「障害」を理由に解雇されて(14)

 前回は、「初期評価会議」において、PT(理学療法士)宮崎と臨床心理士・関谷が、「専門職としてのプライド」を傷つけられて、共に徳見との関わりを放棄してしまったことを述べました。

初期評価会議(つづき)
 徳見の目的である職場復帰について、職能(職能開発係)の担当者・松田は、「初期評価会議資料」に、「目標を復職のみとするか他の目標も並列的に考えていくかが明確になっていないのが、現在の問題点」と書いています。
 この会議の前日、16日に「職能」の時間がありました。この時のカリキュラム名は「職能相談判定」となっており、松田は次のように記録しています。

○復職を考えているが、次のような点で迷いがある。
  ・復職よりも活動ホーム開設準備の話が友人の間で出ており、こちらの方が面白そうだという気持ちがある。
  ・能力的にも次のような点が心配。
    体力(外勤、立位中心の仕事)
    腕を挙げたままの作業が多いこと。
  ・今回の休職の前にも十数年健康のことで職場に迷惑をかけている。
 ○以上のような状況であるが、本人としては学校保健会側に対しては復職ということでやっていきたいと考えている。しかし、学校保健会側では復職とは考えていな  いらしい。


 1時間の面接時間の間には、いろいろなことが語られました。「活動ホームも面白そうだ」と徳見が語ったとしても、「復職よりも面白そうだ」という「比較」としては語ってはいません。
 「能力的な心配」についても、「それをどう解決するか」――その方法を学ぶために横リハに来たのです。また、「職場に迷惑をかけている」と語ったのは、「だから早く職場復帰をしたい」という気持ちの表われなのです。
 また、「学校保健会側では復職とは考えていないらしい」としても、すくなくとも「総合」リハビリセンターであるならば、職場復帰に向けて、いろいろな取り組みをしてくれるだろうし、学校保健会に対する対応策も一緒に考えてもらえるのではないかという期待もあったのでした。
 しかし、このいずれも「職場復帰への迷い」という受け取り方になってしまっています。
 ところで、どうして職能の担当者が、「学校保健会側は復職とは考えていないらしい」と書いたのでしょうか。

初期評価会議のあと、徳見リハチームの高塚医師は「診療部内リハプラン」において、会議の内容を受けて、次のように書いています。

〈ヒステリーに対する対応〉
  1.ヒステリーの原因を把握――心理
  2.身体障害として対応
   本人の希望を可能な限り受け入れる。
   ダメなことは、はっきり理由をつけて断わる。
   本人が納得するプログラムを作成する。
  3.key person(キーパーソン)は、生活指導員。
 goal(ゴール)〉
   復職は無理→何を目標にEx(訓練)するのか。片杖歩行とする。

〈ヒステリーに対する対応〉については、前回書きましたが、ここでも、医師は「身体障害者として、受容的にリハビリを行なう」こと、そして「本人が納得するプログラムを作成する」ことを指示し、またリハビリの目標を「片杖歩行」と具体的に述べて、生活訓練係との方針の違いをみせています。
 それはともかく、なぜ高塚は「復職は無理」と断定しているのでしょうか、

職能の松田の「学校保健会側は復職とは考えていないらしい」という記載や「判定書」の記述などを併せて考えれば、横リハの内部では、徳見の復職は不可能という観測がなされていたように思われます。それは、すでに何度か述べたように、徳見のかつての上司(教育委員会学校保健課長)が、リハセンターの理事クラスに天下りしていることからも、、徳見の復職を望んでいないという情報は「つつぬけ」だったと思われます。

リハビリテーション計画書

1月31
 前述したように、高塚医師は、「本人が納得するプログラムを作成する」ように指示していますが、 初期評価会議を受けて、「本格的な」訓練に向けて作成されたプログラム(リハビリテーション計画書)は、「本人が納得するプログラム」とは、ほど遠いものでした(「計画書」は第6回に掲載)。
 この「計画書」は、1月31日に生活訓練係の井上から提示されましたが、徳見が横リハの方針を知ったのは、これが初めてでした。
 「職場復帰のためのリハビリ」を目的として来たはずなのに、入所目的が「障害の受容」であり、「リハビリの目標」が「障害受容」「復職の可能性の見極め」となっています。また、期待していたPTの機能訓練内容は、それまでとまったく変わりません。「社会生活技術訓練」に至っては、「訓練目標」も「訓練内容」も、ほとんどが「確認」だけなのです。
 徳見が求めていた「徳見の体の状態で、職場復帰した場合の仕事上や生活上の工夫や、そのための訓練」などは、まったく感じられませんでした。

この日、計画書を提示した井上は、「ケース記録」に次のように記載しています。

評価会議の結果について
  機能訓練、職能訓練は希望するが、心理・日常生活動作の自宅での確認は行う必要はない。
  理由は、心理は検査をするだけでは何も解決しない。身体機能・生活設計に関しての専門家ではない人に、訓練してもらう必要はない。
  自宅での日常生活動作は可能であり、プライベートに関わる部分を見せることにもなり、訓練として行う必要はないと、涙を流し、拒否的である。
  また、リハセンターは機能訓練のみを行うところであり、その他の訓練は、自分には必要ないと考えている。
  訓練の実施は、Dr及び専門職の総合的な評価により、必要と判断したものであること、当施設は機能訓練のみではなく、利用者の生活全体の目標達成へ向け、必要 な訓練・調整を行うところであることを説明するが、納得しない。
  本日は、これ以上説明を行っても、拒否感が強まるだけと判断し、後日、リハ計画書説明時、大場指導員より、再度説明することとする。      (井上)

 この「計画」に対して、拒否的な態度を示す徳見に、井上は、「Dr(医師)及び専門職の総合的な評価により、必要と判断した」ことを絶対的なものとして強調し、それに対する徳見の異議申し立てには「涙を流し、拒否的」と、冷静に観察するだけです。
 「(患者から)信頼を得た治療者=キーパーソン」と指定されたにもかかわらず、その主張に耳を傾け、意見を受けとめる姿勢はなく、涙を流してまでも抗議せざるを得ない「される側」の気持ちを全く考えようともしていません。
 その後、井上は、高塚医師に「プログラム実施に対する拒否があることを報告し、プログラム実施の必要性の説明を依頼」しています。

2月8日
 午後2時から1時間「Dr面接」の時間が設定されました。
 高塚には、「評価・評価と、すべて数字による評価で、評価されるために入所したみたい」と抗議し、またPT訓練も、これまでの病院でのリハビリと全く違って、データ取りばかりであり、転倒に対する注意が全くないなど、このような「横リハの専門家による指導のあり方」についての疑問と不満を述べたのですが、高塚は「更生施設における生活指導訓練についての説明内容に対する認識のギャップ」、つまり「〈更生施設〉を理解していない」ためだと、この日のカルテに書いています。
 そして3時から、井上による「リハ計画説明」があり、次のように記載されています。

〈リハビリテーション計画書署名〉 
 医療相談(Dr.との面接)後であり、本人より、相談内容の報告がある。
 本人からは、センターに対する不満、プログラムに対する不満を訴え、その解答を得た。更生施設の利用者に対するサービスの説明があり、最後に、自分は当施設の対象者ではなかった、と言われた。また、機能訓練は1日1時間程度で、一週間に2~3日行えば、機能維持・回復は可能であり、むやみに長時間行っても意味がないことの説明を受けた。与えられたプログラムを長時間かかっても、全てこなすことが大切だと思っていた自己の考え方は間違っていたと思うと、今まで自分のやってきたことは何だったのかと混乱してしまった、と話し、涙を流す。
 間違ったことに対しては、今から改めればよいことを促し、落ちつくまで待つ。
 その後、再度リハ計画に対する意見を、リハ計画書に記入するよう促し、記入したものを、更相(更生相談所)・福祉事務所に送付する旨説明する。  (井上)

井上との話で、また涙を流すのです。この徳見の涙は、井上が同じ女だからという気安さもあったのでしょうが、高塚にいくら訴えても通じないもどかしさ、リハセンターが自分の期待していたようなところではなかったのではないか……もしかしたら、間違ったところに来てしまったのかもしれないという疑問や後悔、こんなことでは、1年後に迫った職場復帰の期限に間に合わないかもしれないというあせり……、さまざまな想いが交錯して、「混乱してしまった」結果でもあったのでした。
 しかし、井上は、そのような徳見の想いに寄り添う気配はまったくありません。それどころか、徳見の「混乱」は、「間違った考えからきているもの」として、「今から改めればよいことを促し、落ちつくまで待つ」というだけなのです。このときの井上の中には、「反省した徳見は、リハ計画書を受け入れるだろう」と思ったにちがいありません。そのような期待を込めて、「再度リハ計画に対する意見を記入するよう促し」たのでしょう。
 そして、計画書裏面に、徳見は次のように記載したのでした。

 

プログラム決定について本人の意見
 体の現状、将来的な生活設計(希望)がかならずしも一致しえない所があり、大半に於いては、プログラム内容にそって訓練するつもりでいます。
 生活拠点内の訓練について、又、心理については、現状として必要性が感じられる程の能力ではないと思っております。
 さらに住居変更の可能性がありますので、今行なうことはおことわりしたいと思います(それでも行なうならば、プライバシーの侵害と思っておりますので)。

 何とまあ、したたかな徳見なのだろう、あれほど涙を流して反省したはずなのに、まだこんなことを書くとは……! と、おそらく井上は、心の中で舌打ちをし、やがて怒りがこみ上げてきたことでしょう。そのあと、次のように書いています。

 本人の意見には、生活拠点の確認のプログラム・心理カウンセリングは必要ないと明記してあるため、今後の方針を担当者間で決定し、結果を伝える旨説明し、終了とした。                  (井上)

 すぐに井上は高塚のところへ行き、まず「面接結果の確認」をしています。

高塚Dr.へ、面接結果の確認〉
  ○更生施設の理解が得られていなかったため、再度説明を行なった(機能訓練のみを行う所ではないこと)。
  ○訓練時間について、機能訓練の最低必要時間の説明を行ない、本人の間違った考え方を指摘した。
  ○車椅子作成の依頼があったため、来週(2月13日)採寸判定予定である。
   屋外は、車椅子移動、屋内は片杖歩行が実用的な歩行手段となることを説明した。
   それにより、復職が不可能であることを、本人が確認した。                 (井上)

 このときのことを徳見は「職場復帰するためには、職場での移動や長時間の作業は車椅子がないと無理かなと思っていました。そのくらいは自分でも判断できるし、その結論だけしか(横リハのリハビリで)私にとって役に立つものはありませんでした。その結論が出てから、車椅子1台と家の中で使う足の装具(短下肢装具)が支給されました」と書いています(第五回)。
 すなわち、横リハでのリハビリの結果、「車椅子での職場復帰」もやむをえないと「覚悟」したのですが、リハセンターの専門家たちは、「車椅子だから職場復帰は不可能」と結論したのでした。この点は、後に解雇理由にもされたし、その後の「解雇裁判」でも、論点になったのですが、裁判官も含めて、「専門家」の既成概念がいかに強固なものであるのかを示す証でもあります。

そして、井上は、高塚に次のように「報告」しています。

本人が意見を記入したリハビリテーション計画書を見せ、今後の方針を確認する。
 本人は、拒否しているプログラムは、リハビリテーション計画に明記されているものであり、そのプログラムを拒否することは、当施設の方針を拒否することになる。
 本人の希望するものが、機能訓練と職能相談のみであれば、外来で対応可能なため福祉CW、更相CWMSWとミニカンファレンスを開き、外来移行としたい旨、報告する。
 Dr.としては、早急にではなく、3週間から1ヶ月程度様子を見てはどうか、との提案が出され、それについては検討し、返答することとする。   (井上)

 これを見ると、井上はよほど徳見に対して「頭に来た」ようです。「プログラムを拒否することは、当施設の方針を拒否すること」として、「更生施設からの排除」を主張しています。その井上に対して、高塚は「もう少し様子をみよう」として、慎重な姿勢を見せています。
 腹の虫がおさまらない(?)井上は、すぐに次のように、係長へ報告しています。

〈係長への報告〉
  リハ計画書に書かれた本人の意見は、入所時のオリエンテーションから、説明を十分に行い、初期評価期間中の社会生活技術訓練調査でも説明されていることに 対する拒否でもある。
  又、Dr.による説明でも意見が変わらないのであれば、やはり当施設での対応は不可能である。
  よって、福祉CW、更相CWMSWとミニカンファレンスを開き、入所後の経過を説明し、外来への移行について検討する必要がある。
 よって、早急に、各関係者と調整し、ミニカンファレンスを開催することとする。         (井上)

2月12(以後、〈男の〉大場に交代しています)

〈本人との面接〉
   リハ計画書に明記されている訓練内容を本人が否定し、今後の方針が立たないため社会生活技術訓練を全て一時保留し、方針が決定次第、予定を入れる旨を本人  に説明。本人の応答〈略〉
    話の内容は以前と同様であるため、ミニカンファレンス時に報告し今後の方針を立てることとしたい。(大場)

2月14

〈ミニ・カンファランス〉
  更相CW、福祉事務所CW、井上・大場の参加にて、入所以前から現在までの意志の確認と、今後の方針について、検討を行う。(以下略)    (大場)

 2月20

〈福祉事務所CWとの打ち合わせ〉
  本人と飯田CWが面接した内容について報告を受ける。
 今後の方針について
   本人は、移動訓練をはじめ、更生施設での訓練を望んでおり、高塚Dr.からの3週間程度、訓練を実施し、経過観察をするという助言もあるため、本人の希望す  る訓練である移動訓練及び外出訓練等から実施したい。自宅訪問については、経過を観察後、必要性の理解を促したい。     (大場)

 こうして、やっと「本人の希望する訓練である移動訓練」が、22日に行なわれました。、

 センター内周1周。300m弱を約30分で歩く。
  100m程度で歩行速度が落ち、200mを超えると、足をひきずり、腕の力のみで歩く状態になり、5cm程度の段差を越えるのに時間と工夫を要した。次回は、  100mごとに休憩し、肩の疲れの様子を見ながら、歩きたいとの希望である。                (土井)

  移動「訓練」とはいえ、「観察」だけです。次の移動訓練は、26日、転倒事故後の午後でした。

 PT訓練時に転倒し、立位歩行ができないという訴えがあり、車椅子にて実施。センター内周2周。段差・坂道は両手を使用したが、平坦路は右足でこぐ。2回目は疲労し、移動速度が遅くなった。        (井上)

 事故で歩けないのに、訓練をしようとする徳見も徳見ですが、歩けないと言うのに訓練させて、それを冷静に観察する井上も井上です  
                                                           (つづく)