1995年1月16日(月)自主休暇
午前中ホームヘルパーさん。
昨日、知人の所属する会の新年会があり、一緒に土浦(茨城県)へ。10時間ほどの長丁場で、少し疲れたため、自主休暇をいただき、自宅で『自主出勤ニュースNo.23
』の版下作り。午後完成して、「福祉プラザ」へ行き、3700部印刷。帰りがけ、トンちゃん方に寄って、一緒に折り・帳合い作業。20:30ごろ帰宅。
補足 前日の15日(日)「閑居山を守る会」(No21・6.9/No22・12.28参照)の新年会。10;00川崎の「青い芝」小山さんと共に、神立(土浦市)の「婦人会館」へ。願成寺の大仏ヒロシ和尚・「青い芝」の里内・金子さんなど20人?ほどが、楽しく新年を祝うはずだった。しかし、徳見のハンストの話から始まった会は、やがて、ヒロシへの不信の投げつけと、ヒロシの怒りの叫びで終わってしまった。詳しい事情を知らない徳見は、ヒロシの怒りを解きほぐす手立ても分からないままだ。終わって、大仏奧さんに「報告」して、小山さんと共に帰路につく。20:30ごろ帰宅。
1月17日(火)自主出勤第111日(再開第9日)
8時、横浜市役所前で「朝ビラ」。『自主出勤ニュースNo.23 』と「1.19集会」のビラを配布。高校生のマヒトがビラまきに初参加。今日から、入試のため高校は5連休。しかし、明日から部活が始まるので、彼にとっては、貴重な休日だ。ありがとう。
自治労各支部にニュースを発送し、「市政記者クラブ」へビラを届ける。応対に出た東京新聞の記者に、初めて「ハンスト」を表明する。
1週間ほど前から、徳見はハンストに備えて、食事制限を始めている。しだいに「固形物」を減らして、空腹に耐えるように体を慣らして行くのだ。あさって19日が、当局の指定した解雇日である。夜6時からの「解雇を許さない集会」以後、ハンストに入るつもりだ。
1月18日(水)自主出勤第112日(再開第10日)
午前中ホームヘルパーさん。
スケット係は、周辺の団地・マンションに、明日「1.19集会」のビラ入れ。
トンちゃんからファックスが届く。『毎日新聞』の「みんなの広場」に、井上孝子さんの「車いすの人の解雇は一種のいじめ」と題する投書が載っている。井上さんは「横浜市の解雇はまさしく『いじめ』」であり、「この大人社会の『いじめ』がなくならない限り、子供の社会も変わらない気がします。障害者教育にも生かせるはずの教育現場での出来事だけに、一層悲しくなります」と書いている。
1時40分、出勤。5時近くまで平穏に勤務。
佐藤課長と平間指導主事が、「……だから勤務は無理」などと、いろいろしゃべっているのが聞こえる。徳見の「解雇」の話をしているのだろう。ところで佐藤さん、徳見のそばを通る度に、徳見のほうを見ないように、顔はまっすぐ向けているのだが、目が徳見を見てしまうのをおさえることができないらしく、目玉だけが徳見のほうに、チラッ、チラッと動くのが何ともおかしい。
5時、教育委員会のビルと、隣の「中央ビル(下水道局・緑政局その他がはいっている)」で『自主出勤ニュースNo.23』をまく。
1月19日(木)自主出勤第113日(再開第11日)・ハンスト第1日
9時20分、 出かける準備をしていると、佐藤課長来訪。森田副会長・平間指導主事も一緒だ。
95.1.19 解雇通知 |
「無断で入るな」という徳見の制止を振り切って、佐藤さん、「免職の辞令」を玄関のゲタ箱の上にある金魚鉢のわきに置いて行く。
12時、学校保健課に出勤。今日からハンスト突入! 机の上に「障害者追放をゆるさない! 横浜市および横浜市学校保健会による障害者解雇処分を撤回せよ! 横浜市政は第二・第三の白石・徳見をこれ以上出さないと約束せよ!」と書いた紙を置く。
『毎日新聞』の記者が取材に来る。
今日の集会の準備作業などをしていると、佐藤課長、長島課長補佐、平間・金子指導主事が徳見の机の前に立ち、「退職金の請求書を書いて、健康保健証などを返却せよ」という申し入れをしてくる。そして、「もう身分がないのだから(ここに来るな)……」という。
徳見「課長さん、顔が引きつってる……」というと、課長「引きつってますよ。昔から引きつってるんだから!」とやり返す場面に、思わずスケット係、噴き出してしまう。それを見て(?)お二人の指導主事も思わず笑い顔を見せてしまう。課長さんも意外とユーモアがあるんだ!
松本から徳見の友人カコちゃんが、子連れで登場。課長に「徳見さんの支援で、抗議に来ました」とあいさつしに行く。課長「徳見さんからの一方的な話で、占拠しては困る」と、居丈高に言う。
3時半ころ、長島課長補佐がやってきて、「『ワーカーズ』の記者から『少し遅れる』と電話があった」と伝えてくれる。心が広い長島さん、ありがとう。
4時ころ、課長へ「退職金の請求書類」を返却。「法的」には何の意味もないのだが、「解雇を認めない」という意志表示だ。
入れ代わりに『ワーカーズ』の記者が、課長にインタビュー。相変わらず「徳見さんは働けない。保健会の結論です」をくり返す。「それに不満があるなら、徳見さんのやり方で、市に抗議すればいいじゃないか」と居直るのだ。
6時半、「抗議集会」。半月余りの準備期間しかなかったが、30人ほどがかけつけてくれる。横浜市大の加藤彰彦さんが、20数年前、彼が小学校の教師だったとき、歯科指導にやってきた徳見との出会いを語り、「徳見さんのような人こそ、ぜひ教育現場に復帰してもらいたい」と語る。また、市会議員の木内博さん、神学労(神奈川学校事務労働組合)横浜支部や、ビラを見て参加した方々が、「白石・徳見に対する解雇」への抗議と解雇撤回への支援などを語る。
1月20日(金)自主出勤第114日(再開第12日)・ハンスト第2日
午前中ホームヘルパーさん。
1時10分ころ学校保健会に出勤。「徳見の机」に、「文書保存箱」がみ重ねられて、使えない状態になっている。しかも、徳見がそれ以上中に入れないように机やロッカーで「バリケード」がはられている。
徳見が部屋に入ると、すぐに長島課長補佐がきて、「(退職金の)書類を書いてもらわなければ困る」と言って、昨日徳見が課長に返上した「解雇の辞令」と書類を置いて戻って行く。
「ハンスト決行中・第2日」と書いたスケッチブックの「立て看」を、「徳見の机」の上に置かれたダンボール箱の上に置く。そして、介助者・支援者などと共に、学校保健課の一角に陣取る。
すぐに、佐藤課長来て、怒りをあらわにして「すぐにここを出て行け!」と迫る。「帰れ」「帰りません」を2〜3度やって、課長憤然として戻って行く。
しばらくすると長島さん、また来てダンボールの上に置いた「立て看」を倒して、「ここは(あんたの)家ではないのだから、こんなものを置くな」と言う。知らん顔をしてまた立てると、そのまま何も言わずに引き上げるが、すぐに戻ってきて、徳見の前にあるロッカーに「事務・事業に支障となりますので、退室願います」と書いたB4の紙を貼る。徳見、それを見て「そこに紙を貼ってもいいんだ!」と言うと、長島さん「ここは私の管理下ですから……」と言って戻って行く。相変わらずやることが中途半端で、微苦笑を誘う。
それ以後は、当局、一切無視の姿勢だが、こちらをチラチラ見て、気になるようだ。
神学労の野田道子さんが年休をとって支援に来る。「人権、人権と、毎年ものすごい予算を浪費する横浜市教育委員会に関係する当局が、徳見さんの人権を無視してこんなことをするなんて許せない」と語る。
3時すぎ、「青い芝の会」神奈川県連合会事務局長の小山正義さん来る。昨日の集会宣言をもとに、横浜市に「要望書」を提出しよう、という相談などをする。
5時すぎ、小山さんが佐藤課長に抗議に行く。介助者が「バリケード」になっているテーブルを動かすと、長島課長補佐が飛んできて、「勝手に動かすな!」とどなる。「『青い芝の会』の小山ですが、課長さんに話があります」と言うと、長島さん「小山さんですか……」と、少し鼻白んだ様子だ。見ていた佐藤課長「何だ、何だ!」と席を立ってくる。
――というわけで、小山さん、佐藤課長に抗議をする。課長は「私に言われても困る。これは学校保健会の結論で、私はそれを伝えるだけだ」と逃げる。いつもこの論法で、実質的に市の行政がやったことの責任逃れをするのだ。
小山さん「今後も『徳見さんの解雇は、障害者への差別だ』として、横浜市を追求して行く」ことを宣言して引き上げる。
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