1994年3月22日(火) 自主出勤第54日
 8:00横浜市庁舎前で『自主出勤ニュース No.11』配布。昨日の休日、休みを返上して印刷。今日は、自治労本部の定例のビラまきに加えて、市立盲・ろう学校の先生方も、待遇改善を求めてビラまきをしている。
 9:00学校保健課に出勤。管理職は全員在室。「徳見の机(来客用テーブル)」で自主勤務につき、1030『自主出勤ニュース No.11』増刷のため出かける。1130ころ戻り、残った作業をおえて、1200昼休み。
 2:00すぎ学校保健課に戻る。10分ほどすると、管理職の4人がやってきて、「3月17日の件(学校保健会の3役が、徳見の話をきいてあげるという)を徳見さんが拒否した」ので、役員会の決定として「診断書の提出を依頼したい」という文書を持ってくる。
 それには、2月23日に徳見が提出した「内科的診断書」では「歯科衛生士として勤務が可能かどうかについての判断ができない」ので、「整形外科医による診断」により「勤務が可能かどうかの診断書」を3月31日までに提出せよ、という。わずか9日間でそのような診断書を書いてもらうことなど、実際には不可能だ。出さない(出せない)場合、「17日の件で、弁明の機会を与えたのに拒否し、診断書も提出しない」ことを理由に「解雇」しようとするつもりか?
 「歯科衛生士として勤務が可能」という条件の中に、「車イス・補助具・自助具などを使うことは考えていない」と佐藤課長。それらなしで徳見が働けないことは、医師の診断書が無くたって明らかだ。一貫して徳見の「(職場復帰を認めないという)結論は変わらない」ままでの「診断書の提出」は、「クビにするための条件整備」でしかない。
 ――というようなやり取りの最中に、NHK横浜の記者が取材に来る。彼女は2〜3度、学校保健課に電話をしたらしいが、取り次いでくれなかったという。「悪戦苦闘をしているのではないか、と思った」という。
 4:00ころ記者が帰る。今日の当局の「依頼」に対する「回答」を書くため、少し早いが退庁。

3月23日(水) 自主出勤第55日
 午前中ホームヘルパーさん。
 1:00学校保健課に出勤。「徳見の机」は、金子指導主事が使用中。徳見及び介助者・支援者など3人は、机の脇に座り、あいているイスに座って自主勤務。2:00知人来訪。来る前に学校保健課に電話をしたら「そういう人はいません。歯科衛生士は教文センターです」というので、教文センターへ。そこでは「徳見さんは学校保健課です」と言われたとか。
 5:00教育委員会ビル前での『自主出勤ニュース No.11』ビラまきのため退庁するまで、金子さんはずっとそのまま仕事を続け、徳見も近くで自主勤務。途中「先生、お疲れさま……」と金子さんに声をかけると、破顔一笑して「期限が迫っているので……」と答える。管理職にいつも冷たく無視されている徳見にとって、この金子さんの対応は、天にものぼる喜びであった! 金子先生、ありがとう。
 ビラまきのときには、某中学校の事務職という男性が、受け取った『ニュース』を読んで、わざわざ駅から引き返してくる。「自分も同じ立場だったら自主出勤します」と言い、缶コーヒーの差し入れ。涙もろい徳見のメガネが、また曇ってしまった。

3月24日(木) 自主出勤第56日
 午前中、病院でリハビリ。
 2:15学校保健課に出勤。徳見の机につく。
 3:00ごろ、阿部指導主事が「チャチャチャ」のリズムで(それも徳見の机の前だけで)歌いながら、そばを通り抜けて行く。
 阿部先生、どうしてそんなにはしゃいでいらっしゃるのでしょう? 3月31日で、うるさい徳見と縁が切れると思っているのかもしれませんね!
 というわけで、平穏に4:30退庁。

3月25日(金) 自主出勤第57日
 午前中ホームヘルパーさん。
 出勤前に、一昨日当局から「診断書提出の依頼」に対する「お願い」を作成。
 1:45学校保健課に出勤。「徳見の机」で自主勤務。2:40佐藤課長・長島係長が来て、「このような内容(診断書を、職場復帰した場合の仕事内容の検討に使う)の確認書は出せない」と、切り向上で言う。「どうして」との問いにも「答える必要はない」と冷たく言い放ち、席を立とうとするので、徳見、急いで「診断書提出依頼に対するお願い」を渡す。
 ざっと目を通した課長、「要するに診断書は出せないということか」「職場復帰に対する検討の資料としてなら出します」など、課長と徳見のやりとり。長島さんが「とにかく、その書類を受け取って(引き上げましょう)……」と横から口をはさみ、徳見の話を途中でさえぎって、二人、足音も荒く引き上げてゆく。あぜんとして見送る徳見……。「これが当局のやり方なんだ」と、力なくつぶやく……。
 職場復帰に向けて検討しようとせず、クビを切るためのセレモニーだけなのだ。
 3:45退庁して、港北福祉事務所へ。これまで貯金と借金(職場復帰したら返すつもりだ)で食いつないできたが、いよいよそれも尽きてしまい、市長サンの言葉に従い、「生活保護の相談」に行く。
 応対の職員は「徳見さんのことは、ビラを見たこともあり、知っている」と言い、「徳見がなぜ生活保護を受けなければならなくなったか」という事情は、先刻ご承知のようで、きわめて親切・丁重。「申請すれば2週間以内に調査にうかがい、決定する」そうだが、問題なく受給が決まりそうな雰囲気である。
 説明書には、「生活保護を受ける権利」と共に、「働ける人は、能力に応じて働く」ことが、義務とされている。徳見に対して「働く権利」を奪いながら、「働く義務」を押しつける……大いなる矛盾!

 こんにちは、お元気ですか。先週は、一緒に自主出勤にお供させていただき、とても勉強になりました。学校保健課の管理職の皆さまは、本当に冷たい。びっくりしました。でも、一日も欠かさず毎日自主出勤している康子さんを見て、立派だなぁと思いました。康子さんが管理職になったら、居心地のよい職場になると思いますよ! 
 車イスを押したり、ビラ配りをしたり、東京の方の集まりにも連れていってもらったりして、とても楽しかったでーす。
 毎日々々、自主出勤や裁判・その他いろいろな活動で大変忙しそうですが、身体をこわさぬよう、気をつけてください。そして、暖かくなってヒマができたら、ぜひ、遊びにきてください。お待ちしています。(チサト)

 

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