訴 状
原 告 徳見 康子
原告訴訟代理人 弁護士 森田 明
同 大塚 達生
同 渡辺 智子
被告 社会福祉法人横浜市リハビリテーション事業団
損害賠償請求事件
訴訟物の価額 金1億1277万8580円
貼用印紙額 金50万0600円(訴訟救助申立につき貼付しない)
請求の趣旨
1.被告は原告に対し、金1億1277万8580円及びこれに対する本訴状送達の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2.訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。
請求の原因
第1 転倒事故発生以前の経過
1.原告は、1967年(昭和42年)、東京医科歯科大学歯科衛生士学校を卒業し、横浜市教育委員会の外郭団体で、市立学校の保健指導、検診、予防注射等を事業とする横浜市学校保健会に就職した。
原告は、横浜市学校保健会歯科保健事業担当歯科衛生士として、児童の歯口清掃検査・歯科保健指導を主な仕事とし、横浜市内の小学校を巡回していたが、1978年(昭和53年)ころ、以前から感じていた肩凝り、腰痛、腕の痛みが、仕事ができなくなるほどひどくなったため、財団法人横浜勤労者福祉協会汐田総合病院等で受診し、頸肩腕障害と診断され、治療を受けるようになった。この疾病は、業務に起因するものとして、1980(昭和55)年、横浜南労働基準監督署で職業性疾病であることが認定された。
同年12月まで治療のため休職した後、職場に復帰し、労働改善と通院治療を続けた。その後1988(昭和63)年6月、汐田総合病院の主治医より、筋肉の萎縮が発見され、脊髄の検査が必要とのことで、横浜市立大学病院を紹介され、同院で頸椎症性脊髄症と診断された。同年12月、市大病院から紹介された国家公務員等共済組合連合会総合病院横浜南共済病院(以下「南共済病院」という)に入院し、1989年(平成元年)1月、大成克弘医師の執刀で手術(頸椎前方固定術)を受けた。
2.その後、1990年(平成2年)6月まで、同院等にて治療を受け、自力による日常生活の維持管理が可能となった。そこで、同院主治医より職場復帰を目的とするリハビリテーションを自宅近くで行うために、被告が運営する横浜市総合リハビリテーションセンター(以下「リハセンター」という)を紹介され、申し込み、同年9月から同年12月までは、外来でリハビリを受けていたが、1991(平成3)年1月7日から、通所によるリハセンターの更生施設でのリハビリ(以下「集中リハビリ」という)を受けることになった。
集中リハビリ開始当時、原告は、杖使用で 400メートル程度は歩行することができ、外出にはオートマティック車を自ら運転していた。
3.集中リハビリが開始されると、原告は、1週間のうち月曜日から金曜日の間、午前9時から午後4時まで、リハセンターで集中リハビリを受けた。
1月までの初期評価期間に続く2月からの中期評価期間における集中リハビリの計画は、以下のようなものであった。
健康管理−健康相談。
機能訓練−PT訓練−両杖、片杖による立位と歩行訓練。筋力向上訓練、関節可動域訓練。水中歩行訓練(未実施)。
OT訓練−筋力向上訓練。ホットパック。手工芸。
心理−個別カウンセリング(拒否)。
職能訓練−職業相談。
社会生活技術訓練−日常生活動作−自宅での排泄動作の確認。自宅での入浴動作の確認。自宅での起 居動作の確認(いずれも拒否)。
移動−移動訓練、住宅周辺環境確認(未実施)。外出訓練(中止)
生活−外出訓練(中止)。自宅での調理動作の確認(未実施)。
創作活動(未実施)。
4.原告は、リハセンター通所の承認を得るにあたり、健康診断の他、家族・財産状況、自宅および自宅での日常動作等をこと細かに審査され、知能テスト・心理テスト等を受けさせられ、しかも、健康診断の結果以外は、審査の結果を知らされなかった。
これらの審査のうち、財産状況の審査、知能テスト・心理テスト等は、集中リハビリを実施するために必要な範囲を越える情報収集であり、これによって、原告は必要のない個人情報の提供を強制され、プライバシーを侵害された。
5.1月までの初期評価期間では、性格検査・心理相談を行う「心理」が、1週間に2時間程度あったが、原告はこれを拒否した。リハビリの名のもとに障害者に対し心身すべての状況をさらけだすよう要求することは、障害者本人が情報をコントロールする権利、すなわちプライバシーを侵害する。
6.集中リハビリ開始1か月後、原告は、リハセンターから、排泄動作等を評価すること、すなわち、排泄、入浴の動作等を自宅で原告が実際に行い、指導員が観察することについて同意を要求された。原告は「自力での動作が可能であり、指導員による評価は必要ない」と言って拒否した。これに対し、リハセンターの指導員は「本人が可能と言っても、見てみなければわからない」として、態度を改めなかった。
障害者にも判断能力がある以上、障害者自身の自己評価を無視し、本来他人が介入するべきでない排泄・入浴の場面にまで介入する必要は認められない。リハセンターは障害者本人による自己評価をまったく信用せず、無視し、指導員の前での排泄動作等の実施を原告に対し要求した。原告はこれを拒否したが、これによって、精神的に強い苦痛を受けた。
7.通所中の原告のリハビリテーションにおけるPT(運動療法)の内容は、集中リハビリ開始から後記本件転倒事故発生の1991(平成3)年2月26日まで、階段を10分間に何回往復できるか、100
メートルの廊下を1周何分で歩けるか、平行棒の間で何分立っていられるか、等の繰り返しで、評価判定に終始し、原告が求める職場復帰のための機能回復訓練からはほど遠いものだった。
8.結局、リハセンターは、原告の心理状態や、日常生活のあらゆる動作等を観察し、測定し、記録し、評価することに終始し、原告が最も必要とする職場復帰のための機能回復訓練および障害に見合った仕事上の工夫等に関する指導は、全くなされなかった。
第2 転倒事故の発生
1.1991(平成3)年2月26日、原告はいつものように理学療法訓練を受けるためにリハセンターに行った。午前九時頃、リハセンター2階PT室(運動療法室)において、ロフストランドという杖を両手に装着し、長下肢装具を左足に装着した状態で、階段昇降訓練と斜面台でのアキレス腱伸ばし訓練をした後、同室に設置されている平行棒での訓練をするため、その平行棒を見たところ、その上に円筒状の訓練用器具(以下「訓練用ロール」という)が乗ったままになっていた。
2.原告は、どうすべきか判断を仰ぐため、平行棒の傍らのマット上で他の通所者の筋伸ばしをしていた、原告の訓練担当の宮崎理学療法士の所へ行こうとした(その際、原告は平行棒の端から約
1.8メートルの位置に立っていた)。ちょうどそのとき(午前9時20分頃)右訓練用ロール(直径30センチメートル・長さ1メートル・重さ11キログラム)が平行棒の上から落下して床に落ち、原告の立っていた位置で原告の右足にぶつかったため、原告は転倒しないようにふんばった後、結局その衝撃でバランスをくずしてその場において全身の筋肉が緊張した状態で後方に転倒して、背中を床に強打し、頚部に衝撃を受けた(以下この転倒事故を「本件事故」という)。
3.これにより原告は転倒直後から、首から肩・腕の深部にかけて電気が走るような連続した痛みと体全体の脱力感・倦怠感・疲労感を覚えるようになり、それまではロフストランドや長下肢装具を使用して自立歩行できたのに、転倒直後からはそれができなくなり、移動のために車椅子を使用するようになった。
原告は、同日は、午前11時の作業療法訓練から左手が震えてピンセットがつかめず、作業のために両腕をあげていることが困難になり、午後0時の昼食では腕の痛みで箸が使えず、同日午後は体の痛みと疲労感のためソファーで横になり、その合間にリハセンターが用意した車椅子に乗って移動訓練を少し行なって、午後4時頃にやっとのことで帰宅した。
第3 本件事故発生後の経過
1.原告は、本件事故後帰宅した後も、吐き気、首・腕の痛み、全身の脱力感が続き改善しなかった。
2月28日が、主治医である南共済病院の大成医師の外来担当日なので、同日、自動車の運転や介助を知人に頼んで、ようやく病院に行き、大成医師の診察を受けた。大成医師からは、一週間の絶対安静を指示されたので、「リハセンターに通所できない」旨の診断書を求めたが、同医師は、「リハセンターには電話で伝えればわかってもらえる」と述べて、診断書を書こうとしなかった。
その後、5月20日頃まで、2週間に1回の割合で転倒による症状の治療のため、南共済病院に通院を続けた。
2.南共済病院での受診経過は知人を通じてリハセンターの大場生活指導員に伝えていたが、リハセンターからは事故後何も言ってこなかったので、改めて原告からリハセンターに連絡し、現在の状態をわかってもらうと共に、今後どうするかを相談するために、リハセンターとの話合いを求めた。これに応じて、4月4日、リハセンターから高塚医師と大場氏、福祉事務所からケースワーカーの飯田氏の3名が原告宅を訪れた。しかしこの時、高塚医師は事故の内容について「前向きに倒れたと聞いている」などと事実に反することを無責任に述べ、原告が違うと言っても、全く聞く耳を持たない対応に終始した。
そこで原告は責任ある立場の人との話合いを求め、4月12日に、秋田裕理学療法士及び被告事業団の常務理事である庄子哲雄氏との最初の話合いを持った。
4月22日には、リハセンターから事故についての報告書を受け取った。これは秋田、宮崎両名が高塚医師宛に出した報告書の一部ということであった。そこには「……ロールは歩行中の徳見康子殿の約3メートル50センチメートル離れた右側方からゆっくりと本人の方へ近ずいていきました。ロールの床に落ちた音にて、本人も右側方を向き、ロールを認めておりましたが、ロールは、運動療法室見取図に示す×の場所で本人に接触しました。ロールが、右下肢に接触した時は、立位保持しておられましたが、約1秒の後、前方に両手を接地し、左下肢は伸展外転位のまま、右膝を接地した後、右大腿外側より床に座りこんでしまいました。その様子は、図1から図5に示す様なものでした。その後、本人へ『大丈夫ですか』と問いかけると、『大丈夫です』と返答され、本人は、椅子の座面を使用して立ち上がり、その後、定例の訓練課題を消化しました」という、全く事実に反することが書かれ、しかも見取図や図1ないし5が書かれている肝心の別紙をあえて取り除いたものであった。
そこで、4月26日、原告は、庄子氏らと会い、報告書の内容の不当性を訴えてこれを返すとともに「転倒事故の原因を明らかにし、対策を講じること及び原告に対し謝罪すること」を求める要望書を渡した。
しかし、被告からは5月1日付けで、原告に「事故状況を書面で提出する」よう求める書面が届き、あわせて、原告が提出した要望書を送り返してきた。
原告は、事故の内容について正確な理解を得るためにリハセンターに意見を述べてきたのに、リハセンター側の態度がかたくななために予想外にこじれてしまったので、やむなく、5月下旬から本件原告代理人の一人である森田弁護士に交渉を依頼した。
その後原告は、事実関係を確認するため、現場で本件事故を再現することを申し入れ、リハセンターの許可を得て、5月30日に現場のPT室で、庄子氏立会いの上、事故の再現を行った。この結果、リハセンターの報告書に言う事実は非現実的であり、従前からの原告の主張(本訴状第2記載の事実経過)が合理的であることが確認できた。そこで原告側の事故報告書を6月25日付で作成し、被告に提出した。
原告側の事故報告書に対して、被告側が検討した結果として、被告は7月9日付けで「事務連絡」文書を送付してきた。これは、原告の事故報告書のうち、被告の認識と一致している部分をラインマーカーで表示したもので、一致したとされたのは、わずか9か所の約70字に過ぎず、これでは、被告の主張する事実関係がどのようなものかさえ不明であった。さすがにこれでは不誠実と思ったか、被告は7月10日付で改めて不一致点について双方の主張を対比した文書を送付してきたが、被告の主張する事実経過全体がどの様なものであるかは明らかにしようとしなかった。
4.ところで、原告は、5月30日に大成医師に受診した際、リハビリ再開のための診断書を求めたが、同医師は「患者との信頼関係がない」と言い、しかもそれをわざわざカルテに記入し、診療を打ち切ってしまった。そのため、以後は武蔵野赤十字病院(以下、武蔵野日赤という)の杉井医師の治療を受けるようになった。
一方、原告は、事故後リハセンターの医師の診察を受けていなかったので、事故の影響を直接知ってもらうため、7月10日、リハセンターで伊藤医師の診察を受けた。
伊藤医師は、診察の結果、事故以前よりも症状が悪化していることを認めた。具体的には、左手を挙上して維持できず、また、ふるえなどの不随意運動が起きること、右足がつってしまうため、車を改造しなければ運転はできないこと、車椅子も電動車椅子が必要になることなどであった。
その上で伊藤医師は、リハセンターでは、症状の固定している人を対象にしているので、原告がリハセンターでリハビリを再開することは受け入れられない。したがって、リハビリは主治医に「お返ししたい」と述べた。
そこで原告は、リハビリ再開の点についてはっきりさせるため、7月25日、大成医師の診察を受けた。そして、大成医師の意見は、転倒事故後3週間を経た時点からリハビリをしてよい、リハビリはどこでやってもよい、というものであることを確認した。そこで、大成医師もリハビリ再開を支持している旨リハセンターに伝えたところ、9月12日に改めてリハセンターの伊藤医師の診察を受けることになった。
9月12日に原告はリハセンターを訪れ、伊藤医師の診察を受けようとした。ところが伊藤医師は、原告の顔を見るなり、「何しにきたのか」と述べ、原告が「リハビリ再開を申し入れたところ、受診日を入れられたので来た」というと、「リハビリセンターとしては受診は必要とは考えていない」等と述べて、診察自体を拒否するところとなった。
後に被告は、原告が受診を希望しなかった、などと述べているが、受診を希望しない者がわざわざリハセンターの伊藤医師の診察室まで行くはずもなく、また、受診に至る経過に照らせば、その目的は、リハビリ再開について、大成医師の見解を踏まえて、リハセンターとしての判断をしてもらう点にあることも、当然わかっていたはずである。「何しにきたのか」ではじまる伊藤医師の言動は、常識を外れており、意図的な診療拒否と言わざるをえない。
10月には、改めて杉井医師に、リハビリの必要性について正確に判断してもらうためリハセンターから原告のレントゲン写真を借り受け、それをも資料として、判断を求めた。
12月6日に武蔵野日赤に受診したところ、杉井医師の意見は、「リハビリができないとは考えられない、筋力保持等のためにも再開が必要であり、医師ならば当然わかるはずである」とのことであった。杉井医師に12月20日付けで診断書を書いてもらい、これを添付して、12月26日付けでリハセンターへ、リハビリ再開のための受診を申入れた。
5.1992年1月10日、被告より返信がきたが、驚いたことに、原告の支援者が前年の9月にまいたビラに書かれていた「神経症状・自宅療養の日々を強制されている」等の記載を根拠に、機能回復訓練は無理であると決めつけたものであった。
この回答内容には、原告を支援してきた障害者らのグループ「リハビリを考える神奈川の会」も驚き、1月22日、横浜市との交渉を持って、誠実な対応を求めた。
これを契機に、2月12日に、原告宅で、庄子氏らとの話合いを持った。ここで、原告は、ビラにかかれた「身体症状」は、現在はないこと、杉井医師からは繰り返しリハ再開を言われていること、などを説明した。
2月13日、被告から1月10日付文書についての「補足説明」なる文書が送付された。これによれば、「1月10日付文書は、身体症状が継続していることを前提としたもので、身体症状がないなら別である」という弁解めいた説明とともに、「リハセンターが杉井医師から直接説明を受ける」ことを求めるものであった。
原告は、後段の点を了解し、リハセンターの庄子氏が2月19日に杉井医師に面談して説明を受けた。その後、杉井医師からリハセンターに、症状を説明する文書が届けられ(内容は原告には知らされていない)、その結果、伊藤医師も含めてリハビリ再開についての話合いを、3月18日に持つこととなった。
3月18日、原告はリハセンター内で庄子氏及び伊藤医師と話合いをした。杉井医師の「リハビリ再開が必要である」との意見があるにもかかわらず、伊藤医師は、原告のリハセンターでのリハビリ受入れを拒み続けた。話合いは平行線のまま終わったが、念のため、3月23日付で、リハセンターとしての見解を文書で回答するように求めた。
3月30日、被告より、回答が送られてきた。内容は、「原告については『総合病院などの整形外科医のもとで機能回復訓練を行うのが望ましく、当センターのような機関で行うのは難しい』というのが、伊藤医師の意見であり、リハセンターとしてはこの判断に従う」というものであった。これによって、主治医の意見に反してでも、リハビリ再開に応ずるつもりがないことが明らかになった。
こうして、リハビリができないために、4月になっても職場復帰の見通しは全く立たず、休職期間を徒過するに至った。組合の協力を得て交渉してきた結果、現在まで欠勤扱いとなっているが、いつ解雇されるかしれない状況である。
第4 損害
1.プライバシー侵害等についての損害
前述のとおり、原告は、リハセンターから集中リハビリを実施するのに必要な範囲を超えて、財産状況、知能、心理等の情報提供を要求された上、排泄、入浴も含めた日常生活の動作(これらの動作の観察はカメラやビデオカメラで撮影されることもあった)を見せるよう求められた。これらは違法な個人情報の収集であり、原告は、これにより強い精神的苦痛を受けた。
2.本件事故による損害
(1) 原告は本件事故による症状悪化の治療および訓練のため、1991(平成3)年2月28日から現在に至るまで通院を続けている。通院回数にして45回にのぼる。
(2) 原告は本件事故による症状悪化のため、これまで努力すれば自力でできたゴミ出し買物、外の掃除、外出等の家の外に出ての行動を、介助者なしにはできなくなったものであり、同じくこれまでさまざまな工夫をすることにより自力でできていた家庭内の掃除、洗濯等の家事のほとんどを介助者に依存せざるをえなくなり、その行動能力・行動範囲が縮小し、日常生活に大きな支障をきたしている。
しかも、家庭内の介助を行なうホームヘルパーが紹介機関を通じて捜せるのと異なり、外出のためのガイドヘルパーの場合は紹介機関がなく、自力で捜さねばならないため、原告はガイドヘルパー捜しに苦労することになった。
(3) 原告は歯科衛生士としての職場復帰を目的とするリハビリテーションを受けていたのであったが、本件事故により介助者なしでは外出等ができなくなったことで、就労するにも介助者を要することとなった。
(4) 右の事実による損害はさまざまあるが、原告は少なくとも将来の介護費用と精神的 苦痛という損害を被った。
3.本件事故の事後対応による損害
本件事故後、リハセンターは原告に対して、本件事故発生経過について虚偽の内容の説明をしたり、発生経過を調査して十分な説明をすることを怠ったり、診察やリハビリ受け入れを拒否する等の不当な対応を繰り返し、これにより原告は、著しい精神的苦痛を受けた。
4.原告が被った右の一連の精神的苦痛による損害は、金銭に評価すれば、金2500万円を下ることはない。
5.原告が本件事故により被った、将来の介護費用相当の損害を算定すると、次のとおりである。
1万円(1日当り介護費用)× 365日×21.3092 (事故時44歳の女性の平均余命に対応する新ホフマン係数)=7777万8580円
6.本件訴訟の内容から、原告は訴訟の提起及び追行を弁護士に依頼せざるをえない。弁 護士費用としては金1000万円が相当であり、これも損害の一部として請求する。
7.よって、損害額の合計は金1億1277万8580円となる。
第5 責任原因
1.リハビリ契約の成立
1990(平成2)年9月には原告と被告の間で、原告の職場復帰のためにリハセンターにおいて理学療法訓練・作業療法訓練・生活訓練等をすることを内容とするリハビリ契約が成立していた。
2.プライバシー侵害等の損害についての責任原因
被告は原告との間で前述のとおりのリハビリ契約を締結したが、両者は対等の契約当事者であり、被告は、契約を履行するに必要な範囲を超えて原告のプライバシーに関するデータを収集してプライバシーを侵害したり、契約を履行するに必要な範囲を超えて原告に精神的苦痛を伴う動作を求めてはならない義務を、契約上負うものである。
しかるに、被告は原告に対して、第1、4ないし7に記載したような対応をとることで、右義務に違反し、原告に精神的損害を与えた。
3.本件事故による損害についての責任原因
原告は事故当時歩行することは容易ではなく、ロフストランドや長下肢装具などの歩行器具の助けをかりて前記訓練を受けていたものであって、歩行に障害がない者と比較すれば、転倒による受傷や症状悪化の危険性が高いのであるから、被告は原告に対し、訓練を行なう際には、訓練場所において原告を転倒させるおそれのあるものを遠ざけ、あるいは、原告を転倒させるおそれのある物が原告に接近してこないよう、注意をはらい、そのような物が原告に接近してきた場合にはそれを遮るなど、訓練中の原告の身体の安全に配慮すべきリハビリ契約上の義務を負っていた。
しかるに、被告はこれらの各安全配慮義務に違反し、その結果本件事故が発生し、原告に前記損害を被らせた。
4.本件事故後の損害についての責任原因
リハセンターは、「障害者に対する、医学的、心理学的、社会的及び職能的な相談、評価、指導及び訓練、障害者等に対する治療」等を行なうこととされ(横浜市総合リハビリセンター条例第2条)、それに必要な人的・物的設備を擁しているのであるから、リハセンターを経営する被告は、本件事故後に、より症状の悪化した原告に対して、医学的訓練、治療等を行なう契約上の義務を負っていたものである。
また、本件事故がリハセンター内で訓練中に発生しており、被告の安全配慮義務違反により発生したものであることから、被告は原告に対して本件事故発生経過について誠実に調査し説明すべき契約上の義務を負うことは当然である。
しかるに、被告は原告に対して、第3に記載したような対応を行なって、この義務に違反し、原告に前述の精神的損害を被らせた。
第6 本件訴訟の意義
本件訴訟は、単に、転倒事故に起因する原告の症状悪化についての損害賠償請求をするに留まるものではない。
この事故の発生する背景として「障害者のためのリハビリ」という基本的な観点を喪失し、障害者の管理と情報収集に重点がおかれているリハセンターの姿勢が問われなくてはならない。また、事故発生後、事実を正確に把握して、原告にとって必要な処置をすべきことは、事故に対する賠償責任の有無にかかわらず、リハセンターで訓練を受けている患者に対するケアとして当然なすべきことであった。ところが、リハセンターはこうした対応を一切せず、事故の事実経過については少数の職員の報告のみを鵜呑みにして、原告の訴えに耳を貸そうとせず、事故をきっかけにこれ幸いと、原告に対するリハビリを放棄してしまったのである。こうした対応は「障害者のプライバシーを無視した情報収集に異を唱え、障害者の主体性を尊重するリハビリを求めた」原告に対する報復といわざるをえないものである。
本件訴訟では、「リハビリ訓練を受ける障害者の権利」が明らかにされ、これに対して、事故前後の対応に見られるリハセンターの「障害者に対する姿勢全般についての責任」が問われなくてはならない。こうした点についての主張、立証が尽くされてはじめて、事故そのものの事実経過を正確に認定し、損害を適正に評価することが可能になる。
第7 結語
よって、原告は被告に対し、債務不履行及び不法行為による損害賠償として、請求の趣旨記載の金員の支払いを求める。
証 拠 方 法
追って提出する。
付 属 書 類
1.訴訟委任状 1通
1.資格証明書 1通
1992年10月13日
原告訴訟代理人
弁護士 森田 明
同 渡辺 智子
同 大塚 達生
横浜地方裁判所 御中
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