1994年3月14日(月) 自主出勤第49日
 午前中ホームヘルパーさん。
 『自主出勤ニュース No.10』版下づくりで、出勤が遅れて2:20学校保健課に出勤。なんと、「徳見の机(来客用テーブル)」は、誰も使用していない。管理職は、指導主事の阿部さん・金子さんが留守。久しぶりに、机の前で自主勤務。
 しばらくすると、佐藤課長・長島係長がやってきて「3月17日(木)3:10から30分ほど(忙しい方々だから、延びても、40分くらいが限度)、教文センターの 505号室で、徳見さんの話を聞く。出席は学校保健会会長・手束和之(横浜市医師会会長)、副会長・森田純二(学校歯科医会長)、副会長・古川春二(教育部長)、副会長・高橋(薬剤師会)に、理事として、佐藤課長・長島係長が同席する」という。そして、条件は「徳見さんと介助者一人だけ。組合の立会いもだめ、テープやビデオをとったりしないこと」という。
 「これは、あくまでも事務的な話だから……」と強調する。「事務的な話なら、ここでもいいのではないか」という徳見の質問には、「いや、そういうものではない……」などと言うだけ。
 学校保健会の「三役・5人」がうちそろって、密室のなかで「事務的に」「徳見さんの話を聞きたい」という、そのコンタンは何か?
 久しぶりに机があいていたのは、その申し入れのためだったのかもしれない。
 課長との話が終わると、『自主出勤ニュース No.10』印刷のため、すぐに学校保健課を退出。作業終了後5:00学校保健課に戻り、荷物を持って退庁。

3月15日(火)自主出勤第50日
 8:00区役所本庁舎前で『自主出勤ニュース No.10』配布。ビラまき後、昨日の学校保健会からの「申し入れ」の返事を書くために、静かなところに移動。
 2:10学校保健課に出勤。「徳見の机」では来客2名。長島係長の阿部指導主事の二人が接客中。20分ほどで来客は帰り、机は徳見の手に戻る。しばらく久しぶりのデスクワークを楽しむ。
 作成した「お願い」の文章を自治労の支部委員や本部委員の担当者に見てもらい、「とりあえずこれで行きましょう」ということになる。
 さて、徳見、課長の顔色をうかがいながら、チャンスを見て、おそるおそる課長の机に近づき「お願い」を提出。その「お願い」には、「職場復帰を前向きに検討すること。密室での話し合いはしない」と書かれている。課長「エ? 昨日の返事?」と言いつつ受け取る。
 文章を読んだ課長が怒りに顔を真っ赤にして怒りだし、徳見に当たり散らす……のが怖いため、渡すとすぐ「本庁へ……」とか言って、学校保健課を出てしまう。
 用を済ませておそるおそる戻ると、徳見の机はあいたまま。課長・係長もいつもの通りの勤務をつづけていて、徳見に対して「怒り心頭に発する」ような気配は全くない。管理職の皆さんの心の広さに感謝しつつ、引き続きデスクワークにつく。
 そのまま5:00退庁。

3月16日(水)自主出勤第51日
 午前中ホームヘルパーさん。
 2:20学校保健課に出勤。課内はなんとなく閑散としている。徳見の机も誰も使っていない。机に座ってよく見ると、管理職は指導主事の金子さんだけ……と思ったら、係長の長島さんが書類を手に、せかせかとはいってくる。こちらはのんびり自主勤務をする。
 やがて、3:35ころ課長が戻ってきて長島係長と一言二言しゃべり、すぐになにやら書類を持って出る。とても忙しそう……。
 そのうち、課長が戻り、係長がでかけ、徳見が出かけ、戻り……徳見の自主勤務はこうして、何事もなく進み、5:00の定例ビラまきとなる。
 今日は、神学労のAさんなど4人ほどのスケットがあり、用意したビラ(『自主出勤ニュース No.10』)が足りなくなってしまう。

3月17日(木)自主出勤第52日
 組合の役員から連絡があり、今日の「徳見さんの話をきく会」は、「(徳見の申し入れについて)学校保健会で検討していないので中止」と課長が言ったとのこと。
 1:30学校保健課に出勤。「話をきく会」は、学校保健会の理事会のついでにやるのだろうから、課長・係長はいないはず……と思っていたが、予想に反して、管理職全員在室。「徳見の机」では、長島係長・阿部指導主事が来客2人と話し中。15分ほどで、お客さんは帰り、後は阿部さんが一人、徳見の机で執務を続ける。2:00ころ課長が一人で出かける。
 「中止」という正式の連絡がないので、3:00ころ、「教文センター 505号室」に出かける。会場には「学校保健会会議」とある。 100人ほどもはいれそうな大きな会議室に、教育委員会の職員(指導主事など)が2、3人、人待ち顔で出たりはいったりしている。
 約束の3時10分になっても、学校保健会の3役は現れず……。やむなく徳見はトボトボと重い足(あっ、車イスだった!)を引きずり(?!)、学校保健課へ引き上げる。一方的に指定し、本人には直接知らせもせずに一方的に中止する(目の前に本人がいるのにネ!)。
 行政・権力にとって障害者・徳見など屁(へ)みたいなものなのだろう、と悲しく辛く、暗い気持ちなってしまう。もはや2度と立ち上がれないほど打ちのめされて(ホントー?)学校保健課に戻ると、管理職は誰もいない(すれちがいで保健会会議へ行ったのかもしれない?)。
 徳見の机はあいているが、怒りと絶望で座る気も失せ、悄然としてそのまま退庁する(ウソ、ウソ。徳見は元気に、会議のため、夜の東京へ向かったのでした!)。
 ちなみに、帰宅したのは夜中の1:30。障害者・徳見に、こんなハードなスケジュールを強制する社会って、何なのでしょうか?!

3月18日(金)自主出勤第53日
 午前中ホームヘルパーさん。
 1:00学校保健課に出勤。「徳見の机」は、給食係員が使用中。例によって、近くの「通路」で自主勤務。
 そのうち、介助者・支援者が、さりげなくあいているイスに座ってしまう。長島係長は、金子指導主事と話をしながらも、こちらをチラチラ見て、憮然たる表情(もっとも、その顔つきは、金子さんとの話のためで、徳見のせいではないのかもしれませんが……)。
 3:00ごろ所用で自治労本部へ。4:00ごろ戻ると、徳見の机には事務用小物が少し放置されているだけ。10分ほど、机で自主勤務につくが、リハビリため退庁してプールへ向かう。

自主出勤目次   次号へ     目次

17日 会議 東京・駒込にある「こもん軒」でおこなわれている「脳死・臓器移植に反対する市民会議」世話人会。くわしくは、「脳死・臓器移植」のページ