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   速記録(平成14年10月31日 第9回口頭弁論)
 事件番号 平成12年(ワ)2100号
 本人氏名 徳 見 康 子

原告代理人(森田)
第8回口頭弁論本人徳見康子の速記録を示す
6ページの11行目,「例えば横浜では」とあって,「そのほかに個別指導とか,その他学校保健会とか等ありますが」というふうな記載になっていますが,この点はこれでよろしいんでしょうか。
   これは学校保健会ではなくて,学校保健委員会。委員が抜けています。
学校保健会というのは,被告になっている団体ですよね。
   はい。
学校保健委員会というのは,どういうものですか。
はっきりではないんですが,小学校で高学年の児童の方には,クラブ活動それから委員会活動という活動が,教科のほかに入ります。ここの委員会活動の中で,例えば図書委員さん,学校保健委員さん,あと動物なんかを飼っている飼育委員さん,そういう委員会の1つのものがあります。ここでその他学校保健委員会とかという内容は,私は専門家として学校に入っていまして,生徒さんの学校保健委員さん,そしてPTA,そして職員の方の保健委員さんたちが集まって,年に何回かそこの学校の学校保健委員会というものを開くことがあります。それに呼ばれて,専門家の立場で出席した指導が入るという意味で答えました。
同じく11ページの一番下の行ですけれども,これは私の質問してる部分なんですけれども,「自動車の運転が現状あるような車では難しくなった,したがって搭乗することが」というふうになっているんですが,これは私の記憶では,操縦することがと聞いたかと思うんですが,そのような前提の答えと聞いてよろしいでしょうか。
   はい。
二,三聞きますけれども,学校保健会であなたの上司に当たる人,つまり実質的にあなたの労働条件等について判断する人というのは,だれになるんでしょうか。
それは,前回証人で出られた,役所でいう係長級,学校保健課保健係係長の方が雇用に対するものの直接の上司になると思います。
甲第83号証を示す
陳述書(2),これもあなたが作成した陳述書ということでよろしいでしょうか。
はい。
書いてあることはそのとおりでよろしいですね。
   はい。
「第1,解雇後の経過」というところで,解雇された後で,障害者の労働差別を考える会という団体が結成されたわけですね。
   はい。
解雇された後,この裁判を起こすまでの間に,この障害者の労働差別を考える会があなたの解雇に関して交渉を持つということをしてきたわけですね。
   はい。
この項目の中で書いてありますけれども,あなたがもう一つやっているリハビリセンターに対する裁判,これを併行してやっていたと。そのことが,この解雇の裁判を起こす時期が遅れた1つの理由であるということでしょうか。
   はい。
それ以外に,あなたの気持ちとしては,.あなた1人が復帰するということではなくて,障害者の雇用のあり方そのものを考え直してもらいたいと,そういう考えもあったということですか。
   はい,そうです。
「第2,現状生活状況」というのは,今の生活の状況を書いてあるんですね。
   はい。
今利用している福祉のサービスとかの説明ですね。
   はい。
「第3,職場復帰した場合の生活状況」ということですが,職場復帰した場合には,これこれこういった制度が利用できるのではないかということで,考えていることを書いたものですね。
   そうです。

被告代理人
まず,たった今の主尋問に対するお答えですが,あなたの直接の上司はだれかという質問に対して,学校保健課係長級の人だとお答えになりましたね。
   はい。
当て職ですけれど,厳密にいうと,被告の組織の中では,その人に当たるのは理事に当たる方なんでしょうかな。
   理事の中の1人ということです。
その人が直接の上司という趣旨がいま一つ分からないんですが,職員の任免それから休職,復職,免職,退職の権限が会長にあるということは,御存じですよね。
   直接の一番先の上司はだれかという内容で答えました。
あなたの認識されている直接の上司というのは,その人から例えば業務命令を受ける関係にあるとか,勤務評定をされる関係にあるとか,そういう趣旨でおっしゃったんですか。
   雇用関係に対してです。
あなたの認識はそうだということで承りますけれども,それは何か根拠的に見ておっしゃったことですか。
   実際的に私の仕事する中で,そういうふうに思ってやってきました。
経歴を確認しますが,あなたが被告横浜市学校保健会に採用されたのは昭和42年ですよね。
   (うなずく)
その後昭和53年までは,特段健康上の問題点はなかったという理解でよろしいですか。
   53年,職業病になってきたということですか。
その点をこれから確認する前提で質問したんですけれども。
   体を壊したことはないか。
一時的に鼻かぜひくとかは私だってやりますし,だれでもあると思うんですけれども,そういうのは別にして,あなたが今おっしやりかけたような職業病という御主張の状況になった時期がありますけれども,そうなる前は,いつまでがそういう問題がなかったのかなという確認で伺っているんす。
   細かい病気とか腫瘍は幾つかやったことがあります。
こちらの記録では,そしてこの裁判でも出ていますが,昭和45年の1月27日から同じ年の3月31日まで,私傷病職免になっていますね。
   年表を見ないと。
年表が証拠上出ていないんで,こちらも質問しづらいんですけれども。
やった病気を答えていってもよろしいでしょうか。いつの時点がこの病気だという,私の記憶の中でどんな痛気をしてと。
私の質問は,昭和45年の1月から3月までの私傷病職免はどういう理由かなと伺いたいんですけれども。
   十二指腸潰瘍と胃のポリープだったと思います。
その後,昭和46年の9月25日から同じ年の10月15日までやはり私傷病職免になっているんですけれども,これは何か原因はあるんですか。
盲腸をやったことがありまして,先ほど申した盲腸と十二指腸潰瘍ポリープとどっちが先だったか,大変申し訳ございません。どつちかがどっちか。
昭和47年10月13日から同じ年の12月12日までも,私傷病職免になっていらっしやるようですが,これはどんな事情か承っていいですか。
   その後,引き続いて日程が入っていますでしょうか。何回か,10か月の間に。
そうですね。その後も53年の話を次に質問しようと思っているんですけれども。
   53年前に幾つか入っていますでしょうか。
53年前は,今順番に聞いてきた45年,46年と,今正に聞いている47年と,大体3つのまとまりのようですけれども。
もし前後してたら大変申し訳ございませんが,おなかに子供が1人おりまして,妊娠中に卵巣のう腫が発見されました。子供が大きくなる速度よりも,そのときに良性の腫瘍が発見されたんですが,ホルモンが活発になることによって腫瘍がどんどん大きくなってきまして,子供を押しつぶしてしまうという状況で,妊娠中なんですが,切迫流産になりました。そして切迫早産になりました。卵巣を,途中で良性の腫瘍を摘出しました。その後,切迫早産になりました。それで私傷病職免取らせていただきました。
質問者の趣旨は私病か,原告の御主張に出てくる職業関係の病気かの区別をしたいという趣旨でお尋ねしてるだけなので,それで結構です。この裁判の訴状を拝見すると,昭和53年4月ころから左手環指の背側から前腕にかけての痛み,肩こり,聴力異常が発症し,頚肩腕症候群と診断されたという御主張がありますので,事実も,あとあなたの御認識もそうだと承つてよろしいですか。
左に限定したということじゃなくて,先に左から症状が出てきた。
更に私傷病職免の期間を確認しますけれども,昭和53年に入ると,6月26日から7月13日までの間,それから同じく53年8月18日から10月28日までの間,53年11月6日からちょっと長くなって昭和55年12月5日までの間と,まとまりでいうと3つのまとまりの期間,私傷病職免で勤務には就かれていないんですが,これは,今訴状で御主張になっているような頚肩腕症候群が原因であると承ってよろしいんでしょうか。
それが,いまだかつて私傷病職免という形で残っているかどうかというのは,私は実は分かりません。市の職員でいいますと公務災害、私の場合は業務上災害ということで,業務に起因して休んだものは、これは業務をしたとみなすという形で,労基署のほうから判断されていると思うんで,私傷病職免というのがずっと残されているのかどうかというのは,私としてみれば業務のつもりでおりました。
私傷病職免というタイトルを入れたのがまずければ,この際タイトルは置いておいて,今伺った3つのまとまりの期間をお休みになった理由は,頚肩腕症候群が原因だと承っていいんでしょうか。
   それだけではありません。
主な原因は,これでよろしいですか。
   はい。
あなたの御主張では,頚肩腕症候群は労働災害によるものであって,それが原因の休業であるという御主張ですよね。
   はい。
御主張の内容がよく分からないんで,確認する意味なんですけれども,昭和56年8月の段階で,過去2年にさかのぼって労働災害と認められたという趣旨の御主張があるんですよ。そういう主張をされていることは御認識されていますよね。
   はい。
過去2年という,単純に2を引くと,昭和54年になってしまうんですけれども,端的に言って,意味が分からないんです。どの時点で,どこからどこまでの休みが業務上災害の休業となったということなんですか。
労基署の一つの法律的な制度の中のことだと思うんですが,業務に起因した疾病若しくはけがのことに対して請求するときにi2年前までの時効というんですか,裁判でも時効というのがあると思うんですが,これのケースについては時効が何年だよ,これのケースについては時効はもうちょっと多くて何年だよとか,いろんな法律の中でのとか,制度の中での時効というのがあると思うんですが,私の頚肩腕障害の申請ができた日にちが,実際に頚肩腕障害の症状が出てお医者さんにかかって治療費を払って医療にかかり始めたときと,申請ができたときと,時間的な差がございまして,申請した2年前まで請求させていただいたということです。
労災保険法のことを今おっしやりかけたと思うんですけれども,あなたも御存じと思いますけれども,労災保険法で支給する対象として,大きく分けると,業務に起因する業務災害と通勤途中のことに関係する通勤災害と2つに分かれるのは,お分かりですよね。
   はい。
業務災害の場合にも,具体的に何を支給するかによって,治療関係の療養補償給付というやつとか,仕事を休んで給料が減っちゃった場合の休業補償というやつとか,それから後遺症になった場合の障害補償給付という種類があるのは,御存じでしょう。
   はい。
同じく通勤災害のほうも,こっちは補償という言葉は抜けちゃうんだけれども,療養給付,休業給付,障害給付という種類の給付があることは御存じですね。
   はい。
あなたが頚肩腕症候群と診断されてから後,現在までの間に,細かい支給決定は後で伺いますけれども,頚肩腕症候群について業務災害だという前提でいろんな手続をされたのと,それから通勤災害で1回けがをされて,通勤災害を前提に手続をされたのとあると承っていますが,それでよろしいですか。
   はい,そうです。
2つでいいですか。ほかに別に業務災害があるから手続をしたこととか,通勤災害があるということで手続をしたことはないですね。大きく分けると,頚肩腕症候群での業務災害の手続と通勤中の事故1回の通勤災害の手続と2種類というふうに理解していいですか。
   業務にかかわるもので申請したもの,はい,そうです。
頚肩腕症候群になったことを前提に,業務災害に基づく各補償給付の請求をいろいろなさいましたよね。
   はい。
それは知っているんですけれど.も,一番最初は,いつそういう申請をなさったんですか。
申請をしたのは,先ほど金子先生がおっしゃった,2年にさかのぼってというその時期です。
乙第46号証,乙第47号証,甲第7号証を示す
これは,あなたが学校保健会にお出しになったものだと思いますが,それはそれで間違いないですね。
   はい。
乙第46号証のほうは,明確には日付がないんですが,文章からすると,昭和54年2月6日からの休職を更新廟で出されているから,このころにお書きになったものでしょうね。
   はい。
よく分からないのは,乙第46号証の一番下のほうに,「業務上に起因した疾病と考え,今後,労災認定申請を予定しています」と確かに書いていらっしやるんですよ。
   はい。
乙第47号を拝見すると,一番最後の行で,「なお,この病気は業務上起因した疾病と考え,労災認定申請をいたします」と書いてありますね。
   はい。
乙第46号証の時点で,既に申請予定だとおっしゃっているのに,乙第47号証をお書きの段階まで,実際には申請をなさっていないように思うんですけれども,していなかったことは,それ自体間違いないですか。
こちら側の提出した年表を見ないと,申請した日にちが何年の何月かというのがちょっと。
年表出ていないと思うんですよ。
被告側から出された私の疾病にかかわる年表一覧表がございましたら,提示していただけますか。
この昭和54年2月ごろの時点で労災認定申請を予定されているとおっしゃっていて,ところが,1980年ですから,55年まで実際には認定申請されていないように思うんで,されていないのは間違いがないのかどうかの確認をしてるんですけれども。
   認定を出した日にちの確認ですか。
それが確認できれば,それで目的は達しますけれども。
書類そのものは,署名捺印する欄があって,判こいだいて,労基署に出してしまっているんで,ちょっと分かりませんが,保健会側の資料によりますと,56年8月労働災害認定と書いてございます。
その日付は私も知っているんですけれども,乙第46号証が,昭和54年2月の段階で書かれているんですけれども,同じころにすぐに労災申請をされていないように私は思うんですけれども,もし本当にやっていないんだったら,それはどうしてですかという質問ですが。
   認定の手続に時間が掛かったということ。
認定手続の前提としては、申請書を出さなければいけないんですけれども,乙第46号証と乙第47号証を見比べる限りでは,申請書そのものをまだあなたがお出しになっていなかったように思うんで,こういう質問をしてるんです。
   保健会のほうの資料をもう一回確かめていただければ,有り難いです。
確かめた限りのものは今日書証で出しているので,これ以上のものは見付からなかったんで聞いているんですよ。
書類を提出した2年さかのぼって医療費の給付,それから貸金でカットされた場合の補償はするという認定が下りたのは記憶しています。
時期が明確なお答えいただけなかったんですが,次の質問をしますが,いずれにせよ,時期の点は置いておいて,頚肩腕症候群に基づいての業務災害だという理由での労災保険申請されたことは間違いないですね。
   はい。
乙第49号証を示す
被告が保存していた写しを改めて調べて,見付けたものの1つなんですが,はがきの表裏だと思いますが,あなたあてのお金が出たという通知書であることは分かりますね。
   はい。
2枚目を見ていただくと,「休業補償給付」及び「休業特別支給金」のところに丸が付いているから,こういうものが支給されたのが,これでお分かりですね。
   はい。
補償という言葉が付いていますので,業務災害に関するものだと思いますので,頚肩腕症候群に基づくものと理解してよろしいですか。
   はい。
乙第50号証を示す
これは,昭和58年7月11日付けで出された横浜南労働基準監督署長名の文書ですが,「保険給付一部不支給決定」と書いてあるんですよ。真ん中辺を見ると,療養補償給付の一部が不支給決定になったという通知書のようですが,こういう通知をあなたも受けたことは御記憶ありますか。
   はい,あります。
これも,頚肩腕症候群に基づいて,あなためほうは療養補償給付を申請したけど一部不支給決定になったという関係でいいんでしょうか。
   はい,一部不支給です。
昭和59年4月7日から同じ年の5月2日まで,私傷病職免でお休みになっているんですけど、これはとういう理由でお休みになったんでしょうか。
   ............
甲第7号証を示す
甲第7号証でも,今お尋ねした期間,昭和59年4月7日から26日間のお休みが出ていますでしょう。
   1か月弱,はい,ここにあります。
備考には何も書いていないので,理由をもし覚えていっしゃったら言っていただけますか。
多分で,頚肩腕障害の治療には,一般的な病院での治療,それから自分ででき得る全身運動をかなりやっていました。お昼休み含めてプールに行ったり,休暇を取って,スキー,マラソンをかなりやっていて,スキーで転倒して頚椎ねんざをしたことがあります。
今お尋ねしてる私傷病職免は,そのスキーでの転倒事故でのけがが原因だと御記憶されていったわけですね。
   多分そうではないかと思います。
この病名は,昭和59年4月10日に頚椎ねんざでの診断書が出ていますけれども,これが今おっしゃったスキーの転倒事故によるおけがでしょうか。
   そうです。
直接には,頚肩腕症候群とは関係ないという理解でよろしいですか。
   その前から頚肩腕障害で治療していましたので。
あなたの御趣旨としては,治療の一環でスキーに行ったんだということをおっしゃりたいわけですか。
   はい,そうです。
昭和62年7月13日から同じ年の9月4日まで,被告の記憶上のタイトルでは欠勤になっているんですけれども,この際タイトルは置いておきますけど,これは,あなたが通勤中に事故に遭ってけがをされたことによる勤務のお休みということでいいですか。
   もう一回,その時期が欠勤かどうかというのは。
甲第7号証を示したままにしておきます。
 (11)の項目の中に欠勤が生じていますか。
質問で,欠勤という言葉を使ったかもしれませんが、欠勤かどうかは質問者明確じゃありませんでしたから,甲第7号証によれば,「通勤災害による休業」と書いてありますけど,昭和62年7月13日の交通事故が原因で勤務を休まれたということでよろしいですか。
   はい。
これは,通勤途中にバイクを運転されていて,結果としては転んでしまったということでしょうか。
   はい,そうです。
乙第52号証を示す
乙第52号証が,通勤途中のバイク事故によるおけがについての「療養給付たる療養の給付請求書」ですね。
   はい。
2ページ目には事故の様子も書いていらっしゃるわけですね。
   はい。
この通勤途中の事故によってけがをされたけがの状況は,1ページに書いてありますが,「頚椎挫傷,右側胸部及び足関節挫創」というおけがをされたということでよろしいですか。
   この診断のとおりだと思います。
ここで,また頚椎にダメージを受けられたわけですね。
   ............。
「頚椎挫傷」と書いてあるから。
ねんざと挫傷,挫創,例えば擦り傷とかねんざの医学的な違いを申したらいいですか。
ダメージという質問者の表現が間違っていたわけですか。
医学的に,頚椎ねんざというのはよくむち打ちという言葉を使います。頚椎挫傷というのは,いわゆるむち打ちの中のどこの部分かというのは,私には挫傷とねんざの違いがちょっと分かりません。
質問者もそういう医学的なことをお尋ねしてるわではなくて,要するに頚椎に挫傷を受けたんですかということを確認したかっただけなんですけれども。
胸部は擦り傷,足とか胸に擦り傷を負って,かなりすれたような記憶していますが,首の骨がその後どうなったかというのは,どの部分がどうだというのは,済みません,整形外科にもう一度確かめないと分かりません。
乙第53号証ないし乙第56号証を示す
これは,それぞれ個別の質問は,時間の制約もあるのでやめますが,いずれもあなたについて,これに書いてあるような支給の決定がされたという内容とか,あるいは請求をされたという内容の書面で間違いないですか。
私が請求したものなんですが,最初のいろんな休暇の中で,お休みに入るに当たって,医療費のことは質問されなかったです,労災申請で。乙第53号証が提出されたのは,これは,はり・きゅう,マッサージの治療費の......。
請求書ですね。
   ええ,療養給付のものです。
今見てもらっている53,54,55,56そのものは,あなたが請求した書類とか,一定のものの支給決定をされた通知書であることは間違いないですね。
   はい。
頚肩腕症候群は,最終的には後遺症として障害補償給付がされたんでしょうか。
   症状が固定した段階で給付がなされました。
乙第56号証を示します。「障害補償一時金」「障害特別支給金」「特別給与の特別支給金」というところに,それぞれ丸が付いているから,こういう支給はあったわけですな。
   はい。
これが,おそらく頚肩腕症候群についての障害補償関係だと思いますけれども,そういう理解でよろしいですか。
   と思います。
下のほうに小さい字で書いてあるけど,障害等級は第12級という認定があったんですね。
   はい,そうです。
あなたの訴状では,昭和63年3月未に症状固定という主張をされているんですよ。これは,3月末をもって症状固定になって,それに基づいて今お見せした障害補償一時金の指定があったという関係で理解していいんでしょうか。
   年月をもう一回。
訴状では,昭和63年3月末に症状固定しましたといっていらっしゃるんです。今お見せしたのが,昭和63年8月4日付けなんです。5か月後でしょう。
   少し差がある。
だけども,それは手続のずれだけで,3月未に固定をしたから8月付けで障害補償一時金が支給されたという関係でいいのかなと思って伺っている。
実際的な医療上の症状固定と労災保険の障害等級症状固定が,厳密に一致してるかどうかというのは,実はいろんな,私にかかわる裁判じゃなくて,つい最近までずっと10年間ぐらいかけて,職業病に対するはり・きゅう治療費,それと労働省の通達を巡る裁判がずっとなされていることもたくさんありまして,医学的な症状固定と制度上の症状固定とずれがあるとは思います。
今,あなたが裁判とおっしゃっているのは,乙第54号証に判こを押されている菊池医師とかが裁判を起こレているということですか。
菊池医師がどういう裁判をされているかというのは存じ上げませんが,公の機関においては,大きな,はり・きゅう治療に対する労働省に対して,被告かどうか忘れてしまいましたが,一斉に全国の労災認定患者に対して,一般の医療費とは別に,はり・きゅう,あんま,マッサージの治療費をずっとしてくださっていました,国から若しくは職場であったりしますが。労働省からの通達,375通達と571通達,もしかして数字が違っていたら申し訳ないんですが,、2つの通達が出されて,全国の労災患者の,はり・きゅうにかかり始めて1年以上かかった後のはり・きゅうを全部打ち切るという通達が出たことがあるんです。
それで,いろいろ裁判になったことをさっきおっしゃったんですね。
   はい,そうです。
要は,はり・きゅうに関しては,労災で認められるか認められないか,いろいろな見解で争いがあったということでいいですよね。
はい。更に,先ほど障害等級12級というふうに等級を付けられた後は,はり・きゆう治療費に関しては,アフターケアという形で,労災から直接医療所に対して,医療所が今度は労基署に請求をしてたと思います。
前回の尋問で,労働基準監督署のほうから検査業務は500人以下に押さえろというような趣旨の指導があったというお話をされましたね。
   はい。
これはあなたが直接労働基準監督官からお聞きになったことなんですか。
労働基準監督官が職場に対してそういう指導をするということを,口頭で私のほうにおっしゃいました。
事前に指導をしようと思っているということを,あなたがお聞きになったという趣旨ですか。
   もう一度お願いします。
実際にするよりも前の事前に,こういう指導をしようと思っているという趣旨のことを監督官から聞いたという趣旨ですか。
事前にというよりも,私のほうには医療費の給付,それから一般医療以外にかかるはり・きゅうの支給,これ2つまとめて医療費としますが,医療費と,それから休んだときの業務をしたという扱い,貸金カットされたときの保障,それを過去2年間さかのぼって制度でできるものは支給しますよ,これは私に対してです。
徳見さん,質問に答えてください。僕が聞いているのは,労働基準監督官から聞いた内容は,既に指導したんだという内容ではなくて,これから指導しようと思っているという趣旨をお聞きになったんでしょうか。
   そうです。
さらに時間が経過して,実際にそういう指導をしたんだということはお聞きになっていますか。
先ほどの質問とのかねあいで,私に対する支給決定及び指導と,職場に対する指導と同時にすると労働基準監督署が,私にはこうこうこういう給付だとか保障をし,治療に専念でき得ることの保障と,それから職場への業務量のことを職場にこの旨指導するという2つのこと。
それからしばらく時間がたった後に,いや,徳見さん実際に指導をしましたよというふうに,労働基準監督官から聞いたことがあるかないか,それだけを答えていただければいいんです。
それはすみません,私に対する指導でなかったので聞いていません。
あなたの知る限りで結構ですが,あなたと御一緒に働いていらっしゃった被告の職員である歯科衛生士で,労災認定を受けた方はいますか。
おりません。
今ずっと頚肩腕症候群とか通勤災害のことを質問してきたんですが,昭和55年より後になると,昭和59年までは復職されて勤務現場に戻られているようで,それはそれでいいですよね,間違いないですね。
   ............。
甲第7号証を示す
この昭和55年から59年までは勤務現場に戻られていると思いますが、その現場でも何かお仕事をする上で支障があったのは間違いないことなんでしょうか。
   リハビリ勤務をすることができる。
訴状でもあなたはリハビリ勤務という表現を使われているので、そのリハビリ勤務というのは,ほかの職員の方に比べれば仕事量は少なかったということなんでしょうか。
どれをもって仕事量というのが分からないんですが,腕を上げ続けている時間と検査人数とのかねあいで,半日勤務から入ったということです。
最初は半日勤務だったんですか。
   はい。
その後は半日ではなくて全部出るようにはなったんですか。
   はい。
全部出るようになられた段階でも,ほかの歯科衛生士の方に比べれば,リハビリ勤務だから仕事量は少し少なかったとか,軽減されていたとか,そういった状況にはあったんですか。
リハビリ勤務を終えた後は,業務量が少ないというのをどこで算定されているのかよく分かりません。
前回の証言で調書でいうと9ページ当たりになるんですが,時期ははっきりはしませんが,あなたのおっしゃっているのはあなたなりに仕事のやり方を工夫された,どう工夫したかというと,あなたが座って検査をして,見やすい高さの低学年においては立ってやることもあったりとか,あるいは両サイドに児童が座るようにして,双方が座って検査を行うように工夫したとおっしゃっているんですけど,これはあなたなりにほかの歯科衛生士さんとは違ってリハビリ勤務のような状況にあるから,あなたなりに仕事がしやすいように工夫をしたというふうに理解していいんですか。
   リハビリ勤務ではないです。
両サイドに児童を座らせるように工夫をしたのはなぜなんですか。
   子供たちの流れを効率よくするためです。
ほかの歯科衛生士だったら,普通に前に一列に並ばせて清掃検査ができるところを,あなたの場合には当時の場合でもそれでは時間がうまく回らないから,両サイドに振り分けたということではないんですか。
そうではありません。これは座って検査をするのは私1人だけではありません。ほとんどの歯科衛生士も座って検査することがあります。いすに子供たちが座るときに,立ったり座ったりする時間というのが何秒かかかります。ほかの歯科衛生士の人が早くするためには,子供を引き寄せて早く座らせるとか,担任の先生が早く立たせて次の児童を早く座らせるとかいう補佐があるときもあるんですが。2ついすを置くことによって,1人検査をやっている間に,次の生徒さんは立ったり座ったりする時間は検査業務に踏み込まないで,もう用意してくれている,だから両サイドにいすを添えて,その分個別的な注意指導をしながらの検査のやり方に変えていったんです。
ただその時期にあなたが検査する人数は,職業病におなりになる前と比べて減ってしまったわけでしょう。
これは私1人だけじやありません。

人数が減ったのはあなた1人だけじゃないんですか。
ありません。
前回のお答えの趣旨が分からないんですけど,調書10ページでそういう趣旨にも読めるんで確認しているんですけど。そのときに児童の検査する人数が減ったというのはどういう趣旨なんですか。
先ほど申した,労働基準監督署が徳見の業務に対する検査人数を500人に押さえよという指導じゃなくて,職場全体の歯科衛生士の検査人数を500名に押さえよという,職場あての指導をするということで,ほかの歯科衛生士の方も人数を考えながら検査をできるようになったんです。
頚椎症性脊髄症というものにおなりになってしまいましたね。
はい。
それは昭和63年12月ころに南共済病院に入院された前後ころに,発病が判明したというふうに理解してよろしいですか。
   南共済に入院する半年くらい前に発見されました。
頚椎症性脊髄症の原因は分かっているんですか。分かってなければそれで結構です。
何割が転倒によるもので,何割が職業性のものであるというのは,死んでから解剖したら分かるかなというふうに医者は言っていました。何割がどっちで何割がどれという言い方は今はできないというふうにおっしゃっていました。
その後平成3年2月26日に,リハビリセンターでの転倒事故があったという御主張をされていますでしょう。
   はい。
その事故があるまでは,いったんは日常生活上自立できるまでになったけれども,またリハビリセンターの事故が原因で,歩行とか日常生活が自力できない状況になったという流れであることは間違いないですか。
   はい。
あなたのほうで職場復帰を希望された時期があるようですけれども,その点はちょっと置いておくとして、結果としてその後昭和63年12月23日以降には職場での勤務には就かれていませんね。
   就いておりません。
今伺ったように,あなたは職場復帰の要望をある時期にお出しになっているんですが,これはいつの時点から職場復帰を要望しようというお考えをお持ちになったんでしょうか。
   休職に入っている段階です。
もちろんそうでしょうけれども,どうもある期間は特にあなたのほうで職場復帰を希望されていないように思われる期間があって,ある時期から職場復帰の希望が出たようにもお見受けするのでこういう質問をしているんです。
   質問の趣旨がよく分かりません。
訴状には御主張としてですけれども,平成4年3月25日ごろから職場復帰を求めたような記載もあるんですね,そういう認識はありますか。
職場復帰を求めてないんでしたら,自動的に自分は退職金いただいて辞めると思います。
訴状を示す
8ページの4行目,「原告は,介助者を要する状況下でも職場復帰を実現したいと望んで,同年3月25日に被告担当責任者と面接し」という主張をされているので,これだけを読むと,この年の3月25日ごろを境に職場復帰を求められたという趣旨かなとも思うし,はっきりしないので伺っているんです。
その時期を境に職場復帰をしようとしたという気持ちも,そういうことを考えたことはないです。ずっと職場復帰するつもりで休みをいただいて,治療に専念してきましたので,医者がもういいよという段階でそういうふうに言葉化したのかもしれません。
医者がもういいよと言ったから具体的に被告側に職場復帰を求めることにしたという理解でいいですか。
医者が仕事を休んで医療にかかれよという,もうその段階でなくなっているよという日にちを待ってそういう文書にしたのかもしれません。
だれしもいずれは職場復帰したいということで治療に専念することは分かるので,あなたもそうであったとはもちろん思うんですよ。私が聞きたいのはそうではなくて,具体的に職場復帰をしたいんですと被告にやっぱりある時期に訴えるわけでしょう,そうじゃないんでしょうか。
休職中からその内容をお休みをいただくに当たってのお手紙で,私の気持ちがその手紙には表れていたようには感じますが。
乙第57号証ないし乙第64号証を示す
いずれもあなたがお書きになって被告に出したお手紙だと思いますが,間違いないかちょっと確認いただけますか。
   はい,間違いございません。
この手紙の中に書いた時点でのあなたのお体の状況とか,あるいは生活の状況も時々お書きになっていますね。
   はい。
これを拝見していると,私の読み方に問題があるかもしれませんが,特にあなたの症状がよくなったと明確に読めるようなものがないものですから,どうして職場復帰を具体的に求める気持ちに変わったのかなという点をお聞きしたくて質問を続けているんです。
途中で変わっていないので,大変申し訳ありません,答え方が分かりません。今たくさん見せてくださった文書は,医療に専念する休暇をくださいというお願いの文書のものなので,様式がまた違ってきます。
医療に専念する期間をくださいとずっとおっしゃっていたあなたが,ある時期からは職場復帰させてくださいとおっしゃっているので,どこかで線が引けると思って質問していたんですけど,あんまりそのへんの明確な記憶はないですか。
   それは医学的には医者が判断するもので,こちらが判断するものではないです。
その医学的な医者の判断というのは具体的には何かあったんですか。
医者の指示に基づいて,仕事を休んでこの部分はこういう治療をする,この時期はこういう治療をするという経過の中でのことです。
逆に職場復帰を具体的に希望されたのは,医者から具体的に職場復帰していいよと言われたからということになるんですか。
職場復帰していいかどうかというのは,雇用する側がそれをオーケーしてくれるかどうか,医学的に休業して医療に専念する体かどうかという診断をしていただいた,医者には。
職場復帰をそろそろ出してもいいよとお医者さんが言ったという事実はあるんですか。
それは医者との問診で私がどうですかというやり取りの中で,筋力がこうだからこういうふうにというふうに医者の判断も入ります。休業が必要な状態かどうかという判断です。
乙65号証を示す
これは私が調べた限りでは,職場復帰願という題名でこの時期にあなたがお出しになった最初の書面のように思うんですが,そういう理解でよろしいでしょうか。
   はい。
平成4年4月10日付けで職場復帰を出されていますね。
   はい。
今のすぐ前の質問にも絡むんですが,これをお出しになったきっかけは,医師の方からの職場復帰願を出すことで問題ないという何らかのアドバイスがあったからでしょうか。
   医学上の問題でしようか。
そうです。
医者は休んで医療に専念する状態ではないというふうに。仕事を休んで医療を受ける,例えば入院とか,あなたに今休養しなければ駄目だよという状態ではない,医療はかかる。
乙第30号証を示す
これは平成4年4月8日付けだから,今見てもらった乙第65号証の2日前に書かれた診断書ですよね。
   はい。
被告側には乙第30号証の診断書と乙第65号証の職場復帰願を一緒にお出しになったんじゃなかったでしょうか。
   そうです。
そうすると乙第30号証には,「単独の就業は困難と考える」と書いてありますね。
   はい,書いてございます。
それを前提としてのあなたは職場復帰廟を出したということでよろしいですか。
その前の前提がございますが。車いすじゃ駄目だって何回か言われているんです。その上の単独ではという。
この裁判では証拠に出てないんですが,平成3年の7月ごろにあなたはリハビリセンターのイトウ医師という方の診察を受けたことがありますか。
   何回かあります。
その段階で左手を上げるとそのまま維持できない,あるいは震えなど不随意運動が起こる,左足がつってしまうため車を改造しなければ運転できない。
   左ってなっていますか。
ええ。それから車いすも電動が必要というような症状だったということは間違いないでしょうか。
   右もつっていました。
右もつっていた。
   はい。
左も。
   はい。
両足ともつっていたんですか。
   はい。
そういう症状が平成3年当時の症状だということは間違いないですか。
   と思います。
今裁判で問題になっている免職が平成6年から検討されて7年ということだと思いますけれども,平成6年ないし7年当時のあなたの症状は,リハビリセンターでの事故があった後の,具体的にいうと今伺った平成3年とか,そういった時期の症状とはそれほど変わっていないと伺ってよろしいですか。
   急性症状は取れました。
今質問に出たような左手を上げて維持できないとか,震えなどの不随意運動が起こるという点はいかがですか。
   それは同じです。
原告の準備書面とか甲第6号証でもおっしゃっていますので争いはないと思うんですが,左の腕を上げ続けるということはできないんですね。
   続けると震えます。
それでも上げ続けようと努力するとどういう状態になるんですか。
震え続けて8時間上げ続けたことがありませんが,筋肉痛が起きるか,筋肉疲労は起きると思います。
特に左手の筋肉はとても弱いんですね,筋力の面で。
   杉井ドクターの診察によると握力が9から12でした。
握力9というのは9キログラムということですよね。
   はい。
これは小学生の1年生,2年生程度の握力と聞いたことがあるんですけど,そのようなものでよろしいですか。
   それくらいだと思います。
指の点でいうと,左の指はやはり筋力は弱いんですか。
握力と指も関連性がありますが,指筋と聞いたことがないのでよく分かりませんが,握力という数字で出ています。
左の指5本の中でも,左の親指の筋力が顕著に低いと言われたことはありますか。
   はい,あります。
やはり平成六,七年当時もそういう状況だったことは間違いないですか。
   はい。
甲第60号証を示す
これは前回原告のほうでお出しになったもので,恐らく一連のビデオの中から14コマを静止画で印刷されたものですよね。
   はい,そうです。
本当はビデオ本体があるんですか。
   はい,ございます。
全部で何分くらいのものなんですか。
これに関するビデオは多分2時間とか,ほとんどの記録はビデオで撮れる分は撮っていましたので。
今回ビデオはお出しにならずに静止画だけにしておこうとお考えになったのは,何か事情があるんですか,それとも別に深い事情はないんですか。
深い意味はないです。1回ビデオで見ていただいたことがあったのと,それでビデオをお出ししても大丈夫だと思いますが。
甲第60号証の例えば8コマ,9コマ,10コマ目を見ると,確かにあなたの左手が写ってはいるんですけれども,見る私としてはちょっとぎこちないようにお見受けして,左手を単に添えられている形にすぎないように思うんですけど,私の認識は違いますか。
   今でも多分ぎこちないと思います。
手をこのように添えることはできるとおっしゃりたいわけですか。
   どういう動作が細かくできるかという説明の質問でしょうか。
そうです。
簡単に言ってしまいますと,今の日常生活の中で私は弦楽器をやっています,それと畑仕事もやっています,何とかやりこなせると言ったら分かりますか。
余り分からない。
   弦楽器で弦を押さえているたこを見ていただければ分かりますか,
   弾いているところを見ていただければ分かりますか。
左なのでふだんは使わないかもしれませんが,左手でペンは持てますか。
   鉛筆を使って書いたことはありません,歯ブラシは持ちます。
ボールとかを握ることはできるんですか。
   小学校1年生はボールをみんな持ってますから,持てます。
平成六,七年当時のことを今ちょっと伺ったんですが,平成7年に今回の免職になった後,あなたは引き続きリハビリはお続けになっているんですか。
   日常的にずっとリハビリ中です。
あなたの認識として,平成7年当時と今では少しは症状がよくなったとお考えですか。
   症状は変わっていないです。
リハビリの効果が出てきて日常生活に支障がなくなってきたということではないんでしょうか。
リハビリというのは障害をなくすことではないんです。持てている筋力を保持しつづける努力,それから自助具とか補助具を使って,その体を酷使しないで作業していくこともリハビリでございまして,多分死ぬまで私はリハビリをやっていると思います。
そのリハビリがあなたの認識では少しは効果があったという御認識ですか。
   その効果というのが分かりません。
あなたのおっしゃったリハビリの目的が前提での質問なんですけど。
   最大限体力保持をずっと作りつづけている日常です。
被告の歯科衛生士についてちょっと質問を変えていきますが,歯科衛生士というのは国家資格ですよね。
   はい。
歯科衛生士になった方が全国レベルで加入する団体というのがあるんですか。例えば弁護士でいえば弁護士会のようなものなんですけど。
弁護士会,それからはり・きゅう,あんま,あと医師ですね,それで医師会だったり弁護士会であったり,はり・きゅうの団体の登録がありますが,歯科衛生士会は全員加入かどうかというのは,任意の団体です。
全国に体が御不自由な障害者の歯科衛生士の方というのは,何人くらいいらっしゃるかは御存じですか。
   分かりません。
お調べになっていなくて分からないんですか。
   衛生士会がどの程度把握しているかというのが分かりません。
学校保健現場で従事されている歯科衛生士の方で,お体が不自由な障害者の方というのはいらっしゃるんですか。
全国で学校現場で働いている歯科衛生士の数は非常に少ないです。その中でも一番多いのが横浜と横須賀でございます。あとは衛生歯科に委託していたり人数が少なかったりという数ですので,その中では障害者は休む前まではいたとは聞いていませんが,かつて障害者の人がいたというのは聞いています。
被告横浜市学校保健会の職員は,事務職員はあなたの在職当時1名だけだったですよね。
   嘱託。
しかも嘱託ですね。
   はい。
あとは皆さん歯科衛生士ゐ方ですよね。
   はい。
あなたは在職当時の,しかも勤務に出ていた当時の認識で結構ですが,歯科衛生士の主なお仕事は各小学校に行く歯科巡回指導ですよね。
   はい,主な仕事は。             
週に1日だけ巡回に出ない日もあったようですけれども,それ以外の曜日は全員が必ずどこかの小学校に巡回に行っているという状況だったことは間違いないでしょうか。
   そうではありません。
週に1回だけ事務処理をする日があったようですけど,それ以外はほとんど小学校を手分けして回っていたんじゃないんですか。
   年間に学校巡回している日数が112日とか118日ぐらいでしたから。
乙第34号証を示す
これは平成6年度ですから,あなたはもう勤務にはつかれていない時期ですが,これを見る限りでは,どの歯科衛生士の方も今伺った週に1日の事務処理日を別にすれば,必ずどこかの小学校に行っているようなんですけど,違うんですか。
学校が検査とか指導に入れる期間の日程表です。学校に全員が行っていない期間もあるんです。それは学校に配る必要ないのでそこの日程表には載っていません。
あなたの勤務についていた時期の認識ですけれども,歯科衛生士としての歯科巡回指導とか,その中の歯口清掃検査の状況がまるでベルトコンベヤー状態だとか,とても忙しかったような認識はお持ちですよね。
   はい。
被告はこの裁判で,例えば児童1人についての清掃検査に当てられる時間は1分あるかないかだったという主張をしているんですが,それがいいか悪いかの議論は別にして,現状でそういうようなやり方をされていたことはあなたも認識されていますよね。
   もっと早いスピードでやったことも。
もっと短い時間じゃないと回らなかった。
今おっしゃった,被告が1分とかというお時間で,こちらがビデオ撮影で提出した検査時間が大体そのくらい,前後してそのくらいで設定して,検査したビデオを提出しましたが。
あなたがビデオを提出したのはもちろん拝見していますし,被告が出したビデオもこの法廷でみんなで見ましたから,あなたも見ましたよね。
   はい。
それがいいとか悪いとか議論するつもりはないんですよ,あなたの在職当時に現実にやられていた歯口清掃検査のやり方,どれくらい忙しいかについてはあのビデオのとおりでよろしいですか。
   いいえ。
どこか違うんですか。
午前中に500人の検査をする場合と,個別的注意を与えながら150人やる場合とでは速度が違います。速度が1人当たりに対してたくさんのお時間をいただけるんですと,個別的指導それと児童と私のやり取りを含めた形での指導と検査ができる検査をすることができます,判定の記号以外に。
することができるかどうかはちょっとやめといて,実際に平成6年,7年当時,あるいはそのときはあなたは職場を知らないというのであれば,あなたが勤務についていた当時の1人の子供に当てる歯口清掃検査の忙しさの度合いは,被告のビデオのとおりでいいんじゃないですか。
被告のビデオはあれは検査のスピードのごく一部です,姿勢もごく一部です。学校の規模と検査人数によって全部違ってきますが。
学校の規模については大まかに言葉の定義ですけれども,大規模校,中規模校,小規模校というふうに学校の規模を3ランクに分けるとか,以前は大規模校と小規模校とか2ランクに分けるとか,そういう分け方がされていたのは御存じですね。
   はい。
大規模校,つまり一番児童数の多い学校の諸に統一しますが,そういう学校で子供1人にどのくらい時間が割けるか,次から次へと見なきゃいけない忙しさという点では,被告が出したビデオのとおりじゃないんですか。
   学校によっては個別的検査を望む学校はそういうふうにはしていません。
大規模校でも違う例があるとおっしゃりたいんですか。
   はい。学校保健会作成の事業報告にその旨出ておりました。
そういう例外があるのかないのかはちょっと私には分かりませんが,大体は被告が出したビデオのように次から次へ子供を見るのが現実だったんじゃないんですか。

原告代理人(新美)
   裁判長,もうそれは繰り返しですのでその程度で。

被告代理人
そうですね,この質問で終わります。
   誤解されると...。

原告代理人(新美)
   答える必要ないです。

被告代理人
乙第48号証を示す
これは一番後ろに1981年とだけ書いてあって,あなたのお名前があるから,この時期ごろにあなたが書いた文書であることは間違いないですか。
   私が書いた文書ではありません。
あなたの名前になっているんですけど,どういう文書か説明していただけますか。
   作成は私ですが,私が書いたものではありません。
別の方が代筆したということですか。
   はい。
あなたの言いたい趣旨を書いたものでしょう。
   これはどこから入手されたのか分かりません。
被告の保存記録にあったので,これは先ほどずっと質問してきた労災関係の書類の一部かなと思って今日は書証に出したんです。
   これは労基署に対して提出した文書の控えでございます。
古いもののようなので,私もどういう経過で被告側に保存されていたかは分からないんですけれども,内容はあなたがだれかに代筆してもらって,あなたの言いたいことを書いた文書という理解でよろしいですか。
   そうです。保健会に提出したものではございません。
時期はちょっと違ってくるんですが,その中の2ページ目の上から3行目,「検査の時は何百名もの児童の口を手指で力を入れておしひろげるので,痛みやしびれ,血行不良をともない,時にはグローブの様に手が腫れあがる」と書いてありますね。
   はい,書いてあります。
これを書いた時点という話に限定して結構ですが,その当時の歯口清掃検査業務の実態はそのような実態だったということでよろしいでしょうか。
   頚肩腕障害の治療の初期のころの状態です。
この裁判にあなたが甲第6号証としてお出しになった意見陳述書の中にも,歯口清掃検査業務については「子供の唇を押し広げて,のぞき込む姿勢で,中腰のまま腕を宙に浮かせたまま,次から次へとベルトコンベヤー状態で検査をする」と書いていらっしゃいますよね。
   書きました。
そういう検査実態があったことは間違いないですか。
   はい。
前回,あなたは横須賀方式というのをちょっとおっしゃったので確認しておきますが,横須賀方式というのは横浜市学校保健会でやっているような,歯口清掃検査業務をやっていますか。
   1時間で1クラスの子供を歯口清掃検査します。
横浜市学校保健会がやっているように,子供を並ばせて順番に口の中を見てAですよとか,そういうことを言うという方式の検査業務をやっていますか。
   やっております。
乙第38号証を示す
これは被告側が出したので,あるいはあなたのほうではよく内容が分からないかもしれませんが,2ページ目を見る限りでは横須賀市のところには歯磨き指導とは書いてあるけれども,歯口清掃検査はないようなので,やっていないんじゃないかと思うんですけれども。
実際に御覧になっていただくとより明確なんですが,横須賀では歯科衛生士の肉眼ではなく汚れを薬で染めます,薬で染めて色が染まったところを判定して,歯磨き指導に入ります。
それは子供を並ばせて1人ずつ見るという方式ではないんじゃないんですか。
   やっていると思います。
職場復帰の質問で,あなたの御主張の骨子は現状のままでは職場復帰はできないから,復帰できるように仕事の現状を変えろという御趣旨なんでしょうか。
   車いすを使って座って仕事をさせてください,それだけなんです。
車いすに座れば,あとは御自分だけで仕事ができるという御主張の趣旨なんでしょうか,それとも車いすに座った上で介助者もつけてほしいという御趣旨なんでしょうか。
介助者をつけてほしいというふうに当局に申出はしていない,自分で用意するということも,これは前回町のバリアフリー,機械にするのか町の構造にするのか,自分のサポートだったり福祉機器を改良するのか,人との助け合いでやるかということで,町がバリアフリー化が遅れていればそれだけ人手はかかります。介助者がどこの部分で駄目でどこでいいというんだったら,そこの部分を福祉機器で補うというやり取りの検討をしてほしかったということです。
確認しますけど,あなたのほうで見つけるのを前提でも結構ですけれども,車いすのまま職場に復帰させて,さらにあなたのほうで見つけられた介助者もつけてほしいという趣旨なんですか。
   つけてほしい...。
つけるのを認めてほしいという趣旨なんですか。
   介助者なしでやれる設備だったらこれは介助者はあえていりません。
介助者がなくてもできる方法として,あなたが考えていた方法はどんな方法ですか。
それは小学校の建物の構造,そしてこちらが指導に使う写真から、例えばOHPを使うとかパソコンでプロジェクターを使ってやるかで,荷物の大きさ重さによって全部異なってきます。
歯口清掃検査に紋りますけれども,その検査業務で介助者はなくてもこういう方法でやらせてほしいとあなたが考えていた方法は,どんな方法がありますか。
私も子供も両方が座ってやる検査,子供は座いすを改良したものであったり,丸いすであったり,私が座位が上下でき得る車いすを使うということで,それについて検査だけに紋ってとおっしゃいましたので,それはできると申し上げたんです。
あなたの前で子供を座らせてできるではないかというお考えなんですね。
   子供が寝たり少し横になったり含めてです。
座ってできるなら寝かす必要はないでしょう。
   はい。
座ってできないから寝かせるお考えをお持ちになったんじゃないんですか。
寝かせる、リクライニングシートってありますね,ああいうのが置けるスペースで,学校でもしそれがあるんだったらそれを使う,学校側が使ってくださいっておっしゃるであろうし,丸いすをお使いくださいとおっしゃるんでしたら丸いすを使うでしょうし,それに合わせてこちらが用意するものが違います。
子供を寝かせる方法もーつ今おっしゃったので伺いますが,あなたとしては,子供を寝かせることで,子供に対しての心理的な圧迫感があるのではないかという心配はされていないんですか。
   被告側から指摘されたことはございます。
被告はそういう指摘をしていますが,あなたは,そういう点は考えてもみなかったか,考えたけれどもそれは問題ないという御意見になっているのか,その点はどうですか。
   歯医者さんで全部それをやっていますので。
病院がそうだから,学校でも別に問題はないという認識なんですね。
全然ないとは言いませんが,どうしてそれにこだわるのかというのが,それが一番大きなポイントとして考えられるのかというのが分かりにくい。
問題が大きい問題か小さい問題かというのは評価の点なんで,議論はしないんですけれども,あなたも,全く病院と同じような扱いを学校現場で子供にしてはちょっとは問題があるという認識はありますか。
あの道具は,学校買えません。歯科のチェアは,学校は買うことはできません。保健会も、学校に支給する備品の予算はそんなにはありません。
そうすると,児童を横にすればあなたでも歯口清掃検査ができるというのは,現実性がないんじゃないんですか。
それは,ビデオでお示ししたり,両わきに背中を斜めにした座椅子を使ってやる方法もあるし,私のほうに対面でなく,上から見下ろす形でやるという方法がある,幾つも方法があるということを示したことがあります。
あなたの提出したビデオで、両サイドに子供を座らせて交互に見ることも,動作でされていましたよね。
   はい。
あれは,車いすで,左右の子供の方向に向きを変えるのは,簡単にできることなんですか。
   車いすで左右に方向を変えるということは,無理に変えなくても体でできますが。
子供も座高の高さが違うと思いますが,そういう子供の座高の高さが違うときには,どうやって視線を合わせようとお考えだったんですか。目の線。口が見えないと,検査できないでしょう。
立って子供を検査するときと,座って子供を検査するときは,大体私の視線と,子供が立っていた場合,それと座っている場合は,その差は2分の1ほどになります。
2分の1かどうかという数値を聞いているんじゃなくて,あなたに向き合っている子供の口の高さというのは個人差があるわけだから,あなたの車いすにお座りになっている目線よりも高ければ,何らかの方法で視線を上げなければいけないし,子供の口が低ければ,視線を下げなければいけないし,それは具体的にどういう方法で,あなたの視線を上下させるのかということを聞いているんです。
生徒さんの頭の位置が大体固定される調節というのは,幾らでもできると思うんですが。
どういう方法を考えていらっしゃったんですか。
例えばリクライニングの座いすであるならば,低学年では,この角度でこの枕を置く,中学年だったらここの位置に置く,ただし角度を少し下げてという工夫が,高さ調節の中で一つできます。私の側もできます。
裁判でお出しになっている書面でおっしゃっているところの,首当てのようないすを児童側に用意するというプランですか。
   (うなずく)
ただ,その首当てのようないすに児童に座らせても,はい次の人と次に児童が座ると,成長期の子供は首が合わないんじゃないですか。
少しは幅を1センチずつずらしていくかという,そういう細かい作業はしません。
特に小学生の真ん中辺になると,成長期だから,同じ学年でも座高の高さはかなり誤差があると思いますけれども,そのときに首当て付きのいすの高さをいちいちどうやって調整するんですか。それともしないんですか。
   大きな調節はしないでしょう。
子供側では,首が合わなくて痛いんじゃないですか。
頭が固定できるへこみのトンネルを作るということは駄目ですか。そういうのを自助具というんですが。
それをいちいち一人一人の児童で,具体的にどう調整するのか,あるいは調整することは考えていなかったのか,それを確認しているんです。
自助具を作るに当たって,現場での採寸を含めてやりたいという申出は,渡辺課長の段階でしております。
あなたの言う自助具がちょっとイメージできないんですけれども,私が聞きたいのは,子供一人一人で座高も違えば,身長も違うのに,一つの自助具なら自助具を使うとしても,児童が替わるごとに調整をしなければいけないんじゃないかなと思うんですけれども,違うんですか。
必ずしも児童の側だけで調整しなければできないというものではありません。
児童の側でなければ,どこを調整するんでしょうか。
それが難しい場合は,私の座面を移動,上下を変えれば済むと思います。
確かに車いすによっては,座面が上下に調整できるものがありますね。
   はい。
具体的には,あれはどういう方法で調整するんですか。
   レバー,指1本でですか。
どのくらいの時間で上下するんですか。
   45センチ上下するのに,1分かからないかなと思います。
1分くらいはかかってしまうんですか。
   1分くらいはかからないと思います。
どのくらいですか。
子供さんたちを検査するときに,上下どのぐらいするかといったら,低学年で,このぐらいの生徒さん,次の生徒さんの顔がこのくらいだとしたら,多分15センチの差,それを座ってやると7.5センチの差,7.5センチの差を,その半分を私が上げることで差がなくなるんです。
どのくらいの時間かはよく分かりませんけれども,少なくとも上下の高さを調整する時間が,何秒から何十秒かは分かりませんけれども,かかるのは事実でしょう。
検査が終わって,次の生徒さんを見る段階で,体の向きと一緒に操作できると思いますが。
子供の口の中を見るわけですから,両方の指を普通は使うと思うんですが,そうですか。
   被告のやり方は,左手はあごを押さえると書いてありますが。
そういう主張は確かにしてます。被告の主張にはとらわれずに,あなたが実際に勤務に就いていた時期の子供の口の中の清掃検査のやり方は,左右の指をどのように使ってやっていたんですか。
   主に親指でした。
両方の親指を使っていた。
    はい,押し広げて。
押し広げるだけ。
   はい,押し広げて,指ですね。こういう形です。
左右の親指で,子供の上唇は,指を逆にしてめくりあげるようにするし、下唇は,指を普通に立てて,下に下げるようにするということですか。
   押し広げる。
指自体を動かして押し広げる形ね。
   はい,唇を押し広げる。
これは,素肌の指を使うんじゃないですよね。何かサックか何か付けますよね。
   昔は,アルコール綿で一人一人ふいていました。
アルコール綿は,どこに置いていて,児童1人が終わる度に,どのように消毒をしていたんですか。
   ずっと私の場合は,ここのところにこうやって握ったまんまやっていました。
左手の掌に消毒綿を置いておいて。
   挟んで。
消毒綿を挟んで。
   両手の親指,人差指を検査が終わったらふいて,次の生徒さんの口を触る。
あなたがそういう方法でやっていたかどうかは,私は知りませんでしたけれども,本当は,ちゃんとアルコール消毒綿を別のところに置いておいて,その都度綿で消毒することになっていたんじゃないですか。
   それをどなたが決めたか分かりません。
今のあなたの方法だと,消毒綿をお持ちになるのは分かるけれども,余り消毒の効果が上がらないように思うんですけれども,それは私の間違いですか。
   どこが違うのか分かりません。
消毒綿を手の中ではなくて,別のところにちゃんと容器に入れて置いておいて,そこに指を入れて消毒するということじゃないんですか。
容器の中に,アルコールの汁の中に指を漬けるような消毒方法ということですか。それは一人もしてないと思います。
次に補助器具についてちょっと伺いたいんですが,今回の裁判でも,甲第11号証以下とかいろいろなパンフレットをあなたは証拠に出していらっしゃいますね。
   はい。
日付から見ると,この裁判にお出しになるために集められたんじゃないんですか。
   資料はそうです。
問題になっている免職は平成7年当時ですが,平成6年7年にどんな資料を集められましたか。
   資料は集めていません。
具体的な器具のパンフレットとかは集めていなかったんですか。
   集めていません。
弁解の機会というネーミングにいろいろな御意見があるようだけれども,それなり被告側の関係者と話合いをする場があったことはありましたよね。あなたのほうでは,それが十分なかったという御意見かもしれないけれども。
   弁解したことはありません。
顔合わせて,いろいろ意見交換する場はあったでしょう。
   話を聞いてくださる会とか,弁明の機会のことです。
そのときに,具体的にこういう器具があるとか,そういった説明はなさっているんですか。
   しました。
それは,パンフレットなどを入手せずに,どういうものについて説明をなさったんですか。
当時,アメリカ製,スウェーデン製,デンマーク製の福祉機器でそういうものがある,それを購入しても,そういう方法で座位を自分の側が調節することによって,それも検査をするときに用意も考えています。
それは,メーカーはどこですか。
   メーカーは分かりません。
それは,まだお調べになってなかった。
整形外科医とリハビリテーション医に,こういうのを購入すればというと,業者がすぐ来てくれるんで。
それは,幾らくらいのものだったんですか。
   200万くらいです。
それは,あなたのほうで購入するつもりがあったんですか。
   そうです。
リハビリセンターとの裁判で介護費用を請求されていて,結局それは敗訴されたとおっしゃっていましたよね。
   はい。
最終的には,あなたが将来必要になる介護費用は,御自分で出すとか,あるいは公的な補助でやるお考えなんですね。
   はい。
リハビリセンターとの裁判で,介護費用は幾ら請求されていましたか。
   7000万くらいでしょうか。
それが敗訴されたから,御自分とか公的補助の負担でやるというお考えを今はお持ちなわけですか。
   はい。
甲第31号証を示す
これは,あなたが,電動車いすでの通勤がこの範囲は可能だという範囲を示した地図ということでいいですか。
   はい。
この中には188校小学校があるということですね。
   はい。
その中で,スロープが設置されている学校は,どのくらいあるんでしょうか。
情報公開をしたときに教えていただいたのが,最初に伺ったのは66校,その後いつだか忘れましたが,百何校だったと思います。その中で,この地図の118校のうち,どこの学校がスロープ化されているかというのは,施設課内部の資料だというふうに言われました。
これは,いつの時点かというと,地図に書いてある,平成12年段階という理解でいいんですか。
   はい。
平成7年当時は,もっとスロープ設置校が少なかったと思うんですが,その辺はお調べになっていますか。
スロープ設置校はもっと少なかったと思います。新設校分を引いていただければ分かります。
それから甲第23号証では,地下鉄の駅のエレベーター設置箇所の数をお調べになっていますね。
   はい。
これも甲第23号証で見ると,平成13年当時のことをお調べになっているわけですね。
   はい。
平成7年当時どうだったかは,お調べになりましたか。
   桜木町のエレベーター化されていました。
個別のことを聞いているんじゃなくて,甲第23号証と同じように,数がどれだけとか,どこにはエレベーターがあり,どこにはなかったということ調べはしましたか。
電動で行かれるところは,桜木町,新しくできたあざみ野,地上化されたところの地下鉄の駅周辺の学校は,電動で行ける場所です。
個別に記憶で覚えているものがあるだけで,ちゃんと正式に統計資料か何かで調べられてはいないんでしょう。
   おりません。
さっきも介護者のことが話題に出たんで確認しておきますが,具体的にだれを介護者にするかは,あなたのほうで見付けるという前提なんですね。
   はい。
それは,具体的にはどういう方をあなたは考えていたんですか。
1人の看ではありません。現在介助者を何人か抱えております。何人かの障害者,御老人の介護,外出介護を含めて,スタッフを何人かそろえて企画してやっていますので。
いずれも民間の方と伺っていいんでしょうか。
   ............。
公務員とか専門の資格を持った人ではなくて,民間の方ですか。
   私が介助プランを立てて集めた人たちです。
あなたの御見解では,そういう介助者の方が,学校の児童の歯口検査業務にも,必要があれば介助者として付き添うようにしたいという見解なんですか。
   道具を運ぶということです。
子供の口の中を見る検査にも,すぐ近くに介助者がいることは,当然の前提なわけですね。
いえ,学校の設備,それとこちらがどういう設備で臨めるかということによって,条件が全部違ってきます。車いすが認められないというんだと,介助者に私は支えてもらわなくちゃ立ってられませんので。
あるいは車いすは使うとしても,高さの調整とか,児童の高さの調整で,あなたお1人ではできないこともあり得るんじゃないかと思うんで,そのときには介助者にそういうことをやってもらおうというお考えもあったんでしょうか。それともそういう考えはなかったんですか。
どの段階で,どの程度の設備かというのは,学校に全部違いがあります。
逆にあなたのほうでは,具体的にそこまで考えていなかったんですか。
ほとんどは大きな荷物を運んでもらうということです。.大道具と言えば分かりますでしょうか。
余りよく分からない。
   芝居でいう大道具を運ぶ,設定をする,片付ける。
そういうものを運ぶ人を頼むだけだということですか。
   だけだとは言いません。
場合によって,あるいは条件によっては歯口清掃検査のその場所にも介助者がいることも考えていたんでしょう。
   あるときは,そういう場合もあり得るかもしれません。
あなたの認識では,それは,子供のプライバシーの面では問題がないという認識なんですか。
学校側がすべてこういう計画で,この衛生士さんに来てほしいと,学校で計画を立七ることなんです。こちら側は何日行かれる,学校の計画に基づいて,どういう検査の方法をしてほしいか,集団指導だけなのか,ベルトコンベヤーの上に流れ作業のたくさんの検査をやるのか,すべて一つ一つの学校がそれぞれのプランを立てて,こちらに依頼することで。
学校のプランに基づくことは十分承知なんですけれども,この裁判では,あなたは,あなたができるように変えてくれという御主張をなさっているように思うので,じゃ,どう変えてほしいのかなと質問をしてるんですよ。
材を使ってやる方法だったり,車いすを使って私が座ってやることを認めてくださいということです。
その中のつの考えとして,介助者が同席することも,頭の中にはあったんでしょう。
   はい。
それは,子供のプライバシーの面で問題があるという認識はなかったんですか。
   子供の口の中をのぞくとしたら,プライバシーの侵害になります。
あなたも,という認識はありますよね。
廊下にいることがプライバシーの侵害かどうか,線引きは分かりません。
乙第31号証を示す
これは,前から問題になっている一つの診断書で,村市先生が平成6年2月8日に出した診断書ですね。
   はい,そうです。
被告の立場では,これは内科的な所見を書いた診断書に過ぎないということを言っているんですが,あなたとしては,この時期にこの診断書を出した理由は,前回証言されましたよね。
   はい。
それは承っているんですけれども,この時期は,あなたが仕事に戻って仕事ができるかできないかが,被告とあなたで見解の相違があったり問題になった時期じゃないんですか。
   そうです。
いずれ職場復帰をするときに,こういう内科的な診断書が必要になるとしても,仕事に戻れるか戻れないかが議論になっている段階で,この内科的な診断書を出すのは早すぎるように思うんですけれども,そうではないんですか。
早いか遅いか分かりませんが,先にこちらに伝わったのは,健康診断の診断書を出してほしいと一番最初におっしゃられて,そのとおり出したんです,順番としては。早いか遅いかというのは分かりません。
その前に,杉井先生の単独就労は困難という診断書をお出しになっていますよね。
   はい。
その後に,代理人は突然だと思うんですが,突然こういう診断書が出るのは,なぜわざわざこういう内科的なものをお出しになったのか分からないんですが,あなたの見解では,別におかしくないだろうという御見解なんですか。
   健康診断というと,一般的にはそれを指します。
乙第44号証を示す
前の長島さんのときに出した証拠ですけれども,徳見さんのほうで書いた書面ですね。
   はい,そうです。
この中で,左上の真ん中やや上辺りに,「前課長渡辺氏・係長中山氏からは『保健所・予防医学協会・市民病院などでの健康診断を受けよ』と言われ」と書いてありますね。
   はい。
それは,言われたことに従って,診断を受けに行かれましたか。
どこでもいいとおっしゃられたんで,自分の体を動かして,お医者さんに行きました。
平成4年の5月1日ころだと思いますが,中山係長から,病院を指定して,この病院に行ってくれないかと連絡があったことはありませんか。
   はい,2回目のお願いです。
横浜市立大学附属病院整形外科を受診してほしいという依頼があったんじゃないですか。
   市民病院か横浜市大病院の整形外科か,杉井ドクターか。
杉井ドクターのことは,私にはよく分からないんで,市民病院か市大病院をと言われたんじゃないかと思って伺っているんですが。
   命令ではありません。
もちろん命令かどうか聞いていませんけれども,病院を指定しての依頼かもしれないし,連絡かもしれないけれども,そういう要望が中山係長からありませんでしたか。
   第二弾で,整形外科の診断がされました。
中山係長が希望した病院に,あなたがその後に行ったことがありますか。
   市大病院。

診断書を取りましたか。
   いいえ。
どうして取らなかったんでしょう。
   私を長い間診てくださっているところの診断書のほうが,医者は判断しやすいから。
あなたがお考えになったかどうかは,あなたの御自由なんですが,中山係長からは,もちろん命令ではないことは分かっていますけれども,病院を指定したわけで,それをあなたは何らかの理由でその病院の診断書を出さなかったんじゃないかと思うんですけれども,その理由はなぜなんでしょうか。
   私の主治医でもよろしいかということでの伺いは立てましたが。
それに対しての返事はどうだったんですか。
   杉井ドクターのところでもよいということでした。
乙第40号証を示す
乙第40号証のあなたが作ったものだと思いますが,右側のほうに,今私が質問してる部分,すなわち中山係長から,横浜市大で診察を受けてほしいという連絡があったという記載がありますね。これに対しては,あなたは断ったと書いてあるんですね。
   はい。
断ったということは,断る理由があると思うんで,伺っているんですが。
   ...そんな大きな理由はない。
そんな大きな理由はない。
   一番自分を証明してくれる医者。
中山係長も被告の当時の職員だから,その被告が言う病院は危なくて受診できないと思ったから,行かなかったんじゃないですか。
   そういう考え方もあるかもしれません。
弁明の機会というネーミングで,意見交換の場が設けられたことがありますよね。
   意見交換の場かどうか分かりません。
日時が指定されて,人が集まったことがありますね。
     はい。
そのときに,あなたは録音をしたいとかなり主張されているわけですけれども,この前の証言を聞いてもいま一つ理由が分からないんで,改めて伺いますが,どうして録音をすることを求められたんですか。
細かくメモを取っていらっしゃる方が,被告側にはたくさんおられます。被告側は,少なくとも8人おられたら,8人のうち役所関係は全員メモを取っていらっしゃいます。私はメモを取りながら,お話することだけでもなく,身分にかかわることをとにかく組合の立会いで一緒に検討してほしいということの中で出てきた問題で。
5月30日に,そういった日時場所が設定されましたよね。
   はい。
前回の証言でも,調書30ページに出てくるんですけれども,あなたは感情をなるべく抑えたと証言されているんですけれども,そうですか。
   と思います。
少なくとも感情が高ぶっちゃったことは事実なんですね。抑えようとすることは,感情が高ぶるということなんで。
   そうですね。
テープレコーダーみたいだと,被告側の人から言われたという御証言がありましたね。
   はい。
どういう事情かよくは分からないんですけれども,そうするとテープレコーダーみたいだと言われる前提としては,何かあなたが同じことを繰り返しおっしゃったという事実はあるんでしょうか。
   そうです。
それで,その日は,どういう形でその場は終わってしまったんですか。
   これ以上は話にならないから,終わりにするという形で切られました。
それ以上は話し合いができなかったと。
   話し合い......。
あなたの話を聞いてもらったり,向こうの話を聞くとか。
   ないです。

原告代理人(森田)
先ほど,歯口清掃検査の話がありましたけれども,子供によって背の高さが違うという話ですけれども,それを調整するのは,先ほどあなたが証言されたようなこともありますけれども,子供自身が中腰になったりとか,あるいは高めに設置したりということで,調整がある程度できるんじゃないですか。
   反射的にやってくれる子供もたくさんおります。
その前後で被告代理人が,検査のやり方とか,あるいはあなたがどういう形で工夫をしてやるのかということを随分詳しく聞きましたけれども,そういったやり取りは,解雇の過程ではなかったんですか。
   一切ありません。