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平成四年(ワ)第三〇八八号事件 被告 横浜市リハビリテーション事業団 一九九九年 七月二九日 原告訴訟代理人 弁護士 森田 明 同 大塚達生 同 渡辺智子 横浜地方裁判所 第四民事部合議係 御中 第一 はじめに 一 本件の事実経過の概要 1 原告は、横浜市教育委員会の外郭団体である横浜市学校保健会に勤務し、歯科保健事業担当歯科衛生士として、横浜市内の小学校を巡回しての児童の歯口清掃検査・歯科保健指導を主な仕事としていたが、業務に起因する頸肩腕障害となり、1960年、労災認定を受けた。 その後横浜市立大学病院で頸椎症性脊髄症と診断され、市大病院から紹介された国家公務員等共済組合連合会総合病院横浜南共済病院(以下「南共済病院」という)に入院し、1989年1月、大成克弘医師の執刀で手術(頸椎前方固定術)を受けた。その後、1990年6月まで、同院等にて治療を受け、自力による日常生活の維持管理が可能となった。そこで、同院主治医より職場復帰を目的とするリハビリテーションを自宅近くで行うために、被告が運営する横浜市総合リハビリテーションセンター(以下「リハセンター」という)を紹介された。 2 同年9月から同年12月までは、リハセンターの外来でリハビリを受けていたが、1991年1月1日付けで横浜市港北福祉事務所の入所措置決定を受け、同年1月7日から、リハセンターの更生施設で通所によるリハビリを受けることになった。 (「入所」は入院の意味ではない。(「外来のリハビリ」ではなく)「入所措置決定」に基づく委託により「通所によるリハビリ」を開始したということである。) この当時、原告は、杖使用で400メートル程度は歩行することができ、外出にはオートマティック車を自ら運転していた。 原告は、右措置決定に先立ち、更生相談所において、健康診断の他、家族・財産状況、自宅および自宅での日常動作等をこと細かに審査され、知能テスト・心理テスト等を受けさせられ、しかも、健康診断の結果以外は、審査の結果を知らされなかった。 通所開始後、1月中の初期評価期間に性格検査・心理相談を行う「心理」が1週間に2時間程度あったが、原告はこれを拒否した。またその後、原告は、リハセンターから、排泄動作等を評価すること、すなわち、排泄、入浴の動作等を自宅で原告が実際に行い、指導員が観察することについて同意を要求されたが、原告はこれを拒否した。 通所中の原告のリハビリテーションにおけるPT(運動療法)の内容は、評価判定に終始し、原告が求める職場復帰のための機能回復訓練からはほど遠いものだった。 結局、リハセンターは、原告の心理状態や、日常生活のあらゆる動作等を観察し、測定し、記録し、評価することに終始し、職場復帰のための機能回復訓練および障害に見合った仕事上の工夫等に関する指導は、全くなされなかった。 3 こうした中で、1991年2月26日、原告がリハセンター2階PT室(運動療法室)において、ロフストランドという杖を両手に装着し、長下肢装具を左足に装着した状態で、移動しようとした際、訓練用ロールが平行棒の上から落下して床に落ち、原告の立っていた位置で原告の右足にぶつかったため、原告は後方に転倒して、背中を床に強打し、頚部に衝撃を受ける事故が生じた(以下この事故を「本件転倒事故」という)。 本件転倒事故によって、原告は、車の運転、自力歩行が困難となり、車椅子を利用した生活となってしまい、日常生活や外出には介助者が不可欠な状況になった。 4 ところが、リハセンターは、本件転倒事故について、事故の責任を回避するために事実を否定する態度をとり続けた。また、医師がリハビリ再開が必要と判断しているにもかかわらず、再開に応じようとしなかった。 結局、原告は職場復帰を果たすことなく、1992年4月25日には休職期間が満了となり、その後は「欠勤扱い」とされて休業保障も打ち切られて無収入となり、1994年4月からは、生活保護を受給するところとなった。そして、1995年1月19日をもって、学校保健会から解雇されるに至った。 二 本件請求の内容とその意義 請求の内容は、三点にわたる。 第一に、転倒事故以前の問題として、リハセンターにおいてリハビリを行うに当たって、必要な範囲を超えた情報収集をされ、これにより人格権の一環をなすプライバシーの権利を侵害され、精神的苦痛をうけた点である。ここでは、障害者の人格を無視したリハビリのあり方そのものが本質的な問題であるが、単なる政策論の是非ではなく、権利侵害の問題であることを明らかにする意味で、人格権(プライバシー)侵害の観点から、これに起因する精神的損害についての責任を問うものである。 第二に、転倒事故そのものである。これも、リハビリを受ける障害者の安全の確保という基本的な視点を欠いたリハビリが日常的に行われていた中で発生した事故である。これによって、介助者なしでは日常生活や勤務が不可能になったことについて損害賠償を求める。 第三に、転倒事故後の事後対応である。すなわち、被告は本件事故により症状の悪化した原告に対して、適切な治療等を行なうとともに、本件事故発生経過について誠実に調査し説明すべき義務があるのにこれを怠ったり、むしろこれを口実にリハビリを拒否した。この事後対応による精神的苦痛について慰謝料を請求する。 これらは、それぞれ独立の債務不履行ないし不法行為であり、損害の内容も異なる。 しかし、共通して言えることは、本来障害者の福祉のために設立された被告が、実際には一貫して原告をはじめとする障害者の人格、人権を否定する対応に終始してきたことである。 リハビリを「与える」側の都合によってリハビリの内容が決められ、障害者の基本的な人権を否定するやり方がまかりとおってきた。とりわけ、被告のリハセンターにおいては、設立計画段階から障害者のためのリハビリ実施よりも、障害者からの情報収集に重点がおかれているのではないかという批判が絶えなかった。 本件訴訟は、あえて、リハビリのあり方を法的責任の観点から問おうとするものである。もとより、政策論としてリハビリの是非を法廷で論ずるのではなく、リハビリのあり方をめぐる問題のなかで、法的責任につながる部分に絞り込んで判断を求めている。リハビリのあり方を問う、というと、専門的分野であるとして、裁判所が立ち入った判断をすることをためらうかもしれない。しかし、障害者の人権を確立するためには、リハビリの内容を現場の職員の裁量に委ねるのでは不十分である。 また、これからの生活を行政や被告のような機関に一定程度依存して生活せざるを得ない障害者にとって、この種の訴訟に踏み切ることは容易ではない。この裁判が、提訴以来、多くの外出自体が容易でない車椅子の障害者の傍聴のもとで進められてきたことは、原告の主張が自ら声を上げることができない多くの障害者の声を代弁するものであり、この裁判が障害者の人権を築きあげていく上で大きな意味を持つこと、が認識されているからである。 この裁判の判決には、障害者の人権を言葉だけでなしに確立するために、障害者の人権を重視したリハビリの指針を示す判断が求められているのである。 三 債務不履行が成立することについて 被告は、平成3年1月以降のリハビリについては、原被告には契約関係はなく、債務不履行にはならないとの主張をしている。これについては、原告準備書面二および原告準備書面五において詳細に反論ずみであるので、これらを参照していただきたいが、要するに、措置決定後も、実態として、原告が被告の施設において、被告の職員のもとでリハビリを受けてきた実態は変わらず、こうした関係がある以上、形式上措置決定とされていても、債務不履行の責任を問う前提としての、契約関係ないしそれに準ずる関係が成立していると言うべきである。また、原告が入所委託をし、被告施設の入所措置決定を得たのは、もともと被告の主導のもとでなされたものであるし、そのような役割を果たすことが被告の「総合リハビリセンター」たるゆえんである。 現に被告の施設の中で継続的にリハビリを受けている者を「通りがかりの第三者」と同視する被告の見解、そして(少なくとも不法行為責任は問題になるのであるから、さして実益のない)かかる主張をあえてするという被告の姿勢からは、遺憾ながら、障害者の社会復帰に責任を持つという自覚はうかがうことができない。 第二 プライバシー侵害を理由とする損害賠償 一 個人情報収集の違法性について 1 本件では、転倒事故前のリハビリについて、プライバシー侵害を理由とする損害賠償請求をしている。 プライバシーの権利は、憲法13条により保護されるものであり、民法上も人格権の一環として、その侵害は損害賠償請求の原因となる。プライバシーの権利は、さまざまな意味に用いられるが、個人情報保護の諸原則に整理されつつある。 個人情報保護のための原則として、1980年に採択されたいわゆるOECDの8原則(@収集制限の原則、Aデ−タ内容の原則、B目的明確化の原則、C利用制限の原則、D安全保護の原則、E公開の原則、F個人参加の原則、G責任の原則、からなる)や、それを受けてわが国の行政管理庁のプライバシー保護研究会が1981一年に提案した5原則(@収集制限の原則、A利用制限の原則、B個人参加の原則、C適正管理の原則、D責任明確化の原則、からなる)は、その後の各地の個人情報保護条例や個人情報保護法(行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律)の制定の際の指針となり、かつ民間団体における個人情報の取り扱いの基準ともなっているものであり、これらの原則は、今日における公序を形成していると言える。これに反する行為は人格権の侵害として違法となり、慰謝料等損害賠償請求権が発生するというべきである。 2 これまで問題とされてきた個人情報保護原則侵害の形態は、外部提供、それも不特定多数の者に知らしめる、名誉棄損型のものであったが、それに限定されるものではない。 ことに、個人情報保護の入り口とも言うべき「収集制限の原則」は重要である。行政機関と言えども、業務に必要のない個人情報を収集してはならず、特に、一般に他人に知られたくないと考えられる情報(センシティブ情報)についての収集は慎重でなければならないが、被告のような障害者施設においてはこうしたセンシティブ情報を日常的かつ大量に取り扱っているのである。 3 被告は、設立時から「リハビリテーション情報システム」なる情報収集、利用のためのコンピューターシステム構築を大きな目的としており、個人情報侵害が問題とされてきた(甲18から26)。これをめぐる議論を踏まえて、横浜市民生局作成の「リハビリテーション情報システムのあらまし」(甲20)では、収集制限の原則を含む5原則を順守することを表明している。被告はかかる経過からしても、その公共的性格からしても、これらの原則に従うべき義務がある。 収集制限の原則について、「リハビリテーション情報システムのあらまし」では、「個人のデータの収集に際しては、収集目的を明確にするとともに、収集するデータの内容も、目的達成に必要な範囲内に限定します。また、データの収集は適法かつ公正な手段によることとします」と表現して掲げている(甲20 2丁裏)。これは単なる訓示的なガイドラインではなく、リハセンターにおける個人情報収集は、人格権の侵害に直結するがために人格権侵害を防止するために設けられた基準というべきである。従って、「収集目的が明確化されず、目的達成に必要な範囲内を超え、もしくは適法かつ公正な手段によらない個人情報の収集」は、この原則に反し、人格権の侵害となる。中でも、他人に知られたくない個人の私生活や、心理面に関する情報の収集については、いっそう慎重に必要性を吟味する必要がある。 二 更生援護措置に伴う審査等によるプライバシー侵害及び被告の責任 1 原告は、更生援護措置決定を得るにあたり、更生相談所により、健康診断の他、家族・財産状況、自宅および自宅での日常動作等をこと細かに審査され、知能テスト、心理テスト等を受けさせられた、また、離婚歴のある原告は家族関係を繰り返し(5回以上にわたり)尋ねられた。(乙10の1ないし3、原告本人第17回16頁から19頁)。 これらの審査のうち、財産状況の審査、離婚原因等の家族関係の調査、知能テスト・心理テスト等は、職場復帰のための集中的なリハビリを実施するに必要な範囲を越える情報収集である。原告は、こうした調査や検査によって「非常に不快な思いをした」が、入所によるリハビリを受けるためと考えて応じざるを得なかった(原告本人第17回19頁)。 2 更生相談所による判定は、福祉事務所からの依頼により、入所措置の決定に先立って、その必要性及び種類を決定するためになされるものである。更生相談所は、医学的、心理的、職能的判定を行うものとされてはいるが、入所措置の決定に先立って、そのすべてを実施しなければならないと解することはできない。これらの判定が、その性質上、対象者のプライバシーを暴露し人格権の侵害につながりやすいことからすれば、対象者に入所措置の決定をするにあたって必要な範囲の判定のみがされるべきであって、必要性のない判定は対象者のプライバシーを侵害する違法なものと言わねばならない。 原告は、身体障害者として職場復帰を目的としたリハビリを受けるための措置を求めていたのであり、これを決定するためには医学的判定で十分であり、あえて更生相談所においてさまざまな検査を課して心理判定をする必要性はなかった。 実際、原告に対する判定書中、医学判定(乙10の2)の判定意見において「更生施設における通所訓練が適当と思われる」との結論が示されており、これをもって、原告に対する措置決定をするには十分であった。また、心理判定(乙10の3)の内容を見ても、これが原告に対する措置を決定をするのに必要不可欠なものであったとは言いがたい。 もとより、実際にリハビリを行うについて、心理判定が必要になることはありえようが、それは措置決定後、リハビリを進めていく過程で、必要に応じて、本人の納得を得た上で行うべきものである。このことは心理判定の内容や結論が知られる範囲はなるべく限定されるべきであることからも導かれる。 心理判定が奨励された時期はあったものの、今日ではむしろ心理判定の弊害や限界が指摘されているのであり、このことからも、必要性についての個別的な吟味を抜きに心理判定を実施すべきではない。 本件では、原告に対する更生相談所の判定は、必要性について十分な検討をせずに、安易に「お定まりのコース」として心理判定をしたものであり、しかも原告はその結果を知らされることもなかったのであるから、原告の人格権の一環をなすプライバシーの侵害にあたる違法な行為である。 3 これら必要な範囲を越える情報収集は直接的には、福祉事務所、更生相談所によってされたものであるが、実態としては、被告リハセンタ−の原告に対するリハビリの一連の過程においてなされたものであり、被告リハセンタ−と福祉事務所、更生相談所をして行わしめたものというべきものである。 被告リハセンタ−の原告に対するリハビリの連続性及び被告リハセンタ−の主導性に関し、更生相談所長でもあったリハセンタ−の伊藤医師は、「措置決定を求めることになった段階で、原告がリハセンタ−に行くことになることは当然わかっていた」旨(伊藤第22回43頁)、また、被告リハセンタ−宮崎理学療法士は「更生援護措置決定前後を通じて原告を担当しており、原告が被告リハセンタ−により原告が更生援護措置決定を受けて入所したほうがいいという判断がなされた」旨証言している(宮崎第16回25頁、26頁)。 すなわち、原告は、平成2年9月以降被告リハセンタ−の診療所に受診し続ける中で、職場復帰のためには、更正施設での集中的なリハビリを受ける必要があると被告から判断され、右判断に基づき、被告リハセンタ−主導のもと、更正援護措置の手続きが進められ、しかもその手続きを進めながら被告リハセンタ−におけるリハビリが続けられていたのである。 このように、入所措置の申込みは、被告の指示により、もともと被告リハセンターに通所していた原告のリハビリを、入所措置を利用して継続するためにしたものである。また、実際には更生相談所はリハセンターの中にあって(甲15 20頁)、リハセンターの業務と密接な関係をもっているのである。また、被告は、入所措置の申込みをすれば心理判定等がされるであろうことを認識しており、かつ、乙10を所持していたことからわかるように、更生相談所が行った判定の結果は当然に被告に知らされることをも承知しながら申込みをさせている。 よって、被告は更生相談所における心理判定等における個人情報の収集に関して責任を負うべきものである。 三 職場復帰と無関係なプログラムの受け入れを一方的にかつ執拗に迫られたことによるプライバシ−侵害 1 もともと、原告は職場復帰のために必要なリハビリを求めていたものであり、このことは、被告も当初から十分承知していた。例えば、桂医師作成の平成2年9月5日作成の依頼箋では「本人の目標は歯科衛生士への復職」であると明記されている(甲16の61)。 しかし、実際には、リハビリが始まると、日常生活動作についての「動作の確認」が自己目的化するようになる。すなわち、例えば、平成3年1月17日作成の社会生活技術訓練評価(肢体)では、日常生活動作領域中、「排泄」「入浴」の項で、「動作の確認」そのものが目標・課題として掲げられている(甲16の13 2丁目)。また、平成3年1月31日作成のリハビリテーション計画書では、社会生活技術訓練の「訓練目標」として、「排泄動作の確認」と「入浴動作の確認と介助の整理」が掲げられている(甲16の28 1丁目)。 そして、被告は、原告にはことわりなしに職場復帰を目指すことをやめてしまう。このことについて、石川証人は、「当人は変わっていないわけですけれども、このリハビリテーション案の方は変化しているにもかかわらず、そこの間を埋め合わせようという形の努力、今の言葉でいいますと、インフォームドコンセントで、患者さんが入所なさるなら、やはり入所目的をはっきり理解して計画にかかわっていくという方向が、どこかで見失われ出している」と指摘し、そのことが患者にとってはストレスを加えるなど相当大きな負担になっていたと述べている(石川第28回47頁から49頁)。また、同証人は、「被告の医師の診断やその後の見込み等に大きな甘さないしは誤りを含んでいた」としている(石川第28回53頁、54頁)。 リハビリ計画の策定は、リハセンター側が、一方的に作成し、要求するものであった。もとより、建前上は利用者との「合意による」ものとされているが、実際は、利用者が拒否することなどは予想していないのである。原告は、悩んだ末、プログラムの一部を拒否したが、当初から、原告の要望を尊重し、かつ、十分に原告に説明して計画を作成したのであれば、かかる事態にはならなかったはずである。 2 1991年1月の通所開始後、被告リハセンタ−は、原告に対し、性格検査・心理相談を行う「心理」を受けるように強く迫ったが、原告はこれに同意しなかった。必要もなく、リハビリの名のもとに障害者に対し、心身すべての状況をさらけだすよう強要することは、障害者本人が自らの情報をコントロ−ルする権利を侵害するものである。原告が拒否した後も被告リハセンタ−職員は、原告に対し、「心理」を受けるように働きかけ続けた(原告本人第17回26頁)。 原告は、「心理」に対し、疑問を感じたため、これを拒否したが、これを受け入れることが当然であるかのように、受け入れを迫られること自体が精神的苦痛をもたらすものであった。障害者は被告リハセンタ−でリハビリを受ける限りは、被告リハセンタ−の言いなりになるほかないのか、という屈辱的な思いにかられた。また、被告リハセンタ−では、被告リハセンタ−側が要求した課題を拒否することはおよそありえないことと考えられていたようであり、原告は、被告リハセンタ−職員関谷(心理)、宮崎(理学療法士)の悪意に満ちた評価など、拒否したことをよしとしない被告リハセンタ−職員の冷やかな対応の中に身を置かなければならなかった。 3 その後、原告は、被告リハセンタ−から、排泄動作等を評価すること、すなわち、排泄、入浴の動作等を自宅で原告が実際に行い、指導員が観察することについて、同意を要求されたが、「自力での動作が可能であり、指導員による評価は必要ない」とこれを拒否した。 被告は、排泄、入浴は「着衣のままの模擬動作」であると主張しているが、被告のリハビリの必要性に関する主張からすれば、模擬動作に留まらず、実際にやって見せることが必要であると解さざるをえない(被告準備書面三、六)。また、原告は模擬動作でよいなどとは聞いておらず、むしろ、現にやって見せることを要求された人の体験談を聞いている(原告第17回27頁から29頁)。ことからも、模擬動作にとどまるものではない。 リハケ−ス記録(甲16の2)では平成3年1月31日以降、同年2月5日、7日、8日、12日、14日、20日に排泄動作等確認等のプログラム拒否に関する記述があり、とくに、2月8日は「拒否しているプログラムはリハビリテ−ション計画に明記されているものであり、そのプログラムを拒否することは当施設の方針を拒否することになる」とプログラムを受け入れない原告に対する苛立ちの現れとも取りうる記述がされており、被告リハセンタ−が組織をあげて、原告に対し、右プログラムを執拗に強要していたことが窺われる。 4 前記2、3を通じて、原告が、被告リハセンタ−の要求を拒否し、プログラムが実施されるに至らずとも、被告リハセンタ−が原告にプログラムを強要したこと自体が原告の人格権を侵害し、原告に精神的苦痛をもたらすものである。 このような議論は、例えばセクシャル・ハラスメントにおいてもなされているところであり、繰り返しデ−トに誘いかけるなどによって職場環境を悪化させる場合には、たとえ被害者がこれを拒否したとしても、人格権の侵害としてセクシャル・ハラスメントにあたり不法行為を構成する。大阪高裁平成8年3月15日判決(原審大阪地裁平成7年8月29日判決)は、言葉によるセクシャル・ハラスメントについて「被告は原告の意思を無視して性的嫌がらせというべき言辞を繰り返し、原告を困惑させて、結局退職させる結果を招いたものであって、被告は原告の勤める会社の代表者であり、同社は被告の個人企業ともいうべき中小企業であるから、代表者である被告は率先して、その職場環境の維持改善を図るべきであるにもかかわらずこれを怠るばかりか、積極的に悪化させたものである。」として、不法行為を認定し、損害賠償を認めている。 原告は、職場復帰を目標としており被告リハセンタ−でリハビリをしていたのであるから、原告がリハビリを望む限り、被告リハセンタ−との関係を断ち切ることができないのである。そのような逃れようのない環境において、執拗に不当な要求をされることそのものが、人格権を侵害するものである。 四 職場復帰と無関係でしかも人格非難の心理評価・判定をされたことによるプライバシー侵害 1 心理評価は、しばしば、他人に知られたくない事実の告白を求めたり、人格的評価をするなど、プライバシーの侵害性が高い性質のものであるから、当事者について、心理評価が本当に必要であるのか、必要であるとしてもどの範囲までか、を慎重に検討すべきである。原告については、原職復帰のためのリハビリという希望からみて、そもそもその必要性自体疑問である。ちなみに、桂医師作成の平成2年9月5日作成の依頼箋(甲16の61)では、心理療法は医療指導の中に入っておらず、担当職種も臨床心理士は挙げられていない。 2 仮に原告について心理評価が必要であるとしても、原告に対してなされた「評価」の内容は、常軌を逸したものであり、人格非難といわざるを得ない。すなわち平成3年1月17日作成の初期評価会議資料中の「心理」の欄(甲16の25 2丁目)では、「精神面 相手により反応が異なり、本人の真意不明(常に注意をあつめたい) 思いこみつよく、相手の意を考えられない ・障害理解 現能力認識しようとしない 社会性は表面的に高いが、プライド高く、攻撃的で適応性低い」とある。 この記載のもとになったと思われる心理評価記録では、「1.14 ……頼り合う関係をすべて否定している。また、その関係が母親にとってどうか、娘にとってどうかという事には思考が向けられない。つまり、そういう発想自体なく、自分がマイナスと感じることは当然皆にとってマイナスである(プラスであるはずがない)という感覚である」と決め付けており、P−F Study でよい結果がでると、「あまり 反応 社会性高すぎ 妥当性?」として受け入れようとしない。1月16日の所見では、「各担当者への反応がそれぞれ異なり、相手により使いわけている感じが強い。相手の注目を引くための行動をとっている。……プライド高く、自分の価値観に固執。反するものは受け入れられず自分から拒否し切り捨てている……」と、全く一方的な「評価」をあげつらっている(甲16の52 1、2丁目)。これらの記載には明確な根拠もなく、客観性は乏しい。 何のための評価かも不明で、あたかも原告が「要注意人物」であることを広めるためにしているかにさえ思われる。かかる「心理評価」のために、原告の私生活上の詳細な情報が収集されたことは、原告の人格権の侵害に他ならない。 なお、二ないし四を通じて、どのようなプログラムを設け、どの範囲で評価、判定をするかは「専門家」であるリハセンター職員が判断すべきである、との反論が予測される。しかし、そのような発想自体を問い直す必要があるのである。もちろん専門家としての意見はあるだろうが、障害者にも人権があるという当然のことが忘れられてはいないだろうか。リハビリは、リハビリを受ける障害者が自ら計画作成に参加し、その過程で十分な説明がされ、納得を得た上で行われるべきものである。受ける側の意向を全く無視してリハビリを進めることは容認できないことを、法的判断として示すことが裁判所に求められている。 第三 転倒事故に関する被告の責任 一 転倒事故の態様 1 訓練用ロールが落下し原告に接触した事実 平成3年2月26日午前9時半頃(訴状では9時20分頃と主張したが、原告本人尋問では9時半頃と証言(原告本人第17回43頁))、原告が、被告リハビリセンター2階PT室(運動療法室)において、ロフストランド杖(甲27 写真1から10)を両手に装着し、左足長下肢装具を装着して(甲27 写真11から17)歩行中に、付近にあった平行棒の上から訓練用ロールが落下し、それが原告の右足に接触したことについては、両当事者間に争いはない。 この訓練用ロールの形状は、直径が約32センチメートル、長さが約91センチメートルの円筒形で、重量は約11キログラムであり、芯は木製でその回りに約3センチメートルほどの幅でスポンジ様のものが巻き付けられている(乙13、甲48、49)。このロールは「転がしたり馬乗りになったり」して使用するもので、「適度な固さがあり、使用中に身体が沈むことはありません」(乙13、甲48別紙1)とされている。被告のいうように「やわらかいマットでできている」(被告準備書面(九)5頁)ものではない。 2 訓練用ロールが落ちるまでの原告の動き 訓練用ロールが落ちるまでの原告の動きについては、争いがある。 原告の証言によれば、以下のとおりである。 まず、原告は午前9時頃からPT訓練(運動療法)を開始し、階段昇降訓練と斜面台でのアキレス腱伸ばしの訓練をした後、平行棒での訓練をするため、平行棒の方に行こうとし、自分が使おうとしている金属製の平行棒を見たところ、その上に訓練用ロールが乗ったままになっていた(原告本人第17回41から42頁、甲1の図3)。 そこで、原告は、どうすべきか指示を仰ごうと、平行棒の傍らのマット上で他の通所者のすじ伸ばしをしていた原告の訓練担当の宮崎理学療法士の所へ行こうとしたが(そのときの原告は平行棒の端から約1.8メートルの位置に立っていた)、ちょうどそのとき訓練用ロールが平行棒の上から落下して床に落ちた(原告本人第17回50頁〜55頁、甲1の図3)。 これに対し、宮崎証人は、原告が平行棒内での立位保持訓練を行った後で、休憩をとるためにベンチに向かって歩いているときに(ベンチで休憩するように宮崎が指示したとのこと)、平行棒から訓練用ロールが落ちたと証言している(宮崎証人第15回5頁、6頁)。 しかし、宮崎がベンチでの休憩を指示したという事実はなく、原告がベンチに向かって歩いていたという事実もない。 宮崎証人が作成したとされる報告書(甲16の39)の第2項3行目にも、「接触は、上記A平行棒内での立位保持の訓練が終了し、B傾斜台での立位保持しての足関節底屈筋群の持続的伸張訓練を実施する為、運動療法室内を両側ロフストランド杖、長下肢装具使用して歩行中発生しました」と書かれており、ベンチでの休憩を指示し、ベンチに向かって原告が歩いていたなどとは書かれていない。 よって、訓練用ロールが落ちるまでの原告の動きは、原告が証言したとおりというべきである。 3 接触と転倒の態様 (一)また、落ちた訓練用ロールが原告に接触した態様と、原告が転倒した態様についても、両当事者間に争いがある。 原告の証言によれば、以下のとおりである。 訓練用ロールが平行棒から落下した後、すぐに原告の右足の側方の前のほう(側方の斜め前)に当たった。原告は両足と両杖で踏ん張っていたが、右側のロフストランド杖が前に滑ってしまい、原告は後ろに転倒し、背中を打った。背中への衝撃は強かった(原告本人第17回56頁から63頁、甲1) これに対して、被告の主張は次の通りである。 「落下後ロールは床をゆっくり転がって、落下地点から約3.5メートルの地点で原告の右足外側に側方から接触し、その一秒後に原告は前方に両手を接地し左下肢は伸展外転位(膝が伸びたまま横に開いた状態)のまま、右膝を接地した後、右大腿外側より床に座り込んだものである。なお、ロールはゆっくり転がって、原告に接触した時点ではほぼ停止に近い状態であった」(被告準備書面(五))。 (二)しかし、原告の当時の身体状況からすれば、原告が被告の言うような動きをすることは不可能である。 被告は、乙1の添付写真を再現写真であるとするが、写真@の動作は、結局のところ、右下肢の位置はそのままの状態で(右下肢の横には訓練用ロールが接しており右下肢を横に移動することはできない)、左下肢の力で左下肢を横に動かしている動作である。そして、写真@では右膝を曲げつつあり、写真Aでは右膝が接地してはいるが、左下肢を横に動かすに当たっては、体重は右下肢で支えられている。もし左下肢で体重を支えていたら、写真@Aのように左下肢を接地したまま横にスライドさせることなどできないからである。 当時、原告は、「頸椎症性脊髄症による両下肢麻痺」により第一種二級の身体障害者に認定されていたのであって(甲16の20)、左下肢は麻痺し筋力が低下していて、長下肢装具の装着により重くなった左下肢を横に動かす力などなかったのであるから、乙1の写真@Aのような動作は不可能なのである(原告本人第17回65頁から67頁)。伊藤医師も、当時原告は左足を動かせなかったと証言している(伊藤第22回89頁)。 そもそも、乙1の再現は、宮崎が作成した報告書(甲16の39)をもとにしたものであるが、本件事故は宮崎の管理下にあった訓練用ロールが落下したことに起因しており、宮崎はその管理責任を問われる立場にある人物であるから、そのような宮崎が作成した報告書の内容には信用性がないのであって、それを元にした乙1の再現内容にも信用性が認められないのである。 (三)また、ロフストランド杖を両手に装着し(ただ握っているだけでなく二の腕に固定されている)、左足長下肢装具を装着してロックした状態(ロックした状態では膝は曲がらない)で、被告の主張するように前方に倒れるのは、物理的に非常に困難である(だから被告は原告が左下肢を横に動かしたと言う苦しまぎれの主張をするしかない)。 被告は、原告が過去に歩行訓練中に前方へ転倒したことがあるとして、宮崎証人にその旨証言させているが(宮崎第15回26頁から27頁)、宮崎が見たというのは、長下肢装具のロックを外して訓練した際のことで(宮崎第16回62頁から65頁)、長下肢装具がロックされていた本件転倒とは条件が本質的に違う。また、このときも実際には転倒しかかったにすぎない(原告本人第17回34頁、35頁)。 (四)宮崎証人は、原告の右足には支持性があり左足も長下肢装具をつけると支持性は比較的良好だから、転倒しない旨証言している(宮崎第15回20頁から23頁)。 また、被告準備書面(五)(歩行図付き)は、両杖でも支えているのだから倒れないという主張に読める。 しかし、原告の下肢に支持性があるといっても、それは両下肢麻痺があることが前提での支持性にすぎない。そもそも杖は、足の力の弱った人が歩くときに前に倒れないために使用するものであり、支持性があるとか両杖で支えていたといっても、原告の立位が不安定だったことに変わりはないのであって、だからこそ原告はバランスを崩してばったりと後方へ転倒したのである(原告本人第17回61頁から63頁)。 原告の転倒の態様は、原告が証言したように、両足と両杖で踏ん張っていたが、右側のロフストランド杖が前に滑ってしまい、後ろに転倒して背中を打ったというものである。 (五)宮崎証人は、ロールの落下について、「事実を目撃していた」「患者が落とした」などと断言しながら、なぜ落ちたのかについては何ら具体的な説明ができず(宮崎第16回32頁から39頁)、「(訓練していた患者が)立ち上がるときに多分体で引っかけたんだと思います」と述べるにとどまっている(宮崎第16回37頁)。これに対し、伊藤証人は、「推測であるが」といいつつ、「(患者が)平行棒を体で引っかけて片方の平行棒が持ち上がって落ちた」といかにも具体的な証言をしている(伊藤第22回54頁、57頁)。しかし、平行棒は、金属の長い二本のパイプと、それを支える広い金属に取り付けられた脚からなっており、「体で引っかけた」程度で傾くものではない(甲50)。 そもそも伊藤証人は、リハビリセンター長という立場上、被告の主張をなぞる証言以外はなしえない者である。 また、伊藤証人は、原告が言うように背中から後ろに倒れると必ず骨折だとか頭蓋内出血によって救急状態になる旨証言し、ほぼ100パーセント近く大変な状態になると証言しているが(伊藤証人第21回89〜91頁)、誰が聞いても全く極端な証言であり、信用性が認められない。 整形外科医の杉井医師の回答(甲43の1及び2)の第6項によれば、「頸椎症性脊髄症の手術後で、左下肢を長下肢装具で固定された状態で後方に倒れると、必ず『頭蓋骨骨折』『頭蓋内出血』が起きるとは断言できないと考える。反射的に頸部を前屈して頭部への外傷を阻止しようとすることが一般的と考える。その事によって、頭部への外傷は避けられるが、頸部の過屈曲により、上記の『鞭打ち損傷』様症状が引き起こされた可能性が高くなった」としており、右伊藤証言は医学的にも根拠がないことが明らかになっている。また、頭部への外傷を避けるために、首を曲げ、頸部の過屈曲により、「鞭打ち損傷」様症状が引き起こされる、との指摘は、本件転倒事故の事実経過が原告主張の内容であることを推測させる重要な指摘である。 4 訓練用ロールの落下と原告の転倒との因果関係および被告の過失 以上述べたところからすれば、訓練用ロールの落下によって、原告の転倒(原告が証言する態様での転倒)が発生したことが認定できる。 そして、被告は、本件訓練用ロールを用いたリハビリをするに際しては、ロールが落下、移動して患者に衝突することのないように十分な配慮をすべき義務があった。 訓練用ロールについては、「安全に収納するための」ラックがわざわざ販売されているものであり(甲48 別紙1)、放置しては危険であることは明らかである。従って、訓練終了後には訓練用ロールを直ちに職員の責任において保管場所に収納するか、少なくとも直ちに平行棒上から下ろして、転がったり患者に触れたりすることのない位置に置くべきであったところ(宮崎証人も「私の責任のもとにおいて片付ける」べきことを認めている(宮崎第16回76頁))、これを怠った過失により、かかる転倒事故が生じたものであって、債務不履行及び不法行為の責任を免れない(なお、仮りに被告の言うように他の患者が誤ってロールを取り落とした事実があったとしても、宮崎ら被告の職員にはそのような事態をも防止すべき義務があるのであり、被告の責任が否定されるものではない)。 なお、被告の内部でも、「事故はたしかにリハセンター内においてあり、機材の管理上の問題である」ことを確認している(甲16の2 4月4日の記載)。後日、被告が「事故ではなく、事象に過ぎない」などと言い出すのは責任回避のための方便と言わざるを得ない。 5 原告の意図的な転倒はありえないこと ロールの衝突によって、転倒せずにすんだにもかかわらずあえて転倒したとの主張はあまりにも不合理であるし、まして頸椎症性脊髄症の手術後である原告は、転倒しないように気をつけるよう指示されていた。すなわち「転ぶということ、これ以上首にダメージを受けるということはやっちゃいけないということをずっと言われ続けて」(原告本人第17回33頁)いたのであり、このことは、杉井医師の回答(甲43の1及び2)の第5項(「頸椎症性脊髄症の手術後の患者さんに対しては、一般的には、頸部への繰り返される動作の制限と、転倒等による突発的な頸部の過負担の予防を」指示することが多い)からも裏付けられる。原告が意図的に転倒したことはありえない。これに対して被告がいわば「言うに事欠いて」持ち出してきたのが「転換ヒステリー」による「演技的転倒」という主張である。これについては項を改めて反論する。 二 原告が「転換ヒステリー」であるとの被告の主張の不当性 1 被告は、原告が「転換ヒステリー」であり、「原告の転倒は、演技的転倒の可能性が強く、ロールとの接触を物理的原因とするものとはいえない」(被告準備書面(五)12頁)と主張する。すなわち、被告は、「転換ヒステリー」を理由に、いわば転倒「事故」そのものを否定しようとする。しかしながら、被告の右主張は、医学的根拠が著しく薄弱であり、到底容認されえない。 以下、石川憲彦証言(平成10年6六月11日第28回口頭弁論期日、同年8月27日第29回口頭弁論期日)を中心に、被告の「転換ヒステリー」に関する主張の不当性を論証する。 2 被告は、原告を「転換ヒステリー」と診断する根拠を持たない (一)当然のことながら、「転換ヒステリー」は精神医学上の診断であるから、その確定診断には、精神科医による診断がなされるべきであることはいうまでもない(なお、現代精神医学においては、「転換ヒステリー」の用語は、過去のものであり、たとえば、国際疾病分類第10改定版(ICD−10)においては、解離性〔転換性〕障害の診断名が用いられているが、ここでは、被告の主張するとおり「転換ヒステリー」の用語を用いる)。 原告の「転換ヒステリー」をいかなる過程を経て診断したのか伊藤医師作成の診療録をもとに検証したが、唐突に「ヒステリー」の用語が用いられているだけであり、医学的な意味での「転換ヒステリー」の診断がなされた経緯を窺うことができない。 石川証人はつぎのように証言する。 「ここにかかれている所見からは全くそのような(転換ヒステリーと診断できるような)ことは見受けられないと思います(第二八回一三頁)」「『ヒステリーの原因としては』というふうに書かれているんですけれども、このヒステリーという言葉も唐突でして、つまりそれまでヒステリーと思われる内容、要件の記載が全くなくて、突然飛び出してくるんで、少なくともそれまでに伊藤先生が感じられたことがあるとすれば、カルテに記載されるべきであろうと思うんですが、それがなくいきなり飛び出してきているということですね(第二八回二一頁)」。 「カルテの記載以外からは私も推測することはできませんが、カルテの段階では、ヒステリーという名前を持ちつつ(「用いつつ」か)、慎重であるいう言い方とが両方あるわけで、それで言われているヒステリーというものが転換ヒステリーであるということの内容に関しては触れられていないというところから見ると、私たちが精神医学的にいう転換ヒステリーであったということの証明は、残念ながらこのカルテからはできません(第二八回四二頁)」。 石川証人は、慎重な表現で証言しているが、その証言から導かれるのは、転換ヒステリーとの診断がなされるのであれば、その前提として、転換ヒステリーと診断されるべき「内容、要件」の記載があってしかるべきであるのに、伊藤医師作成の診療録にはこれらがなく、したがって、原告が「転換ヒステリー」であるとの被告の主張は成り立たない、ということである。 (二)そもそも、被告は、リハビリテーションに必要な医療組織を備えているのであるから、精神医学的な見地から「転換ヒステリー」と診断し、「転換ヒステリー」としての治療が必要というのであれば、整形外科医の診察だけではなく、他の医療機関の協力を得るなどして精神医学的診療を受けるよう取り計らうのに支障はないはずであるが、このようなことがなされた形跡は一切ない。 そのうえ、神経科医としては、唯一原告を診ている南共済病院神経科医は、精神医学的には「問題ない」と診断している(乙6 2頁)。 (三)なお、伊藤医師は、陳述書(乙12)においては、「転換ヒステリー」と明言せず、原告の身体障害を「脊髄神経の器質的損傷+心因反応=顕在化して身体障害」と診断したとしている(第二の一項)が、述べようとしていることは同様と考えられる。 これについて、石川証人は、「心因反応という言葉は、何らかの心理的な要因によって現れた反応ということですので、この心因反応ということは様々に解釈できますし、幅を広げますので、一つは、その心因反応とはどのようなものであったかという内実がカルテに示されていませんと、解釈しようがないということ。そしてその記載はカルテにはないということ。二番目には、その心因反応ということを考えますと、この反応が心というものに原因を置く以上は、その心の動きや論理がどのようなものであったかということを記載なく、心という言葉を使うことは余り医学的なこととは思えませんので、ここでは、記録がないものについてちょっと判断はできないという立場を取らせていただくしかない(四三頁)」と証言する。 右証言のとおり、伊藤医師が陳述書に記述する「心因反応」は、内容を伴っていない。 (四)以上述べたとおり、被告は、この訴訟において、原告が「転換ヒステリー」であると主張しているが、これついての医学的根拠は、あまりに薄弱である。 3 被告の「転換ヒステリー」の用法は混乱している (一)通俗的な用語としての「ヒステリー」との混乱 伊藤医師は、診療録において「ヒステリー」の用語を用いているが、この用法には、精神医学的な意味での「転換ヒステリー」の診断における医師としての緻密な診断過程がまったく窺われず、また、「ヒステリー」との関連性はあるが、逆に「転換ヒステリー」とは無関係な「情動失禁」など概念が使われている(乙6 8頁)ことなどから、「ヒステリー」の用語の用法に混乱が見られる。 石川証人はつぎのとおり証言する。 「実はカルテ記載からは、先ほど申しました転換ヒステリーの症状ないしは状況が全く触れられておりませんので、ここで言われているヒステリーというのが、精神医学的に申すヒステリーなのか、通俗的な先ほど申しましたようなヒステリーなのかということも少しも分からない状態です(第28回22頁)」。 (二)「転換ヒステリー」と「ヒステリー性人格(障害)」との混乱 「転換ヒステリー」は精神医学における現代的な診断としては、ICD−10によれば、解離性〔転換性〕障害が該当し(甲41 110頁)、「ヒステリー性人格(障害)」は、演技性人格障害が該当する(甲41 133頁)。 これらは、解離性〔転換性〕障害が、「過去の記憶や同一性と直接感覚の意識および身体運動のコントロール相互間の正常な統合が部分的あるいは完全に失われる」のに対し(甲41 110頁)、演技性人格障害は、「誇張された感情表出」「評価、刺激および注意を引きたいという渇望の持続を特徴とする人格障害」であり(甲41 133頁)、まったく別のものである。 (三)「転換ヒステリー」と詐病との混同 石川証人が、「詐病というのは明確な意図、つまり意識の存在の下に出てくる状態ですし、転換ヒステリーという言葉自体現在は使われておりませんが、転換ヒステリーと呼ばれる状態は、そのような意図や意識が余り明瞭でない、あるいは意図性に出てくるものではむしろない状態というふうに考えられると思います(第28回 5頁)」「木下さん(乙7の著者)の場合は完全に異なるというふうに分けてはおられませんが、やはり基本的に異なるという立場に立たれていると思いますし、今日の少なくとも診断学の分野では、全く異なるものとして考えています(第28回6頁)」と証言するとおり、「転換ヒステリー」と詐病は、意図性の有無によって明確に区別され、両者はまったく別のものである。このことは、ICD−10においても、解離性〔転換性〕障害(「転換ヒステリー」)と詐病が明確に区別されている(甲41 111頁)ことからも明らかである。 にもかかわらず、伊藤医師はこれを両立し、また、一方から他方に移行するものとして証言しており(第21回62頁、第22回99頁)、転換ヒステリーに対する基本的な理解に欠ける。 (四)以上述べたとおり、被告における「転換ヒステリー」の用語の用法は、きわめて曖昧かつ不適切なものであり、医学的見地から診断されたものとは到底言いえない。 伊藤証人は、反対尋問に対し、原告を転換ヒステリーと「断定しているわけではない……その診断を我々は積極的につけた覚えはない(第22回15頁)」「転換ヒステリーと特定されたことはない」などと証言するに至っている(第22回112頁、113頁)。 結局、原告が「転換ヒステリー」であるとの医学的診断は誰もしていないのである。それにもかかわらず、自己の免責のためにかかる主張まで持ちだすことは、「精神障害」への偏見を利用して原告を貶めるものであり、いたずらに原告を困惑させ、審理を混乱させるばかりであって、公的機関としての見識を疑わざるをえない。 三 宮崎理学療法士の証言には信用性がないこと 1 被告が主張する事故態様は、事故の際同じ室内にいて、転倒の様子を目撃したという宮崎理学療法士の証言に依存している。被告の保有する報告書、再現等は結局はすべて宮崎の供述に由来するものであり、同人の信用性が否定されれば、本件事故の態様に関する被告主張は根拠を失う。 2 宮崎理学療法士は、本件事故を「バランスoffとなったというより、自ら前方へ転倒」「むしろ故意による転倒に見えた」(乙6 23頁、24頁)と言う。 これについて、石川証人は、PT記録の記述をもとに、宮崎理学療法士が原告に対して偏った主観を持って、原告を評価していたことを明らかにしている。 リハビリテーションにおいて受容は、受容、支持、保証という文脈において重要であるが、宮崎理学療法士の原告に対する対応は、拒否的対応であったという。 石川証人は、つぎのように証言した。 (一)乙6 12頁、平成2年12月12日のリハ理学療法士記録欄について、「『全てのふるまい動作が演技的である』という記載がございます。この記載を見ますと、先ほどから私がちょっと主観的な評価かなと思ってきていたことがこの演技性を帯びた振る舞いという、ある物の見方によって形成されている、あるいはこういった考え方を形成する前提となった主観的な評価であろうかと思います(第28回17頁)」。 (二)甲16の25の3、平成3年1月17日更生施設評価会議資料(作業療法士作成)「訓練は意欲的で復職を強く希望している」について、「OT(作業療法士)の方は必ずしも他の療法士(理学療法士)の方と同じようには見ていらっしゃらないということだと思います(第28回33頁)」。 (三)乙6 17頁、平成3年1月18日リハ理学療法士記録「左(U/E(上肢)は使えないと言っていたのに大丈夫か→(以前こういってたびたび Ex(訓練)中転倒有り)」について、言葉としては受容言語である「大丈夫か」と言う言葉を発しているが、「以前こういってたびたびEx(訓練)中転倒あり)」と内心の疑惑が記載されており、ここでは既に受容し支持し保証するという受容ではなくて、疑いによる大丈夫かという問いかけ、つまりその意味では言葉として受容言語を発しながら、むしろ拒否的対応に近い、つまり、表に現れた言語と内心の行動とが乖離した状態に、理学療法士が置かれているというふうに思います(第28回35頁)」。 (四)乙6 20頁、平成3年2月6日リハ理学療法士記録「PT−無理はよくない。又、過度のExは意味がない。よって本日は中止したら。Pt−『くやしい』と演技的に答える(悲劇のヒロインの様)」との記述について、「『くやしい』というふうに言う言葉を演技的と受け取り、『悲劇のヒロインの様』と書いている見方は、患者の状態をやはり受容し保証していく方向からは、やや隔たっていると申しますか、むしろ違うのではないかというふうに感じられる箇所でした(第28回37頁。」。 (五)甲16の2の3頁、平成2年1月18日、「〈初期評価会議〉(中略)改善が見られないので訓練は終了としたい」との記述について、「かなり中心的な役割を担うと考えられる理学療法士は、既に入所開始時点で自らの役割を終えたいというふうに考えております(第28回28頁)」「つまり理学療法士は、初期評価の時点で訓練を終了したいという意図をお持ちになっておられた。それはそれなりに専門的な判断だと思うんですが、それを継続するという形になった後、医師が意図していた受容方向というものと違う対応を、ずっと取りつづけざるを得なかった(第28回38頁)」。 3 これらの一連の流れを仔細に検討し分析したうえで、石川証人は、本件転倒事故に関する「むしろ故意による転倒に見えた」との宮崎理学療法士の記述について(乙6 24頁)「少なくとも入所以前から一貫して、その後も理学療法士の記載には、ある一つの判断基準が主観的なものとして存在していることは事実であろうと思います。その視点が、この日、やはりある状態を解釈する際に現れ出た可能性は否定できないと思います(第28回41頁)」と証言した。 4 石川証人が、理学療法記録に基づき実証的に証言しているところを整理するとつぎのように言える。すなわち、 宮崎理学療法士は、初期評価の時点で訓練を終了したいという意図を持っており、原告に対しては、演技性があるという主観的価値判断を一貫して持ち続けていた。他方、作業療法士の原告に対する評価は必ずしもそのようなものではなかった。本件転倒事故に関する宮崎理学療法士の「故意による転倒に見えた」との評価も、このような主観的評価と結びついているものであり、もともと宮崎理学療法士が原告に対して抱いていた「演技性」があるとの主観が、宮崎理学療法士が事実を認識するにあたって影響を与えていることを否定できないのである。 宮崎理学療法士による報告の信憑性については、本件転倒事故について、宮崎理学療法士が管理責任を問われる立場にあることから、信用性が認められないことは前述したとおりであるが、そればかりでなく、右に述べたとおり、宮崎理学療法士は、そもそも客観的に本件転倒事故について認識するのに不適当な主観を、原告に対して抱いていたこともとくに指摘されなければならない。 四 その他転倒事故の事実認定上留意すべき点 原告は、転倒事故の事実経過に関する被告の主張が不合理であることを明らかにするために、現場検証を申立て、また、ロールを落とした者であると被告が主張する現場にいた患者を証人申請した。また、事実解明に役立つと思われる文書の提出命令を申し立てた。 しかし、被告は、重要証人であるはずの「ロールを落とした患者」の証人尋問に消極的であり、連絡先も開示しようとしない。 また、申立てにかかる文書(実習生の記録、2月25、26日(事故直後)の作業療法記録、被告が実験調査状況を記録した文書)はいずれも存在しないという。しかし、実習生の記録を、保管期限が過ぎたからといって本件裁判中に破棄したというのは不自然であるし(期限がすぎたものでも、保存する必要があると認めるものについてはさらに保存することができるとされている(被告意見書2添付「文書取り扱い規程」28条3項))、作業療法記録中、事故直後の2月25、26日の分だけが存在しないというのは奇妙である。公的団体である被告が再現実験調査状況を記録した文書を作っていないというのも、にわかに信じがたい。 このように、被告は事故の真相究明に消極的な対応をしていると言わざるを得ない。また、裁判所においても、事実の解明を求める原告の申立てに対し、検証およびこれ以上の証人尋問は不要と判断している。かかる経過のもとでは、当然、原告の主張に従った認定がされるべきである。 第四 事故後の事後対応に関する被告の責任 一 人身事故発生後の事後対応に関する被告の注意義務 一般に、人身事故発生後、被害者を救護すべき義務あるものがこれを怠った場合には、損害賠償責任が発生する。本件の被告の責任もこれと同種のものであるが、被告が総合リハビリセンターであるという性格及び被告が原告に対するリハビリを実施する際に生じた事故であることからして、被告の注意義務は、いわば業務上過失に類する者であって、重いものと言わねばならない。 すなわち、リハセンターは、「障害者に対する医学的、心理学的、社会的及び職能的な相談、評価、指導及び訓練」、「障害者等に対する治療」等を行なうこととされ(横浜市総合リハビリセンター条例第二条)、それに必要な人的物的設備を擁しているのであるから、被告は、本件事故により症状の悪化した原告に対して、医学的訓練、治療等を行なう義務を負っていたものであるし、原告に対して本件事故発生経過について誠実に調査し説明すべき義務を負っていた。 具体的には、次のような義務である。 転倒事故発生直後に、付近にいた宮崎理学療法士や伊藤医師らの職員が、転倒状況及び負傷の状況を確認し、その後の訓練を実施するかについて、本人の意見も聞いた上で判断すべきである。本件の場合、それ以降の訓練を中止し、安静とすべきであった。 事故後安静を必要としていた時期は、単独・自力で外出できなくなった原告の状況を把握し、これを踏まえて、今後のリハビリをどうするかについて、原告の意向も踏まえて、方針を示すことにより、原告に不安を与えないようにすべきであった。 事故原因については、今後原告が安全に訓練をするためにも、他の患者の安全のためにも、原因を明らかにすべきであり、原告と被告の間で事故態様について認識が食い違うとしたなら重大な問題であるので、誠実に調査し事実を解明すべきであった。 症状が安定した時期には、リハビリを再開すべきであった。医師がリハビリを再開すべきとの診断をし、本人もそれを望んでいた原告の場合は当然、医学的及び職場復帰のためのリハビリを再開すべきであった。 なお、これらの義務は、事故以前から原告に対しリハビリをすべき関係にあった被告としては、債務不履行責任として負っているとともに、転倒事故発生の原因者としての事後対応義務という意味では、不法行為責任の性格もあわせ持つものである。 二 転倒事故発生直後の対応についての被告の義務違反 本件転倒事故発生直後に付近にいた医師や理学療法士宮崎らの職員が、転倒状況及び負傷の状況を確認し、その後の訓練を実施するかについて本人の意見も聞いた上で判断すべきであった。本件の場合、それ以降の訓練を中止し安静とすべきであった。 しかし、原告は、転倒直後は、車椅子で移動し、ロビーで横になって休み、両杖歩行の訓練はしないですませたが(原告本人第18回13頁から16頁、甲16の2 2月26日の欄)、そのあと、予定されていた作業療法訓練を行なおうとした。しかし、左手が震えてピンセットを掴むことができず、また、両手を挙げていることが困難だったため、プログラムは不十分にしか消化できず、座っていることも困難になって、中止を余儀なくされた(原告本人第18回16頁から18頁、甲16の50 2月27、28日の欄)。 昼食後には、歩行訓練に代えて車椅子でセンター内周を2周する訓練をさせられたが、それ以上はできずに、中止を余儀なくされた(原告本人第18回20頁から22頁、甲16の2 2月26日の欄)。そして、4時に訓練を終えたものの、PT室から玄関先に出るまでに1時間近くかかった。そしてようやくの思いで一人で帰宅したのである(原告本人第18回28頁から29頁)。 頸椎症性脊髄症で手術後リハビリをしている原告が転倒したことの重大さからすれば、事故後直ちに医師が診察するなどの医学的対応をし、安静を指示して訓練を中止し、自宅に送り届けるべきであった(転倒事故時、伊藤医師は、同じ部屋の中にいたにもかかわらず、原告に何ら注意を払わなかった(原告本人第18回35頁)。被告とすれば容易にできたことをしなかったのである)。かかる基本的な対応を怠ったことが転倒による身体被害を拡大したともいえるが、ここでは、身体被害とは別に、事後対応が不十分であったこと自体を過失として主張する(これによる損害は不十分な対応を受けたこと自体による精神的損害(慰謝料)である)。 三 事故後の療養指導、原因調査・究明義務の不履行 事故後安静を必要としていた時期は、単独・自力で外出できなくなった原告の状況を把握し、今後のリハビリをどうするかについて、原告の意向も踏まえて方針を示し、原告に不安を与えないようにすべきであったし、事故原因について誠実に調査し事実を解明すべきであったところ、実際には、訴状に記載したように不誠実な対応に終始し、原告の精神的苦痛を増大させたのである。 1 すなわち、原告は、2月28日から、主治医のいた南共済病院に通院を続けたが、原告から経過報告をしたものの、リハセンターからは何も言ってこず、3月に福祉事務所の飯田ケースワーカーが来訪したものの、同人ではリハビリの相談はできないので、原告からリハセンターに連絡して来訪を求め、、4月4日、リハセンターから高塚医師と大場氏、ケースワーカーの飯田氏の3名が原告宅を訪れた。しかし、この時、高塚医師は事故の内容について、「前向きに倒れたと聞いている」などと事実に反することを無責任に述べ、原告が違うと言っても全く聞く耳を持たない対応に終始した。 そこで原告は責任ある立場の人との話合いを求め、4月12日に、秋田裕理学療法士及び被告事業団の常務理事である庄子哲雄氏との最初の話合いを持った。 2 4月22日には、リハセンターから事故についての報告書を受け取った(甲2)。リハセンターは、代理人がこれを受取りに行くことを認めず、外出が容易ではない原告に自ら取りに来るよう求めたのである(原告本人第19回5頁)。これは秋田、宮崎両名が高塚医師宛に出した報告書の一部ということであった。それには見取図や「図1ないし5」が書かれている別紙をあえて取り除かれており、しかも、ロールを落としたのを他の患者のせいにしたり、原告が事故後定例の訓練課題を消化した旨書かれていたりと、あまりに事実に反する文書であった。そこで、4月26日、原告は、庄子氏らと会い、報告書の内容の不当性を訴えてこれを返すとともに、転倒事故の原因を明らかにし対策を講じること及び原告に対し謝罪することを求める要望書を渡した。このやり取りは原告に大きな精神的苦痛を与え、原告は怒りすらおぼえた(原告本人第19回8頁から10頁)。 3 しかも、被告からは5月1日付けで、原告に事故状況を書面で提出するよう求める書面が届き、あわせて、原告が提出した要望書を送り返してきた。やむなく5月下旬から原告は森田弁護士に交渉を依頼した。 その後、原告は、事実関係を確認するため現場で本件事故を再現することを申し入れ、リハセンターの許可を得て、事故の再現を行った。そして原告側の事故報告書を6月25日付で作成し、被告に提出した(甲3)。 原告側の事故報告書に対して、被告側が検討した結果として、被告は7月9日付けで「事務連絡」文書を送付してきた(甲4)が、これは、原告の事故報告書のうち、被告の認識と一致している部分をラインマーカーで表示したもので、一致したとされたのは、わずか9か所の約70字に過ぎず、これでは、被告の主張する事実関係がどのようなものかさえ不明であった。さすがにこれでは不誠実と思ったか、被告は7月10日付で改めて不一致点について双方の主張を対比した文書を送付してきた(甲5)が、被告の主張する事実経過全体がどの様なものであるかは明らかにしようとしなかった。 このように、被告は、原告の言い分を虚心坦懐に聞いて事実を解明する姿勢はなく、被告自身の事実認識とその根拠は示すことなく、療養中の原告に「自分で調べて書面にして出せ」という対応を取り続けたのである。 4 4月上旬に原告の友人の医師がリハセンターの対応について、伊藤医師に抗議の電話をしたことがあるが、逆に伊藤医師は、その医師に、原告が、青い芝の会(脳性麻痺者の団体)の会員と縁を切るよう説得しろといった(原告本人第19回17頁から18頁(日付については、第20回1頁で訂正)、伊藤医師もこの医師から連絡があったこと等は認めている(伊藤第22回63頁から65頁、96頁から98頁))。 5 7月10日、原告は、事故の影響を直接知ってもらうため、リハセンターで伊藤医師の診察を受けた。伊藤医師は、診察の結果、事故以前よりも症状が悪化していることを認めたが、原告がリハセンターでリハビリを再開することは受け入れられないと述べた(原告本人第19回23頁から24頁)。 そこで原告は、リハビリ再開の点についてはっきりさせるため、7月25日、大成医師の診察を受けて、大成医師の意見はリハビリをするべきだという意見であることを確認した(原告本人第19回25頁)。そこで、大成医師もリハビリ再開を支持している旨リハセンターに伝えたところ、9月12日に改めてリハセンターの伊藤医師の診察を受けることになった。 9月12日に原告はリハセンターを訪れ、伊藤医師の診察を受けようとした。ところが伊藤医師は、原告の顔を見るなり、「何しにきたのか」と述べ、「リハビリセンターとしては受診は必要とは考えていない」等と述べて、診察自体を拒否するところとなった(原告本人第19回26頁から29頁、甲7)。 10月には、改めて杉井医師にリハビリの必要性について正確に判断してもらうため、リハセンターから原告のレントゲン写真を借受け、それをも資料として、判断を求めた。12月6日に武蔵野日赤に受診したところ、杉井医師の意見は、リハビリができないとは考えられない、筋力保持等のためにも再開が必要であり、医師ならば当然わかるはずである、とのことであった。杉井医師に12月20日付けで診断書を書いてもらい、これを添付して12月26日付けでリハセンターへリハビリ再開のための受診を申入れた(甲9)。 1992年1月10日、被告より返信がきたが、驚いたことに、原告の支援者が前年の9月にまいたビラに書かれていた「神経症状」「自宅療養の日々を強制されている」等の記載を根拠に、機能回復訓練は無理であると決めつけたものであった(甲10)。 これを契機に、2月12日に、原告宅で、庄子氏らとの話合いを持った。ここで、原告は、ビラにかかれた「身体症状」は、現在はないこと、杉井医師からは繰り返しリハ再開を言われていること、などを説明した。その後原告の了解を得てリハセンターの庄子氏が2月19日に杉井医師に面談して説明を受けた。 3月18日、原告はリハセンター内で庄子氏及び伊藤医師と話合いをした。杉井医師のリハビリ再開が必要であるとの意見があるにもかかわらず、伊藤医師は、原告のリハセンターでのリハビリ受入れを拒み続けた。話合いは平行線のまま終わり、3月30日、被告より、原告については「総合病院などの整形外科医のもとで機能回復訓練を行うのが望ましく、当センターのような機関で行うのは難しい」というのが伊藤医師の意見であり、リハセンターとしてはこの判断に従う、という文書が送付された(甲14)。これによって、主治医の意見に反してでも、リハビリ再開に応ずるつもりがないことが明らかになった。 リハビリ再開の医学的判断としての是非は次項に述べるが、リハビリ再開を求める原告に次々に条件を付けて引き延ばしたあげく、放り出すというやり方は障害者の福祉のための機関という被告の存在意義を自己否定するに等しいものである。 四 リハビリを再開しなかったことの責任 症状が安定した時期には、リハビリを再開すべきであった。休職期間が翌年の4月までと限られている原告にとっては、少しでも早くリハビリを再開したいという強い希望があった。そして、大成医師も、杉井医師も、リハビリを再開すべきとの診断をしていた。 すなわち、杉井医師の回答(甲43の1及び2)の第2項では、「初回の診察時より、頸椎症性脊髄症による、腱反射の著しい亢進・深部反射の陽性は明らかであり、筋力の低下も認められる事から、関節の拘縮予防、筋力の維持・増強訓練、歩行能力の維持等の最低限のリハビリテーションが必要であることは当然と考え」た、として、具体的な根拠を挙げてリハビリの必要性を指摘している。 これに対して、伊藤医師がリハビリを拒否した理由は、「ご本人が、吐き気だとか頭痛だとか……不定愁訴がたくさんある場合には……大成先生のところが、私は適切だと考えた」といいながら(伊藤第22回122頁から123頁)、平成3年の「5月6月ごろにそういう判断をした」といい、それ以後、最終的にリハビリを拒否する平成4年3月までの間に不定愁訴はなくなっていることを指摘されると、「ですから診療を私は受け入れなかったのではありません」と話をそらし、「リハビリを何で受け入れなかったのか」と問い詰められると、「それは私の判断です」という他なくなり、不定愁訴云々はこじつけでしかないことが露呈した(伊藤第22回124頁から125頁)。通常医師としてすべきことである(石川第28回52頁)他の病院に紹介することすらなかった(伊藤第22回76頁)。しかも、この時点で福祉事務所による原告のリハセンターへの入所措置はそのままであるにもかかわらずである。 要するに、伊藤医師ないしリハセンターは、何ら医学的合理性なしに、もともとリハビリのやり方に意見を述べることが多く、事故の被害者ともなった原告とこれを機会に縁を切ろうと、リハビリ再開拒否を決めてかかって、原告を投げ出してしまったのであり、基本的な義務違反というほかはない。 第五 損害 一 プライバシー侵害等についての損害 1 本件転倒事故以前の、リハビリを行うに当たってのプライバシー(人格権)侵害による損害は、慰謝料を根拠付ける精神的苦痛である。 この慰謝料は、いまだ金額の水準が確立されていないが、様々な形で実績が作られつつあるところである。 プライバシー侵害、それも違法な個人情報の収集についての慰謝料額については、あまり参考にできるものはないが、本件について言えば、リハビリを実施するにあたってその必要性等について原告に説明を尽くし、了解を得ることなく、一方的な情報収集がされたもしくはされようとした、という点で医療行為におけるインフォームドコンセントに類似するところがある。 医療行為における説明義務違反については、今日では、結果回避のための説明にとどまらず、説明義務違反自体から、一定額の慰謝料を認容する方向にある。判例として、東京高裁平成4年8月31日判決(判時1463・102)は、脳動脈奇形摘出手術についての説明義務違反について600万円の慰謝料を認容した。福岡地裁平成8年10月8日判決は、リウマチ治療のために金製剤を用いる際の副作用等の説明義務違反について150万円の慰謝料を認容している。 2 更生援護措置に伴う審査等によるプライバシー侵害及び被告の責任 原告は、更生援護措置決定を得るにあたり、措置決定をする上で必要な範囲を越えて、健康診断の他、家族・財産状況、自宅および自宅での日常動作等をこと細かに審査され、知能テスト、心理テスト等を受けさせられた、また、離婚歴のある原告は家族関係を繰り返し(5回以上にわたり)尋ねられた。(乙10の1ないし3、原告本人第17回16頁から19頁)。 原告は、こうした調査や検査によって「非常に不快な思いをした」が、入所によるリハビリを受けるためと考えて応じざるを得なかった(原告本人第17回19頁)。 3 職場復帰と無関係なプログラムの受け入れを一方的にかつ執拗に迫られたことによるプライバシ−侵害 (一)もともと、原告は職場復帰のために必要なリハビリを求めており、リハセンターもそれは承知していたにもかかわらず、リハビリが始まると、日常生活動作についての「動作の確認」が自己目的化し、例えば、平成3年1月17日作成の社会生活技術訓練評価(肢体)では、日常生活動作領域中、「排泄」「入浴」の項で、「動作の確認」そのものが目標・課題として掲げられている(甲16の13 2丁目)。また、平成3年1月31日作成のリハビリテーション計画書では、社会生活技術訓練の「訓練目標」として、「排泄動作の確認」と「入浴動作の確認と介助の整理」が掲げられている(甲16の28 1丁目)。 そして、被告は、原告には何も知らせないまま、職場復帰を目指すことをやめてしまう。このこと、つまり「リハビリテーション案の方は変化しているにもかかわらず、そこの間を埋め合わせようという形の努力、今の言葉でいいますと、インフォームドコンセントで、患者さんが入所なさるなら、やはり入所目的をはっきり理解して計画にかかわっていくという方向が、どこかで見失われ出している」ことから、患者にとってはストレスを加えるなど相当大きな負担になった(石川第28回47頁から49頁)。 リハビリ計画の策定は、リハセンター側が、一方的に作成し、要求するものであった。原告は、プログラムの一部を拒否したが、当初から、原告の要望を尊重し、かつ、十分に原告に説明して計画を作成したのであれば、かかる事態にはならなかったはずであり、原告に対して十分な説明をした上で同意を得て計画が作られていれば、原告が苦悩の上、今後の不利益を覚悟しつつ、拒否するということにはならなかった。こうした原告の精神的苦痛は、被告が一方的な情報収集をしようとしたことによるものである。 (二)1991年1月の通所開始後、被告リハセンタ−は、原告に対し、性格検査・心理相談を行う「心理」を受けるように強く迫ったが、これを拒否した。しかし、これを受け入れることが当然であるかのように、受け入れを迫られること自体が精神的苦痛をもたらすものであったし、あわせて障害者は被告リハセンタ−でリハビリを受ける限りは、被告リハセンタ−の言いなりになるほかないのか、という屈辱的な思いをさせられたこともこの苦痛を拡大させた。また、これ以後、原告は、被告リハセンタ−職員関谷(心理)、宮崎(理学療法士)の悪意に満ちた評価など、拒否したことをよしとしない被告リハセンタ−職員の冷やかな対応の中に身を置かなければならないという精神的苦痛を受けた。 (三)その後、原告は、被告リハセンタ−から、排泄動作等を評価することを要求されたが、これを拒否した。しかし、リハケ−ス記録(甲16の2)では平成3年1月31日以降、同年2月5日、7日、8日、12日、14日、20日に排泄動作等確認等のプログラム拒否に関する記述があり、とくに、2月8日は「拒否しているプログラムはリハビリテ−ション計画に明記されているものであり、そのプログラムを拒否することは当施設の方針を拒否することになる。」とプログラムを受け入れない原告に対する苛立ちの現れとも取りうる記述がされており、被告リハセンタ−が組織をあげて、原告に対し、右プログラムを執拗に強要していたことが窺われる。このことによる精神的苦痛も、「心理」の拒否と同様である。 (四)原告が、被告リハセンタ−の要求を拒否し、プログラムが実施されるに至らずとも、被告リハセンタ−が原告にプログラムを強要したこと自体が原告の人格権を侵害し、原告に精神的苦痛をもたらすものである。 「第二」で引用したように、セクシャル・ハラスメントについても、繰り返しデ−トに誘いかけるなどによって職場環境を悪化させる場合にはたとえ被害者がこれを拒否したとしても、人格権の侵害としてセクシャル・ハラスメントにあたり不法行為を構成するのであり、大阪高裁平成8年3月15日判決(原審大阪地裁平成7年8月29日判決)は、言葉によるセクシャル・ハラスメントについて「被告は原告の意思を無視して性的嫌がらせというべき言辞を繰り返し、原告を困惑させて、結局退職させる結果を招いた」場合に不法行為を認定し、損害賠償を認めている。 原告は、職場復帰を目標としており被告リハセンタ−でリハビリをしていたのであるから原告がリハビリを望む限り、被告リハセンタ−との関係を断ち切ることができないのである。そのような逃れようのない環境において、執拗に不当な要求をされることそのものが、人格権を侵害するものであり、甚大な精神的苦痛をもたらしたのである。 4 職場復帰と無関係でしかも人格非難の心理評価・判定をされたことによるプライバシー侵害 心理評価は、しばしば、他人に知られたくない事実の告白を求めたり、人格的評価をするなど、プライバシーの侵害性が高い性質のものであるから、当事者について、心理評価が本当に必要であるのか、必要であるとしてもどの範囲までか、を慎重に検討すべきである。原告については、原職復帰のためのリハビリという希望からみて、そもそもその必要性自体疑問である(桂医師作成の平成2年9月5日作成の依頼箋(甲16の61)では、心理療法は医療指導の中に入っておらず、担当職種も臨床心理士は挙げられていない)。 しかも、原告に対してなされた「評価」の内容は、人格非難といわざるを得ないものであった。すなわち、「精神面 相手により反応が異なり、本人の真意不明(常に注意をあつめたい) 思いこみつよく、相手の意を考えられない ・障害理解 現能力認識しようとしない 社会性は表面的に高いが、プライド高く、攻撃的で適応性低い」(甲16の25 2丁目)とあり、心理評価記録では、「1.14……頼り合う関係をすべて否定している。また、その関係が母親にとってどうか、娘にとってどうかという事には思考が向けられない。つまり、そういう発想自体なく、自分がマイナスと感じることは当然皆にとってマイナスである(プラスであるはずがない)という感覚である」と決め付け、P−F Studyでよい結果がでると、これを無視し、「各担当者への反応がそれぞれ異なり、相手により使いわけている感じが強い。相手の注目を引くための行動をとっている……プライド高く、自分の価値観に固執。反するものは受け入れられず自分から拒否し切り捨てている……」と、全く一方的な「評価」をあげつらっている(甲16の52 1、2丁目)。これらの記載には明確な根拠もなく、客観性は乏しいものであり、こうした原告を非難するばかりの合理性のない「心理評価」のために、原告の私生活上の詳細な情報が収集されたことは、原告の人格権の侵害であり、原告に大きな精神的苦痛をもたらすものである。 二 本件転倒事故による損害 本件転倒事故による損害は次のようなものである。 1 原告は本件事故による症状悪化の治療および訓練のため、1991年2月28日以降、当初は南共済病院、同年6月からは武蔵野赤十字病院、1992年4月からは武蔵野赤十字病院の主治医であった杉井医師が開設した本町クリニックに通院し、1992年5月からはあわせて汐田総合病院でリハビリをするようになり、1994年6月13日から同7月8日まで九段坂病院に検査のために入院した。 本件転倒事故前後の症状の変化について、原告本人尋問においては、「今まで長下肢装具とロフストランド2本を使えば、そして、長距離の外出時は自分で車の運転、この二つの組み合わせでどこにでも外出できていた状態から、右足の痙性麻痺がひどくなり、右足が左足装具を持ち上げてふんばる力が非常になくなってきた、そして、かくかくかくっと足が揺れてしまう、そういう中で車の運転ができない、家の中も非常に短い距離、本当に数歩つかまり立ちして1回座るという形でしか動けない状況の中で、職場復帰をあくまでも求めて介助者をつけて行動範囲を今までと同じに保っている、そのためには、介助者、これなくしては前と同じで状態にはいられない」と表現している(原告本人第19回45頁)。 2 そして、事故前の症状を診断した甲31の1、2では、障害名は「四肢痙性形成麻痺による両下肢の著しい機能障害」、総合所見は「平地歩行でも両松葉杖を要し、介助を必要とする。両下肢の著しい機能障害と認む」とあるのに対し、事故後の甲32では、所見として「両下肢対麻痺、体幹機能障害、左上肢不全麻痺、膀胱直腸障害」と記載され、補助用具については、車椅子と左下肢補装具を常時使用している、「移動は車椅子で介護、左下腿靴型長下肢装具」とある。さらに「日常生活は自立できない。労働不能である」、予後は「不変」と記載されている。 3 原告は歯科衛生士としての職場復帰を目的とするリハビリテーションを受けていたのであるが、本件事故により介助者なしでは日常生活や外出等ができなくなったことで、生活上及び仕事をするについて介助者を要することとなった。後述のように、原告は職場を解雇されるに至っているが、原告としては、介助者が付けば就労は可能であるとして、解雇の撤回を求めているものであり、本訴訟で求める損害は、解雇による逸失利益ではなく、就労のための介助費用である。 介助費用は、例えば横浜市のホームヘルパーの賃金は原則として時給1040円(夜間、日曜祝日は1300円)とされていることから(甲47)、1時間1000円を下るものではなく、少なくとも1日10時間の介助が必要であるから、介助費用についての損害額は、訴状記載のとおり、 1万円(1日当り介護費用)×365日×21.3092(事故時44歳の女性の平均余命に対応する新ホフマン係数)=7777万8580円 なお、原告は、転倒事故前に一種二級の身体障害者であり(甲16の1)、事故後も等級に変化はないものの、右のとおり介助の必要が生じたものであり、このような場合は、現実にかかる介護費用をもって損害とすべきである。 4 また、転倒事故に関する慰謝料の算定に当たっては次のような事情を踏まえるべきである。 事故後、原告は職場復帰の目処がつかないままに、1992年4月25日には休職期間が満了となり、その後は「欠勤扱い」とされて休業保障も打ち切られ、無収入となった。1994年4月からは、原告は生活保護を受給するところとなった。 その後、勤務先の横浜市学校保健会から、同年12月20日付けで、「平成7年1月19日をもって免職する」旨の通知が届き、1995年1月19日、学校保健会から同日付けの免職の辞令が届けられた。これによって原告は横浜市学校保健会を解雇された(甲28、33、34、原告第19回39頁から42頁) 学校保健会が、原告を解雇した理由は、「横浜市学校保健会職員の任免・給与・勤務時間・その他勤務条件に関する規程第3条第3項第2号」であり、同号は「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、またはこれに耐えない場合」であるが、「横浜市職員への身体障害者雇用についてー基本方針ー」が受験資格を「自力で通勤が可能でかつ自力で職務遂行が可能なものとする」としていることから、介助者の必要な原告は「自力通勤、自力勤務」の要件を満たさないので、前記規程により免職すべき場合にあたるとされたものである。 弁護士会照会に対する回答で、学校保健会は、「徳見さんの当時の体の状態と業務内容を合わせて検討した結果、歯科衛生士として学校での歯科巡回指導という職務に耐えないため」免職したという(甲46)。 原告は、介助者なしの「自力通勤、自力勤務」を雇用の条件とする現行の制度に疑問を持ち、制度の改善を通じて雇用を実現すべく運動を進めているが、現行制度を前提とする以上、解雇撤回の実現は容易ではない。 リハセンターにおけるリハビリ開始時に原職復帰の可能性があったことは、伊藤医師も明言しており(伊藤第22回33頁)、それが本件転倒事故を経て、介助者が必要で「自力通勤、自力勤務」ができない状態に固定されたと公的機関が認定したことは、転倒による障害の悪化という事実を客観的に裏付けるものである。また、原職復帰が困難となり、現に生活保護の受給を余儀なくされているという事情は、雇用基準の是非とは別に、慰謝料の算定上、十分考慮されるべきである。 三 本件事故の事後対応による損害 1 本件事故の事後対応による損害 本件事故の事後対応による損害は、事後対応が適切でなかったことによる精神的損害であり、これについては、侵害行為の態様を考慮して損害額を認定すべきである。そこで、侵害行為の内容を整理つつ損害(慰謝料)の内容を主張する。 2 転倒事故発生直後の被告の対応による損害 原告は、転倒直後は、車椅子で移動し、ロビーで横になって休み、両杖歩行の訓練はしないですませたが(原告本人第18回13頁から16頁、甲16の2 2月26日の欄)、そのあと、予定されていた作業療法訓練を行なおうとした。しかし、左手が震えてピンセットを掴むことができず、また、両手を挙げていることが困難だったため、プログラムは不十分にしか消化できず、座っていることも困難になって、中止を余儀なくされた(原告本人第18回16頁から18頁、甲16の50 2月27、28日の欄)。昼食後には、歩行訓練に代えて車椅子でセンター内周を2周する訓練をさせられたが、それ以上はできずに中止を余儀なくされた(原告本人第18回20頁から22頁、甲16の2 2月26日の欄)。そして、4時に訓練を終えたものの、PT室から玄関先に出るまでに1時間近くかかった。そしてようやくの思いで一人で帰宅した(原告本人第18回28頁から29頁)。 頸椎症性脊髄症で手術後リハビリをしている原告が転倒したことの重大さからすれば、事故後直ちに医師が診察するなどの医学的対応をし、安静を指示して訓練を中止し、自宅に送り届けるべきであった。転倒事故時、伊藤医師は、同じ部屋の中にいたにもかかわらず、原告に何ら注意を払わなかった(原告本人第18回35頁)のであり、被告とすれば容易にできたことすらしなかったのである。 そのために転倒事故により心身共にダメージを受けた原告は、苦痛と不安を感じながらも無理をして予定されたプログラムを消化しようとせざるを得なかった。1階の食堂で、原告は被告職員に対して、PT訓練時の転倒の状況、身体の具合が悪いこと、症状が悪化して、税金の確定申告のために税務署に行ったり、更新した免許を受け取りに行くことができなくなるのではないかとの不安を語った。また、南共済病院に転倒のための受診をしたい旨相談した(甲16の2の平成3年2月26日の欄)。しかし、これらの不安や要望に答えてはくれず、原告は当日の帰宅、その後の医師への受診、リハセンターへの連絡等をすべて原告自身ないし原告の知人の協力を得てするしかなかった。その精神的苦痛は重大である。 3 事故後の療養指導、原因調査・究明義務の不履行による損害 事故後安静を必要としていた時期は、単独・自力で外出できなくなった原告の状況を把握し、今後のリハビリをどうするかについて、原告の意向も踏まえて方針を示し原告に不安を与えないようにすべきであったし、事故原因について誠実に調査し事実を解明すべきであったところ、実際には、不誠実な対応に終始し、原告の精神的苦痛を増大させたのである。 事故の内容について、きちんとした調査もせずに、事実に反することを述べ、原告が違うと言っても全く聞く耳を持たない対応に終始した。そして、事故についての被告の報告書を渡すにあたっては、外出が容易ではない原告に自ら取りに来るよう求めた(原告本人第19回5頁)。しかも、それには見取図や「図1ないし5」が書かれている別紙をあえて取り除かれており、しかも、ロールを落としたのを他の患者のせいにしたり、原告が事故後定例の訓練課題を消化した旨書かれていたりと、あまりに事実に反する文書であった。そこで、4月26日、原告は、庄子氏らと会い、報告書の内容の不当性を訴えてこれを返すとともに、転倒事故の原因を明らかにし対策を講じること及び原告に対し謝罪することを求める要望書を渡した。このやり取りは原告に大きな精神的苦痛を与え、原告は怒りすらおぼえた(原告本人第19回8頁から10頁)。その後も、原告に言い分があれば書面で出すようにと突っぱね、真摯に事実を解明しようとしなかった。 7月10日、原告が伊藤医師に受診したところ、リハセンターでリハビリを再開することは受け入れられないと述べた(原告本人第19回23頁から24頁)。 また、9月12日に原告が伊藤医師の診察を受けようとしたところ、伊藤医師は、原告の顔を見るなり、「何しにきたのか」と述べ、「リハビリセンターとしては受診は必要とは考えていない」等と述べて、診察自体を拒否するところとなった(原告本人第19回26頁から29頁、甲7)。リハビリ再開のために必要だから受診するように言われて行った原告は、このようなことを言われ、大きなショックと精神的苦痛を受けた。 その後も、杉井医師の診断書を提出したり、リハセンターが杉井医師に面談させてくれと求めれば、それにも同意したが、被告は原告の支援者が前年の9月にまいたビラの記載をとらえてリハビリは無理だと言い出すなど、とにかく結論を先伸ばしにするばかりで、休職期間の迫っている原告は不安と焦りにさいなまれた。このことによる精神的苦痛も大きい。 4 リハビリ再開を拒否されたことによる損害 翌年の1992年3月18日、原告はリハセンター内で庄子氏及び伊藤医師と話合いをし、被告はあくまでリハビリ再開に応じないことを明らかにした。 福祉事務所による原告のリハセンターへの入所措置はそのままであったのだから、症状が安定した時期には、リハセンターにおいてリハビリを再開すべきであった。 そして、大成医師も、杉井医師も、リハビリを再開すべきとの診断をしていた(甲43の1及び2 杉井医師の回答第2項等)のであり、これに対して、伊藤医師がリハビリを拒否した理由には何ら医学的合理性はない(伊藤第22回122頁から125頁)。通常医師としてすべきことである(石川第28回52頁)、他の病院に紹介することすらなかった(伊藤第22回76頁)。 休職期間が翌年の4月までと限られているなかで、職場復帰のためのリハビリをするためにさまざまな苦痛に耐えてきた原告にとって、少しでも早いリハビリ再開は、切実な希望であった。これを一蹴するように拒否した被告の対応は、自己の存在意義を否定するにも等しい基本的な義務違反であり、これにより原告から職場復帰の機会を奪ったものであり、その精神的損害は重大である。 四 損害のまとめ 一ないし三の精神的苦痛に関する慰謝料は、合計金2500万円を下るものではない。 将来の介護費用相当の損害は、前記二のとおり7777万8580円。 弁護士費用は金1000万円を下るものではない。 よって、損害額の合計は、請求の趣旨記載のとおり、金1億1277万8580円となる。 以上 |