【第7回「リハ裁判」報告】  弁護士・森田 明
準備書面(4)提出


 リハセンターは、原告の心理状態や、日常生活のあらゆる動作等を観察し、測定し、記録し、評価することに終始し、原告が最も必要とする職場復帰のための機能回復訓練および障害に見合った仕事上の工夫等に関する指導は、全くなされなかった。

 前回(第6回・93.11.4)で、裁判所に「文書送付嘱託」の申し立てをいたしました。これは、裁判所から福祉事務所に対して「徳見さんの関係書類の提出」の依頼です。
 それに対する回答を、今日受け取りました。内容は「同じ文書に対して、徳見さんが、横浜市の情報公開条例に基づいて、公開請求をしたところ、ほとんどが非開示になったため、異義申立中であるから、提出できない」という理由で、送付嘱託を拒否する回答が来ています。従来から、心理判定関係の文書を出したがらなかったのですが、裁判所からの依頼があっても出して来ません
 「情報公開で請求した場合に出すか出さないか」という判断と、「裁判所からの依頼に対して出すか出さないか」という判断は、本来別次元の判断ですから、裁判所からの依頼に応えないという理由に、直接にはならないわけです。裁判所のほうは、「こういって出さないのならしょうがないじゃないですか」と、やや弱腰になっています。
 この点をどうするか、今後こちらの弁護団で検討したいと思います。
 そういうわけで、必ずしも十分な材料がそろっていない段階なのですが、あまりこちらが、現段階で細々(こまごま)とした主張を出すよりも、こちらの主張は一応区切りをつけて、向こうに反論させる段階に進んだほうがいいのではないかと思います。
 今回は、これまでの手持ちの証拠の中から、何点かにわたって主張した準備書面を出しました(準備書面4)。7ページほどのものですが、「個人情報をむやみに収集するのは、それ自体違法な行為である」ということや、「徳見さんに対するリハビリのあり方自体が非常に問題である(つまり、職場復帰のために必要なリハビリであるべきなのに、実際には「日常生活の動作の確認」であったり、データの収集に終始していた)」ということ、またリハビリの計画を立てるにあたっても、一方的につくって押しつけてきました。こういった「不当なやり方でのリハビリのための情報収集あるいは必要性のない情報収集は違法である」と主張しました。
 また、大きな問題として「心理評価」があります。これも本来、徳見さんに対するリハビリをおこなう上では必要のなかったことであり、しかも、その評価の内容自体も、非常に一方的で、ほとんど「人格非難」に類するようなことがいろいろ書かれていて、しかもその根拠も、あまりはっきりしていません。予断と偏見に満ちた主観的な評価をズラズラと書いています。
 そういったことからしても、心理評価自体不当であるし、そのための個人情報の収集あるいは心理面での調査は違法な行為になる、ということを簡潔に書きました。
 もう一つは「証拠説明書」を出しました。これはリハセンターから提出された書類を、前回の公判でこちらが証拠として出したわけですが、 200ページにもなるため「裁判所がどこをどう読んだらよいか分からない」というので、こちらで説明をつけた書類です。
 今日のやりとりはこういったところです。向こう(被告)のほうは、こちらが出した証拠に対する認否(証拠の成立を認めるかどうか)をやるわけですが、それは「今日できないので、次回にやる」と言っていました。また、これまで、こちらが準備書面を4回ほど出して、いろいろ主張してきたことに対して、被告側が反論するということになります。 被告がどの程度の反論をしてくるか、まだ分かりませんが、リハセンターが「どういう考えでリハビリをやっているのか」「どういう考えでいろんな情報を集めているのか」ということについて(基本的には弁解的な観点ですが)の筋道が出ると思います。それを見た上で、基本的な考え方から批判していく、そういった議論をしていくことになると思います。どんな言い分を被告側が出してくるのか、それがちょっと見物(みもの)だと思います。


健常者が要求する「障害者の自立」
徳見康子

 じつは裁判闘争だけではなくて、今年の1月4日の「ご用始め」から、職場(横浜市教育委員会学校保健課)のほうに自主出勤闘争を始めました。1日だけ「自主年休」をとって医者に行きましたが(当局の要望による「診断書」をとるため)、あとは、毎日「出勤」しています。
 何で自主出勤を始めたか、ということから話したいと思います。
 当局は、私が「自力通勤・自力勤務できないから、職場復帰を認めない」と言っております。そもそも「自力……」という条件は「障害者の採用枠の条件(横浜市では、障害者を別枠で採用している)」であり(これ自体差別的ですが)、それを、私の職場復帰を拒否する(解雇できず、自主退職を迫る)理由にもってきたのです。
 もちろん「健常者」の場合は「採用条件ではなくなったから解雇」という例はないと思いますが、採用時点で「健常者」だった私のような中途障害者を、障害者の採用枠をもってきて、解雇の理由にすることが許されるのでしょうか。また、それを認めたならば「障害者枠」の中で採用された障害者が、「自力でやれなくなった」とたんに、当然のようにクビにさせられていくことにもなるわけです。
 私がリハセンターへ行ったのは、「職場復帰に向けてのリハビリ」が目的でした。その当時私が悩んでいたことは、
 1.大きな歯の模型を右手で持つことはできても、左手で歯ブラシの模型を持ち続けられない(左手に麻痺があるため)。
 2.2本棒の杖をついて、書類や資料を、どうやって運んだらいいか。
 3.立ちっぱなしで、何時間も続けてしゃべるときにどうしたらいいか。
 主にこの3つが、職場復帰した場合の私の課題だったのです。
 そのころは、健常者の意識で生活していましたので、身体の状況が変わったときに、その生活の状況・生活のパターン・動作などについて、どうしたらよいのか、とまどいがあったわけです。
 今考えると、非常に簡単な改良の道具さえあれば、できることでした。なまじっか健常者に近い障害者は、健常者と同じやり方で、同じパターンでやろうとします。非常に無理し、自分を酷使し、自ら過労に追いこんでいきます。
 転倒する前の私だったら、過労どころではなくて、すぐにプッツンしてしまうような、昔の(健常者の)やり方にこだわってやったのではないか、という気がします。
 自力で、一人で外へ行くことができなくなってからは、「なんだ、ああいう道具を使えばいいじゃないか」「こういう工夫があれば、できるじゃないか」というように、生活上の道具を取り入れたり、道具の使い道を変えることによって、当たり前にできるのだ、と思うようになりました。
 しかし、障害がもっと重度だったら、はたしてどうでしょうか。道具を工夫しても、改良してもやれません。その人たちが労働の現場からクビ切られるのが当たり前であり、私の場合には改良の余地があるから働いていいのだ、というのはおかしいと思います。
 ただ私の職場復帰を勝ち取るだけだったら、「こういう改良で、こういう方法で、私はできるのだ――そういう労働者としてふさわしい障害者なのだ」と、たぶん主張すると思います。
 ところが、「障害者であること」を処分(職場復帰を認めない=解雇)の理由にしてきたとき、それを認めることはできないと思いました。それは「障害者になったことが悪いことなのでクビだ」ということと同じだからです。私は、「人がどんな身体の状態あっても、その人の個性である}と思いますし、「いろんな個性があって普通の社会である」と言っていきたいと思っています。そこで「私の今の状態に合わせて、仕事を作り替えればいいじゃないか」という要求になりました。
 「障害者の自立」とは、健常者の側にとって必要な「自力」にほかなりません。障害者は、勝手に決められた「自力」「自立」に自分を合わせる必要はありません。「あなたは自立できている」「自力でやれている」という評価は、社会や生活・文化によって違いますし、人の価値観によって、全く変わります。横浜リハセンターが、私の身体・動作・「能力」を取り調べたのは、「健常者と比べて、どの部分がどのくらい劣っているか」というほじくり出しであって、私にとって必要な評価・判定は何一つありません。
 私のようなとまどいには、「こういう道具があれば、それは難しくないんだよ。こういうちょっとした工夫でできるんだよ」というアドバイスですんだはずのことです。それを「自宅でのトイレやお風呂の動作の確認」そのものがリハビリだというのです。これは、「障害者に人権なし」を当然のこととする考えから出てくるものであり、またリハビリの評価・判定そのものが、人間として非常に不当な扱いであることを示しています。この辺りを、もうちょっと裁判の中で言いたいと思います。
 今まで出された文書は、全部、転倒する前の評価・判定をめぐってのものでした。事故後の対応(リハビリ再開拒否)についての資料は、いっさい出されていません。ですから、もう少し「事故そのものについてのうそ・でたらめ」「なぜリハビリ再開を拒否をしたのか」というあたりの資料を、もっと引き出したいと思います。それをを出させるにはどうしたらよいのか、弁護団と共に考えて行きたいと思います。


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