1994年5月 30日(月)自主出勤第93日
 午前中ホームヘルパーさん。
 2:00学校保健課に出勤すると、管理職は全員留守。すでに徳見の「弁明の機会」への対策を練っているのかもしれない。
 ただちに会場へ向かう。 15分ほど前に到着するが、会場には誰もいない。ビデオを構えて一同の到着を待ち受ける。
 定刻の2:30、学校保健会の主だった面々が登場。徳見が招じ入れられると、正面に手束会長(横浜市医師会会長)、吉川副会長(教育委員会学校教育部長)、森田副会長(学校歯科医師会会長)、後田副会長(八景小学校校長)が座り、右側には佐藤常務理事(学校保健課課長)、左側に長島理事(学校保健課課長補佐)、平間理事(指導主事)、金子理事(指導主事)の8人が、いかめしく居並んでいる。

   弁明の機会 part2

 入るなり徳見は「裁判みたい……」と口に出してしまう。となりでビデオを構えているすけっと係は、その重々しい雰囲気に、緊張のあまり手が奮えているのか、ビデオカメラがハタハタ揺れている。
 佐藤課長が話を始めるのをさえぎって、徳見「今日は〈弁明〉に来たのではなく、私からどのような話が聞きたいのか、その質問をうけたまわりにまいりました。質問内容を間違えないように、テープをとらせていただきます」と言う。
 会長「今日は前回に引き続き話し合いを……」と言って、またも佐藤課長の「弁明」と食い違いをみせる。
 徳見「私(労働者)の身分に関わることは、組合の立会いの上で……。今日は質問内容を聞くだけ。回答は文書で……」。
 8人のお偉方は、予定していた通りにプログラムが進行しなくなり、「たかが徳見一人に翻弄(ほんろう)されて」大分おかんむりのご様子だ。
 もちろん、徳見にとっては、翻弄などしているわけではない。力も数も圧倒的な相手に対して、たった一人、必死の抵抗をしているだけなのだ、孤立無援の中で……(もちろん、組合も含めて「精神的支援」は、たくさんいただいております)。
 会長は「職場復帰する気があるのか」と語気を強める。森田副会長も「〈弁明の機会〉と知ってやってきたのだろう!」と声を荒げる。
 課長は「会長が話し合いとおっしゃるなら(〈弁明の機会〉ではなく)趣旨を変えて……」などと弁解がましく述べたてる。
 先日(27日)に、佐藤課長に提出した文書(会長あてに「話し合い・交渉のテーブルならば出席する」という内容)は、まったく無視されている。徳見の言い分はいっさい聞かず、一方的に当局の言い分を押し通そうとしているのだ。
 その上「組合が関わるのは、従業員に不利益があるとき……」などと言って、「2年以上無収入の状態にされて、これ以上の不利益があのか」と、徳見の怒りをさそう。
 長島課長補佐は、ビデオを撮っている〈すけっと係〉に「やめなさい」と怒りの声をあげる。
 八景小の校長先生は、腹にすえかねた様子で「まるで留守番電話のテープを聞いているようで、人間性が感じられない」などと、感情的になって「捨てゼリフ」を吐く。
 徳見が「8人の権威」の前に恐れ戦(おのの)き、涙を流して、釈明でもすれば、「人間性が感じられる」とでも言うのだろうか。
 「権威・権力」を持つ8人もの人間を相手に、一人で闘うことが、どれほどの精神的な緊張感と苦痛を強いられるものか……。いつも「権威・権力」をカサにきて人を見下してきた人間には、そのような心の痛みなど分かるはずもない。
 さて「8人の権威」を踏みにじった徳見に、今度はどんな「処分」を下すおつもりでしょうか?

5月 31日(火)自主出勤第94日
 8: 00横浜市庁舎前で『自主出勤ニュース No.19』配布。
 今日もカンパ箱を足もとに置く。「気がつきませんでした」と、戻ってきてカンパをしてくださった方、また「給料前なので……」という方もあり、徳見を感動させてくれる。
 9:00学校保健課に出勤。昨日の「8人の権威」のうちの4人、管理職全員在室。腹の中はいざ知らず、表面上はまったく無視で、徳見を「見て見ぬふり」だ。
  10:30ころまで、自主勤務の後、自治労本部で『自主出勤ニュース No.19』の発送作業。 12: 00終わって、午後の自主出張に出かける。

自主出張報告 「福祉プラザ」へ、次回裁判のビラ・振替用紙など印刷。

6月 1日(水)自主出勤第95日
  午前中ホームヘルパーさん。
 2:15学校保健課に出勤。しばらくすると、佐藤課長が「打ち合せに使うから」というので、「徳見の机」を明け渡す。

補足 中華街で買物。 92年 12月の第 1回「リハ裁判」以来、 9回めの裁判が先ごろ行なわれたが、裁判のたびに、傍聴者と共に、中華街で食事をしたり、市役所などでのビラ巻きついでに中華街で買物したりしているうちに、顔見知りの中華材料店もできたりして、このところ「徳見料理」も中華風になってしまった。

 4:30ころ戻ると、「徳見の机」では、佐藤課長、長島課長補佐、それに吉川教育部長の3人が打ち合わせ中。この3人は、一昨日の「弁明の機会」を演出した行政側の中心人物だから、「さては徳見の処分の相談か!」と緊張するが、どうやら関係なさそう(こんなところで、そんな相談をするわけナイカ……)。
 5:00教育委員会ビル前で『自主出勤ニュース No.19』配布。通り過ぎる人の半分くらいは、なんらかの声をかけてくれる。それが徳見にとって、どれだけ励ましになっていることだろう!
 すでに自主出勤してから半年目にはいり、正味 100日を数えた。この『ニュース』も20号だから、ここでのビラまきも 20回目となったわけである。

6月2日(木)自主出勤第96日
 今日は「開港記念日」。横浜港開港 135周年とかで、いろいろな「お祭り騒ぎ」がおこなわれる。
 この日、横浜市の公立学校は休みで、市の職員は1週間の間に、交替で1日の「職免(職務免除)」が与えられる。
 というわけで徳見も、「自主職免」をとることにする。

補足 徳見の職場復帰「闘争」については、所属する労働組合(自治労横浜)は消極的だ。「労働者が働けなくなったら辞めるのが当然」という考えが根底にあるのだから、あとは「条件闘争」になるしかない。徳見のように「条件闘争」を拒否して、あくまで「障害者として職場復帰する」というのは、いわば組合の「方針」に反することになる。したがって、「自主出勤闘争」は、組合にとっては、徳見の個人プレーでしかない。そもそも「弁明の機会」は、組合の本部役員が当局に申し入れたものだったのである。第1回の「弁明の機会(4月 25日)」には、組合の支部役員が介助者となって、一応「立会い」はしてくれたものの、徳見がぶち壊してしまったため、以後、組織としての組合の支援は一切なくなってしまい、孤立無援の闘いを強いられることになった。
 そんな闘いの日々のささやかな休息の一日であった。

6月3日(金)自主出勤第97日
 午前中ホームヘルパーさん。
 1:00港北福祉事務所へ、生活保護費の「前借り」に行く。昨日電話したとき、平野係長が、親切に「そろそろお貸ししなければいけないころだと思っていた」と言ってくれる。
 行くと、いろいろ事務連絡やら打ち合わせがあって、1時間以上かかってしまうが、総支給額 234,110円のうち 130,000円前借りする。
 なお、支給額のうち 68,500円は一般基準の他人介助費であり、別に特別基準の他人介助費 103,050円という制度はあるが、徳見の場合は該当しないらしいが、説明はない。家賃については特別基準を適用してくれているのだが……。
 3:00学校保健課に出勤。管理職は全員留守で、平穏に自主勤務。
 4:00先ごろ開館した横浜市中央図書館へ。着いてみると、まず、車停めるところが分からずウロウロ。すけっと係が受付の女性にたずねると、「有料駐車場の中に車イス用駐車場があり、無料で停められる」というので、指示通りにする。
 車を停めてから、手近な入口から入ろうとすると、「ここは荷物の搬入口だから、表玄関へまわれ」などと言われて、またもウロウロ……。とにかく、車イスにとって非常に入りにくい。
 さて、本を借りて帰る段になって、「この駐車場は、車イスの職員専用で、利用者は有料だ」と言われる。徳見は「事前の説明と違うし表示もないのは不親切だ。また車を使わざるをえない人間が、有料駐車場で料金を払わなければ図書館が利用できないのはおかしい」と抗議をする。
 説明に出てきたサービス係長の伊東さんという女性は「係員の説明が不十分で迷惑をかけた」として、「今回は〈業務用〉として処理する」ことになったものの、「車で来た人は 健常者も有料だから、車イスの人も有料が当然」という「平等感覚」で説明していた。
 図書館は、徳見が自主出勤している教育委員会の管轄である。「健常者と同じ条件で働けない」ことを理由に、徳見の職場復帰を拒否するのと、根っ子は同じなのではないかと、改めて確認してしまう。

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