1994年1月17日(月) 自主出勤第10日
 午前中、ホームへルパーさん来訪。
 午後1時、出勤。ただし、教育委員会へは行かず、直接自治労へ。自主出勤閏争の今後の方針などについて打ち合わせる。
 その中で、自治労に対して、総務局から「庁舎管理上間題があるので、徳見に秘書課へ行かれては困る」という電話があったという。予想通り(?)組合を通して、徳見に圧力をかけようという動きが出てきた(分断工作、そして弾圧の先兵になることを拒否してくれている自治労に感謝)。
 それにしても、ひとりの障害者が、秘書課へ「市長に会わせてほしい」と言いに行くことが、どうして「庁舎管理上の問題」になるのか、不思議な話だ。
 14:20学校保健課へ出勤。いつもの「徳見のテーブル」は、係長らが使用中。徳見は近くで自主勤務にはいる。
 15:30徳見の「リハセンター責任追求裁判(リハ裁判)」の弁護団会議のため、阪東橋の神奈川総合法律事務所へ移動。次回第7回裁判対策を検討(2月3日、13:00横浜地裁です。多数の傍聴をお願いします)。17:30会議終了後、そのまま帰宅。

1月18日(火) 自主出勤第11日
 8:00、本庁舎前で『自主出勤闘争ニュース・第2号』配布。
 9:00、学校保健課へ出勤。「徳見のテーブル]について30分ほどたったころ、課長がやってきて「打ち合せで使うから……」と、例によってこわい顔で言う。
 テーブルをあけ渡すと、佐藤課長・長島係長・阿部指導主事の3人が座る。立っている介助者のために、徳見が「イスを貸していただけませんか」とオソルオソル課長にお伺いをたてると、「まだひとり来るから(貸せない)……」と、つれない返事。イスは4脚も余っているのに……!
  (前任の渡辺課長から、口頭で)「欠勤の辞令」をいただいて、「仕事を免除してくれている」ので(これは職免扱いにならないのかな?)「仕事をさせてほしい」と自主出勤しているのだから、イスぐらい貸してくれてもよさそうですがねぇ……。
 午後、『自主出勤闘争二ユース』を増刷して、15:50学校保健課の「徳見のテーブル」に戻る。10分ほどすると、給食係の係長が来て「会議に使うから……」という。
 徳見と介助者は、午前中と同様、ロッカー前の通路で自主作業。
 17:00近く、阿部指導主事の声「おじょうちゃん、帰ったんだ!」。どっこい、徳見は阿部さんからは見えないけれど、ロッカーのかげに追いやられて、まだいるのです。「え? 中年の徳見おばさんが、おじょうちゃん?」。どうやら障害者は一人前の人間ではないようです。職場復帰を認めてくれない本当の理由は、この辺にあるのかもしれませんね!
 17:00退庁。

1月19日(水) 自主出勤第12日
 午前中、ホームヘルパーさん来訪。
 12:55学校保健課に出勤。1時すぎ、指導主事の阿部さん、入ってくるなり、「さあ、打合わせしよう!」と大きな声。徳見は「今日もテーブルを使わせないようにするつもりか」とドキッとし、不安のあまり、白髪が2〜3本ふえてしまう(徳見が「白髪三千丈」になるのは時間の問題だ)。
 しかし、阿部さんは長島係長の席でなにやら話をしていて,こちらに来る気配はない。とりあえずひと安心。
 1:30、本庁舎地下の自治労へ。『自主出勤ニュース』を、希望の支部に送る作業をする。
 終わって、2階の秘書課へ。内田さんはいつもの調子だが、茂木さんはひどく疲れた様子で、のろのろと出てくる(徳見のために心労が重なっているのだろう。発病したら,業務上病患認定闘争支援をしなければ……)。
 開口一番、徳見「自治労のほうへ『徳見が来るのは.庁舎管理上困る』というような電話があったというが……」というと、「秘書課としては、同じ局だから、徳見さんのことは総務課とも話をしているが、お客さんに『来るな』とは言っていない」という。総務課の「政治的な判断]なのか。
 いずれにせよ、「たかが徳見」のことで、何をそんなに皆さんピリピリなさるのでしょうか?
 3:30ころ、学校保健課に戻る。「徳見のテーブル」は、指導主事の阿部さんが、どこやらの学校の人と話をしている。20分ほどして終わり、以後退庁時間まで、1時間ほど平穏な時を過ごす。
 5時退庁して、『自主出勤ニュースNo.2』を教育委員会ビル前で配布する。いつものことながら、ビラ配りは楽しい。受け取る人が「がんばって!」と声をかけてくれたり、 「実はネ、誰々がネ……」と情報を提供して(?)くれたり、『ニュース』に載っている誰やらの似顔絵を見て、「よく似ている!」といって、楽しんでくれたり……。

1月20日(木) 自主出勤第13日
 午前中、自主出張(そもそも徳見の職場は、出張ばかりのところなのです)。
 午後1:15ころ出勤。いつもの「徳見のテーブル」に座る。
 係長がそばを通りかかったので、あいさつをするが、無視される。児童・生徒へも「あいさつされたら、シカトしなさい」と「指導」しているのだろうか。
 それに比べると、一般職員のほうは、こちらが声をかけると、ニコニコして返事をしてくれたり、話をしてくれる。皆さま、ありがとうございます(あっ、こんなことを書くと、管理職の締めつけがさらに厳しくなってしまう!)。
 途中、トイレや郵便局などに行って、出たり入ったりの自主勤務(トイレで介助してくれた方、ありがとうございました)。
 15:20病院のリハビリへ行くため退庁。秘書課へは時間がなくて顔を出さず。

1月21日(金) 自主出勤第14日(自主年休)
 午前中、ホームヘルパーさん。
 午後、診断書をいただくために病院へ。1月4日に当局側から「徳見さんの身体の状態が分かる診断書を出してほしい。その上で(職場復帰問題について)検討する」という申し入れがあった。さらに14日には 「診断書はいつ出すのか」という催促があった。
 しかし、当局の「(職場復帰を認めないという)結論は変わらない」という状況の中では、 「クビにするための診断書」でしかない。そんなものを出すわけにはいかないので、提出をためらっていたのだが、課長のけんまくに恐れをなした徳見は、「やっぱり出さなくては……」と弱気になってしまった。そして、今日病院へ行くことにしたのだ。
 ――というわけで、今日は、自主出勤してから初めて、出勤できず、「自主年休」をとらせていただいた。
 学校保健課の管理職や秘書課の皆さん、徳見が来なくて、喜んだり、寂しがったり、ホッとしたりしている……かなぁ!

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自主出勤・自主出張・自主年休……

  当時、徳見は新横浜に住んでいた。就職してから、そして、一人娘の子育ても、ずっとその地でおこなってきた。
 リハセンターでの転倒事故後、日常生活で車椅子が必要になってからは、市の「ホームヘルパー派遣事業」を利用することにした。具体的には、月・水・金の朝9時半から12時半までは、必ず本人(利用者・徳見)がいなければいけないのである。
 そのため、月・水・金の3日は、午後からの「出勤」となる。また、その日の8時から9時まで「朝ビラ」をした場合は、急いで帰宅して、ホームヘルパーさんを迎えることになる。市役所から新横浜の徳見家までは、車で約25分なので、ちょうど間に合うのである。
 「自主出張」はいろいろである。例えば、このころ、ガイドヘルパーを頼んで、汐田病院へリハビリに行くこともあった。1月21日の「自主年休」は、午前中ホームヘルパー来訪。午後、歯の「かみしめ」治療のために鶴見大学の歯科病院へ行き、その帰りに、妙蓮寺の「村市医院」へ、当局に提出するための「診断書」を書いてもらいに行った。
 体調の維持のために、プールへ行くのも欠かすことができない。介助者の都合のため週に1回程度しか行けないのだが……。
 土・日は、いろんな集会や会議などに参加することも多く、「障害者って、どうしてこんなに忙しいんだろう……?!」と、ついグチが出てしまう。