判 決(二審・東京高裁) |
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平成16年(ネ)第1641号 雇用関係確認等請求控訴事件(原審・横浜地方裁判所平成12年(ワ)第2100号)
平成16年10月18日口頭弁論終結
判 決
横浜市青葉区元石川町4216-1 テラスハウス酒井C号
控 訴 人 徳 見 康 子
訴訟代理人弁護士 新 美 隆
森 田 明
横浜市中区港町1丁目1番地
被 控 訴 人 横 浜 市 学 校 保 健 会
代 表 者 会 長 内 藤 哲 夫
訴訟代理人弁護士 金 子 泰 輔
主 文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 控訴人が被控訴人との間の労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
3 被控訴人は,控訴人に対し,3458万0050円及びこれに対する平成12年6月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被控訴人は,控訴人に対し,平成12年6月2日から本判決確定に至るまで毎月5日限り月額38万2100円の割合による金員及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
6 3,4につき仮執行宣言
第2 事案の概要
1 本件は,小学校の歯科巡回指導を行う歯科衛生士として被控訴人に雇用された控訴人が,頚椎症性脊髄症による長期間の休職の後,被控訴人からされた解雇が無効であると主張して労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めた事案である。原審は,控訴人の請求を棄却したため,控訴人は,その判断を不服として控訴した。
2 争いのない事実等,争点及び当事者双方の主張の骨子は,当審における控訴人の主張として3のとおり加えるほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の1ないし3に記載のとおりであるから,これを引用する。
3 当審における控訴人の主張
(1) 控訴人が障害者になったのは,被控訴人の職員としての過重な勤務に起因し,被控訴人が使用者の安全配慮義務を尽くさなかったことに原因があるのであるから,控訴人を解雇することは権利の濫用である。
(2) 控訴人は,次のとおり,わずかな工夫により歯科衛生士として,就労することが十分可能であった。
ア 解雇当時の検査方法について
解雇当時の検査方法は,歯科衛生土が指にサックを付け,両手の指を用いて児童の唇に直接触れてこれを押し広げ,歯の衛生状態を検査し,一人の児童の検査が終了すると,近くの台上に用意したアルコールを含ませた綿で指先をぬぐって消毒し,次の児童に取りかかるというものであった。控訴人は,繰り返し長時間高い位置に手を宙に上げ続けないようなやり方であれば,十分に業務を遂行できるのであり,これは,児童を座らせたり,控訴人が高い位置に座るなどの方法で実現可能である。歯科衛生士が中腰になって,いちいち腕を高く持ち上げて診るという従来の方法に固執しなければ可能な方法はいくらでもあった。
イ 現在の検査方法について
現在の検査方法は,歯科衛生士が左手の親指と人差し指で児童のあごを支えながら右手に持った綿棒を用いて児童の唇をめくり,上下左右の歯の表面及び裏側に順次綿棒を当ててその表面をぬぐい,歯の状態を確認し,児童一人の検査が終了すると,使用した綿棒を廃棄し,次の児童に対しては新しい綿棒を使用するというものである。控訴人の左腕のひじは下がっていて児童のあごを支えているだけで,左手のひじが高い状態で宙に浮いている状態ではないから,控訴人の左手が震えることはない。右手は問題ないので,児童の口唇に傷をつけたり,不必要な痛みを与えることはない。
(3) 障害者を解雇するに当たっては,身体状況の正確な把握はもとより,職場の改善,補助器具の利用等の可能性も含めて具体的に十分な調査・検討を加えた上で職務遂行の可能性を検討すべきであり,このような検討を経ない解雇は障害者差別として許されないというべきである。特に,被控訴人は,実質的には横浜市教育委員会と一体となっている団体であるところ,教育現場において,障害を持つ者が働くことは教育的効果の面からも大きな意義がある。上記障害者差別不許の趣旨は,障害者雇用促進の方針を率先して果たす べき立場にある被控訴人に一層妥当する。しかしながら,被控訴人は,本件において,解雇の可否の判断に当たり,控訴人の身体状況の確認,通勤の可能性,就労環境の整備及び負担軽減の方策について十分に検討を尽くすことなく解雇を可としているのであって,そのこと自体からしても解雇は無効である。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も,控訴人の請求は理由がないから,これを棄却すべきものと判断する。その理由は,原判決を次のとおり改め,当審における控訴人の主張に対する判断として2のとおり加えるほかは,原判決「事実及び理由」欄中の「第3 当裁判所の判断」に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決20頁13行目の「そして,原告の」から同15行目まで及び同22頁1行目の「こと,このような」から同3行目「認めることができる」までを削除する。
(原判決20頁13行目からの下記の太字部分を削除)
本件解雇当時,原告は,左上肢を一時的に上げることはできるものの,左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であるばかりか,左上肢を上げ下げする動作を繰り返していると左手に震え等の不随意運動が生じてしまうという状態にあった。また,左手の握力は9ないし12キログラムと,小学校低学年の女子程度のレべルしかなく,特に左手母指の筋力が著しく弱い状態にあった。そして,原告の左上肢における以上のような機能の制限状況は,平成14年10月31日(原告本人尋問期日)当時も改善されていない。なお,本件解雇当時,原告は,補助具を用いても自力で立つことができず,常時車いすを使用する必要のある状態にあった。現在では,ある程度車いすでの自力走行が可能な状態になっているが,補助具を用いても自力で立つことができない状態にあることには変わりがない。
(原判決22頁1行目からの下記の太字部分を削除)
(1) 原告は,昭和63年12月以降頚椎症性脊髄症のため就業することができず,平成4年2月に原職復帰を申し入れるまでは一度も原職復帰を申し入れず療養に専念していたこと,原告は同月25日以降被告に対して原職復帰を申し入れるようになったが,それ以前に比べ上肢の運動機能が改善したことを示す事情はなかったこと,原告の主治医である杉井医師は,同年4月8日,原告の現状では単独の就業は困難である旨の診断書(杉井診断書@)を,平成6年3月28日,原告の左上下肢に麻庫がある旨の診断書(杉井診断書A)を作成していること,原告は,同年4月25日,「歯口清掃検査を行う場合,児童の背の高さに合わせて原告の視線の高さを合わせることができるか。」との質間に対して,これまでのように立った状態で歯口清掃検査を行うことはできない旨答えたほか,左手が震えてしまい,仕事をするにも力が不足しており,児童の唇を指で押し広げることもできない旨述べていること,本件解雇当時,原告は,左上肢を一時的に上げることはできるものの,左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であるばかりか,左上肢を上げ下げするなどの動作を繰り返していると左手に震え等の不随意運動が生じてしまうという状態にあり,左手の握力は9ないし12キログラムと,小学校低学年の女子程度のレべルしかなく,特に左手母指の筋力が著しく弱い状態にあったこと,原告の左上肢における以上のような機能の制限状況は,平成14年10月31日(原告本人尋問期日)当時も改善されていないこと,本件解雇当時,原告は,補助具を用いても自力で立つことができない状態にあったが,この点は現在でも変わりがないこと,以上の事実は,上記1(3)認定のとおりである。以上によれば,原告の身体,特に左上肢には麻痺(不完全麻痺)があり,左上肢の上下動等の動作自体は可能であったものの,左上肢,中でも左手の動きを自己の意思で確実にコントロールすることは困難な状態にあり,左手で微細な動作を的確に行うことはできなかったこと,このような左上肢の機能の制限状況は,平成14年10月31日当時まで変わりがなかったものと認めることができる。
(2) 原判決22頁22行目から同23頁7行目までを次のとおり改める。
「確かに,証拠(甲32,51,61,控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,口腔内把握に適切な視線を確保するためには,歯科衛生士及び検査対象児童双方が起立することが不可欠というわけではなく,歯科衛生士が着席した姿勢であっても,検査対象児童も着席させ,児童に指示して児童自身に頭の位置を動かすようにさせる方法も全く考えられないではない。しかしながら,この方法は,児童が着席するいすを複数用意するなど事前の相応の準備が必要である上,検査対象児童が歯科衛生士が意図した的確な位置に頭を動かすことに時間を要する場合が少なからず想定され,その場合には歯科衛生士自身が自ら動いて口腔内を確認せざるを得ないし,その分余分な時間を費消することになる。そして,多人数の児童(その中には容易に指示に従わない児童も存在する。)を与えられた時間内に的確に検査する必要にかんがみると,控訴人主張の方法による検査可能性については相当の疑問があるというべきである。」
(改める部分の原文は、下記の太字)
ウ このうち,上記イ@については,多くの児童を短時間に検査する必要性もあり,本件解雇当時から現在に至るまで,歯科衛生士及び検査対象児童が起立した状態で向かい合い,背の低い児童に合わせて歯科衛生士が中腰になるなどして,最も口腔内を見やすい位置を確保していることは,上記1(2)カで認定したとおりであり,上記(1)のような身体状況にあった原告がこの方法による検査を行うことができないことは明らかである。しかし,証拠(甲32,51,61,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,適切な視線の位置の確保のためには歯科衛生士及び検査対象児童が起立することが不可欠というわけではなく,歯科衛生士が着席した姿勢であっても,検査対象児童をいすに座らせ,場合によっては児童に指示して,児童自身に頭の位置を動かすようにさせるなどすることで適切な位置を確保することができ,児童が着席に要する時間を短縮する必要があれば,児童が座るいすを複数用意し,次に検査を受ける児童をあらかじめ座らせて待機させること等によって対応できるものと認められ,このような方法を採ることにより,検査対象児童に対し看過し難い悪影響を与える,あるいは歯口清掃検査が著しく停滞するなどの事情は認められないから,車いすを使用する原告であってもこのような方法で検査を行うことができるので はないかと思われるところである。
(3) 原判決23頁26行日末尾に,次のとおり加える。
「そして,多人数かつ多様な児童について与えられた時間内に検査を終えなければならないことから,迅速かつ的確に検査する必要があることも当然である。」
(原判決にこの文を加えると……)
他方,同Aについては,上記1(2)認定の事実によると,被告の歯科衛生士は,歯口清掃検査のために,歯を覆っている唇をめくったり押し下げたりし,口の周りの肉を押し広げるなどして歯をむき出しにした上で,歯,歯茎等,口腔内の状況をチェックし,その際,原告が巡回指導に従事していた当時は,歯科衛生士が指にサックを付け,一人検査するごとに,付近に置いたアルコール綿で指先を消毒しながら直接検査対象児童の唇に触れており,現在では,綿棒を用いて唇を持ち上げるなどし,歯の表面をぬぐって歯の状態を検査しているというのである。このような作業内容にかんがみると,児童の口唇部分は柔らかく傷つきやすいものと考えられるから,検査に当たる歯科衛生士は,児童の口唇に傷を付けたり,児童に不必要な痛みを与えたりしないことが強く求められるほか,唇という部位の性質上,これを触れられる当該児童ができる限り不快感を覚えないように配慮することも当然のこととして求められるところである。さらに,歯科衛生士が児童の唇等に直接触れる場合,歯科衛生士の指先に児童の唾液が付着することは避けられないところ,衛生上の観点から,指先を確実に消毒してから次の児童の検査に着手することが不可欠であるし,綿棒を使用する場合には,細く軽い綿棒を確実に持って動かし,必要な位置にこれを動かすことができなければならないことは当然である。そして,多人数かつ多様な児童について与えられた時間内に検査を終えなければならないことから,迅速かつ的確に検査する必要があることも当然である。以上のような要請を満たす検査を行うには,歯科衛生士は,自分の両上肢の動きを自己の意思で完全にコントロールし,手指を用いて細かな作業を行うことができなければならないというべきであるところ,上記(1)のような原告の左上肢の状況にかんがみると,原告の左上肢は,このような作業を行うには堪えられなかったことは明らかであり,結局,原告は,本件解雇当時,歯口清掃検査を行うことができない状態にあったというべきである。
2 当審における控訴人の主張に対する判断
(1) 控訴人は,「控訴人が障害者になったのは,被控訴人の職員としての過重な勤務に起因するものであり,使用者の安全配慮義務を尽くさなかったことが原因であるから,障害者になった控訴人を解雇することは権利濫用である」旨主張する。しかしながら,本件全証拠を総合しても,控訴人の勤務が過重であったとか,そのために控訴人が頚椎症性脊髄症の障害に至ったことを認めるに足りない。また,控訴人が被控訴人の業務に起因する頚肩腕症候群の障害を有していたとしても,控訴人が左手から肩にかけての痛み等が発症したのは昭和53年4月ころからであって,その後被控訴人は,極めて長期間にわたり雇用関係を継続してきたこと,被控訴人の具体的解雇事由が左手だけの障害にとどまらず,自力で立つことができないこと等の身体状況も合わせ考慮されたものであることなどの事情にかんがみると,被控訴人による平成7年1月19日付け解雇が権利の濫用であるとはいえない。控訴人の上記主張は採用しない。
(2) 控訴人は,「解雇当時の検査方法について,繰り返し長時間高い位置に手を宙に上げ続けないようなやり方であれば,十分に業務を遂行できるのであり,児童を座らせたり,控訴人が高い位置に座るなどの方法でそれは実現可能である。現在の検査方法について,左腕のひじは下がっていて児童のあごを支えているだけであるから,左手のひじが高い状態で宙に浮いている状態ではなく,左手が震えることはないから,児童の口唇に傷をつけたり,不必要な痛みを与えることはない」旨指摘し,「わずかな工夫により控訴人が歯科衛生士として,就労することは十分に可能であった」旨主張する。しかしながら,児童を座らせたり,控訴人が高い位置に座るなどの方法は,児童や控訴人の介護者に大きな負担を与え,かつ効率性を減殺させるものであって,限られた予算の中で多人数かつ多様な児童を短時間のうちに的確に検査しなければならない小学校の歯口清掃検査の遂行に支障があることは明らかである。次に,本件解雇当時,控訴人は左上肢を一時的に持ち上げることができるものの,左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であり,左上肢を上げ下げする動作を繰り返すと左手に不随意運動が生じてしまうおそれがあることが認められるのであって,左のひじが長時間・連続的に随意的運動ないし保持ができたとは認められないことは前記認定のとおりであるところ,歯口清掃検査を的確に行うためには,右手だけではなく,左手をはじめ身体全体が的確な検査のために有機的に連動しなければならないのであって,現在の検査方法を採用したとしても,控訴人が,多様な児童の口腔内の状況を迅速かつ的確に検査できると評することはできない。
(3) 控訴人は,「本件において,解雇の可否の判断に当たり,身体の状況の確認,通勤の可能性,就労環境の整備及び負担軽減の方策について検討すべきであったが,被控訴人は,これらについての検討を尽くさずして解雇しているのであって,そのこと自体からしても解雇は無効である」旨主張する。しかし,本件の争点は,本件解雇当時,控訴人が規定3条3項2号所定の「心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合」に該当する状況であったかどうかであり,その身体の状況等の調査・確認を経て,控訴人の状況がこれに該当するといわざるを得なかったことは引用に係る原判決の認定・判断するとおりである。控訴人の上記主張は,これに独自の観点から新たな要件を付するものであって相当とはいえない。控訴人の主張する就労環境の整備や負担軽減の方策は,障害者の社会参加の要請という観点を考慮しても,また,将来的検討課題として取り上げるのが望ましいことではあるにしても,本件においては,社会通念上使用者の障害者への配慮義務を超えた人的負担ないし経済的負担を求めるものと評せざるを得ない。控訴人の上記主張は採用できない。
3 以上によれば原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,控訴費用の負担につき,民事訴訟法67条1項,61条を適用して主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第五民事部
裁判長裁判官 根本 眞
裁判官 片 野 悟 好
裁判官 小 宮 山 茂 樹
これは正本である。
平成17年1月19日
東京高等裁判所第五民事部
裁判所書記官 田 中 雅 之