上告受理申立理由書

平成17年(ネ受)第44号雇用関係確認等請求上告受理申立事件
申立人   徳見康子
相手方   横浜市学校保健会

上告受理申立理由書  
平成17年3月25日

最高裁判所 御中

申立人訴訟代理人 弁護士  新 美   隆
    同             森 田   明
    同             千木良   正
    同             竹 下 義 樹
    同             野 村 茂 樹
    同             黒 嵜   隆
    同             池 田 直 樹
    同             菊 地 哲 也
    同             清 水 建 夫
    同             西 村 武 彦

第1 上告受理申立の理由の要点
 原判決は、法令の解釈に関する重要な事項について判断を誤ったものであるから、上告を受理し、原判決を破棄の上、自判により申立人の請求を認容するか、差し戻すべきである。
 原判決は、障害を負った労働者の解雇についての法令解釈を誤ったものであり、その内容は、次の2点である。
「障害者の解雇については、就労環境の整備等の合理的な配慮をすることによりり就労の継続が可能であれば、解雇は許されない」ことを否定し、就労可能な申立人の解雇を是認した誤り(上告受理申立理由第1点)。
 「障害者の解雇にあたっては、障害の内容を正確に把握した上、業務遂行可能性について、就労環境の調整等の合理的な配慮を含めて検討する必要があり、かかる検討を経ない解雇はそれ自体違法で無効」であることを否定し、かかる検討をすることなく申立人を解雇した誤り(上告受理申立理由第2点)。 
 これらのことについては、「第2」以下に詳しく理由を述べる。
なお、障害を持つ者の解雇についての判例としては、次のようなものがある。
@新潟地裁昭和54年12月24日判決(労旬993・84、甲91 247頁)
 恒常的に本態性高血圧にあったタクシー運転手の解雇について、症状が安定するにいたり服薬を継続することで正常な就業が可能になったとして、解雇無効とした。
A札幌地裁昭和61年5月23日判決(判時1200・51)
 ペースメーカーを装着した心臓疾患を有するタクシー運転手に対する解雇を無効としたが、その理由として「被告は原告が完全房室ブロックにより心臓を植え込んだこと及び右症状により障害度1級の身体障害者としての認定を受けたことから、それ以上の調査、検討を何らすることなく・・・解雇した」ことをもって解雇権の濫用であるとしている。
B札幌地裁小樽支部平成10年3月24日判決(労判732・26)
 右半身不随となった保健体育教諭の解雇を無効としており、障害を負ったことだけで安易に解雇することは許されないとしている。
C山形地裁酒田支部平成9年4月4日決定(甲91 251頁注14)。
 腎臓透析治療を受けているタクシー運転手の解雇を無効とした。

 このように下級審では、障害者の解雇を制限しようとするものがあるが、最高裁には明確な基準を示す判例はなく、統一的な判断基準が存在しない状況である。そのなかで、本件のような不当な判決が下された。
 原判決については、申立人や申立人代理人も予想しなかったほど、多くのマスコミが取り上げた。【次頁参照】 申立人のもとには多くの激励が寄せられている。 このように障害者の雇用についての社会の関心が高まっている今日、障害者の解雇を制限する法理を最高裁判所が明確に示すべきであり、このような点からも本件申立を受理すべきである。

第2 上告受理申立理由第1点「障害者の解雇については、就労環境の整備により就労の継続が可能であれば、解雇は許されない」ことを否定し、就労可能な申立人の解雇を是認した誤りについて

1 合理的配慮としての就労環境整備の義務
(1)はじめに
 原判決は、障害者の解雇の可否の判断に当たり、身体の状況の確認、通勤の可能性、就労環境の整備及び負担軽減の方策について検討すべきであるという申立人の主張を、「解雇の要件に独自の観点から新たな要件を付与するものであって相当でない」として排斥している(6頁)ことに明白に現われているように、使用者に就労環境の整備についての合理的な配慮義務がないことを前提として判断している。
 しかし、合理的な配慮の必要性は、本件解雇当時においても国際的な動向、国内における法、政策、横浜市の方針等から、すでに「公序」の内容を形成していたとというべきである。以下に詳しく述べる。

(2)障害者の権利の国際的保障
 障害者の権利の国際的保障については、1975年の第30回国連総会で「障害者の権利宣言」が決議され、「障害者はその人間としての尊厳が尊重される生得の権利を有している」(3条)とされるとともに、障害者の人権と障害者問題に関する指針が示されたのである。翌1976年の第31回国連総会で、国際障害者年(1981年)の設定が決議され、その後、特別に設けられた国際障害者諮問委員会の勧告した「国際障害者年行動計画」が1979年の第34回国連総会において承認された。この計画によると、国際障害者年の目的は、「障害者がそれぞれの住んでいる社会において社会生活と社会の発展における『完全参加』並びに彼らの社会の他の市民と同じ生活条件及び社会的・経済的発展によって生み出された生活条件の改善における平等な配分を意味する『平等』という目標の実現を推進することにある」。即ち、「完全参加と平等」が国際障害者年の目標テーマとされたのである。
 また、国連の「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(A規約。以下、国連A規約という)6条1項は、「この規約の締結国は、労働の権利を認めるものとし、この権利を保障するために適当な措置をとる。この権利には、すべての者が自由に選択し又は承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利を含む」と規定している。
 また、「障害者の権利宣言」6項は、「障害者は、補装具を含む医学的、心理学的及び機能的治療、並びに医学的・社会的リハビリテーション、教育、職業教育、訓練リハビリテーション、解除、カウンセリング、職業あっ旋及びその他障害者の能力と技能を最大限に開発でき、社会統合又は再統合する過程を促進するようなサービスを受ける権利を有する」と規定し、同7項は、「障害者は、経済的社会的保障を受け、相当の生活水準を保つ権利を有する。障害者は、その能力に従い、保障を受け、雇用され、または有益で生産的かつ報酬を受ける職業に従事し、労働組合に参加する権利を有する」と規定している。
 さらに、「障害者の機会均等化に関する基準規則」の規則7項(雇用)は、「政府は障害をもつ人が、その人権をとくに雇用分野で行使するために力を与えられなければならないという原則を認識すべきである。・・・1.雇用分野での法と規則は障害を持つ人を差別してはならず、その雇用への障壁を築いてはならない」と規定している。
 そして、1994年の「社会権規約委員会の一般的意見第5号」の差別の定義(第15パラグラフ)においては、障害者に対する合理的配慮を否定することは差別であると定義付けられているのである。
 このように、国際社会においては、障害者が現実的に自由権を行使するために、障害者に対する実質的平等を求め、実質的平等を図るための合理的配慮を否定することは、障害者に対する差別であると理解されているのである。
 なお、2001年12月の国連総会決議以降、障害者の権利条約の策定過程が勧められているが、2004年1月27日に発表された「障害のある人の権利及び尊厳の保護及び促進に関する包括的かつ総合的な国際条約草案」の第7条4項において「障害のある人に対して平等の権利を確保するため、締約国は、障害のある人がすべての人権及び基本的自由を平等な立場で享有し及び行使することを保障するための必要かつ適当な変更及び調整と定義される合理的配慮を提供するためのすべての適当な措置(立法措置を含む)をとることを約束する。」と規定し、合理的配慮を提供することを要求している。
  なお、ILO159号条約4条は「障害者である労働者と他の労働者との間の機会および待遇の実効的な均等を図るための特別な積極的措置は、他の労働者を差別するものとみなしてはならない」と規定しており、このような積極的措置は決して不当な取り扱いとなるのではない。むしろ、必要な積極的措置を講じないこと自体が、雇用の権利を侵害していることになるのである。

(3)日本国内の法と施策
 このような国際的な情勢を受け、日本でも、国際障害者年の事業を推進するため、様々な障害者に対する権利保障の規定を設けてきた。
 具体的には、1980年に内閣総理大臣を本部長とする国際障害者年推進本部を設置し、1981年に国際障害者年の事業を実施した。その後、同本部は、1982年に以後の障害者対策を方向付ける「障害者対策に関する長期計画」を決定した。さらに、国連が1983年から1992年までの期間を「国連・障害者の10年」としたことに基づき、日本では次のような施策が行われた。
 @第3セクター方式による重度障害者雇用企業の育成(1983年)、A「完全参加と平等」の理念を盛り込んだ身体障害者福祉法の改正(1984年)、B障害基礎年金制度を創設した国民年金法等の改正(1985年)、C身体障害者雇用促進法の障害者の雇用の促進等に関する法律への改正(1987年)、D精神衛生法の精神保健法への改正(1987年)、E国立筑波技術短期大学の開設(1990年)、F身体障害者福祉法等の改正(1990年)、G障害者職業総合センターの開設(1991年)、H社会福祉事業法等の改正(1992年)、IILO第159号条約(職業リハビリテーション及び雇用〔障害者〕に関する条約の批准(1992年)。
 そして、1993年には、心身障害者対策法が改正されて、障害者基本法が成立した。法律の題名が障害者基本法に改められたのは、全障害者のための基本的な法律であることを端的に表現したかったことに加えて、単なる「対策法」ではなく、もっと広く「人権」を内包する法律であることを率直に表すためであると理解されている。
 このように、日本国内においても、障害者が現実的に自由権を行使するために、障害者に対する実質的平等を目指す法制度が形成されてきたのであり、実質的平等を図るための合理的配慮を否定することは、障害者に対する差別であり私法上の解釈としても許されないと理解すべきである。

(4)横浜市の「基本方針」
 横浜市は昭和56年7月、「横浜市職員への身体障害者雇用について―基本方針―」(甲50、以下「基本方針」という。)を策定した。
 基本方針は、横浜市職員の採用にあたり、「働く意志と能力のある身体障害者に就労の途を開」こうとするものであり、自力通勤、自力勤務を要件としつつも、「適職の拡大を図るため、各職場での理解と協力のもとに、職務内容等の検討を行い、障害者個々の特性にあった職務・職場の確保に努める。」「障害を有する職員の勤務しやすい職場環境を確保するため、必要に応じ施設・設備等の改善に努める。」等の方針が示され、さらには「この基本方針に準じて、本市外郭団体等関係機関についても身体障害者雇用促進に協力を要請する。」としている。横浜市の「外郭団体等関係機関」にあたる被上告人についても、この基本方針が適用されることは当然である。
 この基本方針は、国際障害者年を契機に昭和56年7月に策定され、以後、横浜市及び同市関係機関の障害者の雇用についての指針とされてきたものである。本件解雇の是非についても、この基本方針が判断基準となるべきである。換言すれば、上記の障害者雇用・解雇について合理的配慮を必要とするという法理は、この基本方針を通じて、相手方にとっての具体的な規範となっているのである。

2 本件解雇の違法性
 上記のような解雇にあたっての合理的配慮義務を前提とすれば、申立人の就労は十分可能であった。すなわち、解雇は違法無効である。

(1) 通勤
 通勤については、一審、原審とも問題にしていないが、念のため述べる。
 上告人が独力でも通勤可能であることは甲29のビデオテープから明らかである。【次頁参照】 すなわち、電動車椅子で地下鉄を利用することにより、多数の学校を訪問することが可能である(甲31地図等)。また、介助者が自動車で送迎することにより市内のどこにでも訪問可能となる。なお上告人は、介助者の費用の負担は要求していない。
 学校の設備についても、施設改善が進んでいるし(甲84ないし86)、そもそも学校は、対外的な行事や選挙の投票所になる場合などに高齢者障害者を含む地域の住民が出入りすることを想定している施設であり、車椅子利用者であるから出入りができないということはあってはならないのである。(詳しくは 一審原告最終準備書面8〜9頁)

(2) 勤務(歯科巡回指導)
@歯科保健指導
 歯科保健指導については一審判決、原判決とも特に言及していないし、業務の性格上、さしたる困難はない。すなわち、せいぜい模型などを置く台を用意するなど、腕を上げ続けずに済むような物を用意すれば足りる。オーバーヘッドプロジェクターなどの活用でも対応可能であった。(一審原告最終準備書面10頁)
A歯口清掃検査
ア.一審判決、原判決ともに、歯口清掃検査が困難であることを理由に解雇を正当化している。
イ.しかし、まず、申立人の身体能力について根拠なく認定している。
 一審判決は「原告の身体,特に左上肢には麻痺(不完全麻痺)があり,左上肢の上下動等の動作自体は可能であったものの,左上肢,中でも左手の動きを自己の意思で確実にコントロールすることは困難な状態にあり,左手で微細な動作を的確に行うことはできなかった」(21頁)と認定し、原判決もこれを支持している。これが就労不能と判断する根拠になっているが、これを基礎付ける証拠は、長島証人の証言と、申立人(原告)本人尋問の結果である。しかし、本人尋問の内容は次のようなものであった。(原告 8回34〜35頁)

「(原告) 最初は左手は震えないんですが,繰り返しずうっとやっていると,肩よりかなり,肩程度だったり,宙に上げ続けていると,力不足で左手が実はその当時から,今もそうなんですが,左手が震えてしまいます。仕事上はそういう状態です。
(原告代理人)あなたとしては長く左手を上げた状態だと震えてくるから,そうならないようないろいろな仕事上の工夫をしたいということを言っていたわけですね,その当時から。
 (原告)そうです。
(原告代理人) 乙第39号証の長島さんの陳述書の5ページの一番下の2行なんですが,「この当時の 徳見さんの左手の状態として,左手が震えてしまい,仕事をするにも力が不足していると述べました。」これはまあ必ずしも正確ではないんだけれども,まあ徳見さんが言っていることとしては,それに近かったわけですね。

(原告)手を上げていれば,こういう状態になると。下げていれば別でございます。」

 つまり、肩の位置まで繰り返し長時間左手を宙に上げ続けていれば左手が震える、しかし手を下げた状態で行なえばそのようなことはないので、長時間高い位置で宙にあげ続けるようなやり方でない工夫をすればできる、(だから仕事上の工夫をしたい)と述べているのである。そのような状態(工夫すれば仕事はできる状態)が「当時から、今も」存在する、ということである。これを曲解して、業務を行なう能力がないことを自認しているかのごとく取り上げたのである。
 また、一審判決は「左手の握力は9ないし12キログラムと,小学校低学年の女子程度のレべルしかなく,特に左手母指の筋力が著しく弱い状態にあった」としており(21頁)、これも控訴人の本人尋問を根拠にするものと思われるが、尋問内容は次のようなものであった。(原告 8回25頁)

「(原告代理人)その点(左手が全く動かない状態であるという長島証言)については、杉井先生はどう言っていらっしゃいましたか。
(原告)ええっ、何でそんなことをという、びっくりされた感じで。徳見さんの腕が動かないという認識はないと。実際にその当時のカルテを御覧になりました。認識そのものがない中で、更にカルテを見たら、やっぱりちゃんと書いてあるわ、左手の握力は9。
(原告代理人)9キログラム。
(原告)はい、9キログラムないしは13キログラム。症状固定しているから大体その範囲ぐらいで力はあるという。それを全く動かないというふうに勘違いされたのはちょっとわかりません、とびっくりされていました。」

 すなわち、左手が全く動かない、という長島証言を否定する趣旨で少なくとも9グキロラムないしは13キログラムの握力はある、と述べたことを不正確に理解し、かつこれを逆手にとって、動作能力が欠如しているかのように決め付けているのである。
 一審判決は、 「左手の動きを自己の意思で確実にコントロールすることは困難な状態」であったとし(21から22頁)、原判決もこれを維持している。しかし、原告が述べたのは、繰り返し長時間手を高く上げた状態を続けた場合であって、このような動作をすれば格別障害のない人でも程度の差はあれ疲労感やしびれを感じてもおかしくない。

ウ.申立人は、現に運転免許停止にはなっておらず、運転動作が可能であることをいわば公的に認められている。現在ある免許証は、解雇当時と同じ内容で、「普通車はAT車で、アクセル、ブレーキは手動式に限る」とされているが、これは右手でハンドル操作し、アクセル、ブレーキは左手で操作することが前提となっている。
 また、申立人は、解雇前の平成2年5月31日に身体障害者手帳の交付を受けているが、障害名は当時も今も「両下肢麻痺」(2級)とあるのみであり、左手は障害ありとはされていない。【次頁参照】
 上告人は趣味と機能回復・維持を目的にチター(弦楽器)を日常的に(しばしば一日4から5時間)演奏している。そして、繰り返すが、何よりもビデオ(甲51、92)から、業務遂行に必要な能力を有していることは明らかである。【次の2頁参照】

エ.一審判決は、車椅子を着用しても検査を行うこと自体は可能であることを認めながら(23頁)、「原告の身体,特に左上肢には麻痺(不完全麻痺)があり,左上肢の上下動等の動作自体は可能であったものの,左上肢,中でも左手の動きを自己の意思で確実にコントロールすることは困難な状態にあり,左手で微細な動作を的確に行うことはできなかった」(一審判決 21頁)とした上、「・・・以上のような要請を満たす検査を行うには,歯科衛生士は,自分の両上肢の動きを自己の意思で完全にコントロールし,手指を用いて細かな作業を行うことができなければならないというべきであるところ,上記(1)のような原告の左上肢の状況にかんがみると,原告の左上肢は,このような作業を行うには堪えられなかったことは明らかであり,結局,原告は,本件解雇当時,歯口清掃検査を行うことができない状態にあった」(一審判決 23から24頁)と強弁して、就労不能と判断した。原審においては、甲92のビデオにより、左上肢の機能もわかるように検査を撮影した。すると、原判決では、個々の検査自体が不可能であるとはいえなくなり、「左上肢を一時的に持ち上げることができるものの、左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であり、左上肢を上げ下げする動作を繰り返すと左手に不随意運動が生じてしまうおそれがある」、「右手だけではなく、左手をはじめ身体全体が的確な検査のために有機的に連動しなければならない」(6頁)と言い出して、就労の能力を否定してしまった。「身体全体が的確な検査のために有機的に連動しなければならない」とはどういうことをさすのか不明であるし、申立人の場合にビデオの内容を踏まえてどうして「有機的に連動」しないといえるのか、到底納得できない。結論が先にあって、理由を取り繕ったというほかはない。
 (なお、ビデオは裁判開始後の状況であるが、申立人は、当時も同じ状態であるとして提出している。もし、これと違う状況であったというなら、相手方がそれを具体的に主張立証すべきであるがそのような主張も立証もされていない。)
 そして、原判決の認定を前提としても、「左上肢を上げたままの姿勢を長く保持したり、左上肢を上げ下げする動作を繰り返す」ことがないようなやり方をすれば業務は可能であることになろう。
 原判決は、申立人がビデオで示した方法で長時間続けることは困難と決め付けているようであるが、そのような根拠はなく、こうした方法によれば、長時間にわたる検査を継続することは十分可能なのである。
 その方法としては、例えば児童が横になった位置で上から覗き込むようにするやり方であれば、上告人はひじをあげずにすむので負担は少なく、可能である。これは歯科医師などでは当たり前のこととして行っていることであり、学校現場においても、児童が横になれる場所を用意すればすむことである。また、これを左右に二つ用意して交互に行えば、速度としてもひけを取らない。
 そうでないとしても、いすを使って、双方が座って検査をすれば十分可能である。(甲51・92ビデオテープ、甲18、39ないし40)
 また、車椅子のままで高さを変えられるいわゆる3次元車椅子も開発されていた(甲12,24,49)【次頁参照】。貸し出しも可能であり(甲28)、申立人としては、借りるなり自分で買うなりするつもりであったから、相手方に経済的負担はかからない。
 原判決は、「児童を座らせたり、被控訴人が高い位置に座るなどの方法は、児童や控訴人の介護者に大きな負担を与え、かつ効率性を減殺させるものであって、限られた予算の中で多人数かつ多様な児童を短時間のうちに的確に行わなければならない小学校の歯口清掃検査の遂行に支障があることは明らか」という(5頁)。しかし、原判決は何か誤解をしているのではないか。被検査者を座らせて集団的検診をすることは何ら珍しいことではない(甲18,39,40)【次頁参照】 申立人についても、甲51及び甲92のビデオによれば、少しの工夫でさしたる困難もなく迅速に検査業務をこなすことができており、児童やいわんや介護者に大きな負担を与えたり効率性を減殺させてなどいないのである。(なお、一審原告最終準備書面9から10頁)

.ちなみに、横浜市は他の都市に比べて歯科衛生士一人当たりの検査実施児童生徒数が異常に多い。乙38 3頁によれば、平成12年度で31,811人であり、これは、それに次ぐ千葉市の6,486人、横須賀市の5,328人と比べてもかけ離れている。増員等によりこのような異常な状態を早急に解消することこそが必要であり、異常な業務内容を何ら改善しない前提で論ずること自体が不見識といわざるを得ない。

(3) 医師の意見等
 本件解雇に先だつ、平成6年2月8日付けの村市医師の診断書は内科的健康診断の結果として、「勤務に差し支えない」としている(乙31)。そして平成6年3月28日付けの杉井医師の診断書でも結論として「勤務は可能」としている(乙33)。【次頁参照】 
 杉井医師は整形外科医であり、申立人の主治医である。しかし、相手方は、村市医師にも杉井医師にも意見を求めることもなく(乙45、原告8回24頁、長島7回21頁)、これらの診断書に反して、勤務は不可能という判断を一方的にしている。このこと自体異常な判断である。
 また、相手方は、本件訴訟の中で、「解雇当時申立人の左手はまったく動かなかった」という理由を突如主張し始め、証人長島もそのように証言したが、これは全く事実に反することであり、たまたま残っていたビデオの画像からそのことは明らかになった(甲60)。【次頁参照】さすがに原判決も、「左手がまったく動かなかった」という認定はしていないが、こうした事実の捏造は、これは本件解雇が正当な理由なくなされたことの裏付けというべきである。

(4)  予算上の制約は問題にならない
相手方の業務にかかる費用は実際には横浜市が負担するのであり、横浜市自身上記基本方針に従う義務があるのだから、就労環境整備にかかる費用は横浜市から支払いを受けることができる。また、必要な費用が多額になるとは考えがたいことからも、予算上の制約は問題とならない。

3 まとめ
 以上のように、本件解雇は、障害者の解雇に当たってなすべき合理的配慮としての就労環境の整備の義務を怠った結果なされたものであり、違法であって、これを是認した原判決は破棄を免れない。

第3 上告受理申立理由第2点 「障害者の解雇にあたっては、障害の内容を正確に把握した上、業務遂行可能性について、職場環境の調整を含めて検討する必要があり、かかる検討を経ない解雇はそれ自体違法で無効」であることを否定し、かかる検討をすることなく申立人を解雇した誤り

1 一審判決・原判決の見解障害者の解雇にあたっては、障害の内容を正確に把握した上、業務遂行可能性について、職場環境の調整を含めて検討する必要があり、かかる検討を経ない解雇は手続き上重大な不備があるものとして、それ自体違法で無効といわねばならない。前記札幌地裁昭和61年5月23日判決(判時1200・51)も同様の法理によるものである。
 一審判決はこのような一般論自体について認めることをしない上、「被告が原告に対し,平成4年2月以降,原告の身体状況を客観的に把握するため再三にわたって診断書の提出を求め,3度にわたって弁明の機会を与えた上で,諸事情を検討の上本件解雇を行ったことは上記1(3)認定のとおりであり,本件解雇が解雇権の濫用に当たると認めるに足りる事情を認めることはできない」(一審判決 24から25頁)とし、原判決もこれを踏襲している。 

2 解雇理由を説明できない相手方
 もともと、相手方は解雇理由について、何ら具体的な説明をしてこなかった。解雇後提訴前の交渉過程での相手方の回答は「規程等に基づき適正にされた」「弁明の機会などを通じ相当の時間をかけて結論を出した」などと繰り返すばかり(甲68、73,80)で、どうして就労不能と認めたのかについての説明は全くされなかった。本件訴訟における被告の主張でも、答弁書では「原告が歩行や日常生活が自力でできない状態になり、介助を要する状態になった」ことからただちに「右のような状態にある原告がこの業務に耐えることができないこともまた明らか」と決めつけている。要するに、「車椅子生活になったのだから、働けるはずがない」という思い込みから解雇の判断をしたにすぎず、環境整備による就労継続の可能性など全く検討されていなかったのである。
 このことが明確になっているのが、甲56の新聞記事である。ここで相手方の担当者は解雇の理由を問われ、「当たり前でしょ、この仕事は立ったり座ったりができないと仕事にならないんだから」「要はこっちができないと決めたらできないんだよ」「アメリカのほうからイスを買うなんていっているが、そんな架空のことを言ってもしょうがない。」などと答えている。【次頁参照】
 一審判決にせよ、原判決にせよ、結論は正しくないものの、身体の能力を具体的に検討して、実際に歯口清掃検査が可能であるかについて判断して、解雇の可否を決めている。解雇の過程でそのような検討が行なわれず、弁明以前の段階で車椅子の者に仕事ができるはずがない、という思い込みから結論が出されていたことは明らかである。
 相手方は、本件訴訟の中で、具体的な解雇理由を述べることが必要となり、申立人の「左手が当時全く動かなかった」などと言い出すに至った。しかし、これは客観的証拠に反し認められなかったことは前述の通りである。

3 実質的な検討はされなかった
 一審判決は、「再三にわたって診断書の提出を求め,3度にわたって弁明の機会を与えた」という(原判決 24頁)が、これらの経過は、真摯に解雇の必要性を検討したものではなく、いわば儀式にすぎないものであった。診断書について言えば、乙33の診断書は、「勤務は可能である。」という結論を示しているものであり、これをもって就労不能と判断するのは医師の判断を否定する暴挙である。記載と逆の判断をするのであれば、少なくとも、杉井医師に記載の趣旨の確認をすることが必要であろうが、前記の通り、診断書提出後杉井医師らには何ら問い合わせの連絡もしていないのである。
 弁明の機会についても、職場環境の調整について提案しようとする控訴人に対して、「空想の話を聞いてもしょうがない」として発言を制止したために、本来その場ですべきであった、現実的な職場環境整備についての話合いはできなかったのである(原告8回27、28頁、甲56)
 また、前記のように、相手方は本件解雇当時控訴人の左手が全く動かなかったのでそれが解雇の根拠になったかのように言うが、「左手が全く動かなかった」という事実が否定されたのであるから、解雇時点での検討が不十分であったことは明らかである。

4 まとめ
 本件は、解雇までに、申立人の労働能力を慎重に検討し、かつ、就労環境整備による就労可能性についても検討すべきであったところ、これを怠った結果、解雇を断行するに至ったものでありこの理由からも、解雇は無効というべきであり、これに反する原判決は破棄されるべきである。

以上

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