1994年5月23日(月)自主出勤第88日
 午前中ホームヘルパーさん。
 2:00学校保健課に出勤。いつもの「徳見の机(来客用テーブル)」で自主勤務。
 今日は『自主出勤ニュース』の発送作業、そして「リハ裁判」を間近に控えてその準備に追われている。デスクワークを終えて本庁へ。徳見の支援をしてくれる市会議員に『自主出勤ニュース』を届け、『ニュース』の発送をし……、あっという間に時間が経ってしまい、今日は5:30過ぎまで自主残業。
 この時間でもほとんどの職員が、帰る気配もなく勤務を継続している。「合理化」にともなう人員削減のため、労働強化となっている市職員の現実がみえる。

5月24日(火)自主出勤第89日
 8:00市役所本庁舎前で『自主出勤ニュース No.18』配布。今日も「カンパ箱」を足もとに置くが、カンパは0円。ニュース発行のための紙代ご支援をよろしく。
 ビラまき終了後、学校保健課に寄らず、そのまま自主出張。

自主出張報告 9:30鶴見大歯科。10:30ごろ終わる。13:00東京地裁。「しろまえ児童学園傷害訴訟」傍聴。終了後のミーティングにも参加。

 4:10学校保健課に戻ると、「徳見の机」では、佐藤課長が接客中。通路にて自主勤務。やがて来客が帰ると、佐藤さん「話しがある」と徳見を呼び、「前回に引き続き、徳見さんの〈弁明の機会〉を設けたので通知する」という。通知文書は前回とほとんど同じで、介助者1名、録音・ビデオもダメ、という条件だ。
 徳見は「〈弁明〉などする必要はない。すでに話はした。これ以上話を聞きたいのなら、どのような内容なのか、それを明記してほしい」と要求する。
 「話を聞きました、はいクビです、というのではなく、徳見の身体で、どのような仕事を与えるのか、それがアンタの仕事でしょう! それができないアンタは、課長としての職務怠慢だ」と、おそれ多くも学校保健会常務理事・教育委員会学校保健課長・佐藤様に向かって、「アンタ」呼ばわりをしてしまう。
 佐藤さんの口びるがヒリリと歪み、顔が赤みを帯び、思わず怒りが顔にあらわれてしまう。さすがに長島課長補佐が聞きとがめて「アンタ(とは何事か)……!?」と徳見をたしなめ、「とにかく(通知を)渡しましたからね」と、一方的に話を切り上げてしまう。
 夜、知人の太田文恵さんに会う。「以前学校保健課に電話した」という。「何も分からないらしい人」が出て(係員は「徳見あての電話に対応するな」と言われているのだ)代わった人(佐藤課長か長島課長補佐のはず)が「『徳見はいません!』と言って、すごい勢いで電話を切った」そうだ。「まるで私がいたずら電話をしたので叱られたみたい……」と太田さんはあきれていた……。
 本紙読者の皆さんも、学校保健課に電話して、「おもろうて、やがて悲しき」体験を、ぜひ徳見に語ってください。

補足 定時に退庁後、横浜市大へ。加藤彰彦(野本三吉)先生の主宰する「横浜社会臨床研究会(横浜社臨)」に出席。今日は、「地球屋」という不登校の子どもたちのフリースペースを主宰している島根三枝子さんのビデオと話をきく。40人以上の参加があり、盛会だ。太田文恵さんとは、この会で会って、学校保健課に電話した話をきいた。

5月25日(水)自主出勤第90日
 8:00リハセンター前で、『自主出勤ニュース No.18』と、明日の「リハ裁判」のビラを配布。
 9:30帰宅して、1000ホームヘルパーさん来訪。
 帰宅してから、リハセンターに、「旗」を貼ったままであることに気づく(ビラまきのときには、いつも「リハセンターは事故の責任をとれ。学校保健会は、徳見を解雇するな」と書かれている旗を入口に貼っている)。
 はがし忘れたのは、これで2度目。前回は1か月ほどたってから取りに行ったのだが、旗は無事にリハセンターの総務課に保管されていた(このあたりの顛末は「すけっと日誌」93.12.9参照)。
 というわけで、すけっと係が総務課へ取りに行く。管理職の高野部長も、原課長も留守で、係員が「徳見さんの布」と書かれた封筒を、「これですか」と持ってきた。
 リハセンターに裁判を起こしている当人の「リハセンターの責任を追求する」という旗を、きちんとしまっておいてくれるとは(しかも、2度も)、さすがに「権力を持つものは余裕がある」と、あらためて感心する。
 明日の裁判で、徳見が「意見陳述」をすることになっており、その準備に追われ、学校保健課に出勤したのは4:00。平穏に自主勤務。
 5:00教育委員会ビルで『自主出勤ニュース No.18』と「リハ裁判」のビラ配布。職場ではそしらぬ顔の職員の何人かが、激励の言葉をかけてくれる。それが徳見のがんばりを、どれだけ支えてくれていることか……。

5月26日(木)自主出勤第91日
 1050学校保健課に出勤。
 今日の「第9回・リハ裁判」の傍聴に来てくれた車イスの2人、川上和男さんと富沢清さんが、すけっと係と共にすでに到着していて、「徳見の机」で待っている。
 1115横浜地裁に向かう。「リハ裁判」第9回。被告リハセンター側の傍聴は高野常務理事(民生局部長)と若い係員の2人、原告徳見側は16人。徳見の「意見陳述」、そして森田弁護士・大塚弁護士の陳述などがあり、次回の日程(714日)を決め、20分ほどで終了。その後、裁判所の隣にある「弁護士会館」で「ミーティング(報告集会)」がおこなわれた。15:30ころ終わるが、学校保健課に戻らず。

5月27日(金)自主出勤第92日
  午前中ホームヘルパーさん。
 2:00学校保健課に出勤。2:40ころ、管理職全員お出かけ。長島課長補佐が、徳見のわきに近づいたころ、誰にいうともなく「行ってきます」というので、徳見「行ってらっしゃい」とあいさつを返す。
 佐藤課長にも「行ってらっしゃい」と言うが、例によって固い表情のまま、見向きもせずに通りすぎる。
 3:00民生局へ。先日お借りしたリハセンター関係の資料を返却に行く。今日も杉澤係長が応対してくれる。そして、図々しく、さらに資料の追加をたのむと、「分かりました。1週間くらいで取り寄せておきます」という返事。杉澤さん、重ね重ねありがとうございます。
 次に市民局公聴課へ。先日すけっと係が「市長への手紙」について、若干の資料をもらいに行ったときには、「責任者がいない」とケンもホロロの対応であった。
 今日、徳見が行くと、石井課長補佐が、徳見のことを覚えてくれた。石井さんは、徳見がリハセンターに入所していたころ、更生相談所(リハセンター内にある)に勤務していたのだ。
 用向きを説明すると、親切に話をきいてくれる。しかし仕事が立てこんでいるようなので、他日を期すことにする。
 昨日、裁判が終わり、一段落したし、学校保健課に戻っても、課長さんは仕事をくれそうにもないので、横浜公園でおこなわれている「開港記念バザー」を冷やかしに行く。
 4:30学校保健課に戻り、5:0024日(火曜日)にいただいた「弁明の機会について」の通知に対する、学校保健会会長あての返事を、佐藤課長に提出。
 その内容は「(弁明などではなく)話し合い・交渉のテーブルを設定していただけるのなら、出席します」というものだ。佐藤さん、黙って受け取る。
 毎週金曜日は「定時退庁日(ノー残業デー)」なので、徳見も5:15に退庁。しかし職員の多くは、相変わらず仕事を続けていて、退庁の気配はない。

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