8月15日(日) 峠の茶屋/「かえでの樹」
道の駅・南アルプスむら
朝起きて、「道の駅」内のパン屋さんへ入ると、焼きたてのクロワッサンが「試食用のカゴ」に、丸ごといくつも放り込まれている。朝メシ前なので、みんなで試食していると、「形が悪いから……」といって、大きなレモンケーキを、試食用として4人分もってきてくれる。
試食だけで朝食は間に合ってしまった!
なんだか悪いような気がして、気の弱い徳見は、メロンパンとクルミパンを1個ずつ買う(ケチだねぇ……)。
ここで、上伊那地域の「ふるさと『ゆ』めぐり スタンプラリー」の案内書をもらって、一番近い辰野へ向かい、「ながたの湯」の足湯につかる。温泉好きの徳見だが、足湯も大好きである。頚椎萎縮による麻痺のために、足が常に冷えてしまっているためなのである。
のんびりと2時間ちかく、チハル・アオイと足を湯につける。足湯をしながら五目並べをはじめると、隣にいたオジサンも、一緒になってあれこれと参加してくれる。
ところで、今日は諏訪湖の花火なのだ。目的もない旅なので、杖突(つえつき)峠にある「峠の茶屋」で、花火見物をしよう、と思い立つ。
杖突峠・峠の茶屋
杖突峠は、152号線のほぼ終点(起点?)にある峠で、ここからは、諏訪湖やその周辺の町々、そして蓼科・八ヶ岳の山々が一望のもとに見えるのである。
峠の茶屋は、脳出血の後遺症で手足が不自由な増木さんという方が、日系ブラジル人のお連れあいと一緒に経営していた。
増木さんのいれるコーヒーと、お連れあいのつくるブラジル料理がおいしくて、何度か訪れては、楽しませていただいていた。久しぶりにご夫婦にお会いして、またおいしいコーヒーとブラジル料理を、花火を見ながら楽しむつもりだった。
しかし、峠の茶屋でコーヒーと料理を注文すると、すこし味が違う。増木さんとお連れあいの姿も見えない。聞いてみると、「3年ほど前に、奥様がガンで亡くなられて、店は、茅野市と高遠市が買い取った」という。最後に会ったときには、あんなに元気だったのに……と信じられない思いである。
増木さんのコーヒーは、ブラジルから直接取り寄せた豆を、注文を受けてから挽いて、この山の湧き水でいれていたのだから、味が違っているのは当然なのだろう。
とにかく、チハルとアオイは、「日本一の諏訪の花火(と、来る途中、カーラジオで叫んでいた!)」を楽しみに、峠の茶屋の展望台で日が暮れるのを待つ。やがて展望台は花火見物の人たちでいっぱいになる。
しかし、湖面から打ち上げられた花火は、サッカーボールぐらいの大きさで、15秒ほど経ってから、ポンという頼りない音が聞こえるのだから、まったく迫力がない。計算すると5キロほど離れていることになるのだ。なにしろ、昨日大鹿村で、腹に響くほどの爆発音と火の粉をあびるほどの臨場感あふれる花火を見たばかりなのだから、よけいに物足りない。
チハルやアオイもすぐに飽きてしまい、店内に戻って、ポン・デ・ケージョ(ブラジルのチーズパン)を食べる。しかし、これも以前この店で食べたのとは味が違う。何となくお金と時間を損したような気がして、店を出る。
近くの増木さん宅に寄ると、以前とさほど変わらない増木さんが、懐かしくもおいしいコーヒーで歓迎してくれた。チハル・アオイのパパも、増木さんのお連れあいと同じ日系ブラジル人なので、ブラジル料理をいろいろ教えてほしかった、と徳見が語ると、店で出していた「ブラジルの野菜サラダ」の作り方を教えてくれた。
懐かしいお連れあいの写真に、チハル・アオイも手を合わせて、何やら「おねがい」をする。
「自分が後に残されるなんて、夢にも思わなかった」と増木さん。病気が発見されたときには、もうほとんど手遅れの状態だったという。「二人で相談して、店を手放すことにしたが、別れるまでずっと寄り添って決めることができたので、幸せだった」とのこと。
唯一悔いが残るのは、二人の味を受け継いだ「弟子」が、新しい「峠の茶屋」から3か月で解雇され、メニューだけが残されたことだ、という。「行政」の約束なんて、こんなものなのだろう……。
帰りがけにいただいたクロワッサンは、「何とか、車の運転はできる」という増木さんが(今朝、徳見たちが試食した「道の駅」のパン屋さんで)買ってきたものだという。
(これを読んで、掲示板に次のような投稿がありましたので、ここに採録いたします)
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キッチン・かえでの樹
茅野市内にある「キッチン・かえでの樹」に着いたのは、もう9時近かった。
近くの原村にある「カナディアン・ファーム」の主宰者である通称「はせやん」が、廃材を使ってつくったログハウスのレストランで、調理は、これもハセヤン手作りの巨大な「キッチンストーブ」でおこなう。
チハルは、そのストーブに目を輝かせる。トイレから戻ったアオイは、「すごいね、トイレも木だったよ!」と報告する。思わず徳見、「へぇ〜、アオイにも分かるんだ!」と言ってしまい、あとで反省する!
ここで、手作りのソーセージやピザを食べながら、ゆったりとした時間を過ごす。ここは、徳見の心を癒してくれる場なのである。
徳見が始めてカナディアン・ファームへ行ったのは、97年11月だった。リハ裁判が「証人調べ」に入り、いわば大詰めを迎えており、その一方で、解雇2年めを迎えながら、職場復帰の見通しがつかず、忸怩(じくじ)たる日々を送っていた時期だった。そのときの「すけっと日誌」には、次のように書かかれている。
諏訪南で高速道路をおりて、原村の「カナディアン・ファーム」へ。もう日が暮れはじめたころに到着。
燻製の窯や石積みのパン焼き窯、廃材を利用して建てたというログハウス風の建物などを眺める。軒下には、さまざまな燻製がぶら下がっている(写真右の天井から下がっているのが燻製)。いずれも、コチコチに固まっていて、まるで鰹節のような感じである。説明によると、こうして、2年、3年とつるしておくのだという。
室内はレストランになっている。テーブルも椅子も、すべて荒削りの木製で、一見して「手作り」と分かる。
焼き立てのパンとコーヒー(300円)と燻製の盛りあわせ(1500円)、そして生ビールを注文する。燻製は、サケ・牛タン・生ハム・ビーフジャーキーなどだ。
徳見はすっかり気に入ってしまう。「ああ、おもしろかった」と、徳見が大満足で外へ出ると、日が暮れて、外は真っ暗だ。ファームからもれるかすかな明かりを頼りに、車までたどり着く。
99年4月、3度目の訪問とき、「かえでの樹」の開店を知る。このころは、リハ裁判は一審の結審(99年7月)を控え、『ニュース』作りなど、なにかと心せわしない日々であり、一方、職場復帰問題は、解雇が既成事実化する中で、まったく見通しがつかない状態だった。
そのような「日常」から逃れるように(?)、2週間あまり、長野から伊豆まで「放浪の旅」をしたのであった。そのときの「すけっと日誌」には、次のように書かれている。
八ヶ岳中央高原・原村(はらむら)」のカナディアン・ファームへ。3度目の訪問である。連休前のせいか「客」は誰もいない。スタッフの姿も見えず、閑散としている。
「手作りのログハウス・レストラン」でケベック料理のディナーを注文するが、若い女性二人だけである。きくと「茅野(ちの)市内にレストランを開店したので、みんなそっちへ行っている」とのこと。車で20分ほどだという。
あたらしいレストランは、「手作りのキッチン・ストーブで料理する(その名も「キッチンストーブキッチン」)」というので、徳見としては見ないわけにはいかない。もう夜も8時をまわっていたが、車を走らせる。
建物は、ひとかかえもありそうな太い赤松の丸太を柱や梁(はり)にした10角形の巨大で豪快なログハウスだ。壁も内装も、椅子・テーブルに至るまで、ナマ木や廃材をほとんどそのまま使った「荒削り」のものだ。
徳見が、「乾いてきたら、反ったり割れたりする心配はないか」と質問すると、オーナーの長谷川さん(通称ハセヤン)は、「そうなったらなったで、それもおもしろいんやないか」と意に介さない様子。
「いかにきたなく仕上げるか、ということでやった」というが、「きたない」ことが、みごとに「芸術」になっているところが、すごい!
丸太をそのまま放りこめるほどの大きな「キッチンストーブ」で、何人かの若者が料理を作っている。
これ1つで、料理も暖房も十分にまかなっているらしいが、「夏になったらどうするんだろうか?」と気になって、ハセヤンにきいてみる。「夏? この冬に完成したストーブだから、夏のことはまだ考えてないよ。どうなるかなあ!」と、まったく心配している様子はない。そうか、ここは横浜の気候とは違うんだった!