1995年1月9日(月)自主出勤第106日(再開第4日)
 午前中ホームヘルパーさん来訪。
 1時40分ころ、学校保健課に出勤。管理職は全員留守。どこやらの「祝賀会」に出席のためだという。介助者(スケット係)は、『自主出勤ニュースNo.22 』の印刷に出かける。徳見は、一人「テーブル」で、平穏に自主勤務。
 4時30分ころ印刷作業が終わり、スケット係が戻ってくる。直ちに、弁護士事務所へ。「解雇」をめぐる「法律的な問題」について、今後の対策を協議する。

1月10日(火)自主出勤第107日(再開第5日)
 8時、横浜市役所前で「朝ビラ」。『自主出勤ニュースNo.22』号を配布。
 昨年6月の21号までは、「看護専門学校」に通っている朝ちゃんに楽しい「さし絵」を書いていただいてきた。しかし、彼女は勉強がいよいよ大変になったため、この22号からは、TBSに勤務する國澤さんが、職務多忙の合い間をぬって、さし絵や、表紙の構成などをしてくれることになった。彼は、プロの漫画家・さし絵画家などとしても通用するほどの人だ。國澤さん、よろしくお願いいたします。
 ビラまき終了後、学校保健課に出勤。「徳見の机」は職員の方が何やら書類を広げて作業中。徳見は、そのまま秘書課へ。
 例によって、茂木・内田係長が出てくる。そして、いつもの通り、徳見の話を「承っておきます」という態度に終始する。
 今まで集まった署名用紙(徳見の職場復帰を求める要望書)を提出する。係長二人、署名者の数を数え、「185人ですね」と言いつつ、「受け取り」をよこす。「ん!?」。実は180人なのです!
 このいいかげんな取り扱いは「どうせ署名用紙なんか……」という気持ちの表れにちがいない。すでに999人の署名を提出してあるが、それについて、当局が何等かの考慮をして「解雇通告」をしてきたとは考えられない。
 しかし、たとえ「法的」に何ら効果がないとしても、署名してくれた人々の支えが大きな力だ。今後とも署名にご協力を!
 「市民」の山本さんが、「解雇通告に抗議し自主出勤再開」という話を聞いて、学校保健課にやって来る。「市議会にも……」といい、議員に会いにゆく。結局、各党派とも「陳情ならば、手続きを踏んで……」というわけで、直接議員には会えないまま引き上げる。
 学校保健課に戻って佐藤課長を待つが、5時近くになっても来ないため、山本さん、長島課長補佐へ抗議に行く。長島さん、「(解雇したのは)横浜市ではなく、学校保健会です」と「訂正」した以外は、全く反論もせず、まるで他人事のように「はい、承りました」と述べるだけだ。山本さんも拍子抜け(?)したのか、5分ほどで切り上げる。長島さんの作戦勝ちだ!
 ちょうど昼休みになったので、食事に出ようと準備をしていると、先ほどの長島さん、突然徳見のわきに現われて、「徳見さんに手紙ですよ……」と、葉書を徳見の机の上にポンと置いて行く。
 葉書のあて先は「横浜市中区 横浜市役所学校保健課 徳見康子様」とある。「1月5日の毎日新聞の記事を読みペンをとりました」という、奈良の「元歯科衛生士」の女性からのものである。「貴女の勇気ある行動に感じるものがあり……」「貴女の行動で多くの障害者の方が勇気付けられていることと思います」と述べ、「解雇が撤回されることを祈っています」と結んでいる。読んだ徳見、思わず目頭が熱くなる。
 それと同時に、このような徳見への葉書をちゃんと渡してくれた長島さんの「心の広さに感動」してしまう! 長島さんの作戦勝ち・その2だ!
 読者の皆さんも、ぜひ、長島さんを信じて、学校保健課あてに、徳見への激励のお手紙を!(学校保健会への抗議の手紙は、徳見の手には届きませんから……)。
 昼食後、「障害を理由にした解雇を許さない1.19集会」のビラの印刷などをして、4時ころ学校保健課に戻る。5時15分ころまで、平穏に「徳見の机」で作業。

1月11日(水)自主出勤第108日(再開第6日)
 午前中ホームヘルパーさん。
 朝早く知人のトンちゃんからのファックスで起こされる。『毎日新聞』の家庭欄「お勝手に」というコラムに、マンガ家のやまだ紫さんが、5日の記事に関する文章を書いている。「行政を進める役所が、ハンディキャップを理由に障害者を解雇するのはおかしい」と、徳見への解雇通告を批評し、漫画家らしく当局を批判している。
 1時40分、学校保健課に出勤すると、「徳見の机」は、佐藤課長を始め、管理職が何やら打ち合わせの最中である。スケット係が「荷物を置かせていただきます」と、当然のごとく入って行き、テーブルのわきにビデオやワープロの入ったカバンを置く。課長、こわい顔でジロリとにらむが、それにもめげず、スケット係「またあとで来ま〜す」と言って出る。誰も何も言わない。
 そのまま『自主出勤ニュース』の印刷・発送作業に出かける。
 4時ころ戻ると、ちょうど机があいたところだ。さっそく発送作業の続きにとりかかり、5時少し前に退庁。

1月11日(水)自主出勤第109日(再開第7日)
 10時15分、学校保健課に出勤。徳見のスケット係が「家庭教師」として勉強をみている「生徒」のアヤさんも同行。彼女は、小・中学校時代に「いじめ」にあい、学校生活をほとんど「奪われて」しまった。
 「徳見の机」で、『自主出勤ニュース』の発送作業。その合い間に、アヤさんは、英語の問題集を広げる。聞いてみると、「英語の教科書は、ノリをべったりとつけられたため、持っていない」というので、徳見、前の部屋の英語の指導主事のところへアヤさんと共に行き、「こういう事情なので、どのような対策を……」と相談する。
 「英語の教科書で『余分』はありますか」ときくと、指導主事「有隣堂に売ってます」。2人ともコケてしまう。そんなの、聞かなくても分かっている……! それ以上あまり相談する気も失せて、早々に引き上げる。すぐそばに「Stop theいじめ」「人権尊重」をうたいあげる教育委員会のポスターが2枚貼ってある。徳見の「解雇」も含めて、教育委員会のタテマエと現実の乖離をみる思いだ。
 3時、学校保健課を出て、「障害を理由にした解雇を許さない1.19集会」のビラの印刷に出かける。
 7時、自治労の本部役員の矢木さんが、昨年12月に、50歳という若さで病死。その「偲ぶ会」に出席する。かつて、教育委員会で、徳見の職業病闘争を支援してくれた古い仲間の何人かに再会する。「新聞で解雇を知った」という人もいる。
 事情を知る人は「横浜市はひどいね。がんばって……」と激励してくれる。しかし、徳見の本心は「一緒に闘ってほしい!」と言いたいのだが、その言葉が出ない。それが悔しくて、涙があふれてしまう。
 「徳見と共に『解雇はおかしい』と声に出して、闘ってください、お願いします」と何人にも言い続けてきた。反差別・人権のために、身をもって闘ってこられた矢木さんなら、きっと応えてくれたにちがいない。

1月12日(木)自主出勤第110日(再開第8日)
 午前中ホームヘルパーさん。
 午後出勤途中、『ニュース』のための紙を買い、徳見の足である車の車検の見積もりに寄ったりして、2時15分、学校保健課に出勤。いつもの通り、「徳見の机」につく。4時すぎ、長島課長補佐がツッ……と近寄ってきて、「電話がありました。写真屋さんらしいですよ……」と、メモを、例によって、机の上にポンと置いていく。メモには、徳見の知人・大田文恵さんの電話番号が書いてある(彼女は写真屋でバイトしている)。
 すぐに電話をしに行く。大田さんは、「あんなにつっけんどんな失礼な対応は許せない」と怒っている。「トゲトゲしく、まるでこちらが悪いことをしているように人を責めるような、あんな言い方は非常識だ」とムッとした様子だ。教育委員会の佐藤課長(あるいは長島課長補佐?)が、一市民に対して、そのような電話の対応は、いったい何ごとなのか? 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ということわざを地で行ったのだろうが、いくら徳見が憎いからといっても、そんなに八つ当りをしなくてもいいのに……ネ。
 学校保健課に戻り、先日、秘書課に提出した「徳見の職場復帰を求める要望書」の署名を、課長に提出する。課長、徳見をじっと睨みつけて一言も発しない。最後に徳見「よろしくお願いします」と言うと、「受け取りました」と一言。徳見「受け取りをおねがいします」。課長じろりと徳見を睨み、しかし長島課長補佐にむかって、「受け取りを……」と指示する。

 

 しばらくして、長島さん、一枚コピーして、受領印を押して持ってくる。徳見「枚数を確認してください」というと、「そっちで数えてくれ」と、署名用紙の束を「徳見の机」の上に投げ出して戻って行く。そのあまりに子どもっぽいやり方に(おっと、子どもに怒られるか?!)、思わず皆苦笑い。とにかくスケット係が、長島さんに「そちらで数えてください」と長嶋さんの机にポンと置く。それを見て長島さん「100人か……」と言う(意味不明)が、署名は机の上に置いたまま手をつけない。
 先日の秘書課と同様、署名に対するいい加減な対応は、「もうクビにしたんだから、署名など……」ということなのだろう。
 5時、教育委員会のビル前でビラまき。横浜市大の学生(若山・重田さん)が来てくれて、4人で1時間ほど『自主出勤ニュース』と「1.19」集会のビラをまく。

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