96.5.9
Q(森田).(甲第17号証を示す)これは南共済病院のカルテですけれども、このカルテは分かりますね。 A.はい。 Q.18ページに平成3年4月18日の記載がありますけれども、これは大成医師に診てもらったということですね。 A.はい。 Q.このときのことですけれども、このカルテには吐き気ほとんどなしと。あと頭痛については特に書いていないんですが、頭痛についてはあると言ったか、ないと言ったか覚えありますか。 A.頭痛はあります。 Q.(甲第16号証の2を示す)4月18日と書いてある欄ですけれども、「ボランティア相田氏より南共済病院受診結果について」ということが書いてありますね。 A.はい。 Q.この中で、「大成Dr.は、今後はつらくても訓練をするよう促し、南共済病院での訓練を促す」と。「本人から大成ドクターへ」「@通院するのに、自分で車を運転することができないので、タクシー代など追浜まで交通費がかさむ」「A車いすで電車に乗る訓練をリハセンターで行っていない」「B水の中での訓練をリハセンターで行っていない」「以上により、訓練をリハセンターで行いたい旨、本人は大成Dr.に訴え、大成Dr.は了承したと」と書いてあります。これは、あなたが相田さんにたのんで、4月18日に大成医師とやり取りをした内容を伝えてもらった内容ですか。 A.はい、そうです。 Q.実際、大成医師は今のようなことを、あなたに言ったわけですね。 A.そうです。 Q.この後ですけれども、今の4月18日の欄の次のベージを見てください。これはメモのようですけれども、訪問は26日、15時ごろとありますけれども、これはリハセンターからあなたに連絡をされた内容ということですか。 A.はっきり、すみません、これは記憶にありません。 Q.26日にリハセンターの人と会うという約束をした記憶はありますか。 A.向こうから日にちを設定して頼んでくるということはありました。 Q.その26日以前に、転倒事故の状況についての報告書を出してくれということを求めたことはありますか。 A.あります。 Q.結果的には、その報告書のようなものは受け取っているんでしょうか。 A.はい、一回いただきました。 Q.(甲第2号証を示す)「(参考)」と書かれているものですが、そのときに受け取ったのがこれですか。 A.はい。 Q.いちいち示しませんが、甲第16号証の2の記載によると、4月22日にあなたがリハセンターへ行って、これを受け取ったということのようなんですが、それは間違いないですか。 A.はい、そうです。 Q.どうしてあなたが直接受け取りに行くことになったんですか。 A.事前に、その次の交渉に入っている日にちの前にリハセンター側に対して報告書を前もって私に出してほしいというふうに申し入れをしておきました。で、これをくださったのが、その前のときで、これは報告書の一部だという形で私にくださいました。 Q.端的に聞きます。あなたは、直接自分で受け取りに行く前に、あなたは車椅子に乗っていて大変だから、ほかの人に取りに行ってもらおうとしたことはないですか。 A.あります。 Q.これは、断られたんですか。 A.本人の評価判定が書いてあるから、本人に直接渡したいと……。 Q.それで、あなたが直接行ったわけですか。 A.はい。 Q.それで受け取ったのが甲第2号証だということですね。 A.そうです。 Q.(甲第16号証の39を示す)これは、先ほどの甲第2号証と比べてみますと、甲第16号証の39の1枚目の2の標題のところに書かれている本文6行目から、その文章の下から7行目までの部分と、先ほどの甲第2号証の文章は全く同じであるということでよろしいですか。 A.部分的には同じ文章です。 Q.つまり、甲第16号証の39の一部分を取り出したものが甲第2号証であるということですね。 A.はい。 Q.それと、甲第2号証のほうに「図1から図5に示す」という記載が下から3行目にあるんですけれども、この図1から図5というのは、あなたがこれを受け取ったときにはついていなかったわけですか。 A.ついておりません。 Q.あなたが甲第2号証をもらうときに、本文中に図と書いてあるのに、ついていないということには気がつきましたね。 A.はい。 Q.そのことについては何か聞きましたか。 A.はい。図がないということを申しましたら、先ほど申し上げた、これは報告書の一部であるということと、評価判定が書いてあるということも言われました。 Q.図もつけて出してくれということは言いましたか。 A.図がないと分からないと……。 Q.その図面を出すことは断られたわけですか。 A.断られました。 Q.何か理由がありましたか。 A.先ほど言ったとおりです。 Q.評価判定にかかわるからということですか。 A.はい。 Q.あなたは、今の図をつけてないということ含めてですけれども、それと甲第2号証の記載内容を見て、どういうふうに思いましたか。 A.あまりにも事実と全く違うことがあります。ロールを落っことしたのを私以外の患者のせいにしたり、それから「定例の訓練課題を消化しました」、これはまったくのウソであります。そして、実際にロールが落ちた、どうして落ちたかという事実を含めて、何の見解も申してないということに対して、おかしさというよりも非常に怒りをもちました。 Q.あと、本人が取りに行かなければ渡さないということだったけれども、内容を見て、あなたはそういうものだと思いますか。 A.いえ、これを見て、だれが見ても大丈夫なものでしかないと……。 Q.(甲第16号証の2を示す)4月26日のところですが、先ほども話に出ましたが、4月26日にリハセンターの人と会っているわけですね。 A.はい。 Q.そのときの内容をリハセンター側が記載したのがこの部分であるということになりますね。 A.はい。 Q.ここにいろいろ経過が書いてありますけれども、いろいろ言いませんけれども、あなたの側とリハセンターの側とではそうとう厳しい言葉のやり取りがあったということなんでしょうか。 A.そうです。 Q.それは、どうしてそういうことになったんですか。 A.事実と違うこと、平気でウソをついているということが一点。それから、リハセンターでは事故というものはありません。かつてもなかったし、今もこれからもありません。徳見さんのは事故ではなく事象である、だから責任はとる必要はない、そういうような内容もありました。それに対して怒りました。で、支援者の人も含めて、ロールを落っことしたのを患者さんのせいにしたり、そういうことで事故そのものをなかったことにするということに対しては、みんなが許せない、怒りをもって、この日、強くあたったという状態です。 Q.今の4月26日の記載の次のページですけれども、真ん中あたりに、図を示してほしいと主張したけれども評価が含まれるので出さないと返答するという経過がありますけれども、この日も、その図面を出す出さないというやり取りがあったんですね。 A.そうです。 Q.この後で、リハセンターのほうから徳見さんに対して、じゃあ、徳見さんの側から事故の状況はこうだったということを書面で出してくれということを言われていますね。 A.はい。 Q.それで、その事故状況をまとめるために、リハセンターに依頼をして、事故の起こった現場で再現をさせてもらったことがありますね。 A.はい。 Q.(甲第1号証末尾添付の写真@ないし写真Gを示す)これは、リハセンターの現場で再現をしたときに写した写真ですね。 A.はい、そうです。 Q.それぞれ、写真@とか写真Aとか書いてあるところに書いてある状況説明に対応する状況をあなたが記憶に基づいて再現したものですね。 A.はい、そうです。 Q.(甲第3号証を示す)これは1991年6月25日づけの報告書なんですけれども、先ほどの現場での再現を踏まえて、あなたの側で事故状況をまとめたのが、この報告書ですね。 A.はい。 Q.これは、この年の6月25日に提出しているわけですね。 A.はい。 Q.(甲第4号証を示す)これは同じ年の7月9日づけの書面ですけれども、これはこちらから提出しました先ほどの甲第3号証に対して、リハセンターの側がリハセンターの認識と一致している部分について線を引いてきたというものですね。 A.はい。 Q.実際に線を引いてあったのは、甲第4号証の2枚目に引いてある程度だけだったんですね。 A.はい。 Q.あなたは、これを見て、どう思いましたか。 A.これは、事故そのものの真相究明を明らかにして、事故がない状況にするというよりも、こちら側の出した報告書と向こう側の見解でまとめられた報告書なるものの一致点とか、言葉尻の違うところを分析したと。ただそれだけの比較を被告側が出したということです。 Q.(甲第5号証を示す)これは、先ほどの甲第4号証より後に出してきた書類で、今度は双方の認識の不一致点について出してきたということですね。 A.はい。 Q.これについてはどうですか。 A.これのほうが、言葉尻をとらえただけの書類のような気がします。 Q.で、リハセンター側からは、こういった一致点とか不一致点という形で応答はあったんだけれども、先ほどの甲第2号証の図1から図5というものは結局最後まで提出されなかったわけですか。 A.はい。 Q.それで、裁判になって、先ほどの甲第16号証の39というのが図面つきで出てきたということですね。 A.はい。 Q.(甲第36号証を示す)これは平成4年8月10日づけなんですけれども、先ほどの甲第4号証、甲第5号証といった時期よりもずっと後になって、交渉の過程でリハセンターからあなたあてに出された書類ということになりますか。 A.はい。 Q.これの3枚目に「訓練ロールの接触の模様について」という文書がありますね。 A.はい。 Q.その文書が一番最後に図面がついていますね。 A.はい。 Q.事故状況について、リハセンターが図面らしきものを出したのは、このときが初めてですか。 A.そうです。 Q.(甲第16号証の39を示す)これの2枚目の図面と甲第36号証の図面を比較してもらえば分かりますけれども、この二つの図面は同じ事故のことを書いたものだけれども、書き直された図面、まったく同じ図面ではありませんね。 A.違う図面です。 Q.要するに、裁判外では甲第36号証のようなものが出されていたということですね。 A.はい。 Q.(甲第17号証を示す)20ページ、平成3年5月30日のところを見てください。このときも大成医師にかかっているようですけれども、ここに「信頼関係が失われている」という記載があるんですけれども、これはどういうことか分かりますか。 A.はい。ちょっと長くなってしまいますが、リハセンターで転倒後、最初に行ったのが転倒から2日後、それからさらに1週間後。1週間後あたりから大成ドクターの、私――患者に対する対応がだんだん悪くなりました。で、私の知人、出身の大学は横浜市大の女医さんです。リハセンターの伊藤先生も横浜市大のドクターです。そして、首の手術をしてくれた大成ドクターも横浜市大の方です。で、5月30日前のできごとなんですが、転倒事件をめぐって、私の友人の女医さんがリハセンターに抗議の電話をいれました。伊藤ドクターにです。伊藤ドクターに電話したところ、あなたは非常に私の大事な仕事の時間、1時間を費やしたと、この1時間を無駄にさせたんだから、あなた、その女医さんに対してですが、伊藤ドクターが徳見さんが青い芝と手を切るように説得をしろと、これは5月の連休中の出来事でした。そして、それと同時に、青い芝の入院されている患者さん、そして外来にかかっていた青い芝の首の患者さんに対して、徳見に協力するな、徳見は変な人だからかかわってはいけない、徳見に協力するならば、青い芝の人たちの首の手術を自分はやってあげないぞという形で青い芝の方たちに医療の妨害を含めてありました。で、私は大成先生に、どんないろんな動きがあろうとも、患者と医師という関係で患者を診てほしい、治療してほしいということを申しました。そして、更に、外来でかかっていた小山さんという方ですが、青い芝の事務局長さんに向けて、自分と、大成とリハセンターは上下関係があるんだ、だから困るんだという旨のことを小山さんに言われました。で、この5月30日、私は、今申し上げた、お願いですから、当たり前の患者と医者という関係で患者を診てほしいということを申し上げましたら、おまえは何様だと思っているんだと申されましたので、私はリハビリを再開したいんですと申したところ、大成ドクターは席を立たれて、そこの診療所の診療の場から消えました。そのときの日にちが、この5月30日です。 Q.そういうやり取りがあったときに、この信頼関係うんぬんという記載がされたのではないかということですね。 A.そうです。 Q.で、主治医を代えた後も、南共済病院に時々行っているようですけれども、これは何のためですか。 A.職場のほうにお休みの手続きをするために、そして、このころは健康保険のほうから傷病手当という形で生活費が、傷病手当金で賄っていましたので、それの書類の手続きをずっと南共済病院でやってましたので、その更新の手続きのために行きました。 Q.それで、新しい主治医はどこの病院の何という人ですか。 A.そのころは、武蔵野にあります日赤の病院の杉井というドクターです。 Q.武蔵野というのは、東京都の武蔵野市ということですね。 A.はい。 Q.どうして、武蔵野の赤十字病院に行くことにしたんですか。 A.非常に残念ながら、首の手術を一回受けたものは、首の手術をした執刀医に、手術の責任含めて、通常、医師と患者の関係を10年間続けます。ところが、患者として医療がきちんと受けられないような対応をされたときに、首にアクシデントがあったときに、代えるというのは非常にきついことでしたが、代えざるをえないということを申し上げました。そして、横浜市大という学閥では私の医療はきちんと受けられないだろう、先ほどの医療妨害を含めてありますので、それで学閥を変え、きちんと私の首を当たり前に診てくれる医者を探した、それが武蔵野日赤に移る過程です。 Q.この年の6月からはそちらに行かれたわけですね。 A.はい。 Q.(乙第6号証を示す)27ページを見てください。平成3年7月10日に、あなたはリハセンターで伊藤医師の診察を受けていますか。 A.はい、受けております。 Q.この27ページというのは、そのときの伊藤医師のカルテをワープロ打ちしたもののようなんですけれども、ざっと目を通してもらって、そのときのやり取りは思い出せますか。 A.だいたい思い出します。 Q.その文書の一番左の欄の真ん中あたりに、「以前に、舗装具室で転倒した時は何でもなかったが、今回訓練室で転倒してから症状が多発、と本人は言う」というふうに書いてあるんだけれども、あなたはこういうことを言った記憶はありますか。 A.転倒したのは2月26日以外はありません。補装具室で転倒しかかって、このときは高塚ドクターが転倒を防ぎました。 Q.そういう趣旨で話したということですね。 A.はい。 Q.この日のやり取りで、あなたの記憶に残っているのはどういうことですか。 A.伊藤ドクターが、私の体のいろんなところを細かく見なくても明らかに具合が悪いということは分かる、今大事なのは、頭痛含めて、リハビリよりも体の具合が悪いときは休みなさいということをおっしゃった。それから、ここにもいろいろ書いてございますが、診察の経過の細かいことだけではなくて、私自身、転倒前の体と転倒後の体、どういう体であっても職場復帰をしたいという希望がありました。職場復帰に向けてのリハビリをリハセンターでやろうということでやってほしい、いつリハビリを再開してもらえるんだろうか含めてのやり取りを、ここの文書の中には、ないものの中で私自身申しております。 Q.今後のリハビリについて、伊藤医師はどういうことを言ったか覚えていますか。 A.徳見さんの申すリハビリというのは、理想的なリハビリだと。ただし、徳見さんの申すリハビリをやると、厚生省からクレームがつく、徳見さんがここに来ているお金は措置費というものでまかなわれていて、理想とするリハビリをやると、措置費を打ち切られるので、残念ながら日本ではこの程度のリハビリしかできないのだというふうにおっしゃられていました。 Q.それと、同じところの真ん中の項目の上のほうに、これは検査結果の記載だと思いますけれども、PTR、膝蓋腱反射、やや亢進、ATR、アキレス腱反射、やや亢進、という記載がありますね。 A.はい。 Q.こういった検査もそのときやったわけですね。 A.やりました。 Q.(甲第17号証を示す)22ページを見てください。7月25日にも大成ドクターの診察を受けていますね。 A.はい。 Q.このとき、リハビリについて何か大成ドクターは言っていましたか。 A.武蔵野日赤の杉井ドクターもリハビリをとにかくやりなさい、大成先生も転倒後2回めの診察からリハビリをやりなさいとおっしゃっています。で、リハセンターは医者の確認がなければできないと申しますので、書類提出のときに再度リハビリを私はやりたいんだけれども、大成先生、やれる状態ですよねという確認でこのとき行っております。 Q.21ページを見てください。これは8月30日に行ったときの記録のようですが、このときは大成先生ではないんですね。 A.Vと書いてありますから、これは南共済病院の院長の山田先生だと思います。 Q.このときには、やはり検査をしているわけですか。 A.はい。 Q.ここを見ますと、先ほどの伊藤医師のカルテと同様に、PTR、ATRという記載がありますね。 A.はい。 Q.ここには、プラスの縦が3つ引いてあるのが書いてありますね。 A.これはどういう意味か分かりますか。 A.かなり亢進が強いという印です。 Q.(甲第7号証を示す)その後、9月12日に伊藤医師の診察を受けに行ったことがありますね。 A.はい。 Q.この甲第7号証には、そのときの経過が書いてあるようなんだけれども、9月12日に診察を受けにいく経過は甲第7号証の1のところに書いてあるようなことでよろしいでしょうか。 A.はい。 Q.(甲第6号証を示す)これは9月12日のことについて、後でリハセンターから出された文書なんだけれども、リハセンター側の記載によると、受診はそもそも徳見さんのご希望でなかったということが書いてあるんですけれども、9月12日は実際にどういうことが起こったんですか。 A.リハビリ再開をめぐって、リハセンター側が日にちを設定するというんで、設定されたのが9月12日、向こう側がリハビリの診断のために設定した日にちがこの9月12日、その日に私が行ったということです。 Q.9月12日に来るようにということは、私、つまり弁護士の森田が中に入って聞いて、あなたに伝えたということですね。 A.そうです。 Q.で、9月12日に行って、どういうことがあったんですか。 A.伊藤ドクターの診察のところへ行きました。指定された時間に行きましたら、何しに来たんだ、一喝されました。で、私は、リハビリを再開したいんだということを言いました。診断はしないと、それ以上は伊藤ドクターからの話は何もありませんでした。 Q.先ほどの甲第6号証によると、あなたが受診を希望していなかったということが書いてあるんだけれども、そういうことを言った記憶はありますか。 A.リハセンターが設定したから来たというふうな言い方をしたんです。 Q.あなたのほうが診てもらうことを拒否したわけじゃないんですね。 A.何しにきたのかで……。 Q.それで、その後、そのときの経過についてやり取りをしたのが、この甲第6号証、甲第7号証ということになりますね。 A.はい。 Q.この辺はまとめて言いますけれども、甲第7号証の最後のほうに、レントゲン写真の貸し出しについてということが書いてありますね。 A.はい。 Q.これは、あなたの主治医の杉井ドクターがリハビリ再開の必要性を含めて判断するうえでレントゲンを借りたいということで、その旨リハセンターに申し入れをしたということですね。 A.はい、そうです。それと、治療上、転倒前と転倒後の様子の比較のレントゲンを借りてこいという指示があったからです。 Q.そのレントゲンは、リハセンターから借りて、杉井医師に診てもらったということですね。 A.はい。 Q.(甲第8号証を示す)これは、その今の経過にもかかわりますけれども、要するに、病状について主治医の所見を出してくれということをリハセンターが求めてきたというのが、この甲第8号証ですね。 A.はい。 Q.(甲第9号証を示す)2枚めを診てください。そうした経過を踏まえて、杉井医師が書いた診断書がこれだということになりますね。 A.はい。 Q.1枚めを見てください。この書類は、今の杉井医師の診断書を踏まえて、リハビリ再開をしてくれということを改めて申し入れた書類ですね。 A.はい。 Q.それで、リハセンターのほうは、主治医の診断を踏まえた上で、なおかつリハセンターのほうの担当医の診察が必要であるということを言っていたので、それを要求したわけですね。最後のところですけれども。 A.そうです。 Q.(甲第10号証を示す)これは平成4年1月の文書ですけれども、これは甲第9号証に対してリハセンターの側から出された通知ですね。 A.はい。 Q.これは要するに、これに添付されているビラがありますけれども、このビラのなかには体調の不調などの身体状況があるから、そうだとするとリハビリ再開は難しいと、そういう趣旨の回答なんですね。 A.はい。 Q.この甲第10号証に添付されているビラですけれども、これはいつごろ配られたものか分かりますか。 A.これは、転倒の年の9月です。 Q.この甲第10号証の文書自体は平成4年1月、つまり翌年の1月なんですけれども、これまでの間に、このビラを理由にリハ再開ができないということを言われたことがありますか。 A.そういう事実はありません。 Q.その後、平成4年2月12日に今の内容について話し合いをしていますね。 A.はい。 Q.(甲第11号証を示す)これはリハセンター側の文書ですけれども、これによると、2月12日の話し合いの中で身体症状がなくなったということを聞いたので、改めて杉井医師の考え方をリハセンターが直接問い合わせをしたいという申し入れになっていますね。 A.はい。 Q.これについては承諾をしたわけですか。 A.どうぞ杉井先生のところに聞きに行ってかまいませんと申しました。 Q.これは、その後直接聞きに行ったというふうに聞いていますね。 A.その結果についてはうかがってません。 Q.聞きに行ったかどうかについては分かりませんか。 A.はい、分かりません。 Q.(甲第12号証を示す)これもリハセンター側からの文書ですが、これによると、時期的におそらく杉井医師に聞きに行った後だと思われますけれども、3月18日にリハセンターで診察をしたいという通知ですね。 A.はい。 Q.それで、3月18日に行ったわけですね。 A.はい。 Q.(甲第13号証・甲第14号証を示す)これは、その3月18日の話の内容について文書で確認するために、こちら側から問い合わせをしたのが甲第13号証で、それに対する回答が甲第14号証であるということになりますね。 A.はい。 Q.結論的には、伊藤医師あるいはリハセンターの考え方はどういうことだったんでしょうか。 A.ここではリハは行えないと、首の脊髄の悪い者はリハセンターでリハビリをやるのには責任がもてないと、総合的な病院へ行けと、それから、そのときは森田弁護士が帰られた後、リハセンターの原さんが、先生ぬきで小人数てお話しをしませんかと申しました。どういう意味かは非常に予想はつきますが。 Q.それに対して、あなたはどう対応したんですか。 A.そういう卑怯なやり方は、私はしたくないと申しました。 Q.結局、リハセンターとしては、リハビリを再開することは、この時点で最終的に拒否をしたということなんですね。 A.そうです。 Q.この間ですね。ずうっとあなたのほうはいろいろ主治医に診断書を書いてもらったりとかして、リハビリ再開を要求してきたわけですけれども、それに対するリハセンター側の対応についてどういう印象を持っていますか。 A.リハセンターの中で起きた事故については、リハセンターの中できちんと真相を究明して、そして、次の事故があってはならない状況を含めて、検討することなしに、私一個人かもしれませんが、リハを再開させない、引き延ばし、引き延ばし、これは障害者にとっては非常に、リハビリを本来やるリハビリテーションセンーで障害者にこんな扱いをされては非常にまずいということです。そして、リハビリ再開を拒否された時点では休職期間が非常に残り少なかったんです。で、急性症状が取れているにもかかわらず、私の体は転倒前と機能的には大幅に違っていました。そこらへんで非常に職場復帰に焦りました。介助者をたくさん集めなかったら、生活も、さらに職場復帰もできない状況、介助人探しを含めて、全生活を職場復帰、介助人集め、そして、リハセンターでこんなことがあってはならない、これについての運動をやらざるをえない、やらなければならない、これがもしかしたら本来のリハビリなのかなということで。私自身の生活は子どもと娘の二人だけでしたので、まだまだ手のかかる年齢で、非常に難しい年頃の年齢、それでも、私は、子どもを含めて、人を集めながら一生懸命生きていくために、今に至っているわけです。 Q.リハビリを拒否したときに、リハセンター側がほかに適当な病院を紹介すると、そういったことはあったんですか。 A.いっさいありません。 Q.それで、結局、その後リハビリはどうしたんでしょうか。 A.杉井ドクターが日赤病院からご自分で診療所を独立され、その先生のリハビリの指示を出されたものに従ってますが、実際にリハビリをやる場所は、武蔵野まで通うのが大変なので、横浜でとにかく探せということなので、私が長期に職業病にかかっていたお医者さんに相談し、そこでリハビリだけ受けさせてもらったということです。 Q.何という病院ですか。 A.汐田病院といいます。 Q.汐田病院というのは、鶴見区にある病院ですね。 A.はい。 Q.そちらに通いながら、主治医としては杉井医師と、いってみれば変則的な形のリハビリをしたと。 A.はい、そうです。 Q.汐田病院でのリハビリとリハセンターで以前やっていたリハビリとは、どんな違いがありますか。 A.リハビリテーションセンターのリハビリの内容は、被告側の書類、それから裁判所に提出した書類にほぼ書いてある大体とおりです。それと比較して申しますが、汐田病院での歩く距離は平行棒の中を腰ひもをつけてリハビリのPT医師が腰ひもを持ち上げながら平行棒の中を2往復、調子がいいときは3往復、距離にすると、腰をつかまえて引き上げた形で10メートル行くのが最大の状態です。その訓練、そして、車椅子から平行棒をつかまって、もしくは足を添えながら立ったり座ったりの訓練が10回まで、これ以上やることは筋肉を痛めるんで、この状態のリハビリだと言われました。 Q.(甲第28号証を示す)これはあなたが作った年表ですね。 A.はい。 Q.4枚め、最後のページですが、これによりますと、92年4月25日で休職期限が切れて、その後、26日からは欠勤扱いになったということですね。 A.はい。 Q.この欠勤扱いということは、その間はもう収入がないということですね。 A.欠勤という形は、収入がゼロということです。 Q.その後、94年の5月から生活保護の需給を受け始めたわけですね。 A.はい。 Q.(甲第33号証、甲第34号証を示す)甲第33号証は、平成7年1月19日をもって免職するということを、あらかじめ知らされてきた通知書ですね。 A.はい。 Q.この免職の辞令が甲第34号証ということになりますね。 A.はい。 Q.これで、結局、従来勤務していた横浜市学校保健会の職員としての身分を失ったということになるわけですね。 A.はい。 Q.この理由とされている甲第34号証に書いてあります横浜市学校保健会職員の任免などに関する規定ですか、三条三項二号ということなんですけれども、大体こういうことでよろしいんでしょうか。 A.はい。 Q.心身の故障のため職務の遂行に支障があり、又はこれに耐えない場合というような項目ですか。 A.はい。 Q.今の項目を具体的にはどういうふうに説明を受けてますか。 A.単独で勤務地まで通うことができない、自分で勤務をすることができない。 Q.あなたは転倒後に車椅子に乗らないと生活ができないことになったということで、それに当たると。 A.いいえ。車椅子に乗ったことというよりも、車椅子で自力で勤務できていれば、それは首にならなかったと思います。他人介助により通勤、他人介助を必要とする職員は職場復帰がだめだということです。 Q.あなたは、これに対して、職場に戻してくれないかという要望を出していますね。 A.はい。ずうっと今もやり続けています。 Q.ただ、この保健会の側は、今のところそれには応じていないということですね。 A.はい。 Q.この裁判を起こすときに、損害の内容として、要するに、あなたとしては、仕事ができなくなったことの損害を求めるのではなくて、仕事をするうえで介助者が必要になった、その介助者の費用についての請求をしているということはご承知ですね。 A.はい。 Q.現在は日常生活の中でも介助者がついた形で生活をしているわけですね。 A.はい、そうです。 Q.その介助者にかかる費用などはどうしていますか。 A.常勤でいてくださる方に対してはほとんど借金です。そして、残りの通いで来てくださっている方に対しては、交通費も出せない状態で、あくまで介助者にお借りしているという関係の中で介助体制を組んでます。 Q.あなたにまだ支払い能力があった時点では支払いもしていたんですか。 A.はい。 Q.(甲第31号証の1、2を示す)これは身体障害者手帳を取るときに、大成医師に書いてもらった診断書ということでよろしいですか。 A.大成医師とそれからリハビリのPT医師が書いたものです。 Q.これは、ここに書いてありますけれども、平成2年の5月に書かれたものですね。 A.はい。 Q.転倒事故前ということですね。 A.はい。 Q.(甲第32号証を示す)裏を示しますと、これは平成5年の1月20日に書かれたもので、先ほど証言にありました汐田総合病院の医師が書いたものですね。 A.はい。 Q.これは事故後の体の状況についての診断書ということですね。 A.はい。 Q.詳しい中身はこれを比較すればいいと思うんですけれども、あなた自身の生活の実感として、転倒前後でどういう違いがあるのか、いくつか主な点に絞って言ってもらえますか。 A.今まで長下肢装具とロフストランド2本を使えば、そして、長距離の外出時は自分で車の運転、この2つの組み合わせでどこにでも外出できていた状態から、右足の痙性麻痺がひどくなり、右足が左足装具を持ち上げて踏ん張る力が非常になくなってきた。そして、カクカクッと足が揺れてしまう。そういう中で、車の運転ができない、家の中も非常に短い距離、本当に数歩つかまり立ちして一回座るという形でしか動けない状況の中で、職場復帰をあくまでも求めて介助者をつけて行動範囲を今までと同じに今保っている。そのためには介助者、これなくしては前と同じ状態にはいられない。装具を持てない。 Q.従来使っていた装具についてはどうですか。 A.持ち上げる力、平行棒の中をたて続けに9歩ぐらい歩いてお休みして戻ってきて、それを腰ひもを持って、というぐらいの距離……。 Q.しか歩けなくなったということですか。 A.はい。 Q.事故前は長下肢装具をつけた状態で歩くことができたわけですね。 A.そうです。 Q.(甲第35号証を示す)これは汐田総合病院の医師から九段坂病院というところにあてての紹介状ということですが、これはどういうことで書いてもらったんですか。 A.職場復帰交渉に向けて長期戦にかかるという私の判断の中で、脊髄症状が今の状態と変化することはもうないかどうか診てもらうために診察してもらいたく、紹介状を書いていただきました。 Q.九段坂病院での判断はどうだったんですか。 A.九段坂病院では再手術をしても改善の余地はない。リハセンターの裁判とかそういうのは自分にまったく興味がないけれども、医学的な観点から想像するに、細かい脊髄の損傷、それしか考えることはできないと。 Q.それは、転倒の際にそういう損傷が起きたんではないかという意味ですか。 A.そうです。これは、汐田病院のこの医師も、急激にいつから出たかというふうに問診の中で聞かれる中で、いつごろだと言ったときの説明がここにも書いてあります。さらに、杉井ドクターも細かい脊髄の損傷、それしか考えられないと申しておりました。 Q.最後に、一連のリハセンターの経過について何度かあなたの気持ちについて述べてもらいましたけれども、これまでで十分に言い尽くせてないところがあったら、要点をまとめて述べてもらえますか。 A.ほとんど今まで言い尽くしていることのまとめになるかもしれませんが、障害者を当たり前の人間として扱ってほしい、事故があったらきちんとした事故対応をするべきである。ウソをついてまで、そして、医療に対しての妨害を与えてまでねじ伏せるのはやめてほしい。本来のリハビリとは障害者当事者その人が何をしたいか、どういう人生を生きたいか、これに専門家の人たちが目を向けてほしい、そういう気持ちがいっぱいです。 被告代理人 Q(栗田).(甲第16号証の58を示す)これは平成2年の9月5日なんですけれども、あなたは桂医師の診察をお受けになっていますね。 A.はい。 Q.(第17回口頭弁論、原告本人徳見康子の速記録を示す)7ページめですが、これによると、そのときあなたはリハセンターのリハビリに対し、職場復帰に向けてのリハビリしたいんで申し出られたということですね。 A.はい。 Q.これに対して、桂医師は、その次のページになりますけれども、それに向けて訓練を行なうには集中的なリハビリが必要であると、そういうふうな回答をしたということですね。 A.はい。 Q.このとき、あなたは、桂先生から集中的リハビリと言われて、集中的リハビリとはどのようなものだとお考えになりましたか。 A.集中的なリハビリというのは、ある期間に毎日長い時間かけてそこでリハビリをする、そういうことです。 Q.そのリハビリというのは、あなたの考えでは主にどのようなもの。 A.職場復帰に向けての、たとえば私の体が訓練をすることによって限度だったらば、違う方法で道具を作るなり、違う姿勢で違うやり方で職場復帰をするためのヒント、それを相互に作っていくと。 Q.どちらかというと理学療法、作業療法もありますけど、そのようなものを予定されていたんですか。 A.理学療法だけじゃなくって、道具の作成、大きな歯の模型と大きな歯ブラシを両手で持って指導するときにどうしたらいいか、長時間立って、人にお話をするときのあり方はどうしたらいいか、それが職場復帰に向けての大きな私の困難さというか、問題の解決できていない部分でしたので。 Q.いってみれば、補助装具とかを含めて、機能的な改善を図ると、そういうことですか。身体的な、機能的な改善を図るというのが集中的なリハビリと。 A.身体的を含めてです。 Q.(甲第16号証の58を示す)2ページめですが、診察した桂先生ですね。それから、大成先生ですか、これは徳見さんの主治医であった方ですね。 A.はい。 Q.それへの回答のようなもので、これによると、「機能的側面よりも、社会的・職業的な面での援助を通じて心理的にもsupportしていきたいと考えております」と、こういうふうに書いてあるんですね。これは、どちらかというと、機能的側面よりも、ほかのことですね。社会的・職業的な面、又は心理的なサポートというふうなことが書いてあるんですけれども、あなたのリハビリに対する認識と桂先生が考えられていたそのリハビリというのはどうも食い違いがあったのではありませんか。 A.専門家の判断と、私の職場復帰に向けての気持ち、動揺、それを心理的な面のサポートという形で書いたのか、これを読んだらそういうふうに考えますが。 Q.この9月5日の当時は、あなたは通ってリハビリを行っておられましたね。 A.はい。 Q.この9月5日時点ではね。 A.この後です。 Q.9月5日、これが最初の診断になりますか。 A.紹介状を持って初めて訪れたときの文章ではないんですか。 Q.この診断が最初の診断と理解できますね。これがリハビリでは診断書と同じなんです。 A.…… Q.数か月程度更生施設への入所も必要かと思われますと書いてあるんですけれども、外来でのリハビリと更生施設への入所によるリハビリというのはやっぱり違いがあると考えておられましたか。 A.そもそもどこが違うかというのは説明の中にありません。 Q.そもそもそういう話すらも出なかったということ。 A.福祉事務所の職員からも、更生施設……。 Q(裁判長)いやいや、今聞かれているのは、医師との間。 A.桂医師からは、集中的なリハビリが必要だから、入所という形でと申されたんです。 Q(栗田).更生施設への云々の話は出なかったということ。 A.集中リハビリという形で、入所という形でおっしゃられたと、それがこの文章だと思います。 Q(裁判長).あなたの評価を除いて、桂医師はどういう言葉を使って言われたんですか。集中リハビリという言葉を使って話されたんですか。それとも、入所という言葉を使って言われたのをあなたが集中リハビリと考えられているのか。 A.いいえ、集中的なリハビリを行うにあたって、入所という形で、行なうのが必要であろうと。 Q.その入所というのはどういう意味にとられたんですか。 A.私は、そのとき、入所とか出所とか退所とかそういうのはいままできいたこともない言葉で、分かりません。入院・退院という言葉は分かります。福祉用語だというのが後で分かりました。 Q(栗田).(甲第16号証の2を示す)平成2年11月22日の欄なんですけれども、ここの下に「更相」と書いてあって、これは更生相談所のことだと思うんですけれども、「障害受容を図り、復職を含めた生活設計を具体化してほしい。なお、通所での受け入れを検討してほしい」と、どうも更生相談所の考えを書いてあるようなんですけどね。その下の11月28日の欄で、これは「係内カンファレンス」、リハセンター内部だと思うんですけれども、「障害の心理的受容を図り、復職の可能性を見極める。拠点を中心とした日常生活動作の確認」と、こういうことになっているんですね。12月11日の欄を見ていただきたいんですけけれども、リハ目標ということで「障害受容を高め、生活設計を再構築する」と、このように書いてあるんですけれども。 (乙第10号証の1を示す)これは徳見さんが更生施設へ入所するときの福祉事務所の総合判定書ですけれども、ここのところに、最後から4段めぐらいですかね、「当面は、障害認識をはかり、社会技術訓練、歩行訓練、体力向上及び職能評価等を目的に、身体障害者更生施設への通所が適当と判断する。将来的には職場復帰も含めて職種転換の可能性を探り、可能な場合は身体障害者授産施設の利用も考慮されることが望ましい」と、このように福祉事務所のほうもあなたに対しては考えていたようなんですけれども、そうすると、少なくとも、先ほどの一連の中では主に障害受容だとか復職の可能性ということに更生相談所またはリハセンターの考えはあったようなんですけれども、この点の認識とあなたのリハビリに対する考え方の認識の間に差はあったんじゃないんですか。 A.大きく差があったと思います。 Q.どういう差ですか。 A.障害を受容するとか見極めるとか、私の発想の中には、いかにして職場復帰する方法と知恵と交渉、それしか考えておりません。ですから、専門家のずれ、当事者とのずれは真っ向からたぶん違ってたんではないかと思います。 Q.(甲第16号証の28を示す)これはリハビリテーション計画書と、平成3年1月31日づけで作られているんですけれども、この2枚めであなたの意見というのが書いてありますね。 A.はい。 Q.この意見について、前々回、11月30日に、あなたは、生活拠点内の訓練について、または心理については現状としては必要性が感じられるほどの能力ではないと思っていますので、ということで、婉曲的にお断りしたということですね。 A.はい。 Q.これらの必要がないと感じられたのは、いわゆるあなたの主観的なご意見というふうにお伺いしてよろしいですか。 A.主観的かどうか、私は一人で介助者なしに生活していましたので、事実は事実で、評価判定、しかも……。 Q.ということは、あなたの側からいらないと思われたわけですね。 A.住居改造ができないという中でです。しかも、職場復帰に向けてはトイレとかお風呂問題が一番重要でも何でもなかったことなんです。 Q.それはあなたがそうお考えになっていたということですね。 A.はい。 Q.甲第16号証の28の2枚めの「プログラム決定についての本人の意見」欄の最後のほうの括弧書きを示します。「それでも行うならばプライバシーの侵害」というのは、どういう意味でお使いになったんですか。 A.主要にはトイレをしているところの動作、そして、お風呂に入っているところの動作、それを私一人でほぼできると、できるかできないか見てみなくては分からないから、見せなさいというふうにして言われること、そして、見せなくてはいけないこと、これは私にとってはセクハラでしかないんです。そういう意味でプライバシーの侵害という言葉を使いました。 Q.結局、そういうふうなリハビリの内容というのが、もう非常に不満であると、それを強要するならばプライバシーの侵害ですよと、そういう意味でお使いになったということですね。 A.本人にとって必要のないこと、お尻を見せる、それこそセクハラです。 Q.(第17回口頭弁論書、原告本人徳見康子の速記録を示す)この55ページですが、あなたの前々回のお話によると、ロールが平行棒の上を揺らぐのが見えたと、それから、その後平行棒を転がってきて落ちましたと、これが見えていたということですね。 A.はい。 Q.その次、速記録の59ページですが、見えたとき、あなたは「立っていたと思います」と「四つ足で立っていたと」と弁護士の先生がお聞きになって、「四つ足の二つ足」と、というと、ロフストランド杖2本と両足という意味ですね。 A.ロフストランド、プラス腕、これが二つの足、そして、足という言い方したのは、地についている4か所、4本という意味です。 Q.(甲第1号証を示す)写真@ですが、@はロールがぶつかったときの状況ということになっているんですけれども、前にロフストランド杖があって、その後に足、その4つを総合して四つ足とおっしゃったわけなんですね。 A.そうです。 Q.ぶつかる直前の状況もほぼこれと同じような状況ですか。 A.直前の状況、ロールが揺らぐのが見えた状態で、たぶん何が何だか、何だという形で立ち止まったと思います。 Q.そうすると、そのときもほぼこういう形だったと。 A.こんな斜めじゃないです。バランスで四つ足で立っていたということです。 Q.これによると、ロフストランド杖と足との間の幅というのはあまり変わらないですね。これは大前提として傾いていますけれども、傾いていないとすれば。 A.傾いていないとすれば、だいたい足と足の間は15センチぐらいでしょうか、測ったことないですけど。 Q.15センチか20センチぐらいありそうなんですけど。 A.転ぶときのあれです。 Q.前にロフストランド杖があって、足が後ろにある場合、体重というのは前にかかるんじゃありませんか。 A.全部にかかります。前の2本の杖、足、本当の足2本。 Q.(甲第27号証を示す)これがロフストランド杖ということですね。 A.はい。 Q.この先に何かゴム様のものがついているんですけど、これは何かお分かりですか。 A.これは、直接固い杖が床にカチンカチン衝撃をしないためのものです。 Q.素材はどんなものなんですか。 A.この当時やってたのは、これはシリコンだと思います。ゴムからシリコンに代えたことがあります。 Q.事件当日もこの杖。 A.シリコン。 Q.だったというご記憶ですか。 A.はい。 Q.甲第27号証の写真のO、Pを示しますが、これは靴が写っていますけれども、これは訓練の時に使われてた靴ですか。 A.当日使ってたものです。 Q.だいぶ底が厚い靴なんですけれども、底の素材というのはどのようなものでできているんですか。 A.これはゴムです。 Q.(第17回口頭弁論、原告本人徳見康子の速記録を示す)57ページですが、最後のほうなんですけど、「あたった後、どうなりましたか」という質問がありまして、「右足にあたった後、右に持っていたロフストランドの杖が前に滑りました」と、それは「ロフストランドにはロールはあたってないけれども、滑ったということですか」、「はい」ということですね。滑って足のほうも滑って後ろに転んだということなのかな。 A.いや、むしろ逆です。足のほうにあたって右足が、言葉使いがよく分かりませんが、すくめとられた、すくみとられた、どっちか分かりません。すっとなって杖もすっと滑ったということです。 Q.先ほどの写真からすると、何か素材的には杖も滑りづらい材質なんではないんですか。 A.できればもっと滑らない材質を研究していただきたいと思います。 Q.でも、このときは滑っちゃったと。 A.はい、滑りました。 Q.(甲第1号証を示す)写真Dですが、「転倒する状況(倒れきった状態)」と、Eの写真を示しますけど、「宮崎理学療法士が徳見を起こそうとしている状況」というふうになっているんですけど、この写真で、倒れきったときの頭の方向と宮崎理学療法士が起こそうとしているEの頭の方向がかなり反対方向を向いているようなんですけれども、これはどうしてなんですか。 A.一つは写真の撮る位置が違うということと。 Q.写真Dの右側にウサギの頭のようなものがありますけれども、その位置から見ていただければ分かるんですけど、Eはそれが左。 A.要は、こっちから撮ったんです。この写真は足元のほうから。 Q.それでも方向が違うと思いませんか。 A.写真を撮る位置が……。 Q.位置じゃなくて、体の位置自体が違っちゃっていると思うんですけど。 A.足元から撮ったんじゃないんですか。 Q(裁判長).今代理人が聞いているのは、Dの写真でいうこのウサギの耳の絵を描いてあるのがありますね。それをEの方向から撮るとすると、もっと右のほうに行っちゃうんではないかと、要するに、DとEの写真を撮るときに位置を変えましたかという質問なんですよ。 A.私の位置は変えた記憶はありません。ただ、後ろにこのとき、要は、実況検分をするときに、そのままステンッて倒れるのは私、非常に怖いもんで、倒れないように後ろの男の人に支えてもらう、それまでの写真がこのD番の姿勢なんです。で、このEのところは、倒れるまでの次のステップの宮崎さんに背中の下、両肩を持ち上げるようなポーズをしてほしいって頼まれたときの位置がこの男性のこの位置でして、私はここでは移動はしてないはずです。そこは実況検分で立ち会いされた庄子さん含めて皆さん見ていらっしゃいますんですが。 Q(栗田).Dの真ん中あたりの白線の位置で頭の位置を比べていただきたいんですが、DとEでだいぶ違いませんか。 A.違うと思えば違うかもしれません。私の記憶の中に変更したあれというのは記憶に残ってません。何人も立ち会いしていましたので、皆さん見ています。 |