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94.10.13

  
伊藤利之 証人調書 2

Q(質問):原告代理人(森田・大塚・渡辺)

伊藤利之 経歴表
氏名:伊藤利之(昭和20年1月9日生まれ)
昭和45年3月 横浜私立大学医学部卒業
昭和45年5月 横浜私立大学医学部病院リハビリテーション科勤務
昭和45年11月 四ツ角病院内科勤務
昭和46年5月 横浜私立大学医学部病院整形外科勤務
昭和47年5月 横浜私立大学医学部病院リハビリテーション科勤務
昭和52年4月 横浜私立港湾病院リハビリテーション科勤務
昭和54年6月 横浜私立大学医学部病院リハビリテーション科勤務
昭和58年6月 横浜市民生局総合リハビリテーションセンター建設準備室勤務
昭和62年4月 横浜市リハビリテーション事業団勤務
昭和62年6月 横浜市民生局身体障害者福祉センター所長
昭和62年10月1日〜平成8年3月31日 横浜市障害者更生相談所長
平成8年4月1日〜 横浜市総合リハビリテーションセンター長

Q(森田).(伊藤の経歴表を示す)経歴は、ここに記載されている通りで間違いないんですか。
A.はい。
Q.これによりますと、あなたはほとんどの期間、リハビリテーション科に勤務しておられたということになるわけですね。
A.そうですね。
Q.昭和46年の5月から1年間ほど、横浜市立大学医学部病院の整形外科に勤務しておられますけれども、これもリハビリ科に関連した診療科ということになるんでしょうか。
A.関連したという点では、整形外科だけではなく、ほかの科も関連しておりますけれども、整形外科は、その中でも一番近い科だと思います。
Q.それと、その前に、昭和45年11月から半年ほどですけれども、四ツ角病院の内科に勤務しておられますね。
A.はい。
Q.この内科というのは、具体的にはどういうことなんでしょうか。つまり、一般的な内科ということなんでしょうか。
A.そうです。
Q.この期間は、とくにリハビリに関連してということではなくて、一般的な勉強というような意味ですか。
A.この年から研修医制度が始まりまして、すなわち、かつてのインターン制度から研修医制度に変わったわけです。2年間はそういうことで、研修をする期間として研修制度にのっとって動くことになったわけです。それで、私たちの学年は、自分たちで「重点ローテーション方式」という方式を採用しまして、自分が行きたい、将来行くであろう科、それを希望している科と関連するようなことを学ぶために、内科だとか、整形外科だとか、麻酔科だとか、そういうところを研修すると。そのときに大学だけではなくて、一般の病院も経験したいとかいうようなことで、非常に、最先端といいましょうか、最前線で仕事をされている病院に先輩がいて、そういう関係で、外の病院も含めて研修をしていたということです。
Q.その研修のための期間が四ツ角病院にいた期間ということですか。
A.そうです。
Q.そうしますと、リハビリ科以外の診療科について、そのほかの科に重点をおいての臨床あるいは研究をされたということではないわけですね。
A.ええ。整形外科と内科を、私は重点的に勉強したということです。
Q.そうすると、例えば精神科ですとか、あるいは最近ですと、心療内科というんですかね、そういった分野については、直接携わってはおられないわけですね。
A.ええ、直接そういう科で勉強した経験はありません。
Q.それと、昭和58年6月から総合リハビリテーションセンター建設準備室勤務ということになっていますね。
A.はい。
Q.それ以後は、本件リハビリテーションセンター関係のお仕事をされているというふうにきいてよろしいんでしょうか。
A.この間、58年からは、そういう準備にとりかかりましてとくに、地域リハビリテーションということで、在宅の障害がある方々のところを回ってする仕事ですね、そういう巡回的な仕事を併せ持って、モデル事業としてやっておりましたから、今のリハビリテーションセンターの仕事というふうに考えていいと思います。ただ、昭和62年2月からの半年間、これは身体障害者福祉センターというところにおりました。この間はちょっと、並行してやっておりましたけれども、この福祉センターの仕事が主になります。
Q.福祉センター所長というのは、これはもちろん医師としての立場でしょうけれども、行政職になるわけですよね。
A.そうですね。
Q.その前の、今お聞きしました「建設準備室」の勤務というのも、市の職員という形になるわけですね。
A.そうです。
Q.そういった意味では、この準備室勤務以降は、行政の中で仕事をするということですね。
A.はい。
Q.本件、徳見さんの転倒事故のあった平成3年2月の当時ですけれども、このころ、あなたは横浜市更生相談所長であったわけですね。
A.はい。
Q.同時にリハビリセンターにも勤務していたわけですか。
A.そうですね。嘱託医という形をとりますが、同じ館の中にありますので、立場は更生相談所長で、医師としては、更生相談所としての判定業務と、それからリハビリテーションセンターにおける非常勤の嘱託医としての仕事と、両方を持っておりました。
Q.非常勤の嘱託医としてと言われましたけれども、でも、実際、リハビリセンターの中で医師としての診察ですとか、あるいは必要なアドバイスとか、実質的な仕事はされていたわけですよね。
A.そういえばそういえるんですが、更生相談所の判定業務の中における医学的判定の業務がかなり多かったということです。たとえば、義手とか義足だとか装具だとかというような補装具の判定業務、それから、車椅子の判定業務、施設入所の判定業務ということがリハビリテーションセンターのその館の中でおこなわれていたわけですから、そういう外来業務が圧倒的に多かったということです。
Q.そうすると、つまり、片方が主で片方は全くついでであったというようなことでもないわけでしょう。それぞれきちんとした仕事としてあったわけでしょう。
A.もちろんそうです。
Q.もちろん双方から給料をもらっているという形になるわけですね。
A.いいえ、我々は市の職員ですから、双方からはもらいません。
Q.事業団の職員としての……。
A.立場は嘱託の立場で、無給です。
Q.事業団自体からもらうのではなくて、市の職員という立場なんですか。
A.はい。
Q.そうすると、市の職員としての立場で両方の仕事をするということになるわけですね。
A.(うなづく)
Q.それと、今のお話にありましたように、実際にはリハセンターの中に更生相談所が置かれているわけですよね。これは、どうしてそういうことになっているんですか。
A.どうして置いてあるかということは、これはリハビリテーションセンター構想の中に書いてある内容の通りでして、基本的には、横浜市の障害児あるいは障害者の端末機関としてリハビリテーションセンターをつくったわけですから、そのための様々な福祉施設、あるいは福祉の施設を利用するため、あるいは補装具等の判定をするということは、非常に重要な中枢機能なわけで、そういうことで、この更生相談所をこのリハビリテーションセンターの中に入れて、そこを軸に全体のリハビリテーションを進めるというのは、国の基本的な方向といいましょうか、方針だったわけで、横浜市はそういうような方針にのっとって、そういうリハセンターをつくったということです。
Q.お聞きしました理由は、法的な手続きとしては、更生相談所判定をして、それに基づいて福祉事務所が措置決定をするんですかね。
A.はい。
Q.それに基づいて受け入れるのが、リハセンターならリハセンターの関係になるわけですよね。
A.リハセンターだけではないです。
Q.もちろんそうです。たとえばですけどね、そういうことからいえば、むしろ、別の主体という感じがするんですけれども、ただ、今言われたようなことからすると、それは、むしろ、一体として有機的に適用したほうが患者のニーズに応じられるということですか。
A.ということを国が打ち出しているからです。それに基づいて、我々も考えて、横浜市もそういう方向性を出したということです。
Q.それで、平成8年4月からは更生相談所長からリハセンター長になったということですね。
A.はい。
Q.これは、そういった有機的な連携があるということで、自然な流れとしてそういうことになるわけですか。
A.実は、これは、いろいろ事情があってこういうふうになったわけで、たまたまそのセンター長が別なところに移らなければならなかったということもございまして、こういう形になったわけで、必ずしも望んだわけではないわけで、有機的な連携があったからなったということでは必ずしもないと思います。ただ、事情には詳しいですから。
Q.現在、あなたは、今申し上げたリハビリセンター長をしておられるわけですね。
A.はい。
Q.これは、どういう役職になるんでしょうか。
A.ちょっと、その質問の意味が分からないですが。
Q.地位といいますかね、要するに、あなたより上の人というのはいるわけですか。
A.横浜市の総合リハビリテーションセンターの中にはいませんが、これを運営しているのが横浜市のリハビリテーション事業団でございます。その理事長が助役でございますし、専務理事がまた別におります。その運営の中の一つの施設が、このリハビリテーションセンターということです。
Q.そうすると、運営の主体は別にあるとして、このリハビリセンターという施設の中での最高責任者ということになるわけですね。
A.そうですね。
Q.証人とは原告との交渉過程で私もお会いしたことがあるわけですけれども、事故当時からリハセンターにずっとおられたということで、現在、リハセンターにおられるスタッフの中では、本件について最も関わりが深いというような立場になるんでしょうか。
A.医者としてはそうです。
Q.医者としてもそうだし、これに当初から関わっておられた理事さんなども、もう代わっておられますよね。
A.はい、そうです。それは、ほかの方々の中では、PTの職員も直接担当していた者も辞めましたので、そこのチーフが一番古いでしょうね。
Q.何という方ですか。
A.秋田です。
Q.あの当時からおられる方というのは、秋田さんあるいはあなたぐらいということになるんじゃないですか。
A.いや、まだほかにいると思います。厚生施設に入っていましたから、厚生施設の立場に、生活訓練係の係長である佐々木だとか……。
Q.そうすると、当然、この事件にも関心はお持ちだと思うですけれども、この事件の裁判記録などはご覧になっていますか。
A.はい。
Q.一応、全部見ているという……。
A.目を通してはおります。
Q.証拠で出されているカルテなどの医療記録について、翻訳をされたりというようなことがあるんでしょうか。
A.ええ、お手伝いはいたしました。
Q.そうすると、この証人として出るということの以前から、裁判について弁護士さんと打ち合わせをするということもあったわけですね。
A.はい、もちろんそうです。
Q.前回の証言の中にもちょっとあったんですが、証拠としてこういう論文を出そうといったような話もされたわけですね。
A.はい。
Q.それと、本件の裁判の中での議論として、「原告の転倒が転換ヒステリーによるものではないか」ということがありますね。こういうことについては、あなたは、いつごろから考えていたんですか。
A.「転換ヒステリーによるものだ」というふうに、我々は断定しているわけではありません。彼女が転換ヒステリーというその診断を、我々は積極的につけた覚えはないわけです。もともと精神的・心理的な疾患というのは、いわゆる器質的なといいましょうか、身体的な様々な疾患をネグレクトして、その上で出すのが我々の常識です。ですので、身体的な障害として、まず考えているわけで、ただ、「それではどうしても結論しえない」といいましょうか、「説明ができない部分がある」と、そういうふうに申し上げているんです。「そうすると、そういう転倒なんかはすることがありますよ」と、そう申し上げているわけです。
Q.それで、今お聞きしたのは、この転換ヒステリーについての具体的な主張がされたのが、平成6年12月の被告の準備書面なんですね。この裁判は平成4年10月から始まっているんですけれども、こういうことになったのは、あなたが、この時点、つまり平成6年12月で裁判がある程度進んだ時点で、転換ヒステリーというものについて、弁護士と相談されたのか、あるいはそれ以前からそういう話はあったということなのか、その点はどちらなんでしょうか。
A.私の中には、カルテにも記載されているように、転換ヒステリーを疑うという気持ちは、そういう考え方といいましょうか、そういう診断は、私の中にも、もともとありました。ただ、裁判の成り行きの中で、どうこれを提案していくのか、ということについては、私の判断では必ずしもありません。
Q.そうすると、裁判の方針を変えるような説明を、平成6年12月ないしそのちょっと前ぐらいの時点で、あなたが弁護士さんに話をしたということではないわけですね。
A.ええ、もともとそういうような診断は、考えて言ったわけですから。
Q.横浜のリハセンターなんですけど、総合リハビリテーションセンターというふうに称されているんですが、この場合、総合リハセンターというふうに称するのは、どういうことでなんですか。つまり、総合ということの意味なんですけど……。
A.総合という意味は二つあります。一つは、保健領域と医療の領域と福祉の領域、この三者を三位一体でサービス提供していくと、そういうことがまず一つの総合です。それから、医学的なリハビリテーションと、それから社会的なリハビリテーション、職業的なリハビリテーションという、リハビリテーションの中でも、教育は、うちは療育しかやっておりませんので、療育ということになりますが、そのリハビリテーションの四つの側面、すなわち医学・社会・職業・教育ですね、こういう四つの側面をトータルでサービスする、緊密に連携をもってサービスする、そういう側面はあると思います。この二つの立場から、総合というのをつけているわけです。
Q.そうすると、医学的な対応は前提として、それを社会的なものとして生かすというか……。で、さらに職場復帰ですかね。要するに職業に就くということを実現すると、そういうことを一体としてやろうということなんですか。
A.はい。ただ、横浜市内にはたくさんの病院がございます。そして、その中で医学的なリハビリテーションがおこなわれております。とくに、機能訓練です。これらはほかの都市に比べてもたいへん進んでいる都市でして、とくに横浜市では、衛生局が中心になって、各方面に中核病院をつくっています。その中には必ずリハビリテーション科を設置するということで、医学的なリハビリテーションに関しては、我々のほうはかなり落としてつくっています。すなわち、急性期・回復期は医療機関でおこなう、むしろ慢性期にこのリハビリテーションセンターが機能すると、そういうようなつくり方になっております。
Q.そうすると、リハセンターの主眼としては、今言ったような対象になる患者さんを受け入れて、それを仕事に就けるようにしていくと、そちらに主眼があるということになるんでしょうか。
A.あともう一つは、在宅生活ですね。在宅生活を営めるようにしていくということです。重症な方々はそうせざるをえないわけですから。したがって、医学的にいうと、今までの治療医学における治療を積極的にするというよりも、医療的な管理をちゃんとして、そのベースにのっとって、機能訓練やあるいは社会生活訓練や職業訓練をしていくと、そういうところが、このリハセンターの仕事になります。
Q.職業との関係でいいますと、たとえば必要な補助具を開発するとか、それを提供していくといいますかね、そういった面において評価されているというか、重点を置いているというふうにいわれているんじゃないんでしょうか。
A.あまり職業的なところで、いろんな機器の開発というのは、残念ながら全国的にもまだまだ進んでおりませんので、我々もそこまでいっていない、まさに今やっている主要な仕事は、日常生活を何とか自力でやれるようにするとか、あるいは介護者が一人で介護できるようにするとか、というような機器類の開発のほうがかなり主力です。職業的なところまでとてもまだ手が回っていないというのが、日本の現状だと思います。
Q.ただ、その日本の現状の中では、この横浜リハセンターは職場復帰に向けてのいろいろな工夫について努力をされているということじゃないんですか。
A.努力はしていますけれども、私たちの目からみますと、まだまだ未熟でして、とても神奈川のリハビリテーションセンターや国立のリハビリテーションセンター、とくに国立のほうは職業リハビリテーションセンターをもっておりますから、そういうところに比べたらば、本当に微々たるものだと思います。
Q.それと、リハセンターの一つの特徴として、リハビリ情報システムということが挙げられるんでしょうね。
A.特徴ではなくて、これは、私どもが、これはもう神奈川のリハセンターなんかは、もうずっと前にコンピュータを取り入れてやっておりますが、全国的な風潮として、カルテが保管できないということもありまして、保管するには大きな倉庫が必要になってくるということもありまして、できるだけペーパーレスにしたいということで、コンピュータを使うというような方向が、このセンターをつくるときには考えられました。ただし、他の機関とネットワークを張るというようなことは良くないと、要するに他の機関から情報をもらい、その機関がつくった情報は、必ずしも我々にとって正確な情報であるかどうか分かりませんものですから、そういうネットワークはしないと、うちの中だけで使う、そういう情報としてコンピュータを利用しようと、そういうことなので、必ずしもこれがうちの特徴だといえるほどのものではありません。
Q.今のお話の範囲ですと、情報システムを導入したのは、コンピュータを入れてペーパーレスを実現するためということなんですか。
A.できるだけペーパーを減らしたいということなんですね。
Q.それが主眼なんですか。
A.そうです。
Q.そうですかね。むしろ、障害者あるいは障害福祉に関する情報を積極的に収集・活用するということが主眼なんじゃないんですか。
A.身体障害者手帳に関しては、その管理を考えましたので、そのことについてはきちんと入力しておりますけれども、それ以外のものについては、とにかくご本人の住所や名前や、本当に、診断名・障害名、そのくらいしか、じつは外来部門では入れておりませんし、入院や入所の部門でも、それ以上若干が加えられた本人の入院時の所見、簡単な所見ですが、それと退院時の所見と、その程度しか入っていないのが現状です。
Q.でも、本当はもうちょっといろんな情報をたくさん入れて、活用しようという計画だったんじゃないんですか。
A.私の頭の中にありましたのが、少なくとも統計ですね。厚生省なんかに出さなくちゃいけない統計とか、市に報告しなければならない統計は出すつもりでおりましたけれども、それすら十分にできないで、手作業になっております。
Q.(甲第37号証を示す)これは、あなたが書いた論文ですね。
A.いや、これは白野先生がお書きになって、私が協力したということです。
Q.じゃあ、あなたも関与されているわけでしょう。
A.はい。
Q.これは中身、分かりますか。
A.はい。
Q.ここで横浜リハセンターの情報システムのことについて書いておられるわけですが、それはそれでよろしいですね。
A.はい。
Q.ただ、このリハセンターで情報システムを導入するに際しては、障害者団体からの反対が起こりましたね。
A.はい。
Q.今の論文などをみると、個人情報保護の原則ということまで触れておられるんですけれども、そういうことはシステムを設計するにあたっては配慮されたんですか。
A.もちろんです。
Q.配慮されたにもかかわらず、反対運動が起きたということですね。
A.そうです。
Q.それはどうしてだと思いますか。
A.不安があるんだろうと思います。それは、コンピュータというものが、今のインターネットでの問題のように、非常に広がってしまうと、自分の知らないところで、それらの情報が流れていってしまうんじゃないか、という不安がおありだったんだろうというふうに思います。
Q.それは、障害者が誤解をしていたということなんですか。
A.私たちは、個人のプライバシーを、むしろコンピュータのほうが守れると……。先ほど言ったように、ネットワークを張れば別ですけれども、張らない限りは守れるというふうに思っていますので、へたにカルテで、紙でありますと、今はコピー時代ですので、そのほうが危険だと、むしろ思っておりました。
Q.認識に食い違いがあったということですか。
A.はい。
Q.最終的にその反対運動で、リハセンターの、準備されている横浜市との間では、どういう解決になったかはご存じですか。
A.項目が限られて、それで、本人の同意を得るということで結論がついたように、私は記憶しております。
Q.(甲第25号証を示す)確認書という文書なんですが、これは見覚えがありますかね。おそらく今おっしゃられたようなことだと思うんですけどね。この確認書に書かれている内容が、今おっしゃったことということでよろしいですね。
A.はい。
Q.それと、これはちょっと抽象的な質問なんで、なるべく簡単に答えていただきたいんですけども、障害者の自己決定権ということについては、あなたはどういうお考えをもっておられますか。
A.自己決定ができるというふうに判断できる方々については、私たちは自己決定を尊重します。自己決定ができないレベルの場合には、たとえば意識障害があるとか、あるいは知的な障害があって、自分で判断がつかないというような場合には、その保護者の方々の意見を尊重すると、そういうふうには考えております。
Q.知的障害がない人であっても、自己決定ができない場合というのもあるわけですか。
A.はい、あります。これは世界的な論議をよんでありまして、医療におけるインフォームドコンセントというのは、あくまでも救命・救急のところの話なんですね。イマージェンシーにおいては、まさにインフォームドコンセントが必要なわけで、そのところでは絶対的なものをもちます。「どちらをとりますか」という、その選択を迫るわけですから、その情報を提供して選択をしてもらうということですが、リハビリテーションの過程におけるインフォームドコンセントというのは、「ご本人の意欲をどうやって引き出していくか」という過程にありまして、そのためにインフォメーションをするかということが、非常に重要な要件になります。ですので、これは世界的にもディスカッションされておりまして、ある時期、ご本人が非常に落ち込んでいて、リハビリテーションに意欲を欠いている場合には、それについて意欲をかきたてるような、そういう対応をすべきであって、必ずしも「すべて正しく本人にインフォメーションして判断を求める、ということがなくても仕方がないのではないか」というディスカッションもあります。
Q.今おっしゃった内容だと、純粋な意味でのインフォームドコンセントというのは、救急医療に限られるというお考えなんですか。
A.いや、そうではありません。そうではありませんが、一番話題になっているのが、救急医療におけるインフォームドコンセントが一番主要な話題になって、今世界をかけめぐっていると、そういうことです。
Q.だだ、むしろ慢性疾患などについて、患者本人の理解をちゃんと得て、主体的に治療に臨む、ということが主眼なんじゃないですか。
A.いいえ、インフォームドコンセントが医療の中で問題にされたのは、イマージェンシーのほうが主要な問題なんですが、慢性疾患においては、それはもう当然のこととして我々は前々からやっておりますし、今、医療の世界でいわれているインフォームドコンセントの論議とは、かなり違う論議になります。
Q.むしろ救急医療については、「本人の意思を短い時間でどうやって確認するか」、あるいは「意識のない場合にどうするか」と、そういった意味で、インフォームドコンセントの限界的な問題が議論されている、ということじゃないんですか。
A.ですから、そのときに、勝手に、今までみたいに延命だけが皆さんの一致した目的であれば、インフォームドコンセントなしに救命・救急の処置をする、ということが当然だったわけでありますが、そうではない時代に入ってきた中で、インフォームドコンセントの重要性が、イマージェンシーの中に求められて来ているということです。
Q.そうすると、むしろ「そういう救急医療の中においても」ということですね。先ほど言われたように、慢性の疾患については、むしろ、それ以上にインフォームドコンセントが徹底されるべきである、ということが前提であるわけですね。
A.そうですね。今、新聞紙上などで話題になってきている「医療におけるインフォームドコンセント」とは違った意味で、私たちは慢性期において、リハビリテーションではもう十分にインフォームドコンセントということは、そういわれるまでもなくやってきたつもりでおります。そうじゃなければ、ご本人の意欲を引き出すことができませんから。
Q.そうすると、ちょっと、先ほどのご証言は、むしろ例外的なところを中心におっしゃったようことなのかな、というふうにも思われるんですが……。
A.ですから、今言われたのは、インフォームドコンセントという言葉をお使いになったからなんで、私たちが病状や障害の状態を、ご本人によく説明して、そして、ご本人の同意を得ながらリハビリテーションを進めるということは、当たり前のことだということです。そう私は認識しております。
Q.ただ、先ほど言われたように、それでも、自己決定というのができない場合も、例外的にはあるということでおっしゃったんですか。
A.リハビリテーションの過程で、うつ状態になったりすることが、しばしばあるものですから、とくに中枢神経の脳卒中等の障害では、そういうことが起こるものですから、そういう場合には、ご本人が訓練を嫌がったり、いろいろいたします。そういう中でも、どうやって訓練をするかというときに、「いくら説明をしてもご本人が納得できないということもあるよ」ということで、パターナリズムを発揮して、ご本人を引っ張っていくということもありうるということです。
Q.それは、今言われたような、例外的な場合に、ということですね。
A.そうです。
Q.それと、リハビリの目的として、職場復帰を望んでいる人について、将来どういう仕事に就くのかということは、これは基本的には、患者さん、障害者の人自身が決めなくてはいけない問題ですよね。
A.はい。
Q.この原告の徳見さんですけれども、職場復帰については、どのような希望をもっていたかは、あなたは直接ご存じですか。
A.原職に復帰されることを求められていたと思います。
Q.それに対して、更生相談所ないしリハセンターの考え方はどういうことだったんでしょうか。
A.原職に復帰できる可能性があると、私は思いました。ただ、そのためには、機能訓練をして、それなりの移動能力やら、それから体力やら、そういうものをつけなければならないと思いますし、それから、家庭での生活がちゃんと維持できるような、そういう日常生活動作能力といいましょうか、それから、家事労働等ができるような、そういう能力も身につけていくことが、一番スムーズにそれができようになる道筋だと考えていました。
Q.そうすると、あなたが判定して、リハセンターに入所させるという段階では、リハセンターでの訓練を通じて原職復帰を実現しようという考えは持っていたわけですか。
A.はい。明確に「できるかな」というところは、外来での判定のときの所見で、もてない部分がありました。我々の一般的な社会の受け入れとの関係でいうと、「ぎりぎりの線かな」、あるいは「ちょっと難しいかな」というところですが、「相手が公的なところであれば、可能性があるかな」という面もありました。身体的な問題だけで見れば、という話です。
Q.「公的なところであれば」とおっしゃるのは、要するに、職場のほうで、ある程度柔軟な受け入れが可能であれば、ということですか。
A.そういうことも含めてです。
Q.「そういうことも」というのは、ほかに何かお考えがあるんですか。
A.ええ。例えば、職業復帰のことでいえば、むしろ、中小の、あるいはもう少し家庭的な職場のほうが、障害者の方々を受け入れてくれているところが多いんですね。そういうこともありますので、家庭的なムードで、誰かキーパーソンになってくれる人がいて保護してくれれば、むしろ雇用してもらえるところは、そういうところが多いというのが現状ですから、そういう場合もあるということです。
Q.原告の希望する原職復帰というのは、歯科衛生士としての業務をするという前提でよろしいわけですね。
A.はい。
Q.実際に、リハセンターでのリハビリが始まって、リハビリというか、措置決定を受けてのリハビリですね、始まってからリハセンターサイドでは、その原職復帰については、どのように考えていたんでしょうか。
A.なかなか、訓練をしても進まなかったわけです。身体的な機能の改善が得られなかった、という過程が、外来でありました。そこで、「それはかなり精神・心理的な問題が作用しているんだろう」というような判断から、私は、ご本人が望むもう少し密な訓練、および私らが考えてきた、その精神・心理的な問題に対するアプローチという問題を加えようと考えたわけです。そして、更生施設にはいられて、通所されるようになってからの経過でいうと、やはりその精神・心理的な問題がかなり邪魔をしていて、一進一退を続けていくような状況でしたもんですから、「なかなかこれは進みませんね」という話になっていたように思います。
Q.リハセンターの側で、何度か評価会議をもってリハビリの方針について検討しておられますよね。
A.はい。
Q.その中では、歯科衛生士としての原職復帰を実現させようという方針自体は、変化がなかったんですか。
A.何というんですか、もう首になってしまっていると、(そういう言い方はおかしいかもしれませんが)退職されちゃっているという状況では、必ずしもないわけですから、我々は、どこかに勤めている場合、そこを休職扱いになっている場合では、「現実的に社会がどのくらい受け入れるか」ということの、常識的な判断では難しいかなと思っても、休職状態の場合には、職場復帰を目標といたします。それが、一般的な考え方です。できるだけ職場復帰をしていただいて、そのときに、もとの仕事そのものができなくても、仕事の内容を変えて復職を遂げる、というような方法も考えての話です。そういう、一応職場復帰を目標とします。
Q.そうすると、リハセンターでのリハビリの過程で、徳見さんが歯科衛生士として学校保健会に復職するということは、もう、終始それを目標にしていた、というふうに理解してよろしいんですね。
A.歯科衛生士の中でも、仕事の内容がもと通りであるかどうかということは別としてです。そこの見極めをしていた段階ですから。
Q.(乙第10号証の1を示す)これが更生相談所の総合判定書ですね。これはあなたが書かれたものですか。
A.これ自体は、更生相談所のソーシャルワーカーが、判定会議の結果といいましょうか、そのディスカッションの過程を踏まえて書いたものです。
Q.この中に、下から9行目ですか、「障害認識はやや未熟で、復職へのこだわりがあり、現実的な感覚に乏しいようである」という記載がありますね。これをみると、むしろ「復職は非現実的ではないか」というふうに書いてあるようにも読めるんですけど、そういうことではないんですか。
A.ええ。これは、その障害認識がちゃんとご自分の中できちっと現状を受け入れるというようなことが、その過程で必要だということなのであって、それが未熟な状態のまま、それを認識しないまま復職へこだわっているということに対する、その非現実性を言っているのであって、そこをきちっと、今の現状を認めて、その上で「じゃあどうするか」ということで考えるようになれれば、これは復職可能だということで、最後の3行目の「職場復帰を含めて職種転換の可能性を探り」というふうに書いてあります。すなわち、職場復帰なんですが、その中で歯科衛生士として今まで通りの仕事ができるかどうか、それはよく分からないと、しかし、これは職場が決めることですから……。その歯科衛生士としての別な内容の仕事をすること、それをも含めて、あるいは職種の転換、それも含めてということです。
Q.今のところをお聞きしようかと思ったんだけど、そうすると、「職場復帰も含めて、職種転換の可能性を探り」と書かれているけれども、これは、違う職種にして職場復帰をするということではなくて、とにかく、本人が希望している歯科衛生士として復職をして、その上でどういう仕事のやり方をするか、その可能性を探ると……。
A.それも一つになります。それからたとえば「事務仕事みたいなものはどうか」とか、それも一つであろうと、そういうふうに考えております。それは雇用主とご本人との間の問題です。
Q.とにかく、もとの職場に戻すということですか。
A.はい。
Q.ただ、徳見さんは歯科衛生士をやってきたわけですよね。それも20何年間やってきたんですよね。
A.(うなずく)
Q.で、その職場に戻るということを、本人は希望していたんですけれども、歯科衛生士としての仕事がどういうものなのか、そういったことはリハセンターの中では、検討されたんでしょうか。
A.ええ、だから一般の歯科衛生士の仕事は我々にもよく理解できますけれども、彼女が具体的にどういうような仕事をしているか、ということについて、もちろん担当者は詳しく聞いていると思います。私はおおまかなことしか理解しておりません。
Q.それは、どういう担当者が聞くわけですか。
A.おそらく、うちのソーシャルワーカーの人は、この判定書を作るときに、そういうことを聞いたと思います。
Q.リハセンターへ行ってからは? 今言われたソーシャルワーカーというのは、更生相談所の段階ですね。
A.はい。
Q.リハセンターへ行ってからは、どういう人がそういう仕事の内容を聞くんでしょうか。
A.おそらく生活訓練係のほうで通所をされておりましたから、そこでの担当の指導員は、そういう話はしていると思います。
Q.そうすると、生活訓練係の記録に、そういったやりとりがあれば、残っているはずですね。
A.そうですね、記録に残っているかどうかは分かりませんけれども、普通なら話があるはずですね。
Q.それで、あなたは更生相談所の所長でもあったわけですけれども、判定医としての立場で、リハセンターへの入所が適当であるという判断をしたわけですね。
A.リハセンターじゃなくて、リハセンターの中にある更生施設です。
Q.決定としては更生施設ですけれども、ただ、その時点では、リハセンターへ当然行くだろうということは分かっていたわけでしょう。
A.いやいや、横浜市にはリハセンターしか身体障害者の更生施設がございませんので。
Q.だから、当然、横浜リハセンターに行くわけですよね。
A.はい。
Q.で、そのときのことについて、あなたがお書きになった乙第12号証の陳述書の3ページのところに「心理的アプローチを加えながら一定期間、訓練頻度を増して治療するべきと判断しました」というふうに書いてありますけれども、それはご記憶にありますね。
A.そうです。
Q.ここで言う心理的アプローチというのは、どういうことなんですか。
A.要するに彼女のキーパーソンになるような人、すなわち彼女が信頼をして、何でも話が、ご自分の悩みを話ができるような、そういう関係者をつくりたかったと……。で、そういうことが、いわゆる我々のいう心理的アプローチです。
Q.それと、同じ陳述書の中で、「原告については器質的な損傷と心因反応があった」ということですね。
A.はい。
Q.器質的損傷の内容については、これは前回証言されておりますね。
A.(うなずく)
Q.前回述べられたようなこと、ということですか。
A.はい。
Q.(乙第6号証を示す)3ページをみてください。これは被告のほうでカルテ等をまとめられたものですけれども、この平成2年1月29日の欄に「EMG」と書いてありますね。
A.はい。
Q.これは何のことですか。
A.筋電図ですね。
Q.で、その右側に説明文が書いてあるんですけれども、これはあなたが翻訳したものですか。
A.一部そうです。
Q.どういうことが書いてあるか分かりますね。
A.はい。
Q.ちょっと簡単に説明してもらえますか。
A.左下肢に筋繊維性の収縮があるということ、これは脊髄の障害が疑われるということです。それから、左上肢では、C6というのは頸椎の6番目、その神経根の障害ですから、これは末梢神経性の障害があるだろうというのが、筋電図の所見だということです。
Q.で、このときの筋電図所見そのものは、ご覧になっていますか。
A.筋電図は私がとったものではありませんので、筋電図そのものは見ておりません。
Q.(甲第16号証の34を示す)これは2枚でなっておりまして、1枚目は送付状のようですね。2枚目についているものが、筋電図の記録じゃないですか。
A.そうです。
Q.これは、あなたはご覧になったことはないですか。
A.あとでカルテをみたときに、見ました。
Q.では、ちょっとご説明します。甲第16号証34の1枚目を見ますと、南共済病院の大成医師からリハセンターの高塚医師あてに、要するに、「要望を受けて、EMGの結果を送ります」ということなんですね。
A.そうです。そこのときに見たということです。
Q.あなたも見ているわけですね。送られたときに見たものですよね。
A.はい。
Q.(甲第16号証33を示す)これは、高塚医師から大成医師あての依頼文ということですね。
A.はい。
Q.ここに書いてあるような事情で、取り寄せをしたということですね。
A.そうです。
Q.その日付が、平成3年2月9日ということですから、この少し後ぐらいに、先ほどの筋電図の中身をご覧になったということですね。
A.はい。
Q.(甲第16号証34を示す)2枚目を見てください。ここには、先ほどの所見が、もう少し詳しく書かれているんじゃないかと思いますが、どういうことが書かれているんでしょうか。インプレッションのところを、ご説明というか、日本語でお読みいただけますか。
A.同じことです。左下肢はファシクレーションが出たわけで、痙性麻痺を呈しており、やはり「脊髄レベル以上の高位中枢の障害を考えます」ということです。
Q.ファシクレーションというのが、筋繊維性収縮ということですか。
A.そうです。それから、右下肢は、脛骨神経も正常ですし、筋電図上、筋力低下パターンを呈しているのみです、と。左上肢は、上腕三頭筋以下、したがって頸椎の6番、7番の神経根障害を疑う筋電図所見です、と。
Q.そういう所見が書いてあるわけですね。
A.はい。
Q.筋電図というのは、ごく簡単に言いますと、どういう仕組みで検査をするんですか。
A.筋肉の中に針を刺しまして、その筋肉が収縮をする電気をとらえる仕組みになっております。
Q.筋肉の中に針を刺すというのは、これは、患者さんとしては相当痛い検査ということになるんでしょうか。
A.そうですね。注射を打つのと同じです。針を刺さない表面電極というのもあります。
Q.注射よりはもうちょっと痛いんじゃないんですか。同じぐらいの太さのものですか。
A.そうです。
Q.そういう仕組みだとすると、筋電図の結果というのは、客観的に出てくるものであるということになるわけですね。
A.そうです。
Q.前回ご証言されたいくつかの検査というのは、被検者のやり方によって結果を操作できるということだけど、筋電図所見というのは、そういう余地はないわけですね。
A.はい。
Q.このことを前回おっしゃらなかったのは、どうしてなんですか。
A.いや、私どもは、はっきり神経学的な所見があると申し上げているわけで、器質的な障害があることを否定しておりません。私たちは、それはちゃんと認めております。ただ、それだけでは説明がつかない症状であり、動作であるということです。
Q.ただ、そういう器質的障害があるということの根拠としては、この筋電図というのは大きいですよね。
A.ですから、筋電図と私たちの臨床所見とは一致しているということです。あくまでも、そういう検査は参考資料です。私たちは、自分の目できちっと確かめた臨床的な所見を一番大事にします。そのもとに、必要に応じて裏付けをとるための検査をするわけです。
Q.前回あなたがおっしゃったような所見の裏付けという意味があるわけですね、これは。
A.そうです。
Q.原告が脊椎の手術をして、その後、リハビリをしているわけですけれども、で、病名としては頸椎症性脊髄症ということになっているわけですね。
A.はい。
Q.頸椎症性脊髄症の患者さんがリハビリをする、あるいは日常生活をするにあたって、特に注意を要するのは、どういうことでしょうか。
A.そう一般的に聞かれても、たくさんあります。たくさんありますので何ともいえませんが、部分的に筋肉の緊張が高まっている、そういう状況ですので、そのコントロールをどうするか、ということが一番大きな課題だと思います。ご本人が日常生活をする上で気をつけなければならないということは、転倒だとか、そういうことになるかと思います。
Q.原告は、大成医師から、「首を回すような運動をしたりとか、あるいは転倒したりするようなことは、絶対してはいけない、と言われていた」というんですけれども、それは当然のことだというふうに理解できますか。
A.はい。
Q.(甲第16号証39を示す)これは報告書ですね。これは、あなたの指示に基づいて宮崎さん・秋田さんが、高塚医師あてに提出した報告書ということでよろしいわけですね。
A.そうです。
Q.これは、センター長に報告するために作成させたということでしたね。
A.はい。
Q.で、これは実際、センター長に出したんですか。
A.ええ、出したと思います。
Q.ちなみに、センター長は何か言っていましたか。
A.それは、私は聞いておりません。主治医を通して、センター長に出しておくようにというふうに指示しました。
Q.当然、あなたのところへも報告きているわけですよね、この文書は。
A.ええ、これは見せてもらいました。
Q.これを読んでみて、疑問に思った点はありませんでしたか、事実経過について。
A.特に、そのときに、私は疑問に思ったということは、記憶しておりません。
Q.これによりますと、1枚目の2の7行目ですが、「徳見康子殿以外の患者が、平行棒上の約30cm径の訓練用ロールの上に上肢を乗せて実施していた上肢の関節可動域訓練を終了し、椅子から立ち上がる際、誤って、高さ82cmの平行棒上より、同ロールを床に落としてしまいました」と書いてありますね。これで、この患者さんがどういうふうにロールを落としたかというのは、分かりますか。
A.ええ、大体想像はつきます。
Q.私どもは、どうも、ここが、どうやって落としたのか、よく分からないんですけれども、どういうふうに落としたというご理解なんですか。
A.おそらく、椅子から立ち上がる際に、平行棒に触れたんだと思います。そのために、平行棒の上に本当ならば載っかっているはずのもの、これは摩擦抵抗が非常に大きいですから動きませんので、平行棒が動かないかぎりは動かないんですね。ですから、平行棒に触れたために、平行棒が斜めになる、要するに傾斜がついて落っこったんだと……。だから、「立ち上がる際」というのを、どういうふうに、狭くとるか、広くとるかの、そういう問題だと思いますけれども。
Q.(乙第1号証添付の「運動療法室見取図」を示す)これは、被告のほうでお作りになった、現場を再現した見取図ということですが、これはお分かりになりますか。
A.はい。
Q.あなたも作成に関与しておられますか。
A.いや、見せてもらいました。
Q.これによりますと、平行棒1・2・3とあって、3の平行棒の右側に椅子があって、で、左側にある平行棒の上にロールが載っていますね。
A.はい。
Q.こういう位置関係で、どうしてロールが椅子から立ち上がるときに落ちるのか、ということなんですけれども、これはどういうふうにお考えになっているんですか。
A.この絵の問題だと思うんですけれども、椅子がもう少し前と考えておいたらいいと思います。要するに、平行棒がある、と。それにくっついた形でもってロールがあって、そこに上肢を乗せるという形をとらないかぎり、上肢の関節の可動域にならないんですね。これが離れていたのでは、上肢が前方に伸びたままになりますから、ならないわけで、近づいて、そういう格好だと思います。そこで、終わって、立ち上がるわけです。ですから、この絵の関係上、こういうふうに離れておりますけれども、平行棒のその端に体の触れると、片一方が持ち上がるということも考えられるわけですね。
Q.いや、端的に言って、椅子の位置が逆であればまだ分かるような気がするんですが、この位置関係で、立ち上がって触れた場合に、「どうして落ちるのかな」という疑問があるんですけれどもね。逆に、向かって左側のほうに椅子が……。
A.いや、こうやって立ち上がると、たとえば、ここのところに引っ掛かりますと、こちらが上がります。で、左右の平行棒が異になれば、落ちるということです。全体の平行棒の長さの一端が上がって落ちるのではなくて、二つの平行棒のどちらかが上がれば、斜めになって落ちるということです。
Q.ただ、患者さんがいるわけでしょう。患者さんにぶつかるんじゃないですか。
A.ですから、「立ち上がる際に」というのを、どのレベルでとらえるかの問題ですが、立ち上がる際にその平行棒にぶつかって、それで、ご本人が動いて、落っこちるということです。
Q.そういったことは、以前にもあったんですか。
A.いいえ、ありません。
Q(裁判長).今の「ぶつかって」というのは、たとえば、立とうとしている患者さんの腰のあたりに、平行棒の片側がぶつかって、その平行棒が動いてしまう……。
A.ええ。ということが、ありうるだろうということです。
Q(森田).現場で事故を再現してみたことはありますか。
A.確か、これがあった後にやりましたですね。同じような設定をして。ただ、今申し上げたのは、私の推測でございますから、実態はどういうふうにして、これが落っこちたかは分かりません。本当のところは分かりません。私が見ていたわけではございませんので。ただ、ありうるだろうということです。
Q.再現を試みたけれども、完全な再現はできなかったということなんですか。
A.それは、百パーセント再現できる状態ではなかったと思います。
Q.訓練用のロールが転がって、それに患者さんが接触するというようなことは、よくあることなんですか。
A.まあ、めったに起こることではないと思います。このロールは、とくに、重たいことは重たいものですから、ドーンと音はしますけれども、非常にクッションがきいておりまして、摩擦抵抗が大きいものですから、ドーッというふうにスピードにのって回転して行くようなものではございません。ゆっくりとしか動かないものです。ですので、ドーンと音でもってそちらを向きますから、全員がそちらを向いているような状態で注意を払っている。したがって、転がってくるのは誰の目にも分かるわけで、それを避けることは可能です。私どもは、歩行が困難で、一人では歩けないような患者さんについては、誰かがついて歩くというようなことをしておりますので、セラピストがついておりますので、あるいは車椅子ですから、そういうことでは、これにぶつかって転倒するということは、普通は考えられません。
Q.ただ、転倒の経過自体は争いがあるとしても、実際にロールが転がって行って徳見さんに当たったということ自体は、事実としてあるわけですよね。
A.そう聞かれましても、私はその現場を見ておりませんので……。ご本人はそう言っているということです。
Q.ただ、リハセンターの管理者としては、訓練用ロールが落っこって、転がって患者さんに当たるというような事態は、当然避けなければならない、というふうには考えておられますね。
A.ええ、基本的には避けなければならないというふうに思いますけれども、そういう不慮のアクシデントは、絶対的に避けられないものも出てくるというふうには考えます。
Q.ロールが転がって事故が起きたりすることのないように、何かロールの管理について気をつけておられるようなことはあるんですか。
A.もちろん、転がらないような位置に置くとか、安定性を整えるとか、その辺にほっぽっておかないとか、そういうようなことは、もちろんきちっとしているつもりです。
Q.訓練が終わった段階で、ロールはどうするんですか。
A.片付けられます。
Q.誰が片付けるんですか。
A.訓練士の人が基本的に片付けるのが原則です。
Q.(甲第16号証39を示す)事故後に、原告の徳見さんから、リハセンター側の事故に対する見解を示してほしいということをいわれて、この報告書の一部分を渡していますね。
A.はい。
Q.そのときに、この報告書の2枚目にある図面については渡されていないんですけれども、そのことはご存じですか。
A.いや、細かい記憶はちょっとないんですが、とにかく「求められて渡しました」という報告は聞いた覚えがあります。
Q.ただ、事故状況を直接書いてある図面の部分が渡されなかったんですけれども、そのことについては、あなたは相談を受けていないんですか。
A.はい。
Q.徳見さんの転倒の経過について、横浜市当局といいますか、民生局が、その場にいた人から聞き取り調査をしたというようなことはあるんでしょうか。その場にいた人というのは、ほかの患者さんですとか、あるいはその場にいた職員も含めてなんですが。
A.それは、我々がどういう状況だったのかということについて、聞いたということは聞いております。民生局当局が、ということになると、ちょっと分かりません。
Q.誰が聞いたということなんですか。あなた方が、その場にいた人から話を聞いたということなんですか。
A.そうですね。
Q.事故の後、4月の始めごろに、原告の徳見さんの友人の青山さんという女医さんから電話がかかってきたことがありますか。
A.自宅に、夜、かかってきたように記憶していますが。
Q.そのとき、あなたは青山医師に、どういうことを言いましたか。
A.私が言ったというよりも、私の面識のない方で、夜、突然、私の自宅に電話がかかってきて、たしか「徳見さんのお子さんとの関係での知り合いだ」というふうに聞きました。そういうふうな記憶があります。で、私も、面識ありませんし、徳見さんとの関係がどういう方かも私は確認できませんから、彼女が言っていることに対してのみ、お答えしたような記憶がございます。で、プライバシーの問題がございますので、病気のことについてあまり触れてないように思います。彼女からは、ただ、「このままですと大変なことになりますよ」というような脅迫じみた話だったものですから、私も、「どういうことですか」ということで、かなり時間をかけてお話したと思います。その結果としていえば、「もし、あなたが医者で、徳見さんの友人であるならば、医者として徳見さんのほうにも援助していただきたい」と……。そういう視点から、「医学的な視点から話を進めてください」というようなことをお願いしたふうには記憶がございます。ただ、「私に抗議をするだけでは、職場復帰を含める、その障害の改善ということはありえないんだ」と、「医学的な視点から、もう少し対応していただけないでしょうか」というような、そんなことだったと思います。かなり夜で、私としても、プライベートな時間を、突然、見ず知らずの人から電話がかかってきて、ちょっと気持ち的には、いらついた記憶があります。
Q.徳見さんから話を聞いて、リハセンター側の対応について抗議をされたという印象ですか。
A.そうです。
Q.あなたは、青山さんに対して、「徳見さんとは関わり合いにはならないほうがいいんじゃないですか」とか、そういうことを言ったんじゃないですか。
A.青山さんに対して、「関わり合うな」というような言い方はしません。ただ、「何も知らないのに、このような電話をしてきたりするような、そういう関わり合い方は非常識じゃないんですか」ということです。すなわち、私どもの話を全く聞いていないわけですから、「徳見さんの話だけを聞いて、私のほうに、そのような、突然夜中に電話をかけてくるような、そういうのはおかしいんではないんですか」というような言い方はしたというふうに思います。
Q.その後、7月と9月に、徳見さんが、あなたのところへ診察を受けに行ったことがありますね。
A.はい。
Q.9月のことなんですが、このときは結局、診察にならなかったわけですね。
A.ああ、診察にならなかったことがありますね。
Q.このとき、どうしてあなたは、診察をしなかったんですか。
A.いや、私は診察をする用意があったのですが、「今日はどういうことで来られたのか」ということを聞いたわけです。そしたらば、徳見さんは「そんなことも分かっていないのか」ということだったんですね。私はそれがどういうことだかよく分からなかったんです。私が、少なくともそのときに相談部長から聞いていたのは、「森田弁護士さんから連絡があって、それで診察を依頼された」ということだったものですから、私はそのつもりでいたんです。ですから、どういう用件なのかは、むしろ徳見さん側が私に言ってくれるものだと思っていたわけですが、それを聞いたらば、突然怒りだして、それで、あのときは確か相談部長は庄子部長だったわけですが、「庄子さんを呼んでこい」という話で……。私は、「では、どういう用件なのかは、森田さんに直接聞こうよ」という話をしたわけですけれども、もう話にならなくなってしまったと……。
Q.用件も何もですね、こちらのほうは職場復帰をしてくれということを、まあ、診断書を持って行って、行ったところ、じゃあ庄子さんのほうで、「いついつ診察を受けに来てくれ」ということを聞いてですね、行っているわけですよ。その詳しい経過はあなたは知らないかもしれないけれども、少なくとも庄子さんのほうから、徳見さんが診察を受けに来るということは聞いていたわけでしょう。
A.そこまでは聞いています。ただ、どういうことで来るのかということなんです。要するに、私が何をすべきなのか、何を聞き、何をすべきなのかということについて、聞いていなかったものですから、それをご本人に聞いたんです。
Q.それは、庄子さんから全然経過説明はなかったんですか。
A.森田明弁護士から依頼があったから、診察をしてやってくれということだったんです。
Q.私が何を依頼したわけですか。
A.そこまでは聞きませんでした。
Q.だから、それを聞かなければしょうがないんじゃないですか。
A.ですから、それは、来られるわけですから、徳見さん自身と話ができないわけではないですので、徳見さんから話を聞けば、話が通じるわけです。で、そこでお聞きしたわけです。そしたら怒りだしてしまったというわけです。
Q.(甲第9号証を示す)これは、私が庄子さんに送った手紙の送り状なんですが、この2枚目のほうに、杉井医師の診断書がありますね。
A.はい。
Q.で、「上記による痙性麻痺に対して理学療法の必要があると考える」ということなんですけれども、こういう診断内容であれば、リハビリをするということを、当然考えるんじゃないですか。
A.それは診断した人の判断だと思います。
Q.だから、この診断内容自体はそうですよね。
A.そうです。
Q.(甲第10号証を示す)これは、庄子さんから私のほうに送られた手紙なんですが、ちょっとお読みになってください。これの2枚目にあります、ビラの写しがついているんですけれども、この赤枠で囲ったところが、現物も色がついているわけですけれどもね。で、今ごらんになったように、「『体調の不調』などの身体状況がある以上は、機能回復訓練は無理なのではないでしょうか」というふうに書いておられますけれども、この手紙を庄子さんが書くにあたっては、相談ないし打ち合わせはしているんでしょうか。
A.打ち合わせというよりかも、こういうことで出すけれども、確認をしろということです。
Q.確認をしろということを、庄子さんから言われたということですか。
A.はい。
Q.このビラをつけて出すということについては、これはあなたのほうの意見というわけではないんですか。
A.はい、違います。
Q.これは、もう、そういう形で庄子さんのほうで作っておられたんですか。
A.はい。
Q.で、あなた自身は、この1月の時点で、急性症状の有無については、どう考えていたんですか、ここでいう身体状況ですか……。
A.1月の時点についていうと、わたしは診察をその時点ではしておりませんから、分かりませんでしたけれども、身体的には変化がないと思っておりましたから、それ自体はあまり問題にしていません。要するに、その身体症状からすれば、PTの理学療法の訓練をすること自体は問題はないと考えております。けれども、本人が様々な訴えをしている、これがどこから出てくるものか、ということについて、先ほども申し上げましたように、器質的な障害からくるものなのか、精神・心理的なものからくるものなのか、このところの判断はつきかねるわけです。で、その両方がちゃんと治療できる体制が必要なんだというふうに、私たちは考えています。したがって、主治医である大成先生、南共済病院で整形外科的な対応はちゃんとできるということを条件に、精神・心理的なアプローチを一方で加えるというような治療法が適当なのではないかと、私は臨床的に診断はしていたわけです。
Q.それは、いつの時点での診断ですか。
A.転倒後、しばらくたってからです。
Q.というと、夏前とか、それぐらいですか。
A.そうですね、おそらく5月か6月ごろじゃないでしょうか。
Q.その時点で、もう原告がリハセンターでリハビリを続けることは適当でないと……。
A.ええ、整形外科的な対応とか、あるいは精神・心理的な対応とか、あるいは信頼関係の問題とかいうようなことで、うちで訓練を続けることは適当でないと判断しました。
Q.それはあなた個人の判断ですか、あるいはリハセンター。
A.私個人の判断です。
Q.あなた個人と言われたけれども、その判断は庄子さんなどには伝わっているんですか。
A.もちろんそうです。主治医の判断ですから。
Q.そうすると、大変心外なんですけれども、秋から年明けにかけて、私は、何度も杉井医師に頼んで、杉井医師のところへ行って診断書を書いてもらったり、レントゲンを借りてきて見てもらったり、意見を書いてもらったり、いろんなことを、再開のために必要だということで、手配をしたんですけれどもね。そういう診断書によって再開する余地があるという考えはあったんですか。
A.ええ、主訴が安定していれば、もちろん別かもしれません。ただ、基本的には、まず大成先生のところで、ちゃんと診てもらって、「大丈夫だよ」というようなお墨付きがほしかったというのは確かです。医者としては診療拒否をすることはしませんが、どういう訓練をしたり、どういう治療をするかということについては、主治医としての私と徳見さんとの間で決まることですので、私自身はそういうように、大成先生のところのお墨付きがもらえるような治療が前提にある、というふうに考えていたということです。
Q.ただ、今年の夏までの間に、徳見さんと大成医師との間の信頼関係はよくなくなっていたということは、知っていたんではないですか。
A.信頼関係がなくなっていたということで、もし、大成先生を拒否されるのであれば、私どものところも信頼関係がなくなっていたように思います。
Q.それは別の問題として、まだ現にかかっているわけですから……。で、結局、3月の時点で、これは私も立ち会った席だけれども、リハセンターは受け入れられないということを……。
A.いや、受け入れられないと言ったのは、あくまでも、診療が受け入れられないと言っているのではなくて、訓練を続けることはうちでは困難でしょうと申し上げたわけです。
Q.では、診療は受け入れるということですか。
A.私が診察をすることは、受け入れておりました。
Q.では、診察うんぬんではなくて、結局リハセンターでの訓練はこれ以上はできない、ということをおっしゃったんですね。
A.それは主治医としての判断です。
Q.主治医としての判断として、そういうことは表明されたわけでしょう。
A.そうです。
Q.それは同時に、リハセンターとしての見解ということになるわけですか。あるいは、あなた個人の意見だったんですか。
A.主治医がおそらくそう判断したらば、診療所長、要するにそのときセンター長ですが、センター長が反対しなければ、リハセンターとしての方針になるでしょうね。
Q.その、断わるときには、ほかに適当な病院を紹介するということは、しておられませんよね。
A.いや、ご本人が求めれば別です。
Q.求めれば紹介するということはおっしゃいましたか。
A.いや、求められた場合には、我々は、一般的には、じゃあ、こういう病院はどうですか、というような紹介の労をとることはあります。
Q.実際には、そういうことは、紹介はしていないんですよね。
A.徳見さんにはいたしませんでした。

Q(大塚).前回のご証言の中で、疾病利得(しっぺいりとく)という言葉を使われましたよね。それから、その話をされたときに、演戯的転倒ということを言われましたよね。
A.はい。
Q.その関連なんですけれども、疾病利得がある場合に、演戯的転倒が起こりやすいということですか。
A.いや、一般論として、疾病利得がある場合に、そういう、ストレスに対して、逃避して、転倒等の事象を起こして、それで自分自身の障害が悪化したとか、何かさらに別なアクシデントが起こって、悪くなったとか、そういうようなことで、さらに重症度が増すということで、補償が大きくなると、そういうようなことが労災等ではあるという、そういう一般論としてのお話をしたということです。
Q.今、労災の話をされたので、それに関してうかがいますが、前回、「労災法適用後に多い」というようなことを証言されておりますよね。
A.ええ、ですから、労災として適用されたときに、病気が続いていたり、障害が重たくなったりすれば、当然、その補償期間が続くとか、あるいは、さらに補償が大きくなるとか、そういうことと結び付きやすいからだというふうに、私は理解しています。
Q.労災が認定されて、それで、治療を受けている途中に転倒して事故が発生すると、労災の補償が膨らむんですか。
A.いえ、ですから、長くなるということです。
Q.それは労災じゃないでしょう、リハセンターで転倒したことは……。
A.いや、ですから、これは一般論で申し上げているのであって、徳見さんの場合は全くないです。
Q.関係ないことを証言したんですか。
A.これは、転換ヒステリーを説明するために説明したということです。
Q.転換ヒステリーを説明するのに、今のことがどう関連するんですか。
A.転換ヒステリーを起こす原因として考えられている一つの条件、例として説明したんです。
Q.その例は、徳見さんの場合に当てはまるという趣旨なんですか、当てはまらないという趣旨なんですか。
A.労災ではありませんが、休職期間中であったということからすると、何らかの疾病利得がある可能性はあると……。
Q.この間言っていることと全然違いますね。どういう疾病利得があるのか、具体的におっしゃられますか。
A.ですから、「何らかの」と申し上げています。
Q.このあいだ、労災との関連でお話したのは、間違いだということになるんですか。
A.いや、間違いではなくて、一般論としての例として引いたわけです。
Q.ではもう一度確認しますけど、その労災の関係の話は、徳見さんとは関係ないというふうにうかがってよろしいですね。
A.そうですね。例ですから。
Q.(甲第16号証56を示す)これは大成医師の紹介状なんですが、平成2年8月23日づけの、これの真ん中より若干下のほうなんですけどね、「昭和63年公務災害打ち切り直後に交通事故(オーバイにぶつかった?)にて再度病院通いを続けているなど、不審な点があり」と、こう書いてあるんですね。前回、このことについても証言されましたよね。
A.どんな証言でしょうか。
Q.代理人がこれを引用して、これについて聞きましたよね。記憶にないですか。
A.どういう証言を、私、しましたか。
Q.こういうふうに聞いているんですよ。まず、これを栗田弁護士が紹介しているんですね。そして、その後、「労災とか公傷にヒステリー的なものが見えている。その疑いもこの紹介状では記載されていると、そういうふうにおうかがいしてよろしいでしょうか」と、こう栗田弁護士が先生に質問をして、あなたが「はい」と答えているんですよね。
A.これは公務災害の打ち切りということです。このことでは、これは、それを示唆するものだということです。
Q.これを最初に見たのは、この日付の直後ですか。
A.これは、別に、リハセンターに来院されたときに、この紹介状を確か持って来られたんだと思いますが……。
Q.じゃあ、この日付けより後に、当然見られているわけですよね。
A.はい。
Q.今、この中で引用した部分がありますけどね。その部分というのは、事実だというふうに判断しているわけですか。
A.いいえ。私たちはそのことを事実だというふうに証拠としてつかんでいるわけではありませんから、事実だというふうには思っておりません。だからといって、うそだとも思っていません。
Q.この部分がリハセンターの準備書面の中にもわざわざ出てくるんですけどね。裁判記録についても、あなたもごらんになっていて、いろんな訴訟の準備にも関わっているようなんですけども、これは徳見さんのことを評価する上では重要な事実なんですか。
A.ええ。転換ヒステリーという症状とその原因ですね、その転換ヒステリーにもやっぱり原因があるわけで、どんなストレスが本人にあるのか、どういうことのために逃避しなければならないのか、もし、それを考えるすると、何らかの原因があるはずだと、その原因の一つとしては考えられるわけで、そのことが特定できるかできないかは別として、そういうことがいくつかあれば、それも一つの私たちの参考材料にはなりますね。
Q.その参考材料にする場合、どんなことが重要なことですか。
A.転換ヒステリーだというふうに考えざるを得ない状況だとすると、その裏付けとしては重要な、主要な条件だと思います。
Q.事実確認していないようなんで、聞きますけども、「公務災害」と書いてあるんですけども、徳見さんは公務員ではなかったですよね。
A.はい。
Q.だから、正確にいうと、公務災害ではなくて、労災保険ですよね。
A.はい。
Q.そこはいいですか。
A.いいんじゃないでしょうか。
Q.それから、これで見ますと、昭和63年に労災保険が打ち切りと、こういう意味合いなんでしょうね。
A.だと思いますが……。
Q.(乙第11号証を示す)二枚目ですね。時系列でいろいろなことが書いてありまして、これの(8)のところなんですが、その一番右側に「昭和56年8月労働災害認定」と、こう書いてありますね。
A.はい。
Q.これがそのことだと思うんですが、その左側に「昭和63年3月31日症状固定」と、こう書いてありますね。
A.はい。
Q.この昭和63年3月の症状固定までは、労災保険は続いていたと、こう理解していいわけですね。
A.いや、このことについては、大成先生の診断書で、私自身よく分かりません。ですから、何とも言えませんが、たぶんそうなんですね。これがここ、続いたり……。
Q.症状固定までは、治療は続きますよね。
A.はい。
Q.問題は、その直後に事故を起こしたというふうに、大成先生、書いているんですけども、事故は、今の乙第11号証の(11)の真ん中のところを見ていただくと分かるんですが、昭和62年7月13日なんですよね。「昭和62年7月13日交通事故」と、こう書いてありますね。
A.はい。
Q.そうすると、昭和63年の打ち切りになった直後に、この交通事故が発生しているというのは、時間的にはおかしいですね。
A.……。
Q.先ほど、重要な事実だとおっしゃったことは、事実が違っているということですね。
A.……。
Q.今回のこの徳見さんの転倒事故のことなんだけれども、高塚医師が大成医師に聞いたら、受傷前後に、大成医師のところでの受診ですけど、「受診前後にレントゲン上の変化はない」と、こういうふうに高塚医師は聞いたようだと、こう証言されてますよね。
A.はい。
Q.だけど、実際は、大成医師のところでレントゲン撮影を、今回の転倒事故後におこなっているかどうか、それはご存じですか。
A.知りません。
Q.転倒事故後に南共済病院で診察を受けて、そのカルテが残っているんですけども、そこにはレントゲン写真を撮ったというカルテ上の記録が全然ないんですよ。そうすると、撮影していないということになりませんか。通常は。
A.分かりません。
Q.(乙第1号証添付の写真@ないしBを示す)前回、この写真をごらんになって、右側のほうに倒れているというふうに証言されているんですけれども、これは右側から倒れてないんじゃないですか。
A.「右前方に倒れたのではないか」というふうに言ったつもりですが。
Q.絵で見ると右側と書いてあるんですけれど、右前方のほうに倒れたという、そういう認識ですか。
A.彼女は前方に倒れることは可能でも、後方に倒れることは非常に危険な状態ですので、右前方というふうに我々は理解しています。
Q.徳見さんにそういう危険があるから、そういうふうに推理したと、今の証言はそういう趣旨ですか。
A.そうではありません。右後方に、あるいは後方に倒れるということは考えにくいからです。
Q.まず、そういう推理をちょっと除外して、この写真をどう評価するかなんですけども、これは、@、A、Bと見ると、全然、右側に倒れてなくて、ただ単に右膝をついただけなんじゃないんですか。
A.こういう倒れ方を、私はしたんだと理解しております。
Q.これですと、ただ単に右膝を下について、その際に左足を左側に振ったというふうに見えませんか。この写真の評価ですよ。
A.ですから、左足は地面についたままですから、右前方に倒れれば、左足は必然的にこういう格好になるということです。
Q.左足が着地している地点というのは、同じ地点だという意味ですか。今の証言は。
A.そうです。
Q.でも、この写真を見ると、そう思えませんよね。
A.この@の写真ですね。@の写真の前に、この右足はもう少し内側にあった。その次に一歩出したときに前へ出るわけですね。そのときにぶつかる。それで膝をすくわれて前へ倒れる。そうすると、こういう格好になります。
Q.左足の着地している地点というのは、私は固定していないように見えるんですがね。この写真では、左側に動いているように……。
A.いや、左足は動かせないんですから、膝を固定されておりまして……。ギブスを巻いたような状態だというふうに申し上げた通り、動かないわけです。ですから、これは積極的におこなったものですから、こうなっておりますけれども、もう少し内側に入っていたとしても、同じことです。
Q.左足は、徳見さんは動かせないというのは、それでいいんですか。
A.ええ、この装具をつけている限り、股関節を曲げたりすることは可能であっても、膝を曲げたり伸ばしたり、足首を背屈したり、底屈したりすることはできません。
Q.前回の証言で、背中からうしろに倒れると、必ず骨折だとか頭蓋内出血によって救急状態になるような、そういう証言をしているんですけども……。
A.ええ、徳見さんがおっしゃったような倒れ方をした場合です。
Q.必ずなるものなんですか。
A.ええ。右足を完全に固定しているわけですから、膝を曲げてうしろに倒れることができません。したがって膝を伸ばしたまんま、すなわち足を棒状にしたまんま、うしろに倒れることになります。私が考えますのは、その場合に、尻もちをつくというふうに申し上げておるんですけども、徳見さんは、そうではなくて、「そのまま背中から落っこった」と、「うしろに倒れた」と、そういうふうに言われたということなんで、そうだとすると当然ですけれども、棒状にうしろに倒れることになります。したがって、頭を打つことになるだろうということです。
Q.私が聞きたいのは、例外がないという趣旨で言っているのかどうかなんですよ。
A.ですから、徳見さんの言われたような倒れ方をした場合には、ほぼ百パーセント近く、大変な状態になるんではないでしょうか。
Q.ほぼ百パーセントというのは……。百パーセントになる根拠は何なんですか。例外はないんですか。
A.例えば、床が柔らかければ別でしょうね。
Q.じゃあ、例外はないというのが、あなたのお考えなんですね。
A.そうでしょうね。
Q(森田).徳見さんのような患者さんに対しては、転倒を避けなくてはいけないと、先ほどおっしゃいましたよね。
A.(うなづく)
Q.徳見さんに対しては、転倒を避けるような指示というようなことは、あなたのほうからは、されてましたか。
A.ええ。ただ、避けなければならないといっても、避けられないことも、もちろんあろうかと思います。ですから、できるだけ気をつけるわけですが、彼女の場合は、松葉杖(ロフストランド杖ですが)、これを二本持って、装具を着けて歩いていれば、実用的な歩行能力が得られるとは判断していたわけです。ですから、通所という形でうちに来ていたわけで、おもてももちろん、車からの乗り降り、歩けるわけですから、ですので、その杖を持って歩いている限りにおいては、一人で歩いてもらっていたということです。
Q.訓練のやり方などについて、例えば長下肢装具の関節の部分を外せば、曲がるようになりますよね。
A.はい。
Q.ああいう状態で歩かせるというようなことは、転倒の可能性が高いということですか。
A.ですから、それはセラピスト、理学訓練士がついて、試みとしておこなうと、その可能性があるかどうかということ、試みとしておこなうときには、やりますが、そうでないときに、一人で歩いてもらっているときに、見ていないところで歩いてもらうということはありえません、ということです。
Q.その「転倒に気をつけるように」というのは、具体的には、誰に対して指示をしているんですか。
A.ご本人と訓練士です。
Q.訓練士というのは、具体的にどなたですか。
A.この場合は宮崎です。
Q.宮崎さんの証言の中では、特別、徳見さんに対して、ほかの患者さん以上に注意を払うという認識はなかったようなんですけれども、宮崎さんの証言は見ておられますか。
A.いや、それは、先ほど言ったように、目を通しただけでございますから、詳しくは覚えておりませんが、一般的に、転倒は他の患者さんでも同じように注意をして見ているわけです。そんな転倒を起こさせるようなことは、絶対、私たちはしないのが原則でございますから、とくに徳見さんだけが、ということはありません。
Q.いや、そうだとすると、とくに徳見さんに対して、気をつけろという指示をしたわけではないわけですね。
A.ですから、それは、私たちは「転倒注意」というようなオーダーを書いたりする場合は、一般的には、よほど歩き方が危ないときに……。
Q.私が聞きたいのは、徳見さんに対して、「とくに転倒を注意しなさい」というような、今言ったようなオーダーを書いたことがあるのかどうか……。
A.それは致しません。
Q.それは、してないですね。
A.はい。
Q.それと、転倒の際の現場について、再現をされたとおっしゃっておられましたけれども、実際、ロールを落としたりはしてみましたか。
A.ええ、もちろんいたしました。
Q.ロールはどういうふうに転がりましたか。
A.2メートルかそのくらいしか……。コロコロッと転がる程度ですね。
Q.落っこって、そのままコロコロ転がりましたか。
A.ええ。ドーンと落っこって、それからコロッ、コロッ、コロッと転がるわけです。
Q.ドーンと弾んで、跳ね上がるような感じになるわけですね。
A.はい、そうです。若干跳ね上がります。ものすごい音がいたします。
Q.それと、事故後、その場にいた人からの聞き取りをされたということですけれども、これは、どういう方から話を聞いているのか、あなたはご存じですか。
A.詳しいことは覚えておりません。
Q.聞き取った内容についても、あなたは覚えてないんですか。
A.はい。ただ、聞いております。あまり患者さんの方々は覚えてないんです。覚えてないということは、ドーンという音がして、落っこったわけですから、皆さんそちらを向いたわけですけれども、その後、重大なことになっていなかったということを、我々は想像しました。
Q.覚えていないから重大な事故ではなかったという理解をしたということですか。
A.いやいや、ですから、宮崎のその報告通りだというふうに理解したわけです。他の人たちも覚えていないくらいだったということです。
Q.青山医師との電話の話ですけれども、その中で「青い芝の会」についての話は出てましたか。
A.いや、はっきり記憶しませんけれども、「青い芝」の話が出たというふうに、私もちょっと覚えております。
Q.あなたのほうから持ち出したんですか。
A.いいえ、どちらからどういうふうに出たのか分かりませんが、もしかしたら、私のほうから言ったのかもしれません。
Q.「青い芝の会」というのは、脳性麻痺を持った人たちの会ですね。
A.ということを、私はよく知っております。
Q.「そういう団体と徳見さんと付き合っているのはよくない」というようなことを、あなたが言ったんじゃないですか。
A.いや、そういうことは……。全然ニュアンスが違うように思いますね。私が先ほど言ったように、「抗議していてもよくならないよ」と、「医学的にもう少し考えていただきたい」ということを青山先生に申し上げたということです。
Q.「青い芝の会」がどういう文脈で出てきたかについては、分からないんですか。
A.よく覚えていないんですけれども、ただ、その「青い芝」の方々と一緒になって、そういう抗議をするような状況では、決して、そういうことだけでは改善しませんよ、という意味で申し上げているんです。
Q.そうすると、やっぱり「青い芝」とは縁を切ったほうがいいという話をしたということなんでしょう。
A.縁を切るというようなことを、私が申し上げたかどうかは、ちょっとその段階では……。私が思っているのは、「青い芝の会」を私はそんなに悪く思っておりませんから。

Q(渡辺).前回のご証言で、最後のほうで、被告代理人の「これまでの徳見さんの転倒事件前後を通じての身体的な面の変化やリハビリの態度、宮崎理学療法士の報告などからして、徳見さんの転倒は詐病あるいは転換ヒステリーによる演戯的転倒と解する余地は十分あるでしょうか」というふうな質問に対して、「十分あると思います」というふうにお答えになっていらっしゃいますね。
A.はい。
Q.これは「詐病あるいは転換ヒステリーによる演戯的転倒」というふうな質問なんですけれども、このいずれというふうにお考えになっているんでしょうか。
A.ですから、それは、確かこの前の証言の中でも申し上げたとおり、診断はつきませんが、詐病・詐病神経症・詐病精神病、あるいは転換ヒステリーというのは移行すると申し上げているわけで、どれだというふうに判断はしておりません。
Q.転換ヒステリーというのは、精神病の一つですね。
A.そういうふうに、あまりお分けにならないほうがよろしいかと思いますけど。
Q.分けないんですか。
A.ええ、これが精神病だとか、そういうふうには、あまり分けないほうがよろしいように思います。
Q.転換ヒステリーというのは、疾患の一つとしてとらえているわけではないんですね。
A.いや、ですから、疾患の一つですが、詐病等の移行もありますので。
Q.移行はあるけれども、詐病は病気ではないわけですよね。
A.はい。
Q.転換ヒステリーは病気ですよね。
A.我々は病気ととらえますけども。
Q.とらえるけれども、違うこともあると……。
A.移動するものですから……。固定的ではないということです。
Q.当然、鑑別が必要ですよね。
A.それを、そう診断する場合には、鑑別が必要でしょうね。そのときの状態はどちらなんだということで。
Q.転換ヒステリーは、先ほど、疑いがあるとおっしゃいましたね。
A.転倒したときの話です。
Q.そうすると、初診時はいかがですか。
A.初診時も、そういうような要素があるというように、私は少なくとも思っていました。
Q.そうすると、その初診時に器質的損傷プラス心因的要因によって、症状が出ているというふうにお考えになっていらっしゃるということですが、その心因的な要素というのは、転換ヒステリーのことですか。
A.転換ヒステリーとは申し上げておりません。その段階では。
Q.転換ヒステリーの疑いがあるものということと……。
A.そういう要素があるということです。
Q.心因要素というのは……。イコール、同じことを意味しているというふうにとらえていいんでしょうか。
A.一般的に、転換ヒステリーの場合には、神経学的な器質的障害がない人のほうが多いですから、そういう場合には転換ヒステリーとはっきり分けることができるんですけども、そうではないので、そういう要素というふうに申し上げております。
Q.国際的な疾病の分類でICD−10というのがございますね。
A.はい。
Q.それで当てはめると、徳見さんの疑いのあった転換ヒステリーというのは、何になるんでしょうか。
A.どういう意味でしょうか。
Q.具体的な疾病の分類に関してのWHOが定めているICD−10というようなものですと、ヒステリーというふうな概念は、そのものとしてはございませんよね。
A.はい。
Q.そうすると、そのICD−10の分類上は、どういうふうな病気の疑いがあるというふうにお考えになったということでしょうか。
A.そんなふうには、その時点までは考えませんでしたから、分かりません。
Q.この分類ですと……。
A.ICD−10は、その時点までは、確か出てなかったはずです。
Q.では、ICD−9では、いかがですか。
A.それは出ていたと思います。
Q.では、その分類ではいかがですか。
A.だから、考えませんでした。
Q.それでは、証人がお考えになっている転換ヒステリーというのを、簡単に説明していただけますか。
A.それは、この前参考資料を出したはずです。木下論文を見ていただいてよろしいかと思います。木下先生の論文の内容と……。私はそこから学びましたし、その木下先生とは、一緒に仕事をしておりました関係で、よく勉強させていただきました。ですので、そういうふうな意味では、木下論文と同様に私は考えております。
Q.(甲第42号証を示す)48ページの下から6行目のところから、ちょっと読みますが……。
A.これは何ですか。
Q.これは「外傷性精神障害――心の傷の病理と治療」という文献です。
A.どなたが書いたんですか。
Q.岡野憲一郎という方です。「身体感覚や運動の統合が失われ、意識のコントロールを抜け出して独り歩きする状態が、従来『転換型ヒステリー』と呼ばれてきたものなのである」と、こういう理屈そのものは、よろしいんでしょうか。
A.よく分かりません。
Q.証人は、転換ヒステリーがあると、演技的転倒をするものであるというようにとらえていらっしゃるんですか。
A.その可能性があるということです。
Q.そこでの演技的転倒というのは、どういう意味ですか。
A.要するに、転倒のまねごとをするということです。
Q.本人には、演技をしているという意識があるんですか、ないんですか。
A.ないと思われるから、その場合には転換ヒステリーというふうに判断するんでしょうね。
Q.意識はないけれども、転倒してしまう状況があるということですか。
A.潜在意識ということでしょうね。
Q.転換ヒステリーというのは、先ほど読んだような概念の整理からいくと、意識を行動として起こさないで、それが身体の状態として現れると、そういうもののように理解したんですが、それは違っていますでしょうか。
A.潜在的な意識が身体の症状として現れるというふうに、私は理解しております。
Q.転倒として、ということは、むしろ行動として現れるということですね。
A.症状や行動にも現れるんです。
Q.(甲第41号証を示す)これは、WHOが定めているICD−10のヒステリーにかかわる部分を抜粋したものなんですけれども、これですと、110ページのF44ですね。転換ヒステリーと呼ばれるものは、「解離性(転換性)障害」に分類されるもののようなんですが……。それに対して、演技的なものですね、これは133ページのF60・4、「演技性人格障害」、そちらのほうに分類されるもので、病気の中身としては違うものととらえられているようなんですが……。それがヒステリーというふうな概念のもとに、両方を混同されていることがあるんではないかと思うんですが、それは違いますか。
A.違うと思います。要するに、病気の分類とか概念とかいうのは、時代と共に変遷してきております。要するに、心の病については、十分な解明がなされていないわけですから、その現象面をとらえて、「こうだろう、ああだろう」という推測をしているに過ぎません。したがって、そういう分類も変わってきております。最近の考え方では、先ほども言いましたように、詐病からその生理的転換ヒステリーへの移行があるんだということで、必ずしも特定できないということです。
Q.(甲第42号証を示す)49ページの8行目ですが、「いまだに『女性の持つ神秘的で扱い難い性質を表現するために、男性が用いる医学的メタファー』」、転換ヒステリーのことですが、「という否定的なニュアンスを担い続けているのである。実際の臨床場面では、ヒステリーは詐病という意味さえ与えられかねない。内科の緊急外来にかつぎ込まれてきた患者が、その大げさな訴えにもかかわらず、何も身体的な所見を示していない場合など、医者はニヤッとして、『これはハー・イプシロンだな』と隣にいる看護婦につぶやいたりするのである」というふうなことで、ヒステリーというふうな言葉が、今は国際的な分類とか、あるいはアメリカで使われているESF−4とか、そういう基準では使われなくなっている、ということなんですけれども、証人としては、そのような病名をお使いになっていらっしゃるということですよね。
A.いいえ、私は、先ほども言ったように、心因反応だと申し上げているわけで、その原因として転換ヒステリーが一つ疑われると……。その場合は転換ヒステリーというのは、今そこで述べられたようなことは、この前の質問の中にもあったように、そういう一般的に言われているヒステリーとは違うということを、私は認識しています。
Q.それが転換ヒステリーですよね。
A.そうです。
Q.身体に現れるという意味で、一般に述べられているというのは、むしろ、先ほどの演技的な人格障害に当たるようなものということですよね。
A.言っていることが分かんないんですけども、女性のヒステリーだと、そういうようなこととは違うということです。
Q.医学的な意味で、転換ヒステリーをおっしゃっているんだ、ということですね。
A.はい。
Q.そして、心因反応であると、今おっしゃいましたが、心因反応とおっしゃっていることと、転換ヒステリーの疑いがあるということは、同じということですね。
A.心因反応として大きく概念として捕らえたときに、「じゃないな」と言われたらば、転換ヒステリーの可能性がありますねと、そういうふうに申し上げているんです。
Q.それでは、転換ヒステリーを疑った理由ですね、所見のもとになったもの、それは何ですか。
A.それは、その器質的な障害による神経学的な所見では説明できない筋力の問題だとか、あるいは歩行の仕方だとか、日常生活動作の仕方だとか、そういうことからです。
Q.先ほど、EMGですね、筋電図、あれで器質的な障害というのは明確になっていますね。
A.ですから、筋電図は一部の筋肉の所見ですから、そのことに関しては、私たちも認めているわけです。そこのことについては、臨床的にも神経学的な所見がありました。ですから、それプラス、それだけでは説明できない症状があるといっているんです。
Q.先ほど、機能改善が認められなかったので精神的・心理的な問題があると思ったというふうなご証言がございましたね。
A.いや、そういうふうに申しあげたつもりはないんですけれども……。
Q.では、どういうふうなつもりでおっしゃられたんでしょうか。
A.要するに心因反応というか、そういう精神・心理的な問題が、それを阻害していると申し上げたんです。
Q.改善が認められないというのは、精神的・心理的な問題が奥にあるからではないかと思われると、そういうことですか。
A.そういうことが阻害因子になっているのではないかということです。
Q.それで、改善が認められなかったというふうなことなんですけれども、それは入所前の状態についてのことですね。
A.入所後もです。
Q.証人は、初診時から転換ヒステリーを疑っていたということですか。
A.何度も聞かれているので、もうしわけないんですけれども、心因反応があるだろうというふうに疑ってはいました。それが何であるか、どういうものであるかというところまでは、特定していませんでした。
Q.そのときは特定していなかったんですか。
A.はい。
Q.そのときは、転換ヒステリーと思っていたんですか。
A.はい。
Q.転換ヒステリーの疑いを持ったというふうなことを考えたのはいつですか。
A.それは、その後です。入所の判定をするころだと思います。
Q.(乙第10号証の1ないし3を示す)これは、入所時の判定書ですね。
A.(うなづく)
Q.これは、更生相談所が判定したものですね。
A.はい。
Q.この中には、そのような、転換ヒステリーが疑われるものであるとか、心因的な反応があるとか、そのような記述はございませんね。
A.はい。あえて書きませんでした。
Q.これは、徳見さんの目に、通常であれば触れないものですね。
A.触れないものですが、精神・心理的な問題というのは、非常に誤解を招きやすい、とくにプライバシーの問題でも、非常に差別を受けやすい、そういうものでございますから、私たちは慎重に記しておりまして、積極的にそのことが診断されたとしても、診断書にすら書かないことがしばしばあります。
Q.そのような趣旨で、この当時、すでに転換ヒステリーの疑いを持っていたけれども、お書きにならなかったということですか。
A.転換ヒステリーというふうには特定していないと、先ほど申し上げてます。心因反応として、そのプラスアルファがあろうということは考えておりましたけれども、そのことは、あえてそこには書かなかったということです。
Q.始めは、「入所時に転換ヒステリーの疑いを持った」というふうにお聞きしたので、そのようにお伺いしたんですが。
A.それは入所前の判定でございます。
Q.入所してから、転換ヒステリーの疑いをもったということですか。
A.「入所したころ」と申し上げております。
Q.入所した後、という意味ですか。
A.まあ、そのころだろうと……。特定はできません。というのは、頻繁に通うようになって、多くの方々が、彼女と接触するようになって、そういう日常の状況がある程度分かってきたところでの話です。
Q.そうすると、入所前は心因的な反応があると思ったけれども、それはあえて判定書には書かなかったと。で、入所後に転換ヒステリーの疑いをもったということでよろしいですか。
A.はい。その可能性をもったということです。
Q.それで、入所前ですが、徳見さんの身体的な症状ですが、改善は見られなかったんですか。
A.ええ、大きな改善はありませんでした。だからこそ、キーパーソンをつくりたくて、入所という方向性をご本人も希望されたので、無視されても、希望されたということもありまして、そういう方法をとったわけです。
Q.先ほど、改善が見られなかった原因については、精神的・心理的な問題をお考えになったということでしたね。
A.ええ。
Q.ほかに理由は考えられないんでしょうか。
A.脊椎の障害が、もう固定的で、改善がないということは想像がつくんですけれども、それにしましても、手足の筋力だとか、バランスだとかというものについては、訓練による効果が、普通はあるものです。それがないのは、ほかにはどうも考えにくいと……。
Q.(甲第16号証の63を示す)これはリハセンターの記録ですが、入所前のリハビリの記録なんですね。
A.はい。
Q.これを見ますと、90年の9月12日、9月18日、10月8日、10月15日、10月24日というふうなことで、5日間ですね。で、大体、1時間程度のリハビリがあったようなんですね。そして、その中身なんですが、初日は病歴の聞き取り、評価、18日も評価、10月8日は評価・感覚テスト・VTR撮影などですね。15日は評価・階段での歩行テスト、24日は感覚テストというような感じで、それから、10月8日に一部プログラムで、平行棒による評価と、それから10月24日にプログラムで、傾斜台・筋肉のストレッチというふうにございますが、このように、主としては評価をされて、通算5日間ですね、大体1日1時間ということで、改善というのは、一般的には考えられるものなんでしょうか。
A.説明すると長くなるんですが、簡単に申し上げますと、私たちが言っている評価というのは、医学的な検査なんかと違います。例えば、血液の検査をする、心電図をとる、脳波をとる、そういうときには治療をしないわけですね。検査所見を見て、そして診断をするための、そういう検査だと思います。これは、そういうことをしているわけではないんです。
  評価と訓練とは表裏一体なわけです。ですから、私たちは、その患者に対して、臨床的にパッと診て、どういうことを今すべきなのか、大体おおまかな見当をつけます。そうしますと、それをどの程度やるべきかということ、どの程度、また、できるのかということをみながら、訓練をするわけです。ですから、平行棒の中で立ってもらって、どのぐらい立ってられるか、どのぐらい歩けるか、ということをストップウォッチで見ながら、それイコール訓練なわけです。
  ですから、評価と訓練というのは、常に表裏一体のものになりますから、このカルテには評価と書いてありますけれども、評価はちゃんと記載しておきませんと、後でどのぐらいよくなったかをみるためには、必要なものですから、記載しておきますが、その以外ですね、訓練の内容はプログラム通りですから、特に書いていないということで、訓練と評価は、常に表裏一体でございます。ただ、訓練をしていないことはないんです。
Q.通算5日間で、おおむね1日1時間のリハビリでも、十分改善がみられるはずなのに、徳見さんにはみられなかったと。
A.5日間だけの話を申し上げているわけではないんです。
Q.先ほど、でも、入所前に改善が見られなかったということをおっしゃっていらっしゃいましたよね。
A.ええ、外来前の話と……。入所前にも改善が得られなかったと……。
Q.改善が得られるはずなのに、得られないということですね。
A.はい。
Q.そうするとね、その間のリハビリをみると、相当の一定の評価、改善があるはずであるというのが前提になるわけですね。
A.(うなづく)
Q.それがみられなかった、ということになるわけですか。
A.はい。
Q.それで、器質的損傷プラス転換ヒステリーというふうなものが合わさって、現実の症状が出ているというような場合には、リハビリテーションセンターでは、それはリハビリの対象としては、入ってくるんですか、除外されるんですか。
A.できるだけリハビリの場所でやるほうがいいようにも思うケースがありますので、できるだけ我々の範疇でできることはやりたいというふうに考えておりますから、入ってきます、対象によっては。ただ、手に負えない場合には、精神科の先生にお願いをして、コンサルテーションをお願いせざるを得ないので、そういうところにお願いするしかありません。
Q.そうすると、器質的な損傷のリハビリと転換ヒステリーの場合は、転換ヒステリーも含めて、リハビリの対象に入ってくるというわけですね。
A.はい。
Q.徳見さんについては、転換ヒステリーの疑いがあるというふうにお考えになって、具体的に転換ヒステリーのほうのリハビリ、治療としては何をなさったわけですか。
A.ですから、先ほど申し上げたように、キーパーソンが、信頼できるような人ができて、そして、その人との間でカウンセリングが成り立てば、彼女の障害認識というものを深めてもらうことができるかなと、そう考えていたわけですが、残念ながらそれはできなかったものですから……。
Q.証人が想定されていたキーパーソンというのは、誰が候補にあがっていたわけですか。
A.生活指導員です。
Q.どなたですか。
A.担当の者です。たしか、これは大場だと思いましたけれども……。私、ちょっと名前まで記憶が定かではありません。
Q.では、キーパーソンの候補者となっていた大場さんには、どんに指示をなさっていたんですか。
A.ですから、よく話を聞いて、生活指導の立場からプログラムを組んでほしいということです。
Q.それは、通常のリハビリの範疇に入る事柄ですね。
A.はい。
Q.それで、精神的・心理的な問題があると思われる場合には、それとは別に特別なケアというのが必要になってくるわけですよね。
A.いや、そんなことは考えておりません。そこまでやるんだったら、私たちの範疇ではできないです。
Q.それで、先ほど、最終的にリハビリを拒否された理由としては、訴えがいろいろあるから、というふうなことでしたが。
A.はい。一つは、ご本人が、吐き気だとか頭痛だとかそういうふうなものを訴えていたということがあって……。で、そういうような不定愁訴がたくさんある場合には、やはり、それが器質的な頸の問題から出てくるものなのか、精神的な問題から出てくるものなのかを判別しながら治療をする、少なくともそういうことが態勢としてあるところでないと、ご本人も安心できませんし……。ですから、そういう点で、南共済の大成先生のところが、私は適当だと考えたんです。
Q.証人の診断では、器質的な点についての変化はないということですね。
A.ですから、客観的な変化はないのですが、本人がそう訴えている以上は、それは見えないわけです。
Q.そうすると、じゃあ、器質的な変化も、証人は、ないと思ったけれども、大成医師が診たらば、あるかもしれないと……。
A.不定愁訴に対して、どう対応するかといったときに、ご本人が頸の器質的な障害からくるものだというふうに認識していらっしゃるわけですから、それに対する対応があるところのほうが安心感があるということですね、当然。ですからそういうような態勢があるところでやるべきだと考えているんです。
Q(森田).本人が吐き気といった症状を訴えていたとおっしゃったけど、それはいつのことを言っているんですか。
A.今言われたから、言ったんです、私は。
Q.最終的にリハビリをリハセンターで受け入れられないというふうにおっしゃったのは、翌年の平成4年3月ですけどね。ですから、それまでの間の、どの段階で言われているんですか。
A.先ほど、それは質問がありましたよね。5月か6月ごろに、そういうふうな判断をしたんですよ、ということです。ですから、私は、そのころには、そういうふうに判断をしていたということです。不定愁訴の問題を含めて。
Q.で、それ以後、不定愁訴などなくなっているわけでしょう。翌年3月までの間には。
A.そういうふうに、ご本人は申しておりますが。
Q.本人は、なくなっているわけですよね。
A.はい。
Q.それなのに、どうして受け入れなかったんですか。
A.ですから、診療を私は受け入れなかったのではありません。
Q.リハビリを何で受け入れなかったのかと言っているわけです。
A.それは私の判断です。訓練をすべきかどうかは、私の判断で、主治医の判断で決めることですから。
Q.だから、どうしてそういう判断をしたかを聞いているわけです。
A.それは、大成先生のところでもう一回きちんと治療をやりなおしていただくということを前提にしたかったからです。特に、転換ヒステリーを疑っていたわけですから。
Q.だから、それは本人が症状を訴えてからうんぬんではないんでしょう。
A.そうです、そこは。
Q.その時点では、あなたがそう考えたから言った、というだけでしょう。
A.ですから、先ほど言ったのは、5月か6月の時点での話です。
Q(渡辺).転換ヒステリーの疑いを持ったときに、精神科医には相談はなさっていますか。
A.私自身はいたしません。
Q.リハビリテーションセンターには、精神科医はおりますか。
A.おります。
Q.その方に相談しなかったんですか。
A.ただし、児童精神科医として、うちのほうは看板を出しておりますので、もともと精神科医で、そのことについては詳しいんですけれども、直接患者さんを診てもらう、そういうようなルートはありません。
Q.いままでに、リハビリセンターで、器質的障害があって、転換ヒステリーの疑いが持たれて、その転換ヒステリーに関してのケアが必要だというふうな患者さんはいましたか。
A.いました。
Q.その方に対しては、どんなケアをなさったんですか。
A.外来でのケアです。
Q.少し簡単に、分かりやすく説明してもらえますか。
A.医師とPTによる訓練です。
Q.この場合の医師というのは、どの専門のお医者さんですか。
A.リハビリテーションです。
Q.(乙第5号証を示す)うしろから2枚目を見てください。「併診のお願い」ということで、これは大成医師が精神科のお医者さんに対して質問を出して、それで、神経科のお医者さんが答えているものですね。で、答えとしては「リハビリの先生に対するこだわりは強くみられ、感情的になり易いのですが、他の面ではあまり問題ないようです」ということで、神経科のお医者さんというのは、問題ないというふうにおっしゃっているわけですけれども、証人としては、転換ヒステリーの疑いがあるというふうにお考えになっているということで、この方と考えが違うということですね。
A.たとえ精神病であろうと、分裂病であろうと、鬱病であろうと、転換ヒステリーであろうと、そのときの状態がいいか悪いかの判断を、そこは、したんだと思います。
Q.このお医者さんも転換ヒステリーの疑いを持っていたけれども、今の段階でリハビリには問題ないということで、理解をしていたんだというふうに解釈されるということですか。
A.ええ、ですから、そこに書いてあること以外には、とくに表在化していないというふうに診たんではないでしょうか。
Q(裁判長).(甲第16号証の39、乙第1号証添付の写真@ないしJを示す)甲第16号証の39ですと、程度とか何かは別にしまして、転がっていったロールが原告の足に当たったというところまでは、宮崎さんやなんかの報告書に書いてあるんですね。
A.はい。
Q.それは、証人もそれを前提にされて、これまで話しておられたということでよろしいんですか。
A.はい。
Q.それで、ぶつかったというか、触ったというか、それは程度の問題ですからあれなんですが、そういうふうに接触をしたときに、乙第1号証で、こういうような倒れ方をしたんだという被告側から主張する倒れ方で倒れるということが、心因反応を説明しないでもあり得るということは、言えないんですか。
A.それはあり得ます。
Q.言えるわけですよね。
A.言えます。