「障労」とは……

 1995年1月、「障害者になった」ために、横浜市学校保健会の歯科衛生士・徳見康子さんが「解雇」されました(現在、解雇撤回の裁判中です)。
 この解雇は、障害者に対する排除−差別であるばかりか、世界的な障害者施策の流れに逆行するものであり、また、これは、能率・効率優先の能力主義的価値観・労働観によるものであるとして、徳見さんの解雇は、ひとり徳見さんだけの問題ではないと考える人たちが集まり、「労働とは何か」をとらえ返しながら、障害者のおかれている総体的な被差別の情況を変えることを目指して、95年9月に結成されました(代表/加藤彰彦・沖縄大学教授)。



入会案内


 障労の活動費用は、主に会費やカンパなどによってまかなわれています。会の趣旨にご賛同いただけましたら、会員になって、会の活動を支えていただければ幸いです。
 
  資格:障害者・健常者を問わず、障労の活動に関心のある方
  年会費:3000円
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  なお、2〜3か月ごとに、事務局会議・編集会議・学習会などをおこなっておりますので、ぜひご参加ください。
      (関心のある方なら、どなたでも参加できます)



※機関誌『障労通信』第20号
 B4判28ページの通信です。ご希望の方には郵送いたしますので、ご連絡ください。

※障労総会
  
未定(あと 日後)
      
障労(障害者の労働・差別を考える会)
第6回  総  会  

03年12月20日(土)午後1時〜5時/神奈川労働プラザ第8会議室

解雇撤回・障労裁判/一審判決を迎えるにあたって

 加藤彰彦(障労代表)……障害者が「働く」ということ
 森田明(弁護士)……裁判の経過報告/リハ裁判から障労裁判へ。
 新美隆(弁護士)……「障労裁判」の意味するもの
 ビデオ上映……「自主出勤闘争そして解雇へ」
 徳見康子(原告)……「自力」という名の排除

 以後、時間のある限り、「フリートーキング」にしたいと思います。 


障労総会報告

 2003年12月20日、障労総会が開かれました。判決を目前に控えて、これまでの闘いの報告と、判決後のことなどについて、話し合いがもたれました。
 ここでは、森田・新美両弁護士のお話を、掲載しますが、ここに述べられているように、「勝訴はほぼ確実」であることを前提にした内容になっています。2か月後に、「まさかの完全敗訴」になるなんて、ほとんど予想もしていませんでした。
 したがって、この文章は不要なものになってしまいました。しかし、、一応「資料的な価値」があるかもしれないので(?!)、そのまま掲載します。
 なお、勝訴になった場合には、当局に「控訴せずに、判決を受け入れるように」という趣旨の要望書を市長あてに提出しましたので、あわせて掲載します。

「勝訴判決」を「勝利」に結びつけるために…… 森田 明(弁護士)

 昨年(2002年)年末から、二度目の和解手続きに入りました。
 一度目は、提訴(2000年6月)後1年ほどたってから、裁判所から和解の打診があり、進行協議をやったわけですが、結局原職復帰を前提とした和解の検討については、向こうは乗れないということで、1年ほどかけた進行協議は、昨年(2002年)5月に打ち切り、証人尋問に入りました。証人尋問が終わると、12月に、二度目の和解手続きに入りました。そして、裁判所から「復職を前提にした和解勧告」が出されました。
 こちらとしては、被告に、原職復帰を前提にした和解をのませるために、いろんなことをやってきました。被告側の要請による「横浜市大病院での検診」を受けたり、労働省の関係機関には、障害者を職場に受け入れるための様々な補助制度があるのに、被告側はそのようなことを全く検討もしていないので、向こうにそれを調べさせるとか、いろいろやってきました。しかし、最終的に被告側としては、「和解といっても金銭解決しか考えられない」――つまり職場に戻すことは無理であるということで、結局1年間かかった和解のための協議は打ち切りとなりました。その後双方が最終準備書面を出して、10月に結審となりました。
 判決は、当初1月22日に予定していたのですが、2月13日の16時50分に判決となりました。
 判決については、もちろん今の段階で確定的なことは言えませんが、従来裁判所がリードしてきた和解の中身は、「徳見さんを原職にもどすことを前提に検討せよ」ということで、それは、訴訟の中での主張・立証を踏まえての和解勧告ですから、普通に考えればこちらが勝ちになるというはずです。ただ、判決を書く段になって、いろいろ検討してみたら、また別の結論になってしまう、ということはあり得るので、予断は許しませんが、勝つ可能性は相当高いのではないか思います。
 しかし勝訴判決が出たからといって、問題が解決するわけではありません。仮に勝つという前提に立った場合、横浜市に控訴させずに勝訴判決を確定させることが必要なのです。そのためには、勝訴判決を最大限に世の中にアピールし、教育委員会なり横浜市(中田市長)が、控訴することができないような情勢をどうやって作り出すか、ということが非常に大きな課題になると思います。
 仮に、こちらが負けた場合は、控訴ということになるわけですが、これまで、裁判所が原職復帰を前提にした勧告をしてきたことは間違いないわけですから、判決の法的判断とは別に、復帰させるべきだという裁判所の判断があったわけですから、それを最大限にアピールしていく必要があるのではないでしょうか。
 すなわち、敗訴したにしても、この判決を契機にして、こういう問題があるということを、きちんと世間に訴えていく必要があるかと思います。

 基本的には、勝訴判決を前提にしつつ、勝訴判決を最終的な勝利に結びつけるために何ができるのかを、まず考える必要があると思います。
 そういうことで言いますと、横浜市の制度でにある「市長の手紙」を利用して、市長へ手紙を出してもらう、ということも一つの手段です。
 また、教育委員会に対しては、「請願」を出して、委員会の席で直接口頭陳述ができる、という制度があります。
 これまでは、徳見さんの解雇問題や裁判についても、教育委員会といった場ではあまり表だった議論をせずに、もっぱら教育委員会の一部である学校保健課の範囲内で対応がされてきた、という感じがしますので、もっと広く問題を提起するために、いろんな手段を使う必要があります。判決がでた時点で、その内容を世間に伝えられるような、そのための条件を、判決以前につくっていく必要があるのではないかと思っています。

社会的に影響力のある判決を…… 新美 隆(弁護士)

 裁判所が、あれだけ熱心に和解を勧めたということからいえば、裁判所側の一定の心証は、もうすでにできあがっているというのが、常識的には考えられることだと思います。
 要するに、「就労ができない」という判断が前提にあって、解雇理由がつくられているので、解雇をする前の段階で、「どういう仕事ならば徳見さんにできるか」とか、「どういう体勢ならば、歯科衛生士としての仕事ができるか」というような内容を、双方でじっくり検討し、協議をしていれば、別の結論になったと思います。
 もちろん裁判の中でも、そういった協議をもう一度きちんとやれば、いろいろな問題点がでてくるわけですが、しかし、それをやれば、裁判所としてはどちらに白黒つけるかというのは、逆に難しくなるのだろうと思います。
 解雇の経過の自体が、そういう内容などにはいっさい入らずに、形式的な……つまり「車椅子イコール仕事はできない」という(これはある意味では差別意識がでているわけですが)非常に形式的なところで「仕事に耐えられない」という理由で解雇したものです。つまり、医師の判断は「(車椅子がなどがあれば)業務が可能」としているにもかかわらず、徳見さんの身体状況について、具体的に調査・検討することを全くしないまま、「車椅子だから仕事ができないはずだ」という予見で解雇したものですから、この裁判においては、徳見さんを解雇するまでに、学校保健会が「徳見さんが働けない」ということについて、どういう調査なり検討を最低限やったか、それが充分だったか不十分だったかという、非常に分かりやすい論点が浮き彫りにされのではないか、と感じています。

 原告勝訴の判決がでた場合、判決に横浜市が従うかどうか――控訴するにせよ、確定させるにせよ、実質的には横浜市が判断することだと思うのですが、そのあたりで、障害者に対する雇用問題という大きな観点で、横浜市側に、この裁判を一つのきっかけにして、前向きな行政的決断をうながすようにプッシュせざるをえないでしょう。その点で今度こそ運動の力が、逆に試されるのではないかと思うのですが……。
 裁判だけで最後まで徳見さんの復職を実現するのは、なかなか難しいし、ほんとうならば、和解の形で復職が実現するのがベストだと思って、かなり時間がかかった和解にずっと関わったわけですが、裁判所もその点の基本的な認識は、私たち代理人と多分一致していたはずだと思うのです(それを私は信じたいのですが……)。
 ただ、判決を書くときにどういう問題がでてくるのか、そのへんはちょっと分かりませんが……。
 手続き的なところで判断してもらうのが一番いいのでしょうが、実体的なところに入り込むと、「これだけの資料で、徳見さんが衛生士として従前の仕事をするのに、何の問題もない」ということを、裁判所がいいきれるのかどうか、そういう問題にすると、なかなか難しい面があるかもしれません。少なくとも、手続き的にきちんと協議せず、調査もしないで、「車椅子だからもう仕事はできない」という一方的な思いこみで解雇したという点に絞れば、勝訴判決は充分あり得ると考えています。
 他の裁判所で同様な事例がもう少しでてきてもいいと思うのですが、裁判の中で引用した裁判例以上のものが、その後でてきていないようです。実際にはいろいろ潜在的な事件があると思いますが、なかなか表にでて争うとことが難しいのかもしれません。そういう意味では、そういった潜在的な問題を抱え込んでいる人たちに対しても、対社会的に影響力のある、きちんとした、いい判決をとることが、今我々にとって一番大事なことだろうと思うのです。
 弁護士としては、徳見さんの個人の人生ですから、復職を第一に考えたわけですが、それができない限りは、きちんとした判決をとって、それをまた一つの手がかりにして復職を実現していくという方向で考えたいと思います。また少し時間がかかるかもしれませんが……。
 そういう意味で、引き続いて、関心をもって協力していただければ、と思います。

2004年2月6日
横浜市長 中田宏 殿

横浜市学校保健会歯科衛生士 徳見康子の解雇撤回を求める要請
                                      
拝啓 市政の刷新に努力されていることに敬意を表します。
 多くの課題を抱えておられることとは思いますが、近く判決を迎える徳見康子の解雇事件について、ぜひ市長さんご自身にお考えいただきたく、要請をいたします。

1 解雇および裁判にいたる経過
 徳見は、1966年4月以降、横浜市教育委員会の外郭団体である横浜市学校保健会の歯科衛生士として勤務してまいりましたが、職業病の悪化とリハビリ中の事故もあって車椅子生活を余儀なくされるに至りました。
 しかし、車椅子生活にはなったものの、症状は安定し、歯科衛生士としての歯科巡回指導の業務は、検査の方法などを工夫することで可能になることから、職場復帰を求めてきました。
 しかし、学校保健会は1995年1月19日付けで徳見を解雇しました。そして、徳見を支援する「障害者の労働・差別を考える会」(代表 加藤彰彦横浜市大教授・当時)が再三解雇理由の説明と解雇の撤回を求める交渉を行ったにもかかわらず、交渉にあたった横浜市教育委員会職員(学校保健会の役員も兼ねている)は、具体的な解雇理由や判断経過を説明することはなく、「自力通勤、自力勤務ができないからだ」「十分時間をかけて決めたのだから解雇は撤回しない」と繰り返すばかりでした。
 障害者の雇用に積極的な実績を作れば、横浜市自身の評価も高まると考えて交渉を続けてきたにもかかわらず、あまりに消極的な対応を続けられたため、徳見はやむなく、弁護士・新美および森田を代理人として、2000年6月に解雇無効の裁判を提訴しました。

2 裁判の経過と和解勧告

 裁判では、双方の主張を尽くすとともに、原告・徳見側は、「わずかな工夫をすれば学校保健会の歯科衛生士としての業務ができること、通勤も可能であること」をビデオテープなどで証明し、これに対し、被告・学校保健会からも、検診業務の実情などについてのビデオテープ等の証拠が提出されました。
 これらの審理を踏まえて、裁判所は、2001年3月から、双方に和解を打診し、事実上の和解手続である進行協議期日がもたれました。この中で、裁判所は学校保健会に対し、徳見を復職させることによる和解の検討を求めました。
 しかし、学校保健会はずるずると回答を引き延ばしたあげく、理由も明らかにせずに「復職には応じられない」と繰り返すばかりとなり、結局和解に進むことはできずに1年後の2002年3月には打ち切らざるを得ませんでした。
 裁判所には毎回、弁護士のほかに学校保健会の理事であるとともに横浜市教育委員会学校保健課の職員である者が複数出頭していましたが、復職を求める裁判所の意向は果たして教育委員会に伝わっていたのでしょうか。そして市長さんには伝わっていたのでしょうか。
 裁判はその後、2002年5月から10月まで証人尋問を行い、裁判所は判決を書ける状態で、再び和解を勧告し、同年12月から、2003年8月まで進行協議期日がもたれました。この間は、裁判所は明確に徳見を職場復帰させる内容の和解を勧告しました。
 そして、その実現のために、裁判所は、学校保健会が出してくるさまざまな条件や「検討のための時間」を尊重して、忍耐強く、学校保健会が教育委員会や横浜市との内部的調整を果たして和解に応ずることを待ち続けました。
 しかし、学校保健会は、結局、和解としても金銭的な解決しかない、として職場復帰を拒み、和解の余地はなくなってしまいました。
 障害者の雇用は今日の社会の大きな課題です。徳見の職場復帰にかかる負担はわずかでしかありません。むしろ車椅子の障害者が職場に復帰することの意義は大きく、横浜市や横浜市教育委員会は評価を高めることになりましょう。それにもかかわらず、また、裁判所の熱心な勧告があったにもかかわらず、どうしてかたくなに職場復帰を拒んだのか、横浜市民でもある私たちは大変不思議に思い、残念に思います。
 市長さんは、この裁判のことを、そして、裁判所の勧告の内容を知っておられたのでしょうか。市長さんの意向の元で、裁判所の和解案の拒否という判断がされたのでしょうか。

3 判決を前に
 来る2月13日、徳見の裁判の判決があります。
 私たちは、これまでの経過から、判決により、徳見の職場復帰が命じられると考えています。その場合は、学校保健会は控訴するか否かの選択を迫られることになります。 私たちは願います。どうかせめて、控訴によりこれ以上紛争を長引かせることはしないでいただきたい。そのようなことをすれば、横浜市教育委員会の、そして横浜市自身の不見識さを天下にさらすことになります。
 そして、この解雇は高秀市政下で行われたものではありますが、中田市長の元で控訴がされるとなれば、まさに、中田市長さん自身の姿勢を問わざるを得ないこととなります。
 万一、解雇が有効とされ、徳見が敗訴することとなっても、ぜひ、判決理由をよく読んでいただきたい。現時点で職場復帰が妥当であることは、裁判所がこの間明言してきたところであり、そのこと自体は、仮に形式的理由で徳見が敗訴となったとしても、変わるものではありません。この場合も、徳見の職場復帰への御決断を求めるものです。また、それをしなければ市長さんの見識が問われることも変わりはありません。

 本状については、回答は必要ありません。
 判決後の態度によって答えをお示しいただくようお願いします。   敬具

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