1994年6月6日(月)自主出勤第98日
  午前中ホームヘルパーさん

補足 「ヘルパー」終了後、横浜地裁へ。「リハ裁判」傍聴にも来てくれている磯田知子さんの裁判。「精神病院に強制入院させられた」ために、それに関する情報開示を県に対して行なったところ、非開示とされたため、その処分取り消しの裁判とのこと。12:00ごろ終わる。

 2: 30学校保健課に出勤。管理職は全員留守。いつもの通り平穏に自主勤務
 市役所本庁舎前には、通称「クスノキ広場」がある。そこに、横浜の「経済発展」を陰でささえてきた「低賃金日雇労働者」であるアベさんが、その活動(生活?)の場としており、教育委員会(が入居している)ビルと本庁舎を何度も行き来しているうちに、彼と顔見知りになる。
 彼は、アルミカンを使っていろいろな作品を作っており、「〈中国の提灯〉は 3000円で売れたよ」と言っていた。
 今日は「灰皿」の作り方を実演指導してくれる。「オレなら2〜3分で出来るよ」と言いつつ、ビールの空き缶を丁寧に洗い、上ぶたを切り落とし、縦に10枚ほどの切れ目を入れ……、数分後には見事なアルミの灰皿が出来上がった。
 4枚もいただき、そのうちの1枚を、学校保健課の「徳見の机」の上において、4: 30退庁し、『自主出勤ニュース No.2O』の印刷に向かう。

6月7日(火)自主出勤第99日
 8: 00横浜市庁舎前で『自主出勤ニュース No.20』配布。
 足元にカンパ箱を置く。3人の方がカンパしてくれる。声をかけてくれる人も増えたが、一方で、『ニュース』の受取りを拒否する人も増えたようだ。「味方が増えれば、敵も増える」のが理(ことわり)というものだから、徳見の闘いは、ますます熾烈(しれつ)の度を加える(かな?)。
 9: 00学校保健課に出勤。「徳見の机」は職員が使用中。本庁舎へ、自治労本部事務所で、印刷や発送作業。
 用をすませて戻り、1時間ほど自主勤務。 11:30給食係長から「会議で使う」という申し入れがあり。ちょうどよい汐に退庁する。
 帰宅すると、留守電に、先月 20日に行った九段坂病院(本紙18号参照)から「(検査)入院が 13日(月)に決まった」と連絡あり。
 先週月曜日に当局が設定した「第2回・弁明の機会」を、徳見がぶち壊してしまって(当局が一方的な〈弁明〉のおしつけに失敗しただけだ)「学校保健会で検討する」といったまま、まだ何の音沙汰もない。
 当局の打つ手は、「徳見の職場復帰を認める」か、「解雇処分を出す」か、「このまま徳見があきらめて自己退職をするのを待つ」か、3つに1つしかない。
 そして、「職場復帰は認められず、解雇もできない」当局のとる道は、徳見が「あきらめるのを待つ」だけだ。
 自主出勤をはじめて、すでに半年……、最初は肩に力がはいっていた徳見も、近ごろではリラックスして、自主出勤を楽しむ余裕もできた。毎週本紙『自主出勤ニュース』を作るのも楽しみの一つだ。
 当局がどこまでも「無視」を続けるならば、体の続くかぎり自主出勤をするまでのこと、のんひり、楽しみながら……。
 今回の「検査入院」も、「定年まで自主出勤」体制の準備の一環である。

6月8日(水)自主出勤第100日
 午前中ホームヘルパーさん。
 2:00学校保健課に出勤。自主勤務の合間に広聴課へ。石井課長補佐に「市長あての要望書はいずこに?」と問う。石井さん、首をかしげる。そして、秘書課の茂木さんに確かめてくれたが、「(担当の)学校保健課に渡してある」という。
 そもそも「要望書」が「市長」と「学校保健会会長」の両方にあてたものだから、「コピーして、原本を学校保健課へ、もう一方を秘書課に提出したほうがいい」と指示したのは、ほかならぬ秘書課である。それが、結局両方とも学校保健課に集まってしまったというわけだ。
 いったい、署名用紙の扱いはどうなっているのだろうか?
 5:00教育委員会ビル前で『自主出勤ニュース No.20』配布。神学労の岩野さんもビラまきスケットにかけつけてくれる。「カンパ箱はどこにあるの?」と言ってカンパしてくれた方がある。火曜日の市庁舎前の朝ビラのときには、足もとにカンパ箱を置いているが、今日・水曜のビラまきにはカンパ箱を置く勇気はまだない。いくら図々しい徳見でも、教育委員会のおひざもとでは、ネェ……。
 それだけに、このカンパはとてもうれしかった。

6月9日(木)自主出勤第101日
 今日は朝から「自主出張」。帰宅は夜中の 12:00過ぎ! よって、学校保健課へは出勤できず。

自主出張報告  10:30鶴見大歯科。13:00「神奈川青い芝の会」の小山正義さんを「徳見車」に同乗してもらい、「土浦地裁」へ。「青い芝の会」発祥の地といわれる閑居山願成寺が「墓業者」に売られることになり、「青い芝」ゆかりの人たちが「閑居山を守る会」を作り、業者を相手に裁判をしているという。閑居山は大仏空(おさらぎあきら)という僧侶が、小山さんら脳性麻痺者の「共同体(マハラバ村)」を作り、共同体崩壊後、メンバーは各地に散り、「青い芝の会」を結成して、「障害者運動」の原点となった……という程度の知識しか、徳見にはないが、今は、大仏和尚の息子・ヒロシが、かろうじて「荒れ寺」になるのを守っているという。そのヒロシが、墓業者に「騙されて」寺(の土地?)を売る契約をしたらしい。裁判はすでに何回か行なわれていて、今日は大仏ヒロシの「本人尋問」。1.5時間ほどで終わり、近くの「公民館」で、北村・人見弁護士も交えてのミーテイング。その後、「茨城青い芝」の里内さん方へ。「埼玉青い芝」の金子さんも加わり、今日の裁判のことも含めて、閑居山の今後のことなど、いろいろ「議論」が出る。しかし、徳見は「部外者」で、話の内容はあまり理解できていないが、青い芝の人たちの閑居山への「思い」は伝わってくる。

6月10日(金)自主出勤第102日
 午前中ホームヘルパーさん。
 知人からコピー機と印刷機(輪転機)の差し入れがあり、昼前、メーカーから届けられる。これからは、本紙『自主出勤ニュース』や『リハ裁判ニュース』の制作に威力を発揮してくれるはずだ(その分経費が余分にかかることになるのだが……)。
 2: 15学校保健課に出勤。自主勤務の合間に秘書課へ。久しぶりに内田係長と茂木係長の2人に会い、徳見の「要望書」が、どうして学校保健課に行ったのか、「これで本当に市長に届くのか」と質問する。
 内田さんが、きわめてソツなく、流暢(りゅうちょう)に語るが、結局「規定通り処理しました」というだけ。
 「保健課には、保健会会長あての署名簿が行っているはず」というと、学校保健課には2つの顔がある」と言う。確かに、学校保健課という行政と、その隠れ蓑としての「外郭団体・学校保健会」という「2つの顔」は、民生局と横浜リハセンターも同じだ。
 さすがに内田さん、行政の本質の一端を喝破(かっぱ)してくれる。
 しかし、「保健課に行った署名が、本当に市長の手に渡るのか」との質問には、「分かりません」というだけだ。


自主出張報告及び補足

検査入院
 この3日後の6月13日(月)徳見は九段坂病院に「検査入院」した。7月8日(金)退院したが、25日におよぶ入院の結果は「手術をしても改善の見込みはない」。また、リハセンターでの転倒事故によって「手術部位より下の脊髄に、小さな損傷ができた」らしいが、これもまた手術での改善を期待できるものではないとのこと。今後は、今まで通り「適切なリハビリによって体調の維持をはかっていくこと」というのが結論であった。
  「当局の打つ手は、徳見があきらめるのを待つだけ」と『ニュース』には書いたが、遅かれ早かれ解雇してくるだろうと思っていた。しかし「そのときどうするか」という「方針」などは何もなく、退院後は、自主出勤する機会を伺いながらも、日々の生活と、「臓器移植」問題にかかわっていた。
 2年前の 92年1月、「脳死臨調」の答申が、結局「脳死」を「人の死」とすることはできないまま、臓器移植を積極的に推進する立場から、「臓器移植法」の制定を提言していた。そのころから、徳見は「こもん軒」で月に1度行なわれている「脳死・臓器移植に反対する市民会議」に参加してきた。臓器移植法制定の動きが次第に進むと共に、反対運動も活発化し、徳見も「臓器移植法」反対行動のため、以下のように、全国を飛び回り(ちょっとオーバーか、多忙な日々を送っていた。

関西市民集会・高槻/京都
  7月 23日 脳死臓器移植に反対する関西市民集会・高槻。 22日、「市民会議」の石川律夫さんと、徳見車で出発。東名・浜名湖で車中泊。終了後、本田さん(脳性麻痺)を京都の自宅まで送り、そこで泊まり、翌 24日帰宅。2拍3日。

山中湖

  8月6〜7日、山中湖・東織荘において、本多勝紀・池谷健・松本文六・梅田和彦・井出正・小山正義・徳見などが、1泊2日で「脳死問題」についての「本質的な」論議をする。

天竜村/京都・国際移植学会/松本/伊那/天龍村/本多方
 8月 27〜 28日 京都・北海館において、山口研一郎・阿部知子・岡本隆吉さんなどを中心に、3〜>40人?ほどが、 24:00ころまで、「臓器移植法成立阻止」について、論議を交わす。宝が丘公園で車中泊。翌28日の北海館での集まりは午前中で終わり、 13:00京都国際会議場で行なわれる「国際移植学会」の反対行動に参加。15:00>すぎ、京都工業会館へ。今回の行動についての「総括会議」に参加して、京都大学・熊野寮に泊まる。
 なお、この「京都行動」に参加するために、徳見は8月24日に出発し、和知野温泉・二瀬キャンプ場・アルプカーゼ・松本・伊那の「こもん研ログハウス」・本多節子方訪問など、のんびりと「放浪」して、9月4日に帰宅。11日間の旅」だった。

芦安温泉/松本/全障連大会(岐阜)/日曽利/杖突峠
  9月 17〜18日 岐阜市で行なわれた、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)全国大会に、昨年に引き続き、本多節子・古田光(あきら)さんと共に参加。今回は「医療分科会」で「脳死立法阻止」に向けての論議に加わる。
 なお、この全障連に参加するために、徳見は 9月 15日に出発し、芦安温泉・松本・飯島町日曽利(ひっそり)・杖突峠などを「放浪」して、19日に帰宅。4泊5日の「旅」だった。

犬山市/3江田島/日本移植学会(広島)・六甲山/大阪・吹田/関西市民の会・移植学習会
  11月 24日、日本移植学会(広島国際会議場)での「臓器移植反対行動。全障連・青い芝のメンバーや、8月に山中湖で会った本多勝紀・池谷健さんなど共に、会場内で「反対」のビラをまく。終了後は、広島駅前でビラまき。
 26日、大阪・「関西市民の会」の「学習会」に参加。
 なお、今回は、 21日に出発して、小牧の知人方・瀬戸内海岸・呉・江田島・六甲山・神戸ポートランド・大阪城……等々「放浪」して、27日帰宅。6泊7日の「旅」だった。

解雇通告
 12月20日、朝9時ごろ、学校保健課の佐藤課長来訪、「平成7年1月19日をもって免職する」という「免職通知」を置いてゆく(免職とは解雇のこと)。


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