横浜市総合リハビリテーションセンターを裁く

リハ裁判


リハ裁判とは……
1.事故
 1991年2月26日、横浜市総合リハビリテーションセンター(以下、リハセンターという)内の機能訓練室において、転がってきた訓練用具が衝突し、一人の障害者が転倒した。苦しんで倒れている「被害者」を、すぐ近くにいた医者が、ただちに診察し、治療し、その後、適切なリハビリなどの対策をとった……ならば、「リハ裁判」は、なかったはずだ。
 目の前にあおむけに倒れて苦しんでいる「患者」がいるのに、診察もせず放置する医者、 所内で起こった事故のため「通所訓練者」が家で寝たきりになっているのに、謝罪どころか、見舞いにも来ない職員、「倒れたぐらいで身体症状が出るような、首の脊髄が悪い者は、他の総合病院でリハビリをせよ」として、リハビリ訓練再開を拒否する「総合」リハビリテーションセンター……。
 横浜市学校保健会の歯科衛生士・徳見康子は、頸の脊髄の手術後、復職に備えて、リハビリ訓練中に、こうして事故にあい、リハセンターから以後のリハビリを拒否された。
 再三のリハビリ再開の要求も拒否され、やむをえず、92年10月、リハセンターの責任を追及する裁判を提訴した。
2.宮崎貴明(理学療法士)のウソからはじまった
 理学療法士・宮崎貴明は、平行棒に乗っていたロール(重さ11キログラムのサンドバッグ状のもの)を使って訓練していた患者(名前は小栗という以外、リハセンターは明らかにしていない)の訓練終了後、しまい忘れて放置していた。訓練しようと、そのそばを通りかかった徳見に、ロールがゆっくりと平行棒上を転がり、落下して、ぶつかり、あおむけに転倒、背中を強打した……。
 事故の責任逃れのために、宮崎は、「徳見は、前に手をついて倒れた。以後のカリキュラムも通常通りにおこなった」と述べて、おこなってもいない訓練データをねつ造してカルテに記載した。
 宮崎の上司、秋田裕(理学療法士)は、そのうそを知りながら、宮崎の言うとおりの「事故報告書」を作成した。
 庄司哲夫(横浜市民政局部長・リハセンター常務理事)は、1年半近く、リハビリ再開を求める徳見の要求に応じず、「事故ではなく事象(自傷?)だ」と言って、リハセンターの責任を認めなかった。
3.伊藤利之が裁判で障害者差別むき出しの主張をした
 裁判になると、伊藤利之(現在リハセンター長、事故当時、徳見の主治医であり、横浜市更生相談所所長だった)が、「徳見は転換ヒステリーで、疾病利得を求めてわざと転んだ」と、精神障害者への差別意識をむき出しにして、徳見(障害者)を貶(おとし)める主張をした。
 リハセンターは、「徳見は横浜市から措置されているので、市に対して責任はあるが、障害者本人に責任をとる必要はない」と主張した。
4.裁判所は、リハセンターの差別意識をそのまま踏襲した
 横浜地裁・東京高裁は、いずれも「徳見の言い分はすべて虚偽」と決めつけて、リハセンター側の主張をそのまま全面的に認め、原告敗訴とした。上告をしたが、昨年(2001年)7月、最高裁から上告棄却の決定がされた。こうして、全面敗訴となって、裁判は終結した。
 リハセンターの訓練室という、いわば「密室」での事故であり、証人はリハセンターの職員しかおらず、またカルテは、伊藤の言う「徳見は転換ヒステリー」というシナリオにそって改竄されていた。こうして、「ヒステリー、うそつき」という徳見像がリハセンターの「専門家(医師)」によって作り上げられた。裁判所は、(当然のことながら!)リハセンターの「専門家」の差別意識に何の疑問も抱かず、判決を下した。
5.裁判は終わっても、リハセンターの「専門家」への追及は終わらない
 こうして、9年におよぶ裁判は終了した。徳見が、リハセンターに求めていた「職場復帰のためのリハビリ」をまったくおこなわず、それに対して抗議すると、「リハセンターのカリキュラムを拒否することは、当施設の方針を拒否するもの」として、追い出しを図る。
 リハセンターとはいったい何なのか、そして、リハセンターの「専門家」は、障害者に何をしたのか……、これらの問題は、まだ残されている。これから長い「闘い」がはじまる。


リハ裁判の会(徳見康子の「横浜リハセンター責任追及裁判」を支援する会)
横浜市青葉区元石川町4216-1-C
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