「障害」を理由に解雇されて(4)

横浜市の「学校巡回歯科衛生士」として仕事をする中で、頸肩腕症候群(ケイワン)となり、職業病として労災認定闘争をし、その後、脊髄の手術をし、「障害者手帳」をもらって、退院しました(90年5月)。休職期限までの2年以内に、学校巡回の歯科衛生士として仕事を続ける場合に残されている課題――両手にロフストランド杖をついて、どのように歯科指導をすればよいか――を解決して、職場復帰をするため、横浜市総合リハビリテーションセンター(リハセンター)へ通うことになりました。

横浜リハセンターへ
 リハセンターは、「横浜市リハビリテーション事業団(市の第三セクター)」が、市から委託を受けて事業をおこなっており、市の機関である「更生相談所」とは、「形式的」には別組織です。しかし、リハセンター長は、市福祉局の部長、理事長は市の助役、事務方の責任者=常務理事は福祉局の部長です。したがって実質的に市の機関といっていいでしょう。また、前号にも書きましたが、私の上司(教育委員会・課長)が二人、定年後、「天下り」で専務理事になっています。
 主治医の紹介状をもって福祉事務所で入所の申請をすると、以後、福祉事務所、更生相談所、リハセンターでの様々な「聞き取り」、心理テストなどの「個人情報の収集」のあと、「通所」による「リハビリ訓練」が始まりました。
 リハセンターがどのようなものか全く知りませんでしたが、「総合リハビリ」というのだから、職場復帰に向けての課題解決に役にたつものを得られると期待して入所したのですが、そこでの「リハビリ」は、期待とはおよそかけ離れたものでした。
 そのリハビリの最中に、訓練用のロール(重さ11キロの円筒状)が落ちてきて、私にぶつかって、転倒しました(91年2月26日)。以後、リハビリは中断し、職場復帰のためのリハビリ再開を要求して、リハセンターと交渉することになりました。
 そのころのことを書いた「良いも悪いも私のリハセンターでのありのまま」という文章があります。これは、私の事故をきっかけに結成された「リハビリを考える神奈川の会」の機関誌に、事故から7〜12か月ほど経ったころ、3回に分けて掲載したものですが、「良くも悪くも」当時の私の本音が綴られていると思いますので、そのまま再録いたします。

 「良いも悪いも私のリハセンターでのありのまま」(1)
      
   (文中のは、今回再録にあたってつけたものです)

職場復帰のためのリハビリ」を求めて……
 私は3年ほど前から(注)、立つ力、歩く力、手の力が急激に弱くなりました。それまではスキー・ハイキング・水泳など、趣味といえば体を動かすことばかりでした。学生のころは、ワンゲルの「しごき」のなかで「鍛えた」体でしたので、「今までの自分」と「今の自分」の大きな変化にとまどいつつも、それを「自分のもの」として見つめて、生きていきたいと思っています。
(注)横浜市学校保健会に就職(67年)してから、10年ほどたって職業病(ケイワン)となり(78年、職業病の認定)、その治療をしながら仕事をつづけ、10年ほど経って、やっとケイワンがよくなったと思ったころのこと(88年ごろ)である。
 しかし、いまだに「健常者」思考が抜けていません。さいわい、「リハビリを考える神奈川の会」には、「障害者」解放運動を担っている方、そして日常的に「福祉」の現場で働いていながら、既成の「福祉」に疑問を抱かれていられる方々がおりますので、おのれのとらえ返しに「厳しい」アドバイスをポンポンと投げかけてくれています。そして、「リハビリ」についても、自分の体験を語る中で問い続けたいと思います。
 一年半の病院での生活は、頚(くび)の手術と「障害」に対する医療的なリハビリがありました。そこでのリハビリは、残っている機能の活用と二次障害の「予防」に向けたものでした。病院から家の近くの横浜市総合リハビリテーションセンターを紹介され、「リハビリの専門機関だから、つらくてもがんばるんだよ」と、病院のドクターの励ましの言葉に、「期待に胸をふくらませて」いました。自分が生きていくために活用できる知恵を、病院よりもっと「専門的に」教わることが多くあるにちがいない……、だって「リハビリの専門」機関だから……と。
 「障害者」の先達は「あんなところへ行くな」と止めましたが、そのときには理由が理解できませんでした。きっと「リハセンターの中身を知らないから勘違いしているのだろう」ぐらいに思っていました。「健常者」のときは自分が「医療の専門家」として20年以上働いて、それなりにがんばって勉強してきた、そういう「思い上がり」があったわけです。人に負けず、試験戦争の中で、のし上がってきた「努力」を身につけてね。自分は「専門家」だから……。リハセンターも、そういう「専門家」の集まりだから……。
「あけてびっくり玉手箱」――リハセンターへ行って本当にびっくりした。
 人間、知られたくない部分だってあるし、自分が信用していない者や、そこまで信頼関係のない者に「知られたくない」自分を、あえてさらけださなくてすむのが一般的ですね。
 手術後は、身体障害者手帳1種2級、による両下肢麻痺、職業・歯科衛生士、そして現在休職中(身分・来年4月末まで)。私、今の「障害」で職場復帰するために、マヒのある体をどういう状態で維持していったらよいか、訓練や工夫を身につけたい。娘と私の母子家庭で生活していくためにも、今まで「勉強して培ってきた」仕事も大好きで、「これからもこの仕事を続けたいので、お願いします」とリハセンターの医者に言いましたら、「それをやっていくには、外来では限度があるので、集中したリハビリが必要。毎日9時から4時、週休2日あげる、がんばれるか」。私「がんばります。努力することは、苦にはならない人間ですので」。リハセンター医者「希望があっても、今すぐは入れない。3か月位先になってしまう。それまで外来扱いだから、週1回の訓練になる」。
 希望者が殺到しているんだ。これだけの設備だもの。さすが……。
 リハセンター医者「ここへの『入所』の窓口は福祉事務所になるので、まずそちらへ申し込むように」。私、ムッ! 福祉事務所とか、何か今までの病院のリハビリとちがって、ややこしいな、と思いながらも、福祉事務所へ行くわけだが、リハセンターに「入所」して集中リハビリが始まるまで手続きが大変!

 福祉事務所の審査
 その1――学歴、家族・親戚・親・きょうだいの社会的地位・財産、家族・親戚との人間関係、仕送りはないか、病気の説明・経過、離婚の話、離婚後の生活の状態、子どもとの生活の中身――何でこんなことを説明しなくてはいけないんでしょうね。友人に相談するとき以外は、知らせることはないのに……などなど。いつもこんな審査をしていると、審査する側は、感覚が違ってきてしまって、何の抵抗もなくやってしまうのでしょうね。
 その2――自宅の審査。部屋を見せ、だいたいの家事や家での日常生活の行動の仕方、例えば、ここで「ひざ歩き」とか、はいずってゆくとか、伝い歩きとか……。生活の中では「障害」に対して、娘と私二人で動作を工夫して、介助や援助なく暮らしていた。買い物も病院も家事も何もかも……。車の運転と100メートル位は両杖と装具で歩けるので、時間はかかるし、体もややきついが、やりきってきた。ときどき温泉にも行くが、そのようなときだけ車椅子を借りていた。そのため車椅子がほしいと思っていた(それにしても、親しい人以外に、自分の部屋を見せるのは嫌なもんです。見るほうは感じていない)。
 リハビリを生活の中に入れるために、友人とプールへ行く。水の中での歩き、軽い水泳、また、友人の作業所で歯科衛生士としてのボランティアをやりながら、陶芸の作業療法をやらせてもらっていた。
 この時期は、職場にどういう状態で復帰するか、などと考えていました。
 どうして、リハビリ訓練をするのに、行政はたくさんの審査が必要なんでしょうね。今までの医療機関では、ここまで調べられない。きっと、そこでのリハビリは、「きめ細かい配慮」のある指導やアドバイスがあるからでしょうか。専門機関だから……。 

更生相談所・リハセンターの審査
 リハセンター医師の診断――血液、尿、レントゲン、体重、身長、血圧等、一般的な健康診断。なぜか、この結果だけは本人も見ることができた。
 リハセンター心理判定――知能テスト、心理テスト、一般教養(?)等、5種類くらい3時間。いろんなテストも「健常者」のときみたいなスピードで書けない。指がつる。「身体障害」のリハビリ訓練のための手続きに、何でこんなに労力かけて、頭と心の判定するのかしら。リハビリの指導をするのに、テストは「きめ細かい配慮」のためのふるい分けの資料で、それによって、きっと指導も違ってくるんだろう。専門機関だから……。
 後日、集中訓練が始まってから、私の「結果を知らせてほしい」というしつこい要求に、医師はIQだけ知らせてくれました。昔、テストをやらされたときよりずっと低い。医師は慰めてくれました。「IQは正常域です……」と。
 心理判定は、精神分析をして、その人の隠れている「異常」な部分をほじくり出すのかしら。人間と人間が接していくのに、お互いこんな判定結果をもとに人間をふるい分けて、日常的に判定していきますか。
 教育現場などでは、この知能テストは、本人や保護者の「普通の学校で共に学びたい」という希望に対して、特殊学級や養護学校へ「追いやる」ための「切り札」として使うわけです。選別し隔離することを正当化するための「科学的データ」として……。
 テストによって「社会への適応性に欠ける」と判定されたら、それは、その人のあり方がよくないから、「正しい社会」に合わせるように生きよ、というのでしょうか。それが「良いこと」とはまったく思っていない私は、このテストを何回やっても無意味だし、何かそれに向けての「訓練」があるとしても、自分の「価値観」まで変えて「社会」に合わせて生きることはできない。
 「登校拒否」や社会に対する「告発」や「糾弾」は、きっと「その人自身の問題」「その人の考えがおかしい」としか見ることができないのでしょうね、「専門家」だから……。
 更生相談所のケースワーカー、リハセンターの生活訓練係等に、病気のことや離婚の経緯やその後の生活のことなど、プライバシーを全部で5回説明させられ、質問されました。職場復帰に向けてのリハビリをお願いしている手前、こちらとしても「だから必要なのです」と、分かってもらうために、言わなくてはならないのか、と疑問を感じつつ……。それにしても、「人生相談」は、信頼している人にしかしないのに、全く、何でこんなふうに調べられなくてはいけないのでしょうか。3週間目ぐらいからは、腹立たしくて、その結果「見てはいけない表」には、「時には精神の高揚も見られる」などと、ごていねいにも書いてある。
 なんだかんだで「集中リハビリ」できる生活訓練係のところに「入所」ではなく、「通所」で合格が決まる(注)。後で、リハセンター職員が「通所決定するにあたって、ほとんど全員が反対であった。医師だけが賛成した」と……。
(注)形は「通所」だが、法的には「身体障害者福祉法」による「施設への入所措置」であった。 
 私の元上司が、トントンと出世して、局長で退職し、「天下り」でここの専務理事におさまっているので、私がどんな考え方の人間か、個人情報は事細かに握っているのです。指導するには、たくさんの情報を握っていると、結果が「手に取るように」見えるのでしょう。不誠実な対応をするにしても、「障害者」を都合のよい人間作りするにも、きっと「福祉施設」では、こんなことが日常茶飯事なのでしょう。「障害者」の先輩たちは、がまんさせられてきたのでしょうか。
 私はまだ「障害者」の初心者マークだから分かりませんが、判定・評価する側にとっては必要なのかもしれません。管理するために。でも、当事者にとって役に立つものはないばかりか、行政のための資料提供者として、取り調べられているとしか感じられませんでした。
 どこからどこまで電算に入力されるのでしょうか。そもそも本人にデータを入力してよいか、などの説明もありません。横浜脳性麻痺者協会との4年位にもわたる交渉の末、取り交わし項目はどうなったのでしょうか(注)
(注)91年1月、横浜脳性麻痺者協会と市民生局との間で、「コンピュータ入力を承諾しない者には、『基本16項目』以外は入力しないこと」「障害の発生予防につながるクロス集計は行わないこと」など、4項目の「確認書」を取り交わしている。
 なぜか出会った「集中訓練」の対象者は「中途障害者」です。アッ! リ・ハビリだからなのかしら(「リ」は「再び」の意味だから、「リ・ハビリ」とは、「訓練を受けて、もう一度健常者社会に復帰せよ」ということである)。
 今回の「ありのまま その1」は、「集中訓練」を受けるまでの内容です。福祉事務所やらリハセンターとの話し合いは、知るすべもありません

(注)その後、これらの内容(の一部?)は、後に明らかになった(後述)。
 「障害者」で悪い? なぜ「頭の中身」「心の中身」を調べられるの? 「科学」の名のもとに、細かく細かく調べたって、人間の考えていることや心で思っていること、分かりますか? 当事者にも分からないことを「科学」で決めつけられたりするなんて、何のためなんでしょうか? 「障害者」は生きながら身も心も頭も「解剖」されなくては生きていく道は切り開いてはいけないのでしょうか!!(『視点』創刊号/9110

 リハセンター入所にあたって、福祉事務所・更生相談所、そしてリハセンターでの「個人情報の収集」が、どのように行われたのか、それがどのように使われたのか、それを知るために、横浜市の「公文書開示請求」や「個人情報開示請求」などの制度を使いました。その結果、福祉事務所と更生相談所の「ケースファイル(徳見ファイル)」が開示されました。    
 その両方に、福祉事務所が「市リハセンター厚生施設入所について」の判定を、更生相談所に依頼して作成された文書(判定書)がありました。
 この判定書は、「(開示すると)本人に対する適正な指導が困難となり、本人の向上心・自立自助心を阻害するおそれがあるため」という理由で、いずれも「非開示」となり、福祉事務所ではほとんど白紙、更生相談所では墨塗りとなっていました。
 その後、リハセンターを提訴した「リハ裁判」で、証拠として提出された(させた!)200ページあまりの「徳見関係文書」があります。その最初の文書は、右の「平成3年1月1日入所」と記載された「フェイスシート」です。そこには、リハセンターで撮られた全身の写真が載せられています(これに限らず、多くの写真やビデオを撮られました)。
 その他、リハセンターで行なわれた医学的診断、面接記録、PT(理学療法)・OT(作業療法)の訓練記録など、ほとんどが提出されましたが、「判定書」だけは「福祉事務所の了解がとれない」という理由で提出が拒否されましたので、裁判所に「文書提出命令」を出してもらいました。最後まで出したがらなかったその内容は、いずれ……(つづく)