「障害」を理由に解雇されて(10)

 横リハ(横浜市総合リハビリテーションセンター)で職場復帰のためのリハビリをしている最中に、事故がおき、事故の責任と、リハビリの在り方をめぐる裁判(リハ裁判)で、横リハが、裁判に勝つために、臆面もなく「徳見・転換ヒステリー論」を展開し、その根拠としたものが、徳見の主治医との軋轢と職場・教育委員会の官僚との確執にあったことを、前号で述べました。
 横リハの伊藤医師は、裁判の「陳述書」で、「(転換ヒステリーである徳見の)リハビリ計画は最適なものであったが、心理的問題が予想以上に大きかったので、計画通りにリハビリが進まなかった」と述べています。
 これまで書いてきたように、「転換ヒステリー論」は、宮崎理学療法士のウソの報告(徳見はわざとロールにぶつかって前に倒れた)を理由づけるために、裁判戦術上、作り上げたものにほかなりません。したがって、入所にあたって横リハが作った「リハビリ計画」が「計画通りに進まなかった」のは、「転換ヒステリー」などではなく、それが「徳見のため」のものではなく、横リハ(の専門家)が一方的に作り上げた計画であり、したがって、リハビリの内容も、徳見の希望し、期待していたものとは、まったく違っていたからでした。それについては、この連載第4~6回「リハセンターでのありのまま」に、「される側」としての立場からの「感想」を書きました。
 それでは、横リハの「専門家」たちは,「する側」として、どのようなリハビリを計画し、遂行したのでしょうか……、裁判で提出された資料などをもとに、検証してみたいと思います。

 通院による機能訓練(1)
 徳見は主治医・大成医師の紹介状に何が書かれているかも知らずに、それを持って、90年9月5日、初めてリハセンターへ行きました。まず、受付けで「家族構成」「来所経過」「障害歴」「生活状況」「何のためにリハセンターに来たか」などを聞かれ、初めての外来での診察を受けました。
 そのときの担当・桂医師のカルテには、「情動失禁あり」という項目に▽の印があり、その脇に「H.Y(ヒステリー)的要素ありといわれている」とメモされています。これはもちろん、紹介状にある大成の見解を記載したものですが、桂は、「リハビリ・依頼箋」に次のように書いています。
  
  
本人の目標は、歯科衛生士への復職で、条件としては、①杖なしで長時間立位と、②左手でのピンチ、としているようです。
   PT(理学療法)→①に関し、OT(作業療法)→②に関し、基本的なアブローチを行って下さい。
    psychological problem(心理的問題)も指摘されているが、physicalmedical(身体的・医療面)からようやく離脱しかかっているところであるが、social      vocational(社会的・職業的)な面へのアプローチはこれからである。functional(機能的)な面からsocialvocationalな面へ少しずつ移行していって下さい。
     実施期間 PTOT 週一回・3か月
     SW(ソーシャルワーカー)は更生施設への入所も御検討下さい。


 こうして、週一回(PTOT各一時間)、12月までの3か月間、外来でのリハビリがはじまったのでした。
 その間、1030日、「入所判定」が行われ、伊藤医師の「医学的判定」と、心理士による「心理判定」が行われました(これによって、徳見の「更生施設入所」が決定し、翌91年1月から、更生施設での通所訓練が始まるのですが、これについては次号に掲載予定)。 

通所しはじめた9月5日から入所判定の1030日までにおこなわれた二か月ほどの外来での理学療法訓練は、宮崎理学療法士の担当で行われ、9月12日~1024日までの正味5日間(1日1時間)でした。その5日間の「訓練」内容は、宮崎のカルテによれば、次のようなものでした。

9月12日……病歴聞き取り
        評価:筋肉の緊張度のテスト。起居・移動動作の確認
9月18日……評価:下肢筋力、MMT(途手筋力テスト)、基本動作確認、杖歩行確認
10月8日……評価:感覚テスト、VTR撮影
       プログラム:平行棒による評価(立位・立ち上がり・歩行など)
1015日……評価:階段での歩行テスト
1024日……評価:感覚テスト
               プログラム:傾斜台・平行棒・筋肉のストレッチ

 ごらんの通り、ほとんどが「評価」となっています。「プログラム」とあるのが「訓練」なのですが、その内容も、「平行棒による評価」などとなっており、24日の「プログラム」も、評価とはなっていませんが、内容は同じです。
 高塚医師のPTへの「リハビリの依頼」は、「杖なしでの長時間立位への基本的アプローチ」とありますが、この5日間の「訓練」が、「基本的アプローチ」なのかどうか、よく分かりません。しかし、伊藤医師は、裁判の「陳述書」で、「二か月程通院による機能訓練を行ったが、特に身体的機能の改善が認められなかった」と述べて、「心理的理由(すなわち転換ヒステリー)のため、訓練効果があがらなかった」ことの根拠の一つにあげています。
 裁判の証言で、この点について質問されると、伊藤医師は「訓練と評価は表裏一体である」から、「訓練をしていないことはない」と述べるにとどまり、「二か月に5回、1回1時間の訓練で改善が考えられるのか」という質問には、回答できず、沈黙するしかありませんでした。

通院による機能訓練(2)
 1030日、「入所判定」以後も、外来によるPTOTの訓練は12月までそのまま継続しています。その内容も、それまでと同様でした。
 徳見は南共済病院や伊東温泉病院で、長期にわたるリハビリをおこなってきましたが、そこでのPTの訓練は、毎日、1日4時間以上おこない、マヒしている部分を温めたり、マッサージしたり、ストレッチしたりして、筋肉に疲労をためない処置を必ず伴なっていました。
 また、徳見の病気である頚椎症は、転倒したり、頚に衝撃を与えることは絶対に避けなければいけないことであり、病院でのリハビリはそのための防止策を必ず伴なっていました。しかし、宮崎のリハビリでは、そのような防止策をとらないばかりか、逆に(データをとるために)転倒しそうな「訓練」を、あえてやらせるのでした。
 したがって、そのようなリハビリを行う宮崎の「指導」に疑問を感じ、批判し、抗議するようになっていったのでした。それに対して、宮崎は、「専門家」としてのプライドを傷つけられたのでしょう、それ以後、入所までにPTの訓練は7回行われましたが、カルテには訓練データなどの他に、次のように、毎回、徳見に対する「感情的」ともいえる記述がなされるようになるのでした。

11月7日……大げさに体幹を動揺させる。
 1114日……現在のところ、Ex(訓練)には積極的である。
 1121日……すごく大変そうに行う。
 12月5日……感情的に泣き出しそうな表情で訴える。こちらの説明も受け入れない。感情的になると左足部の筋肉の緊張度が高まる。
 1212日……前回より大げさな歩容。声かけすると、腰部を手で叩いて、腰が痛いふりをしたりする。全てのふるまい動作が演技的である。主たる問題は精神的機能。
 1219日……機嫌はよい。
 1226日……日常外出も多いとのこと(CW足立さんより)、それからすると現在のEx量は少ないはず。しかし、疲労の訴え多い。本日もEx後「休んで帰る」言い、PT室        内のマット上で約30分横になっていた。Exも定時より、OTの後30分休ケイを入れて行っている。大変自分自身に対して甘い。Ex量を漸増、メニューの変更        (左下肢への体 重負荷etc)等を行うと反抗する。

後に詳しく述べますが、翌年1月17日の「初期評価会議」では、宮崎は「(身体機能障害は心因性のものが疑われ)改善見られないので、(以後の)訓練は行わない」と、訓練中止を主張しています。
 これに対して、医者が「訓練継続」を指示して、その後、「本格的な」訓練が始まりましたが、それ以前と同じような状態が続いています。たとえば、「転倒事故」10日前の2月6日には、次のように記載されています

 2月6日……疲労の訴え強い。Ex(訓練)中も休憩多い。
       PT(宮崎)――「無理はよくない。又、過度のExは意味がない。よって、本日は中止したら」 
       Pt(徳見)――「くやしい」と演技的に答える(悲劇のヒロインの様)。
         Exの意欲も低く、休んでばかりいる。疲労・耐久性不十分によるものだと言い、再三Exを中止しようとすすめるが帰室せず。結局マット上にて       ゴロゴロと90分過ごす。

 宮崎の「指導」に従って訓練したら、疲労がたまるばかりであり、それでも職場復帰のために何とか訓練を続けたいという思いから、南共済病院や伊東温泉病院でやっていた、そして退院後も、自分で工夫して家でもやっていたストレッチの運動を、一人でやっていたのでしたが、自らの指導方法を批判・否定された「専門家・宮崎」は、「マット上にてゴロゴロと90過ごす(すなわち、宮崎の指導はゼロ)」と、訓練を放棄しています。

横リハの「個人情報システム」
 このように、「評価と情報取り」ばかりのリハビリに疑問を感じ、その旨を「青い芝」のメンバーに話をすると、横浜市脳性マヒ者協会(浜脳性)では、横リハの設立当初から「個人情報システム」を、問題視して、当局と交渉していたとのことで、関連の資料をいただいたのでした。
 横リハは、すでに飛鳥田(あすかた)市長(63・4─78・3)の時代に構想され(73年)、「個人情報システム」は、重要な課題とされていました。
 8912月、新聞が同システムの導入計画を掲載、90年5月、市は公式にシステムの概要を関係団体に説明、その概要が示されました。障害者団体からは、プライバシーの侵害・障害者の管理強化はもちろん、優生思想の助長、ひいては国民総背番号制につながるものだとして、批判が噴出し、予定されていた九月開始は延期されました。
 こうして、91年1月には、市(民生局)と浜脳性が、「確認書」を取り交わし、
    コンピュータ入力を本人に告知し、入力を承諾しない者に対しては、基本16項目のみとし、不利益な扱いをしない。
    死亡・転居した者は、16項目以外のデータは一年以内に消去する。
    障害の発生予防につながるクロス集計はしない(すなわち「障害はないほうがよい」という理念に基づいたデータ処理はしない)。
    他機関とのオンライン化は、浜脳性との話し合いが済むまで行わない。
  そして、システム運用について今後も交渉を行うこと、など横浜市が確約し、一応決着しました。

 県立七沢(ななさわ)リハセンター労組の田中晃氏は、「福祉現場の個人情報、『とられる側』の論理」に、次のように書いています。

   三年前だったろうか、生活保護行政の実態を告発することになった、あの札幌市の母親餓死事件の直後に、やはり札幌でおきた事件だった。貧困のな かで母親が子どもを餓死させてしまった事件である。ワイドショーのレポーターは福祉事務所を訪ね、ケースワーカーにこの家庭が生活保護を受けてい なかったいきさつを取材していた。なんとそのケースワーカーは、家庭訪問した日のケースファイルの記録をそのままカメラに示し、この母親が自ら生 活保護を取り下げたと記された文章をテレビに映し出したのだった。驚くべき光景であった。
   生活保護の被保護者の氏名は「法令の規程に基づく正当な権限の範囲内の要求」以外は、私人はもちろん公務員に対しても明らかにしてならないはず だ。公務員としての守秘義務もある。まるで福祉を受ける者にはプライバシーはないかのようなケースワーカーの態度と個人情報の扱いに愕然としてし まった。
   その頃、私の施設では入所者自治会が「実習学生へのケースファイルの閲覧を禁止してほしい」という要求をしていた。ケースファイルは生々しい個 人情報の塊である。施設はこのファイルを「保母実習生」などに自由閲覧させていたのである。職員に語った家庭の事情、自分すら知らされていない事 実、自分に対する評価など、当事者である自分は決して見て確認することのできないファイルの中身を、たまたま実習にきた初対面の女学生がすでに知 っている。こうした状況におかれた時の人間の気持ちをどう表現できるだろうか。残念ながら私達職員は自治会からの指摘を受け、初めてこの間題を考 え始めた。私達もまた、あの札幌のケースワーカーと同じ体質であった。
   次に自治会は、「自分のケースファイルを見せて欲しい」、「自分の評価会議に出席させて欲しい」という要求を提出した。一般に施設では、利用者 ごとにファイルが作られ、利用者個人に関する基礎資料や目標、訓練・指導の実施方法、職員による様々な角度からの評価、会議の記録などの情報が収 集・蓄積されている。またこの内容を基礎として「評価書」や「ケースの報告書」としてまとめられ、外部の関係機関に提供・報告されている。はたし て自分のどんな事柄が書かれているのか、事実だけが書かれているのか、自分はどんな基準で「評価」されているのか、自分の情報はどこへどんな内容 で報告されているのか。この要求は人として当然のものであった。
   以後、実習生への閲覧は禁止されたが、他の二つの要求は「医療情報もある」、「本人のため」という理由で受け入られなかった。私達職員の反応も 苦しいものがあった。自治会の訴えが当然とわかっていても、明快に「YES」と言える者はいなかった。私達は「処遇する側」・「指導する側」の論理 の中にどっぶりと浸っているのだった。(季刊『福祉労働』No50 91春)

この文章は、「横浜市リハビリテーション情報システム」が提起しているもの、というサブタイトルで、横リハの情報システムの問題をレポートした冒頭の部分で、ちょうど、徳見が横リハに入所したころに書かれています。七沢に労組があり、入所者の自治会があったからこそ、このような「する側」の「とらえ返し」も生まれてきたのでしょう。
 設立して日の浅い横リハには、労組もなく、入所者自治会もありませんでした。個人情報は「とられっぱなし」で、何のための「情報収集リハビリ」なのかも分からないのでした。
 結局、裁判という法的強制力のある「手続き」の中で、徳見がとられた情報のほとんど(?)を開示させることができたのでした。

 次回から、こうして提出された「徳見・個人情報」を通して、横リハが「障害者・徳見に何をしたか」を、さらに検討してみたいと思います。(つづく)