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95.11.30

原告(徳見康子)証人調書1
 
Q(質問):原告代理人(渡辺・大塚)


Q(渡辺)(甲第28号証を示す)これは「徳見康子の年表」という題名がついている書面で、末尾に徳見さんの判子が押してありますけれども、これは内容を確認して判を押したものに間違いないですか。
A.間違いありません。
Q.リハセンターでリハビリを受け始める以前の原告の生活については、年表のとおりということでよろしいですか。
A.はい、間違いありません。
Q.原告は歯科衛生士をされているわけですね。
A.はい。
Q.歯科衛生士の主な仕事を簡単に説明していただけますか。
A.私の歯科衛生士という職種というよりも、私が勤めていたところの歯科衛生士の仕事の説明をさせてください。
Q.学校保健会での歯科衛生士の仕事ということですね。
A.はい。市内の小学校を回って、子供たちに歯磨きの指導とかそれから口の中の清掃状態の検査をしながら指導をしていくのが主な仕事です。
Q.そうすると、授業の一環として歯磨きの指導をすることと、それから歯の歯磨きの状態の検査をするというふうなことが主な仕事ということですか。
A.はい、そうです。
Q.その学校保健会での歯科衛生士の仕事にはやりがいは感じていらっしゃいましたか。
A.はい。
Q.どのようなところにやりがいを感じていらっしゃいましたか。
A.ひとつには、私の歯科衛生士という職種の中で、一般的な歯科診療所など違って、歯科衛生士が本人で考えて仕事を煮詰めるということがひとつできた、それから、大きくは、そこで、対象にしている子供たちから自分の専門性の中にある煮詰めとかおかしさ含めて、子供たちから学ぶことが非常にたくさんあった、そういう意味で生きがいを感じておりました。
Q.甲第28号証を示しますが、2枚目ですね、89年の1月に頸椎前方固定術という手術を受けましたか。
A.はい。
Q.その後、南共済病院、伊東温泉病院に入院して、それから再度南共済病院に入院し、退院したのは90年の6月ということでよろしいでしょうか。
A.はい、そうです。
Q.その後はどこでリハビリをしていたのですか。
A.南共済病院の外来でリハビリをしておりました。
Q.通院でリハビリをしていたということですね。
A.はい。
Q.通院のために何らかの私生活についての対応が必要だったわけですか。
A.はい。
Q.どのようなことをなさったのですか。
A.それを述べる前に、退院許可がおりる一つのドクターとの約束といいますか、退院後は2、3か月外来でのリハビリに毎日通うことという約束がありました。で、私の自宅は港北区、それから病院は金沢区という非常に長距離の時間がかかりますので、病院のそばでアパート借りました。そこから、一人で生活して病院に通ったということです。
Q.毎日リハビリに通うためにそばにアパートを借りたということですね。
A.はい、そうです。
Q.アパートで生活をなさったということですが、一人で生活していたのですか。
A.はい、そうです。
Q.食事などに関してはどうしていたんですか。
A.食事は自分で全部作っておりました。
Q.そこでの生活は自立していたということですか。
A.退院したてのころは、車の運転をしばらく入院期間が長かったものでやっておりませんで、しばらくタクシーで通う、そのほかは自立していたと。
Q.リハセンターでリハビリをすることになった経緯についてお伺いしますが、リハセンターでのリハビリをすることになったのはどうしてですか。
A.首の手術後の一年半の病院でのリハビリを終え、その後外来でのリハビリ、その後大成医師に相談しました。職場復帰をするためにさらに細かい工夫が自分にとって必要と思われるので、どうしたらいいものかという相談をドクターにしました。ドクターが新横浜のリハビリテーションセンターを紹介してくださったんです。いままで、病院から病院へ紹介状を持って行く時に、通常ですと細かい手続きというのがなく、医者の判断でそのまま転院という形を通常していましたのが、リハセンターに紹介状を持っていきましたところ、非常に細かい手続きが必要だということがわかりました。
Q.南共済病院の大成医師に相談したところリハセンターを紹介されたということですが、、リハセンターの外来に受診するまでは、特に、大成医師の紹介状を持っていっただけということですか。
A.入院中に大成先生が、徳見がリハセンターの桂ドクターに会える日にちを予約をしてくださったと思っています。
Q.甲第28号証の2枚目を示しますが、初めてリハセンターで外来の受診をしたのはいつですか。
A.9月5日です。
Q.(甲第16号証の58を示す)2枚目ですが、そこにメモが張りつけてあるところがありますが、「本日来院されました。機能的側面よりも、社会的、職業的な面での援助を通じ、心理的にもsupportしていきたいと考えております。場合によっては、数か月程度、更生施設への入所も必要かもしれません」、平成2年の9月5日、医師桂律也というふうに書いてありますね。
A.はい。
Q.この時、あなたはリハセンターのリハビリに対してどんな要望を話しましたか。
A.職場復帰に向けてのリハビリをしたい旨を申しました。
Q.この診察に当たった桂医師はどんなことを言ってましたか。
A.それに向けて訓練を行うならば集中的なリハビリが必要であると、但し、集中的なリハビリを行うにあたっては、ベッドがすぐには空かないので早くとも3か月くらいかかると、それまでは外来でのリハで通ってもらうことになると思いますというようなニュアンスでおっしゃられたと思っております。
Q.(乙第10号証の1を示す)これは更生相談所の判定の写しで、あなたがリハセンターで外来でリハビリをしている時に作成されたものですが、その本文の13行目、「移動は装具(LLB+ロフストランドクラッチ)利用の歩行が可能で、自動車運転(非改造)により活動的な生活を過ごしている」というように書かれていますね。
A.はい。
Q.それから、次に、「ADL」、日常生活動作、「は排泄面で不自由な点も見られるようだが全て自立している」と、このように書いてありますね。
A.はい。
Q.当時の体の状況、生活の状況というのは、これで間違いがないわけですか。
A.ないです。
Q.そうすると、リハビリの目的というのは、何を目的にしていたわけですか。
A.あくまでも、職場復帰に向けて、自分のその時の体の状態で、歯磨き指導するうえで大きな歯の模型を持ったり、大体18センチぐらいの歯の模型です。それと、大きな歯ブラシ、25センチぐらいだったと思うんですが、それを両手で持ち上げて子供たちの前で作業をする姿勢が、作業そのものが杖をついている状態では非常に難しい、さて、どうしたらいいものかという戸惑いは非常にありました。
Q.以前は立ったままで大きな歯ブラシと歯の模型を持って生徒さんたちの前で歯磨きの指導をしていたということですね。
A.はい、そうです。
Q.それをそのままでは今までどおりにはできないので、その点について困難を感じていたということですか。
A.はい、そうです。
Q.(甲第16号証の10の2を示す)一枚目ですが、「身体障害者基礎調査票」とありまして、住所の下に「休職期間中に職場復帰に向けての訓練(手を使う仕事なので、杖を使わないで歩行できることが条件)を受け、その可能性をみきわめたい。又、それがだめなら、歯科衛生士としての知識、技術を生かせる職場で働く方向性をみつけたい」とありますね。
A.はい。
Q.(甲第16号証の61を示す)「本人の目標は、歯科衛生士への復職で、条件としては 杖なしでの長時間立位と 左手のピンチとしているようです」という記述がありますけれども、これらの記述はあなたの希望を正確に記載しているものですか。
A.正確に記載しておりません。
Q.どの点で違っているんですか。
A.立位保持が杖なしでできたらばできるに越したことはありませんが、そういう意味で、先程申し上げた大きな歯の模型と歯ブラシを立った状態で使えるということですから……もう一回最初の質問を。
Q.甲第16号証の10の2ですと、休職期間中に職場復職に向けての訓練を受けて、その可能性を見極めたいということで、その中で、手を使う仕事なので松葉杖を使わないで歩行できることが条件というふうにあって、それがだめだったらば、歯科衛生士としての知識、技術を生かせる職場で働く方向性を見つけたいというように書いてあるんですけれども、あなたがリハセンターの職員に対して言った希望というのは、ここに正確に表されているんでしょうか。
A.いや、正確に表されていません。
Q.そうすると、その松葉杖を使わないで歩行できることが条件というふうに言われていますけども、この点については、あなたの本当の希望とはちょっと違うところがあるわけですか。
A.できるには越したことがないということを先程述べました。それから、もう一つ、ほかの職場にという文章ですが、私の職場、横浜市学校保健会というところは市の外郭団体です。私が就職したころからずうっと横浜市の職員にしてほしいという職場からの、そして、労働組合と横浜市との交渉がずうっと現在でも続いている、そういう職場でして、で、学校保健会事業をしている歯科衛生士が正規職員になった場合には保健所への職場の配転の融通性というんですか、そういう場合もあり得ると、病院への配転ということもあり得ると、その身分化の動きというのが今でも浮上してきたり、それが兆しがなくなったりと、ずうっとそういうところもありまして、私が原職復帰した後に学校保健会の歯科衛生士の職種そのものが正規の職員になった場合に、できれば保健所へ行きたいなというふうに考えていたこと、そして、正規職員化の問題が非常に遠い時代になった場合には、学校保健会の歯科衛生士として養護学校への歯科指導の巡回指導に行きたいということを含めて交渉をする考えがあるということを、これはおひと方じゃなくって、何人かのリハセンターの職員の方に申したことがあります。
Q.これまでは学校保健会の歯科衛生士として小学校に歯科指導に行っていたけれども、それが、身分化の問題がありますので、今すぐ現実ということではないにしても、将来、正規職員として扱われることが可能になった時には別の場所で歯科衛生士として働くと、それから、養護学校で歯科衛生士として歯科指導をしたいと、そういう希望を言ったことがあるということですか。
A.はい、そうです。
Q.それから、先程の立位での歯科指導ということについては、必ずしも立ったままということにこだわっていたわけではないということでしたけれども、今までは立ってなさっていたわけですね。
A.はい。
Q.立ってやる以外の方法を考えるとすれば、どういう方法があると思っていたわけですか。
A.現在でしたら、その方法というのを障害者の先輩たちにいろいろ教えてもらってすぐ道具の改良を思いつくことができました。その当時は、立って無理してやれるならやりたい。ところが、やれないんだったら、専門家の方に動作の工夫とか何らかの道具を使うことによって何らかの専門的知識を得れるんじゃないかということを考えていました。
Q.そこにリハセンターに対する期待の一つがあったということですね。
A.そういうことです。
Q.(甲第16号証を示す)5枚目ですが、90年の12月12日の分の記載ですけれども、4行目ですが、「授産所へ行って、介護のボランティアをしていると」というふうに書かれていますね。
A.はい。
Q.この時期にボランティアをなさっていたことがあるんですか。
A.ボランティアをやっていたというよりも、わたしの友人のそのまた友人の作業所のところへしばらく行きまして、そこでは陶芸の作品を作っておりました。陶芸の作品をわたしの手の生活上のリハビリといいますか、それをさせていただきながら、そこにいらしている障害者の口の中を歯磨きを仕上げをしたり、歯石を取って、そういう意味でボランティアなのかもしれませんが、したり、それから、それぞれの体の動きにあわせた形での歯磨きの仕方をそこの障害者の方から逆に学ぶとか、それから、車の運転が自分でできてましたので、障害者の方を病院に連れて行く運転をしたり、ご自宅に送迎することもしておりました。そういう内容でリハセンターが書かれたのではないかなと思います。
Q.ほかに、その作業所に通っている人たちに対して何かしたことはあるんですか。
A.ほとんどしておりませんけど。
Q.(甲第28号証を示す)91年の1月以降は横浜市の措置決定に基づく通所ということになりますね。
A.はい。
Q.措置決定のために、健康診断、それから家族、財産状況の調査、それから自宅での日常動作、知能テスト、心理テストがありましたか。
A.ありました。
Q.家族、財産状況については何回ぐらい調査されたんですか。
A.財産状況を非常に詳しく言ったのは一回だけですが、家族の説明をするのには、非常に私も家族状況を説明するときに一つの戸惑いというか、昔の苦しかったことを思い出してしまうんであれなんですが、離婚の話を5回させられた記憶がありますので、家族の説明をするのに何人の方に最低5回は説明せざるを得なかったということだと思います。
Q.誰に聞かれたか、覚えていますか。
A.全員はお名前含めて覚えているわけではありませんが、先程非常に手続きが難しいということを申し上げましたけれども、桂ドクターから次に手続き上どこへ行ってくださいと言われたのが、福祉事務所がリハセンターの訓練の窓口になっているから、福祉事務所へ行ってくれと言われて、予約をとって福祉事務所で説明をしました。そのときのケースワーカーは飯田さんというのを覚えています。福祉事務所の審査が終わって、もうこれでできるかなと思ったら、福祉事務所からリハセンターの一階にある更生相談所に行ってくださいと言われました。リハセンターの更生相談所の窓口になった方がお名前どなたかわかりませんが、窓口の方に説明をし、その次に、更生相談所のケースワーカーである足立さんという方に説明しました。そして、その次だと思うんですが、入所施設の生活訓練係の面接をされた、たぶん津川さんという方だと思いますが、その方に説明をしました。その後、それぞれのリハセンター側の担当者が決まった後で、看護婦さんか栄養士さんかにも家族構成を質問を受けたことがあります。
Q.(乙第10号証の3を示す)知能検査というのは、この心理判定[1]の[知的側面]と書いてある次の「WAIS知能検査」と、ウェクスラー知能診断検査というこれのことですね。
A.検査の種類というのは当時全然知りませんので、これがすべてかどうかというのは分かりませんが、これだと思います。
Q.それから、つぎのページ、心理判定[2]、心理テストというのは、ここに、エゴグラムとかバウムテストというものがありますが、こういうものですね。
A.はい、そうです。
Q.このような調査や検査を受けて、あなたはどう感じましたか。
A.非常に不愉快な思いをしました。
Q.調査や検査には結局応じたわけですね。
A.はい。当初の性格検査、それ以上の性格検査とか心理テストがどこまでやられるかというのは分かりませんが、それを受けた段階でのテストというのは、入所ができるかどうか、いわゆる集中的にリハビリを受けられる窓口になるテストだったので受けざるを得ませんでした。
Q.(甲第29号証を示す)これはどういう意味ですか。
A.この書類自体は、更生施設という場所でのリハビリが始まる時に、当施設ではこのような基本的なプログラムでカリキュラムを組んでいくというふうに説明を受けたときの書類です。
Q.リハセンターから配られたものということですね。
A.はい、そうです。
Q.「1月オリエンテーション・評価期間プログラム」とありますが、これを見ますと、評価、評価、評価、評価、ですね。どう思いましたか。
A.最初の非常にトータル的な評価というのはちょっとだけで済むと思いましたが、どうしてここまで評価をいっぱい、評価しかやらないのかという疑問がありました。
Q.その後、1月17日に初期評価会議というのが開かれていますね。
A.はい。
Q.これについては、あなたは職員から何か知らされるんですか。
A.初期評価会議がいついつある、1月17日だったと思うんですが、あるということは、先程のスケジュール表の下の方に書いてあったか、口頭で言われたか、この評価会議があるということは知らされました。
Q.内容についてはどうですか。
A.初期評価会議とか中期評価会議とかそういう会議を専門家が何人か集まってやるっていうこととか、当事者不在であるということとか、そこでの会議内容が本人に知らされるか知らされないのか含めて、そういう中身については何も知らされてませんので分かりません。
Q.(第15回口頭弁論証人宮崎貴朗の速記録を示す)32ページですが、ここでは、ビデオ撮影について、「これらのビデオの撮影は何のために行うんですか」という質問に対し、「訓練の時のプログラムを作るためにやります」と、「それは、やはりプログラムを組む上でビデオを撮る必要があるということですか」「プログラムを立てる時の参考だけじゃなくて、訓練を進めまして後で患者さんのほうにフィードバックできるというメリットもあります」とありますね。
A.はい。
Q.フィードバックというのはあったんですか。
A.フィードバックはありません。あまりにも評価判定の種類、それの連続の毎日でしたので、一つだけ教えてほしい、本当は全部教えてほしいと何回かいろんな方に言いましたところ、高塚ドクターから知能指数だけの数値を教えてもらったことがあります。そのぐらいです。
Q.同じ速記録の36ページで、訓練中の歩行スピードの記録に関して、「いわゆる数値的に示すことによって本人にフィードバックして意欲を高めていくと、そういうことでよろしいですか」、「はい」とありますが、これもそういうことはなかったということですね。
A.宮崎さんが数値をどういうふうに取り扱っているかというのも、見せられたこともありません。
Q.その後、1月の31日にその後のリハビリテーション計画というのが示されましたか。
A,はい。
Q.(甲第16号証の28を示す)これがその時示されたリハビリテーション計画書というものですか。
A.はい。
Q.この計画書が作られる前に、あなたは今後のリハ計画について何か意見を聞かれるということはありましたか。.
A.計画書を作られる前にはこの計画書に基づいて意見を聞かれることはありませんでした。
Q.この計画書をご覧になってどう思われましたか。
A.まずびっくりしました。
Q.どういう点でびっくりしたんですか。
A.この計画書はこれからのリハビリが終わる最後までの計画書だと思ったんです。それで、その中で、また評価判定がいっぱい入っている、どうしてこんなにいっぱい、これしかできないんだろうかというのが一つありました。それの中には、自宅での排泄動作の確認、入浴動作の確認、起きるときの動作の確認、これが訓練の目標であり、訓練の内容そのものが確認だということで、私の排泄するところ、入浴するところを人には見せたくないという気持ちが一つあったこと、それから、上記に書いてある訓練の中で、PT訓練の中で一つ戸惑いがありました。指導という形のものというのが私には何も感じられなかったのです。そこら辺でびっくりしました。
Q.次のぺージを示します。ここに意見というのが書かれていますね。
A.はい。
Q.「体の現状、将来的な生活設計がかならずしも一致しえない所があり、大半に於いてはプログラム内容にそって訓練するつもりでいます。生活拠点内の訓練について、又、心理については現状として必要性が感じられるほどの能力ではないと思っています。さらに住居変更の可能性がありますので、今行うことはおことわりしたいと思います」ということで、婉曲な表現では書いてありますが、拒否をされるということがここで示されているわけですが、そういうお気持ちだったわけですか。
A.はい、そうです。
Q.ここに書いてあることというのは、率直にあなたの気持ちを述べているわけですか。
A.かなり遠慮した形で書きました。
Q.(乙第10号証の1を示す)ここでは、先程も読みましたけれども、ADL、日常生活動作はすべて自立しているというふうに書かれていますね。
A.はい。
Q.それでも、確認の必要があるということだったんですか。
A.と言われました。
Q.計画書に対するあなたの考えをリハセンターの職員に伝えたところ、センターの職員はどんな対応をしましたか。
A.何人もの職員、そして、福祉事務所のケースワーカーも呼ばれて、その計画書を私にこれでやるのに何が不都合があるのかという旨の何人かの説得がありました。
Q.(甲第16号証の23を示す)1月30日のところに「個別相談井上」とありますね。
A.はい。
Q.(甲第16号証の24を示す)その後、2月の5日「個別相談大場」、それから2月の8日「Dr.面接 高塚Dr.」、それからその後「リハ計画説明(井上)」、それから20日「福祉cw来所」というふうにありますね。
A.はい。
Q.これはすべてそのあなたに対する説得の時間だったということですか。
A.ええ。お風呂とトイレの動作確認については、3週間ぐらいの中で何とかわかってほしいという気持ちがあって、抗議という形で何人の方にも言ったと思います。それが個別面談という形であったり、カリキュラムの中に入れられたのだと思います。
Q.排泄、入浴動作については、職員の前で実際にその動作をしなければならないというふうに思ったんですか。
A.はい、そうです。
Q.それは何か根拠があるんですか。
A.はい。
Q.どういった根拠ですか。
A.一つには、大場指導員のほうから「やれているといっても、見て調べなければわからないではないですか」と、で、私がそこでそれはいやだと、できているからいいということで、かなりやりとりがあったのが一つ記憶あります。そして、実際にお風呂に入っているところ、トイレの動作を自宅でやられた患者さんが入所施設の中でおられたので、伺ったら、パンツ一張までやるところまで、それ以上は我慢してくれって泣き付けばそれ以上はパンツ脱いで見せなくてもいいよと、徳見さん、そこまで我慢してやれば見せなくて済むから、パンツ一張のところまではやるかもしれないと、でも、お風呂に入る時は、空だったりお湯が入っていると見せざるを得ないから、冷たい水をはっておけばそこまで入れということはしないだろうということを言ってましたので、それ含めてとんでもないことだと、私は見せたくないという気持ちがあったわけです。
Q.実際にパンツ一枚になるまでやった人がいるということを聞いたということですか。
A.はい。その方はパンツ一張までやりました。それと、飯田ケースワーカーだけちょっと違う説得というか、ニュアンスが違う言い方をその時されていることを記憶しています。
Q.ニュアンスが違うというのは、どういうことですか。
A.実際にやらせるまでもなく、立ったり座ったりというのを何も自宅のトイレでやる必要ないじゃないか、椅子に座って、どこかにつかまって立つということをPTの中でやったりすればそれで分かることなのにね、という言い方をされました。
Q.分かることなんだけれども、リハセンターのリハビリの計画としてはやらなくてはいけないと、そういうことですか。
A.計画書にはそういうことを書いてあるという意味です。
Q.(甲第16号証の23を示す)ここの1月9日に心理、それから1月10日心理、14日心理と書いてありますね。
A.はい。
Q.心理というのは何ですか。
A.リハセンターのいう心理相談という時間帯だと思います。
Q.具体的には、原告は心理という時間の枠で何をされたのですか。
A.その前に、私は心理相談するつもりもなかったんですが、実際にやられたことはテストです。
Q.(甲第30号証を示す)PーFスタディというものですね。これをやったんですか。
A.はい、そうです。
Q.心理は受けたいと思う人が受けるんですか。それとも、必ず受けることになっているんですか。
A.カルキュラムの中に最初から入ってきまして、決められたことはよほどのことがない限りこちらから選ぶという選択の余地はありませんので、心理という時間が最初から入っていました。
Q.このPーFスタディを書かされて、どう思いましたか。
A.これ以上やめてほしいという中で、いつまで続くんだろうという失礼なという気持ちがありました。いろんな心の葛藤というのを私は既に自分の友人に相談することによってクリアしてましたので、何も心の中の洗いざらいを何で一方的に調べられる、それが心理相談なのかということを含めて、もうやめてほしいという思いがあったんです。
Q.その後、あなたは心理は拒否したんですか。
A.はい。そのPーFスタディという名前でしたか、そのテストを一回だけでは時間が足りなくてやれませんでして、家に帰って残りをやりまして2回目に提出したというのを覚えていますが、それ以降はもういやだということを言いました。
Q.ほかの患者さんは心理について何と言っていましたか。
A.ほとんどの患者さんがいやがっていました。
Q.リハセンターでの機能訓練について伺いますが、リハセンターでの機能訓練はどんなことをしましたか。
A.階段の昇り降り、それから平行棒の中での立位保持の訓練、そして、斜面台とか傾斜台とかいろんな言い方をしていたと思うんですが、斜面台でアキレス腱伸ばしをして、その後廊下に出て歩行をする、そして、その後、マットの上でストレッチの体操をする、主にそのぐらいです。
Q.あなたは、リハセンターでのリハビリをする前に、南共済病院、伊東温泉病院でもリハビリをしていましたね。
A.はい。
Q.そこの病院でのリハビリとリハセンターのリハビリとは違いましたか。
A.はい、違います。
Q.どんな点が違っていましたか
A.私自身、首の手術をしたときに、お医者さんからも看護婦さんからも病院のPTの人から含めて皆さんそうなんですが、転ぶということ、これ以上首にダメージを受けるということはやっちゃいけないということをずうっと言われ続けてましたし、私自身もこれ以上体の状況が変化するというのを考えるのも辛いというところがありましたので、転倒ということを一番恐れていた、転倒しないような防止策をあくまでもしたうえでPTをどこでもやってました。そこが大きな違いの一つです。それから、非常に訓練時間が。
Q.まず、転倒に対する注意の程度が全く違っていたということですね。
A.はい、そうです。
Q.(甲第16号証の63を示す)8枚目の12月5日の欄ですが、12月の5日の真ん中よりちょっと下ぐらいの所「LLBのロック外して歩行、転倒(+)、ぎこちなく、異常はなし」というふうにありますね。
A.はい。
Q.これは、どんなことをしたんですか。
A.その段階は、PTの中で訓練というよりも、いろんなことを、内容がしょっちゅう変わっていた時期だったと思います。それで、LLBというのは長下肢装具、左足に長い装具なんですが、それの膝の曲がりを、ロックを外すと膝が曲がる状態になりまして、それで、やらせたということの記録だと思います。今までロックを外して歩いたということは一回もありませんので、ロックを外してやった時に膝がかくっといってしまった、「転倒(+)」と書いてあるのは、これは転倒したという、私は転倒はそこの時にはしてません。かくっといったという感じですので、それの記録のことです。
Q.転倒はしなかったんですね。
A.はい。
Q.でも、転倒の危険のあることをやったわけですね。
A.はい。
Q.転倒の危険のあることを訓練のためにやるということですが、その転倒しないように何らかの処置というのはとってあったわけですか。
A.いいえ。一切そういう注意というのは払っていませんでした。そこが大きなリハビリの食違いの一つです。
Q.ほかにはどんな違いがありましたか。
A.南共済病院にしても、それから伊東温泉病院にしても、訓練には必ず筋肉疲労を慢性化させない処置をやりました。具体的には、マヒしている部分を温めたりマッサージしたりストレッチしたり電気を当てたりすることによって筋肉に疲労をためない処置の時間が非常に長かったんです。リハセンターではそういうふうなことが一切ありませんでした。そのために、股関節とか肩とか膝とか体の部分的な痛みが非常に強くなったり、筋肉がカチカチになったこと、それに対する処置というものはなかった、主にそういうことだと思います。
Q.甲第16号証の63の11枚目、12月の26日の記載、26日と書いてあるページの次のページですが、「日常外出も多いとのこと(cw足立さんより)、それからすると現在のEx量は少ないはず。しかし、疲労の訴え多い。本日もEx後『休んで帰る』言い、PT室内のM」。
A.Mはマットですね。
Q.「PT室内のM上で約30分横になっていた」というふうにありますね。
A.はい。
Q.この疲労が多いということは、今原告が供述されたことに関係するわけですね。
A.はい、そうです。体全体の疲労というよりも、局部的な痛み、腰含めてですが、股関節を含めての痛みが強くなったのと、筋肉の慢性疲労がずっと続いていたということです。
Q.それで、「30分横になっていた」とここには書いてありますけれども、何にもしないで横になっていたわけですか。
A.30分マット上でというのは、私が申し出て、南共済とか伊東温泉病院でやってた、そして退院後家でもやっていたストレッチの運動を私がやらせてほしいと言ってやったことだと思います。
Q.ストレッチをやっていたということですね。
A.はい。
Q.ほかにはどんな点がリハセンターとほかの病院でのリハビリとで違っていたんですか。
A.大体先ほど述べたこと。
Q.時間の点はどうですか。
A.南共済病院では大体4時間半のPTです。そして、伊東温泉病院ではやはりそのくらい、もしかするともうちょっと多かったかもしれません。温泉の中で歩く練習をいっぱいしましたので、非常に時間帯はみなほかは長かったです。
Q.長い時間やっても、疲労の程度はリハセンターよりも少なかったということですか。
A.ずうっと少なかったです。ときどき反応はありましたが。
Q.その違いはどこからくるんですか。
A.先ほど申したように、慢性的な疲労を残さない一つの処置があったからです。
Q.リハセンターにはそれがなかったということですか。
A.はい、そうです。
Q.リハセンターでのリハビリはあなたの期待していたものとはだいぶ大きく違っていたんですか。
A.大きくというよりも、全く違っていました。
Q.何が大きく違っていましたか。
A.職場復帰に向けてのヒントとなるようなものが何もなかったからです。

 代理人大塚
Q.(甲第16号証の24を示す)事故当日である91年2月26日の欄を見ていただきたいんですが、スケジュールが3つ書かれていますね。
A.はい。
Q.事故当日の予定はこういう予定だったということでよろしいですか。
A.はい、こういう、予定が入っていました。
Q.PTというふうに一番最初のところに書いてあるのは、運動療法ということでよろしいですか。
A.はい。
Q.次のOTというのは作業療法ということでよろしいですか。
A.はい。
Q.3番目の移動訓練というのは、これはどういう訓練の一種ですか。
A.生活訓練係の評価判定のカリキュラムの一つだと思うんですが、これもいろんなことをやっていました。生活訓練の一つです。
Q.(甲第16号証の28を示す)一枚目ですけれども、この表の真ん中辺りに機能訓練という欄がありますね。
A.はい。
Q.その中にPT訓練というのとOT訓練というのが書いてありますね。
A.はい。
Q.ここにそれぞれ書かれているようなことがPT訓練やOT訓練の中身だということでよろしいですか。
A.はい、そうです。
Q.それから、これの一番下のほうに社会生活技術訓練という欄があって、その真ん中辺りに移動という項目があるんですけれども、これが先ほどおっしゃった移動訓練と伺ってよろしいですか。
A.はい。ただし、全部がそれをその後やったということではありません。
Q.これも計画であって、最終的にこれが全部実施されたかどうかは別であるということですね。
A.はい。
Q.事故のときのことについて伺いますけれども、今回の事故はPTを開始した後の事故だったわけですね。
A.はい、そうです。
Q.PT訓練が始まってからどれぐらいしてからの事故でしたか。
A.大体30分ぐらいだと思います。
Q.時刻で言うと何時ごろだったか覚えていますか。
A.9時半ごろです。
Q.先ほどの甲第16号証の24で見ると、PTの担当の方は宮崎さんという方で、この間ここで証言した方ですけれども、実際にその人がその日担当だったんですね。
A.はい。
Q.ほかにどんな人がその場にいたか覚えていますか。
A.その場にいたのは、ほかのPTの方と患者さんたち、入所の患者さんと外来の患者さん、入院の患者さんたちです。
Q.PTの人も複数いたわけですか。
A.はい、そうです。
Q.全部で何人ぐらいいたか記憶していますか。
A.4人は記憶していますが、4人か5人かというのは分かりません。実習生が一人いました。
Q.患者さんが複数いたということなんですが、このときに宮崎さんが担当していたのは徳見さんだけですか、それともほかの患者さんも担当していましたか。
A.ロールを使っていらした患者さんは、外来の方で、担当者です。それから、入院の患者さんで、初老のご婦人の方が、少しの時間いらしたような記憶があります。
Q.その日の徳見さんのPTの中身なんですけれども、どんなことをやる予定でしたか。
A.予定では、階段の上り下りの訓練、平行棒の立位保持の訓練、そして、斜面台のストレッチ、廊下を歩く練習、それからマット上の訓練の予定です。
Q.いつも大体そういう順番で訓練をしていたわけですか。
A.集中的なリハビリが始まってからは、PTはこの予定でした。
Q.この事故に遭った日は、まず最初に何をやりましたか。
A.階段を先にやりました。
Q.階段の上り下りですね。
A.はい。
Q.その次に何をしましたか。
A.次に斜面台でストレッチ、アキレス腱伸ばしをしました。
Q.いつもの順番だと、平行棒での訓練を次にやるということのようなんですけれども、このときは平行棒じゃなくて、斜面台を次にやったんですか。
A.はい、そうです。
Q.それはどうしてですか。
A.曜日によって、先ほど言った、入院患者さんが時間帯一部来たり、外来の患者さんが来たりということで、宮崎さんの担当がいっぺんに、マンツーマンじゃなくなることが多かったと。それと、ほかのPT訓練士の担当の患者さんが階段を使っているときは、私は階段を後にするとか、そういうことがありましたので、この日は宮崎さんの指示により、平行棒を後回しにしたということです。
Q.(乙第1号証を示す)末尾添付に出ている写真なんですけれども、写真@でいうと、立っている人物の左後方に白っぽい斜めのスロープがありますよね。
A.はい。
Q.これが、さっきおっしゃつた斜面台ですか。
A.違います。
Q.斜面台というのはどれですか。
A.斜面台というのは、左上にある、ストレッチャー、小さいベッドのような機械、これが斜面台です。
Q.写真@の一番左の奥にある茶色っぽい台ですか。これが斜面台ですか。これを使うわけですね。
A.はい、そうです。
Q.このときあなたが斜面台の訓練をやったときに、斜面台は写真@と同じ場所に置いてありましたか。
A.ここの場所ではありません。
Q.どこでやりましたか。
A.もっと平行棒に近いところに移動して使いました。平行棒の端の方です。
Q.もう少し手前に出してきたということですか。
A.はい、そうです。
Q.(甲第1号証を示す)これの図3を見てください。この図面の右下のほうに斜面台と書いてありますね。
A.はい。
Q.ここまで出してきたということですか。
A.はい、そうです。
Q.出してきた何か理由があるんですか。
A.これは宮崎さんが出してくれたものです。写真ではこうやって寝かせてありますが、通常は立っていることが多かったんです。で、なぜここまで持ってきたかというのは、それは私は分かりません。宮崎さんが持ってくるものですから。一回寝かせて、装具を全部外して、私が横になって、ベルトをかけて、その固定した状態で斜めになる、その作業をやるためにここに持ってきたんだと思います。
Q.斜面台が終わった後、次に平行棒に行こうとしたということですよね。
A.はい、そうです。
Q.そのときに、あなたが体に装着していたものというのはどんなものですか。
A.ロフストランド杖二本と長下肢装具です。
Q.(甲第27号証を示す)@の写真では、両手に杖をつけていらっしゃいますね。
A.はい。
Q.これがロフストランドでよろしいですか。
A.はい。
Q.写真のJは左足に装具をつけている写真ですけれども、これが長下肢装具ですか。
A.はい、そうです。
Q.で、あなたが斜面台を終えて、平行棒のほうへ行こうとしたときの平行棒の様子はどんなでしたか。
A.平行棒の一番左側の上、平行棒の上にロールが置いてありました。
Q.それを見て、どうしましたか。
A.ほかの平行棒を使えるんなら使いますが、そのときの記憶では、あと空いていたのが木の平行棒だけだった記憶があったので、宮崎さんに相談に行こうとしました。
Q.木の平行棒が空いていると、どうして相談に行かなければいけないんですか。
A.木の平行棒は、角材というよりも、薄い、広い板で、こうやって押して立ったり座ったりする人はできますが、私の左手は押して立ったりするということは非常に難しいんです。で、それよりも、金属棒のはつかむことができますので、使うときはいつもそれを使うようにという指示もあったんです。
Q.そうすると、あなたが使える金属製の平行棒については上にロールがのっかっていたので、それで宮崎さんの指示を仰ごうと思ったということですか。
A.はい、そうです。
Q.もう少し詳しく聞きます。今、金属製の平行棒の話をしてもらいましたよね。
A.はい。
Q.金属製の平行棒の棒というのは、丸い棒なんですか、円柱状のものなんですか。
A.円柱状のものです。
Q.それから、木でできている平行棒の棒というのは、円柱じゃないということですね。
A.はい、そうです。
Q.それは角材のような……。
A.角材の、薄い、幅のちょっと広いものです。
Q.それは、あなたとしては、手で握れるようなものではないということですか。
A.手で押して立位をやる状態のもので、使うのに該当しないものだと思います。使ったことがありません。
Q.角材の平行棒だと、あなたにとってどういう不都合があるんですか。
A.押せないということと、あと、バランスが崩れたときに、とっさに握って、立位を保持するというのが角材だとできないからです。
Q.要するに、握る必要性があるということなんですね。
A.そうです。
Q.角材だと握れないんですか。
A.幅が広すぎて握れません。
Q.だから、金属製じゃないとまずいということですか。
A.はい。
Q.(甲第1号証を示す)ロールが平行棒にのっていることに気付いたときの位置なんですけれども、これの図3を見てください。ここに、平行棒、斜面台、それからあなたの人物の位置も書いてありますね。
A.はい。
Q.それから、図2にも同じようなことが書いてありますよね。
A.はい。
Q.これは後から再現したものだと思うんですけれども、こういう位置関係だったということはどうして分かったんですか。
A.こういう位置関係にあったということは、わたしの記憶に基づいて、リハセンターの中で実際に実験という形で、弁護士を立ててやったことがあるので、こういう位置関係を提示することができました。
Q.リハセンターの中で、後でこの事故を再現したんですね、あなたも行って。
A.はい。
Q.そのときに再現したものに基づいて計測したということですか。
A.そうです。
Q.で、あなたがロールを発見したときの宮崎さんの位置なんですけれども、この図3でいうと、宮崎さんの位置はどこですか。
A.宮崎の位置はTと書いてあるのがあります。
Q.Tと書いてあるところですね。
A.はい、そうです。
Q.Tと書いてある人が左半分に二人いるんですけれども、そのうちのどっちの人ですか。
A.真ん中に近いほうです。
Q.真ん中の四角い枠はマットですか。
A.はい、そうです。
Q.マットの上にいるTという人が宮崎さんですね。
A.はい。
Q.Tというのは指導員の意味ですか。
A.そうです。
Q.ロールを発見した後なんですけれども、その後どうなりましたか。
A.ロールが平行棒の上をなんか揺らぐのが最初見えました。
Q.それからどうなったか記憶していますか。
A.その後、揺らぐように、止まるような揺らぐように、平行棒を転がってきて、落ちました。落ちて、私にあたりました。
Q.ロールが揺らいで落ちてくるのを見て、あなたはどうしましたか。
A.気が動転しました。何がなんだか分からなかったんです。
Q.宮崎さんに声をかけようと思いませんでしたか。
A.すくんでしまいました。
Q.結局、声をかけられなかったということですか。
A.はい。
Q.で、ロールが落ちてから、あなたにあたったわけですか。
A.はい、そうです。
Q.時間的にはすぐですか、それともしばらく時間があってあたったんですか。
A.私の記憶では、すぐです。
Q.体のどこの部分にあたったか記憶してますか。
A.記憶しております。
Q.どこですか。
A.右足の側方の前のほうです。
Q.(前示甲第1号証を示す)写真@は、あなたがおっしゃった事故を再現したときの写真ですね。
A.はい。
Q.この写真@のような形であたったということですか。
A.はいそうです。
Q.そうすると、あたった方向というのは、斜め右の前方向からあたったということですか。
A.側方の斜め前という感じです。
Q.ロフストランドにはあたらなかったんですか。
A.あたっていません。
Q.右側の杖にあたってなかったんですか。
A.はい。
Q.あたったときの衝撃は大きかったですか、大きくなかったですか。
A.あたったときの足に対する衝撃というのは、それほど強いというふうには記憶していません。
Q.あたった後、どうなりましたか。
A.右足にあたった後、右に持っていたロフストランドの杖が前に滑りました。
Q.それは、ロフストランドにはロールはあたってないけれども、滑ったということですか。
A.はい。
Q.滑ってから、どうなりましたか。
A.後ろに滑って、ストンッと、背中を打つようにして転んでしまいました。
Q.どうして、そういう倒れ方をしたんだと思いますか。
A.どうして、そういうふうになったかということを言うのは難しいと思います。そういう転び方になった。前につんのめるということは、多分考えてもいないし、前に転んだらもっと怖い、杖がへし折れるとか、そういうふうになると思うんです。
Q.先ほどの話では、ロールがあたったときの衝撃はそんなに大きくはなかったというお話しでしたね。
Q.足にあたった衝撃はそうでした。
A.だけれども、結果的には後ろに転倒したということですよね。
Q.はい。
Q.どういう力学でそういうふうになったのかということが知りたいんだけれども、あたったとき、あなたはどういう状態だったんですか。
A.宮崎さんのほうを向いて、こちらのロールが動いてくる様子を、何だか分からない、とにかくあそこのロールをどけて、片付けてほしい、それとも、ほかのことを先にやったらいいかどうか含めて、立っていたと思います、四つ足で……。
Q.四つ足で立っていたと。
A.四つ足の二つ足、右杖、(右)足がすくめとられたと。こっちは滑って、足はすくめとられたという感じで。要は氷の上を滑るようにステンッと。
Q.衝撃はあまり大きくなかったけれども、すくめとられたということで、後ろにバタンッといってしまったんですか。
A.はい。背中への衝撃は強かったです。
Q.先ほど、四つ足とおっしゃっていましたけれども、かなり力を入れた状態ですか。
A.踏ん張りました。
Q.踏ん張ったんだけど、バタンッと倒れてしまったんですか。
A.そうです。
Q.甲第1号証の写真Aないし写真Dを見てください。こういう写真の流れで転倒したということですか。
A.はい、そうです。
Q.このときに、後ろに倒れて、頭を打ちませんでしたか。
A.頭は打ってません。
Q.頭はかばったの。
A.むしろ首を反射的にかばったんです。
Q.首をかばった結果、どんな倒れ方になったんですか。
A.背中を打ちました。
Q.そのとき背中を打ったということですか。
A.はい。
Q.ここに証人に出てきた宮崎さんの証言では、あなたの右足には支持姓があって、それから左足も長下肢装具をつければ、比較的支持姓が良好だったというんですけれども、それについてはどう思いますか。
A.これは、あくまでも先ほど言った四つ足、杖を使った状態で足がすくわれないような状態だったら支持姓があるかもしれませんが、健常者のときに倒れたこともあります。
Q.今二つのことを言ったんですが、健常者のときも倒れたことがある、だからこのときは障害を持っていたんだから倒れても不思議はないと、そういうことですね。
A.はい。
Q.最初に言ったことと二番目に言ったことは別のことでしょう。
A.はい。
Q.最初に言ったときのことなんですけれども、支持姓があるといっても、それは杖を使ってのことであると、そういうことですね。
A.杖を使った上で、しかも右足がすくみとられないんだったら、という意味で、立っていたと思います。
Q.しかも杖が滑らなければ、ということですね。
A.はい、そうです。
Q.このときは、杖も滑ってしまったし。すくみとられたというのは、すくいとられたことですか。
A.そうです。
Q.支持姓があるといっても、非常に安定しているということとは別のことでしょう。
A.安定していたら、杖とか長下肢装具は必要ないと思います。
Q.不安定だから倒れたわけですね。
A.はい。バランスが崩れたんです。
Q.で、先ほど転倒して背中を強く打ったということなんですけど、かなり痛かったですか。
A.痛かったです。
Q.衝撃を感じましたか。
A.背中の衝撃は、そのとき感じました。
Q.手足はどうでしたか。
A.手足は、かなり踏ん張って、筋肉がつるような状態になりました。
Q.そのときに。転倒のときに。
A.はい。
Q.(甲第16号証の49を示す)事故当日の91年2月26日の欄なんですが、宮崎さんが書いたものですけれども、これを見ると、真ん中あたりに、「ローラーが転がってきて、転ぶほどではないのだが、バランスoffとなったというより、自ら前方へ転倒」と書いてあるんですね。
A.はい。
Q.「自ら前方へ転倒」と書いてあるんですけれども、そもそも前方へ転倒したんですか、しなかったんですか。
A.前方へ転倒していません。
Q.今回、一貫してリハセンターのほうは、あなたが前へ倒れたんだというようなことを言っているんだけれども、前方へは倒れていないということでいいんですか。
A.はい、そうです。
Q.そういう根拠は何かありますか。
A.リハセンターの写真のように転倒したという根拠ですか。
Q.そうではないという、あなたなりの根拠がありますか。
A.頭をぶつけたり、ロフストランドがへし折れたり、そういう転び方など考えられません。
Q.(乙第1号証を示す)末尾添付の写真の@以下を見てください。これはリハセンターが作った再現写真なんですけど、あなたはこういう転倒の仕方をしたんだというのがリハセンターの言い分なわけだけれども、あなたとしてはこういう転倒の仕方はしていないということですよね。
A.はい。
Q.で、これは非常に不自然に見えるんですけれども。例えば、この人の左足が全然曲がらないまま、真横のほうにずっと出ていっていますよね。
A.はい。
Q.このとき、あなたはこういうような足の動かし方をしましたか。
A.するもしないも、全然できないんです。
Q.それはどうしてですか。
A.左足の麻痺のためです。
Q.左足が麻痺していて、こんなふうに左足を左のほうに、長下肢装具をつけたまま移動することはできないということですか。
A.はい。
Q.長下肢装具というのは、結構重いものなんですか。
A.重いものです。
Q.その重さもあって、できないということですか。
A.違います。長下肢装具をつけなくても、つけてあっても、私の左足は自分では横にできないんです。
Q.こういう運動はできないということですか。
A.はい。
Q.逆に言うと、長下肢装具をつけたままの状態で前に倒れるとすると、こんな倒れ方しかできないんですか。ほかの倒れ方というのは考えられませんか。
A.考えられるかといっても難しいですが、多分前にバチャッと倒れる……。
Q.ばったり倒れる以外にはないだろうということですか。ロフストランドや長下肢装具をつけていた場合には。
A.はい。
Q.乙第1号証のこの写真に出ている青い服を着た人は知っていますか。
A.この当時は全然知らない方です。
Q.今はどんな人だか分かりますか、どいう立場の人か。
A.リハセンターの職員であるということは分かります。
                                              以上