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上告理由書

平成13年(ネオ)第96号      
上告人  徳見康子 
被上告人 横浜市リハビリテーション事業団        

上告理由書
                                         平成13年4月9日
最高裁判所 御中
                                       右上告人訴訟代理人
                                       弁護士  森  田   明

     

はじめに

 原判決は、次に述べるとおり、憲法13条、14条1項、22条1項、25条1項、27条1項、及び32条に違反し、かつ、理由不備の違法もあるので破棄されるべきである。

 なお、本件は、社会福祉法人である被上告人とそこでリハビリを受ける患者との間の問題であるが、被上告人は、実質上横浜市が設置した公的性格の強い機関であること(甲15)、上告人は、措置決定を受けて、福祉事務所から被上告人に対する措置委託がされ、それに基づいて被上告人のもとでリハビリを受けているという関係にあることからすれば、被上告人の行為については憲法上の規範が及び行政機関と同様に憲法違反の問題を生ずるというべきである。

 

1 争点1に対する判断について

 争点1については、そもそも、「原告と被告は民事上の契約関係にあるか」という論点設定自体が誤りである。本件では、安全配慮義務違反等の債務不履行が成立するかが問題なのであり、その前提としての契約関係ないしそれに準ずる関係があるかが問題である。「民事上の契約関係にあるか」を形式的に問うのは、無意味である(控訴理由書「第一」参照)。

 このような論点設定をした結果、原判決は理由不備(民訴法312条2項6号)の違法をおかすに至っているが、この点は争点3において述べる。

 

2 争点2に対する判断について

 

(1)  財産状況の調査、知能テスト、心理テスト等

原判決は、更生相談所における財産状況の調査、知能テスト、心理テストは、「福祉事務所が控訴人の更生援護の必要性の有無、その種類を判断するため更生相談所に依頼して行ったものであり、右財産状況の調査は、福祉事務所が控訴人の費用についての負担能力を判断するために行ったものと認められるのであって、これらの調査、テストの実施が違法ということはできないし、被控訴人が右調査、テストの実施について債務不履行ないし不法行為責任を負う立場にあるものと認める余地はない」という。

 しかし、控訴理由書15ないし17頁に詳しく述べたように、入所措置の申込みは、被上告人の指示により、もともと被上告人リハセンター外来においてしていたリハビリを、入所措置を利用して継続するためにしたものである。また、実際には更生相談所はリハセンターの中にあって(甲15 20頁)、リハセンターの業務と密接な関係をもっている。また、被上告人リハセンターは、入所措置の申込みをすれば心理判定等がされ、その結果は当然に知らされることをも承知しながら申込みをさせている。これらの具体的事実から、被上告人は更生相談所における心理判定等における個人情報の収集に関して責任を負うべきである、と主張しているのである。しかし、原判決は、形式論のみで実態を無視した結論を下しているし、プライバシー侵害の可能性の高い心理判定等が本来必要かについて、具体的な判断を示していない。

 

(2)  「心理」のカリキュラム

また、「心理」のカリキュラム及びその中で実施されたP―Fスタディについて、原判決(以下、原判決を引用するに当たっては、原判決が引用する1審判決もあわせて引用する。)は、「控訴人は、障害認識が未熟であり、情動失禁があるなど感情のコントロールが困難な性格である上、障害に心因的要因の関係していることが窺われ、効果的なリハビリのためには障害の心理的受容を図り、心理的アプローチを加えながら、身体機能回復の訓練を実施する必要があったものと認められる」から、「心理」のカリキュラムが控訴人のりハビリに不必要なものであったということはできず、従って、控訴人の同意の下に「心理」のカリキュラム及びP―Fスタディを実施したことが違法ということはできないし、「心理」を受けるように控訴人に対する説得を行ったことを違法ということもできない。

 なお、本件全証拠を子細に検討しても、控訴人がその意に反して同意させられたとか、控訴人に対する説得がその手段、方法、態様等に照らして違法と評価すべきものであったといえるような事実を認めることはできない」とする。

 また、原判決は、上告人に対する「精神面 @相手により反応が異なり、本人の真意不明(常に注意をあつめたい) A思いこみつよく、相手の意を考えられない ・障害理解 現能力認識しようとしない B社会性は表面的に高いが、プライド高く、攻撃的で適応性低い。」といった評価等は、「被控訴人更生施設の担当スタッフが専門的知見及び経験に基づいて実施し考察した結果を客観的に評価し記述したものと認められるから、その評価を違法なものとする理由はない」とする。

 しかし、被上告人側のした上告人に対する一方的な評価を「担当スタッフが専門的知見及び経験に基づいて実施し考察した結果を客観的に評価し記述したもの」であるとさしたる根拠もなく是認し、P―Fスタディを含む「心理」のカリキュラムを強要したことを正当化するのは背理であり、失当である。ことに「障害認識が未熟であり、情動失禁があるなど感情のコントロールが困難な性格である上、障害に心因的要因の関係していることが窺われ」るなど、そのような評価そのものが正当性を欠くとして人権侵害性が問題とされているのに、これに何の疑問をさしはさむこともなく是認して評価の前提としていること自体、被上告人の上告人に対する偏見、人格非難に迎合するものであり、公平さを欠く不合理で誤った判断である。

 上告人は、こうした評価判定の不当性について、いずれも第三者の専門家である、石川憲彦氏証言及び、篠原睦治氏の意見書(甲7072)に基づいて主張したが、これらは全く無視されている。都合の悪い証拠は無視するという偏頗な認定であり、これも不合理で誤った法令適用である。

 また原判決は、「なお、右評価等は、控訴人に対するリハビリ計画を立案するに当たり内部的な検討資料とされるものであって、そのための右評価等において殊更控訴人に対する人格非難をしなければならない理由は全くない」などというが、内部資料であるがために、いったんそこで予断と偏見ある評価がされてしまうと、リハビリにかかわるスタッフ全体がそのような見方に支配されてしまうことになるという重要な点を見落としている。

 

(3) 入浴動作、排泄動作の確認等

さらに、入浴動作、排泄動作の確認については、「実際に衣服を脱いでこれらの動作をすることは必要ないのであって、控訴人がそのような要求をしたとは到底認め難いというべきであるし、動作を要求された障害者の側がそのような誤解をするということは通常はあり得ない」と決めつけている。

 しかし、被上告人のリハビリの必要性に関する主張からすれば、模擬動作に留まらず、実際にやって見せることが必要であると解さざるをえないし、上告人は模擬動作でよいなどとは聞いておらず、むしろ、現にやって見せることを要求された人の体験談を聞いている(原告第1727頁から29頁)ことからも、模擬動作にとどまるものではない。

 さらに、乙4の1では、ADL(日常生活動作)能力の評価について、「動作を直接観察しなくては、検討は不可能である。」としている(四六頁)。模擬動作では不十分ということになろう。

 これ以外にも、被控訴人の職員が執筆した論文等では、実際の入浴状況等を観察することを前提とした記載が多々見られる(甲55ないし58)。

 また、リハケ−ス記録(甲16の2)では平成3年2月8日の欄では「拒否しているプログラムはリハビリテ−ション計画に明記されているものであり、そのプログラムを拒否することは当施設の方針を拒否することになる。」とプログラムを受け入れない上告人に対する非難がされており、被上告人が組織をあげて、上告人に対し、右プログラムを執拗に強要していたことが窺われるが、こうした点を全く看過して被上告人を免責している。

() 人格権侵害

このような誤った法令適用がされたのは、上告人が控訴審において強く主張した、障害者の人権についての認識を全く欠落しているからに他ならない。

 障害者の人権については、原審控訴人準備書面(一)に詳述したところであるが、その要点は次のようなことである。

 障害者の人権の進展の中で、リハビリにおけるインフォームドコンセントと障害者の自己決定権が認められるに至っている。

 1975年国際連合総会で採択された「障害者の権利宣言」では、「障害者は、その人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有している。」「障害者は、可能な限り自立させるよう構成された施策を受ける資格がある。」「障害者は、補装具を含む医学的、心理学的及び機能的治療、並びに医学的・社会的リハビリテーション、介助、カウンセリング、職業あっ旋及びその他障害者の能力と技能を最大限に開発でき、社会統合又は再統合する過程を促進するようなサービスを受ける権利を有する。」などとしている。(甲61 200頁)

 1982年の国連障害者に関する世界行動計画(甲62 33頁)、わが国の1982年の身体障害者福祉審議会答申(甲62 27頁)、1998年に制定(改正)された障害者基本法(甲61 208頁)でも障害者の主体性を打ち出している。そして1999年1月に公表された、厚生省の障害関係三審議会合同企画分科会の「今後の障害保健福祉施策の在り方について」では、「ノーマライゼーション及び自己決定の理念の実現」を冒頭に掲げ、そのための利用者(障害者)の選択を保障すべきものとしている。障害者の自己決定はわが国の施策においても基本原理として認められるに至っている。(甲64

 そして現実にリハビリの計画策定、実施に障害者を主体的に参加させるべきことが提唱されている(甲62、甲63、甲65、甲66)し、被上告人自身も考え方としては認めているところである(甲59)。

 このように、リハビリ計画策定において障害者本人の主体性を尊重し、インフォームドコンセント(十分な説明を尽くした上での真摯な同意を得ること)と自己決定を原則とすること、さらには決定過程自体に積極的に参加してもらうこと(インフォームドコオペレーション)、評価判定においても、障害者の人権と主体性を尊重して行い、評価に関する情報を提供すべきこと、等は理念としては確立している。

 従って、リハビリ実施に当たって、上告人に対し、あらかじめ説明も了解を求めることもなくさまざまな評価判定を実施し、また要求したことは、プライバシー侵害といわざるを得ない。

そして、ここで問題となる障害者の人権は、憲法13条の人格権に含まれる自己決定権(最高裁平成12年2月29日判決――いわゆるエホバの証人輸血事件――は、輸血を伴う医療行為を拒否する意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない、とする)の一環である。また、それは障害者が、「健常者」と平等に(憲法14条1項)、「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために(憲法25条1項)必要であり、これを否定することは憲法のこれらの条項に違反するものである。なお、憲法25条については政策の指針もしくは抽象的な権利を定めたにとどまるとする見解もあるが、そうであるとしても、具体的な制度・政策に取り入れられた時点(上述の甲64等に見られるように、政府の政策としても障害者の自己決定権を認めるに至っている以上これに当たる)においては、既に具体化された人権というべきであり、それを守らないことは憲法25条1項違反になるというべきである。

 さらに、臨床心理の専門家である篠原睦治氏は、次のような問題点を指摘する(詳しくは控訴人準備書面(三)参照)。

 まず、本件のように、「更生援護」という大義名分と「専門家と被治療者」という力関係を無視したまま、上告人が了承ないし協力したことをもって、問題がないとはいえない。このような場面における了承ないし協力は、「これらの状況に抑圧されたり屈従したりした結果であるという側面を否定できない」。

 また、P−Fスタディの実施等は、臨床的な妥当性を欠いているものであり、同意の有無をとわずプライバシー侵害となる。

 入浴動作及び排泄動作の確認は、たとえ模擬動作であっても、臨床的合理性はなく、プライバシー侵害となる。

 これらの指摘に対し、被上告人は、リハビリセンター長である伊藤利之医師のいささか感情的な意見書を提出して反論したが、これに対しては篠原氏の補充意見書(甲72)を提出し、控訴人準備書面(五)をもって反論した。

 反論の要点は、個々人への臨床的行為は必然的に私事への介入を避けられないからこそプライバシー侵害に対する十分な配慮が必要であるとする。そして、上告人は、心理評価のカリキュラムを組んだり、心理評価を実施すること自体が当然にプライバシー侵害になると主張しているのではなく、当該対象者に対する、必要性の有無の判断、心理評価のやり方(どのようなテストを行うか等)を検討し、対象者に対する十分な説明をして同意を得ること(インフォームドコンセント)、等のなすべき手続を尽くしていたかという点こそがプライバシー侵害にあたるかの分岐点であり、このような手続を経ずに心理評価を実施するあるいは心理のカリキュラムを作成して実施を迫ることがプライバシー侵害であると主張しているのである。詳しくは控訴人準備書面(五)を参照されたい。

 また、石川証人は次のように指摘する。「当人は変わっていないわけですけれども、このリハビリテーション案の方は変化しているにもかかわらず、そこの間を埋め合わせようという形の努力、今の言葉でいいますと、インフォームドコンセントで、患者さんが入所なさるなら、やはり入所目的をはっきり理解して計画にかかわっていくという方向が、どこかで見失われ出している」と指摘し、そのことが患者にとってはストレスを加えるなど相当大きな負担になっていたと述べている(石川第2847から49頁)。

 このように、本件では、原職復帰という上告人の認識していた目的が一方的に変更され、そのことが本人への事前の説明、同意を欠くことはもとより事後的に知らされもしなかったのである。そのようなことが行われる前提での初期評価プログラムの強要は上告人の人格権を侵害するものというべきである。

 原判決は、認定した事実経過を、障害者の人権の観点から検討することなく、専門家、それも篠原意見書や石川証言は無視して、公的機関としての権威をかぶった被上告人のやり方・言い分を無批判に鵜呑みにしたために、人格権侵害を評価できなかった。

 

(5) 結語

 このように、リハビリ実施に際しての、更生相談所における評価判定、リハビリの内容としての「心理」の強要、及びそこでの一方的な評価、自宅での排泄、入浴動作の確認の強要を合法的とした原審の判断は、

 第1に、憲法13条の人格権に包摂される、プライバシー権、すなわち、自己に関する情報を正当な理由なく収集・利用されない権利、及び自己決定権すなわち障害者が自ら主体的にリハビリに参加する権利を侵害する。

 第2に、障害者なるがために自己決定権を否定されるという点で、憲法14条の平等原則に違反する。

 第3に、障害者にも健康で文化的な最低限度の生活を保障した憲法25条1項に違反する。

 よって、破棄を免れない。

 

3 争点3に対する判断について

 

(1) 本件転倒事故は次のようなものであった。

 訓練用ロールが平行棒から落下した後、すぐに上告人の右足の側方の前のほう(側方の斜め前)に当たった。上告人は両足と両杖で踏ん張っていたが、右側のロフストランド杖が前に滑ってしまい、上告人は後ろに転倒し、背中を打った。背中への衝撃は強かった。(原告本人第1756頁から63頁、甲1、甲52

 これに対し、原判決は、「本件ロールが平行棒から床に落下してゆっくり転がって行き、前示認定の歩行状態で立っていた控訴人に接触したこと、控訴人が右接触後やや間をおいて前方に両手を接地するなどして床に座り込んだことが認められるが、その際控訴人が背中を床に強打して頚部に衝撃を受けたり、受傷したりしたものとは認めることができない」とする。

 しかし、そのような認定の根拠は薄弱である。

 原判決は、認定の理由として、まず、「前方へ倒れ込むのが自然」と断定しているが、バランスを崩して倒れたのであるから後方へ倒れることも十分ありうる。また、「右側から倒れた」との大成医師のカルテの記載は正確ではなく、被上告人の主張する事実とも異なる。背中から倒れたなら必然的に後頭部をぶつけるとか、そうであればレントゲンを撮るのが通常であるとかは、いずれもそう決めつけることはできない、そうでない可能性が十分ありうることである。背部痛を訴えた記録がないというのも上告人のダメージが背部だけでないことからすればありうることである。

 転倒後の事実についても、あたかも上告人が通常と変わらないような行動をしたように認定しているが、これは転倒後の状態を意図的に軽く表現しようとするものである。詳しくは控訴理由書39から42頁に述べたが、例えば、「作業療法を行った」ということについては、上告人は左手が震え、両手をあげていることが困難だったため、作業療法訓練のプログラムを消化できず、座っていることも困難になって、中止を余儀なくされている(原告本人第1816から18頁)。

  また、上告人が、「箸が使えないからスプーンを貸して欲しい」と要請したのは、手が震えて箸が持てなかったからである。「午後一時から、車椅子により被告更生施設内を二周する移動訓練を約二〇分行った」というが、本来は杖歩行によるはずだったのが、転倒後から杖歩行ができなくなったためにこうなったのであり、しかも約20分行ったというのは、もともと1時間の予定のところを途中で中止したということである(甲162440)。「自分で自動車を運転して帰宅した。」というが、職員の援助がなかったために1人で通常数分でいけるところを1時間近くもかかって、3階から玄関まで移動し、ようやく自動車にたどり着き、体調の不調を耐えてようやくの思いで帰宅したのである(原告本人第1828から29頁、甲51 13頁)。

  このように、上告人の転倒後の訓練状況(本件転倒事故当日の)は重いダメージを受けていたことを物語るものであり、原判決がこれを軽く評価して、本件事故の態様(転倒の態様)及び受傷の有無の事実認定の根拠としたのは、誤りである。

 

(2) そして、原判決は、被上告人側の主張立証の不合理性については全く見ようとしていない。

@まず、被上告人は、本件ロールが平行棒から落下して、約3.5メートル床を転がって上告人に触れたという。<BR>

 しかし、本件ロールはこのような動き方はしない。

 本件ロールは、直径が約32センチメートル、長さが約90センチメートルの円筒形で、重量は約11キログラムであり、芯は木製でその回りに約3センチメートルほどの幅でスポンジ様のものが巻き付けられている(乙13、甲4849)。そのため、平行棒から落下して、約3.5メートルも床を転がることはなく、落下後数回はねて動きは止まってしまう。このことは甲52のビデオから明らかである。

 原判決は、「控訴人は、本件ロールが約1.8メートル転がって控訴人にぶつかったなどと主張するところ、前掲証拠に照らせば、仮に本件事故時に控訴人の立っていた位置が控訴人の主張するとおりであったとしても、本件ロールの転がるスピードは極めてゆっくりしたものであり、控訴人の立っていた位置に転がった時点では回転の勢いも極めて弱いものであったと認められ、これによって控訴人が強い衝撃を受けたものとは認め難いというほかない。」1.8メートルで極めてゆっくりであったというなら、3.5メートルも転がったとは考えられない。判決はこうした矛盾点についても、目を閉ざしている。

 

A「被上告人主張のとおりの態様で転倒」することは上告人には不可能である。

 そもそも、上告人の当時の身体能力からすれば、上告人が被上告人の主張するような動作をすることは不可能である。原判決はこの点を全く見落としている。

 被上告人は、まず乙1の添付写真を本件転倒事故の再現写真であるとして提出したが、上告人の当時の身体能力ではこのような動作はできない。

 まず、乙1写真@の動作であるが、この動作は結局のところ、右下肢の位置はそのままの状態で(右下肢の横には訓練用ロールが接しており右下肢を横に移動することはできない)、左下肢だけの力で左下肢を横に動かしている動作である。

 そして、写真@では右膝を曲げつつあり、写真Aでは右膝が接地してはいるが、左下肢を横に動かすに当たっては、体重は右下肢で支えられている。もし左下肢で体重を支えていたら、写真@Aのように左下肢を接地したまま横にスライドさせることなどできないからである。

 ところが、当時、上告人は、「頸椎症性脊髄症による両下肢麻痺」により第1種2級の身体障害者に認定されていたのであって(甲1の20)、左下肢は麻痺し筋力が低下していて、長下肢装具の装着により重くなった左下肢を横に動かす力などなかったのである。

 また、ロフストランド杖を両上肢に装着し(ただ握っているだけでなく二の腕に固定されている)、左下肢に長下肢装具を装着して金具部分をロックした状態で、この再現写真のように前方に崩れ落ちるように倒れるのは、物理的に非常に困難である。左下肢はロックした長下肢装具によって股関節から下が一本の棒のような状態で固定されているし(下方への力はこれで支えられてしまう)、前方は両上肢に装着したロフストランド杖によって支えられているからである。

 再現写真の動作はこのように物理的に困難な動作であるから、その再現動作をしようとすると、長下肢装具の装着により重くなった左下肢を左下肢自体の力で横に動かしたり、体の前方でシリコン製の滑り止めのついた二本のロフストランド杖によって体重を支えていたにもかかわらず、そのロフストランド杖から何故か手を離して放棄したりなど、再現動作には無理で不自然な点が現れてくる。

 しかし、被上告人の指示どおりに動く「被告職員」であれば、無理で不自然な動作もするし、無理に行うことによる不自然さは、このような分割写真からはいくらでも排除可能である。

 

B被告のビデオ(乙14)の不合理性

 ビデオテープの中で、説明者は、補装具等については上告人が利用していたものと同じ機能であると説明している。

 しかし、ビデオテープの中のロフストランド杖は、上告人が使用していたものと違って、腕に固定する部分の輪の隙間が大きいし、輪の材質も上告人が使用していたものとは異なっているように見える。

 また、ビデオテープの中の長下肢装具は、上告人が使用していたものとは形態が異なっているし、被上告人が使用していた右足の靴は、左長下肢装具の靴より、振り出しやすくするために底が厚くなっていたためにバランスを崩しやすかったが(甲60)、乙14のビデオテープの靴はそのようになっていない。

 さらに、杖の長さを低めにセットしてある。このため、甲52(上告人の再現実験時のビデオ)に写っている上告人の姿勢がほぼ直立であるのに比べると、乙14のモデルの女性は、はじめから前かがみの状態で、前方に倒れやすい姿勢で構えていることになる。

 再現場面について、まず指摘しておきたいことは、ロールが平行棒から落ちた後、どのように動いて上告人に当たったかについて、何ら再現がされていないことである。これは落下に至る経過について、合理的な再現ができなかったことをうかがわせるものであり、被上告人の落下に至る経過の主張が根拠のないことを意味すると共に、事故態様に関する被上告人の主張が全体として信用性に乏しいことをも物語っている。

 再現場面では、被撮影者の女性が、ロールに触れるやいなや、パッと両手のロフストランド杖を左右に開いて放り出し、勢いよく前に倒れている。

  この再現場面は、次に述べるように極めて不自然である。

 まず、被撮影者の女性は、ロールに触れたことが原因でバランスを崩したというよりも、ロールが近づいてくる間に倒れる準備をして、ロールに触れるやいなや自ら瞬時に前方に倒れているように見える。この再現場面には、被撮影者の女性がバランスを崩していく様子の場面がなく、前方に倒れる原因が全く読みとれない。

 次に、このビデオテープでは、再現場面が極めて短いため、ビデオテープをスローモーションで再生してみても、この再現場面はあっという間に終わってしまう。そのため、ビデオテープを少しずつコマ送りしながら、モニター画面をデジタルカメラで撮影し、その画像を順次並べてみた(甲68。甲69もビデオテープを静止画像にしたもの)。

  これら(甲6869)によれば、被撮影者の女性は、ロールに触れるや直ちに、それまで床に着いていた両手のロフストランド杖をなぜか床から浮かしてパッと左右に開き(しかも杖の先端部が左右にきれいに開くように)、グリップ部分から手を放して、勢いよく前屈みになり、両方の手のひらを前方の床にベタッと着け、それから右膝を床に着け、それに続いて長下肢装具で固定された左下肢を横に開いて、右大腿外側を床に着けている。

  しかし、両手に装着したロフストランド杖は、もともと装着者の体重を前方で支え、前方への転倒を防止するためのものであり、しかも、簡単には外れないように輪によって二の腕に固定されているものである。

 そのことからすると、バランスを崩す様子もなく、いきなりグリップから両手を放してロフストランド杖を放棄するなどというのは、あまりに不自然としか言いようがない。それまでロフストランド杖の先端を床に着けて前方への荷重を支えていたのであるから、グリップから両手をすぐに放す理由が何もない。そして、輪で二の腕に固定されていて外れにくいロフストランド杖をこれほど見事に外す(そのためにきれいに左右にロフストランド杖を開く)という行為も実に不自然である。あらかじめ外しやすいように、ロフストランド杖をゆるく着けていたのではないかと考えざるを得ず、それは普通に装着したのでは「再現」などできなかったからに他ならない。

 また、被撮影者の女性は、大変身体が柔らかく、左下肢が長下肢装具で固定されたままの前屈状態で(左下肢は横は開いてもいないし、右膝も床に着いていない状態で)、両方の手のひらを前方の床にベタッと着け身体を支えているが、これなどは上告人のなせる技ではない。

 すなわち、上告人の左手は、身体を支える力がないため、乙14のモデルの女性のように前方に両手をついて身体を支えることはできず、そのようなことをすれば顔面を床に打ちつけることとなる。それ以前に、前方へ倒れるのを手をついて支えようなどという反応は考えられない。

 また、立上りの場面でも、左手をいすの座面について身体を引き上げているが、このような立上り方も左手に力がないため、不可能である。このような場合利き腕でもあり左手より力の入る右手を使って起き上がるのが当然であり、上告人もそのように指導されていた。

 乙14のビデオテープの再現場面は乙1の写真と内容が異なっている。

 乙1の写真@の動作は、右下肢の位置はそのままの状態で、右下肢だけで体重を支え、左下肢を左下肢だけの力で横に動かしている動作である。本件事故当時、上告人は、「頸椎症性脊髄症による両下肢麻痺」により第1種2級の身体障害者に認定されていたのであって(甲1620)、左下肢は麻痺し筋力が低下していて、長下肢装具の装着により重くなった左下肢を横に動かす力などなく、このような動作をすることは上告人には不可能であった。このことは、上告人がこれまで何度も主張してきたことである。

 ところが、乙14のビデオテープの再現場面では、この点が被上告人に都合よく修正されている。再現場面では、乙1の写真@のような動作はなく、右下肢だけで体重を支えたまま、左下肢を左下肢だけの力で横に動かすといった動作は全く写っていないのである。

 控訴審になって、このように都合のよい修正を加えているという点からしても、このビデオテープの再現場面には信憑性がないというべきである。

 このように、被上告人の主張する転倒態様は極めて不合理であって、かかる事実経過を認定することはできない。

  なお、このような不自然な転倒経過をあえて主張しているとすれば、被上告人は、本来ならするはずのない不自然な転倒をしたのだと、主張していると解する他ない。つまり、被上告人が原審から主張していた、「転換ヒステリー」による「演技的転倒」であることを前提として認定しなければ、被上告人の主張は成り立たないのである。

 被上告人は、原審において、上告人が「転換ヒステリー」であることを立証できなかったのであり(原告最終準備書面38から46頁、同(補充)9から10頁)、それにもかかわらず、上告人の転倒態様が被上告人主張のとおりであったとした原判決の判断は合理性を欠き、誤りである。

 

() 上告人提出のビデオ(甲52)からは次のようなことがわかる。

 ロールは、平行棒から落ちる場合、どのような落とし方をしても、ころころと3メートル以上も転がることはなく、数回はねて近くで止まってしまう。また、はねた際当たったとしたら相当強い衝撃を与える。転倒から置き上がるまでの動きも上告人のいうとおりとして問題はないこともわかる。

また、甲60のビデオでは、ロフストランド杖及び長下肢装具の形状等すなわち、ロフストランド杖から腕をはずすには輪の上部から腕を引き抜くしかなく、輪のすき間から抜くことはできないこと、ロフストランド杖下部には「滑り止め」がついているが、斜めにすると滑りやすいこと(すなわち、乙1のような倒れ方はありえない)、長下肢装具と対になっている右足用の靴は底が厚くなっており、左右アンバランスのため安定性には欠け、どちらの靴も爪先がひっかからないよう削ってあるので、地面に着く靴底の面積はその分少なくなっており、その点からも安定性に欠けていること、長下肢装具及び対になっている右足用の靴の底はプラスチック様の固い材質のもので、ゴム底ではないし、つるつるのため、滑りやすいこと、長下肢装具は、膝関節部分を普段は伸ばした状態で固定しているが、倒れた状態から立ち上がるときは、いつもロックをはずし膝を曲げて起き上がるようにしていること(本件転倒事故後起き上がる時も、同様)などを明らかにし、乙1の写真及び乙14のビデオの不合理性を明らかにした。

 

(4) 転換ヒステリー論について

 被上告人の主張は、「上告人が意図的に前方へ転倒した」というものであるが、頸椎症性脊髄症の手術後で、転倒しないように気をつけるよう指示されていた上告人が意図的に転倒するとはあまりに不合理である。そこで被上告人がいわば動機の説明として持ち出したのが、「転換ヒステリー」による「演技的転倒」という主張である。

 しかし、結局、被上告人は、上告人が「転換ヒステリー」であることを立証できなかった(原告最終準備書面38から46頁、同(補充)9、10頁)。

 すると、原判決は、大きな争いとなっていたこの争点について何ら判断せずにすませてしまった。「都合の悪い事実には目をつぶる」という態度である。

 しかし、被上告人も「転倒」と言える事実があったことは認めているのであり、ロールのあたり方が転倒を来すものでなかったとしたら、「演技的転倒」でなければどうしてそうなったというの説明がつかない。

 

(5) 本件では、少なくともリハビリ施設内で訓練用ロールが落下移動し、患者に接触したことは争いのない事実である。

 リハビリ施設においてかかる事態が生じてはならないことは明白であり、回避するための措置が求められていることは明らかである。被上告人の理学療法士宮崎も、その証言の中で、「私の責任のもとにおいて片づける」べきことを認めている(宮崎証人第1676頁)。また、リハセンターで作成された文書においても、「事故は確かにセンター内においてあり、機材の管理上の問題である」としている(甲16の2 4月4日の欄)。

 そして、本件において、かかる事態をさけることは容易であった。すなわち、訓練後のロールを放置せずに直ちに収納すればよかったのである。あるいは、自由な動きのとれない上告人の周囲を担当の理学療法士が注視していればよかったのである。かかる容易な義務すら怠った上告人が責任を負うべきは当然である。

 

(6)1審、原審を通じて、裁判所が事実の解明(特に被上告人に不利な事実が明らかにされること)に消極的であったことも特筆せねばならない。

 上告人は、1審において、転倒事故の事実経過に関する被上告人の主張が不合理であることを明らかにするために、ロールの落下について現場検証を申立て、また、ロールを落とした者であると被上告人が主張する現場にいた患者や実習生を証人申請した。また、事実解明に役立つと思われる文書(実習生の記録、2月2526日(事故直後)の作業療法記録、被告が実験調査状況を記録した文書)の提出命令を申し立てた。

 しかし、被上告人は、重要証人・証拠であるこれらの取調べに不自然なまでに消極的であり、裁判所も積極的に採用しようとしなかった。それでいて被上告人の言うとおりの認定をした。控訴審でも、上告人が強く求めた「現場にいた患者」の証人採用にすら消極的で、存在が確認された横浜市が本件について調査した文書の送付嘱託にすら応じなかった。その上でまたもや被上告人の言うとおりの事実認定をしているのである。

 こうした姿勢は、公正な手続きにより真実を解明するという裁判制度の基本を形骸化し、多くの国民の裁判への信頼すら疑わせるものである。

 

(7) 安全配慮義務違反について

上告人は、転倒事故に関する被上告人の安全配慮義務違反について、身体能力の向上をめざすリハビリを実施するべき立場にある被上告人にとって、身体を傷つける事故が発生することは、まさに本来の給付義務の内容であるリハビリの目的に逆行することに他ならない・・・従って、被上告人はかかる事故を防止すべき高度の注意義務を負うというべきであって、リハビリ中の事故については、不可抗力であることの具体的な証明がない限り原則として過失を認めるべきである」と主張した(控訴審準備書面(四))。

控訴審準備書面(五)ではこの点をさらに布衍して、安全配慮義務の内容については、「通常の安全配慮義務」と「絶対的な安全配慮義務」という類型に分類することができる、後者は、契約内容及び契約的接触における事故発生の危険性が著しいことに着目し、相手方の安全配慮そのものを義務内容とし、万全の事故防止措置を義務者に求め、いわば結果責任に近似した義務とされる。そして、免責立証について、「通常の安全配慮義務」では、被告は抽象的無過失の不存在つまり通常の無過失の立証で免責されるのに対し、「絶対的な安全配慮義務」では、通常の無過失の立証では足りず、不可抗力もしくはこれに準ずる事由の立証が必要とされていることを主張した。このような立場に立脚すれば、安全配慮義務違反を上告人側が立証したか、という原判決の争点3についての判断ではなく、被上告人側が「不可抗力もしくはこれに準ずる免責事由」を立証したかが問われなければならない。

 しかし、原判決は、「絶対的な安全配慮義務」の主張の是非について何ら判断せず、また、被上告人側が「不可抗力もしくはこれに準ずる免責事由」を立証したか、の点についても判断していない。

 この点は明白な理由不備と言わざるを得ない。

 また、上記「絶対的な安全配慮義務」の主張は、最高裁昭和50年2月25日判決、大阪高裁昭和60年4月18日判決の趣旨から導かれるものであり(上告人準備書面(4)及び同(5)参照)、これを取り上げなかった原判決はこれらの判例に違反するものである。

 

(8) 結語

  以上のとおり、転倒事故に関する損害賠償請求を棄却した判断は、

 第1に、安全なリハビリを受ける権利は、憲法13条及び25条1項が保障する、障害者が健康で文化的な最低限度の生活をするために社会復帰を果たすための権利(憲法上の基本的人権)を侵害する。

 第2に、上告人が主張してきた責任に関する法的構成(「絶対的な安全配慮義務」)について摘示・判断をしておらず理由不備の違法がある。

 第3に、第2の点とともに、事実の解明に必要な証拠調を実施しないままに判断する等の著しい審理不尽があり、憲法32条の裁判を受ける権利を実質的に侵害している。

 よって、破棄されるべきである。

 

4 争点4に対する判断について

 

(1) 転倒直後及びその後の交渉経過における対応

まず、転倒直後及びその後の交渉経過における対応の点については、原判決は転倒事故そのものを否定したことから「前提を欠く」としている。しかし、前項で述べたように、転倒事故についての被上告人の責任は否定できない以上、原判決の認定こそ前提を誤るものである。

 すなわち、本件転倒事故が被上告人の注意義務違反によるものであり、上告人の症状を悪化させるおそれがあるものである以上、本件転倒事故発生直後に付近にいた伊藤医師や理学療法士宮崎らの職員が、転倒状況及び負傷の状況を確認し、その後の訓練を実施するかについて本人の意見も聞いた上で判断すべきであった。本件の場合、それ以降の訓練を中止し安静とすべきであった。また、頸椎症性脊髄症で手術後リハビリをしている原告が転倒したことの重大さからすれば、事故後直ちに医師が診察するなどの医学的対応をし、安静を指示して訓練を中止し、自宅に送り届け、その後の症状の推移を把握し、入院も含めた必要な措置をとるべきであった。実際には転倒事故時、伊藤医師は、同じ部屋の中にいたにもかかわらず、原告に何ら注意を払わなかった(原告本人第1835頁、なお伊藤医師がその場にいたことについて上告人準備書面(六)7から10頁参照)。

 事故後安静を必要としていた時期は、単独・自力で外出できなくなった上告人の状況を把握し、今後のリハビリをどうするかについて、上告人の意向も踏まえて方針を示し不安を与えないようにすべきであったし、事故原因について誠実に調査し事実を解明すべきであったところ、不誠実な対応に終始し、上告人の精神的苦痛を増大させたのである。

 なお、仮に被上告人が、事故直後に転倒事故の経過について上告人と異なる認識を持っていたとしても、ロールとの接触、転倒、予定された訓練の中断という経過があった以上、上記と同様の対応をすべきであった。

 

(2) リハビリ打切りについて

原判決は、リハビリ打切りについて、「控訴人については福祉事務所長による被控訴人更生施設への入所の措置決定が現在に至るも解除されず、福祉事務所長と被控訴人との委託関係が今なお継続しているものと認められるから、一般論としては被控訴人は福祉事務所との関係では控訴人に対してリハビリを実施する義務を負っているということができる」としながら、「前示認定の事実にかんがみれば、本件事故後は控訴人の態度に起因して控訴人と被控訴人との信頼関係が損なわれ、被控訴人更生施設において効果的なリハビリを実施することが不可能な状態になったと認められること、また、前示認定事実によれば、被控訴人は本件事故後福祉事務所のケースワーカーと共に控訴人方を訪れて今後の訓練について話合いをしており、福祉事務所においても本件事故の発生及び事故後リハビリが中断状態となったことを認識していたものと認められる上、福祉事務所と被控訴人は、右のような状況の下において控訴人に対する措置について対応を協議していたものと窺われること(なお、控訴人から本件訴訟が提起されたことからその推移を見て措置解除等の対応を検討することとなったことも窺われる。)、さらに、控訴人には頚椎症性脊髄症で継続的に診療を受ける主治医(南共済病院の大成医師)があったところ、南共済病院の診療録等に照らせば、同病院においても身体機能回復のためのリハビリを実施することは可能であり、現に控訴人は被控訴人更生施設の障害を受ける前は同病院においてリハビリを受けていたことが認められることなどを併せ考えると、措置解除のされないままに控訴人のリハビリを中断している被控訴人の対応が直ちに控訴人に対する不法行為を構成するものということは困難である」として、リハビリ打切りを是認している。

 しかし、上告人がすでに控訴人準備書面(六)で詳細に反論しているように(同2から7頁)、被上告人のあげる理由は正当性を持たず、被上告人は、原則通り、上告人に対し、リハビリを実施する義務を負っていたというべきである。

 若干追加して述べるに、「福祉事務所と被控訴人は、右のような状況の下において控訴人に対する措置について対応を協議していたものと窺われる」にもかかわらず、その後も長期にわたり措置が解除されなかったのは、解除する理由がなかったためというべきであり、医師の診断もそれを裏付けている。南共済病院においてリハビリを行なう可能性をあげているが、転倒事故後間もなく南共済病院の大成医師は、上告人に対し、「信頼関係がなくなっている」と一方的に宣言するに至っており、しかも南共済病院まではタクシーを使えば9000円もかかり、通院の物心両面にわたる負担を考えるなら、同病院でのリハビリなど非現実的であった。

 なお、上告人に関する措置費について被上告人は法廷で、「措置費はまとめて請求して支払を受け、措置の実績のない控訴人の分については、後日返還している。」と説明した。これは、措置(リハビリを実施すべき関係)が解除されずに残っているからである。措置費を返還したことは、現実にリハビリを行わなかったから結果的に返還すべき義務が生じたためであり(もっとも、実際に返還されたという裏付けは提出されていない)、後日返還したからと言って、リハビリを実施すべき義務がなかったとは言えない。

 このように、被上告人のリハビリ拒否は、なすべきことを怠っており、違法な事後対応ということからも責任が問われなくてはならない。

 

(3) 結語

 事故後の不適切な対応及びリハビリ打切りを適法として是認した原審の判断は、

 第1に、社会復帰を果たすために十分なリハビリを受けることは、障害者が自らの幸福追求権を実現し、健康で文化的な最低限度の生活を営むために不可欠なものであって、憲法13条及び25条1項が保障するものであり、これらの憲法上の権利を侵害する。

 別紙「障害者雇用ガイドブック」では障害者の職場復帰、社会復帰のための具体的な制度が整備されるにいたっていることが紹介されている。すなわち、25条1項はすでに具体的な制度になっており、事故後の不適切な対応及びリハビリ打切りにより職場復帰及び社会復帰の機会を奪ったことは憲法違反となるのである。

 第2に、職場復帰のためのリハビリの機会を奪ったという点において、憲法22条1項の職業選択の自由及び同27条1項の勤労の権利を侵害する。

 別紙「障害者雇用ガイドブック」12頁では、憲法27条の勤労の権利が障害者にも保障されるべきは当然であり、それを実現するために「障害者の雇用の促進に関する法律」等の制度が整備されつつあることが指摘され、同ガイドブックでは、障害者雇用を積極的に実現すべきことが既に理念としては定着し、企業や福祉施設等がその実践に勤めるべきことが指摘されている。従って、障害者の職場復帰の機会を奪うことは、憲法違反をきたすと言うべきである。

  よって、争点4についての判断も、破棄を免れない。

                               以上


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