5月23日(火)伊計島(沖縄第7日)……第22日

平安座島
 「海中道路」パーキングの朝は、久しぶりに、どんよりと曇って、雨でもふりそうである。「海の有害動物」「ハブクラゲに注意」という大きな看板がある。沖縄でハブクラゲはハブという名前がついているほど強烈な、殺人クラゲ8〜10月ごろに発生するという話はきいていたが、こんな大きな看板で注意を促すほどのものとは思わなかったので、びっくりしてしまう。
 8時、パーキングを出て、「海中道路」を抜けると平安座島(へんざじま)に入る。すぐに、右手に浜比嘉島へ行く橋(浜比嘉大橋)がある。まだ真新しい橋である。「全長約1,400m、平成9年2月竣工」とあるから、9年前に完成したばかりである。島に入ると、すぐに大きな駐車場があり、島の「観光案内」らしい小さな看板がある。
 島には西側に「浜」という集落、東側に「比嘉」という集落があり、「琉球の最初の神、アマミキヨの伝説が伝わる島で、拝所や御嶽(うたき・神々が下って来る聖地)がいたる所に点在する」という。面積2.45 ku に、167世帯500人ほどが住んでいるという(比較してもたいして意味はないが、おととい泊まった嘉手納町が、ほぼ同じ面積の2.58kuで13,700人あまりである)。
 少し車で島の中へ入るが、どうやら車でまわるような島ではなさそうである。とにかく、島の人々にとって聖なる地を、車で走り回る気持ちになれず、そのまま引き返す。

伊計島
 平安座島の「石油備蓄基地」の前を通り過ぎ、「桃源橋」でつながれた宮城島を縦断し、20分ほどで、最北端の伊計島・航空写真伊計島に到着する。島に入るとすぐに大駐車場があり、「伊計島総合開発株式会社」という大きな看板と共に、ビーチや「マリンレジャー」の案内所がある。この島は、面積1.75 ku、人口約350人だという。ここで、島内の地図をいただく。縦3本、横13本ほどの道路が「碁盤の目のように」整然と引かれている。これは、1988年に完了した約81haの土地改良事業の結果で、このとき以来、農家では、葉たばこ栽培に力をいれてきたという説明であったが、島の航空写真をみると、まるで島全体が巨大な航空母艦のようであり、南端に集落が密集している。
 確かに、先へ進むと一面の葉たばこ畑である。ところどころにさとうきび畑もあるが、あまり手入れがされていないようである。
タバコ畑 「大泊ビーチ」で休憩する。シーズンオフのせいか、閑散としている。暇そうな「管理人」が、いろいろと話をしてくれる。ここの浜は、「離島の天然ビーチ」だから、さらさらの砂浜で、海もきれいだというが、かつては米軍のゴミ捨て場だった浜を整備したそうだ(1945年にアメリカ軍が宮城島に上陸して占領下におかれ、伊計島と宮城島、屋慶名などの住民が平安座島に1年間強制移動させられたというから、もしかしたら伊計島「航空母艦」は、このときアメリカ軍が作ったのかもしれない!)。また、沖縄本島では事故が多いためか、 シュノーケリングができないビーチが多いが、ここでは手軽に楽しめる。色とりどりの熱帯魚がたくさん泳いでいて、人に寄ってくるし、海亀も産卵にやってくるのだという。
 さらにたばこ畑をすすむと、「犬名河(インナガー)」という標識がある。「イヌの河」という意味らしい。由来を書いた石碑があり、次のような意味のことが書かれている。

「犬名河は伊計部落の北西約1キロの海岸沿いの崖下にある。島は昔から水不足で悩んでいたが、干ばつに子宝の神困っていた時、ずぶぬれになった犬が崖下から上がって来たのを見た農夫が、不思議に思って下りて行ってみると、こんこんと水が湧き出ている泉があった。それで犬名河と言われるようになったという。その後、伊計島の人たちは飲み水に困ることはなくなったが、150ほどの石段の坂道を上がり下りしての水汲みは重労働であった。
 戦後はポンプで吸い上げて、米軍との共同使用をしていたが、昭和57年伊計大橋の開通と共に、本島からの上水道がひかれ、生活用水としての使命は終わった」。
 150の石段を下りて、水をくみに行こうとすると、雨がポツポツ降り始めたので、あきらめて出発する。しかし、雨はすぐにやんでしまう。
 少し進むと灯台がある。その先に奇妙な場所があった。いかにも古そうな小さな石碑があり「ここは聖なる場所です 子之方男神から精子を 丑之方女神から卵子を頂いて 子宝が授かります」と記されている。その右隣には「立て看板」があり「ここは聖なるお所です。主様が遣わされた男神と女神がお立ちになられます。主様から精子と卵子を神々 から授受されその男と女の精神に合った子宝が与えられます ●主の御命令に依り創立 1977年旧2月20日 子白」と、同じようなことが石碑とは微妙に違う言葉で記されている。さらに石碑の左には、(本土の)墓石のような石柱があって「丑之方女神」「御地 子宝之神」の文字が見える。この3つがどうつながるのか、どのような宗教的な背景があるのか、よく分からないが……。
 縄文後期の「仲原遺跡」は、標識だけ横目で見て通過。島の最北端にリゾートホテルがあり、そのまま引き返す。

海の駅・あやはし館
 11時半ごろに、昨夜泊まったパーキングの近くにある「海の駅・あやはし館」へ。ここは「うるま市及び広域市町村の特産品の販売所、近海でとれた新鮮な魚介類を販売する鮮魚販売所や食堂などを備えた施設」である。「あやはし」とは、「美しい橋」の意味で、伊計島までを結ぶ橋を示しているらしい。
海の駅でチター ちょうど昼食時となり、食堂でランチ・バイキング850円をたべる。ハラいっぱい食って、ベランダへ出ると、先ほどから降りはじめた雨が、急に激しくなる。テーブルがあるので、チターの練習をする。しばらくすると、近くのテーブルにいた2人の若者が話しかけてくる。
 釣りやダイビングなどをするのだが、海中道路ができてからは、「海が死んでしまった」ので、このあたりはおもしろくないという。話によると、沖縄の祖国復帰(1972年)前後に、国の石油備蓄政策にもとづいて、平安座島と宮城島間の海を埋立てて、石油備蓄基地をつくるために、海中道路が造られたのであった。この石油基地建設は、石油流出事故や道路建設などによる環境汚染もあって、激しい反対運動もおこなわれたという。
 平安座島を通ると、巨大な石油タンクがいくつも見える。ここは民間の石油基地だが、このような巨大な「国家石油備蓄基地」が、全国に11か所(北海道は、国・民間共同)あるという。
 現在、国家備蓄が90日分、民間が80日分あるそうだが、いったい何のためにそれほどの石油を貯めておくのだろうか? 仮に「何かの理由で……」完全に原油の輸入がストップしたとしたら、半年ほどで無くなってしまうわけだ。それまでに(あるいは、それからは)どうするのだろうか?……などと思いながら15時ごろ「海の駅」を出て、海中道路を本島へ向かう。

琉球絣やちむんの里
 勝連半島に入ると、道路沿いの街がなんとなくさびれた感じである。売り家・売り地の看板がよく目につく。そのまま本島を横断して、反対海岸の58号線に出ると、そこは嘉手納だった。少し北上すると、2日前に寄った知花さんの作業所「さばにくらぶ」へ向かう道があり、その途中に「やちむんの里」がある(〈やちむん〉とは、やきもの・陶芸のこと)ので、立ち寄る。
 まず「ガラス工芸」の工房がある。ここをざっと眺めて、隣の陶芸の工房へ行く。徳見の目的は、沖縄の陶土を手に入れることである。応対してくれた女性に「どこで土が手にはいるのか」ときく。彼女は、徳見が横浜から来たことを知ると、「私も横浜、港南区です」となつかしそうに話す。そして、陶土を売っている店を親切に教えてくれる。
 さらに進むと、工房がいろいろあるというが、とりあえず目的は達したので(それに、雨が激しくなってきたし……)引き返す。国道へ向かうと、途中に「琉球村」という観光スポットがある。「雨宿り」のつもりで、ちょっと寄ってみる。
 「村」へ入るには入場料840円が必要だが、すでに4時半を過ぎていて、中をゆっくり見る時間はないので、「無料」の土産物コーナーをのんびりと見る。入ってすぐに、三絃(サンシン)を弾いているコーナーがある。弾いているお兄さんとおしゃべり。スタッフの女性は、ほとんどが藍染の「琉球絣(かすり)」を着ている。「琉球紅型(びんがた)貸衣装」の店の前で、沖縄の染めや織りの話をきく。

おんなの駅
 「琉球村」で1時間ほどのんびり楽しんで、17時半ごろ出て、雨の中を国道58号を北上する。15分ほどで、恩納村(おんなそん・沖縄の〈村〉は〈そん〉と読むらしい)に入ると、「おんなの駅」の標識がある。出発前に、知人から「おんなの駅」の名をきいたときには、「女の駅なんて、おもしろそう……!」と思ったのだが、どうやら「恩納の駅」だったようだ。
 中身は「道の駅」そのものである。しかし、なぜ「道の駅」として登録しないのだろうか。「道の駅」としおんなの駅・チターて認可されれば、駐車場やトイレなどの建設費などのほかにもいろいろと国の補助金が出るらしいし……。もしかしたら「補助金」で、国のヒモツキになるのを潔しとしないということかも……。
 まぁ、そんなことはどうでもいいけれど、地元の農産物の売り場を物色する。はじめて沖縄に上陸した日に、「おおぎみ」の道の駅で、「青いパパイヤ」を見て、その後、沖縄ではパパイヤを野菜として食べている(大根と同じように使う)ということを知り、何となく気になっていたが、昨日「海の駅・あやはし」で買った「沖縄料理の本」に、料理の仕方が載っていたので、2個買ってしまう。
 スナック売り場では、もう閉店まぎわなので、「タコライス」が半額で売られている。あと4つだけ残っている。もしおいしくなかったら……と迷ったのだが、2個だけ買う。これは沖縄独特の料理で、メキシコ料理のタコスをごはんに乗せたものだという。
 雨は降り続いているし……、とにかくここで車中泊と決めて、タコライスを食うと、これがけっこううまい! 4個買えばよかった、と後悔して、急いで買いに行くが、すでに閉店してしまっていた!
 食事を終えてチターの練習。21時を過ぎると、売店などの灯もすべて消え、駐車場も空っぽとなる。トイレへ行くと、何と、すべてカギがかかっていて、使えない! なるほど、ここは「道の駅」ではないから、トイレは24時間使えるわけではないのだ……と納得する。やむなく、先日(18日)泊まった「万座毛」がここから15分ほどであり、車椅子トイレもあることを思い出し、移動する。
 22時近くに、万座毛に到着。あのときは、「おみやげ品店」の亀浜さんと、その「友だち」ツハコさんの二人と楽しいひとときを過ごしたのだが、今日は誰もいない。着いたころには雨もほとんどあがり、徳見は「沖縄料理の本」のとおりに、野菜パパイヤを刻んであくぬき(水にさらす)までやって、疲れて寝てしまう。

Data:海中道路〜万座毛104.5km


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