1994年1月10日(月) 自主出勤第5日
8:30出勤すると、長島係長が一人で、すでに机に向かっている。徳見があいさつすると「おはよう」と返事をする。ただちに学校保健課の「来客用のテーブル」に座り、自主作業。
9時を過ぎたころ、長島さんがつかつかとやってきて、こわい顔で、「仕事のじゃまだから、退席せよ」。徳見「じゃましていません」。長島さん「とにかく伝えましたから」と、言い捨てて引き上げる。
今日は、ホームヘルパーさんが来る日なので、すぐに引き上げて自宅に戻り、家事サービスを受ける。
ヘルパーさんが帰った後、「青い芝の会」の小山正義さんと共に登庁して、市役所本庁舎・秘書課へ。「2年近くも、職場復帰を認めず、収入の道を絶たれていて生活ができない。この状態を市長に訴えたい」と申し入れる。内田・茂木両係長は、「学校保健会と交渉中なのだから、市長に取り次ぐ段階ではない」「生活のことは民生局に……」などと、前回までと同じことをくり返す。
学校保健会当局は、今まで、徳見の側から申し入れない限り、1度も話し合いの機会を設定したことはなく、1月4日の保健課長からの申し入れも、徳見の自主出勤という強硬手段があったからなのだ。
内田さんが、「保健会側も、話し合いを申し入れている」と言うにいたっては、小山さんも思わず声を荒げて、「障害者が強硬手段をとらないと、何もしないのか!」と抗議をする。1時間近く話しをするが、平行線のまま、「あとは、あした」と引き上げる。
1月11日(火) 自主出勤第6日
8:00本庁舎前で、自治労のビラまきに合流。『自主出勤ニュース
No.1』配布。
9:00学校保健課へ出勤すると、佐藤課長・阿部指導主事・金子指導主事の3人がつかつかとやってきて、課長「秘書課へ行って市長に合わせろと要求しているようだが、市長は関係ないから、やめるように」と「忠告」してくれる。
「雇用問題で市長に会わせろ、というのはスジがちがう」と言いたいらしいが、徳見は「ひとりの障害者として、実情を訴えたいだけ……」と答える。すごい剣幕で、こわいほど。となりに支援者がビデオカメラをかまえているので心強いが、一人だったら何をされるか、と心配になる。ともかく、課長さんが、徳見にこんな要求をするのはスジが違うはずだ。だいぶ秘書課に怒られたか?
午後、自治労の「座り込み」に参加。終了後16:30
、秘書課へ。「来た!」という感じで、すぐに係長の茂木さんが徳見の前に。「今日のビラに、昨日の私が威圧的だと書いてあったが……」という。何を勘違いしたのか、ビラにはそんなこと書いていない。
とにかく、「朝、学校保健課の佐藤課長が、なぜ徳見にあんなスジ違いの文句を言ったのか。秘書課が佐藤課長を叱ったのか」ときくと、内田さん「今朝、こんなビラ(『自主出勤ニュース』のこと)がある。見たかと、学校保健課長に電話をしただけ」だそうだ。課長の怒りようの説明にはなっていないが、とにかく「秘書課でも民生局でも、みんな(『ニュース』を)見ていた」というから、つくる方としては、ともうれしい話で、力もはいろうというものだ。
秘書課から帰りがけに、佐藤課長とすれ違い、あいさつを交わしたので、そのまま退庁。
1月12日(水) 自主出勤第7日
ホームヘルパーさんが来る日なので、午前中家事サービスを受ける。13:00出勤。今日は、課長さんも、係長さんも何も言いに来ない。何事も起こらず、森田弁護士の言う「空気みたいな存在」に、もはやなったのか、とさえ思われるほどだ。
16:00秘書課へ。徳見「おかげさまで、課長さんも何もおっしゃらず、今日は平穏に過ごしました」と、まずはお礼を言う。そして、あらためて「市長との会見」を申し入れる。内田さん「2か月先まで、秒刻みのスケジュールが入っていて無理……」。徳見「べつに急がないから……」というと渋い顔で答えず。今日はこの程度で切り上げる。
帰りに「市民情報センター」へ。徳見は横浜リハセンターに入所するにあたって、福祉事務所や更生相談所などで、ぼう大な個人情報とられており、裁判提訴時に、2度にわけて、個人情報の開示請求をしている。ほとんどが非開示となったため、「異議申し立て」中であるが、1年以上経った今も、「審議件数が多くて、4月ごろになる」とのこと。本日はその関連の資料を、担当の石丸さんからすこしもらう。
1月13日(木) 自主出勤第8日
午前中、病院でリハビリ。
3:00出勤。管理職は全員留守。3:25佐藤課長が戻って来る。あいさつをしようとしても、こちらを見ようともしない。あいさつぐらいさせてくれてもいいのにネェ……。というわけで、退庁まで平穏無事に「来客用テーブル」にて自主勤務。
2、3日前、学校保健課長が、組合の関係者に「学校が始まる(1月10日)と、人の出入りが多くなって(徳見がいると)困る」と言ったそうだが、今日までのところ、そんなに人の出入りはない。それに、淑女的(?)な徳見は、当局が困るような行動はいたしませんのに……。
また「会議・来客用のテーブル」は、5日に来客、6日に課内の会議に使用するため、素直に場所をあけた以外は、徳見がいる間に使うことはなかった。おかげで、のんびりと自主勤務を続けることができている。あとは仕事と給料がいただければ、言うことはない……!
本日は「勤務時間」が短いので、秘書課へは行かず。5:00退庁。
1月14日(金) 自主出勤第9日
13:00本庁舎へ。若干の「雑用」をすませてから、学校保健課へ出勤。13:20。本日は管理職全員そろっているが、例によって無視されてしまい、気の弱い徳見は出勤のあいさつをしそびれてしまう!
2:20ころ、佐藤課長と長島係長が、例によってこわい顔をしてやってきて机の前に座り、「診断書はいつ出すのか」と切り出す。
「クビ切りの材料にされないことがはっきりした段階で出します」と答える。それでも、何度も「いつ出すのか」をくり返す。早く出させて、それを口実にクビ切りをしたいのだろう。
「休職が切れる前に診断書を出してある」という言葉じりをとらえて、「その診断書で判断してもいいのか」と語気を荒げる。「もう診断書は出さなくてもいい」というつもりになったのかもしれない……。
しかし、どうして、課長・係長は、こんなにこわい顔をして、おどかすような言い方をするのだろう?
そういえば、先日、民生局で「暴行された」障害者がいたようだ。民生局の課長(?)が「こいつをつまみだせ」といって暴行したという。当局の話では「持っていたペンがさわった程度」とのことだが、目撃者が当局の人間ばかりだから真相は分からない。
保健課長や係長のケンマクでは、私もいつやられるかわからない。そのために、つねにビデオをとっているのだ。
「いっさい無視」のように見えても、徳見の存在がだいぶ気になるらしい。最後に席を立った課長「ここは会議のときに使うから、そのときはあけろ」というようなことばを「捨てゼリフ」のように言って、もどってゆく。
「市長への手紙」を書く。「2年近くも無収入のまま、生活ができないひとりの障害者の声を聞いてほしい。5分でもいいから、会ってください」と訴える(影の声:市長が会うはずがないのに、徳見は役者じゃのう……!)。
14:00近くになったので、「市長への手紙」を市役所の中にある郵便局へ出しに行き、2階の秘書課へ。行くと、いつも開いている入り口の扉が閉まっていて、徳見を中にいれようとしない。今、市長がいて、徳見に入られては困るということなのかもしれない。
扉の前に立ちはだかった内田さん・茂木さんのふたりは、「ここは寒いので」というので、学校保健課の「徳見の机(実は来客用のテーブル)」に移動し、30分ほど話す。徳見が「『市長への手紙』を書いて出した」というと、「その手紙を見てから……」とのことで、話の進展はなし。5時近く切り上げる。
『自主出勤闘争ニュースNo.1』を、教育員会事務局には配布していないので、ビルの出入口でまく。6時近くになって、3、4階(教育委員会事務局がある)に行ってみると、「金曜日はノー残業デー」のはずなのに、3分の1くらいの職員が残っている。
合理化で職員の数が少なくなり、一人一人の仕事量が増えて、大変なようだ。徳見のような障害者を受け入れるような環境になれば、みんな、もっとゆとりをもって仕事ができようになるのではないか、と思うのだが……。