「障害」を理由に解雇されて(5)

前回は、「職場復帰のためのリハビリ」を求めて、横浜リハセンターに入所したときの経験を書いた文章(1)を再録しました。今回はその続き(2)ですが、長いので抄録します。

 「良いも悪いも私のリハセンターでのありのまま」(2)

        (文中のは、今回再録にあたってつけたものです)

 前号では、リハセンターに「通所」が許可されるまでの審査・調査などについて書きました。学歴・家族関係・兄弟の社会的地位、知能テストに心理テスト、その他プライバシーもなんのその、あらゆることを細かく聞かれ、調べられました。それでも、職場復帰を期待して、がまんガマン……。

 リハセンターでの集中訓練がはじまった
 1月7日(91年)、学校でいう入学式です。今月の「入学」は、私ともう一人(1か月コース)の二人。受け付けをすませ、いろんな人のあいさつや施設内の説明を受けました。名簿や予定表をもらい、カリキュラムをみると、「心理」が「OT(作業療法)」と同じくらい入っています。「心理」って何でしょうね。聞いてみたら、「身体障害者になった悩みの相談」だというのです。またまたムッ! 相談する人は別にいるから、それよりも「訓練」を入れてほしいな……。
「初期評価会議」までの2週間のカリキュラムは、ほとんどが個別評価だ!(評価が好きだなぁ。まぁ2週間くらいなら、判断材料だからいいか!?)。歩いているところや動作をしているところや、顔写真も含めて、カメラとビデオの撮影があります。いやだな! 自分の「障害」を撮られるのは複雑な気持ち。自分が「思い出」として撮るんじゃないんです。あくまで、障害の「証拠」として撮られるんです。え! 被害者意識が少し過剰じゃないかって? そうかなぁ。
 私は「身体障害者1種2級」です。「心身障害者」対策として、あたかも「障害者のため」とか「手をさし伸べましょう」とか、ポーズをとりながら管理していく施策を知れば知るほど腹立たしいわけです。「私は『心』の『障害者』ではないから知能テストや心理判定を拒否する」というのではないのです。「障害者」を、心や身体を分析して、さらに細かく調べあげて、「劣る」部分をほじくりだして、いろいろ分析しても、その分析資料を全部組み合わせたとしても、その人間のすべては分からないんです。そもそもそんな労力と金をかけること自体が、当事者にとっては「よけいなこと」なのです。よけいなことであるばかりか、「研究」や「実験」のための「もの」としての対象にされたり、生きていくために不利益なことに使われたりします。これに対しては、当然拒否したり、やめさせていかなければならないし、「弱者」を認めた社会そのものが「あたりまえの普通」でなくてはならないと思います。

「心理」のカリキュラム
 「心理」のカリキュラムの内容は、性格検査と「心理相談」らしい。時間内にテスト用紙に書き込みきれなくて宿題がでたり、担当の職員が休むと必ず宿題として性格検査を自分で記入して提出します。
 リハセンターで「私は心理のカリキュラムはいりません」という意見を言いましたら、続々と、今まで「しかたなく」心理を受けていた「障害者」が声を出すようになったのです。ときにはサボタージュしたり、「ケンカ」ふっかけたりして、拒否の動きがありました。まあ職員個人にはかわいそうだったけれど、心や頭の中の分析や評価なんか、どんな価値観でやられているのか分かりません。
 私の場合は、調べあげたあげくに、結果を知らせてくれたのは知能指数だけなのです。それも、医者や職員に何回も何回も頼んで、やっと医者から「あなたの知能指数は正常域ですので、安心してください」と慰めてくれる(?)という「おまけ」つきで!
 このように、当事者の問題を当事者抜きに、また、当事者にはいっさい知らせないままで検討されていくのです。これは「心理」だけではなく、すべてのカリキュラムもそうだし、総合判定会議(注)の中身もそうなのです。
 (注)徳見担当「リハビリチーム」は、医師・看護師・更生相談所ケースワーカー・理学療法士・作業療法士・臨床心理士・職能相談員・生活指導員(2名)となっている。入所前には「総合評価会議」、入所後には「初期評価会議(ここで、リハビリテーション・プログラム決定)」・「中期評価会議」などがおこなわれている。すべて当事者不在である。

 PT(理学療法)のカリキュラム
 私は長い距離は歩けません。階段も低い段を少しだけしか登れません。そして長い時間立ち続けるのが難しい状態でした。リハセンターのPTの「訓練」といいますと、
  (1) 階段(低いほう)10分間に何回往復できるか。
  (2) 100メートルの廊下のコースを1周何分何秒で歩けるか。2周めはどうか。3周めはどうか。何周やったらダウンするか。タイムを計る。
  (3) 平行棒の間に入って、何分支えなしで装具だけで立っていられるか。
  (4) 機械によるアキレス腱伸ばし。
 これらを筋力の耐久力ぎりぎりまでやるのですから、筋肉がつってしまったりします(病院でのリハビリでは、筋肉がつるのは、脊髄が悪い人は絶対よくないことだと何回も言われていましたし、リハセンターの医師も言っていました)。そこで私は、筋肉を途中で休めたり、ストレッチしたりして、カリキュラムをこなすには1時間ではできませんので、交渉の末、1時間半に延長してもらいました(注)

(注)リハセンターから提出されたPT(理学療法士)のカルテには、次のように書かれている。
 
「ノルマがこなせない。訓練時間が短い」と訴えあり。「Ex(訓練)時間が短いのでない。ノルマがこなせないのは時間でなく、あなたの疲労の為、こなせないのである。よってEx量はこれ以上増やせない」と説明。先週までは60分であった。一応希望を入れて90分に延長している。「これ以上時間は延ばせない」と説明
 PTは、「疲労」の原因は徳見にあるとして、自らの訓練方法についてはまったく自覚していない。


 上記のカリキュラムは、私の身体の状態を把握するためには必要なものだと思います。しかし、それが把握できた後は、その身体の状態でどのように生活上の工夫をすればよいか、筋力を落とさないようにするにはどうしたらよいか、二次障害を起こさないように、温めたり、ストレッチしたり、介助の人をどのように「活用」するのか、筋肉がパニックにならないような方法や安全上の注意などは、「専門家」だったら分かるはずだし、指導できなければならないわけですが、そのような指導や注意などはまったくありませんでした。タイムウォッチで計るのと回数を数えるだけでした。
 リハセンターの通所が始まる以前は、生活の中で時々プールに行って、友人とプールの中で歩いて楽しんだり、身体が気持ちよくなっていました。それはきっと、ふだん両杖と長下肢装具を使ってふんばって歩いていて、筋肉がガチガチになるのを、水の中では浮力があるので、杖を使わずに、両腕をふって肩をほぐしながら自然にストレッチしたり、タイムウオッチに追われないから、疲れたらサウナで筋肉をほぐしたりしていました。ほんとうに身体が楽になって気分がよかった。
 私は、「ああ、これが生活の中のリハビリだなあ」なんて、ほんとうに体調もよかったのです。それが、リハセンターで訓練をやっていたときは、筋肉はすぐにつるし、痛みがだんだんひどくなるし、筋肉がガチガチになりっぱなしで、「成果」もあがってないんです注)

(注)「初期評価会議資料」でPTは書いている。
90・9・20から1226まで週1回の頻度で訓練を行なってきた。下肢能力・歩行能力に改善は見られない。動作能力に評価結果との食い違いあり、身体機能障害は、心因性のものが疑われる。
当然ながら!? 自らの指導を省みることはない。

 職能のカリキュラム
 職能の「能力判定テスト」というのがあります。ビスやナットが4種類あって、それを何分間にどの位組み合わせができ、ミスがどの位あるか。記号や数字の組み合わせの部品を、何分間に何セットでき、ミスがどの位あるか。これは内職や工場などの組み立てや、地域作業所がおこなっている作業を想定したものらしく、これをテストするときに、担当の職員は、「徳見さんにはたいへん失礼なテストですが……」と前置きがありました。
 「障害者」の仕事=簡単な組立作業、「障害者」とくに「知的障害者」に対して「これで月に6千円かせげて、交通費も出ます」程度の「おそまつな」作業所政策に疑問をもっていたのか。それとも、「あなたは作業所対象ランクではないが、リハセンターでのカリキュラムだから」と、おかしいと思いつつ業務としておこなっていたのか……?
 「障害者」の労働能力をふるい分けて、「あなたには……が向いている」「……が適している」「……をやるべき」等と、他者から生き方のレールを決定されることは、本人不在の考え方であるし、「本人の意志」は社会的要因にかなり左右された「自己決定」や「自己選択」があるものです。「健常者」のときは「おのれの決定」に対して、ぶつかり合いや、やり取りがあり、不利益に対しては、それを拒否したり、工夫したり、戦術をいろいろ試したり、変更したりして、それに対応できました。
 今「障害者」になって思うのは、選択の余地も少ないし、拒否でもしようものなら、生きていくことがすぐできなくなります。施設での職員による不誠実な対応をとことん文句言ったら、すぐ食うことにもひびくし、自然な生理をも否定されることもあるわけです。「健常者」にとっては「障害者」に有無を言わせないようにするための方法はいくらでもあるのです。
 だから、「障害者」がささやかな要求すら声に出すだけでも大変な闘いであるわけです。残念ながら、この現実をふまえて「障害者」に接している「健常者」はほとんどいません。それを「健常者」に遠慮なく訴えていく「障害者」も少ない。ましてや、不利益や不誠実に対して闘っている「障害者」はあまりにも少ない。25年前に「青い芝の会」の「健全者に対しての糾弾」の場に、私自身いなかったら、今の私はなかった。
 リハセンターのできごとを語るのに、どうしても感情移入というか、横道にそれてしまうのをお許し願いたい。職能のふるい分けの話でしたね。
 私みたいに痙性麻痺が強い者は、「内職」はできないのです。「健常者」が内職で生活費をかせごうとしたら、すぐ職業病でぶったおれてしまう。そういう私も、身体が変化した最初は職業病からです。
  ・中途障害者が原職復帰できるランク。
 ・新たに他の職種や他の企業に代わりうるランク。
 ・授産所にいくランク。
 ・地域作業所にいくランク。
 ・施設にいくランク。etc
 このように労働能力によるふるい分けをおこなっていくのです。主に「通い」で職能の「訓練」をしている「障害者」は、袋づめ作業や組立作業や園芸などを主としているようです。
 集中訓練部門の入所者が、何人くらい職能訓練にまわされるか分かりませんが、何人かが自分の意見を言うようになってきました(それも先ほど述べた「ささやかな要求」なのですよ、ほんとうに!)。
 そのうちの一人が、集中訓練退所間もないころ、職能通所に移行させたい旨を指導員から言われました。それに対して「自分は袋づめ作業で生きていくつもりはない。1か月6000円程度の賃金で、どうやって暮らせというんだ。どうしてそんなことしなくていけないのか」として、職能通所の意志のないことを表明したら、指導員から、「あなたのおかげで1ケース(職能へ)送りそこなったじゃないか」と怒られたと言っていました(注)

(注)「福祉」関係では、対象者を「ケース」という。「第1回川柳大賞(『公的扶助研究』93年4月)」に、福祉事務所のケースワーカーがつくった川柳がある(「差別的」としてマスコミにも報道された)。
 訪問日 ケース元気で 留守がいい(1位)
 やなケース 居ると知りつつ 連絡表(3位)
 ケースの死 笑いとばして 後しまつ(7位)

この「ケース」は、生活保護受給者のことである。

 こんなことを指導員は日常的に、何の疑問や葛藤もなく「指導」と称して、飯を食う仕事にしているのです。「健常者」が生活していくための労働の場として、「障害者」を集めて、「施設」が存在しているのです。国や地方自治体からの多額の「措置費」があるから、こんな指導でも、生活していく賃金がかせげるし、施設もやっていけるのですが、民間だったらすぐ赤字でつぶれてしまうでしょう、この内容では……。
 結局、かせぎの材料としてしか「障害者」をみていないのです。真剣に「自分が障害者だったら」と考えていたならば、職員と「障害者」との「共に生きる」観点が出てくるだろうと思うのです。
 リハセンターの職員も、労働者としての不利益に対して、上司に言えない力関係で苦しんでいる人もいるようですが、まだ労働組合もできていません(注)
(注)その後、労働組合はできたが、どのような活動をしているのか、こちらには伝わってこない。裁判のたびにリハセンターの前でビラまきをしたが、それらしい反応もまったくなかった。
 ときには上司や行政の理解のなさを「障害者」にこぼす職員もいます。しかし、それを聞いても、ふだんの指導が指導だから「障害者」たちはシラーとしています。「ささやかな抵抗」なのです。
 こんなことでは「よいリハセンターづくり」なんてできないし、私たちは「べつに……。だから何なのさ……!」とも言わず、シラーッ。シカトするのだ。分かっていて、わざとそうするの。それだけではダメと分かっていても、シラーッとしてしまうのだ。
 リハセンターの職員で「葛藤している」人は、ここの職能にいる人しか知りません(注)。また、うわさだからはっきり言えませんが、「熱心な人」は「ここでは、仕事ができない」として辞めていってしまうとのことです。弱いんだよね、残念ながら!
(注)この人は、労働組合の初代委員長になったが、その後、「管理職になるので委員長を辞める」ことになったという。

 「本格的な訓練」はじまる
 すべての評価判定が終わった。これからは訓練だろうな、具体的に! 来週は月曜日朝一番、ドクターの回診がある。そのときにスタッフで検討されたカリキュラムが知らされるのかな? これからのリハビリの中身は楽しみだな!
 こうして「本格的な訓練」が始まった。しかし、なぜかPT・OTの内容は変化なし。転倒して通えなくなるまで、一貫して変化なし。階段何回登り降りできたか、一周目のタイムは何分何秒か……。筋肉はガチガチ、痛みは強い。どうすりゃいいんだ! タイムは遅くなる。以前はプールにも行けたし、マッサージにも通えたし、長い距離を歩いたし……。コントロールできていたのに……。それが、立つ力が持続しなくなっちゃった。何なんだ、これ!
 ドクターいわく、「仕事をするときは、車椅子がないとむりではないかと、あなたが見極めればいいんです」「もしほしければ、車椅子を作りましょう」との結論。車椅子の作成にかかる。
 その後、PTのこれまでの内容に、週一回、10分間、両腕の筋力トレーニングが加わった。また、リハセンターの建物周辺を車椅子で時間内に何周できるか、タイム計測がはいる。
 さすがに、このころになると、「すみません、見え見えにタイムウォッチをそばに用意されていると、意識して、自然なスピードで操作できないので、配慮してもらえませんか」と指導員に言ってしまった。
 集中訓練がはじまってから1か月が過ぎて、次の月に「個別相談」という時間に新しいカリキュラム(注)が入るが、このカリキュラムを認められないと言ったら、福祉事務所のケースワーカーが呼び出されて、訓練時間の中に「説得」のカリキュラムが入れられ、車椅子で電車に乗るカリキュラムが削られました。
 (注)「リハビリテーション計画書」のこと。次号に掲載予定。      (『視点』第2号/92・2)(つづく)