徳見康子および障労年表
西暦 内 容
67. 4. 1 横浜市学校保健会に就職。市内の小学校へ歯科巡回指導にあたる。
多いときには1日(午前中)1000人近くの児童の「歯磨き検査」。10年ほど経つと、腕や肩のしびれなどが出てくる。
78. 5. 9 頸肩腕症候群(けいけんわんしょうこうぐん・いわゆるケイワン)と診断される(東整形外科)(88.3.31症状固定)
6.26〜80.12.5まで、休職して、ケイワンの治療にあたる。
80. 12. 6 職場復帰し、リハビリ勤務にはいる。
以後、治療しつつ仕事をする。同時に、ケイワンを生み出す勤務体制の見直しを求めて、当局と交渉を続ける。
81. 8 頚肩腕症候群が、業務上疾病(労災)と認定される。
87.7.13 交通事故(通勤時バイク転倒・ムチ打ち)による休業(〜9.4)(54日) 通勤災害による労災認定
88. 3.31 頸肩腕症候群 症状固定・治癒
12.28 手や足の筋肉の萎縮が発見され、南共済病院入院
89. 1.20 頸椎症性脊髄症(けいついしょうせいせきずいしょう)で、南共済病院において頚椎手術(主治医・大成克弘)。
90. 1. 8 大成医師のもとへ「学校保健会の人」訪問。
もちろん、見舞いなどではない。合理化反対の組合運動などで当局と対峙していた徳見の、復職の見通しを「調査」しにきたのであろう。
6.23 南共済病院退院、追浜・アパートへ(8.31まで、毎日南共済病院へリハビリに通う)。
9. 5 リハセンターへリハビリの「相談」。外来診療(桂医師)。
9.10 福祉事務所へ、リハセンターへの入所申し込み
9.12 外来リハビリ(OT・PT)開始(12.26まで週1回程度)。
91. 2.26 〈リハセンターで転倒事故〉
以後1年あまりは、リハビリ再開を求めて、リハセンターと交渉。しかし、再開拒否を続けるため、翌年3月に交渉をあきらめる。
92. 2. 4 教育委員会・中山(係長)来訪。「介助者つき職場復帰」と「養護学校への巡回指導」を要請。
3.25 学校保健会交渉(教育委員会学校保健課長・渡辺/係長・中山)「介助者つき職場復帰」の要望書提出。
課長は、「自力通勤・自力勤務」が横浜市の雇用条件である、と言って、「復職は無理」を強調。
4.10 「職場復帰願い」を当局へ郵送
4/19日、回答が到着し、「介助者つき職場復帰」と「養護学校への巡回指導」のいずれも「考えていない」と拒否。
4.21 学校保健会交渉(教育委員会学校保健課長・係長)。4/18づけ「職場復帰願いの回答」をめぐって。
課長は、「自力通勤・自力勤務」が条件であり、また、「車椅子では歯科衛生士の仕事はできない」という。
4.25 3年間の休職期間が満了。21日の交渉で、以後の徳見の身分は「欠勤扱い」(この状態は、95.1.19「解雇」されるまで3年近くにおよぶ)。
5.11 市長あて「公開質問状」提出。
介助者つき職場復帰を認めないのは、「障害者差別撤廃」という市の方針と矛盾するとして提出。6月8日に回答あり。
6.23 市長あて「要望書」提出。5/11の「公開質問状」の回答(6/8)に対する反論として提出。7/21付け回答あり。
93. 3.10 〈学校保健会交渉(渡辺課長・中山係長)〉徳見の「職場復帰に関する申し入れ」書を提出。
4.30 〈学校保健会交渉(渡辺課長・中山係長)〉前回と同様「職場復帰はだめという結論は変わらない」。
8.10 「介助者つきの職場復帰を認めない理由を明らかにするように」という意味の「要望書」を学校保健会に提出。
8.23 〈学校保健会交渉(佐藤課長・長島係長)〉上記「要望書」の回答は「前任者の通り」という答のみ。
11. 6 徳見の職場復帰問題をめぐり、「障害者の労働問題を考えるシンポジウム」をおこなう。
94. 1. 4 「自主出勤(第1次)」開始。6/13まで6か月、106日。横浜市教育委員会学校保健課に出勤。
2.23 診断書(健康診断書)提出(村市医院)
3.14 「3月17日に徳見の話を聞く。組合の立ち会いも、テープ・ビデオもだめ」と、口頭で申し入れあり。
3.15 組合の立ち会い・テープ・ビデオ可なら応ずる」旨の文書を提出。
3.17 返事がなかったので、一応、指定時刻・場所に行くが、当局は来ず。
3.22「勤務が可能かどうかの整形外科医の診断書を3.31までに提出せよ」という当局の文書よる「命令」。
3.31 整形外科医の診断書を提出(それには、「車いすなどの補助具があれば勤務可能」と書いてある)。
4.25 弁明の機会(第1回)……自治労教育委員会支部の役員の「付き添い」で臨む。
「いろんな工夫や補助具があれば、勤務は可能」と具体的に説明するが、「空想の話を聞いてもしかたない」と、当局側は聞く耳をもたず。
5.30 弁明の機会(第2回)……結局、「弁明の機会」とは、解雇のための「アリバイづくり」でしかないため、「すけっと」が、ビデオを構えて臨む。「話し合い」は成立せず。
6.13 九段坂病院に検査入院。およそ6か月、106日を持って自主出勤中断。
7. 8 退院。「現在のところ、脊髄の急激な悪化の可能性はなく、再手術の必要はない」。
リハセンターでの転倒事故による脊髄の影響については、「脊髄に微細な損傷がおこった可能性がある」という診断。
94. 8. 4 学校保健会役員会で徳見の「免職」を決定
(96.3.15の「交渉」の席上、学校保健課の宮下課長の発言による)。
12.16 「免職」の会長決裁(96.3.15宮下課長発言)
(96.3.15の「交渉」の席上、学校保健課の宮下課長の発言による)。
12.20 「95年1月19日をもって免職する」という「解雇通知」を、当局の課長ら4人が徳見の自宅に持ってくる。
95. 1. 4 「自主出勤(第2次)」再開。
1.19 「免職の辞令」を、課長が自宅に持参。郵便でも2通届く。夜、「解雇抗議」集会。徳見はハンストに入る。
1.26 「抗議・要求書」を横浜市長あてに提出(2/25回答)。
2.10 ハンストは23日をもって、ドクターストップ。以後、自主出勤は中断。
3. 4 「障労」第1回準備会(坂東橋)
4.29 「障労」第2回準備会 (県政総合センター)
5. 9 機関紙『障害と労働(仮題・後に『障労通信』)』発行
5.31 「障労」第3回準備会 (県政総合センター)
6.19 「障労」第4回準備会 (県社協)
6.22 「解雇撤回を求める要望書」を、署名(個人1672名、団体38)と共に、市および学校保健会(宮下久男課長・谷口尚三係長)に提出。
6.27 機関誌『障労通信 No.1』発行
7.11 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.1』発行
7.31 横浜市および学校保健会から「要望書」の回答出される。
8.15 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No2』発行
9.17障労(障害者の労働・差別を考える会)設立総会
11. 7 市・学校保健会などに「7.31の回答は回答になっていない」として再度「要望書」を提出。
署名追加(合計・個人2294名、団体73)
機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.4』発行
11.20 機関誌『障労通信 No.3』発行
12.14 横浜市および学校保健会から「要望書」の回答出される
96. 1. 4 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.5』発行
1.10 学校保健会「交渉」(宮下課長・谷口係長)。これまでの内容の繰り返し。
2.13 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.6』発行
2.16 学校保健会「交渉」。管理職全員「逃亡」して(?)、交渉をすっぽかす。
2.25 機関誌『障労通信 No.4』発行
2.27 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.7』発行
3.12 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.8』発行
3.15 学校保健会「交渉」。課長「免職当時の社会情勢においては、自力勤務が条件」と述べる。
障害者に一定の理解を示したこの課長は、わずか9か月で異動となる。どこやらからの圧力?
4. 9 課長交代のため、新課長に「交渉」の申入書提出(岡野定漢水課長・谷口係長)。
4.16 機関誌『障労通信 No.5』発行
機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.9』発行
5.10 学校保健会「交渉」。「解雇当時、自分たちはいなかったので、分からない」と逃げに終始。
6.11 学校保健会へ「7月19日交渉」申し入れ。
教育長に「障害者を排除する教育行政を問う」という内容の質問状を提出。
7. 4 機関誌『障労通信 No.6』発行
7.12 障労学習会「障害者基本法」「障害者雇用促進法」について学ぶ(講師・森田明弁護士)。
7.16 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.10』発行
7.19 「交渉」9月6日に延期(学校給食のO157による食中毒問題で、学校保健課が多忙のため)。
7.30 市長への「要望書」提出。
9. 6 「交渉」10月11日に再度延期(学校給食の食中毒問題がさらに続いているため)。
9. 7 市長から7/30の「要望書」に対する回答。能力主義を打ち出し、障労に挑戦するような内容。
9.15障労・第2回総会/対話シンポジウム・小山正義vs新原道信
10. 1 機関紙『解雇撤回闘争ニュース No.11』発行
10.11 学校保健会「交渉」。岡野定課長・谷口係長・新指導主事。
「自分たちは、これ以上何も言えない。情報公開でも裁判でも、何でもやってくれ」と開き直る。
当方も決め手を欠いて、以後「交渉」は中断。
97. 2. 7 機関誌『障労通信 No.7』発行
「自力通勤・自力勤務」条項撤廃に向けて市議会への誓願活動をすることになる。
2.21 【障労連続講座・第1回】いま、施設問題を考える
――障害者の立場から/講師・又村岑男
前年12月に、横浜市青葉区奈良町に、市が「複合福祉施設」の建設工事を強行。反対する住民と激しい衝突が起こる。これをきっかけに、障労で、「施設を問う」連続講座をおこなうことになる。
4. 7 機関誌『障労通信 No.8』発行
4.18 【障労連続講座・第2回】いま、施設問題を考える
――施設運営の立場から/講師・寺門栄(ベデスタホーム施設長)
6.20 【障労連続講座・第3回】いま、施設問題を考える
――障害者施設「れいんぼう川崎」の報告/講師・青木悦子
9. 1 機関誌『障労通信 No.9』発行
9.15 障労・第3回総会/記念講演・北村小夜
11.21 【障労連続講座・第4回】いま、施設問題を考える
――障害者の親の立場から/講師・亀山行正
98. 1.16 【障労連続講座・第5回】いま、施設問題を考える
――能力主義社会の「福祉施設」とは……/講師・加藤彰彦(障労代表・横浜市大教授)
3.27 機関誌『障労通信 No.10』発行
7. 1 「現代書館」の編集者来て、出版の具体的な内容の検討をおこなう。来年春には、これまでの障労の活動をまとめた本を出版することになる。
8.15 機関誌『障労通信 No.11』発行
9.15 障労・第4回総会/記念講演・八柳卓史
10.15 事務局長・小山正義「辞職届書」を提出し、障労脱会の意思表示。
00. 6. 2 解雇撤回を求める裁判(障労裁判)提訴(訴状提出)。
9. 7 「障労裁判」第1回(口頭弁論1)
10.26 「障労裁判」第2回(口頭弁論2)
11.28 「障労裁判」第3回(口頭弁論3)
01. 1.18 「障労裁判」第4回(口頭弁論4)
3. 1 「障労裁判」第5回(口頭弁論5)
3. 3 「リハ裁判・障労裁判」報告集会
3.23 「障労裁判」第6回(進行協議1)
4.12 「障労裁判」第7回(進行協議2)
5.14 「障労裁判」第8回(進行協議3)
7. 2 「障労裁判」第9回(進行協議4)
9.17 「障労裁判」第10回(進行協議5)
11. 5 「障労裁判」第11回(進行協議6)
12.10 「障労裁判」第12回(進行協議7)
02. 2. 4 「障労裁判」第13回(進行協議8)
3.18 「障労裁判」第14回(進行協議9)
5.23 「障労裁判」第15回(口頭弁論6)……証人尋問(被告側主尋問)
被告側証人/長島(解雇当時の教育委員会学校保健係長)
7. 4 「障労裁判」第16回(口頭弁論7)……証人尋問(原告側反対尋問)
被告側証人/長島
9.12 「障労裁判」第17回(口頭弁論8)……本人尋問(原告側主尋問)
9.15 障労・第5回総会/記念講演・三戸学
10.31 「障労裁判」第18回(口頭弁論9)……本人尋問(被告側反対尋問)
12.16 「障労裁判」第19回(和解協議1)……裁判長「原告の復職を前提とした和解勧告を出す」ための協議
03. 1.27 「障労裁判」第20回(和解協議2)……被告「協議内容は非公開に」
2.14 「障労裁判」第21回(和解協議3)……被告・「条件」提示
3.28 第22回(進行協議4)
5.16 第23回(進行協議5)……被告「金銭的な解決」を示唆
7.4 第24回(進行協議6)……原告「これ以上進展なし。判決」を望む
8.7 第25回(進行協議7)……被告、「金銭的な解決以外に和解は考えられない」。
10.2 第26回(口頭弁論10)……結審(双方、最終準備書面提出)
12.20 障労・第6回総会/判決を迎えるにあたって
04.1.22 第27回(口頭弁論11)…判決・延期
1.30 第27回(口頭弁論11)…判決・延期
2.13 第27回(口頭弁論11)…判決・敗訴
2.25 控訴(東京高裁……4.15控訴理由書
6.14 控訴審(口頭弁論1)
8.2 控訴審(口頭弁論2)……ビデオ上映
10.18 控訴審(口頭弁論3)……結審
05.1.19 控訴審判決……敗訴
1.31 上告(最高裁)
6.23 上告棄却(敗訴)
10.8 「障労裁判」報告集会