1994年4月25日(月)自主出勤第72日
午前中ホームヘルパーさん。
2:00学校保健課に出勤。「徳見の机(来客用のテーブル)」で自主勤務。
今日は、4月18日に当局から出された「弁明の機会」の日だ(本紙前号参照)。
約束の3:20、会場の「教文センター410号室」には、学校保健会会長・手束和之(横浜市医師会会長)、同・副会長森田純二(学校歯科医会会長)、同・古川春二(教育部長)、同・高橋(薬剤師会会長)の各氏、をはじめ副会長3人、そして実質的に学校保健会を動かしている学校保健課の佐藤課長、長島課長補佐、金子・平間指導主事の8人。
そして、こちらは徳見と介助者(実は自治労の役員)の二人だけ。
圧倒的な数と力の差の上に、ビデオカメラはもちろんのこと、テープレコーダーの記録すら認めないという密室状況の中での「弁明の機会」だ。
会長は「徳見さん、『弁明』などと言わず、いつでも相談にいらっしゃい」と教育委員会の管理職がお膳立てした「弁明の機会」なるものを、会長自ら否定してしまった。そのうえ、「テープだ、ビデオだ、などとつまらないことをしないで、話し合いをしましょう」と穏やかにおっしゃる。
素直で正直な徳見は、「もしかしたら、この方たちなら、徳見の言うことを理解してくれて、職場復帰も前向きに検討してくれるかもしれない」と期待に胸を躍らせて、「徳見や子どもたちが、検査し―されるときの、やりやすい道具の作成を考えている」ことを、具体的に語る。
それに対しては、会長「時間がかかりすぎる」と、能率主義的に反論してくる。しかし、1日に何百人もの子どもたちを対象に、単に歯の汚れの程度を評価し、Aだ、Bだと判定するだけの業務に、いったい何ほどの意味があるのだろうか。
検査は、一人ひとりの子どもたちの状態に合わせた「歯みがき指導」をしながら行なうことが大事なのではないか。当局が、単に口の中の「きれいさ」を、A・B・Cなどとランクづけすることで、よしとしていることに、歯科衛生士全員が葛藤し、ギリギリの時間の中で、せいいっぱい指導しようとしている現実をみようともしないのだ。
森田副会長は「徳見さんがよくなると思って、7人の歯科衛生士は、がんばってきたが、どんどん悪くなる。このままでは7人に迷惑がかかるばかり……」といって、徳見の休職期間中も、そして「欠勤」を強いている今も、徳見の代替を補充せず、他の歯科衛生士に労働強化をさせてきたことを、まるで徳見が悪いことをしているように非難するのだ……。
結局ここでも、「徳見の職場復帰にむけて、前向きに検討する」姿勢はまったく見られない。
何のための「弁明の機会」なのか?
4月26日(火)自主出勤第73日
8:00横浜市庁舎前で『自主出勤ニュース No.15』配布。
9:00学校保健課に出勤。9:30徳見の「リハ裁判(第9回裁判・5月26日)」弁護団会議のため、自主出張。
4月27日(水)自主出勤第74日
午前中ホームヘルパーさん。2:00学校保健課に出勤。2:30自主出張。
自主出張報告 3:30東京地裁へ。「娘の自殺が、学校でのいじめにあるのではないか」との疑惑を持った町田市「つくし野中」の前田さん父母に対して、学校や教育委員会は、うそやごまかしで、資料の提出を拒み、事実を隠し続けてきた。そのため、生徒たちの作文の開示を求めて提訴した裁判」の傍聴。
4月28日(木)自主出勤第75日
午前・午後ずっと自主出張。
自主出張報告 午前中「自宅勤務」。14:00鶴見大学歯学部附属病院。歯科衛生士として「きれいな歯」を保ち続けてきた徳見も、リハセンターでの事故や裁判、復職をめぐる当局との「闘い」などで、ストレス続きの日々の中で、「かみしめ」のために歯の痛みが出てしまった。鶴見の帰りに、川崎の知人方へ寄る。
4:10学校保健課に出勤。「徳見の机」は、久しぶりに登場した阿部・前指導主事が平間・指導主事と共に、事務引き継ぎのため使用中。
退職以来、時々学校保健課で阿部さんの姿を見かけたけれど、「仕事」をしているのを見るのは初めてだ。在職中より元気そうなのは、「徳見問題」から解放されたためだろう!
5:00教育委員会ビルで『自主出勤ニユース No.15』配布。今日初めて、配布場所を変えて、いままで、介助者・支援者(以下スケット係という)が配っていた場所と交替すると、初めて徳見から『ニュース』を受け取った人が「この人が自主出勤の人ですか」と、連れの人に話している。
スケット係の話では、佐藤課長がはいってきたので、『ニュース』を渡したところ、「また、いろいろ書いたのか?」と、苦笑いをしながら言い、エレベータを待つ間、眺めていたが、乗る直前、スケット係に「また、いろいろ書いたな!」と、うれしそうに(?)声をかけたという。佐藤さん、徳見にとっては「生きるか死ぬか」の、切羽詰まった問題なのです。喜んでばかりいては困ります!?
5月1日(日)メーデー
「かながわ中央メーデー」にスケット係3名と共に参加。
会場でのビラまきに続き、昼ごろ1時間半ほど、「職場復帰に向けての要望書」の署名活動。多くの人たちの「がんばって……」という励ましの言葉と共に、154名の方々の署名をいただいた。
5月2日(月)自主出勤第76日
午前中ホームヘルパーさん。終わって、すぐ近くの「菊池整形外科」へ。「九段坂病院」への紹介状をいただく。
1:40学校保健課に出勤。「徳見の机」は佐藤課長・箭内給食係長が、来客の接待中。とりあえず自治労各支部への『自主出勤ニュース No.15』の印刷・発送作業に出かける。1時間余り後に戻ると、管理職は全員留守。「徳見の机」で自主勤務。しばらくすると、長島課長補佐が、何やら重たい荷物を抱えてはいって来る。「こんな重い物を運んだのは久しぶり……」「下から連絡くれれば行ったのに……」と、若い職員。上司と部下の和気合い合いのやりとり。
着替えに、徳見の近くのロッカーに来た長島さんに「お帰りなさい」と声をかけると、にっこりとほほええんで、あいさつを返してくれる。先日の佐藤さんといい、今日の長島さんといい、「弁明の機会」に徳見が「弁明」して以来、対応が以前とは違って、とても温かい(ようにみえる)。きっと、徳見の立場を理解していただいて、職場復帰を前向きに検討してくれているのだ、と期待を抱いてもよいのかもしれない!
これまでの前任者同様「職場復帰を認めない」ことを前提に、佐藤さんも長島さんも動いてきた。しかし、その前提自体に根拠がないことに、きっと気づいてくれたにちがいない!
(連休のため、自主出勤休み)
5月6日(金)自主出勤第77日
午前中、自主出張。
自主出張報告 89年1月に「頚椎症性脊髄症」で手術を受けたときに「何年後かに再手術が必要になる」と言われていた。2年後の91年2月、横浜リハセンターで、リハビリ中に事故にあい車イス生活者となった(それをめぐって裁判中)。職場復帰に備えて、頸椎の再手術が必要かどうか、調べてもらうために、9:00東京・靖国神社近くにある「九段坂病院」へ。担当になった若い北原医師は「手術が必要かどうかの見極めを……」という徳見の要望を受け入れてくれて、とりあえずレントゲン撮影。MRIは15日に小岩の病院で撮るように手配してくれる。11:00ころ終了し、新宿で買物して12:30ごろ帰宅。
午後出勤前に、生保(生活保護)の申請手続きに行く。担当の小泉さんが緑区へ異動して、田嶋さんに代わっていて、また最初から説明を要求される。
リハセンターの入所手続きのときにとった徳見のデータをみればすむことなのに、「係が違うから」といって、またしても様々な情報取集。さらには、預金通帳4冊の残高確認のみならず、記載部分の全部をコピーしたいという。それを窓口・担当・係長・課長・福祉事務所長がみるという。拒否!
それやこれやで5時近くになってしまう。あげくの果てに「(生保の)申請をしますか」ときた! こっちははじめからそのつもりできたのに……。それから5種類ほどの書類を書き、終わったのが5時半をまわってしまい、結局、自主出勤できず。
これで手続きが終わって、「生活保護権」を獲得し、生活保護費が支給されるわけではない。後日「地区担当員」というのが自宅にきて、「調査」をするというのだ。
このうえ、いったい、どのような「情報取集」をしようというのだろうか。
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