96.2.8
Q(大塚).(甲第27号証を示す)Hの写真というのは、ロフストランドを装着した状態ですね。 A.はい、そうです。 Q.この下のIの写真のような状態で、左のほうに手をスライドさせたときに、ロフストランドが外れるでしょうか、外れないでしょうか。 A.外れません。 Q.あなたの今までの経験で、外れた経験というのはありますか。 A.ありません。 Q.ないですか。 A.はい。 Q.(乙第1号証を示す)末尾添付の写真を見ますと、ロフストランド杖から腕がすぽっと外れたような状態になっていますね。 A.はい。 Q.先ほどのように、甲第27号証のIのような写真で、左のほうに力を加えても外れないということでしたよね。 A.はい。 Q.腕を上に引っ張った場合はどうですか。 A.腕を上に抜かなければ杖は外れません。 Q.もう一回乙第1号証の写真を見ていただきたいんですが、あなたが転倒したときにロフストランド杖から手を上に抜くような動作というのはしましたか、していませんか。 A.してません。 Q.宮崎証人は本件の転倒事故のときにはロフストランド杖から手は外れていないというふうに証言しているんですけど、そこはあなたの記憶とはほぼ間違いないんですか。 A.はい。 Q.そこは、宮崎さんが言っているように、ロフストランド杖から手は外れてなかったということでよろしいですか。 A.はい。 Q.(甲第16号証の49を示す)91年1月18日のところに、下のほうに、「(以前)こういってたびたび訓練中転倒有り」と書いてありますね。 A.はい。 Q.こう書いてあるのですが、あなたの記憶として、この日以前にPT訓練中に度々転倒したことはありますか、ないですか。 A.ないです。 Q.ないですか。 A.はい。 Q.ここに「以前」と書いてありますので、私のほうもPT訓練の記録をここから溯ってずっと見てみたんですが、一箇所だけそれらしきところがありました。 Q.(甲第16号証の63を示す)90年12月5日の欄です。下のほうに「PUB内、Gait」と書いてありまして、これは被告のほうの翻訳によりますと、「平行棒内での歩行」と書いてあるんですが、ここに「LLBのロック外して歩行、転倒(+)」と書いてあるんですね。 A.はい。 Q.これだけようやく私も発見したんですが、これについては何か覚えがありますか。 A.前回の裁判のときに平行棒の話をしました。で、平行棒のポールで支えることによって転倒までには至っていません。 Q.そうすると、このときは転倒はしていないですか。 A.はい。 Q.床に手をついたようなことはありますか。 A.ありません。 Q.床に手をつかずに、平行棒で支えたということですか。 A.はい、そうです。 Q.これは、今回問題になっている転倒事故と違って、「LLBのロック外して」と書いてありますね。 A.はい。 Q.LLBというのは何でしたっけ。 A.長下肢装具のことです。 Q.それのロックを外した状態だったんですね。 A.はい。 Q.そういう状態のときには、ひざがカクッとなったりするようなことがあるんでしょうか、ないんでしょうか。 A.あります。 Q.それはある? A.はい。 Q.そうすると、このときの出来事というのは、そういうことだったということですか。 A.はい、そうです。 Q.今は「以前の」という部分で見てもらったんですが、先ほどの記載以後の部分でまた一つ見つけましたので、それを示します。 Q.(甲第16号証の49を示す)91年1月28日です。ここに「仮合わせの為、訓練途中で中断」と書いてあって、その下のほうに「残念だね、ごめんね」と書いてあって、その下に「『膝が抜けてこけちゃった』と言う」と書いてあるんですね。これについては何か覚えがありますか。 A.覚えがあります。 Q.これはとういうことですか. A.室内用のLLBを作る仮合わせのときで、足のそこの部分の支えとなる金が非常に短かかったんです。で、歩いてごらんって言われたもので、このときはロフストランドを使っておりません。で、そばにあった作業台、机みたいなところに触りながら、足を出してきましたところ、カクッといったと。そのときは、前のほうにいってしまって、高塚ドクターが押さえてくれました。 Q.そうすると、わざと転倒したということではないわけですね。 A.はい、そうです。 Q.今回、リハセンターのほうの主張ですとか、宮崎さんの証言などを聞いていますと、あなたがわざと転倒したことがあるというようなことを言いたいようなんですけれども、あなたとしてはそのようなことをしなければいけないような何か理由がありますか。 A.わざとそのようなことをする理由は私には一切ありません。なぜそういうことを言おうとしているのかということも分かりません。なぜならば、首の手術をした後、しかも脊髄が悪い状態の中で、ドクターからは転倒はいけない、転んではいけない、言われ続けます。そして、退院のときの約束もそうでした。そして、何よりも恐れるのは、体の状態が大きく変化する転倒、そういうのをわざわざする理由なんて私は何もないんです。 Q.次に転倒後のことについて聞きます。これまで転倒したときの状況について聞いてきたわけですけど、転倒したすぐ後、あなたはどうしましたか。 A.背中がかなり痛くて、しばらく倒れている状態でした。 Q.誰か来ましたか。 A.はい。 Q.誰が来ましたか。 A.しばらくして、宮崎PTが来ました。 Q.宮崎さんはどうしましたか。 A.「大丈夫ですか」と言って、起き上がらせようと、背中というか、両肩の下に手を入れて起こそうとしました。 Q.で、「大丈夫ですか」と言われて、あなたはどういうふうに答えたんですか。 A.そのやり方では起きられる状態ではないので、一人で起きられるというつもりで「大丈夫だ」と答えました。 Q.答えた言葉は、「大丈夫だ」という言葉なんですか。 A.はい、そうです。 Q.それは、「体の状態が大丈夫だ」という意味だったんですか。 A.違います。「一人で起きられる……」。 Q.宮崎さんがせっかく起こそうとしてくれたのに、どうして一人で起きられるというふうに思ったんですか。 A.長下肢装具をはめて、ロフストランド2本を持った状態で、下から両肩を持ち上げても、そういう意味で足3本が棒の状態になったような、自力で起きるというのは、私にはできません。全部外してからでなければ起きられない……。 Q.そうすると、全部つけた状態ではなくて、長下肢装具のロックを外したんですか。 A.(うなづく) Q.ロフストランドも外して、そして起き上がったということですか。 A.はい。 Q.起き上がるときに、宮崎さんが持ってきた椅子は使いましたか。 A.椅子を誰が持ってきたかというのは見ていません。ただ、倒れている頭の後ろのところに、どなたかが椅子を持ってきてくださいました。 Q.その椅子を使って、起き上がったんですか。 A.ええ、使って起き上がりました。 Q.ロールの管理のことについてちょっと伺いたいんですけれども、宮崎さんが片付けることになっていたということなんですね。そのように彼が証言しているんですけれども、あなたがリハセンターにいる間に患者さん自身がロールを片付けるというようなところを見たことがありますか。 A.1回も見たことありません。 Q.小栗さんという人は知っていますか。 A.名前は後で分かりました。 Q.男性ですか、女性ですか。 A.男性です。 Q.小栗さんはロールを片付けられるような状態の人だったんですか。 A.肩関節が悪くてロールを使って訓練されていた方なので、かなり大きなものを抱えたり、持ち上げたりするということはできない方です。 Q.平行棒の上にロールを乗せて行う訓練というのは、肩関節の訓練なんですか。 A.その方は、その訓練をされていたようです。 Q.そういう訓練をしている人が重いロールを持って片付けることはできないということですか。 A.はい、そうです。 Q.重さなんですけど、訴状ではロールの重さが11キログラムというふうにありましたけど、この重さはあなたは測ったことがあるんですか。 A.はい。 Q.いつ、どういう機会に測りましたか。 A.自宅に、庄司さん、それからPT訓練士の管理職の秋田さんたちがみえたときに、自宅で「何キロだ」というふうにたずねましたところ、向こうは答えられませんので、皆さんの前で、自宅の体重計で重さを測って11キロだったんです。 Q.事故後に、あなたの自宅にリハセンターの方が来たことがあるわけですか。 A.はい。 Q.そのときに、ロールも持ってきていたということですか。 A.はい、そうです。 Q.その場で重さが問題になったときは、その場で測ったということですか。 A.はい。 Q.また事故直後の話に戻りますけれども、事故直後のあなたの体の具合はどんなでしたか。 A.手足にかなり痛みを感じて、背中も痛かった。そして、立っていたり、座っていたりということができせんでした。だるくて、とにかく疲れているような感じです。 Q.立っていることができないということで、何か要求しましたか。 A.はい。立っていられない、じっとしていられないので、車椅子を持ってきてくれるように言いました。 Q.車椅子を持ってきてもらったのは、転倒してからどのくらい時間がたってからだか覚えていますか。 A.宮崎さんが電話して頼んでましたので、はっきりした形は分かりませんが、10分か15分じゃないかと思います。 Q.誰が持ってきてくれましたか。 A.井上さんです。 Q.井上さんという方は、生活訓練係の人ですね。 A.生活訓練係です。 Q.事故があったときにはPT室にいたわけなんですけれども、そうすると、PT室を出るときに車椅子で出たということになりますか。 A.はい。 Q.PT室を車椅子で出てから、どうしましたか。 A.3階の生活訓練係のところに、井上さんが車椅子を押して連れて行ってくれました。 Q.3階に行ってどうしましたか。 A.とにかく気分が悪かったので、ロビーで横になっていました。 Q.転倒事故があったのはPT訓練中なんですけれども、転倒後にPT訓練の残りのメニューをやりましたか、やってませんか。 A.やってません。 Q.転倒事故以前は、両杖歩行というのをやりましたか、やってませんか。 A.転倒事故以前ですか。その日はやってません。 Q.その当日ですけどね。 A.はい。 Q.やってませんか。 A.やってません。 Q.この間の証言でもそうでしたよね。 A.はい。 Q.そうすると、この日には両杖歩行の訓練というのはやってますか、やってませんか。 A.やってません。 Q.(甲第16号証の2を示す)平成3年2月26日の欄です。これは転倒事故があった当日の記載ですね。 A.はい。 Q.記入したのが井上さんのようですね。 A.はい。 Q.一番上のところに「宮崎PTより」ということで書いてありますね。 A.はい。 Q.そこに、「訓練中に転倒し、杖歩行での移動ができないとの訴えがあるため」と書いてありますね。 A.はい。 Q.要するに、ここに書いてあるように、転倒後は杖歩行での移動というのはやっていないと、できなかったということですか。 A.はい。 Q.(甲第16号証の24を示す)2月26日の予定を見ていただきたいんですが、この予定でいくと、PTの後には午前中にOTが入っていましたね。 A.はい。 Q.OTの訓練はやりましたか、やってませんか。 A.やれている、やれないといったら、やれていません。時間はありました。 Q.まず、OT室には行きましたか。 A.はい、行きました。 Q.行って、何をしましたか。 A.ピンセットでビーズをつまむ訓練、粘土を引っ張る訓練をやろうとしました。 Q.OTというのは、作業療法ですね。 A.そうです。 Q.今おっしゃったような作業をやろうとしたわけですか。 A.はい。 Q.うまくいきましたか。 A.やれませんでした。 Q.どうしてできませんでしたか。どういう状態でしたか。 A.痛みと、あと、手がぶるぶる震えて……。あと、じっと座っていることができなくて……。 Q.で、今言ったような作業ができなくて、どうしましたか。 A.OTの丹羽先生が途中で中止しました。そして、ホットパックでとにかく背中とか肩とか温めてくれました。 Q.(甲第16号証の50を示す)91年2月27、28日と両方のところに、「2/26日転倒後調子悪いとのことで中止」と書いてありますね。 A.はい。 Q.これが、今おっしゃった、2月26日に転倒した後に調子が悪いのでOTを中止したということの記載ですか。2月26日にOTを中止したことは間違いないですか。 A.間違いありません。2月26日の記載がありません。 Q.確かに2月26日の記載がないですね。 A.25日もありません。 Q.この転倒の日ですけど、OTの後のスケジュールは昼食でしたね。 A.はい。 Q.昼食は食べましたか。 A.食べました。 Q.どこで食べましたか。 A.食堂で食べました。 Q.そのときに、昼食をとったときのあなたの様子はどんなでしたか。 A.普段と違って、箸を持って食器を持ち上げて食べるということができなかったです。 Q.箸が使えませんでしたか。 A.はい。 Q.箸が使えなくて、どうしましたか。 A.そばにいた指導員に「スプーンを貸してください」と言いました。 Q.ほかに、箸が使えなかったこと以外に、何がありますか。 A.だるくて、とにかく一時も早く横になりたいという状態でした。普段と様子が違うので、ほかの障害者の方が「どうしたの」という心配をしていました。 Q.そういうふうに声をかけてくれたわけですか。 A.はい。 Q.あなたは歯科衛生士なわけですけれども、このときには、食べた後、歯を磨きましたか。 A.磨けません。 Q.いつも磨いていましたか。 A.はい。 Q.いつも、必ず磨いていましたか。 A.はい。 Q.だけど、このときは磨きませんでした? A.磨けませんでした、具合が悪くて。 Q.昼食の後ですけど、午後の予定は今度は移動訓練というふうになっていましたけれども、移動訓練は行いましたか。 A.かろうじてやったと……。 Q.やってみたわけですか。 A.はい。 Q.これは、杖歩行ですか、それとも車椅子歩行ですか。 A.車椅子です。 Q.これは車椅子でやったわけですね。 A.はい。 Q.(甲第16号証の2を示す)平成3年2月26日の事故の日ですね。二段目のところですけれども、「歩行訓練のあとで」というタイトルの最後に、「車椅子を使用しているため、歩行訓練は車椅子でセンター内周2周を実施した」と書いてあるんですけれども、これは今おっしゃった移動訓練のことですか。 A.はい。 Q.これの記載は井上さんの記載ですけど、つまり、生活訓練の記録ということですね。 A.はい。 Q.PTの記録じゃありませんね。 A.訓練係の記録です。 Q.PTの記録じゃなくて、生活訓練係の記録ですね。 A.そうです。 Q.2周でやめたのは、何か理由があるんですか。 A.1周の途中で、もう途中でやりきれないで、後は押してもらったと思います。途中で、とにかくストップして、井上さんと体調の悪さについてお話ししました。 Q.転倒当日のことは、そこで聞くのをやめます。今度は、転倒した後のお医者さんへの受診のことについて聞きますが、この転倒があった後、どこの専門医に受診しましたか。 A.南共済病院の大成ドクターです。 Q.いつ受診したか、覚えていますか。 A.転倒した次の次の日です。 Q.2日間の間があいたのはどうしてですか。 A.同じドクターの外来受診日が、基本的には月曜日と水曜日だからです。 Q.そうすると、転倒後で一番近いところで大成先生の外来受診日というのは2月28日だったということですか。 A.はい。 Q.大成先生というのは、あなたの担当医なんですね。 A.はい、そうです。 Q.2月28日に南共済病院に行くことについては、リハセンターには教えていましたか。 A.はい。 Q.誰に知らせていましたか。 A.転倒の当日、井上さんに言っております。 Q.(乙第5号証を示す)逆綴じですが、表紙のほうから数えて13枚目の「リハビリテーション連絡箋」というところです。これは横浜南共済病院のカルテなんですが、ここに「横浜市保健会の人と面談」と書いてあって、その下に記載があるんですね。で、2のところに「公務切れてから病院通いを再び」と書いてあって、この公務というのは、上の記載から読むと、公務災害というふうに読めるんですけれども、で、その下に「出勤途中オートバイにぶつかった」と書いてあるんです。これについて伺うんですが、公務災害が切れた後にオートバイとの交通事故があったというようなことはありますか。 A.公務災害がはっきり切れた状態ではありません。 Q.(甲第28号証を示す)これを見て説明してもらったほうが分かりやすいと思うので……。これは、あなたが作成した年表ですね。 A.はい、そうです。 Q.これの1枚目の81年8月のところを見ると、「頸肩腕症候群で、業務上疾病(労災)と認定される」と書いてありますね。 A.はい。 Q.これが、いわゆる公務災害の認定ですね。 A.はい。 Q.で、それに基づいて給付がされましたよね。 A.はい。 Q.その下の83年7月11日のところに「鍼灸治療費打ち切り処分」と書いてあるんですけれども、要するに鍼灸の治療はそこで打ち切られたわけですね。 A.はい。 Q.鍼灸の治療が打ち切られて、公務災害に基づく医療給付というのはすべて打ち切られちゃったわけですか。 A.いえ、鍼灸治療に基づく労災保険からの適用とは別な形で、鍼灸のアフターケアという治療を労災のほうで、87年に交通事故とここに書いてありますが、その後までずっと続いておりますので、完全打ち切りではありません。 Q.そうすると、鍼灸の治療は打ち切られたけれども、その後も労災としてアフターケアという名目で療養の給付かあったわけですか。 A.はい、そうです。 Q.それが続いている途中に、この下の87年7月13日の交通事故というのがあったわけですか。 A.はい。 Q.そうすると、労災の給付が全部切れちゃった後で事故が発生したという前後関係ではないわけですか。 A.そういう関係ではありません。 Q.それから、交通事故自体も通勤災害であるという認定がされたんですか。 A.はい、そうです。 Q.出勤途中のことだったわけですね。 A.そうです。 Q.(甲第16号証の56を示す)1枚目ですが、大成先生が書いたものなんですけど、先ほどの横浜市保健会の人からの聞き取りに基づいて多分書いたんだと思うんですが、真ん中あたりに、「また昭和63年公務災害の打ち切り直後に交通事故(オートバイにぶつかった?)にて再度病院通い」と書いてある欄があるんですけれども、先ほどのあなたの証言から言うと、これは違うということになりますね。 A.そうです。 Q.大成先生から、ここに書いてあるようなことについて、何か聞かれたりしたことありますか。この事実関係について。 A.こういう言い方をされているというのは、これを見るまでは知りません。 Q.今回、リハセンターのほうからは、あなたはヒステリーであるというようなことを言われているわけですけれども、それについてはあなたはどう考えますか。 A.ヒステリーかヒステリーではないかうんぬんよりも、私自身大成先生や、どこへ行ってもおかしいことはおかしいっていうふうに言うことが、そういうふうにとらえられたのではないかと思います。 原告代理人(森田) Q.ちょっと時間的には溯りますけれども、事故当日の2月26日にリハセンターを出て家に向かったのは何時ごろですか。 A.5時ごろです。 Q.5時というのはリハセンターを出た時間ですか。 A.はい。 Q.訓練の終了時間は4時ということでよろしいわけですか。 A.はい。 Q.それ自体はいつもどおりですね。 A.はい。 Q.リハセンターを出るのに1時間もかかったのはどうしてですか。 A.リハセンターの3階から玄関先までたどり着くのに、1時間かかったんです。 Q.いつものように動くことができなかったですか。 A.はい。 Q.で、家に着いてからですけれども、夕食はとりましたか。 A.いいえ、食べてません。 Q.それは、食欲がなかったということですか。 A.食べられませんでした。 Q.家に帰ったときの体の状態はどんな具合でしたか。 A.とにかく具合が悪くて、起きてられない、横になっていなければつらい。 Q.そういう状態になって、どう思いましたか、その段階では。 A.またむち打ちをやってしまったのではないかというふうに、不安がありました。 Q.それで、先ほどご証言されたように、これは主治医である大成先生に診てもらわなくてはいけないというふうに思ったんですか。 A.はい。 Q.実際に南共済病院へ行ったのは28日ということですけれども、翌27日はどんな状態でしたか。 A.横になっていました。 Q.1日中横になっていたと。 A.はい。 Q.吐き気などはありましたか。 A.ありました。 Q.横になっていたというのは、起き上がって、動こうと思ってもそういうことはできない状態だったとうことですか。 A.はい。 Q.(甲第17号証を示す)15ページを見てください。これは、平成3年2月28日に大成先生が書いたカルテですね。 A.はい。 Q.この症状のところで、吐き気ブラスと、だるいと、左上肢痛がブラス、四肢の震え、これは増加ですかね、上矢印があって、緊張強いという記載がありますけれども、こう言ったことを大成先生に伝えたわけですね。 A.はい。 Q.その右側に「気分不良にて血圧測定す」とあるんですが、これはどういうことですか。A.症状を言っているうちに、もう起きていられない状態になって、横にならせてもらいました。で、注射をされました。 Q.注射をして、しばらくずっと横になっていたんですか。 A.はい。 Q.で、その下のところに「症状やや軽減す」といったことが書いてあるんですけれども、これはどれくらい横になっていたんですか。 A.多分なんですが、30分とか40分とか、そのくらいだと思います。 Q.訓練中にそういう状態になったということですね。 A.はい。 Q.それと、この日の記載の一番上に「転倒し右側から倒れた」と書いてあるんですが、そういうことを言った覚えはありますか。 A.右側から倒れたという言い方じゃなかったと思います。 Q.どういうふうに言ったか記憶がありますか。 A.右側から物が落ちてきて、あたって倒れたと……。 Q.あるいは、右足に物があたったとか言った可能性はありますか。 A.記憶にありません。はっきり何があたったという形では。はっきりは分かりません。 Q.ただ、右側から倒れたというのが、あなたの言ったとおりではないであろうという記憶はあるわけですね。 A.はい。 Q.このときに、リハセンターで訓練中に転倒事故が起きたんだということは伝えましたか。 A.伝えてません。 Q.それはなぜですか。 A.リハセンターは大成先生が紹介して送ってくださった先で、しかも転倒ということをしてしまったということで、言わなかったんです。 Q.(甲第16号証の2を示す)3月1日の欄の記載によりますと、横浜南共済病院の受診結果について、3月1日にあなたからリハセンターに連絡がいったということが書いてありますけれども、その中で、「Drより1週間トイレ、食事以外は安静にするよう指示が出た」と書いてあるんですけど、そういうことを言われたわけですか。 A.はい、そうです。 Q.実際に1週間安静を続けたんでしょうか。 A.続けるというよりも、寝ているしかなかったんです。 Q.寝ているしかない状態だったんですね。 A.はい。 Q.それで、この3月1日段階でリハセンターの訓練も休むという連絡を入れたわけですね。 A.はい。 Q.それと、ここのところに「PT訓練中の事故であるのに職員の対応が悪いと泣きながら不満を述べる」ということが書いてあるんですけれども、どんなことを言った記憶がありますか。 A.リハセンターのほうには何回も同じことを言ったんですが、転倒中、伊藤ドクターがいたこと……。 Q.今の転倒中に伊藤ドクターがいたというのは、転倒した部屋の中に伊藤医師がおられたということですか。 A.出入り口のところに。 Q.そのことか1点。 A.はい。それと、道具をきちんと片付けておいてくれさえすれば、こんなことが起きなかった。そして、お昼のスプーンの説明をわざわざ事務所まで行って説明しなければならない、そういう連携がとれていないこともありました。 Q.今言われたような一連の対応のまずさということを言ったということですね。 A.はい。 Q.最初の伊藤医師のことですけれども、これは伊藤医師がその場にいたのに対応してくれなかったということですか。 A.ずっとしゃべっていて、対応してません。 Q.あなたが倒れて、起き上がろうとしていた間、ずっとほかの人としゃべっていたということですね。 A.はい。 Q.(甲第17号証を示す)16ページの3月7日の記載を見てください。3月7日に南共済病院に行ったわけですね。 A.はい。 Q.このときは、大成先生からはどういうふうに言われましたか。 A.リハセンターが心配していると、なるべく早くリハビリに行けと……。 Q.そうすると、徳見さんからは言わなかったけれども、リハセンターから事故のことを大成先生は聞いていたということですね。 A.ここのカルテのそばにリハセンターからきたという文章の封筒がそえてありました。それを見せておっしゃいました。 Q.このカルテに書いてあるけれども、リハビリを再開するようにというふうに言われたんですね。 A.はい。 Q.それに対して、徳見さんはどう言いましたか。 A.一人では出掛けることができない状態の旨を言いました。そして、ドクターがリハビリの再開を早くするように言われた段階で、私は、つらくても、筋力をこれ以上低下したくなかったので、リハビリに行きたいけど行けないということを言いました。 Q.徳見さんとしては主治医がリハビリを再開しないと職場復帰にはよくないということを言われたので、これはやらないといけないというふうに思ったんだけれども、実際どうやって通えばいいのか、その辺の目途がたたないと行けないということで、非常に困ったということですね。 A.はい、そうです。 Q.(甲第16号証の2を示す)3月7日および3月8日を見てください。これ、いずれも相田さんという人からリハセンターに連絡が入って、徳見さんが今後の訓練についてリハセンターの指導員と話し合いをしたいということを伝えているんですけれども、この相田さんという人にそういう連絡を頼んだことはありますか。 A.はい。 Q.その後で、ケースワーカーの飯田さんという人があなたの家に来たわけですね。 A.はい。 Q.飯田さんというのは、どこに所属している人なんですか。 A.福祉事務所の方です。 Q.3月13日の記載のところに、「飯田CWより訪問時の報告」という記載があるんですけれども、飯田さんに対してどういうことを言ったんですか。 A.リハセンターの職員と話したいと。リハセンターからは、自分たちは忙しいから代わりに行ってくれということで来たと……。 Q.ただ、飯田さんというのはケースワーカーだから、徳見さんが望んでいるようなリハビリについての話というのはできなったわけですね。 A.はい。現状は訴えました。 Q.(甲第17号証を示す)17ページ、3月19日ですけれども、この日も南共済病院に行っていますね。 A.はい。 Q.このときは大成先生ではなかったんですか。 A.藤井先生です。 Q.ここでも、頭痛、だるさ、吐き気といった症状が書かれているんですけれども、こういった症状がまだ継続していたんでしょうか。 A.はい。 Q.このとき、藤井先生からは何か言われましたか。 A.相当頭を強く打ったねと……。 Q.それに対して、あなたは何か言いましたか。 A.頭は打っていない、背中を強く打ったんだと……。 Q.(甲第16号証の2を示す)3月28日の記載を見てください。ここにも飯田ケースワーカーが3月27日にあなたの家を訪問したことの報告というのが載っているんです。3月27日にも飯田さんが来たわけですか。 A.はい。 Q.このときは、どんなことの話をしたんですか。 A.リハビリをやるつもりがあるのか確認に来たと。 Q.あなとしては、リハセンターの人に来てもらいたいということをずっと再三言っていたわけだけれども、また飯田さんが来たということについては、どう思いましたか。 A.リハセンターは誠意がないなと思いました。 Q.ここの記載にもありますけれども、この日も飯田さんに対してリハセンターの人にぜひ来てほしいということを伝えたわけですね。 A.はい。 Q.それで、結局、4月4日に、高塚医師と大場生活訓練係と飯田さんが来るということになったんですね。 A.はい。 Q.4月4日というと、これはもう転倒事故から1月以上たっていたということになりますね。 A.はい。 Q.4月4日の欄を見てください。このときに、徳見さんの側では、この事件でも証人として申請していますけれども、青い芝の会という団体の事務局長の小山さんという方に同席してもらっていますね。 A.はい。 Q.このとき、小山さんに同席してもらおうと思ったのはどうしてですか。 A.きちんと行政に対する交渉等でポイントをよくつかめる方だと思い、お願いしました。 Q.障害者団体の役員をやっているということで、そういう経験が豊富であるということが一つですね。 A.はい。 Q.この徳見さんの事故の経過について、小山さんというのは事情はよく分かっていたんですか。 A.はい。 Q.それはどういうことですか。 A.転倒の次の次の日に大成先生のところに受診した日に、小山さんと会っているんです。 Q.そのときに、転倒事故およびその後の経過の話をしているわけですね。 A.はい。 Q.このときに、リハセンターの人に来てもらって話をしたかったのはどういうことですか。 A.職場復帰の問題、そしてリハビリ再開の問題、体の不安の状態、どうしていいかということを……。 Q.この日に、事故の経過について、リハセンターの見解を聞いていますね。 A.はい。 Q.それは、どういうことで聞いているんでしょうか。まず、何のために聞いているんでしょうか。 A.事実、どういうことがあったという、食い違いがあまりにも多すぎたからです。 Q.今後、リハビリを再開するにあたって、要するに安全性を確保してほしいという気持ちはあったんでしょうか。 A.はい、大きくありました。 Q.ここでは内容はいちいち言いませんけれども、リハセンター側の事実経過の説明と、徳見さんの経験とは、大きく食い違っていたんですね。 A.はい。 Q.ここにも書いてありますけれども、徳見さんとしては、きちんと責任のある人に対応してほしいということを求めたんですね。 A.はい。 Q.それで、この日の話し合いは、そういう意味では平行線で終わったということですね。 A.はい。 Q.それと、今の4月4日の記載のページの下のほうなんですけれども、これはリハセンター内部の打ち合わせということで書かれているんですが、その中で、下から2行目、「@事故は確かにセンター内に於いてあり、機材の管理上の問題である」という記載があるんです。リハセンターからこういったことをきちんと言われたことはありますか。 A.一切ありません。 Q.次のページで、「C今後は治療に専念する時期のため、措置を一時打ち切り、いつでも通所できるようになったら、センターでは受け入れる」と書いてありますけれども、こういうことを言われたことはありますか。 A.はっきり言われてません。通所できない状態であるということをこちらから言いました。 Q.通所ができるようになったら、センターでは受け入れるということは、聞いていないわけですか。 A.はっきり言われた記憶はありません。 Q.4月12日のところを見てください。「自宅訪問」とありますけれども、この日に、先ほどの大場さんと理学療法士の秋田さんと常務理事の庄司さんという人が、あなたの家に来たわけですね。 A.はい。 Q.一応、常務理事の庄司さんというのが責任ある立場の人だということで来たわけですか。 A.はい。 Q.ここの経過ですけれども、次のページにいきますが、一つは、転倒時の事実関係について相違点があるということで、センター側が状況を文書で提出することを検討することになったということですね。 A.はい。 Q.それと、二番目として、今後の訓練の方法について、リハセンター内で検討するということを言ったわけですね。 A.はい。 Q.それと、次のところにありますけれども、徳見さんのほうからは謝罪を求めたわけだけれども、結局、謝罪はなかったということですね。 A.はい。 |