1994年3月 28日(月)自主出勤第58日
  午前中ホームヘルパーさん。
 1: 00学校保健課に出勤。『自主出勤ニュース No.12』の版下仕上げ、2: 00印刷に出かける。
 3:00退庁し、当局が要求する「主治医の診断書」をもらいに行く。「3月 31日午後4時まで」と、期限を切っての「依頼」だ(しかし、出さなかった場合、どうするつもりなのだろうか)。
 当局の要求する「歯科衛生士として勤務が可能かどうか」については、「移動・通勤に、車イスその他補助があれば勤務は可能」との診断書をいただく。
 当局は「車イスや補助具・自助具などの使用を認めない」というのだから、もし、この診断書でクビにするくらいなら、もうとっくにクビにしているはず。この診断書は、何のために出すものやら……!?

3月29日(火)自主出勤第59日
 8: 00市役所本庁舎前で『自主出勤ニュース No.12』配布。
 いつも旗をはっている庁舎の壁にベニヤ板が張られている。その上に旗をはると、守衛さんが出てきて、「はがしてほしい」という。気の弱い徳見は「圧力」に屈して旗をはがして足もとに並べる。
 8: 45自主出張のため、学校保健課に顔を出さず退庁。今日もまた、帰宅は夜の 10 時をまわってしまった。障害者は多忙だ。


3月30日(水)自主出勤第60日
 午前中、弁護団会議。次回「リハ裁判」 第8回(4月7日・13時・横浜地裁) に向けての打ち合わせ。
 終了後、自治労の役員に、明日の「診断書提出」の件について相談する。「その診 断書をもってクビにすることは、まずない だろう」という。
 2:00学校保健課に出勤。机に座ると、 すぐに長島係長が、「会議ですから」といってくる。机をあけて『自主出勤ニュース No.12』の印刷・発送作業に出かける。
 5:00ピチギャルのミーちゃん、猫の里親・上坂さん、学校事務職のTさんなども 来て総勢5人、教育委員会ビル前で『自主 出勤ニュース』配布。

3月31日(木)自主出勤第61日
 午前中リハビリ。
  「徳見が歯科衛生士として勤務が可能か どうか」の診断書提出の期限は今日の4時 だ。もしかしたら、いよいよ「解雇通告」 かもしれない。もし「解雇」が出されたな らば……と、前夜から緊張のあまり、食事 もノドを通らず、秘策を胸に、勇んで職場 へ向かう(ナンカヘンナ文章ダ?)。
 2:30学校保健課に出勤。「徳見の机」 の上は花束の山。早々と徳見の「解雇」を 祝ってくれているのか、と一瞬誤解をして しまったり……するはずはないが、今日は 年度末で、誰かが退職する日なのだから、 そのための花束なのだろう。
 そのせいか、室内はなんとなくワサワサして、職員の皆さんはあまり仕事が手につかない感じだ。管理職は、佐藤課長・長島係長・阿部指導主事の3人トリオがおらず、金子指導主事だけが、机の前で孤独だ。
 しばらく自主勤務してから秘書課へ。徳見の「職場復帰を求める要望書」の署名を各方面へお願いしていて、それが少しずつ集まってきている。今日はその第一段階を市長あてに提出するつもりだ。
 久しぶりに、「徳見係」の内田係長・茂木係長に会い、「要望書」を手渡す。
 3: 00学校保健課に戻ると、佐藤課長さん在室。3: 30ころ、阿部さんが和服姿もあでやかに、長島さんを引き連れて登場。「阿部さんが退職する」というウワサは、どうやら本当だったらしい。何はともあれさびしい限りだ。
 そして、 10分ほどして、阿部さんは花束を抱えて、いずこへかと去って行く……。
 3: 45「要望書」を提出するため、佐藤課長の方へ行きかけると、佐藤さん、席を立って「徳見の机」までやって来る。
 課長が「徳見の机」に座ると、間髪をいれずに、長島係長・金子指導主事がメモ用紙を手に、相ついで到着。課長の両脇に陣取る。相変わらず見事な連携プレーで、もしかしたら「徳見が診断書を提出する」という情報が、どこからか漏れたのだろうか、とさえ思われるほどだ。
 徳見が「診断書」ではなく「要望書」を提示すると、課長・係長、「ん?」という感じで、しらけきってしまう。
 いよいよ4: 00直前になったので、「診 断書」を取り出し、徳見「当局が要求する 『歯科衛生士として勤務できるかどうか』ではなく、あくまでも『職場復帰した場合の職務内容の検討のための』診断書だ」ということを強調し、手渡す。そして、前回佐藤課長の「補助具等を認めない」という発言をめぐって若干のやり取り。
 その話の中で、前回提出した「内科的診断書」について、長島さんが、「あなたのチラシ(『自主出勤ニュース』のこと?)に書いてあるが、分かっていてあんなものを出すなんて、あげ足とりだ」と怒る。
 つまり、当局の要求する診断書が「整形外科的な診断書」であることを知っていて「内科的に勤務にはさしつかえない」という診断書を出したことについて、「おちょくられた」と勝手に怒っているのだ。
 支援にかけつけてくれた中区役所のケースワーカー・根本さん(彼も本日付けで退職。イイ人がどんどん辞めてしまう……)は、それを聞いて「圧倒的な権力をもっている相手に対する防衛で、当然の権利だ」という。そう、一人の人間にできる、権力へのささやかな抵抗の手段なのだ。これからも、もっともっと闘わなくちゃ――障害 者が選別・抹殺されないように!
やはり徳見のことを心配して来てくれた
学校事務職のIさんは、当局の徳見に対する対応の傲岸(ごうがん)さに、「横浜市教育委員会の対応は、他とは違う」とあきれている。
 4: 20ごろ当局は「学校保健会で検討する」といって、徳見の質問には答えず、一方的に話を打ち切って引き上げてしまう。
 そして、しばらくすると、市会議員の木内さんが、忙しい中を応援にかけつけてくれる。「解雇通告はなかった」旨報告し、今 後の対策などを相談する。

4月1日(金)自主出勤第62日
 午前中ホームヘルパーさん。
 1:00学校保健課に出勤。阿部指導主事の代わりに平間指導主事が着任。
 年度始めで、教育委員会内部は異動・着任のあいさつや、外部からのあいさつの人が入れ代わり立ち代わり……。
 誰も徳見のことなどかまっているヒマはなさそう。
 おかげで、久しぶりにのんびりと、午後いっぱい自主勤務ができた。
 そして何事もなく、4: 00退庁。

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