤。

 午後、食事の後(もちろん徳見はミネラルウォーターだけだ)、学校保健課に戻ると、朝徳見がいた場所に、ダンボールを積んだ台車が置いてある。「ここまでやるか? 意地悪を……!」と、一同思わず顔を見合わせて微苦笑。徳見がじゃまならば「正々堂々と」排除すればいいのに、それもできずに、こんな「いじましい」ことをする。「Stop the いじめ」をかかげる「教育」委員会の名が泣こうというものだ。

 午後、管理職全員留守のため、平穏に過ごし、16:00
自主出張へ。

自主出張報告 横浜社臨(横浜市大)へ。参加者全員の「近況報告」で、徳見は、「ハンスト自主出勤」の「報告」をする。加藤彰彦(野本三吉)先生は、神戸の大震災に、加藤ゼミの学生が数人、神戸へボランティアに行っており、そこからの生々しいレポートなどを語る。徳見の解雇(19日)の2日前に起こり、30万人もの死傷者・被災者が出ているという関西の大震災に比べれば、たかが一障害者の解雇問題など、取るに足らない出来事のような気になってしまう!

1月25日(水)自主出勤第117日(再開第15日)・ハンスト第7日
 完全に断食にはいって今日で1週間。何人かの方が「大丈夫?」と、心配して電話をくれるが、徳見はミネラルウォーターだけで、まだ元気だが、すこし頬がこけてきたようだ。  午前中ホームヘルパーさん。
 1時半、出勤すると、昨日あった台車がなくなっている。
 スケット係が下へ降りているスキをねらって(ビデオを撮られたくないため?)、佐藤課長「業務のジャマだから、廊下へ出てほしい。お願いします」と言い、返事も待たずに引き上げて行く。これも。いずれ強制排除の布石か?
 さて、落ち着いて見ると、「机」の上のダンボールに貼ってあった「退屋願います」の紙がなくなっている。その代わり(?)近くの柱に大きく「禁煙」の張り紙。位置からいえば、明らかに、徳見とスケット・支援者に向けてのアピールだ。タバコを吸ったら「退室せよ」とでも言いにくるつもり? しかしヘビースモーカーの長島課長補佐は、どうするのだろうか。

 3時半ころ、『神奈川ジャーナル』の関谷記者がインタビューにくる。彼は、自身も杖をついている「障害者」であるだけに、徳見の解雇問題には特別に関心があるらしい。佐藤課長が留守のため、長島さんに、「このような障害者に対する排除は許せない。『完全参加と平等』の理念を市はどう考えるのか」と、憤りをあらわにして、追求する。
 さすが有能な管理職の長島さん、舌鋒鋭く追求する関谷さんに対して、あくまでも冷静に(つまり「官僚的」に)「障害者だから解雇したのではありません。徳見さんが働けないから……」と、課長と同じようなことを、モソモソと言う。
 「働けない」ことの内容を全く検討することなく、「健常者並みに働けないからダメ」という結論だけしかない当局に対して、「(もはや言葉で言ってもしかたがない)闘うしかない」と宣言して、インタビューを打ち切る。  こうして、今日も「平穏に」断食自主出勤が終わる。

1月26日(木)自主出勤第118日(再開第16日)・ハンスト第8日
 断食8日目だが、まだ徳見は元気だ。

 9時すぎ、市長あてに「要求書」を持って、秘書課へ向かう。「青い芝の会」神奈川県連合会の小山正義さん・市議会議員の木内博さん・神学労の伊藤美恵子さん・支援者など総勢6人。

 「要求書」は、先日の「白石・徳見の解雇に抗議する1.19
集会」の決議文をもとに、横浜市長あてに、次のような4項目の要求をしたものである。
  @白石さんの解雇を撤回せよ。
  A「自力通勤・自力勤務」の条件を撤廃し、徳見の解雇を撤回せよ。
  B徳見への解雇理由を明らかにせよ。
  C徳見の職場復帰に向けて交渉の場をつくれ。

 応対に出た内田・茂木両係長は、例によって「うけたまわりました」「検討します」と言うだけ。支援にかけつけてきた若山さんは「秘書課の面(ツラ)は役所仮面で、しゃべる言葉はワンパターン。リカチャン電話でも、今日びはもっといろいろしゃべるわい。こういう人間を多量生産したのは誰じゃ!」と、驚きあきれる。
 10時、小山さんらと学校保健課へ。1時間ほど自主勤務の後、小山さんを送って、午後戻ってくると、「ハンスト8日目」と書いたスケッチブックの「立て看」と「ハンスト決行中」のカンバスが倒され、裏返しになっている。今日もまた、思わず微苦笑させられてしまう。こんなことをするのは○○さんに決まっている!
 1.19集会の「決議文」を、佐藤課長に提出する。佐藤さん「保健会の結論だから、これ(決議文)を出されても、(自主出勤で)そこにいても、結論は変わらない」「(解雇に関しての)交渉は一切しない」と言う。そのかたくなな態度に、支援に来てくれた全障連の富山さん、神学労の伊藤さんが、抗議の声をあげる。
 課長「これに不満なら、第三者機関を通すなり、徳見さんの好きなようにやったら? こっちはどこへでも出て行く」と余裕を見せる。
 長島さんは「業務に支障があるから、退出してください」。徳見「実力で排除したら……?!
」。長島さん「それはいたしません」と言う。「徳見を気にせず、どうぞ業務をやってください」と言っても、「退出してください」を繰り返す。これも長島さんの「業務」の一つか……?
 16:00自主出張。


 自主出張報告 課長の「第三者機関」に触発されたか、富山さんが、蒲田の「京浜ユニオン」という個人加盟の労働組合へ連れて行ってくれる。しかし 徳見が自治労の組合員であることや、「障害者解雇問題」など、どう対処したらよいのか、困惑気味で、せっかくの富山さんの厚意も、どうやらムダだったようだ。

1月27日(金)自主出勤第119日(再開第17日)・ハンスト第9日
 断食9日目とあって、さすがに体重が6kg
ほど減少する。
 午前中ホームヘルパーさん。
 出勤前に、1月19日、留守中に届いた「内容証明郵便」を郵便局に取りに行く。開けてみると、予想通り「免職の辞令」が出てくる。これで3通目だ。「憎い徳見だから、3度クビを切っても切り足りない」というシャレのつもりか!?  1時30
分ころ出勤。「机」とその周辺は昨日と同じ。段ボール箱や台車を置いて、自主出勤を妨げているつもりらしい。当局は無視のため、平穏に自主出勤を終える。


自主出勤目次
   次号へ     目次