「障害」を理由に解雇されて(2)

 前回は、私が歯科衛生士として横浜市に就職し、職業病(ケイワン)になり、首の脊髄(頸椎)の手術を受け、子問研・社臨などに教えられながら、「リハ裁判」「障労裁判」という二つの裁判を終え、横浜の里山で、のんびりと余生を送って72歳になり、まだ記憶があるうちに、皆様にこれまでのことを報告しようと思い立ったことなどを書きました。
 今回は、歯科衛生士として、市内の学校を巡回して「歯科指導」をする仕事のことなどを書いてみたいと思います。、

 学校巡回指導
 私は、20歳のときから、95年に「解雇」されるまで28年間、横浜市学校保健会の歯科衛生士として、市内の学校を巡回して、子どもたちと関わってきました。
 私が就職したころは、歯科衛生士による歯科指導を希望する学校が少なかったので、小・中学校を巡回指導していました。指導の内容は、主として「歯口清掃検査」「集団指導」などでした。
 「歯口清掃検査(歯みがき検査)」は、子どもたちの口の中をみて、歯がきれいにみがけているか、みがき残しがないか、などをみて、「きれいな人はA」「ほとんどみがけてない人はC」「歯ぐきのはれている人はG」などと判定するのです。
 「よくみがけているけど、歯ぐきの、ここの部分がはれているね。野菜とか果物をもう少したくさん食べたほうがいいね」「血が出るかもしれないけど、悪い血を押し出すようにして、このようにしてみがいたほうがいいでしょう」などと説明しながら、「A・Gです」というように判定していたのです。
 午前中400人程度までは、このように「丁寧に」検査しながら「指導」することができました。   「集団指導」は、例えば小学校一年生ならば「乳歯・永久歯の違いや六歳臼歯の大切さ・おやつのとり方」などと、学年ごとにテーマを決めて、教室で「授業」をするのです。 市内のいろんな学校で行なう授業は、学校によってそれぞれ特徴があって、子どもたちとのふれあいを楽しませていただきました。
 横浜市にも、下町(旧市街地)と山の手(新興住宅地)があり、漁業を営む地域の学校や、商店街の中の学校、あるいは新興住宅街の学校など、さまざまに特徴のある学校があります。7人の歯科衛生士が、分担して、それらの学校をまわるのですが、「下町」の子どもは、概して素朴で、授業をしても「ノリ」がよくて、楽しくできるのですが、「山の手」の有名私立中受験校などには、みんなあまり行きたがらないのです。それは「受験」に役に立たない授業には、あまりのらず、授業がなかなか難しいからですが、そのような学校でも、私の話に集中するように、いろいろと工夫して授業を進めました。
 私の指導中、担任の教師は、騒いだりしがちな子どもの近くで「にらみ」をきかせたり、手指の動きがにぶい子には手を添えたりと、いろいろとアシスト(手伝い)してくれるのです。

 加藤先生との出会い
 小学校四年生のあるクラスで指導したときのことです。教室に入ると、担任の教師の姿が見えないのですが、そのままはじめました。すると、そのクラスの子どもたちの目や身体全体の表情がキラキラしているのでした。今まで出会ったことのないすてきな集団・クラスで、ものすごくユニークな答えや質問が出てくるのです。それが「おとな=教師によってつくられた」ものではなく、素朴なのです。「もしかすると、担任の先生がいないから、子どもたちが自由に意見を言えるんだ」と思っていたのです。ところが、ふと気がつくと、担任は、休みの子の席に座ってニコニコしていました。
 そのときは、このクラスを「加藤級」としか覚えていなかったのですが、その後、村田栄一氏の本で、この先生が野本三吉氏、すなわち加藤彰彦先生であることを知ったのでした。
 その加藤先生と、20数年後に、社臨の設立総会(93)で再会することになるとは、夢にも思いませんでした。
 再会したとき、「リハ裁判」はまだ始まったばかりで、四回目を迎えるところでした。その一年前の四月に、三年間の休職期限が切れて、当局(学校保健会)に対して、「介助者つき職場復帰」を申し入れて、何度かの交渉をおこなっていましたが、当局は「自力通勤・自力勤務できない」ことを理由に職場復帰を認めようとはしませんでした。
 職場復帰へ向けての検討を一切しないまま、「はじめにクビありき」という当局の厚い壁を、このような「交渉」だけで崩すことができるのか、その戦術が見出せず、加藤先生と話しながら、28年間の仕事と生活が頭の中をかけめぐり、涙がポロポロ出てしまいました。

 やがて「検査」だけに……
 歯科衛生士の巡回指導は、学校側が計画し、学校保健会に要請し、その結果私たち歯科衛生士が学校に派遣されて、検査や指導を行うもので、あくまで主体は学校にあります。、
 そのため、七人の歯科衛生士が「努力」して仕事をした結果、「うちの学校にも来てほしい」という希望校が年々増えてきたために、やがて中学校をカットせざるをえなくなりました。
 それにともない、それまでの、一斉授業という形でおこなっていた「集団指導」が減少し、「検査」が増えていきました。
 そして、規模の大きい学校になると、午前中900人、1000人近くの児童を、一人で次から次へと流すように検査しなければならなくなりました。中腰になり、子どもの口びるを押し広げて、腕を宙に浮かせたまま、のぞき込む姿勢で、次から次へとベルトコンベアーのように「はい、Aです」「はい、Bマルです。少し汚れています」「B・Gです」などと判定するだけになってしまいました。
 このような、数秒の判定を続けていく作業の中で、自分では気がつかないうちに疲労が重なっていました。腕や肩が痛い、だるい、こる……。「しっかりせい!」って、自分で自分を叱咤激励して、仕事を続けていました。
 仕事をはじめて10年あまりたった78年ごろから、急激に身体の状態が悪化し、首や肩に痛みが出て、腕を挙げて検査をすることもできなくなってしまいました。整形外科に受診すると「頸肩腕症候群(ケイワン)」と診断され、2年ほど休職して、治療に専念することになりました。

 何のための「検査」?
 どんなに私が、きれいごとを言おうが、やっぱり、「横浜市教育委員会」がバックにあったからこそ、学校の現場で、歯科衛生士として仕事ができたし、「上からの立場」で子どもたちの口の中を、強制的に検査し判定することができたのです。
 それは、単に学校の現場だけではなく、リハセンターで私が受けた多くの「評価・判定」のように、「対象」として、当然のごとく一方的にやれてしまうのです。
 もし「歯みがきがきれいにできているか」を自分で確かめたかったら、何も強制的に見られなくても、確かめる方法は、ほかにもいろいろあります。うちの人に見てもらってもいいし、薬局で歯の汚れを染め出す液だって売っています(染色剤で問題になっていますが……)。
 私が検査しなければ、その子は、いやなレッテルはりをされなくてもすんだかもしれません。もしかしたら、その子の心の中に、そのことがずっと尾を引いていったかもしれません。
 たとえば小学校の6年間、年に何回も「C」と判定され、そのたびに、「ん? これなあに」と歯クソを見せられて、「ホラ、虫歯菌がウヨウヨしているよ。もう一回口の中に戻そうか?」なんて、毎回それをやられた子は、どんな気持ちだったでしょうか?
 また、担任の教師が、検査を目標に、何日も前から歯磨きにすごく燃えさせているクラスもあります。一番めの子、A。二番めの子もA、三番めの子もA……、「すごいね、すごいね……」とほめていきます。ところが、突然BとかBマルぐらいの子が出てきます。でも、その子もすごく燃えているのです。それは口の中を見れば分かります。一生懸命みがいて、しかも急激に短期間にみがきすぎて、歯ぐきがヒリヒリしているのです。「どうしてこんなに一生懸命にやったの?」と抱きしめてやりたくなるほどに……。それをBと判定し、しかもみんなの前で言うのがかわいそうで、「よくがんばったね!」とだけしか言えません……。
 しかし、テスト前に「付け焼刃」的に知識を詰め込んだとしても、そんな知識は決して身につかないと同様に、日常的に歯をきれいにする習慣をつけなければ、虫歯を防ぐことはできません。
 それでは、小学校6年間ずっと汚なかった子が、虫歯がウジャウジャになるかというと、まったくそうならない子もいます。唾液の分泌量が多く、歯が汚れて口の中の酸性度が高くなっても、唾液で中和されて、虫歯ができにくいのです。しかし成長するにつれて、唾液の分泌量がへり、それまでの歯みがきの状態では、歯ぐきのコンディションが維持できなくなり、歯石がたまりやすくなって、歯ぐきの病気が出てきたり、大人になって、歯槽膿漏になりやすくなるのです。
 また、有名私立中受験希望者の多い、いわゆる「ハイレベル」の学校の子は、口の中がきれいなのかというと、実は全く逆というデータがはっきりと出たりします。進学競争が激しく、塾や家庭教師、夜遅くまでの勉強など、ストレスや不規則な食事、睡眠不足などで、唾液の粘り気が強くなって、汚れやすかったりするなど、その子たちの口の中にそのまま表われるのです。
 同じように、いじめ・体罰が横行している学校も、子どもの口の中のデータに表れてきます。
 こうしたデータは、校長が教師を管理する材料になったりもします。たとえば、「この教師は組合活動は熱心だが、クラスの子どもたちは、基本的な生活習慣が身についていない」などと、校長がデータを見ながら評価・判定したりすることもありました。
 教育委員会の立場では、学校別の判断材料にもなります。「この学校で生活の基本が指導できていないのは、『日の丸・君が代』問題でガタガタしているからだ」というように使われるのです。
 こうして、子どもばかりではなく、教師管理の一端を、結果的に私たち歯科衛生士も担っていたのでした。                                                                 (つづく)