「障害」を理由に解雇されて(12)

前号では、医師と心理士による「入所判定」の結果、「職場復帰は不可能」として、「障害の心理的受容」が、リハビリの目的として設定され、「更生施設への通所(すなわち、横リハへの入所)が適当」と判定されたことを述べました。

「障害の受容」について、一審判決を批判した篠原睦治先生の意見書(以下、篠原意見書)は、次のように述べています。

私は、身体的機能の故障の改善・回復と「障害の受容」とは、しばしば相対立する事態であり、矛盾するものであり、せいぜい後者が前者を補完するという関係になっていると考える。つまり、障害の改善・回復が目ざされている限り、「障害の受容」はいまだ求められていないのであり、障害の改善・回復が断念されたとき、追って、「障害の受容」ということが臨床的課題として浮上してくるのである。(略)つまり、「障害の受容」は、当初からの目的とは成り得ず、「障害の改善・回復」を断念した時点での事態なので、「障害の受容」は、治療される側にとって、それ自体で葛藤と苦悩の課題であり、その意味で、治療される側によって時間を掛けて了解、同意されていかねばならない人生論的課題なのである。

なお、この「篠原意見書」は、「リハ裁判」における争点の一つである「心理テスト等のプライバシー侵害」の問題について、一審判決を批判したものですが、それについて、横リハの伊藤医師が「(篠原の批判は)極めて無責任(伊藤意見書)」と反論し、篠原先生が再反論する(意見書・補充)という経過がありました(これらは障労ホームページ「リハ裁判・資料編」に掲載しています)。
 しかしながら、徳見が横リハに期待したのは、「身体機能の改善・回復」でも「障害の受容」でもなく、「(復職を前提に)2本の杖でどのようにしたら歯科衛生士としての仕事ができるか、そのための訓練と工夫」なのでした。23年間歯科衛生士として、努力を重ね、プライドをもって仕事をしてきたのであり、それだけに、仕事への思い、職場復帰への思いは、強いのでした。

職場復帰への思いを、徳見は、学校保健会への「休職更新願」添付の「報告」の中で、次のように書いています。

首がおかしくなり始めてから10数年経ちました。やれる治療は最大限やり、良い運動はやり続け、痛みも筋力も良くなってきた所でしたが、左手の筋肉の萎縮が出てき(三年位前から)、歩行に困難が徐々に出始めた(二年位前から)のが首の神経の萎縮が原因と知らされたときのショックは、正直言いまして大変なものでした。
 仕事をさせていただいて20年少し前位から、やっと子供の口の中の様子が見ることが出来、夜や土・日を利用して勉強にかよい出して、乗っていた時期でしたので、なおさらでした。
 今まで障害をかかえている児童に対し、あたかも「理解者」のごとく思って指導に携わっていたのは、自分がその立場になり、心身共に鍛えなければ乗り越えることができない困難さに、時として苦しみと思うときも出ていますので、あくまでも自分の思い上がりでしかなかったと思っています。今、将来、乗り越えきれた自分に育ったら、仕事でも養護学級の指導が充実できるときだと思います。
 大きな葛藤と困難を乗り超えた子供、今苦しみの頂点に達している子供、負けている状態、甘んじているとき、苦しみを反応すら表現できていない状態、それを理解したり支える周囲がない場合など、大人の一言一言が大きな影響を及ぼすなど、今まで「解かっていた」ふうの自分がたいへん良い勉強になっています。この力は「障害児」だけでなく「健常児」に対しての指導にも役立ちそうです。
 また現場に出て歯科保健指導ができるようになったら、やっている所を見てくださいますか。夢でしょうかね。もし夢が実現できたら養護学校の巡回指導の拡大など問題がありすぎますか。5・6年先とほぼ予定されている二回目の手術があるので、上記はひとりごとと聞いてください。
 とにもかくにも背のびなしでがんばっていますので、ご安心ください。
 あつかましくも、また休職の更新をお願いいたしたく思います。そのうち元気な顔で(図々しくも)皆様にお会いできる日を楽しみにしています。(90・4・14)

 これは、退院(90・6・23)の2か月ほど前に書かれたものです。その3か月ほど前には、学校保健課の係長が、主治医・大成に面会して、「(徳見を復職させないための)情報収集」に来たことは、第9回に書きました。その係長がこれを読んで、苦虫をかみつぶしたような顔をしているのが、目に浮かぶようです。
 この文章を読むと、徳見はすでに「障害の受容」をしているように思えますが、いかがでしょうか。
 いずれにせよ、この「報告」にあるように、自ら障害者になったことで、その体験をもとに、「障害児」への歯科指導を考え、さらにそれを「健常児」の指導へとフィードバックすることまで、思いをめぐらせているのです。
 このような徳見に、「専門家」は、どのように「障害の受容」の指導をしようとしたのでしょうか。

 

入所面接
 「判定書」を受けて、901122日、生活訓練係の指導員(津川)による「入所面接」がおこなわれました。これには福祉事務所のCW(ケースワーカー・飯田)および、「総合判定書」を書いた更正相談所のCW(足立)も同席しています。
 右に、「入所面接シート」の一部を掲載しました。
 「入所目的」は、「復職に向け、訓練に励みたい」として、

・機能回復訓練を行い、体力・耐久力をつけたい。
・クラッチ(杖)なしでの立ち動作・作業動作ができるようになりたい。
・左手のこまかい作業動作の訓練をやってみたい。

と記載されています。    
 徳見が語った「入所目的」を、指導員・津川は、このように理解して記載したわけです。
 ところで、「その他」の欄にある「面接場面での特記事項」の前半には、次のように書かれています。

 知的には標準範囲と考えられ、注意・集中力も認められるが、主観的に物事を強く見すぎ、自分の尺度で物事をあてはめたり、自己主張をする場面がみられた。又自分がどう評価されているか等は特に敏感に反応することが多かった(心理判定者と同様である)。

  この部分は、「判定書」の「心理判定」の部分をほとんどそのまま引用して書いています。
 これについて、社会臨床学会第2回総会(横浜市大94・4・23)で、徳見もパネラーの一人となった「事例にすること・されること」というシンポジウムで、心理学者の小沢牧子先生が、次のように語っています。

この資料を見ながら感じたことを話します。心理判定の人が書いた部分で、そこに書いてあることは、徳見さんについての問題点ということなのですが、それはそのまま、心理専門家のやっている問題点を表現している、というふうに、私は思いました。
 「面接場面での特記事項」に、次のように書いてあります。
 知的には標準範囲と考えられ(→だいたい心理専門家は、知的には高い人です)、注意・集中力も認められるが(→注意・集中力は、たいてい専門家は持っています)、主観的に物事を強く見すぎ(→専門家は皆、専門性という名の、強い主観性で物事を見るのです)、自分の尺度で物事をあてはめたり(→まさに専門家は、専門性という自分の尺度に物事をあてはめます)、自己主張をする場面がみられた(→「場面」どころか、専門家は自己主張する存在です)。また、自分がどう評価されているか等は特に敏感に反応することが多かった(→専門家は他人からの評価に敏感です)。

 末尾にある(心理判定者と同様である)という文は、記載した津川は、「自分の意見は、心理判定者と同様」と言いたかったのでしょうが、小沢先生の指摘によれば、「心理判定者は、徳見と同様」ということになるわけです。

 後半の部分は、次のように記載されています

機能訓練には強い期待があり、障害受容をはかり、生活設計を具体化する必要有り。特に、身体機能、復職、今後についての面接の際、質問すると、歯をくいしばり、目に泪をうかべ、不安は特に強いとのことを述べていた。尚、本人の更生意欲は高く、訓練を受けたい気持は大変強かった。

この文の最後に「本人の更生意欲は高く、訓練を受けたい気持は大変強かった」とあります。また、その次の「家族・福祉事務所等の意見」の欄には、(徳見の「入所申込」を受けて)横リハに「判定依頼」をした福祉事務所・飯田が、「復職へ向けてがんばってほしい」という「意見」を述べています。したがって、横リハとしては、その実現に向けて、検討し、一緒に考えていくのが、当然だろうと思われます。
 しかしながら、更相・足立(総合判定書の筆者)の、「障害の心理的受容を図り、復職を含めた生活設計の具体化を願いたい。なお、訓練は通所にていかが……」という「意見」を併記し、結局、その後、28日の「(生活訓練)係内カンファレンス(会議)」では、

障害の心理的受容を図る。
 復職の可能性を見極める。
 拠点(住居)を中心としたADL(日常生活動作)の確認。
 期間 3ヶ月 その後、職能へ移行

と決定したのでした。
 こうして、徳見本人の希望や福祉事務所の「意見」は無視され、結局、「本人の更生意欲が高く、訓練を受けたい気持は大変強い」から、障害の受容をさせ、「復職の可能性を見極める(すなわち、復職は不可能であることを認識させる)」という結論になったのでした。そして、3か月後に「職能へ移行」とあります。
 ここで言う「職能」とは、ここでは横リハ内にある「身体障害者通所授産施設(授産所)」のことを指しています。要するに、3か月後に、障害を受容した徳見は、歯科衛生士としての復職をあきらめて、月平均5096円の工賃(91年度実績)をもらって、「加工・組立」「事務機器(パソコンなど)」「園芸」「印刷」「縫製・手芸」の五科目の中から、「各人の課題や職業的リハビリテーションの目標に応じた訓練・評価」を受けることになっているのでした。

総合評価会議
 「面接シート」最後の欄外に記載されている「総評(総合評価会議)」が、1211日におこなわれていますが、そこでの具体的な内容を示す資料はほとんどありません。実質的には、前述の「係内カンファレンス」で決められて、こちらの会議は、形式的なものなのかもしれません。生活訓練係の「ケース記録」に、次のように記されているだけです。

Dr. 身体機能は固定している。情動失禁があり、感情コントロールが難しい。
 リハ目標 障害受容を高め、生活設計を再構築する。

この記載(筆者は面接を担当した津川)で、Dr.(ドクター)とは、「医学判定」に「やや情動失禁が認められるようである」と記載していることや、更生相談所内の会議であることから、所長である伊藤医師だろうと思われます。
 ところで、なぜ伊藤は、このような「発言」をしたのでしょうか。
 判定日(1030)に、医学判定のための診察が伊藤によって行なわれました。通所開始(9月5日)から2か月ほどたったころで、この日、徳見は初めて伊藤の診察を受けたのでした。
 その時のカルテは、右図(横リハが裁判用に「翻訳」してワープロ化したもの。原文は手書き)のように、身体状況の診断の後に、「方針」として「当センター更生施設通所にて6か月対応」「職業復帰を具体化する」として、5項目の「方針」を記載しています。しかし、少なくとも、このカルテにおいては、「情動失禁」という意味の記載はありません。初めての診察で「情動失禁」を起こすような場面や関係性はまずないだろうと思われます。
 それにもかかわらず、判定書に「やや情動失禁が認められるようである」と書き、総合評価会議で「情動失禁があり、感情コントロールが難しい」と「発言」したのは、診察等による伊藤自身の直接的な体験ではなく、これが横リハの専門家における「共通認識」だったのではないかと思われます。
 これについて、確認しておきたいと思います。

徳見情報の「拡散」
 徳見は主治医・大成の紹介状に何が書かれているかも知らずに、それを持って、90年9月5日、初めてリハセンターへ行きました。
 まず、受付けで「家族構成」「来所経過」「障害歴」「生活状況」「何のためにリハセンターに来たか」などを聞かれ、それをもとに「相談受付票」が作成されました(下図)
 前半の「記事」の欄に「紹介状持参」とあり、後半の「所見」欄に「その他、紹介状 ご参照下さい」と、大成の紹介状がファイルされています。そして、なにやらゴチャゴチャとメモらしい「汚れ」があり、最後の「結果」欄には、「面接者」とは別人(たぶん生活訓練係)によって、

PTOT(谷山) 火/W(毎週火曜日)
更生施設利用対象(LSG:復職?)

と記載されています。
 これ見ると、受付票も紹介状も、そしておそらく他の「徳見関係文書」も、「専門家」は誰でも閲覧できたのでしょう。
 例えば、この「相談」の後に、初めての外来での診察を受けました。そのときの担当医師のカルテには、「情動失禁あり」という項目に▽の印があり、その脇に「H.Y(ヒステリー)的要素ありといわれている」とメモされています。これはもちろん、紹介状にある大成医師の見解を記載したものです。
 前回引用した、県立七沢リハ労組の田中晃氏は「……扱う情報のほとんどがプライバシーのため、プライバシー情報を扱っているという意識すら薄れ、関係者や関係機関とのザックバランな意見交換がむしろ良しとされる職員意識の土壌」と書いていますが、横リハも同様で、そのようにして、大成医師の「徳見、情動失禁・ヒステリー観」は、当然のごとく横リハの「専門家」の間に拡散し、共通認識となっていったものと思われます。    (つづく)