「障害」を理由に解雇されて(6)

はじめに
前回は、「職場復帰のためのリハビリ」を求めて、横浜リハセンターに入所したときの経験を書いた文章(2)を抄録しました。

これは、私のリハセンターでの事故(91年2月26日)をきっかけに結成された「リハビリを考える神奈川の会」の機関誌に、事故から7〜12か月ほど経ったころ、3回に分けて掲載したものです。今回はその(3)です。

「良いも悪いも私のリハセンターでのありのまま」(3)

        (文中のは、今回再録にあたってつけたものです)

  「通所」が許可されるまでは、「こんなこと、リハビリに必要なの?」と思うようなあらゆることを調べられました(「個人情報開示請求をしたら、それらのデータのほとんどは、なぜか見あたりません)。通所後の「訓練」は、評価・判定ばかりで、目的とした「職場復帰」のためには、ほとんど役に立ちそうにもありません。

 前号では、「中期評価期間」に入って、排泄動作・風呂の動作を含めて、生活管理が出来ているか、自宅でやらせるカリキュラムが出されるところまで述べました。

リハビリテーション計画書

 「リハビリテーション計画書」が指導員から提示されました。「個別相談」の時にです。

 「心理」の個別カウンセリングは、ずっと拒否したままでした。また、「社会生活技術訓練」として、「移動・生活」を、本人の自宅でやらせて調べるカリキュラムが提示されました。

@    生活拠点での排泄動作の確認

A    生活拠点での入浴動作の確認と介助の整理

B    生活拠点での起居動作の確認

 このカリキュラムが出されたころは、何もかも一人で「やれていた」から、他人に見せたり、動作を相談する必要もなかった(泌尿器科の薬を飲んでいたが、医療の範囲での相談はあった)。

 

社会生活技術訓練

 私は、排泄動作・入浴動作で生活上何の悩みもなかったわけではありません。現在だから、「じつは私、こんなこと困っているんだよ」と文章に書かざるをえない、というか、事実を説明せざるをえなくなって書いているわけですが……。

 でも、こんなことをいうのは本当はつらいし、恥ずかしいことなんです。えっ! そんなふうには見えないてすって!

 じつは、脊髄機能がおとろえているため、膀胱・直腸障害というのがあります。つまり、オシッコ・ウンコの、出したり、がまんしたりが難しいのです。それに移動するのにも時間がかかりますので、たびたび失敗します。ええとですね……、尿意をもよおすときは急にそれがきます。昔は「そろそろトイレへ行かなくては」と予備感覚があったのです。だから膀胱がかなりいっぱいになる前に出してきたわけです。

 でも、今は震えるくらいの尿意を急に感じて、それからトイレに向かう。えっちら、おっちら、やっとトイレに行って便座に座るころにはタラリ、タラリ……、スボンや下着を下ろすにも、右手でトイレの柱のでっぱりの部分に手をかけて便座に座ってから腰を片方ずつ上げて、ズボンや下着を下ろす。その間にもタラリ、タラリ……。ですから、おむつや生理用ナプキンの大をいつも下着の中につけています。

 尿が出始めても気持ちよくは出ません。右手で腹をおして、腹と胃の間に手や腕をいれて、かがんで腹をおします。

 でも、なぜか尿が右の方向に、それもあまり下に向いて出てくれないので、ときどき便座カバーをよごしてしまいます。ですから、体を右側に傾けて左腰を浮かして、尿がなるべく変な方向に行かないように工夫します。

 便もしかりです。ときどき下着の中にポロリと誕生するんではないかと、不安になることもあるし、実際に指でほじり出さなくてはならないときもあるし、手で腹をさすったりおしたりして、まあたいへん「苦労」しているわけです。

 でも、でも……。それでも工夫して一人でやっているんです。誰しも、トイレにかかわることは自分以外の人に見られるのはいやですよね。病院にいるとき、寝たきりの状態でも、看護婦さんはなるべくそれの部分は気持ちを最大限に配慮して、カーテンをしめ、「手伝うことがあったら言ってください」と言い、なるべくプライバシーを傷つけないように配慮します。それでも本人は、音が聞こえてしまいそう、また臭いや手助けは、恥ずかしくていやなもんです。

 それを、「できているか、いないか、調べてみなければわからないじゃないですか」で説得する指導員の気持ちは何でしょう。そこから始まる指導とは、何でしょう。そもそも指導なんか全くないのです。

 しかも今までの「指導」で「自分に役に立つ」指導が感じられませんでしたし、本当に「指導」の名のもとに、評価・判定だけでしたので……。

 私が、仕事の上で、人を指導するときは、必ずお手本を示したり、本人に分かりやすいように説明しようと心がけます。親や教師が、子どもに教えるときもそうだと思うし、自然に動作をして教える場合だってあります。

 ね! そうではありませんか? 教えるつもりが、じつに多くのことを相手から教わるのです。そのような人間関係があるところに、指導―被指導の関係が成り立ちます。そのような信頼関係のないところでの評価・判定は〈取り調べ〉じゃないですかね!

 私は、指導員に「お手本を見せてくれますか?」と聞いてみた。返事なし。ドクターにも「お手本を見せてほしい」と頼みました。ドクターは、「何を言いたいのですか、あなたは」。「評価・評価ばかりで、評価を私は知らされていないので、そこで今回のカリキュラムが入って……」

 ちなみに、このカリキュラムが提示されて、個別相談の時間がすんで、ロビーにいた障害者仲間に相談しました。みんな、「え〜っ! そんな! おれ、導尿するところも見せなくてはいけないのかな? そんな必要ないんじゃない!」「ぼくは、もうすぐ生活訓練が終わりそうなので、ここがすんだら職能に3か月まわされる話が出て……。ぼく、今働きたいんだ、会社で。職能に入っているひまない、それに一生袋はりの仕事みたいなので生活できないし、したいと思わないので、個人面談で断わったら、説得されて、それでも断わったら怒られて、『あんたのせいで1ケース送りそこなったじゃないか!』と捨てゼリフを吐かれたんだ。全く失礼だよ! ケースのために僕らはあるのかな?」

 このような会話がロビーの中にわいた。

 そのうち一人が、「実はオレ、それ、やられたんだよ。おしっこ・うんこ・風呂の審査」

 「え〜えっ! ウッソ〜」

 「ほんとうだよ。でも大丈夫! オレはパンツ1枚のところで、これ以上はかんべんしてください、と言ったら、許してもらえた。徳見さんも『これ以上はかんべんしてください』と泣きつけば許してもらえるから……」

 「それで、お風呂の審査はどうしたのさ……」

 「そこが難しかったんだよ。風呂おけがカラだったり、湯だったりしたら、パンツ1枚ではすまないからね……。苦肉の策でね、とことんやらされるのいやだからね、家族の者に、前もって風呂に水をはらしておいたんだよ。水じゃ、その中にはいれとか、体を洗うことができないからね」

 「う〜ん、なるほど、なるほど!」

 私「でもね、そもそも何でそこまでやらせる必要あるのかな? 私たちにとって、役に立たないこと、指導なんて考えていないのにね……」

 

 二日後、私が納得しなかったせいか、予定されていた、地下鉄に乗って横浜駅西口付近(東急ハンズ)へ行くカリキュラム(障害者二人・指導員二人で行く)が、私だけ外された。本当に、急拠。

 「どうして、私が一番やりたかった、必要だった交通機関を利用する練習が外されるんですか?」

 「徳見さんがカリキュラムを納得しない以上、先に進めないでしょう! だから変更したんです」と指導員。

 「水中歩行訓練は?」

 「それも同じです」

 おしっこ・うんこ・風呂のカリキュラムを本人が納得しないから、本人がやりたい、必要な練習はできないんだと言うのです。

 このカリキュラムはのめない。大すじは良くても(?)、おしっこ・うんこ・風呂は絶対いやだ! もし本当にやりたいのなら、私の体の状態をまねして、手本を見せてくれ! だいたい、これだけ私の体を調べ上げておいて、おしっこ・うんこ・風呂の動作はコンピュータでデータ組み合わせすれば、だいたい予想がつくではないか。コンピータでなくとも「専門家」だったら、予想がついたり、相談ごとですむことですよね。

 私も医療職の「専門家」だから、おおよその仮定を立てて指導をしたりするわけです。でも、予想外のことが多くおこりすぎて、自分がいつまでも勉強・勉強したり、対象者からつきつけられたり、学ばせてもらっているんです。

 

 話を元にもどしますが、「指導員から出されたカリキュラムが納得できない、そもそもリハセンターに自力で通って、自力でトイレに行っていたのに、なぜ自宅でそれをやらせて見せなくてはならないのか」と質問したら、「家の改造のために必要だ」と言う。「私の借りている家は、大家から建て替えや売却問題で、立ちのきを迫られているので、改造などできないし、今仮りに改造しても、何年も借りられない家で、税金を使って、次に引っ越す家で改造の予算を使わせてもらえなくなるのはイヤだ」と言いました。 そこで「リハビリテーション計画書」の「本人の意見」欄に書いたわけです。

計画書の裏面に「プログラム決定について本人の意見」という欄があり、次のように書いた。
 体の現状・将来的な生活設計(希望)が、かならずしも一致しえない所があり、大半に於いてはプログラム内容にそって訓練するつもりでいます。生活拠点内の訓練について、又、心理については現状として必要性が感じられる程の能力ではないと思っています。さらに住居変更の可能性がありますので、今行うことはおことわりしたいと思います(それでも行うならばプライバシーの侵害と思っておりますので)。

 何回か指導員やドクターに言いました。その後、急拠、カリキュラムの中に、個別相談・CW(ケースワーカー)相談が一時間増えました。「何だろう?」と受けてみると、リハセンターから福祉事務所のケースワーカーが呼ばれて、おしっこ・うんこ・風呂のカリキュラムを受けるようにと、「徳見の説得」を頼まれたようです。福祉事務所のケースワーカーの方は大変忙しいのに、何でリハセンターにかり出されるんだろう。リハセンターって「えらい」ところのようです。

 

 そもそも、自宅でのいろんな評価は、

 1.リハセンターを出発して、障害者がどのようにして自宅へ行くのか、障害者の後ろから指導員(男女一名ずつ)が、ある時はビデオ、ある時はカメラで撮影しながら、自宅に到着させる。

 2.自宅の部屋・生活空間をビデオ・指導員の目でチェックする。

 3.いろいろな動作をやらせる。

 当事者は、いつビテオ・カメラで撮られ、いつ男の指導員・女の指導員がチェックするのか分からない不安の中でやらされるので、ものすごく緊張するし、ものすごく屈辱感を味わうんです。

 リハセンターの子どもたちのトイレは、ほとんどが、カーテンや仕切りがありません。ある親が「うちの子、リハセンターでは、ほとんどトイレに行かないんです。見られるのがイヤだと思っているんですね」と言っていました。

 でもね、それが役に立つという実感があれば、また役に立った経験があれば、いやなことでも、泣き泣きガマンするのです。手術もそうです。学校生活もそうです(医療・教育・その他どんなところでも、おかしいところだらけですが)。

 以上、カリキュラムをめぐって、三週間やり合っている最中、PT訓練中にロールが落ち、私にぶつかり転倒した。これについては、次回に書かせていただきます。             (『視点』第3号/92.11

(裁判が始まったため、連載は中断した。)

(つづく)