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2000.1.31


控 訴 理 由 書


  平成一二年(ネ)第三七号損害賠償請求控訴事件(第一回弁論期日四月一二日)
                 原   告   徳   見   康   子 
               被   告   横浜市リハビリテーション事業団

 二〇〇〇年一月三一日
          控訴人訴訟代理人  弁 護 士   森   田    明
                    同       大  塚  達  生
                    同       渡  辺  智  子

東京高等裁判所 民事第二二部 御中

                            

序 はじめに(原判決の全般的な不当性) 
一 本件訴訟は、一九九二年(平成四年)一〇月一三日に提訴され、一九九九年(平成一一年)七月二九日に終結したが、終結時点であらかじめ提出を予告の上、一〇月四日に原告最終準備書面(補充)を提出し、これに対し被告から一一月五日に最終準備書面(補充)が提出された。そのわずか一三日後の一一月一八日に判決が言い渡されたものである。なお、同年五月二七日の期日(終結の一回前)から裁判長が高柳輝雄判事に交代している。
 この裁判は、リハビリ施設内での事故について施設の責任を問う事件として注目を集め、「公正な判決を求める署名」には、わずか二〇日足らずの間に全国から約四四〇〇名分もの署名が寄せられた。
 このような経過で下された原判決は、結論の不当性もさることながら、あまりにおざなりであり、粗雑にして不誠実な判決と言わざるを得ない。
二 「第一」以下で具体的に述べるが、冒頭において、判決全般を通じての原判決の姿勢の問題点を指摘する。
 まず、争点の設定自体が恣意的であり重要な争点に対する判断を示していないことである。
 最も象徴的なのが、「転換ヒステリー」をめぐる議論である。被控訴人は、控訴人(原告)が意図的に転倒したものであるとの極めて不自然な主張を理由付けるために、控訴人は「転換ヒステリー」であると決め付け、これについて、文献や医師(伊藤証人)によって懸命に立証につとめ、被控訴人の最終準備書面ではこれについての主張に、一〇頁(二一から三〇頁)を費やしている。そして、控訴人は、石川証人の証言、伊藤証人への反対尋問等により反証に努め、その主張の理由のないことを明らかにした(原告最終準備書面三七から四六頁)。しかし、原判決は、主要な争点である、「転換ヒステリー」についての主張を摘示することを怠り、何らの判断も示していない。
 また、控訴人側の専門家証人として、右転換ヒステリーの点のほか、被控訴人の理学療法士の証言の信頼性やリハビリのあり方、リハビリ打切りの問題などについて重要な証言をした石川憲彦証人の証言を、証言としての信用性の検討すらせず、全く無視している。重要な証拠にあえて目をつむり、証拠をつまみ食い的に採用して、恣意的な認定をしていると言わざるを得ない。
 さらに、争点についての判決の事実認定及び判断内容そのものの大部分が、被告の主張をなぞっているに過ぎないものであり、「自分の頭で考えて認定し判断した」ことがうかがわれない。
 それでいて、「原告代理人森田弁護士作成の事故報告書(甲一、三)、原告本人の陳述書(甲五一)及び原告本人尋問の結果こそ虚偽である。」とまで決めつけている。単に「措信できない」というに言うにとどまらず、「虚偽である」とまでいうのは、原告、代理人共に意図的に虚構の事実を作出したとの意味に解せざるを得ない。そこまで言っておきながら、その根拠を何ら示してすらいないのである。
 憚りながら、弁護士森田明は、丸一八年近く弁護士の職にあって、もとより虚偽の証拠や証言を作出したことはなく、結果的にもそのようなことになることのないように注意を払ってきたものである。原判決の認定は、いわれない誹謗であり、到底容認しがたいものである。
 そして、真に許しがたいのは、かかる無責任な事実認定が、ほかの多くの重要な争点について、いとも簡単にされていることである。
 また、控訴人が繰り返し訴えてきた障害者の人権(リハビリ計画策定に参加する権利、プライバシー権など今日注目されつつある権利)の重要性も容易に無視され、障害者の主張を「独善」と決めつけている。
 現行法上、障害者の権利を守る仕組みが不十分であることは否定できない。しかし、具体的な事件における法解釈を通じて、権利を前進させてゆくのが裁判所の役割である。原判決はかかる司法の役割を放棄するに等しいものである。
 控訴人や我々その代理人が、司法に希望を託したのは誤りであったのか。原判決は、控訴審から見ても、欠陥判決ではないのか。かかる判決が漫然と維持されるようなことがあっては、わが国の司法全体が信用を失うことになるのではないか。このことに答えていただきたい。 
 控訴審において、十分な審理がされ、原判決が破棄されることを求める。

第一 争点1(原告と被告は、民事上の契約関係にあるか)について
 原審は、控訴人と被控訴人との法律関係について「原告と被告は、民事上の契約関係にあるか。」との争点を設定し、これに対し、つぎのように判断した。 
 「被告更生施設への入所措置は、行政処分であり、施設入所者(原告)と被告更生施設との関係を民事上の契約関係と捉えることは困難である。原告が、福祉サービスを受けるのは、原告と被告更生施設との間の契約の効果としてではなく、措置権者たる市が入所措置を採り、市と被告更生施設とが措置委託契約を結んだことにより、被告更生施設が市に対して福祉を提供する債務を負ったことの効果に基づくものであると考えるべきであるからである。原告と被告更生施設との間に私的な契約関係が生じていない以上、仮に被告更生施設の提供する福祉サービスが不十分なものであったとしても、原告は、被告更生施設に対し、債務不履行による損害賠償を請求することはできない。」
 右は、その判断においても、また、争点の設定そのものについても、重大な誤りを犯している。以下詳述する。
一 原審は、控訴人と被控訴人との間の契約関係を否定したが、これは控訴人と被控訴人との関係の実態を無視した乱暴な判断というほかない。
 控訴人と被控訴人との間には、平成二年九月五日、継続的にリハビリを給付することを内容とするリハビリ給付契約が成立した。
 被控訴人はすでにこの段階で、身体障害者福祉法一八条四項三号の入所措置を利用して控訴人のリハビリを実施しようと計画していた(甲一六の五八の診療部内リハプラン平成二年九月五日には「入所更生も妥当」とある。)。
 平成二年一一月二二日、被控訴人リハセンターにおいて、控訴人に対する入所面接が行われ、同月二八日には被控訴人リハセンターで係内リファレンスが行われ、控訴人の入所を決めている。
 同年一二月一一日、被控訴人が控訴人に関する総合評価会議を行い、将来の入所措置後のリハビリの目標を決めている。
 入所措置決定はこれらに遅れてなされている。
 入所措置決定までの経緯としては、まず、福祉事務所からの委託を前提として、控訴人から福祉事務所に対して入所申込がなされ、福祉事務所から被控訴人に対して控訴人の入所についての委託申込がなされたのは、同月一七日であり、同月二七日付でこれに対する被控訴人の承諾がなされ、平成三年一月一日付で、福祉事務所により被控訴人リハセンターへの入所措置決定がなされた。
 以上により、福祉事務所から被控訴人に対する入所委託は、実質的には、控訴人の入所申込であり、これに対して被控訴人が入所承認通知という形で承諾したことにより、既に被控訴人と控訴人との間でなされていた入所の合意が再確認され、控訴人と被控訴人との間で、入所によるリハビリ給付契約が締結されたというべきである。これらについては、すでに一九九四年五月二六日付準備書面(五)において詳しく述べている。 
 横浜地方裁判所は本件に係る横浜市港北福祉事務所からの送付文書である「判定書」の写しに関わる、控訴人・被控訴人間の平成六年一〇月二三日文書提出命令(平成五年(モ)第一二九九号平成六年一〇月二三日決定)において、「申立人(控訴人)と相手方(被控訴人)との間において、それが私法上の契約関係であれ(児童福祉法二七条一項三号による県知事の措置により児童福祉施設に入所した児童の親権者と右施設との間に委託契約関係が発生すると判示する大阪高等裁判所昭和五五年八月二六日判決・判例時報九九七号一二一頁の考え方も参考となろう。)であれ、公法上の法律関係であれ、ともかく、申立人が相手方の設置する本件更生施設において、リハビリテーションを受けるという実質があることは明らかであるから、両者の間にはこれを律する法律関係が存在するものというべきある。」として、控訴人・被控訴人間の実態を無視して、両者の間の法律関係を考えることができないことを示している。
 しかも、本件においては、入所措置決定より四か月も前から、控訴人と被控訴人との間には、リハビリ給付契約が存在し、これと継続して、入所によるリハビリがあるのである。入所措置決定前に存在していた契約関係が、措置決定によって、控訴人が望まないにもかかわらず消滅させられ、以降、控訴人・被控訴人間には何らの契約関係も存在しないという原審の判断はあまりに社会通念に反し、法律論としても内実を伴わない空虚な議論である。
二 また、原審は、控訴人が明確に主張していた予備的主張についての摘示と判断を全く怠っており、明らかな審理不尽の違法がある。原審は、このほかにも、たとえば、「転換ヒステリー」に関する議論を完全に回避しており、全体として、著しく粗雑な判示となっている。
 一九九四年五月二六日付準備書面(五)において、控訴人は、「平成三年一月一日以後の原告と被告との関係が、形式上右のようなリハビリ給付契約の当事者関係にでなかった場合でも、被告は原告に対して、訴状二一頁から二二頁記載のとおりの各義務と同じ内容の義務を債務として負っていた。」ことを予備的に主張していた。
 横浜地方裁判所の前記平成六年一〇月二三日決定において、「本件更生施設において実施されるリハビリテーションは、相手方側の一方的な働きかけにより行われるべきものではなく、申立人側からの自発的な意思に基づく積極的な協力なくしてはこれを行い得ないものであるだけでなく、相互の信頼を基礎として行われるべきものといえよう。ところで、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として、いわゆる安全配慮義務が一般的に認められるべきである(最高裁判所昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)。
 したがって、本件本案事件においても、転倒事故については主位的請求を相手方の信義則上の安全配慮義務の不履行を原因とする損害賠償の請求と考える余地もないとはいえない」とする。
 このように、「第一の争点」は「原告と被告は、民事上の契約関係にあるか。」ではなく、「被告は原告に対し、契約関係もしくは信義則上の安全配慮義務を負っているか。」というべきであり、その中で主位的に「民事上の契約関係にある」との主張と、予備的に「信義則上の安全配慮義務を負う関係にある」との主張をしているのである。
 しかし、原審は、後者の主張について、一切言及せず、判断も示していない。果して、原審は、記録に十分目を通して判決に至ったものか甚だ疑問である。 
 そして、原審が民事上の契約関係の有無を形式的に判断するだけで債務不履行を否定したことは、あまりにも社会の現実の要請を無視し時代錯誤的な判断と言わざるを得ない。最高裁が上記判決以降「信義則上の安全配慮義務」を認めてきたこと、大阪高裁の前記判決が児童福祉法二七条一項三号による県知事の措置により児童福祉施設に入所した児童の親権者と右施設との間に委託契約関係が発生すると判示したこと、はいずれもそのような判断をしなければならない社会的事実があったからである。
 本件のように、もともと患者が通院していた施設の判断により、患者から福祉事務所に入所申込をさせ、福祉事務所により当該施設への入所措置決定がなされるという現行の福祉制度で、患者と施設の間に形式上直接の契約関係が生じないことが、まさに患者(被措置者)の人権の観点から問題とされるべきなのである。
 継続的にリハビリを受けている患者と施設の間に何らの安全配慮義務も生じないというのはあまりにも非常識である。
 原判決のように、形式上契約関係がない以上、施設の提供するサービスがいかに不十分であっても、何ら責任を負わないとし、さらに安全配慮義務も生じないとするのでは、障害者等福祉の対象者の人権を全面否定するに等しい。原審はその判断内容の持つ意味を認識していたのであろうか。
 ほかの争点でもことごとく施設側の言い分に従っている原審は、あるいは障害者の人権など頭から否定してかかっているのやも知れない。そのように理解されても仕方のない判決であろう。かかる判決を容認してはならない。控訴審では、まずこの争点について、実態を十分に検討の上、安全配慮義務の存在を認める判断をすべきである。

第二 「争点2」(調査、評価等によるプライバシー侵害)に関する判断の誤り
一 入所措置決定前の知能テスト、心理テストについて
 原判決では、入所措置決定前の福祉事務所、更生相談所による知能テスト、心理テストについて、「知能テスト、心理テストは、福祉事務所の依頼を受けた更生相談所の判定業務の一環として行われたもので、被告が実施主体ではない。また、財産状況の調査は、右福祉事務所が更生施設への入所及び経費負担の程度を判断するために行ったものであり、被告が実施主体ではない。したがって、この点について、被告のプライバシー侵害をいう原告の主張は、それ自体失当というほかない。」という。
 しかし、控訴人は、形式上、福祉事務所の依頼を受けた更生相談所が実施主体であることは前提としつつ、実態としては、被控訴人リハセンタ−の控訴人に対するリハビリの一連の過程においてなされたものであり、控訴人リハセンタ−と福祉事務所、更生相談所をして行わしめたものというべきであると主張しているのである。
 そして、それを裏付ける事実として、被控訴人リハセンタ−の控訴人に対する入所措置決定前後のリハビリの連続性及び被控訴人リハセンタ−の主導性に関し、更生相談所長でもあったリハセンタ−の伊藤医師が、「措置決定を求めることになった段階で、控訴人がリハセンタ−に行くことになることは当然わかっていた」旨(伊藤第二二回四三頁)証言し、また、被控訴人リハセンタ−の宮崎理学療法士は「更生援護措置決定前後を通じて控訴人を担当しており、控訴人が被控訴人リハセンタ−により控訴人が更生援護措置決定を受けて入所したほうがいいという判断がなされた」旨証言している(宮崎第一六回二五頁、二六頁)ことを指摘し、控訴人が、平成二年九月以降被控訴人リハセンタ−の診療所に受診し続ける中で、職場復帰のためには、更正施設での集中的なリハビリを受ける必要があると被控訴人から判断され、右判断に基づき、被控訴人リハセンタ−主導のもと、更正援護措置の手続きが進められ、しかもその手続きを進めながら被控訴人リハセンタ−におけるリハビリが続けられていた事実を指摘した。
 このように、入所措置の申込みは、被控訴人の指示により、もともと被控訴人リハセンター外来に通院していた控訴人のリハビリを、入所措置を利用して継続するためにしたものである。また、実際には更生相談所はリハセンターの中にあって(甲一五 二〇頁)、リハセンターの業務と密接な関係をもっているのである。また、被控訴人は、入所措置の申込みをすれば心理判定等がされるであろうことを認識しており、かつ、乙一〇を所持していたことからわかるように、更生相談所が行った判定の結果は当然に被控訴人に知らされることをも承知しながら申込みをさせている。
 これらの事実から、被控訴人は更生相談所における心理判定等における個人情報の収集に関して責任を負うべきである、と主張しているのである。しかし、原判決は、形式論のみで結論を下し、控訴人の主張についてなんら判断を示していない。

二 「心理」のカリキュラムについて

1 原判決は「被控訴人が控訴人に対して実施した『心理』のカリキュラム(PーFスタディ)については、実施するについて控訴人の同意を得たこと及びその実施目的からして違法性がないことが明らかである。そして、控訴人は、3回目以降の『心理』のカリキュラムについては、これを拒否したから、それ以後のカリキュラムが控訴人のプライバシーを侵害する余地はない。」という。こうした論理からすれば、いかに人権侵害性の強いカリキュラムであっても、受け入れれば受け入れたのだからよいとし、拒否したら拒んだのだから良いということで、結局人権侵害の余地はなくなってしまう。はじめから被控訴人を免責するための論理といわざるをえない。 
 また、原判決は「被控訴人更生施設がリハビリ計画を策定する上で必要と認められるカリキュラムを受け入れるよう説得することは何ら背理ではなく、むしろ被控訴人更生施設の義務とすら言える。」とし、「この点に関する控訴人の主張は独善というほかなく、採用の限りでない。」とまでいっている。
2 一体何が「独善」だというのか。控訴人は、「説得」することの是非自体を争うのではなく、障害者の人権という観点からすれば、それ以前に踏むべき手順があるといっているのである。
 リハビリは、リハビリを受ける障害者が自ら計画作成に参加し、その過程で十分な説明がされ、障害者の意見が取り入れがたいものであるなら、その旨説明して了解を得た上で行われるべきものである。こうした手順を無視して強要したことが問題なのである。真意に反して同意させられたこと、拒否した場合に冷遇等の事実上の不利益を課されることは人権侵害であり、民法上も人格権の侵害という債務不履行・不法行為を構成する事態である。
3 そして、実際にはリハビリ計画の策定は、リハセンター側が、一方的に作成し、要求するものであった。もとより、建前上は利用者との「合意による」ものとされているが、実際は、利用者が拒否することなどは予想していなかった。控訴人は、悩んだ末、プログラムの一部を拒否したが、当初から、控訴人の要望を尊重し、かつ、十分に控訴人に説明して計画を作成したのであれば、かかる事態にはならなかった。
 一九九一年一月の通所開始後、被控訴人リハセンタ−は、控訴人に対し、性格検査・心理相談を行う「心理」を受けるように強く迫ったが、控訴人はこれに同意しなかった。必要性も明らかにされないまま、リハビリの名のもとに障害者に対し心身すべての状況をさらけだすよう強要することは、障害者本人が自らの情報をコントロ−ルする権利を侵害するものである。
 控訴人が拒否した後も被控訴人リハセンタ−職員は、控訴人に対し、「心理」を受けるように働きかけ続けた(控訴人本人第一七回二六頁)。控訴人は、「心理」に対し、疑問を感じたため、これを拒否したが、これを受け入れることが当然であるかのように、受け入れを迫られること自体が精神的苦痛をもたらすものであった。障害者は被控訴人リハセンタ−でリハビリを受ける限りは、被控訴人リハセンタ−の言いなりになるほかないのか、という屈辱的な思いにかられた。また、被控訴人リハセンタ−では、被控訴人リハセンタ−側が要求した課題を拒否することはおよそありえないことと考えられていたようであり、控訴人は、被控訴人リハセンタ−職員関谷(心理)、宮崎(理学療法士)の悪意に満ちた評価など、拒否したことをよしとしない被控訴人リハセンタ−職員の冷やかな対応の中に身を置かなければならなかった。
 また、拒否した結果として、予定されていたプール内での運動療法や所外での交通機関利用(電車に乗るなど)の訓練を取り止めにさせられた。所外での交通機関利用訓練は、グループで実施するところ、控訴人だけがいわば「仲間外れ」にされたのである。
 このような経過は、人格権侵害の事実に他ならない。

三 判定内容の問題
 原判決は「控訴人は、前記1(四)の判定内容が、控訴人の人格を誹謗するものであり、右評価をすること自体がプライバシーの侵害に当たるとも主張するが、判定がリハビリの実施機関である被控訴人更生施設の裁量に属することは否定すべくもなく、控訴人の立場は、被控訴人更生施設の果たすべき役割を否定するに等しい。」という。 判決の見解からすれば、更生施設が障害者に対してどのような評価をしようとそれは施設の役割であり、裁量に属するということになろう。しかしこれは障害者の人権を否定するに等しい暴論である。
 控訴人は、現在行われている評価・判定そのものについて大きな疑問を持っているが、法的な主張としては、更生施設が評価・判定をすることが直ちに違法行為であると主張しているものではない。しかし、評価・判定のあり方が合理性を欠き、対象たる障害者の人格権を侵害するようなやり方で行われたのであれば、それは裁量の範囲を逸脱したものであり、違法行為と言わねばならない。
 そして、控訴人は次のような具体的事実を主張して、控訴人に対する評価・判定が違法であると言っているのである。
1 心理評価は、しばしば、他人に知られたくない事実の告白を求めたり、人格的評価をするなど、プライバシーの侵害性が高い性質のものであるから、当事者について、心理評価が本当に必要であるのか、必要であるとしてもどの範囲までか、を慎重に検討すべきである。控訴人については、原職復帰のためのリハビリという希望からみて、そもそもその必要性自体疑問である。ちなみに、桂医師作成の平成二年九月五日作成の依頼箋(甲一六の六一)では、心理療法は医療指導の中に入っておらず、担当職種も臨床心理士は挙げられていない。
2 仮に控訴人について心理評価が必要であるとしても、控訴人に対してなされた「評価」の内容は、常軌を逸したものであり、人格非難といわざるを得ない。すなわち、平成三年一月一七日作成の初期評価会議資料中の「心理」の欄(甲一六の二五 二丁目)では、「精神面  相手により反応が異なり、本人の真意不明(常に注意をあつめたい)  思いこみつよく、相手の意を考えられない ・障害理解 現能力認識しようとしない  社会性は表面的に高いが、プライド高く、攻撃的で適応性低い。」とある。
 この記載のもとになったと思われる心理評価記録では、「一.一四 ・・・頼り合う関係をすべて否定している。また、その関係が母親にとってどうか、娘にとってどうかという事には思考が向けられない。つまり、そういう発想自体なく、自分がマイナスと感じることは当然皆にとってマイナスである(プラスであるはずがない)という感覚である。」と決め付けており、P−F Study でよい結果がでると、「あまり 反応 社会性高すぎ 妥当性?」として受け入れようとしない。一月一六日の所見では、「各担当者への反応がそれぞれ異なり、相手により使いわけている感じが強い。相手の注目を引くための行動をとっている・・・プライド高く、自分の価値観に固執。反するものは受け入れられず自分から拒否し切り捨てている・・・」と、全く一方的な「評価」をあげつらっている(甲一六の五二 一、二丁目)。これらの記載には明確な根拠もなく、客観性は乏しい。
 何のための評価かも不明で、あたかも控訴人が「要注意人物」であることを広めるためにしているかにさえ思われる。かかる「心理評価」のために、控訴人の私生活上の詳細な情報が収集されたことは、控訴人の人格権の侵害に他ならない。
 かかる具体的事実主張についての認定、判断をすべきであり、原判決のように一般論として「更生施設の裁量に属することは否定すべくもな」いとか、「更生施設の果たすべき役割を否定するに等しい。」などという一般論で結論を導くのは、争点に対する判断を怠っているというほかはない。

四 入浴、排泄動作の確認について
1 原判決は、「入浴及び排泄動作の確認をさせるよう説得したことは、控訴人がこれを拒否した以上、プライバシーの侵害とは言えない。」という。
 しかし、「拒否した以上、プライバシーの侵害の侵害とは言えない」というのは、前記二1に述べた「心理」についての認定と同じ誤りを犯すものである。
2 また、「被控訴人更生施設は、入浴動作や排泄動作そのものの確認を求めたわけではない」という。しかし何を根拠にこのように言うのか不明であり、単に被告の主張に従ったにすぎない。
 そして、「控訴人は、右動作の確認は、他の入所者らの話から、衣服を脱いで下着姿でさせられるものと思っていた旨供述するが、そのような理由で拒否するのであれば、その点を被控訴人更生施設の生活指導員らに確認すれば足りることであり、控訴人の弁解には説得力がない。」という。
 しかし、被控訴人のリハビリの必要性に関する主張からすれば、模擬動作に留まらず、実際にやって見せることが必要であると解さざるをえない(被告準備書面三、六)。また、控訴人は模擬動作でよいなどとは聞いておらず、むしろ、現にやって見せることを要求された人の体験談を聞いている(原告第一七回二七頁から二九頁)ことからも、模擬動作にとどまるものではない。
 さらに、乙四の一では、ADL(日常生活動作)能力の評価について、「動作を直接観察しなくては、検討は不可能である。」としている(四六頁)。模擬動作では不十分ということになろう。
 これ以外にも、被控訴人の職員が執筆した論文等では、実際の入浴状況等を観察することを前提とした記載が多々見られる。具体的な内容は後に紹介し、その際まとめて書証として提出するが、たとえば、「在宅RA患者の入浴動作に対するアプローチとその効果について」(大津裕子ほか、横浜市総合リハビリテーションセンター紀要1)はRA(慢性関節リウマチ)の患者一七名についてOTが行なった入浴に関する指導の内容を、在宅訪問記録をもとに調査し分析したものであり、「日常生活動作の評価」(秋田裕、同紀要2)には「ADLの項目は必ず実行させて評価することが何よりも重要である」との記載があり、「評価入所と評価事例」(佐々木葉子ほか、同紀要3)には入浴を実際にやらせて評価した記載がある。
3 リハケ−ス記録(甲一六の二)では平成三年一月三一日以降、同年二月五日、七日、八日、一二日、一四日、二〇日に排泄動作等確認等のプログラム拒否に関する記述があり、とくに、二月八日は「拒否しているプログラムはリハビリテ−ション計画に明記されているものであり、そのプログラムを拒否することは当施設の方針を拒否することになる。」とプログラムを受け入れない控訴人に対する苛立ちの現れとも取りうる記述がされており、被控訴人リハセンタ−が組織をあげて、控訴人に対し、右プログラムを執拗に強要していたことが窺われ、控訴人への人格権侵害が深刻であったことがうかがわれる。

五 プログラム策定の不当性
1 原判決は、「控訴人は、職場復帰を目的として被控訴人更生施設に入所したのに、それと無関係なプログラム、すなわち、障害の受容を目的としたプログラムを強制させられたことがプライバシーの侵害に当たるとも主張するが、初期評価期間は、いわばリハビリ計画策定のためのオリエンテーションであり、身体障害者に現在の障害を正確に理解し、これを受容してもらうことがその目的であることに照らせば、当初このようなプログラムが組まれることはやむを得ないことであり、これをもってプライバシーの侵害ということはできない。」とする。
 しかし、これでは障害者は一方的に受け身の立場に置かれる、いわば「やられ放題」になる。障害者の主体性、本件で言えば、原職復帰を目指したからこそリハセンターに入所しリハビリを受けようとした控訴人の意思を全く顧みなくともよいとする発想であり、容認できない。例えば、初期評価期間において、障害者本人の求めと異なる目標設定がされ、「受容」の名目で、それに応じたリハビリ計画が策定され、強要されるならそれは人格権侵害と言うべきであろう。
2 本件について、石川証人はその問題性を次のように指摘する。「当人は変わっていないわけですけれども、このリハビリテーション案の方は変化しているにもかかわらず、そこの間を埋め合わせようという形の努力、今の言葉でいいますと、インフォームドコンセントで、患者さんが入所なさるなら、やはり入所目的をはっきり理解して計画にかかわっていくという方向が、どこかで見失われ出している」と指摘し、そのことが患者にとってはストレスを加えるなど相当大きな負担になっていたと述べている(石川第二八回四七頁から四九頁)。また、同証人は、「被控訴人の医師の診断やその後の見込み等に大きな甘さないしは誤りを含んでいた」としている(石川第二八回五三頁、五四頁)。
 このように、本件では、原職復帰という控訴人の認識していた目的(まさにそのために控訴人はリハセンターに通うようになり、措置決定も受けたのである)が一方的に変更され、そのことが本人の同意を欠くことはもとより事後的に知らされもしなかったのである。そのようなことが行われる前提での初期評価プログラムの強要は控訴人の人格権を侵害するものというべきである。

六 まとめ
 控訴人は歯科衛生士の仕事への原職復帰を願って、リハセンターでの通所リハビリをはじめた。原職復帰を求める背景には、控訴人が当時高校生の長女を養育しなければならないという事情があったし、職業病になりながらも二四年にわたり続けてきた仕事への誇りと情熱があった。
 しかし、被控訴人の職員は、こうした控訴人の思いを無視して、リハビリの名のもとに評価・判定そのものに終始し、一方的に原職復帰は無理と決めつけておきながらその事を知らせもせずに、評価・判定を繰り返していたのである。本項で指摘した、知能テスト、心理テスト、心理のカリキュラム、心理の評価判定内容、入浴・排泄動作の確認、プログラム策定のあり方は、リハセンターにおけるリハビリの全体を通じた障害者の人権軽視の中の最も象徴的な事実に他ならないのであり、少なくともこれらの点については、控訴人の人格権を侵害するものとの認定がされるべきである。

第三 「争点3」(本件事故の態様、被告の注意義務違反)に関する判断の誤り
一 原判決が行った事実認定
 原判決は、本件事故の態様(控訴人の転倒の態様)について、「被告主張のとおりの態様で転倒したことが認められる」と事実認定した(六九頁)。
 原判決が認定した「被告主張のとおりの態様」とは、左記のような内容である。

 「本件ロールは、床を転がって落下地点から約三・五メートルの地点で原告の右足外側に側方から接触し、その一秒後に原告は、前方に両手を接地し、左下肢は、膝が伸びたまま横に開いた状態で、右膝を接地した後、右大腿外側より床に座り込んだものである。したがって、原告が主張するような背中を床に強打し、頚部に衝撃を受けたという事実はない。」(四一頁)
 しかし、このような事実経過は現実にはありえないものである。以下この点を明らかにする。

二 本件ロールは原判決の認定したような動き方はしない
 本件ロールは、直径が約三二センチメートル、長さが約九一センチメートルの円筒形で、重量は約一一キログラムであり、芯は木製でその回りに約三センチメートルほどの幅でスポンジ様のものが巻き付けられている(乙一三、甲四八、四九)。そのため、平行棒から落下して、約三・五メートルも床を転がることはない。
 控訴人とその代理人は、提訴前の交渉の時期に、被控訴人の了解を得て、本件事故現場で平行棒から本件ロールを落下させてみたが、何度繰り返しても、約三・五メートルも床を転がることはなかった。原審では、控訴人側から現場検証を申し立てたが、ついに裁判所の採用するところとならなかった。
 原審は、真実解明に寄与すること大である現場におけるロール落下を再現する検証を行わずに、後述するように信用性の乏しい被控訴人の再現写真に依存して被控訴人のいうがままの事実を認定したものであり、批判を免れない。

三 「被告主張のとおりの態様で転倒」することは控訴人には不可能
 そもそも、控訴人の当時の身体能力からすれば、控訴人が被告(被控訴人)の主張するような動作をすることは不可能である。原判決はこの点を全く見落としている。
 被控訴人は、乙一の添付写真を本件転倒事故の再現写真であるとしているが、控訴人の当時の身体能力ではこのような動作はできない。
 まず、乙一写真 の動作であるが、この動作は結局のところ、右下肢の位置はそのままの状態で(右下肢の横には訓練用ロールが接しており右下肢を横に移動することはできない!)、左下肢だけの力で左下肢を横に動かしている動作である。
 そして、写真 では右膝を曲げつつあり、写真 では右膝が接地してはいるが、左下肢を横に動かすに当たっては、体重は右下肢で支えられている。もし左下肢で体重を支えていたら、写真  のように左下肢を接地したまま横にスライドさせることなどできないからである。
 ところが、当時、控訴人は、「頸椎症性脊髄症による両下肢麻痺」により第一種二級の身体障害者に認定されていたのであって(甲一の二〇)、左下肢は麻痺し筋力が低下していて、長下肢装具の装着により重くなった左下肢を横に動かす力などなかったのである。
 従って、控訴人にとっては、そもそも乙一の再現写真  のような動作をすることは不可能である(原告本人第一七回六五〜六七頁)。伊藤医師も、当時原告は左足を動かせなかったと証言している(伊藤証人第二二回八九頁)。
 また、ロフストランド杖を両上肢に装着し(ただ握っているだけでなく二の腕に固定されている)、左下肢に長下肢装具を装着して金具部分をロックした状態で、この再現写真のように前方に崩れ落ちるように倒れるのは、物理的に非常に困難である。左下肢はロックした長下肢装具によって股関節から下が一本の棒のような状態で固定されているし(下方への力はこれで支えられてしまう)、前方は両上肢に装着したロフストランド杖によって支えられているからである。
 原判決では、ロフストランド杖の腕を通す輪について「一部に隙間がある」とか、長下肢装具について「膝上の金具部分を操作することにより、膝を曲げることもできる」などと認定しており(六二頁)、これによって被控訴人の再現写真の動作が可能と判断したことがうかがわれる。しかしこれは明らかな事実誤認であり、この点を控訴審において立証する。

四 被控訴人による再現写真の内容には信用性がない
 原判決は、被控訴人による再現写真(乙一)の内容をきちんと吟味することなく、あまりにも無批判に受け入れているとしか言いようがない。
そもそも、乙一の再現の内容とは、そこに「被告の主張に沿って転倒状況を再現しました」と書かれていることからも分かるように、被告の主張にすぎない。記載内容からも分かるように、演じているのは「被告職員」であって、これは障害者ではなく健常者である。
 控訴人の身体能力であればできない動作も、健常者である「被告職員」であれば、やろうとすればできるのである。
 ただ、健常者であればできる動作であるといっても、再現写真の動作は右に述べたように物理的に困難な動作であるから、その再現動作をしようとすると、長下肢装具の装着により重くなった左下肢を左下肢自体の力で横に動かしたり、体の前方でシリコン製の滑り止めのついた二本のロフストランド杖によって体重を支えていたにもかかわらず、そのロフストランド杖から何故か手を離して放棄したりなど(原判決書六九頁では前方へ倒れ込むのが自然としているが、このように支えを放棄しない限り、支えられている方向へ倒れるのはむしろ不自然である)、再現動作には無理で不自然な点が現れてくる。
 しかし、被控訴人の指示どおりに動く「被告職員」であれば、無理で不自然な動作もするし、無理に行うことによる不自然さは、このような分割写真からはいくらでも排除可能である(ビデオ撮影であれば写ってしまう不自然な部分も、写真であれば、その部分をとばせるので、いくらでも排除可能である)。
また、乙一の再現写真は、宮崎理学療法士らが作成した報告書(甲一六の三九)をもとにしたものであるが、本件事故は宮崎の管理下にあった訓練用ロールが落下したことに起因しており、宮崎はその管理責任を問われる立場にある人物である。宮崎も、その証言の中で、「私の責任のもとにおいて片づける」べきことを認めているのである(宮崎証人第一六回七六頁)。
このような立場の者が作成した報告書の内容には、当然、責任回避の要素が入る確率が高いのであって、もともと信用性の低い資料とみるべきである。このような資料をもとにした、乙一の再現内容も同様に信用性が低いというべきである。
なお、宮崎理学療法士による訓練記録のうち、平成三年二月二六日の欄には、「ローラーにぶつかり転倒(+)↓ローラーがころがってきて、転ぶほどではないのだが、バランスoffとなったというより、自ら前方へ転倒」との記載があり、原判決もこれを引用しているが(六七頁)、この記載も同様の理由で信用性が低いとみるべきである。

五 当日の訓練として残っていたPT訓練はしていない
 また、原判決は、本件転倒事故の後に原告が「当日の訓練として残っていた傾斜台での立位保持による足関節底屈筋群の持続的伸張訓練及び杖歩行による屋内廊下での歩行訓練を行った」と事実認定している(六四頁)。
 しかし、原判決は、本件転倒事故の前に控訴人が「階段昇降訓練と斜面台でのアキレス腱伸ばし訓練をした」とも事実認定しており(六一頁)、本件事故前に既に斜面台での訓練は済んでいるのであるから、本件事故の後に「当日の訓練として残っていた傾斜台での立位保持による足関節底屈筋群の持続的伸張訓練……を行った」というのは、矛盾している。
 そして、「杖歩行による屋内廊下での歩行訓練を行った」という事実認定は、結局は、宮崎理学療法士の証言や同療法士による訓練記録上の「Gait Speed……」といった記載(いずれも本件転倒事故の後で書いた記載である)に基づいているにすぎない。これらの記載がおよそ不合理なものであることは、原審原告最終準備書面(補充)三から七頁に詳しく述べたとおりであり、信用性のないものというべきである。
そもそも、控訴人は本件転倒事故後に、車椅子を求めて用意してもらい、生活訓練係の井上指導員に車椅子で搬送してもらっている(甲一六の四〇)。井上指導員が車椅子を持って行ったのは、「本日訓練中に転倒し、杖歩行での移動ができないとの訴えがある」との宮崎理学療法士からの依頼に基づくものであるし、車椅子を持って行った際に、宮崎から「今日は訴えが多く、指示しても、できないとの返答ばかりである」と報告されているのである(甲一六の二)。
宮崎による、当日の杖歩行訓練の記載は、右のような事実関係に反しているのであり、このことからも「杖歩行による屋内廊下での歩行訓練を行った」という事実認定は、なされるべきでないことが分かる。

六 事故当日の転倒後の控訴人の状態を軽くみるのは誤り
原判決は、控訴人の転倒後の訓練状況(本件転倒事故当日の)について、左記のとおり事実認定している。
 記
 「その後、作業療法を行った後、食堂で昼食をとった。その際、原告は、箸が使えないからスプーンを貸して欲しい旨を被告更生施設の職員に要請した。午後一時から、車椅子により被告更生施設内を二周する移動訓練を約二〇分行った。その後、被告更生施設一階の一般食堂で生活指導員と談話し、午後二時過ぎころ三階のデイルームでソファーに横になって休憩し、午後四時ころ、左足に長下肢装具を装着し、両側ロフストランド杖を使用して、駐車場に行き、自分で自動車を運転して帰宅した。」(六四から六五頁)
 しかし、右の事実認定の仕方は、控訴人の転倒後の状態を意図的に軽く表現しようとするものである。
 まず、「作業療法を行った」というが、控訴人は左手が震え、両手をあげていることが困難だったため、作業療法訓練のプログラムを消化できず、座っていることも困難になって、中止を余儀なくされている(原告本人第一八回一六頁から一八頁)。作業療法訓練記録の二月二七日、二八日の欄にも、「2/26日転倒後調子悪いとのことで中止」と記載されているのである。
また、控訴人が、「箸が使えないからスプーンを貸して欲しい」と要請したのは、手が震えて箸が持てなかったからである。
「午後一時から、車椅子により被告更生施設内を二周する移動訓練を約二〇分行った」というが、本来は杖歩行によるはずだったのが、転倒後から杖歩行ができなくなったためにこうなったのであり、しかも約二〇分行ったというのは、もともと一時間の予定のところを途中で中止したということである(甲一六の二四・四〇)。
 「被告更生施設一階の一般食堂で生活指導員と談話し」というが、控訴人はこの会話の中で、「PT訓練時の転倒の状況」と「体調(下肢機能)の不調」を訴えていたのである(甲一六の二・四〇)。
 「午後二時過ぎころ三階のデイルームでソファーに横になって休憩」というのは、転倒による体調の不調が理由である。
 さらに、「午後四時ころ、左足に長下肢装具を装着し、両側ロフストランド杖を使用して、駐車場に行き、自分で自動車を運転して帰宅した。」というが、被控訴人の職員の援助がなかったために控訴人は一人で一時間近くもかかって、三階から玄関まで移動し、ようやく自動車にたどり着き、体調の不調を耐えてようやくの思いで帰宅したのである(原告本人第一八回二八頁から二九頁、甲五一 一三頁)。
このように、控訴人の転倒後の訓練状況(本件転倒事故当日の)は重いダメージを受けていたことを物語るものであり、原判決がこれを軽く評価して、本件事故の態様(控訴人の転倒の態様)及び受傷の有無の事実認定の根拠としたのは、誤りというべきである。

七 大成医師の診察状況は転倒態様の直接の証拠にはならない
 控訴人は転倒事故から二日後の二月二八日に、南共済病院の大成医師を受診した。
 その際のカルテ(甲一七)には、「2/26転倒し右側から倒れた」と記載されており、原判決はこれを根拠に、控訴人が主張する転倒の態様(後方へ倒れて背部を床に強打)を否定している。しかし、そもそも被控訴人の主張する転倒の態様も、「右側から倒れた」というものではない。乙一の写真を見れば分かるように、再現の演技者の右側にはぴたりとロールが邪魔をしており、右側に倒れることはできないのである。
 このカルテの記載が、どのような経緯で書かれたのかは不明であるが、被控訴人主張の転倒態様にも合致しておらず、これを根拠に転倒態様を判断することは無理である。

八 被控訴人の安全配慮義務違反について
 原判決は、「本件ロールが落下して転がり、原告に接触したことは、偶発的かつ不可避の出来事であったという(六九頁)
 しかし、どうして「偶発的かつ不可避の出来事であった」というのか、全く説明がなく、理解しがたい。少なくとも、リハビリ施設内で訓練用ロールが落下移動し、患者に接触したことは争いのない事実である。リハビリ施設においてかかる事態が生じてはならないことは明白であり、回避するための措置が求められていることは明らかである。原判決はこのこと自体を否定するのだろうか。被控訴人の理学療法士宮崎も、その証言の中で、「私の責任のもとにおいて片づける」べきことを認めている(宮崎証人第一六回七六頁)。また、リハセンターで作成された文書においても、「事故は確かにセンター内においてあり、機材の管理上の問題である」としている(甲一六の二 四月四日の欄)。
 そして、本件において、かかる事態をさけることは容易であった。すなわち、訓練後のロールを放置せずに直ちに収納すればよかったのである。あるいは、自由な動きのとれない控訴人の周囲を担当の理学療法士が注視していればよかったのである。かかる基本的な義務を怠った結果が、どうして「偶発的かつ不可避」といえるのか。
 原判決の見解は、不自由な身体で訓練に励む障害者の安全を全く無視した非人道的なものとの誹りを免れない。

九 転換ヒステリー論について
 被控訴人の主張は、「控訴人が意図的に前方へ転倒した」というものであるが、頸椎症性脊髄症の手術後で、転倒しないように気をつけるよう指示されていた控訴人が意図的に転倒するとはあまりに不合理である。そこで被控訴人がいわば動機の説明として持ち出したのが、「転換ヒステリー」による「演技的転倒」という主張である。
 しかし、結局、被控訴人は、控訴人が「転換ヒステリー」であることを立証できなかった(原告最終準備書面三八から四六頁、同(補充)九、一〇頁)。
 すると、原判決は、大きな争いとなっていたこの争点について何ら判断せずにすませてしまった。「都合の悪い事実には目をつぶる」という態度である。
 それでは、被控訴人も「転倒」と言える事実があったことは認めているのであり、ロールのあたり方が転倒を来すものでなかったとしたら、「演技的転倒」でなければどうしてそうなったというの説明がつかない。

一〇 まとめ
 以上のように、原判決が行った本件事故の態様(控訴人の転倒の態様)についての事実認定には、誤りがある。
 加えて、控訴人は原審において、転倒事故の事実経過に関する被控訴人の主張が不合理であることを明らかにするために、ロールの落下について現場検証を申立て、また、ロールを落とした者であると被控訴人が主張する現場にいた患者や実習生を証人申請した。また、事実解明に役立つと思われる文書の提出命令を申し立てた。
 しかし、被控訴人は、重要証人であるはずのこれらの者の証人尋問に消極的であり、連絡先も開示しようとしなかった。また、申立てにかかる文書(実習生の記録、二月二五、二六日(事故直後)の作業療法記録、被告が実験調査状況を記録した文書)はいずれも存在しないと言いはった。かかる被控訴人の事故の真相究明に対する消極的な対応からすれば、控訴人の主張に従った認定がされるべきところ、原審では、いとも容易に被控訴人の主張に従った認定をした。こうした姿勢は、多くの国民に裁判の公正さをすら疑わせるものである。控訴審において、十分な証拠調をされるよう強く要望する。

第四 「争点4」(本件事故後の被告の対応の違法性)に関する判断の誤り
一 転倒後の訓練中止、治療、調査等の義務について 
 判決は「本件事故による控訴人の転倒の態様は、前記認定のとおりであり、控訴人の主張(一)及び(二)はその前提を欠いており、被控訴人には所論のような注意義務はない。」という(七二頁)。しかし、「第三」に詳述したように、転倒事故についての被控訴人の責任は否定できない。そうである以上、判決の認定こそ「前提を欠く」ものである。
 すなわち、本件転倒事故が被控訴人の注意義務違反によるものであり、控訴人の症状を悪化させるおそれがあるものである以上、本件転倒事故発生直後に付近にいた医師や理学療法士宮崎らの職員が、転倒状況及び負傷の状況を確認し、その後の訓練を実施するかについて本人の意見も聞いた上で判断すべきであった。本件の場合、それ以降の訓練を中止し安静とすべきであった。また、頸椎症性脊髄症で手術後リハビリをしている原告が転倒したことの重大さからすれば、事故後直ちに医師が診察するなどの医学的対応をし、安静を指示して訓練を中止し、自宅に送り届け、その後の症状の推移を把握し、入院も含めた必要な措置をとるべきであった。実際には転倒事故時、伊藤医師は、同じ部屋の中にいたにもかかわらず、原告に何ら注意を払わなかった(原告本人第一八回三五頁)。
 事故後安静を必要としていた時期は、単独・自力で外出できなくなった原告の状況を把握し、今後のリハビリをどうするかについて、原告の意向も踏まえて方針を示し原告に不安を与えないようにすべきであったし、事故原因について誠実に調査し事実を解明すべきであったところ、不誠実な対応に終始し、原告の精神的苦痛を増大させたのである。
 なお、仮に被控訴人が、事故直後に転倒事故の経過について控訴人と異なる認識を持っていたとしても、ロールとの接触、転倒、予定された訓練の中断という経過があった以上、右と同様の対応をすべきであった。

二 控訴人代理人作成の事故報告書及び原告本人尋問が「虚偽」との認定について
 原判決は、「本件事故の事実関係は、宮崎及び秋田理学療法士作成の報告書(甲一六の三九)のとおりであり、控訴人代理人森田明弁護士作成の事故報告書(甲一、三)、控訴人本人の陳述書(甲五一)及び控訴人本人尋問の結果こそ虚偽である。」という(七二から七三頁)。
 被控訴人は、事故についての報告書を容易に渡そうとせず、ようやく渡された報告書は、見取図や「図1ないし5」が書かれている別紙があえて取り除かれ、具体的な事故態様がわからないものであった(甲二)。さらに被控訴人は、控訴人に事故状況を書面で提出するよう要求し、控訴人は、現場で懸命に記憶を喚起して本件事故を再現したうえ、控訴人の事故報告書を六月二五日付で作成し、被控訴人に提出した(甲三)。このこと自体控訴人には大きな負担であった。被控訴人は控訴人の事故報告書に対して、七月九日付けで「事務連絡」なる文書を送付してきた(甲四)が、これは、控訴人の事故報告書のうち、被控訴人の認識と一致している部分をラインマーカーで表示したもので、一致したとされたのは、わずか九か所の約七〇字に過ぎず、これでは、被控訴人の主張する事実関係がどのようなものかさえ不明であった。その後、被控訴人は七月一〇日付で改めて不一致点について双方の主張を対比した文書を送付してきた(甲五)が、被控訴人の主張する事実経過全体がどの様なものであるかは明らかにしようとしなかった。
 このように、被控訴人の事実関係の調査、説明は、控訴人にばかり負担を押しつけ、被控訴人側の事実認識を容易に示さないものであった。このこと自体、極めて不適切な対応であると共に、被控訴人の主張する事実が信用性に欠けるものであることを物語っている。
 かかる経過を無視して、安易に「虚偽」と断定する原判決の姿勢には、予断と偏見を感じざるを得ない。単に裁判所の認定と異なるとするにとどまらず、あえて「虚偽」と言い切るについて、何の証拠も示していない。この判決全体を象徴する、軽はずみな認定である。

三 リハビリを再開しなかったことの責任について
 原判決は、「被控訴人が、控訴人に対し、『被控訴人更生施設でのリハビリは困難であり、総合病院等の整形外科医の下でのリハビリを行うのが望ましい』との回答(甲一四)をしたことは無理からぬ面があり、このような被控訴人の対応をもって違法なリハビリ拒否と評価することはできない。」(七三頁)という。
 原判決は、「本件事故による転倒により原告が受傷したとは到底認められず」(七一頁)と認定しているのであるから、本来、リハビリ継続が困難な事態になったとは言いがたいはずである。そこで、控訴人と被控訴人との信頼関係が失われたことを理由にあげているが、これは被控訴人が一方的に背信的な対応をしたからに他ならない。 実際には、受傷後の対応としても、リハビリ継続が必要であった。杉井医師の回答(甲四三の一及び二)の第2項では、「初回の診察時より、頸椎症性脊髄症による、腱反射の著しい亢進・深部反射の陽性は明らかであり、筋力の低下も認められる事から、関節の拘縮予防、筋力の維持・増強訓練、歩行能力の維持等の最低限のリハビリテーションが必要であることは当然と考え」た、として、具体的な根拠を挙げてリハビリの必要性を指摘している。
 伊藤医師がリハビリを拒否した理由は、「ご本人が、吐き気だとか頭痛だとか・・不定愁訴がたくさんある場合には・・・大成先生のところが私は適切だと考えた」といいながら(伊藤第二二回一二二頁から一二三頁)、平成三年の「五月六月ごろにそういう判断をした」といい、それ以後、最終的にリハビリを拒否する平成四年三月までの間に不定愁訴はなくなっていることを指摘されると、「ですから診療を私は受け入れなかったのではありません」と話をそらし、「リハビリを何で受け入れなかったのか」と問い詰められると、「それは私の判断です」という他なくなり、不定愁訴云々はこじつけでしかないことが露呈した(伊藤第二二回一二四頁から一二五頁)。通常医師としてすべきことである(石川第二八回五二頁)、他の病院に紹介することすらなかった(伊藤第二二回七六頁)。この時点で福祉事務所による原告のリハセンターへの入所措置はそのままであるにもかかわらずである。
 被控訴人は、何ら医学的合理性なしに、控訴人に対するリハビリを放棄したものであり、基本的な義務違反というほかはない。 

第五 最後に(損害等)
 損害額の根拠については、原告最終準備書面六七頁以下に詳述した。
 ここで追加して述べておきたいことは、各請求原因に対応する損害に共通する控訴人の心情である。控訴人は、原職復帰を強く願って、リハビリを開始した。しかし、そもそも原職復帰を目指すリハビリそのものが控訴人のあずかり知らぬところで放棄されてしまい、評価・判定が繰り返された(プライバシー侵害)。その中で転倒事故が発生し、原職復帰に大きなマイナス条件が生じた(転倒事故)。限られた休職期間内に復帰しなければならない控訴人は追いつめられた気持ちになった。ところが、被控訴人リハセンターは、原職復帰に一層の努力を払うどころか、リハビリ自体を拒絶するに至ったのである(事後対応)。そして、控訴人は解雇されるに至った。
 被控訴人リハセンターは、一体何のために存在するのか、が問われなくてはならない。そして、控訴人がまさに被控訴人においてリハビリを受けたがゆえに失ってしまった未来や希望を、慰謝料算定において正当に評価すべきである。
                                    以上