徳見がチターをはじめたのが、2000年3月ごろだから、4年以上になる。習い始めたころに聴いた人が、最近聴いて、「うまくなったねぇ……!」と感心してくれるようになった。
徳見が通うチター教室(横浜ソゴーの「カルチャーセンター」内)が開設されたのは、入学する1年半ほど前である。入学時期の違いによって、レベルが違うので、ある程度同じレベルの生徒たちがグループとなってレッスンすることになる。今、徳見は1年半前に入学した生徒5人ほどと一緒のグループとなっているので、ここではもう「古株」なのである。
今や、チターは徳見の生活の一部となり、チターのない生活など考えられないほどだ。
「リハ裁判」の高裁での敗訴判決が出され、「障労裁判」が始まったばかりの01年3月3日、「リハ裁判そして障労裁判――障害者を排除する社会とは」と題して、「報告集会」がもたれた。この日のために、森あかりさんが、「すもものマーチ」を作曲してくれた。
昨年の4月に小豆島でおこなわれた「シューラーコンサート(日本語でいえば「学習発表会」?)」、そして、6月の東京での「シューラーコンサート」で、この曲を演奏し、いずれも「いい曲ねぇ……!」と好評だった。
今回、敗訴判決を受けた徳見を激励するために(?)、ピアノ教室を主宰している福岡さんが、「9月3日、『横浜市イギリス館(旧・イギリス領事館)』を、一緒に使おうよ」という「プレゼント」をしてくれた。
福岡さんが朝から使うのだが、「午後2時半ごろからは、徳見さんの企画で自由に使っていいよ……」と言ってくれる。「ピアノとチターの夕べ」と題して、会場を夜9時まで確保してあるという。
徳見の夢はたちまちふくらみ、「徳見の姪のフルートとチターの二重奏」「横浜教室に呼びかけて、シューラーコンサートのまねごとでも……」などと、あれこれ思いを巡らしている。
森あかりさんは、「すもものマーチ」に引き続き、第2作の構想を練ってくれていたが、9月3日の「イギリス館」の話をすると、新曲「すもものゆめ」を完成させてくれた。
前作の「すもものマーチ」は、リハ裁判敗訴直後だったが、今回の「すもものゆめ」は、ちょうど「障労裁判」敗訴直後ということになった。
「9月3日は、森さんのボーカルと徳見のチターで新曲発表会だ!」と意気込み、森さんから「何事もはりきりすぎないようにいたしましょう」とクギをさされたり……?! (2004年6月)
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