2000年9月7日 原告・徳見康子 私は歯科衛生士として、20歳の時から、解雇を強行されるまで28年間、横浜市学校保健会に採用され、歯科保健事業に従事してきました。 本日は、時間の都合で詳しく述べられませんが、甲5号証・『学校歯科保健事業報告』をごらんの上、聞いてくださいますよう、お願いいたします。 1ページから4ページに、この事業の概要や内容が出ています。 この事業は1958年(昭和33年)に、歯科衛生士1名、巡回校2校で出発しました。実施したのは学校歯科医師会で、その費用は歯科医師たちの出資でおこなわれました。年々希望校が増えて、私が採用される前の年の1966年(昭和41年)からは、横浜市学校保健会の特別事業として運営されるようになりました。人件費その他のほとんどが、横浜市からの出資でまかなわれていましたが、学校からの「分担金」もいただいておりました。しかし、途中から、その分担金もなくし、歯科保健事業にかかる費用は、すべて横浜市からの出資になりました。 全国に先がけてこの事業をおこなったのが横浜です。他都市においても、この横浜の事業を認めて、普及・拡大してきておりますが、教育委員会が直接おこなっているところがほとんどと思われます。 私のおこなっていた仕事の主なものに、口の中の検査があります。歯がきれいにみがけているか、みがき残しがないか、検査をするのです。 例えば「よくみがけていますが、歯ぐきの、ここの部分がはれていますね。野菜とか果物をもう少したくさん食べたほうがいいですね。血が出るかもしれないけれども、ここは、悪い血を押し出すようにして、このようにしてみがいたほうがいいですね」などと説明すると同時に、「AGです」というように判定します。 ところが、一人一人の子どもに費やせる時間が短くなってくると、「はい、Aです」「はい、Bマルです。少し汚れています」「BGです」と判定するだけになってしまいます。 子どもの口びるを押し広げて、のぞき込む姿勢で、中腰のまま、腕を宙に浮かせたまま、次から次へとベルトコンベアー状態で検査をするようになってしまいます。 甲5号証の17ページに、年度ごとの巡回状況が出ています。その左から5番目、アラビヤ数字でUと書いてある欄は、一校につき一年間に何日歯科衛生士が巡回したか、その日数を示したものです。ご覧の通り、3番目の欄にあるように、希望校はどんどん増えており、それに伴って巡回日数は急激に減っています。やがて中学校をカットせざるをえなりました。小学校だけになっても、さらに増加をつづけ、一つの学校に巡回できる日数は、さらに減らざるをえません。 また、個別や集団での指導もあります。集団指導は、教室でおこなう歯に関する授業です。これも、17ページの表の真ん中より右側の欄をご覧いただければ分かるように、巡回日数の減少とともに、年々減っております。「検査」が業務のほとんどとなり、腕を挙げ続ける姿勢が長時間続いたため、首や肩に痛みが出て、腕を挙げて検査をすることもできなくなってきました。1978年(昭和53年)ごろからです。これには、業務からくる疾病(ケイワン)であると労働基準監督署から労災認定をされています。 私に対する認定と同時に、監督官は「検査人数を、午前中で500人以下におさえるように行政指導をする」と口頭で言っておりました。ケイワンで休職から職場復帰し、実際に学校巡回するときは、アルバイトの方を同行して、検査人数が一人で500人以上にならないようにしました。 10年くらいの治療で、痛みやコリなどは仕事にさしつかえない状態にまで改善してきました。ところが、足の感覚が鈍くなってきて、立ち続けているのがつらくなってきました。首の脊髄の萎縮が発見され、首の手術で長期に休まざるをえなくなる状態になりました。 入院は1年半くらいかかったでしょう。退院するときは、それでも装具をつけて両杖で歩けるようになりましたし、車の運転もオートマティック車で、自分でおこなって、階段が少ないところであれば、どこにでも外出できました。 ただ、職場復帰に際しては、左手と右手、両方に杖をもっております。そのため、授業のときに、それまで立って両手に持っていた道具――大きな歯ブラシと歯の模型を持って歯のみがき方を説明することができません。そのため、「どうしたらよいか」と、首の手術をしてくださった主治医に相談しましたところ、横浜市総合リハビリテーションセンターを紹介されました。そして通うことになりました。 1991年(平成3年)、訓練中に道具の落下によって転倒してしまい、急性症状がとれた後も、利き足であった右足も筋肉がつってしまい、立っていること、歩くこと、車の運転は実用的にはほとんどできない状態になっております。 座っての作業ならば、腕を挙げ続けていなければ、長時間おこなうことができます(左手は筋肉が大変弱いので、医者には「左手を酷使しない工夫をしましょう」と言われております)。 ほとんどの歯科医院では、医者も歯科衛生士も、座って、そして患者さんも座って、治療をしております。寝るような形で治療するところもあります。 学校巡回の現場では、立って仕事をする時間が多かったのですが、私は、リハセンターでの事故以来、立って仕事ができなくなりました。そして、事故から4年後の解雇当時も、今も、立って仕事はできません。 しかし、検査のときに、子どもたちも私も、座って検査したり、私が床に座って、私のひざに子どもたちの頭を、ひざ枕の状態で乗せて検査をすることもできます。 これは休職期間中に、知り合いの障害者の方がたくさんいらっしゃるところで、職場復帰に備えて独自で練習して、実際にやった方法です。このように、これまでのように立ってやらなくても、いろんな方法がある、ということを、障害者の方からも学び、そして私も、どういう方法があるのか、いろいろ試したりしました。その結果、子どもも私も座った姿勢で、作業をする場合、少し改良した椅子が必要であることも分かりました。 また、道具や資料をカバンに入れて、巡回先の学校に出勤していました。しかし、座った状態で仕事をするためには、荷物がもっと増えます。先ほど申したような、改良した椅子を運ぶことも必要になるかもしれません。足がつってしまい、車の運転もできなくなった私が、そのような大きな荷物を運ぶのは困難なので、「介助者つき」の復職願いをしたのです。 休職期限が切れる前から、職場復帰のお願いをしましたが、何日経っても、当局からは、検討する様子もうかがえませんでした。そのうち休職期間が満了してしまいました。引き続き、いろんな形で申し入れをたりし、お願いをしたりしてきましたが、「自力通勤・自力勤務できないからダメ」「(職場復帰を認めないことを)決めてしまったことだからダメ」というだけで、「工夫さえすれば、仕事ができる」と言っても、その方法に耳を傾けることも、検討もしてもらえず、一年、二年と、仕事の提供がありませんでした。 私は、休職期間が切れる前から、職場復帰に備えて、いつでも巡回指導ができ、役所にも通える状態の介助体制を整え続けております。あくまでも「座ったままで仕事をさせてください」、それが一番のお願いなのです。そして、独自で介助体制を整えて、毎日職場に通える様子を見てほしいと思って、「自主出勤」と称して、職場の管理職のいる教育委員会学校保健課へ「通勤」もしました。 しかし、「欠勤扱い」ということで、保健会に籍だけはあるが、無収入の状態で3年目に、当局が解雇を強行しました。 休職期間中も、そして欠勤扱いの三年間も、私に対しては、具体的に「どうして職場復帰はダメである」と判断されたのか、説明がありませんでした。それらしい「説明」というのは、「学校の教室は机と机の間が狭くて、車椅子では通れない」「徳見さんは立ったり座ったりして、子どもの背の高さにあわせて、自分が子どもの口の中を見ることができない(車椅子だったらあたりまえです)」というようなものでした。そして、「ダメなものはダメで、結論はきまっているからダメだ」というのです。 労働組合のおかげで、唯一、「弁明の機会」が設定され、私の意見を述べる時間が設けられました。いろいろな工夫の方法があること、それを具体的に述べている最中、「空想の話を聞いてもしょうがない。交渉はしない」として、途中でさえぎられてしまいました。 学校に巡回しない日は、役所の中で仕事をしているのですが、その仕事はほとんど机の上でできるものです。それだけでもやらせていただけないでしょうか、と述べることもできませんでした。 車椅子を使っている者が、車椅子はダメだというのは、松葉杖を使っている者に、松葉杖を使っての出勤や勤務はダメだというのと同じです。松葉杖を取り上げておいて、自力で通勤や自力で勤務ができないからだめだといって処分されるのでしょうか。 視力調整で、メガネを使っている人に、それを認めないということがあるのでしょうか。車椅子の私に、車椅子を使って仕事をしてはいけないということは、松葉杖やメガネを許可されないのと、私にとっては同じです。 もともと障害者の人で、障害者枠で職場の採用試験を受ける方がおります。横浜市では障害者枠での採用試験において、その受験資格として、「自力通勤・自力勤務」の条件をつけております。この条件は、民間にノーマライゼーションを指導している立場をとっている行政においては、見直しがされてきております。 「自力」の範囲は、いろんな条件整備(交通、道路、建物、そして人間関係なども含めて)の状態で、大きく変わってきます。 お隣の川崎市では、「自力通勤」の条件はありません。ましてや「自力通勤・自力勤務」という採用試験の条件を理由にした解雇は考えられません。実際に、私の知り合いで、「自力」で通えない方も復職しております。また、県職においても、採用のときから介助者つきで勤務している方もおります。 私は歯科巡回指導を28年間やってきました。大好きであり、生きがいでもあったこの仕事を、「障害」を理由に解雇処分を強行されたことは、今も納得がいかないのです。 子どもたちやおとなたちや、教師も、いろんな人たちが、教育の場で、お互いに、支えあっていく状況は、とてもすてきな教育の場だと思っています。 車椅子の歯科衛生士が子どもたちにまじって、学校現場でいてはいけませんか。 裁判所におかれましては、その旨、よろしくご審理いただけますよう、お願い申し上げます。 2000年9月7日 原告 徳見康子 |